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名残雪-市街戦-
一面の雪に覆われた東京のオフィス街。
見渡す限りの雪原に、街路樹やビルが辛うじて頭を出している。
前日の早朝突如として首都東京を襲った大雪は、ほんの数時間で避難勧告を発令させるに至った。
一夜明けた現在も、勧告が解除される気配は微塵もない。
雪は小降りになったが、何にせよ三メートルもの新雪だ。歩こうものならあっという間に沈んでしまうだろう。
当然、南北に走る大通りには猫の子一匹いない。
はずだった。
「ねえねえ、深咲ちゃん。まだ始まらないの?」
金の髪を揺らしながら、小柄な少女が問う。その言葉に、傍らの男が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「大丈夫ですよ、ドロシィさん。所長が一番楽しみにしているのですから」
来ないなんてことはありません、と誰もいないはずの背後から声がする。ドロシィが振り返ると、青年が笑っていた。
「はじめまして、賢木濫といいます。遅くなって申し訳ありませんでした」
「ふうん、それじゃあ濫ちゃんも雪合戦にでるんだね」
「そんなところです」
曖昧な返答にドロシィが首をかしげていると、黙っていた深咲が口を開いた。
「おまえらの所長が原因だ。所員が責任とるのは当然だろうが」
深咲の台詞が終わらないうちに、不機嫌そうな声が頭上から降ってきた。
「誰があのような傍迷惑女の後始末など」
青白い炎がふつふつと浮かぶ。
「我には我の都合がある。でなければ、わざわざこんなところに来るものか」
ドロシィの眼前に、眉根を寄せた少年が怒り心頭といった風で現れた。
「伽灯という」
それだけ言うと、現れた時と同じように唐突に消えた。
「これだけの雪だ、絶対どこかに」
声だけが風に紛れてドロシィの耳にも届いた。
「来ましたよ」
十分ほどたったころだろうか、ドロシィの雪だるま作りにつきあっていた濫が口を開いた。
訝しげなドロシィの視線に、濫が笑う。
「うちの所長です」
直後、積もっていた雪が巻き上げられる。視界が白一色に染まった。
「試合開始!」
雪煙の向こうから、朗々とした声が響いた。通りの北端、小柄な影が宙に浮いている。表情は定かではないがやたらと嬉しそうだ。
「旗を失ったら負けだからな」
言うが早いか、声の主は手を振り上げた。
みしり、と音がしてドロシィの足元の雪が割れる。割れ目から何かが飛び出した。
雪原に出現したそれは、先端にドロシィを乗せたままぐんぐん伸びていく。
嬉々としてはしゃぐ彼女の声だけが地上に残された。
「わぁ」
棒状に伸びたそれは、すぐに成長をやめた。ドロシィの目線の先にはビルの屋上がある。
「なーんだ、もう伸びないのぉ?」
つまらなそうに言うと、ドロシィは辺りを見回した。通りの反対側に、ドロシイが乗っている棒と同じくらいの高さの旗が立っている。旗の色は赤。遥か下方では、深咲が雪玉の集中砲火を浴びている。しかし、その雪玉を投げているはずの敵が見当たらない。
「変なの」
とりあえず、いつまでもここにいるわけにもいかない。降りる方法はないものかと思案していると、背後から影が差した。
「それ、ひっぱってくれる?」
試合開始を宣言したのと同じ声だ。小袖姿の雪女が、ドロシィの前に回りこむ。指先でドロシィの座っている棒を示した。よく見ると、短い紐がついている。
「これ?」
紐を手に聞き返すと、雪女が頷いた。そのまま引っ張ると、ぽんという軽い音がして、雪の白に紛れてしまいそうな色の、巨大な布が現れた。棒の先端につけられた布が、風にあおられてはためく。雪女が満足げに笑った。
「主催者の氷狭女です。これがあななたちの陣の旗だから、ちゃんと守ってね」
そう告げると、氷狭女はさっさと地上に戻っていった。
見事に置いていかれたドロシィが、頬を膨らます。
「何やってんの?」
顔をあげると目の前のビルの屋上に人影があった。逆光でその表情は定かではない。
「雪合戦」
それどころではないドロシィがそっけなく言うと、眼前の人影が笑った。
「へぇ、おもしろそーじゃん。俺もやるやる〜」
言うやいなや、屋上のフェンスに飛び乗り、反動をつけて宙に躍り出る。
「降りる?」
すれ違いざまに問うと、返事をする間もなくドロシィの腕をつかんだ。引っ張られたドロシィは、なす術もなく足場を失う。
「きゃぁ」
「大丈夫。あ、俺桐生暁ね」
「ドロシィ夢霧っていいます」
場違いの自己紹介に、ドロシィもついつい応じてしまう。
我に返ったドロシィが慌てて下を見ると、雪原はもう目の前だった。怪我はしないかもしれないが、下手をすればかなりの深さに埋まってしまうだろう。
