コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


『千紫万紅 縁  ― 桜の物語 ― 』


 ほら、また来たわ。
 懲りずにまた来たのね。
 今日はどうする?
 彼にあげるかって事?
 さあ、それは更紗(さらさ)に訊いてみましょうよ?
 そうね。それがいいわ。
 くすくすくすくす。
 くすくすくすくす。
 くすくすくすくす。
 ねえ、更紗、あなたはどうしたい?
 彼にあげるの、いつものように?
 あなたがあげたいというのならあたしたちもかまわないわ。
 ええ、そう。彼にあげてもかまわない。
 だからこそ、この山を吹く風にも散らさぬようにしておいたのだから。
 さあ、どうするの?
 くすくすくすくす。
 くすくすくすくす。
 くすくすくすくす。
 お、お姉さまたちったら、どうしてそういう事を言うんですか? あたしは、そんな…。
 まあ、それでは今日は彼にあげないの?
 わざわざ私たちの所にやってきた彼に。人間の足ではここまで来るのにも苦労するでしょうに。
 ああ、でも。だからこそあげないのも親切かも。だって重い物を持ってこの山を降りるのは苦しいでしょうし。
 そうね。そうね。そうしましょう。
 ちょっと、待ってよ、お姉さま。でもでもでも、彼は自分の夢に向って頑張っているのよ。だからあたしはその夢を応援したいわ。それに彼があたしたちがあげた物を使って何を作れるのか見てみたいですもの。
 あらあら、この娘ったら。必死になっちゃって。見たいのは夢を叶えた彼の作った物じゃなくって、夢を叶えた彼の顔でしょう。
 そ、それはそんな事は………
 くすくすくす。
 くすくすくす。
 くすくすくす。



 ――――――――――――――――――
【花は未だ咲かず】


「明かりを点けましょう、ボンクラにぃー♪ お花をあげましょう、毒の花ぁ♪」
 どうしてこの妖精の知識はいつもいつもこうもズレているのだろうか?
 ―――いえ、見ていて面白いのですが。
「スノー、もう開花宣言もされて、桜がこのように綺麗に咲き乱れるこの桜の園で歌うには、しかし少々時期外れなのでは?」
 風に乗って舞うは淡い薄紅の舞姫。無数の桜の花びらが舞い漂う空間で一緒になって踊りながら歌っていた妖精はその舞いをやめて、小首を傾げた。
「ほへ? そうなんでしか? だってこれはお花祭りの唄でしよ? でしからこぉーんなにいーぱい花が咲いている今日に歌うにはぴったしな唄だと想うんでしけど。むむむむ」
 動く口に合わせて大きく動かしていた腕を腕組みしてスノードロップの花の妖精は考え込んでいる。
 セレスティは桜の花霞みの中でくっくっくっくっと笑った。何となく深刻そうに悩んでいる妖精が面白かったのだ。
 おそらくはいつも彼女に嘘を教えている人物もこういう姿が面白くって、教えているのだろう。
「これも一種の愛情表現なのかもしれませんね。その誰かさんのスノーへの。しかしお雛祭りの唄がお花祭りの唄というのは何とも」
「ほぇ?」
「いえ、何でもありません」
 軽く肩を竦め、そしてセレスティは白に視線をやった。
 白は八重桜の木の幹に聴診器を当てて何事かを桜に囁いていた。
 どくん。大気が脈打ったような感じがした。
 そしていよいよその白の診察を受けていた桜の木が美しく絢爛豪華に咲き乱れる。それはどこか妖しいぐらいに艶やかで、心と惑わせるような美を誇っていた。
 風に舞う花びらが激しく激しくその心情を表現するように舞い狂う。
 息をするのも躊躇われるぐらいにセレスティはその桜の花の幻想的な光景に魅せられた。
「見事な花ですね」
「ええ、今年も綺麗に咲いてくれました。心配だったこの子ももう大丈夫ですし」
 白はそっと桜の木に手を触れた。
「それでこの桜の木の病気はどうだったのですか?」
「草津の湯でも治らない、病気でした」
 柔らかに双眸を細めた白にセレスティはかすかに口を開いて、その後に口許に上品に手をやってくすくすと笑った。
 舞い散った桜の花びらはまるで照れるかのように桜の木を覆う。
「なるほど、恋煩いですか」
「ええ。この子が言うには毎日やって来る老紳士に恋をして、それで少しでも彼と長く居るために先ほどまでのように季節に逆らって花を蕾みのままでいさせたようですから。だからこの子の体に負担がかかってしまっていたんですね」
「それで何と囁いたのですか?」
「ただ心配していますよ、って。あなたが恋をしている老紳士があなたを。だから綺麗に咲いて笑わせてあげましょうって」
 とても愛おしげな瞳で桜の木をセレスティは見つめる。
「そうですね。何よりも好きな人の笑顔が嬉しいものですから」
 さぁーっ、と吹く風に舞って、美しき舞い姫達は虚空を舞台に踊る。
 それは本当に見ていて華やかで心浮かれるような、そんな光景で。その桜の木の恋心が伺い知れた。
「先ほどの舞いは女性としてのこの木の心を。そして今は恋心を。なるほど、桜の花びらとは本当に最高の踊り手ですね」
「ええ。にしても先ほどから気になっているのですが、セレスティさん」
「はい?」
「桜の木に知り合いでもいらっしゃるのですか?」
 セレスティは顎に手をやりながら静かに瞬きをした。
「はて? それほど仲の良い桜の木は思い浮かばないのですが。ただ気になる子はいますがね。その子もまた咲かない桜の木で、死んでしまった人間の男を今も想っているのですよ」
 白はぽんと手を打った。
「なるほど。ではその子かな。セレスティさんの後ろに居る子は」
「私の?」
「はい。セレスティさんに会った時から後ろにいらっしゃるから少し気になっていたんです」
「どのような顔をしていますか?」
「とても哀しげな顔をしています」
「とても哀しげな顔、ですか。そうですね、哀しいと想います。残されてしまったのですから。好きな人に。そしてその彼の夢も未だに叶わぬままで。ええ、本当に哀しい事ですね」
 肩を竦めたセレスティに白は憂いの感情を抱く瞳を細めた。
「それはどのようなお話なのですか?」
 静かに吹く風に舞う花びら、ひとひらを手で捕まえて、その手の平の上の花びらを憂いを含んだ瞳で見据えながらセレスティは口を開き、彼が随分と昔に出会った若者と、そしてその彼に恋をした桜との悲恋の話を語り出した。



