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<東京怪談・PCゲームノベル>


【---Border---】〜ファイル1、甘美な紅〜


□発端


 『私には時間がないの。もうこれしか方法がないのよ。』

 “怖い・・怖い・・嫌・・こないで!!”
 直ぐ背後に近づいてくる気配に、彼女はパニックになりながら前へと走った。
 なかなか動かない足がもどかしい。
 “速く!速く!!もっと速くっ!!!”
 もっと運動しておけばよかった。
 そんな後悔はした所でもう遅い。
 そもそも後悔というものは、物事が先に進まなくなった時、詰まった時、失敗した時にするものであって、結局の所結果が出なければ後悔のしようがない。
 後悔と言うものは、先を見越してするものではない。
 過去を振り返ってするものだ。
 つまり・・彼女はこう言う状況に陥らなければ“運動しておけば”等と言う事は微塵も思わなかったであろう。
 すぐ真後ろに感じる息遣いに、思わず叫びたくなる。
 けれど乱れた呼吸からは叫びは出てこない。息をするだけで精一杯なのだから・・。
 “はぁ・・っはぁ・・っはぁ・・”
 走って走って・・いつの間にか彼女は見知らぬ森の中へと来ていた。
 鬱蒼と生い茂る木々で空は見えない。
 そして・・・いつの間にか気配がなくなっていた。やっと、振り切れたのだ。
 “良かっ・・・”
 ガクリと足元がなくなる。
 崖からうっかり足を滑らせてしまったのかも知れない!なんて不注意な・・・。
 彼女は咄嗟に手を突こうとして・・・。
 グサリと、鈍い音を確かに聞いた気がした。
 けれど彼女は自身に起こった出来事を知る術もないまま、永遠の国へと旅立って行った。

 『時間がないのよ、私には。だから・・もう・・・』

 * * * * * * *


 無残にも、腹部を貫ぬかれた女性の写真が一枚だけデスクの上に鎮座していた。
 京谷 律(きょうや りつ)はそれから視線を逸らすと、手に持った報告書に落とした。

 数ヶ月前から、村の内外で変死体が発見される事件が数件起こっている。
 被害者は皆20代から30代の若い男女で、首筋に2つの穴が開いている。
 腹部には何かが貫通したようになっており、それが直接の死因と考えられている。
 この事件で一番不可解な事は、被害者達が極度の出血をしていると見られるにもかかわらず、現場やその近くに血痕の跡は見られていない。
 警察では凶悪犯による猟奇殺人事件だと考えられており、被害者達はどこかで腹部を貫かれた跡に現場に運ばれたと見ている。
 しかし、いまだ犯人の足取りはつかめておらず、それをあざ笑うかのように被害者は増え続けている。

 「それで、村周辺では吸血鬼の仕業だと噂されている・・か。」
 律は小さく呟くと、ふっと微笑を浮かべた。
 「もしヴァンパイヤの仕業の場合・・どうして腹部を傷つける必要がある?どう考えたっておかしい。」
 そっとカラーコンタクトを取る。
 左目が赤いのは、別に出血しているわけではない。
 「ヴラド ツェペシュよりむしろ・・・」

 『エルジェベット バートリ』



 『急募:この度ある山村に猟奇殺人事件の調査を任されました。そのアシスタントをしてくださる方を募集します。調査期間は現地に行ってみないと分かりません。報酬は調査期間と調査内容によって変動いたします。泊り込みになるかもしれませんので、それなりの用意をしてきて下さい。詳しくは 京谷 律まで。』


 * * * * * * *


 「【---Border---】を体験、読む時の注意事項が書いてあるから、以下をよく読んでね。」


 【---Border---】を体験するまたは読む時の注意事項
  1、体験もしくは読んでいる最中に寒気や悪寒、耳鳴り、その他何かしらを感じた場合“絶対に後を振り向かないで”下さい。
    また、同様に自身の“真上も見ないで”下さい。
  2、何らかの理由で席を立ったり、どうしても後を振り向かなくてはならなくなった場合、体験または読むのを止め、心を落ち着けて深呼吸をしてから振り向いたり、立ち上がったりしてください。


