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<東京怪談・PCゲームノベル>


【---Border---】〜ファイル1、甘美な紅〜


□発端


 『私には時間がないの。もうこれしか方法がないのよ。』

 “怖い・・怖い・・嫌・・こないで!!”
 直ぐ背後に近づいてくる気配に、彼女はパニックになりながら前へと走った。
 なかなか動かない足がもどかしい。
 “速く!速く!!もっと速くっ!!!”
 もっと運動しておけばよかった。
 そんな後悔はした所でもう遅い。
 そもそも後悔というものは、物事が先に進まなくなった時、詰まった時、失敗した時にするものであって、結局の所結果が出なければ後悔のしようがない。
 後悔と言うものは、先を見越してするものではない。
 過去を振り返ってするものだ。
 つまり・・彼女はこう言う状況に陥らなければ“運動しておけば”等と言う事は微塵も思わなかったであろう。
 すぐ真後ろに感じる息遣いに、思わず叫びたくなる。
 けれど乱れた呼吸からは叫びは出てこない。息をするだけで精一杯なのだから・・。
 “はぁ・・っはぁ・・っはぁ・・”
 走って走って・・いつの間にか彼女は見知らぬ森の中へと来ていた。
 鬱蒼と生い茂る木々で空は見えない。
 そして・・・いつの間にか気配がなくなっていた。やっと、振り切れたのだ。
 “良かっ・・・”
 ガクリと足元がなくなる。
 崖からうっかり足を滑らせてしまったのかも知れない!なんて不注意な・・・。
 彼女は咄嗟に手を突こうとして・・・。
 グサリと、鈍い音を確かに聞いた気がした。
 けれど彼女は自身に起こった出来事を知る術もないまま、永遠の国へと旅立って行った。

 『時間がないのよ、私には。だから・・もう・・・』

 * * * * * * *


 無残にも、腹部を貫ぬかれた女性の写真が一枚だけデスクの上に鎮座していた。
 京谷 律(きょうや りつ)はそれから視線を逸らすと、手に持った報告書に落とした。

 数ヶ月前から、村の内外で変死体が発見される事件が数件起こっている。
 被害者は皆20代から30代の若い男女で、首筋に2つの穴が開いている。
 腹部には何かが貫通したようになっており、それが直接の死因と考えられている。
 この事件で一番不可解な事は、被害者達が極度の出血をしていると見られるにもかかわらず、現場やその近くに血痕の跡は見られていない。
 警察では凶悪犯による猟奇殺人事件だと考えられており、被害者達はどこかで腹部を貫かれた跡に現場に運ばれたと見ている。
 しかし、いまだ犯人の足取りはつかめておらず、それをあざ笑うかのように被害者は増え続けている。

 「それで、村周辺では吸血鬼の仕業だと噂されている・・か。」
 律は小さく呟くと、ふっと微笑を浮かべた。
 「もしヴァンパイヤの仕業の場合・・どうして腹部を傷つける必要がある?どう考えたっておかしい。」
 そっとカラーコンタクトを取る。
 左目が赤いのは、別に出血しているわけではない。
 「ヴラド ツェペシュよりむしろ・・・」

 『エルジェベット バートリ』



 『急募:この度ある山村に猟奇殺人事件の調査を任されました。そのアシスタントをしてくださる方を募集します。調査期間は現地に行ってみないと分かりません。報酬は調査期間と調査内容によって変動いたします。泊り込みになるかもしれませんので、それなりの用意をしてきて下さい。詳しくは 京谷 律まで。』


 * * * * * * *


 「【---Border---】を体験、読む時の注意事項が書いてあるから、以下をよく読んでね。」


 【---Border---】を体験するまたは読む時の注意事項
  1、体験もしくは読んでいる最中に寒気や悪寒、耳鳴り、その他何かしらを感じた場合“絶対に後を振り向かないで”下さい。
    また、同様に自身の“真上も見ないで”下さい。
  2、何らかの理由で席を立ったり、どうしても後を振り向かなくてはならなくなった場合、体験または読むのを止め、心を落ち着けて深呼吸をしてから振り向いたり、立ち上がったりしてください。