 +++


 私が彼、橋爪千吉と出会ったのは日本もようやく戦争のダメージから回復し、少しずつ豊かになり始めた頃でしたか。
 その時の彼はまだ22歳の青年で、私はリンスター財閥総帥として本格的にこの日本での活動をし始めた頃。
 彼と出会ったのはとあるホテルの玄関の前。出会う切欠は、そのホテルなのです。
 私はそのホテルでとある日本企業を買収するための商談を。
 千吉はそのホテルのオーナーに直談判をするためであったのです。
 私が乗る車が到着した時、千吉はなんとかホテルに入ろうとして、だけど玄関前に居るホテルマンたちに門前払いを喰らっていました。
 まあ、当然ですかね。そのホテルは東京で一番のホテルでよれよれのスーツを着た彼には身分不相応な場所でしたから。
「頼む。通してくれ。夢が、俺の夢がかかっているんだ」
「通せる訳が無いだろうが」
「ここはおまえのような奴が来ていい場所じゃないんだよ。何が夢だ。阿呆が」
 必死に訴える彼をだけどホテルマンたちも仕事。ぞんざいに追い払っていました。
 乱暴に突き飛ばされた千吉の手から落ちた鞄はその衝撃に弱くなっていた生地が耐え切れずに裂けて、そして飛び散った中身は、
「これは、桜の花びら?」
 桜の花びらでした。
 鞄の中一杯に桜の花びらが詰っていたんです。
 運転者が恭しく開けてくれたドアから降りた私の視界に入ってきたのは無数の桜の花びら。
 東京という街中に居て、だけどまるでどこか桜の園にでもいるかのようにとても美しく鮮やかな薄紅の花びらに包まれる私は何だかとても不思議な気分になって、そしてそういう気分にさせてくれたその青年に私はその時初めて興味を持ったのです。
 だから私は迷惑そうな顔をして何とか千吉をどかせようとするホテルマンに悪態を吐いて、まるで幼い子どもかのようにどこかムキになって両手で道路に散らばった花びらを掻き集めている彼に話しかけたんです。
「キミはこのホテルに居る誰に用があるんですか?」
「ここのホテルの社長だよ。ここの社長が俺の夢を叶えるのにどうしても必要な山を買うって言うから、だから俺は来たんだ。俺の夢のためにあの山は必要だから、だからあのままにしておいてくれ、って。何もしてくれないのなら俺に話し掛けないでくれ。これだから東京者はぁ」
 どうやら彼は随分と素直な性格のようだ。懸命に花びらを掻き集めながらもそう口にした。
 私はただここにはとある日本企業の社長とビジネスの話に来ただけだった。
 でも想いもせぬ買い物をすることになった。
「何もしないですって? 冗談でしょう。それでキミの名は? 私はリンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガム。キミのその夢とやらに必要な山をこれからここのホテルのオーナーから買う者ですよ」
 吹いた風に高く激しく舞い上がった桜の花霞みの向こうで呆けたような千吉の顔がひどく私には面白く想えた。