 「え・・?これに何の意味があるのかって?・・・さぁ、ただの注意事項だから、理由なんてないんじゃない?」

 律はそう言って微笑むと、そっとカラーコンタクトを瞳にはめた・・・。



■適性

 セレスティ カーニンガムは、夢幻館の壁に張り付いてはためく紙を見つめた。
 猟奇殺人事件の調査、その、アシスタント募集の張り紙だ。
 セレスティはしばし考えた後で、その張り紙をはがした。
 そしてふっと周りを見つめる。
 知らない風景、知らない場所・・・。
 いつの間にか入り込んでしまった、少しだけ・・ほんの少しだけ時空の捩れた場所。
 目の前に聳える大きな建物からは異質な雰囲気が漂っている。
 カチャリと音がして、両開きの巨大な扉が開かれる。
 中から現れる、17,8くらいの容姿の青年。
 「夢と現実、現実と夢、そして・・現実と現実が交錯する館へようこそ。」
 「・・キミは・・?」
 「ここの総支配人の沖坂 奏都(おきさか かなと)と申します。察する所に、律さんに御用ですね?」
 「えぇ、この張り紙を見てきたのですが・・。」
 「こちらです、さぁどうぞ。」
 奏都はそう言うと、セレスティに手を差し伸べた。
 「この館は色々な時間が混じりあい、日々変化しております。なので・・部屋数は無限にあるんですよ。」
 「どうりで・・この館の周りの雰囲気は他とは違うと思いました。」
 「見る人から見れば、直ぐにわかってしまいますからね。だから・・この館も人を選ぶ。」
 一つの大きな扉の前で歩を止める。
 コンコンと2回ほど扉をノックした後に、ゆっくりと押し開ける・・・。
 「律さん。お客さんですよ。セレスティ カーニンガムさんです。あの張り紙を見て来られたそうですよ。」
 穏やかにそう紹介されて、頭を下げようとした時、セレスティはある事に気が付いた。
 ・・いつ、自分がセレスティ カーニンガムであると名乗ったであろうか?
 記憶の限りでは名乗っていない。
 つまり、この男は・・・。
 「それではごゆっくり。」
 奏都は一つだけ頭を下げると、扉を閉めた。
 「あ・・初めまして・・。あの、京谷 律って言います。その・・・。本日はお越しいただき、有難う御座いました・・。」
 今にも消えてしまいそうなほどに儚い印象を受ける律は、セレスティに目の前のソファーに座るように手で合図をした。
 「今回の事件なんですが、警察の方では猟奇殺人事件として調査をしています。でも、もしかしたら“Border”が関係しているのかも知れないと言う事もあり、こちらに捜査要請が来たのですが・・。」
 「“Border”・・・?」
 「所謂、あちらとこちらの境界線です。」
 律はそう言うと、パチリと電気を消した。
 窓には分厚い鉄のカーテンが下りてくる。
 真っ暗になったその部屋で、セレスティと律の呼吸だけが大きく響く。
 「今から、ある実験を行います。お付き合い願えますか?」
 「えぇ、どうぞ。」
 「有難う御座います。」
 ピンと、何かが張り詰める音がする。
 音の振動が終わり、しばらくの静寂の後で再び何かが張り詰める。
 その音は段々周期を早め、音の振動も段々と早く、短くなる。
 それはいまや1つの音にしか聞こえなかった。
 ピーンと響く1つの真っ直ぐな音だった。
 「今、この部屋に一つの世界が誕生しました。1つの音が作り出す不思議な世界です。俺が言葉を紡ぐたび、世界が揺れているのが分かりますか?」
 「えぇ。」
 集中しなくても分かる、確かな崩壊の音・・・。
 単一の世界は壊す事が容易い。他のものを入れてしまえば直ぐに壊れてしまうのだ。
 律が言葉を紡ぐたび、危ういほどに世界が揺れ動く。
 それは見るものでも、聞くものでもない。
 “感じるものだ”・・・。
 「この、一つの世界に他の世界を組み込みます。・・感じてください、その境界を。確かに存在する“Border”を・・。」
 セレスティはただ首を縦に振った。
 言葉を紡いでしまえば、儚く散ってしまいそうなほどに世界が危ういからだ。
 「行きます。」
 小さな合図の後で響く、低音の振動。
 それは段々とこちらの世界を侵食しようと、迫ってくる。
 徐々に崩壊を迎える世界。
 それが、ある1つの線上でピタリと止まった。
 力の均衡が取れている場所が出現したのだ。
 どちらも一進一退の攻防を繰り返す線・・・。
 「感じますか?」
 静かに響く律の声さえも、この均衡を崩しそうになる。
 セレスティはそっとその線・・・“Border”に触れた・・・。
 ほんの刹那吹いた風・・その後に、どちらの世界も崩れた。
 正確に言えば消え去ったと言った方が良いのかも知れない。バラバラに散ってゆく世界は、甘美な儚さを持って消えて行った。
 「境界の、Borderの崩壊です。」
 律はそう言うと、電気を点けた。
 窓から淡い光が差し込み、段々と部屋の中に昼間の雰囲気を引き入れる。
 「今のは・・?」
 「適性検査・・と言ったら、お怒りになりますか?」
 「私を試したのですか?」
 「・・はい。Borderに触れると言う事は、それなりの危険を伴います。こちら側の世界も、あちら側の世界も、危険な事に変わりはありません。あちらにはあちらなりの危険があり、こちらにだって一見見えにくいようですが危険は多々存在しています。でも、最も危険なのはBorderです。2つの世界をギリギリの所で分ける境界線。2つの世界が鬩ぎあっている丁度中間の部分。そこが・・・Borderが一番危険なんです。」
 「Borderが・・ですか?」
 「はい。物事には方向性というものがあります。こちら側の世界はあちら側の世界に向かって方向を定め、日々侵食しようと進んでいます。そして・・あちら側の世界もこちら側の世界に向かって進んでいます。つまり、こちら側もあちら側も明確な方向が定まっているのです。それはほとんどの場合は変わる事のない方向性です。だからBorderほど危険ではないんです。」
 「つまり、Borderには方向性がないと、そう言いたいんですか?」
 「Borderは2つの力の釣り合った線上の事です。ゆえに・・・Borderには方向と言う概念がありません。」
 セレスティは一つだけ、同意の意を示す頷きを律に返した。
 「それで・・どうして最もBorderが危険なんです?」
 「方向性の中で住まう人々にとって、方向性のない世界は危険です。人はこの世界で重力と言う一つの方向性によって地に足をつけています。しかし、ひとたび重力の方向性を抜ければ無重力・・つまり、重力と言う方向性のない世界に進みます。人は地に足を着けることが困難になり、空へと飛び立ちます。」
 「それで?」
 「それでも重力以外の方向性がまだ働いています。空気の方向性です。外からも中からも、丁度人の肌をBorderとするように、空気はそれぞれの方向性を持ってこちら側に向かってきます。」
 「その全ての方向性がなくなった時・・私達はどうなるのです?つまり、Borderに触れた時、私達は・・?」
 「方向性のない物体は拡散し『無』に陥ります。光りも闇も、進む道も帰る道も、何もない世界です。」
 「存在の消失ですか?」
 「はい。そのとおりです。」
 律は頷くと、部屋の隅にポツリと置かれた小さな丸テーブルの上からポットを取った。
 その横で逆さまにされたコップを返し、透明な水をその中に注ぐ。
 「ですから、適性検査が必要なんです。Borderに触れた瞬間に消失する人が・・少なくないんですよ。」
 「そうなんですか。」
 律はコップをセレスティに差し出した。
 冷たい感触が手に伝わり、どこかモヤモヤとしていた心をふっと軽くさせる。
 「お気に触れたのでしたら、すみません・・。」
 セレスティは、気にしていないと言葉に出す代わりに頭を振った。
 「それで、私は合格ですか?」
 「あの時・・微かにですが、風が起こったのをご存知ですか?」
 世界が崩れる前に吹いた、ほんの微風・・。
 「えぇ。それが?」
 「あれが適しているか適していないかを分ける最大のポイントなんです。貴方は、誰がなんと言おうと適しています。その心の清らかさや、気高さが、Borderの無方向世界に立ち向かう最大の武器になります。」
 「そうですか。」
 セレスティは頷くと、コップの水を一口だけ口に含んだ。