しかし、予想に反して暁は、体重を感じさせない動きで雪の上に降り立った。遅れて落ちてくるドロシィを、ゆっくりと雪原に下ろす。
「ありがとう・・・」
「気にしない気にしない」
それじゃあ、と軽く手を上げて、青年はさっさと走り去ってしまった。彼の向かう先に視線をやると、明らかに人ではない連中に取り囲まれている暁良がいる。
「・・・・・・あっ」
ドロシィの視界の隅に、作りかけの雪だるまが映った。戦闘開始とともに前線と化してしまったその場所に作られたことは、雪だるまにとっては不運だったとしかいいようがない。無残に破壊されたそれに、ドロシィはぱたぱたと駆け寄った。
「よーし」
早速修復にかかることにした。しかし激戦による地形の改変で、先ほどまでなら手の届いたはずの雪だるまの頭に、バケツを載せることが出来ない。
「かぶせたいのか?」
ぴょんぴょん飛び跳ねていると、背後から声がかかった。
「伽灯ちゃん」
姿を消していたはずの伽灯が、いつの間にか姿を現していた。
「届くの?」
伽灯の身長は、ドロシィと大差ない。
「ああ」
伽灯はバケツを手に取ると軽く跳躍した。雪だるまの頭の上あたりに静止して、ドロシィに視線をよこす。
「このあたりか?」
「うん、ありがと・・・」
ドロシィの言葉が終わらないうちに、通りの北端から大量の雪玉が飛んできた。それを見た伽灯が頭を抱える。
「・・・所長・・・」
ドロシィは、ただの雪玉だよ、と言おうとしたが、異変に気がつかないわけにはいかなかった。
慌てて路地に飛び込んだ直後のことだ。二人がいた場所を、何かが凄まじい勢いで駆け抜けていった。
「今の、なあに?」
ドロシィが尋ねると、伽灯は大きくため息をついた。
「・・・ゆきんこ。雪みたいな小さな虫だ。所長の奴、連中まで呼んでいたのか」
「そんなにすごいんだ?」
「いや、すごくはないのだが」
伽灯は路地から顔を覗かせて周囲を確認すると、ドロシィを手招きした。ドロシィが顔を出すと、遥か南の方で深咲と暁がゆきんこの大群に襲われているのが目に入った。 確かにあまりお近づきになりたい相手ではない。
更に陣を見渡すと、勝敗の要である旗に敵が群がっていた。付近に、残りの戦力である濫の姿はない。
「まずいな」
伽灯が唇を噛む。
「攻撃する?」
ドロシィが聞くと、伽灯は首を振る。
「所長は雪女だし、他の連中は雪婆に雪男に雪入道。生半可な雪では歯が立たない。下手をすれば逆効果だ」
「ふうん」
首をかしげたドロシィは、次の瞬間にっこり笑った。
「あのね、ドロシィちゃんの力、知ってる?」
「知らないけど」
「じゃぁ、教えてあげるね」
ドロシィは嬉しそうに言うと、大通りに飛び出した。
「オーバー・ザ・レインボゥ」
デーモンを、呼ぶ。
次の瞬間、雨上がりでもないのに上空に巨大な虹が出現した。虹を背に、ドロシィは再び微笑む。
「ドロシィちゃんのデーモンは、『OZ』にいろんなものを転移するのが能力。でもネ、その逆もできるんだよ〜」
唖然とする伽灯を尻目に、ドロシィが叫ぶ。
「喰らえっ、『OZ』の豪雪地帯直径二キロぶんの雪を!」
ドロシィの言葉とともに、雪原に影が差した。
バケツを引っくり返したような大量の雪が、戦闘地帯に降り注ぐ。目標は陣に群がる雪妖怪達だ。
しかし。
「うわあぁぁ」
響きわたったのは深咲の悲鳴だけだった。OZの雪に襲われた一帯だけに二メートルほどの雪が加算され、二人の目の前には巨大な雪壁ができている。これでは陣の様子はうかがい知れない。
どうしたものかと思案していると、雪壁が割れて妖怪達が躍り出てきた。さすがにダメージが大きかったのか、一時撤収を決めたらしい。通りをまっすぐに北上してくる。 すれ違いざまに氷狭女が笑いかけてきた。
「やるじゃない」
負けかけたくせに、どこか嬉しそうだ。
「なあ、今撤退して行った連中、人数が増えていなかったか」
伽灯が首をかしげる。
「あ、それならきっと、OZの雪といっしょに転移してきたんだよ」
「は?」
「あの地域から持ってきたから・・・たぶん雪狼か雪男じゃないかなぁ」
ドロシィは事もなげに言う。
「結構危険だから、気をつけてね」
にっこり笑うと、何を思いついたのか、ドロシィはぽんと手を打った。
「そうだ! ドロシィちゃん、事務所に行ってくるね」
「事務所って・・・・うちの?」
「うん、そうだよ」
「どうかなさいました?」
ドロシィが事務所の扉を開けると、濫が書架から顔を出した。
「あれぇ、濫ちゃん。雪合戦は?」
「留守番役ですよ、受付係が休みなのでね。私は午後の当番なんです」
「ふうん」
生返事を返しながら、ドロシィは部屋の中を見渡す。奥の壁に、古びた事務所とは雰囲気を異にする、鋼鉄の扉があった。