 +++


「さてとこれでこの山の権利は私の物です」
 私は山の権利売買の書類にサインをして判を押すと、あとはそれを部下に任せてあらためて千吉と向き直りました。
 場所は例のホテルの最高級の部屋。
 その時の千吉の顔もやっぱり何だか鳩が豆鉄砲を喰らったような顔でしたね。
「どうしましたか? 先ほどと違って静かですね」
「え、あ、それは。えっと、あ、先ほどはすみませんでした。それからありがとうございました」
 座っていたソファーから降りると千吉は私に土下座をした。
 私は肩を竦める。
 それから何か勘違いしている彼に静かに微笑んでやった。
「キミは何か勘違いをしているようでね。私は何も慈善事業でこの山を買ったわけではありませんよ。キミのその夢とやらが私の興味を惹けなければその山にホテルを建てるのが私になるだけの事です」
 そう言ってやると彼はびくりと体を震わせた。
 そして私を見上げると、もう一度深々と頭を下げて額を絨毯に擦りつけた。
「お願いします。セレスティ様。どうかあの山をそのままにしてください。あそこは俺の夢を叶える場なんです。俺の夢はあそこにある山桜の花びらを使ってそれで染物を作る事。だからどうかそのためにあの山をそのままにしておいてください。必ず見事に美しい染物を作り上げて、あなたにまず最初にそれをお渡ししますから。だからどうか、お願いします、セレスティ様」
 私は手の平の上のひとひらの桜の花びらを見つめた。
 それはとても美しく、そしてどこかとても澄んだ声で唄を歌っているようにも見えた。



 +++


「桜の花びらがお唄を歌っていたんでしか?」
「ええ。そのように私には感じられました。それでね、想ったのですよ。ああ、この桜の花たちもこの橋爪千吉氏の夢を見たいのだな、って。だから私もその彼の夢を今しばらく見守る事にしたのです」
 橋爪千吉の山に向うリムジンの中でセレスティは向かいに座っている白の肩に座っているスノードロップにこくりと頷いた。
「桜の花びらの染物ですか。それはとても綺麗でしょうね。ですが草木染めでも花びらでは染まらない、というのが染色家さんたちの中では共通の常識でしたよね。それでも女性の染色家さんが昨今ではその認識を打ち壊して花びら染めを成功させていましたが」
「ええ。そう。彼女は35年かけてようやくそれを成功させたと聞きます。千吉はそれよりも少し長い時間をかけて、だけどそれを成功させる事はできませんでした」
 セレスティは言って、小さく溜息を吐くと、窓の向こうの風景に目を向けた。
 そこにあるのが千吉がその情熱をかけた山だ。
 美しい花を咲かせる山桜たち。
 その中でぽつんと、少し離れた場所に立つ一本の山桜。だけどそれだけが花を咲かせてはいなかった。
 人の男に、千吉に恋をしていた桜。
「千吉は去年の春に山で死にました。桜の木の下で息絶えて、それを哀しむように桜の花びらたちが彼の骸を覆っていたそうです」