□考察

 律が事件の大よそのあらましを話している間、セレスティはただ黙って聞いていた。
 あまりに悲惨な猟奇殺人事件に、思わず目をそむけてしまいたくなる・・・。
 「今回の事件の事なのですが、先ほども言いました通り・・俺はBorderが関係しているものと思います。あちら側の出現です。」
 「異なる者の仕業だと?」
 「・・人にあらざる者の仕業ではないと思います。あくまで、人から脱した者の仕業だと・・。」
 人から脱した者・・・人に限りなく近い、あちら側の人間。
 何かに魅入られてしまい、あちら側へと入り込んでしまった哀れな人。それが、人から脱した者だ。
 人にあらざる者とは、その存在自体が異なる者、こちら側の世界とは相反する者の事だ。
 「魅入られし人は、人にあらざる者よりも強いんです。引き込む力が、思いの力が・・・。」
 「被害者達は、血液がなくなっていたと言っていましたね。なくなっていたのはそれだけですか?臓器は揃っていたのですか?」
 「はい。揃っていました。ただ・・腹部の内臓は破損が酷かったそうです。」
 それはそうだ。串刺しにされたのだから・・。
 「殺害の仕方に何か呪術的な意味合いでもあるのでしょうか・・?」
 「俺が思うに、ヴラド ツェペシュだと思います。」
 「ヴラド ツェペシュ・・ですか?」
 吸血鬼ドラキュラのモデルと言われた15世紀ルーマニアのワラキア公ヴラド3世。
 ツェペシュとは、「串刺し」の意で、彼は串刺し公とも呼ばれていた。
 「確かに、似通る節はありますが・・。けれど、状況が違います。」
 「ヴラドは自国を守るためのものでした。トルコや西ヨーロッパからの圧力に耐え、ワラキアを独立国として維持し続けるための・・・。」
 「そうです。犯人は何かを守るために被害者達を串刺しにしていると・・?」
 「それはまだ分かりません。でも、方法はヴラドです。けれど・・もしかしたら犯人はエルジェベット バートリかも知れません。」
 「エルジェベット・・・?」
 セレスティは小首をかしげた。
 確かに“バートリ”の名に聞き覚えはあった。
 「エリザベート バートリ・・の方が一般的かも知れませんね。他にも、色々と読み方があるのですが・・・。」
 「若い女性を殺しては、絞り取った血を浴槽に満たし・・つかっていた・・あの、エリザベートですよね?」
 「そうです。そうする事で自身の美貌が保てると思っていた・・。」
 微かに胸の奥でモヤモヤとしたものが広がる。
 それはだんだんと痛みを持って広がり、胸のムカツキを覚える。
 「美貌なのか、何なのかはわかりません。けれど、被害者達は血液だけを抜き取られている。俺が思うに、犯人は“殺す事”ではなく“血を抜く事”に拘っている気がして・・。」
 「ただ殺害するだけでしたら、血液を抜くなんて大それた事はしませんしね。」
 「死ではなく血・・・。犯人は血によってなにを得ようとしているのでしょうか。」
 「呪術や儀式では血を重宝します。生命の象徴である血は、神に豊穣や怒りを静める事が出来ると・・。」
 「血の儀式で有名なのはアステカですね。アステカ文明では血や心臓を神に捧げる風習があったと以前書物で読みましたし・・。生贄の儀式で有名なのはテスカトリポカ神への儀式でしょうか。」
 セレスティは以前に聞いた事のある儀式に思いを馳せた。
 その最後は壮絶なものだ。
 石のナイフで、心臓を・・・・・。
 セレスティは軽く頭を振ると、目の前を通り過ぎる映像を振り払った。
 「やはり、エリザベートなのでしょうか。」
 「一つの可能性論としては、それなりの力を持っているものと思います。」
 嫌な・・本当に嫌な話だった。
 人は古来から動物や人の命を重宝してきた。神に供える生贄は、大切に扱われてきた。
 儀式と言われれば、少なからず抵抗はあるもののどこかで納得をしてしまう節がある。それは、人という“血”が齎すものなのかも知れない。
 神へ跪く時は、生贄が必要。それは、自己を守るものであり、また自分に近い者達を守る行為である。
 一種の正当防衛だ。彼らが信じていた神が、本当に血を必要としていたのか、本当に彼らを危害を与えようとしていたのか・・・それらは全て歴史の闇の中だが・・。
 1つの命に対し、複数の命を助けられる。
 安いと思ってしまえば、安いのかも知れない。失う1つの命があまりにも大きいとしても、全て儀式の一言で少なからず正当化される。
 しかし、エリザベートの場合は違う。
 自分の美貌に対し複数の命が否応なく捧げられた。
 1つのものに対し、複数の命。
 大きなものに対しての少しの犠牲は仕方がないと思う人が多い。けれど1つのものに対して大きな犠牲を払う事は・・皆一様に否定的だ。
 「被害者の住居や交友関係等・・調べられますか?」
 「えぇ、警察の方で動いていただきました。もちろん、その友人を通してですが・・。」
 律はそう言うと、壁に立て掛けてあった地図を取り、大き目の机に広げた。
 手書きである事が分かるその地図は、所々に細かく走り書きがある。
 それほど大きくはない村の全容図だった。
 「事件は全てこの村の周囲で起きています。被害者の住まいも、発見現場も、この村の周囲から出ていません。」
 それはほんの10kmの円内での出来事だった。
 「まず、第1発見者はここ・・村の入り口付近で見つかりました。」
 律が村の入り口に赤いペンで『@発見』と書く。
 「この方は28歳の女性でした。彼女はここで祖母と2人暮らしでした。両親とも、早くに亡くされて・・。」
 律が村の中央付近にある一つの四角の中に『@住まい』と赤のペンで書く。
 「次の被害者が発見された現場は、1人目の被害者が発見された現場から南西に1kmほど進んだ・・ここです。」
 何もない山中に『A発見』と青の文字が浮き上がる。
 「こちらは22歳の男性です。この男性は両親と姉との4人暮らしでした。第一被害者の家から3件隣のこの家に住んでいました。」
 四角い箱の中に『A住まい』と青の文字で書き記す。
 「その次は・・。」
 作業はそれほど長くはかからなかった。けれどとても長く感じたのは、赤い丸、青い丸、それぞれに人の命が宿っているからだろうか・・?
 「これで、全部です。」
 律はそう言うと、ペンを置いた。
 赤と青の丸がいたるところに付けられている・・・。
 「これは・・酷いですね・・。」
 「女性5人、男性3人の計8人です。」
 「被害者同士の関係は?」
 「あまり大きくない村ですので、それなりの交友関係は持っていたようです。被害者全員が顔見知りです。その線から犯人を特定するのは困難だと思います。なにせ、村の全員が全員と顔見知りと言うような村ですので・・・。」
 「そうですか・・。村の人達で、ここ最近なにか気付いたものがあるという証言は・・?」
 これだけ被害者が出ていれば、それだけ警戒する事になり、気を配っている途中で何かに気づく事があるかもしれない。
 「真夜中に、何か重たい物が落ちる音がしたそうです。それも、被害者達が発見された日の明け方に。」
 「犯人が被害者を発見現場に置いた時の音でしょうか?」
 「多分そうだと思うんですが、妙なんですよ。」
 「妙・・とは?」
 「その場合、担いで運んだか、車で運んだか・・どちらかに絞られると思います。けれど村人の証言によると、落ちる音だけが急に聞こえたと言うんです。」
 「車の走り去る音や、人の歩く音が聞こえなかったと?」
 「そうです。しかも、遺体の周りには車のタイヤ痕はおろか人の足跡ですらもなかったんです。」
 「風雨によって消し去ったと言う可能性は?」
 「俺も考えました。けれど、第3の被害者が出る前の晩、真夜中に雨が降ったんです。直ぐに止んだのですが、地面はぬかるんでいました。」
 「その時も、被害者の周りに足跡はなかったと言う事ですか?」
 「えぇ。みな一様に同じ殺害方法で殺されていますし、犯人は同一人物だと思います。」
 「・・それでは、被害者をこの場所までどのように運んだのでしょう・・?」
 セレスティはそう言って首をひねった。
 被害者達は、そこに至る一切の肯定を無視して横たわっていた。
 まるで最初からその場にいたと言うように、静かに・・息を引き取っていた。
 「現場に行って・・Borderを探すほかないと思います。危険ですが・・。」
 「そうですね。」
 「向こうの手配は俺がやっておきますね。宿泊施設も一応あるようですし・・。」
 「お願いできますか?」
 「はい。それでは、折り返しご連絡させていただきます。」
 セレスティは穏やかに頭を下げると、その場を後にした・・。
 

