コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


きらい

 『――嫌い――』

 夢はいつも薄ぼんやりとして、頼りない。
 味の無いわたあめで包まれた空間に押し込められたみたいで。
 いる筈の無い人、ある筈の無いモノが紛れ込んだりしても不自然さを頭が感じない、そんな世界。
 どこだろう、ここは。
 目の前にいるひとの名前は知ってる。確か――
『高嶺ちゃん嫌い』
 そう、高嶺ちゃん。従姉で、お姉ちゃんの側にいつも一緒にいて。
 ――え?
 自分の声は、まるで他人のようだ。
 身体も頭も幼くて、狭い世界を大事に守っていた頃の声。
『高嶺ちゃん嫌い、お姉ちゃんとるから』
 ああ、そうだ。これは、今よりずっと大きかった自分の家。…姉の部屋の前。
 顔を真赤にして、仁王立ちになって、姉の方から…自分の家から彼女を呼びつけたのだとは考えもせずに。
 ただ、分かっていたのは。
 彼女を姉の部屋へ入れてしまえば、また姉が連れ立って出て行ってしまうと言う事だけ。
「……」
 ほろりと彼女が笑う。ほんの少し困ったような、何か言いたそうな…けれど、結局その口からこぼれ落ちたのは、「ごめんな」という一言だけだった。
「あっ」
 その表情を見た途端、思わず漏らした言葉。高嶺ちゃんにそう言う顔をさせてしまったのは他ならぬ自分だと気付いたから。
 何か、とても悪いことを言ってしまったように思ったのだが、それ以上何も言わずにたっとその場を駆け出した。
 ――守るはずの姉の部屋の前から逃げ出してしまった事、見送る事も無く2人が車で出て行ってしまった事に気付いたのは、そのすぐ後だった。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
「………」
 夢と現の境目が良く分からない、そんな僅かなまどろみの中でゆっくりと目を開く。
 随分昔の夢を見ていたように思う。確か、従姉の倉前高嶺に随分と酷い事を言ったような。…それも、微妙にぶれて曖昧な記憶の中に溶けていってしまった。
 ふわ、と小さく欠伸をしながら倉前由樹が身を起こす。
「…そっか。高嶺ちゃん、昨夜から泊まっていたんだった」
 それであんな夢を見たのだろうか。
 今日は姉の護衛が必要な訳ではない。単に、昨日が土曜日だから遊びに来ていただけだ。何か用事が出来ればすぐに対応出来るよう、休日は姉の側にいる、という利点もあるらしい。
 ふわぁ、ともう一度、今度は大きく欠伸をして思い切り身体を伸ばした。
 何にせよ、今日はゆっくり出来そうだ。