 「え・・?これに何の意味があるのかって?・・・さぁ、ただの注意事項だから、理由なんてないんじゃない?」

 律はそう言って微笑むと、そっとカラーコンタクトを瞳にはめた・・・。



■適性

 桐生 暁、夢幻館の壁に張り付いてはためく紙を見つめた。
 猟奇殺人事件の調査、その、アシスタント募集の張り紙だ。
 いつになく真面目な文体に、暁は少しだけ考えた後でその張り紙をはがした。
 律君が担当する事件か・・。と、口の中で囁く。
 暁は以前に一度だけ会った事のある律を記憶の底から救い出した。
 淡い金色の髪と、真っ白な肌・・華奢で繊細な体つき・・。
 今にも壊れてしまいそうなほどに儚い印象を受ける男の子だった。
 思い出して、ふっと自嘲気味に微笑んだ時、カチャリと音がして、両開きの巨大な扉が開かれた。
 中から現れる、ここの総支配人の沖坂 奏都・・・。
 「おや、お久しぶりです。暁さん。本日は・・・察する所に、律さんに御用ですね?」
 「そー!この張り紙を見てさぁ〜。」
 「こちらです、さぁどうぞ。」
 奏都はそう言うと、暁に手を差し伸べた。
 「そう言えば暁さんは律さんにお会いした事がありますか?」
 「うん、一度だけね。」
 「そうですか・・・。どう思いましたか?」
 「どうって、可愛くて、繊細で、儚い印象かな?なんで?」
 「いいえ。ただ聞いてみたかっただけです。」
 奏都は不敵に微笑むと、一つの大きな扉の前で歩を止めた。
 コンコンと2回ほど扉をノックした後に、ゆっくりと押し開ける・・・。
 「律さん。お客さんですよ。桐生 暁さんです。あの張り紙を見て来られたそうですよ。」
 「やっほー、お久しぶり〜。」
 暁はひょこりと中へ入った。
 「それではごゆっくり。」
 奏都は一つだけ頭を下げると、扉を閉めた・・・。
 「あ・・っ。暁君・・。久しぶり・・。えっと、今日は来てくれて有難う・・。」
 ふわっと微笑む律は、以前同様今にも消えてしまいそうなほどに儚い印象を受ける。律が暁に目の前のソファーに座るように手で合図をする。
 「今回の事件なんだけど、警察の方では猟奇殺人事件として調査をしてるんだ・・。・・でも、もしかしたら“Border”が関係しているのかも知れないと言う事があって、こちらに捜査要請が来たんだけど・・。」
 「“Border”・・・?」
 「所謂、あちらとこちらの境界線・・だよ。」
 律はそう言うと、パチリと電気を消した。
 窓には分厚い鉄のカーテンが下りてくる。
 真っ暗になったその部屋で、暁と律の呼吸だけが大きく響く。
 「今から、ある実験を行うから・・。その・・付き合ってくれる?」
 「いいよ。もちろん。」
 「有難う・・。」
 ピンと、何かが張り詰める音がする。
 音の振動が終わり、しばらくの静寂の後で再び何かが張り詰める。
 その音は段々周期を早め、音の振動も段々と早く、短くなる。
 それはいまや1つの音にしか聞こえなかった。
 ピーンと響く1つの真っ直ぐな音だった。
 「今、この部屋に一つの世界が誕生したんだ。1つの音が作り出す不思議な世界だよ。俺が言葉を紡ぐたび、世界が揺れているのが分かる・・?」
 「あぁ。」
 集中しなくても分かる、確かな崩壊の音・・・。
 単一の世界は壊す事が容易い。他のものを入れてしまえば直ぐに壊れてしまうのだ。
 律が言葉を紡ぐたび、危ういほどに世界が揺れ動く。
 それは見るものでも、聞くものでもない。
 “感じるものだ”・・・。
 「この、一つの世界に他の世界を組み込むね・・。・・感じて、その境界を。確かに存在する“Border”を・・。」
 暁はただ首を縦に振った。
 言葉を紡いでしまえば、儚く散ってしまいそうなほどに世界が危ういからだ。
 「行くよ・・・?」
 小さな合図の後で響く、低音の振動。
 それは段々とこちらの世界を侵食しようと、迫ってくる。
 徐々に崩壊を迎える世界。
 それが、ある1つの線上でピタリと止まった。
 力の均衡が取れている場所が出現したのだ。
 どちらも一進一退の攻防を繰り返す線・・・。