■捜索

 小さな村に着いたのは、まだ昼の出来事だった。
 村の入り口まで送ってくれた夢幻館が手配したと言う運転手は、物知り顔で頭を下げて去って行った。
 「ここです。」
 小さな村からは、言い表せないほどの異様な雰囲気が漂ってきていた。
 それは・・瞳を閉じなくても分かるほどにはっきりとした濃さでセレスティを包み込む。
 「この村自体が、あちらに侵食されようとしていますね・・。」
 「そうですね・・。」
 セレスティは一つだけ頷くと、持って来た大き目のバッグから携帯電話を取り出し、律に差し出した。
 「衛星携帯です。私の番号は短縮1に登録されていますので・・。」
 「あっ・・。」
 「最低限通信手段は確保しておいた方が良いと思いまして。」
 「ありがとうございます・・。」
 律は頬を朱に染めながら、セレスティに頭を下げた。
 「それで、宿泊所というのは・・・。」
 「まぁまぁ、ようこそお着きになりまして。」
 「どうも・・。この度は警察署より要請を受けて参りました、特殊捜査班の京谷 律と申します。」
 「あらあら、これほどまでお若いとは・・それで、こちらは・・?」
 「あっと・・。」
 「律さんのお手伝いをさせて頂きます、セレスティ カーニンガムと申します。」
 セレスティは人の良い微笑を浮かべると、右手を差し出した。
 「まぁまぁ。ご丁寧に・・。私は深涼(みりょう)旅館のオーナーの藤瀬 果歩(ふじせ かほ)と申します。」
 40代も半ばになろうかと言う年頃の果歩は、セレスティと握手を交わすと2人を村の中へと案内した。
 それほど広くない村の中、着いたそこは禍々しい雰囲気を発していた。
 「律さん・・。」
 「ここは、あちら側の世界となにかしらの関わりがある所です・・。」
 「Borderですか?」
 「いえ、Borderにしては世界がまとまっていません。ここにはきっと・・・・」
 「どうしたんです?」
 中々入って来ないセレスティと律を、果歩が眉根を寄せて見つめる。
 2人はふっと視線を合わせた後で、何事もなかったかのように旅館へと入って行った・・・。


 それなりに広い部屋に、2人は案内された。
 荷物を部屋の端へと置き、窓からの風景にしばし目を留める。
 「・・先ほどは、合わせて頂いて有難う御座いました。」
 「何をです?」
 「特殊捜査班の事ですよ。すっかり失念してしまって・・言っていなかったじゃないですか。」
 「あぁ、その事ですか。それでしたら別段礼には及びませんよ。それより、私が聞きたいのはこの場所の事です。」
 「ここ・・ですか?」
 「この雰囲気は何です?あちら側の世界との関わりとは・・?」
 「この旅館に出入りする人の中に、犯人がいるんですよ。それも、頻繁に出入りをする人・・。」
 「つまり、ここの従業員の中に犯人がいると?その、根拠はなんです?」
 「この雰囲気は、Borderで隔てられたあちら側の世界が近くにあるからではありません。先ほども言った通り、世界がまとまっていません。」
 それはセレスティも感じていた。
 純粋な雰囲気ではなく、なにかが混じりあい、絡み合っている雰囲気・・。
 「あちら側の人・・それも、人にあらざる者ではなく、人を脱したものの場合ですが・・その人達は、隠す事の出来ないあちら側の雰囲気を引き連れます。」
 「詳しく説明していただけますか?」
 「人にあらざるものの場合、人でないと言う自覚からか、本能的にあちら側の世界の空気を消す事が出来ます。きっと自衛本能のためなのでしょうが、しかし人を脱した者の場合・・あちら側の空気を消すことが出来ず、引きずったままこちらの世界に現れます。」
 「そうする事でこちら側とあちらが側の空気が混じりあう場所が出来ると?」
 「そうです。その人が通った場所に、道筋に、あちら側の空気は残ります。あちら側の世界の消滅まで・・・。」
 「あちら側の世界の消滅・・ですか?」
 「世界は日々構築され、日々崩れて行きます。こちら側の世界は大きな基礎の世界ですので、1つのまとまりとして存在しています。けれどあちら側の世界は言わば突然発生した産物に過ぎません。特に、人を脱したものが作り上げた世界は・・・。」
 この世界に無数に存在する、あちら側の世界。それを数を同じくして存在する、Border。
 「まぁ、普通の人には感じる事すら叶いませんからね。あちら側の世界も、Borderも・・。」
 だからこちら側の世界は一見すると平和なのだ。
 世界が一つしかないから・・・。
 世界が一つしかないと思い込んでいるから・・。
 「それにしても・・ここの従業員とは・・。」
 「先ほど、藤瀬さんに頼んで従業員を紹介してもらう事にしました。その・・事件の証言を取るため、と言う目的なのですが・・。」
 「ご協力いたします。」
 セレスティはそう言うと、バッグから小さなハンドカメラを取り出した。
 デジタルカメラとムービーがセットになった優れものだ。
 最新機種のそれは、30時間対応と言う素晴らしさだ。
 「これならば音も綺麗に入りますし・・。」
 律は嬉しそうに顔をほころばせると、セレスティに向かって深々と頭を下げた。
 「有難う御座います。」