 ――――――――――――――――――
【花の蕾み】


 あれから何回あたしは花を咲かせただろうか?
 初めてあたしの花を見て、美しいと笑みを浮かべながら言ってくれた彼のために。
 彼の名前は橋爪千吉と言った。
 人間の男だ。
 最初は他にもたくさんの桜の花があるのにわざわざ険しい山を登ってここまで来る彼の事をおかしな男だと想った。
 あたしたちは人の目にそうは直に触れないからこそ自然のままに花を咲かせていた。
 下の街に暮らす花たちはかわいそう。だって昼夜問わず人に訪れられて、夜なのに月や星以外の光に照らされて、せっかく咲かせた花の美を曲げられている。
 だからあたしたちはここにあって良かった、って周りのお姉さまたちとも話し合っていた。だって人間は遠くから見ているだけ。
 自然のままに咲くあたしたちを。
 自然の光りの中で、自然の時のままに生きるあたしたち。
 そう、ひょっとしたらあたしたちは花の本能のままに生きるのではなく人間のエゴに触れて、人間に愛でられながら生きている下の街の桜たちを笑っていたのかもしれない。
 あたしたちは気高き自然のままに生きる桜の木。エゾヤマザクラ。自分のためだけに咲き誇る。
 それがあたしたちの価値観。
 だけどそれでも少なくともあたしのその価値観はたったひとりの人間の男によって壊された。
「ああ、これは美しい。やっぱりここまで来てよかった。これが自然の桜の木の美しさだ」
 彼はあたしたちを見てそう言った。
 それまでは険しい山の中にある事もあって人の言葉をそうは聞いたことの無いあたしたちはその人間の言葉に言葉を忘れてしまった。
 それまでは他の草木や虫、獣たちがあたしたちを見て喜んでくれた。
 だけどこの人間の言葉はこれまでのどの言葉よりも違って聞こえた。
「おまえたちはエゾヤマザクラか。本当におまえたちの淡い薄紅色の花びらは綺麗だな」
 そう褒められるたびにあたしのまだ咲ききらなかった花びらが咲き綻んでいった。
 もっともっと褒められたい。
 褒めて欲しい。
 見てもらいたい。
 それはひょっとしたらあたしがずっと小馬鹿にしていた下の街の桜たちの考えと一緒なのかも。
 それじゃあ周りのお姉さま達もあたしが下の桜たちに抱いていた想いを抱いているのであろうか?
 ちらりとお姉さまたちを見れば、皆笑っていた。とても楽しそうに愉快気に。
 更紗が人間の男に恋をした、と。
 恋?
 それは何であろうか?
 あたしにはその感情はわからなかった。
 ただその人間の若者があたしの咲かせる花を見て幸せそうに微笑むのが嬉しくって、幸せで楽しかった。そうただそれだけなのだ。そう、ただそれだけ。
 だけどそういう感情は確かに前のあたしには無かった。
 綺麗だと言われれば、それは当たり前だとしか。それが本音。つーんと済ました更紗。それがあたし。
 でもその彼と出会いあたしは丸くなった。
 それから彼はあたしたちが花を散らせるまで何回か来た。



 次の年。あたしようやく心待ちにしていた春を迎えた。
 人間の男よ、咲かせたよ。今年もあたしは花を咲かせたよ。
 そう唄を歌いながら。
 そしたら彼はちゃんと来てくれて、そしてこの年から妙な事を始めた。あたしたちが散らした大量の花びらを袋に詰め込んで、持ち運び始めたのだ。
 一体この若者は何をしているのだろうか?



 カラスが教えてくれた。
 彼は橋爪千吉という人間の若者で、着物を作る職人で、その合い間に下に運んだあたしたちの花びらで染物を作っているのだと。
 皆はくすくすと笑った。
 花びらから染物を人が作れるわけがないと。
 それでもあたしはそれを応援したかった。
 だから花びらは極力我慢して彼が来る時に散らす事にした。
 彼もそれをわかってくれているのであろうか、花びらを散らすあたしの体にそっと触れてくれた。
 ああ、それが嬉しかった。この身に彼の温もりを感じた瞬間に身震いを感じた。
 どんどん彼の事が好きになった。
 彼のために花を咲かせて、花を散らす。それが喜びとなっていた。
 あたしの花びらで彼が彼の夢を叶える。そうなればどんなに素晴らしいだろうか?
 たとえ彼が結婚をし、子を作り、孫ができて年老いても、あたしの彼への想いは変わらなかった。
 彼の夢があたしの夢。喜び、幸せ。
 だけど人の生とは短きもの。
 それはある日突然やってきた。
 彼はあたしの枝の下の木陰で眠りながらそのまま逝ってしまった。夢半ばにして。
 死んでしまった彼にあたしが贈った最後の花びら。
 あたしはもう絶対に咲かない。