 「感じる?」
 静かに響く律の声さえも、この均衡を崩しそうになる。
 暁はそっとその線・・・“Border”に触れた・・・。
 ほんの刹那吹いた風・・その後に、どちらの世界も崩れた。
 正確に言えば消え去ったと言った方が良いのかも知れない。バラバラに散ってゆく世界は、甘美な儚さを持って消えて行った。
 「境界の、Borderの崩壊だよ・・。」
 律はそう言うと、電気を点けた。
 窓から淡い光が差し込み、段々と部屋の中に昼間の雰囲気を引き入れる。
 「今のは何・・?」
 「適性検査・・って言ったら、怒る・・?」
 「試したの?」
 「・・うん。Borderに触れると言う事は、それなりの危険を伴うんだ。こちら側の世界も、あちら側の世界も、危険な事に変わりはないけど・・。あちらにはあちらなりの危険があるし、こちらにだって一見見えにくいようだけど危険は多々存在しているんだ。でも、最も危険なのはBorderだよ。2つの世界をギリギリの所で分ける境界線。2つの世界が鬩ぎあっている丁度中間の部分。そこが・・・Borderが一番危険なんだよ。」
 「Borderが・・」
 「そう。物事には方向性というものがあるんだ。こちら側の世界はあちら側の世界に向かって方向を定め、日々侵食しようと進んでいる。そして・・あちら側の世界もこちら側の世界に向かって進んでいるんだ。つまり、こちら側もあちら側も明確な方向が定まっているんだよ。それはほとんどの場合は変わる事のない方向性だよ。だからBorderほど危険ではないんだ。」
 「つまり、Borderには方向性がないって言いたいのか?」
 「Borderは2つの力の釣り合った線上の事だよ。だから・・・Borderには方向と言う概念がない。」
 暁は一つだけ、同意の意を示す頷きを律に返した。
 「それで・・どうして最もBorderが危険なんだ?」
 「方向性の中で住まう人々にとって、方向性のない世界は危険なんだよ。人はこの世界で重力と言う一つの方向性によって地に足をつけている。でも、ひとたび重力の方向性を抜ければ無重力・・つまり、重力と言う方向性のない世界に進む。人は地に足を着けることが困難になり、空へと飛び立つ・・。」
 「それで?」
 「それでも重力以外の方向性がまだ働いているよね。空気の方向性だよ。外からも中からも、丁度人の肌をBorderとするように、空気はそれぞれの方向性を持ってこちら側に向かってくる。」
 「その方向性がなくなった時・・俺達はどうなるんだ?・・つまり、Borderに触れた時・・。」
 「方向性のない物体は拡散し『無』に陥るんだ。光りも闇も、進む道も帰る道も、何もない世界だよ・・。」
 「存在の消失・・・?」
 「そう。そのとおり。」
 律は頷くと、部屋の隅にポツリと置かれた小さな丸テーブルの上からポットを取った。
 その横で逆さまにされたコップを返し、透明な水をその中に注ぐ。
 「だから、適性検査が必要なんだよ。Borderに触れた瞬間に消失する人が・・少なくないんだ。」
 「そうなのか。」
 律はコップを暁に差し出した。
 冷たい感触が手に伝わり、どこかモヤモヤとしていた心をふっと軽くさせる。
 「・・・ごめんね・・・?怒った・・・?」
 今にも泣き出しそうな瞳で小首をかしげる律に、冗談を言ってのける自信はなかった。
 万が一泣かれでもしたら・・・。
 「いや、怒ってないよ。それで、俺は合格?」
 「あの時・・微かにだけど、風が起こったの・・知ってる?」
 世界が崩れる前に吹いた、ほんの微風・・。
 「あぁ。それが?」
 「あれが適しているか適していないかを分ける最大のポイントなんだ。暁君は、誰がなんと言おうと適しているよ。その心の清らかさや、気高さが、Borderの無方向世界に立ち向かう最大の武器になるんだ。」
 純粋な瞳で言われ、暁はどこか後ろめたい感情を胸に抱いた。
 “心の清らかさや、気高さが・・・”
 心の清い人から言われて、頷ける心の余裕なんてなかった・・・。
 暁はただ頷くと、コップの水を一口だけ口に含んだ。