 しばらくして、果歩が部屋に連れてきたのは5人だった。
 ルームの速水 里香(はやみ りか)23歳、同じくルームの渡会 淳子(わたらい じゅんこ)30歳、調理の北方 雄図(きたかた ゆうと)38歳、調理見習いの折島 春日(おりしま かすが)28歳、案内の久留米 幹也(くるめ みきや)48歳。
 皆一様に、あちら側の空気を引き連れている。その濃度は、濃い。
 濃すぎて誰が誰なのか、特定がつかない・・。
 「それではまず、速水さんから。」
 律はそう言い、果歩に合図をする。
 果歩が里香以外の4人を外へと連れ出す。
 「えーっと、事件があった日、なにか覚えている事、感じた事、不審な事、何かありましたら教えてください。」
 里香が僅かに空中を眺める。
 「う〜んと、3番目の事件の時だったかな・・?家の近くで、バイクが走り去る音がしたんです。こんな真夜中に変だな〜とは思ったんですけど・・。あ、でもこれ、関係ないかもですねぇ。」
 「・・どうしてです?」
 セレスティが、穏やかな笑みで里香に言葉を促す。
 里香はほんの少しだけ頬を朱色に染めると、俯きながらもじもじと言葉を紡いだ。
 「だってぇ、第3の被害者が出たのって・・家から結構遠いじゃないですか・・。」
 「そうなんですか?」
 「はい。」
 「貴方の家を教えていただけますか?」
 律はそう言うと、脇に置いてあった小さめの地図を取り出した。
 夢幻館でセレスティと書き込んだのとは違う、真新しい地図に、果歩が繊細な文字で自分の家の真上に“速水”と書き記す。
 そして・・第3の被害者が倒れていた丁度同じ所に、被害者と書き記す。
 その2つの点は確かに離れていた。
 「う〜ん、私も覚えているのはコレくらいです・・。ごめんなさい、お役に立てなくって・・。」
 「いえ、あの・・その、バイクの音が聞こえたのって、真夜中の何時くらいでしたか?」
 「そうですねぇ。2時か3時くらいだったと思います。丁度雨が降ってて・・。」
 「そうですか、それではまた何か思い出した事がありましたら・・。」
 「は〜い。」
 速水はにっこりと微笑んで返事をすると、部屋を出て行った。
 次に呼ばれたのは淳子だった。
 先ほどの里香とは違い、どこかオドオドとした表情で律とセレスティを見つめている。
 「あの・・別に、私はなにも・・。皆さんが、おっしゃってる通りです・・。」
 「それでは何も知らないと?」
 「はい。・・その・・私の・・家は、発見現場から少し離れてますし・・・その・・。」
 「場所を書き込んでくださいますか?」
 「はい・・。」
 淳子はオドオドとした手つきで、自分の家の真上に“渡会”を書き記した。
 「あの・・その、どの事件の日も・・私、寝てて・・その・・。」
 「分かりました。ご協力感謝します。それと・・もし何か思い出した事がありましたら・・」
 「分かりましたっ・・。その・・では・・。」
 淳子はパっと立ち上がると、ペコリと折れるかと思うくらい腰を曲げ、出て行った。
 「・・怖がられてしまいましたかね・・?」
 「さぁ・・どうでしょうか・・。」
 セレスティと律は顔を見合わせると、小さく苦笑した。
 次に現れたのは、雄図と春日だった。
 なんでもこの2人、従兄妹同士らしく2人で住んでいるのだそうだ。
 「私達は、第1現場の直ぐ近くに住んでいるんですけど・・その、ドサって言う物音しか聞いていないんです。」
 「これは警察にも言った事なんですけど、なんだろうと思ったまま、そのままにしておいて・・。」
 「外が騒がしくなったなって思ったら、遺体が・・。」
 春日はそう言うと、言葉を詰まらせた。
 この小さな村で、被害者も発見者も、皆が皆顔見知りなのだ。
 「春日と第1被害者の女性とは、同級生だったんですよ。この小さな村でしょう?小学校も中学校も同じで、高校と大学は別々になったんですが・・。」
 確かに、被害者の女性と春日の年齢は同じだった。
 悲惨な死を遂げた同級生を、一体どんな気持ちで見つめていたのだろうか・・・?
 「私も、犯人逮捕に協力したいんです。でも・・本当に何も知らないんです・・。」
 「犯人に心当たりはありますか?」
 「そんな・・。皆、良い人でしたし・・。村の人だとは到底思えません。」
 「そうですね・・。ありがとうございました。もし、何か思い出した事がありましたら・・。」
 春日と雄図は、失礼しましたと小さく告げると部屋を後にした。
 最後に2人の前にやってきたのは、幹也と果歩だった。
 この2人は深涼旅館に住んでいるのだと言う・・・しかし、別段夫婦と言うわけではなさそうだった。
 「あの・・お2人にぜひ話しておきたい事があるのですが・・。」
 「なんでもおっしゃってください。」
 「私達の勘違いなら良いのですが・・。第1の被害者が見つかった前の日の、真夜中の事だったんですけれども・・。裏の林で誰かが走る音が聞こえたんですよ・・。」
 「誰かが走る音・・ですか?それは何時くらいの事です?」
 「さぁ・・。夜中の2時か3時くらいだったと思います。けれど、そんな・・確信的なものではなく、もしかしたら風で木々が揺れた音かもしれませんし・・。」
 「それはその日だけですか?」
 「その、第2の被害者が見つかった前の日も・・。けれど、第3の被害者の時は聞こえなかったですし・・。」
 「本当に気のせいだと良いのですが・・。なんだか最近体調も優れないですし・・。」
 幹也はそう言うと、青白い頬に手を当てた。
 確かに・・頬が少しこけている気がしないでもない。以前の幹也を見た事がないため、なんとも言えないのだが・・。
 「犯人は吸血鬼だって噂も流れていますし・・恐ろしいです。」
 「最近は戸締りもしっかりしているのですが・・。」
 果歩と幹也はため息をつくと顔を見合わせた。
 「そうですか・・。その件も、こちらで調査をさせていただきます。」
 「本当によろしくお願いいたします。」
 「事件の早期解決に、全力を尽くします。」
 「えぇ、それでは今晩の夕食は7時ですので、7時になりましたらこちらにお運びしますね。」
 幹也がそう言って、腕につけているゴツイ時計を見つめた。
 時刻は5時過ぎ・・・。
 外は既に赤く染まっていた。