 +++


「だいぶ変わりましたね、ここも。たった一年で」
 **県の山深い山中にその街はあった。
「ここにはよく来られていたのですか?」
 セレスティは顔を静かに横に振った。
「いえ。ここに来るのは三回目です。千吉の結婚式の時とお葬式の時に」
 言ってもう一度セレスティは周りを見回して、そしてかすかに溜息を吐いた。
「確かに時間、というものは流れているという事ですか」
「それでこれからどうするんでしか、セレスティさん?」
 右肩に乗る妖精がそう問いを発した。
 セレスティはふむと顎に手をやる。そして白に視線を向けた。
「まだ私の後ろには桜の精が居ますか?」
「はい」
 頷く白にセレスティも頷いた。
「ふむ。しかしそれはおかしいですね。確かに今年は咲かない桜の木の事を気がかりには想っていましたが、でもだからと言ってその子が私に憑くというのも。それを確かめるためにここに来たのですが。さてさて。とりあえずその山に行ってみましょうか?」
 穏やかに微笑みながらセレスティは皆にそう問いかけた。



 +++


 祖父、橋爪千吉の事は大好きだった。
 祖父が作った着物で成人式に行くのが夢で、そしてそう言うと祖父はその着物は自分が染め上げた桜の色の着物が良いと言っていた。
 だけど祖父はもうその夢を叶えられる事は、無い。
 祖父は夢の場で亡くなられてしまった。
 でもひょっとしたらそれでよかったのかもしれない。だって祖父の夢の場は工事される事になったから。山は公共事業で潰されて、何やらよくわからない建物が建つ事になったから。
 だから大好きな桜の木の下で桜の花びらの布団で逝けた祖父は本当に運が良かったのだと想う。
 だけどそれでも、そうやって何とか自分を納得させようと想っても、でもだけど私はやっぱり納得できなかった。
 そうだ。もう祖父は夢を叶えられない。
 私の夢も。
 だからこそ私は自分の夢を叶えるのだ。新たな夢を。
「おい、こら。どこへ行くつもりだ」
「ちょっと、放してよ。いいじゃない。どうせ、今は測量とか何かでまだ工事はしていないんでしょう。だったら私が中に入ってもいいでしょうが。話してよ。私は、おじいちゃんの夢を叶えるんだから。橋爪千吉の」
 私はフェンスを乗り越えようとする私の腕を掴んで行かせんとする工事のおじさんに怒鳴った。
「はあ? 何を言ってるんだ、おまえは。ダメに決まってるだろう。もうここは私有地なんだ。住居不法侵入なんだよ、それは」
 そして私は彼に後ろに手を引かれて、フェンスの上から落ちて尻もちをつかされた。ちょと、いや、だいぶ、ものすごく、
「痛いじゃないのよ、おじさん。何すんのよォ?」
「お前が悪いんだろう。だからここは私有地。それは住居不法侵入。あんまりしつこいと警察を呼ぶぞ」
「知らないわよ、そんなのは。とにかく桜の花びらが必要なのよ。おじいちゃんと私の夢を叶えるために。だから邪魔しないでよぉ」
 私は私を五月蝿そうに見るおじさんを睨みつけてやったんだ。だってこんなあまりにも理不尽な事なんてないもの。
 だけどそう想いながらも私は知ってたんだと想う。自分が無力なガキなんだって事が。
「ほぉー。ここに工事の手が入るとは知りませんでしたね。いったいどこの誰がそんな事を決めたのですか? この私、セレスティ・カーニンガムに黙って」
 だけどそのまるでこの世に不可能な事なんて自分には無い、って言い切るようなその声を聞いた瞬間に私は私の中にあった不安とか怒りとかが砂糖菓子のようにふわりと静かに溶けていくような感じを覚えた。
 だってそれはいつも祖父に聞いていた話のシチュエーションそっくりだったのだから。