鎖が巻きつけられていて、扉の中央には巨大な南京錠が鈍く煌いている。
「あれ、なぁに?」
扉を指さして問うと、濫が困ったような顔をした。
「・・・・・・所長室ですが。え、ちょっとドロシィさん?」
目を輝かせて扉に駆け寄るドロシィを、濫が慌ててとめる。
「危ないですよ、この部屋は」
「なんで危ないのぉ?」
濫はドロシィの質問には答えず、近くの窓に歩み寄った。窓の外、立ち並ぶ雑居ビルの向こうで二本の旗が風に煽られている。
「所長の住処ですからね。そんなことより、ほら、終わりますよ」
戻りましょうか、と濫がドロシィを促す。二人が窓に背を向けた次の瞬間、轟音と共に旗のひとつが崩れ落ちた。
路地を通って戦場に戻ると、太陽を背に、純白の旗が揺れていた。
雪壁の手前に、両陣営の参加者がたむろしている。
ドロシィが走り出すと、集団の何人かが振り返った。
「お手柄だったじゃん」
暁が笑う。
「お手柄?ドロシィちゃんが?」
状況が飲み込めないドロシィに、暁が説明を続ける。
「そう、正確には『あんたの呼び出した狼たちが』だけどね」
その台詞に、場にいた全員が笑った。たった二人を除いて。
雪狼たちが氷狭女の旧知で、再開を喜んだ彼らが氷狭女にじゃれついた拍子に旗にぶつかって折れたのだという事実を、ドロシィが知るのはもう少し先のこと。
「だーかーらー。それじゃあ困るって言ってるんだよ」
深咲が氷狭女に向かってがなりたてている。
「そうか。それならおまえの望みどおりにしてやろう」
氷狭女がさらりと言い放った。あまりにも簡単に要求が通ったせいか、暁良が胡乱げに目を細める。
「『雪をやませるだけでは不十分だ。積もった雪もすべて消せ』 そういういうことだろう?」
言いながら、氷狭女は口端を吊り上げて、にぃと笑う。
「おい、気をつけろよ深咲」
暁が口をはさむ。
しかし。
満面の笑みを浮かべた氷狭女が、ふわりと宙に浮いた。そのまま腕を横に薙ぎに払う。
次の瞬間、見事なまでにすべての雪が、消失した。
「・・・いったぁ・・・くない?」
地面はアスファルトのはずだ。三メートルもの高さから落下して痛くないはずがない。
ドロシィは首をかしげる。
「なぁに、これ」
ドロシィが着地したのは、消えたはずの雪の上。それもかなり大きな雪だるまだ。しかし、先ほどドロシィが作ったものとは似ても似つかない。凶悪そうな目つきに黄色いバケツ。ドロシィの雪だるまなら、バケツは赤のはずだ。それに、もっと愛嬌のある顔をしていた。
すると、ドロシィの目の前に伽灯が現れた。
「伽灯ちゃんだっ」
叫んだドロシィは、勢いをつけて雪だるまから飛び降りる。すると雪だるまは、乾いた音を立てて縮んでいった。
「こんな所にあったのか」
伽灯の台詞にドロシィは首をひねった。掌サイズになってしまった雪だるまを持ち上げると、伽灯が頷く。
「気に入られたんだな」
ドロシィの脳裏に、撤退していく氷狭女の笑顔が浮かんだ。
「それは、所長がこの大雪を降らすのに使った核だ。雪女の妖力が凝縮されてる。持っていれば何かの役に立つだろう」
「でもこれ、伽灯ちゃん、欲しかったんでしょ?」
伽灯が曖昧に頷く。試合前に、伽灯が言っていた「探し物」はきっとこれなのだろう。
「所長が決めたことだから。それはドロシィ殿のものだ」
春の暖かい日差しを浴びても決して溶けることなく、雪だるまは陽光を弾いて煌いていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【4782 / 桐生・暁 (きりゅう・あき)/ 男性 / 17歳 /高校生兼吸血鬼 】
【0592 / ドロシィ・夢霧 (どろしぃ・むむ)/ 女性 / 13歳 /聖クリスチナ学園中等部学生(1年生)】
NPC
【氷狭女】【深咲暁良】【賢木濫】【伽灯】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、ドロシィ夢霧様。
このたびは雪合戦大会へのご参加ありがとうございました。
ぎりぎりの納品になってしまい申し訳ありません。
OZから来た雪狼たちは、どうやら氷狭女の知り合いだったようです。
暁良陣営の勝利となりましたが、氷狭女もどうやら一矢報いたようで。
デーモンを発動させるシーンなど、とても楽しく書かせていただきました。
話の都合上、事務所で遊ぶシーンが短くなってしまったことをお詫びいたします。
雪達磨の詳細は、アイテムの設定に記述してあります。
よろしければお使い下さい。
季節外れの雪合戦、楽しんでいただければ幸いです。
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