□推理

 「カーニンガムさんは、分かりましたか・・?」
 夕食をとり終わり、一息ついている時・・おもむろに律がそう切り出した。
 「なにをです?」
 カメラを弄りながら、先ほどの映像を再生していたセレスティが顔を上げる。
 「・・犯人ですよ。ヒントは第3の被害者です。その日、雨は2時から降り出しました。ほんの小ぶりの雨が4時まで。4時から30分間だけ、バケツの水をひっくり返したように降り・・・5時までには完全に雨は上がっていました。」
 セレスティは頭をひねった。
 雨・・。2時から4時まで、ほんの小降りの雨が降り、4時から30分間だけ土砂降り・・5時までには雨は上がり・・・。
 「最初、雨は霧雨程度だったそうです。それが4時になり、急に土砂降りになったと。」
 霧雨から、土砂降りに・・雨が降り始めから、降り終わりまで、ほんの3時間程度だ。
 「1人だけ、矛盾する人がいませんか?証言と。もちろん、完全な矛盾はしていません。けれど、おかしい人が一人だけいるでしょう?常識的に考えて、1人だけ・・。」
 常識的に考えて・・雨、第3の被害者、土砂降り・・霧雨・・・。
 ・・あっ・・!!
 セレスティは大急ぎで手に持ったカメラを巻き戻した。
 問題の部分を、再生する。
 ・・確かに、おかしい。もちろん、一見するとまっとうな意見だった。けれど、常識的に考えて・・・。
 「明日、裏の林に行ってみましょう。きっと・・Borderがあるはずです。」
 「えぇ。」
 セレスティは力強く頷くと、手の中のカメラを再び巻き戻した。
 

■Border

 裏の林・・と言うよりは、裏山と言った所だった。
 鬱蒼と生い茂る木々は空を狭め、足場はそれほど良いとは言えなかったが、悪いと言うほどでもなかった。
 セレスティは瞳を閉じた。
 確かに強まりつつあるあちら側の気配に、思わず気がせく。
 今朝起きた時には既にいなかったあの人・・・。
 こちらに来ているのは明確だった。
 こちら側に、あの人の気配はない。つまり、あちら側へと行ってしまったのだ。
 無方向空間のBorderを通って・・・。
 「あっ・・。」
 背後で小さな声がして、何か重たいものが落ちる音がする。
 「大丈夫ですか?」
 地べたに力なく膝を突く律。その顔は、青白い・・・。
 「大丈夫・・です、その、ちょっと・・クラっとしてしまって・・。」
 ヘラリと微笑む顔に、力は見られない。
 立ち上がろうとして、再びクラリと力なくその場に崩れ落ちる。
 「・・疲れましたか・・?」
 「いえ・・その・・・。」
 モゴモゴと、口ごもる律に、セレスティはピンとある事を感じた。
 律の正体は・・なんであるかは分かっていた。それこそ、逢った時から。
 けれど別段口に出して言う事ではないので、黙っていたのだが・・。
 「・・っあっ・・。」
 律が顔をしかめ、グラリと上半身から力を抜く。
 セレスティはそれをそっと抱きとめると、右手を律にかざした。
 セレスティは、水に関する事の全てを扱う事が出来る。それは、例え血液であろうと・・・。
 律は極度の貧血状態だった。
 それを緩和してあげる・・・。
 「・・あっ・・。な・・に・・?」
 「大丈夫ですか?」
 「あ、はい・・。クラクラするのが、なくなりました・・。」
 「では、先を急ぎましょう。」
 「はい。」
 律が問題なく立ち上がり、セレスティと共に先を急ぐ。
 あちら側の気配の強い方へと、どんどんと進み・・・急に視界が開けた。
 視界が開けたと言っても、別に木々がなくなったわけではない。
 空気が強い方向性を持って、ばらばらの方角から一つの方向へと向かっているのだ。
 混じりあった方向性ではなく・・強く、揺ぎ無い力だった。
 「ここが・・・Borderです。」
 律が目の前の空間を指差す。
 そして・・何かの線に沿って、すーっと宙を滑らせる。
 あの、夢幻館で行った時と同じ、世界の狭間の空間。それは確かに巨大な力を持ってそこに存在していた。
 「それでは、行きましょう。」
 「えぇ。」
 最初に律がそこを通り、次にセレスティが通る。
 一瞬だけ感じる、言葉に言い表せないくらいの不安感。
 体がバラバラになってしまいそうなほど、無の空間・・・それはほんの刹那の出来事だった。
 Borderと言う、境界の空間を抜ける間の出来事だった。
 そして抜けたそこ・・体中に纏わりつく、あちら側の世界。
 「行きましょう。」
 「えぇ。」
 セレスティと律は、真っ直ぐに濃い気配の方へと進んだ。