 +++


「さあ、どうぞ。詳細はこの方と話してください」
 セレスティは県の公共事業を取り仕切る議員にどこかと繋がったままの携帯電話を渡した。
 その携帯電話を受け取った議員はそれまで随分と横暴な物の言いようをしていたが、しかし電話の向こうの人物と言葉を交わした瞬間にかしこまってしまった。その変わりようは滑稽を通り越して哀れですらあった。
「セレスティさん、どこにかけた電話を渡したんでしか?」
 不思議そうな顔をするスノードロップにセレスティはにこりと微笑んで、それからどこか飛びっきりの悪戯の説明をする悪戯っ子のような声で言った。
「なに、内閣総理大臣にこの公共事業を彼に諦めるようにお願いしていただけるように言っただけですよ」
 ひょいっとセレスティは肩を竦めた。
 スノードロップにはちょっと難しかったようだが、その説明に白はくすっと笑った。
 ますますわからないスノードロップが見た議員は顔を真っ青にして工事の人間たちに撤収の命令を出していた。
 そんな一同の前に、風によって山から運ばれてきた数枚の花びらがひらひらと、ひらひらと、ひらひらと舞い落ちてくる。
 それはセレスティに何を想わせたのだろうか?
 彼は前髪を洗練された動きで掻きあげながら山を見つめた。
「それにしても不手際でしたね。この山の権利は去年千吉氏が亡くなった時に里山として、人々に利用していただけるようにこの市に譲渡したのですが、まさかその里山を崩して建物を造ろうとしていたのですから」
 セレスティはずっとかちんこちんに固まったままの橋爪千吉の孫娘、橋爪千恵子に視線を向けた。
「これでもう大丈夫なはずですよ。もうこの山の風景が二度と壊される事はありません。でもただそれは」
「それは?」
 小首を傾げた千恵子にセレスティは静かに微笑んだ。
「キミの夢とやら次第です。もしもそれが私の興味を惹く事ができなかったら、そしたらまた話は変わってきます。さあ、その夢、語ってもらえますか?」
 千恵子ははぁ、と息を呑みこみ、そしてその後にきゅぅっと下唇を小さく噛むと、こくりと頷いた。
「あの、夢です。夢があるんです。私とおじいちゃんの夢。あの山にあるエゾヤマザクラの花びらで染物を作るって。だから私はその夢を私が叶えて、おじいちゃんがやれなかった事を代わりにやってあげたいんです」
 そう訥々と夢を語る彼女の事がセレスティにはどのように見えたのだろうか。
 ただセレスティは静かに微笑んで、そしてもう一度、山に視線をやった。
「だから私は人間が好きなのです」



 +++


 更紗、咲かないの?
 どうして更紗、あなたは咲かないの?
 もう春よ。
 わたしたちが咲く時期よ。
 お姉さまたちにそう言われても、あたしは咲くつもりは無かった。
 だってもうあたしが愛した千吉はいない。
 もうどうでもいい。



 そんな風に想っていた。
 そうしたらそこに、あたしの前にひとりの男が立った。
 人では、無い。
 とても不思議な雰囲気を身に纏った人。
 あなたは誰?
「私はセレスティ・カーニンガム。お久しぶりですね。去年もここに立ったのですよ?」
 そういえばお姉さまたちがそのような事を言っていた。
 この人が。
「あの時のショックは相当なモノでしたからね。風の噂にあなたが今年は咲いてはいないと聞いていたのですが、どうやらそれは本当だったようですね」
 だってもう見せたい人はいないもの。
「だけどそう言いながら無意識にあなたの想いは私に助けを求めてきましたよ?」
 …………。
「だけどまあそれは大丈夫。私が手を回しましたから」
 知らないわ、そんな事は。
「なるほど、知りませんか。でもキミがそうやって目を閉じて心を閉じていてもこうして春は来る。そう、時は移ろい行くのです。そうして時が移ろえば人は成長する。私が人を好きな理由の一つとしては、道を行く人の意思がたとえその道の途中で潰えても、だけど他の誰かがその想いを継いで、またその人がダメでも他の人がその想いを受け継ぎ、そうしてやがて人はそれを叶える。橋爪千吉はキミの下で息絶えたのでしたね。まるで眠るように安らかに。その夢は途中で止まってしまったけど、ですがね、その夢は千吉の孫娘が受け継ぐようです。彼女は明日にもここに来るでしょう。千吉がキミたちの花びらで染物を作るために花びらを集めに来ていたように。さて、キミはどうしますか?」
 夢があった。
 千吉の夢があたしの夢だった。
 千吉が居なくなって、哀しくって、どうすればいいのかわからなくって、だから心を閉ざして、何も見ないようにして。
 だけどもしも千吉の夢を千吉の孫娘が叶えようというのなら、そしたらあたしも叶えたいと想う。
 そうすればきっと千吉も喜んでくれる。
 そう、千吉も喜んでくれる。
 喜んでくれるよね、千吉。あなたのその夢、あたしと孫娘とで叶えてみせるよ、千吉。
 そしてあたしは枝にその年初めての蕾みをつけた。