「由樹、そろそろご飯だって」
 自室でのんびりと、次に作る細工物の図案のラフ画を書いていると、部屋の外で軽くノックした高嶺の声がする。
「分かった。今行くよ」
 少しずつ春めいてきた日曜の昼。呼び声にすぐ返すと、ぱたぱたと手回りのものを片付けて立ち上がる。
 由樹を呼びに来た高嶺の後に付いて居間へ移動すると、既に良い匂いをさせたエプロン姿の姉が忙しく立ち働いている所だった。
 黙って待っていると確実にその場にいる2人から睨まれると分かっている由樹が姉が運んで来た食器を各自の席へと並べて行く。その様子を満足げに見ていた姉が、2人へ、
「もう少し待っててね」
「あたしに出来る事はないのか?」
「もう、いつもそうやって世話をやかなくたって出来るんだから、座って待っててよ。何かあったらこの子を動かせばいいんだから」
 何となく手持ち無沙汰な高嶺に、くすっと笑って姉が台所へ引っ込んで行く。
「…………」
「…………」
 黙って食器を並べたせいか、いつもよりも随分手際よく並べ終えてしまい、かと言って殊更すぐ出る話題も無く、2人は自分の席で暫く押し黙ってしまった。
 苦痛に感じる程の沈黙ではないが、かといって和む空気でも無く。
「………」
 ぽつりと高嶺が何か言いかけたのに過剰反応して由樹がふっとそっちに顔を向けると、そこには柔らかく笑みを浮かべた高嶺の顔があった。
「何?」
「背、伸びたな由樹、って言ったんだ。いま幾つ?」
「百六十くらいかな」
 去年春の身体測定の時から何センチか高めに答える由樹。実際にそのくらいは伸びていると言う実感も無いではなく。
「じゃぁあたしもそろそろ追い越されるか」
 あんなに小さかったのにねえ、としみじみ続けると、何か思い出したのか悪戯っぽい顔になり、
「『高嶺ちゃん嫌い、お姉ちゃん取るから』」
 ――え。
 どくんっ、と心臓が一瞬跳ね上がった。今朝見た夢の中で自分が言っていた言葉がまさにそれではなかったか。何故その言葉を、と聞き返そうにも上手く口が回らずにいる。
 その後で一拍置いた高嶺が、
「……なんて言ってた子がこんなに大きくなるなんてね」
 にっ、と笑いかけた。
 結局からかわれただけだったのか、と複雑な表情になる由樹。そんな表情の変化を楽しんでいた高嶺がくすっと小さく笑いを漏らし、
「その後にさ、嫌いなんて嘘だよって謝りに来たの覚えてる?」
「――いや…それは覚えてない」
「そうなの?ふぅん」
 本当に覚えていなかったのだが、夢の中でさえ罪悪感で一杯だった当時の自分の事だ、それくらいは言いに行ったに違いない、と納得してしまう。きっと精一杯の勇気を振り絞って、もしかしたら怒られるかも、嫌われるかも、と涙目になっていた可能性もあり、そうなると目の前でにこにこ…いやにやにやと笑っている従姉がどんな過去の記憶を持っているのか酷く恥ずかしくなって来る。
「シスコンだもんな由樹はー」
 くすくす笑う声しか聞こえて来なかった。視線はとうに泳ぎっ放しでそっぽを向いた形になっている。それでも、きっと見えているだろう。…かぁっと赤くなってしまっている自分の耳が。
「さあお待たせ。…楽しそうね、何を話してたの?」
「いや、由樹がね」
「高嶺ちゃん!――そ、その話はいいから!食べないと冷めるだろ」
「?」
 くっくっと笑う高嶺だったが、これ以上は由樹のプライドに関わる事だと分かっていたのだろう、姉の問いかけは上手くはぐらかして、いつの間にか今日の昼食のレシピや料理のアイデアなどの話題に花を咲かせていた。

*****

「――あれ?」
 夜。寝るまでの間に、ノートブックにさらさらと図面を描き込んでいた由樹がふとあることに気付いて顔を上げる。
 そう言えば。…なんで高嶺ちゃん、あの時の事を覚えていたんだろう?
 しかも、台詞までそっくりそのまま…。

 もしかしたら。
 由樹が、時々こうした夢を見てしまうくらい気になっていたのと同じように、彼女も――高嶺も、あの時の由樹が発した言葉を引きずっていたのかもしれない。
 後で謝った所で、口にしてしまった言葉が消せる筈もなく、また、その言葉で相手を傷つけてしまっていたとしたら。
 双方が小さな傷を負ったままになっていたとしたら。
「…忘れられない記憶だったのかな…」
 そう呟いた時、今朝の夢の残滓がまだ残っていたのか、じんわりと罪悪感が胸に上がって来た。

*****

 そして、どうしたかと言うと。
「く――そ、それで、詫びの品を持って来たと?…ぷっ」
 何故か必死に笑いを堪える高嶺の姿が目の前にあったり。
 気恥ずかしい思いをしながら、同級生の女の子たちに人気のケーキ店を教えてもらい、1人で買いに行った由樹へ、その仕打ちはなんだと言うのだろう。
 思い切り憮然とした顔のままでいる由樹に、
「す、すまない」
 大事そうに受け取ったケーキの箱をそっとテーブルの上に置いて、高嶺がようやく笑いを収めてふぅと息を吐いた。
「俺が殊勝な事をするのがそんなにおかしいかな」
 ほんの少し棘を付けた言葉を相手に送ると、いやいやそうじゃない、と高嶺がぱたぱたと手を振り、
「実は、あの時言わなかったんだが、ちっちゃい由樹は謝りに来た時に、その日出されたおやつを食べずに取っておいて、それを一緒に持って来たんだよ」
 ――え?
「だから、あの時も今もやる事は全く変わってないなと思ったらおかしくてさ。いやすまない、笑うつもりは無かったんだ。――これはありがたく戴くよ、ありがとう」
「あ」
「ん?」
「い、いや、何でも無い」
 ――ありがとう。
 あの日、彼女は確かにそう言った。そして、その笑顔も――さっき見せたものと全く一緒だった。違うのは、目線の高さと互いの年齢だけ。
 変わってないのはお互い様じゃないか、と…由樹は声に出さずに、そっと呟いたのだった。


-END-