■人から脱した者
 
 暗く暗鬱な雰囲気、身体に纏わりつく重い影。
 ねっとりとした濃厚な気配が、1歩1歩と踏みしめる度にセレスティに襲い掛かる。
 胸が苦しいような、息をするのが困難な状態だ。
 「・・っはぁ・・っはぁ・・。」
 それは隣を歩く律も同じらしく、額からは汗が一筋滑り落ちる。
 この涼しい・・いや、寒い気温の中で垂れる汗は、発汗作用に従ってのものとは違っていた。
 禍々しい空気は、一定の規則性を持ってある方向へと引っ張られていた。
 ・・ザっと、木々が分かれた。
 空が四角く切り取られた場所。雲がびっしりと詰まった空が、ほの暗く地上を照らす。
 そこに、人から脱した者は座っていた。
 長い髪を風になびかせ、ただ、空を見上げて。
 「・・見つけましたよ。」
 苦しそうな律の声が辺りに響く。
 黒い瞳がこちらを見、そして・・満面の笑みで2人に言葉を投げかけた。
 「いらっしゃいませ。お客様方。」
 「速水・・里香さん。」
 セレスティの呼びかけに、里香はただ微笑んで頷いた。
 「はい。」
 サァっと風が吹く。それは、先ほどまでとは方向を別としていた。
 2人の背から吹く追い風ではなく、2人に吹く向かい風。
 強烈な血の匂いが全身にこびりつく。
 しかし、地面に血の跡はない。
 「どうして私だと分かったんです?人にあらざる者のお兄さんに・・吸血鬼と鬼の怪奇探偵さん。」
 里香が不敵な微笑を口元にたたえながらそう言った時、セレスティは確かにある事を感じた。
 それは、ともすれば一刻を争う事だった・・。
 「律さん・・!?」
 セレスティの隣にいた律が、崩れ落ちる。
 全身を震わせ、どこか1点を見つめている・・・。
 顔は蒼白になり、小さく悲鳴を上げながら何かを呟いている。
 「・・けて・・やめて、来ないでっ・・ごめんなさいっ・・。ごめんなさいっ!ごめんなさい・・ごめんなさい・・・」
 繰り返される謝罪の言葉は、誰に述べられているのかは分からなかった。
 心拍数が以上に増加し、呼吸も荒く小さくなる。
 何かのショック状態に陥っている律に、セレスティはすっと右手を・・・。
 その時、背後から走ってきた里香が物凄い力でセレスティから律を奪った。
 それはとても女性が出せる力ではなかった。
 いくら華奢で軽そうな律でも、女性が小脇に抱えられるはずがない・・・。
 「貴方は、分からないでしょうね。死んで行く悲しみなんて。」
 「なにを・・。」
 「私ね、不治の病に侵されているの。後半年の命って医者に言われたわ。けど・・私はまだ23よ!?やりたい事の半分もやっていない!夢だって、まだ叶えてない!」
 「だから、人を殺したのですか?」
 「・・血には延命の効果があるって、聞いたのよ。あのエリザベートも、死の間際まで美しかったと書いてあったわ!多少の犠牲は必要だったのよ!」
 セレスティは僅かに眉をひそめた。
 それは、同情の念からだった。彼女を酷いと罵る前に、可哀想だと心から思った。
 自己のために犠牲を省みない彼女。それは・・あまりに身勝手な我侭だった。
 「貴方が丁度立っているその真下に、ヴラドが眠っているのよ。その真上に来た人々は、さながらトルコ兵ね。」
 つまり、この下に何かしらの物が埋まっているのだ。
 おそらくは・・巨大な杭かなにかが・・・。
 「私がこのボタンを押せば、そこが開く仕組みなの。なかなかハイテクでしょう?ここに来た人達は皆その中に落ちて、私のために命を捧げてくれたわ。」
 捧げたのではない。奪われたのだ。彼女によって・・・。
 「私は、落とさないのですか?」
 「貴方はダメ。一見若いようだけど、見れば分かる。もう・・長い事生きているんでしょう?」
 里香は小脇に抱えた律を見やった。
 いつの間にか律はその意識を手放していた。おそらく、里香が気絶をさせたのだろう。
 「こっちの怪奇探偵君は、まだ若いのね。・・ふふ。」
 「何をするんですか!?」
 妖しく微笑んだ里香の、手元で何かが光った。
 銀色にぬめりと輝く・・小さなナイフだった。
 小さいとは言っても、それで胸を一突きすれば心臓まで届くくらいの長さはある。
 「儚くて、今にも消えてしまいそうな男の子。折角こんなに綺麗なんだから、今すぐに、終わらせてあげるわ。混血は、肌のためにも良いし。」
 振り上げるナイフ。それと時を同じくして、空から舞い落ちる・・雨・・・。
 雨はセレスティの味方だった。
 ふっと集中し、雨を一直線に里香へと向ける。
 「きゃっ!?」
 短い悲鳴の後で、落ちるナイフは微かに律の腕を傷つけた。
 けれどそれはほんの一筋赤い線が入っただけで、命に関わるようなものではなかった。
 水の膜が里香と律を包み込む。
 里香が律を手から離し、水の膜に触れるが・・びくともしない。
 「これはなに・・?」
 「貴方を捕まえておくための透明な檻です。」
 「出しなさいっ!」
 「・・どうして出す必要があるんです?私が、貴方を・・どう考えたって、おかしいでしょう?」
 里香がギュっと唇を噛み、透明な檻の中で膝を折るのと、セレスティの背後から1人の男性がやってきたのはほぼ同じ時だった。
 「これはこれは・・綺麗な檻ですね。彼女にはもったいないくらいの。」
 穏やかに言う男性。夢幻館で会った・・・。
 「奏都さん・・?」
 「あぁ、やはり律君は気絶してしまったのですね。直ぐに後から警察が来ます。諦めてください、里香さん。」
 「警察・・!?そんな所に入ってしまったら、私は・・」
 「けれど、被害者達の生涯を無理やり閉じたのは貴方です。それ相応の償いを・・・。」
 セレスティはそう言うと、水の檻を壊した。
 律は既に奏都の腕の中にいる。万一彼女が何かをしでかそうとしても、この雨の中、止められる自信はあった。
 水の檻は、一見美しいが・・中の酸素は段々と薄くなって行く。
 ずっと檻の中に閉じ込めておけば、窒息死は免れない。
 「さて、それでは俺達は引き上げるとしましょうか。ここには特殊な結界を張るましたから、彼女はここから出られません。後は警察に任せましょう。」
 「・・そう・・ですね。」
 セレスティは小さく微笑むと頷いた。
 地面の下から香る、血の匂い。
 それは全身にべったりと纏わりつき、絡みつく。
 息苦しいほどの重さを持って・・・。
 “痛いよ、悲しいよ、怖いよ、寒いよ、寂しいよ・・・”
 聞こえてくる死者達の念は、確かな力を持ってセレスティの腕に、足に、背に、纏わりつく。
 「行きましょう。」
 そっと、心の中で彼らに祈りを捧げた後で、セレスティはBorderを通り、こちら側の世界へと帰ってきた。


 「あぁ、そうです。里香さん。貴方は一応大本は人なので分からないかも知れませんが、ここは被害者達の念で満たされているんですよ。可哀想ですから、俺の力を少しわけてあげましょう。なに、ほんの少しです。小指の爪ほどにも満たないくらいですよ。・・ほら、段々と聞こえるでしょう?見えるでしょう?被害者達の姿が、声が・・。」
 律を抱きかかえたまま、奏都は冷酷に微笑むと、里香に頭を下げた。
 里香の表情がどんどん青くなり、ついには真っ白になる。
 カタカタと震える肩、何かを言っている唇。そして、1点を見つめたまま、力なく頭を振る。
 「いや、来ないで・・。お願い、許して・・。」
 「許して・・とは、随分な物言いですね。彼らだってそう願った。けれど、それを許さなかったのは貴方でしょう?さぁ、楽しんでください。警察が来るほんのひと時の間だけでも、彼らとの対話を・・ね。」
 そう言い残すと、奏都はセレスティの後を追った。