 ――――――――――――――――――
【花開いて】


 朝の陽光が差し込む森はしんと冷えているが、しかしその澄んだ空気は気持ち良かった。
「うわぁー、すごく綺麗な花でしねぇー♪」
 スノードロップは花が咲き綻ぶような笑みを浮かべて踊りを始めた。
 千恵子はくすくすと笑い、そして彼女を…千吉に恋する桜を見上げて、唇を開いた。
「ありがとう。咲いてくれて。とても綺麗だよ」
 まるで歌うように桜の木は花びらを舞わせた。
 降るようにひらひらとひらひらと花びらを舞い降らせた。
 その花びらの雨に打たれながらセレスティは白に頷いて、白も微笑みながら頷いて、そしてその桜の木の診断を始めた。
「どうですか? 彼女は一晩で一気に花を咲かせたのですが?」
「ええ、大丈夫。元気ですよ」
「そうですか。それは良かった」
 おびただしい無限の桜の花びら舞い狂う中でセレスティは頷いた。
 そしてそっと桜の木に触れて、話しかける。
「さあ。もう一度、歩きましょう。キミと千恵子嬢とで。私も応援しますから」
 花びらはひらひらとひらひらと空間を舞い飛んで、優しくセレスティを包み込んだ。



 さあ、花を咲かせましょう。
 愛しい愛しいあの人のために。
 美しい花を咲かせるから。
 だから見てておくれね。
 あたしが花を咲かせるのを。
 その花びらを使って、あなたの孫娘が染物を成功させるのを。
 あたしたち二人であなたの夢を叶えるから。
 さあ、花を咲かせましょう。



 それから三年後にセレスティの所に送られてきた小包み。
 それはとても美しい桜の花びらを使って染め上げた淡い薄紅色の反物であった。
「綺麗でしね、綺麗でしね、セレスティさん」
「ええ、そうですね。スノー」
「本当に頑張りましたね、お二人とも」
「そうですね、白さん」
 美しい反物は容易に去年見たあの美しいエゾヤマザクラの咲き乱れる光景を連想させ、そして無限の桜の花びらに包まれているような感じを感じさせた。
 セレスティは小さく微笑み、そして空を見上げた。
「千吉、キミも喜んでいるのでしょうね」
 呟いたセレスティに白とスノードロップも頷いた。
 そしてセレスティも小さく頷き、その後に悪戯っぽく微笑んだ。
「さあ、それではお花見を始めましょうか」
「待ってましたでし♪」
「こら、スノー」
「本当にスノーは食いしん坊ですね」
 美しく咲き乱れる桜の花びらがセレスティを愛おしげに包み込むのは千吉の夢を、同胞の恋を守ってくれたからだろうか?
 桜の園は、惜しみなく散らされた無限とも思える様な無数の花びらに包み込まれ、それはとても美しくって、セレスティに感動の念を抱かせたのだった。


 さあ、花を咲かせましょう。
 愛しき人の夢のために。
 その人の夢を叶えてくれた人のために。
 想いを守ってくれた人のために。



 ― fin ―



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】


【NPC / 白】


【NPC / スノードロップ】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


こんにちは、セレスティ・カーニンガムさま。
いつもお世話になっております。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


今回はご依頼ありがとうございました。^^
今回はこのようなお話にしてみました。
プレイングに沿えていたら嬉しい限りです。^^
今回のポイントは総理大臣をも動かせる権力を持つセレスティさんです。(拳)


草木の染物は可能ですが、花びらの染物は難しいのですね。
そういう事はまったく知らなかったので、今回このノベルを書くにあたって資料探しをして驚きました。
このノベルにもちらりと書いたのですが、参考にさせていただいた染色家さんは成功させるのに35年間を要したそうです。
本当に何かを極めるとかそういう事は難しいし根気や努力を要するのですね。^^


ちなみに草摩は家庭科とかあとは学園祭などで応援をする時の衣装として白のシャツを染めてたりしました。^^
これが意外に面白かったです。
ああ、あとは洗濯の時にもちらほらと。<え?


それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。