 奏都と律がBorderから出てきて直ぐに、あちら側の世界から悲鳴が上がった。
 それは確かに里香の声だった。
 「何かあったのでしょうか・・!?」
 「そうですねぇ・・。あの場所に残った、死者達の念にでもあてられたんでしょう?ほら、警察が来ましたよ。」
 赤いライトが小さな村を照らす。
 チカチカと回るライトは木々に反射し、まるで巨大な手が手招きしているようにさえ見える。
 こちらにおいでと・・・。


□終幕の時

 後日、新聞には一面にあの事件の事が取り上げられた。
 速水 里香は逮捕され、判決が下る前にこの世を後にした。
 「彼女はあちら側の世界の住人になりましたよ。」
 「え・・・?」
 夢幻館に呼ばれたセレスティは、出された紅茶の香りを楽しんでいた。
 高級感漂う香りがセレスティの鼻をくすぐる。
 「どこかに彼女の異界が発生したんです。それは俺にもわからないんですが・・。」
 律はそう言ったきり、押し黙ってしまった。
 そして、セレスティもその件については詮索をしない事に決めた。
 もしも彼女が異界で力をつけ、こちら側に侵食してこようとしたら、分かるから・・。
 「それでは今回の報酬なんですが、これくらいでどうでしょうか?あまり多いとは言えないので申し訳ないのですが・・。」
 渡された小切手に並ぶ、ゼロゼロゼロ・・・3・・。
 普段の報酬の3倍近い値段に、思わず驚く。
 「今回は、どうも有難う御座いました。その・・俺が迷惑をかけちゃったみたいで・・。」
 「いえ、そんな事はないです。」
 「もしまた機会がありましたら、ご一緒しましょう。」
 セレスティは穏やかに微笑むと、カップを置いた。
 「・・カーニンガムさんは、彼女があちら側の世界に引き込まれた要因は何だと思いますか?」
 「自分の命の期限を知っての事じゃないんですか?」
 「それも、一つです。けれど・・彼女を引き込んだのはヴァンパイヤですよ。」
 「それはどう言う事です?」
 「可笑しいと思っていたんです。幾ら腹部を貫こうとも、被害者達の血液がこれほどまでなくなるはずがないと・・。カーニンガムさんは覚えていますか?被害者達の首筋についていた2つの穴を。」
 「えぇ、そう言えばあれは一体・・・。」
 「吸血鬼ですよ。確かにあの村に存在し、遺体を発見された場所へと移した・・・。ヴァンパイヤです。」
 律が机の上から数枚の紙をセレスティへと渡した。
 なにか良く分からない記号のようなものが並び、最後に赤い文字で“合致”と言う判が押されている。
 「これはなんです?」
 「被害者達の首筋から、微量な唾液が検出されたんです。被害者達の血と混じり合った・・・。その唾液は、確かに吸血鬼の規則性を含んでいました。」
 「吸血鬼の規則性ですか・・?」
 「物事の根本的なところです。俺も詳しくは知らないのですが・・・。DNAのようなものだと、俺は思ってます。」
 「それで?」
 「速水さんは、遺体を移動した覚えはないと証言していました。そして警察の方も、女性一人で遺体を動かすのは無理だと言っています。だから、共犯者がいるのではないかと・・・。」
 律がそっと窓を開けた。
 まだ少しだけ冷たい空気が、部屋の中に一つの方向性を持って入ってくる。
 「発見現場の周囲には、誰も近づいた後がなかった。そして、これは非公式ですが・・速水さんは共犯者についてこう証言しているんですよ。」

 『ドラキュラよりも現実に近い、ドラクルだと・・・。』

 ドラクル・・それは、あのヴラドの父で悪魔公と呼ばれていた人物・・。
 「確かに、彼女は間違った証言はしていません。ドラクルと言う愛称で呼ばれるヴァンパイヤを、俺は知っていますから・・。」
 「と言う事は、今回の事件は・・そのヴァンパイヤと速水里香が起こした事になるのですか?」
 「えぇ。もしかしたら、ドラクルが速水さんを魅了したのかも知れません。あちら側の世界へと・・。」
 「人の心は、壊れやすいですから・・。」
 その割れ目から入り込む甘い誘惑は、じんとした痛みと温かさを持って沁みこんで行く。
 決してその力に購えなくなるまで・・・。
 「これで、遺体の発見現場に足跡がなかったのも納得が行きます。彼は空ですらも、自由に歩ける。」
 高く晴れ渡る空に、鳥達が舞い遊ぶ。
 自由に、何の障害もなく・・・。
 「ヴァンパイヤは、表には出ない存在ですからね。」
 セレスティはただそう言うと、薫り高い紅茶を飲み干した。


      〈END〉

 
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 ■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  1883/セレスティ カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い


  NPC/京谷 律/男性/17歳/神聖都学園の学生&怪奇探偵
  NPC/沖坂 奏都/男性/23歳/夢幻館の支配人

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 ■         ライター通信          ■
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  この度は『【---Border---】〜ファイル1、甘美な紅〜』にご参加いただきまして有難う御座いました。
  作中、犯人が「エリザベートも、死の間際まで美しかった」と言っていますが・・実際には違います。
  1611年、貴族裁判でエリザベートは終身禁錮刑になりました。本来なら死刑のはずでしょうが、エリザベートは王室と血縁関係のある貴族でしたので・・。
  エリザベートはチェイテ城の一室に幽閉され、1614年8月21日に享年54歳で死去しました。
  その身体は痩せ細り、かつての美貌(エリザベートは若い頃は美女でした)は見る影もなくなっていたと言います。
  もう1人、ヴラド ツェペシュは、1476年にブカレスト近郊でオスマン・トルコと戦って戦死したと言います。
  甘美な紅を執筆するにあたって、エリザベートとヴラドをかなり調べたのですが・・。
  色々と恐ろしいことが書いてありました・・・。その恐ろしさのほんの一欠けらでも作中に盛り込めていればと思います。

   それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。