□考察

 律が事件の大よそのあらましを話している間、暁はただ黙って聞いていた。
 あまりに悲惨な猟奇殺人事件に、思わず胸にむかつきを覚える・・・。
 「今回の事件の事なんだけど、さっきも言った通り・・俺はBorderが関係しているんだと思う。・・あちら側の出現だよ。」
 「人じゃないものの仕業って事?」
 「・・人にあらざる者の仕業じゃないと思うんだ。あくまで、人から脱した者の仕業じゃないかな・・。」
 人から脱した者・・・人に限りなく近い、あちら側の人間。
 何かに魅入られてしまい、あちら側へと入り込んでしまった哀れな人。それが、人から脱した者だ。
 人にあらざる者とは、その存在自体が異なる者、こちら側の世界とは相反する者の事だ。
 「魅入られし人は、人にあらざる者よりも強いんだよ。引き込む力が、思いの力が・・・。」
 「そうなんだ。」
 暁は視線を落とすと、ふいと横を向いた。
 「俺が思うに、今回の殺害方法はヴラド ツェペシュだと思うんだ。」
 「ヴラド ツェペシュ・・?」
 吸血鬼ドラキュラのモデルと言われた15世紀ルーマニアのワラキア公ヴラド3世。
 ツェペシュとは、「串刺し」の意で、彼は串刺し公とも呼ばれていた。
 「確かに、串刺しだけど・・状況が違うじゃん。ヴラドと、今回と。」
 「ヴラドは自国を守るためのものだった。トルコや西ヨーロッパからの圧力に耐え、ワラキアを独立国として維持し続けるための・・・。」
 「でしょ?犯人は何かを守るために被害者達を串刺しにしているとでも言うの・・?」
 「それはまだ分かんないけど・・。でも、方法はヴラドだよ。・・もしかしたら犯人はエルジェベット バートリかも知れないけど・・。」
 「エルジェベット・・・?」
 暁は小首をかしげた。
 確かに“バートリ”の名に聞き覚えはあった。しかしファーストネームはそんなに舌を噛みそうな名前だったであろうか・・?
 「エリザベート バートリ・・の方が一般的かも知れないね。他にも、色々と読み方があるんだけど・・・。」
 「若い女なの人を殺しては、絞り取った血を浴槽に満たしてつかってた・・あの、エリザベート?」
 「そう。そうする事で自身の美貌が保てると思っていた・・あの・・。」
 微かに胸の奥でモヤモヤとしたものが広がる。
 それはだんだんと痛みを持って広がり、胸のムカツキを覚える。
 「美貌なのか、何なのかはわんない。けど、被害者達は血液だけを抜き取られている。俺が思うに、犯人は“殺す事”ではなく“血を抜く事”に拘っている気がるんだ・・。」
 「ただ殺るだけだったら、血液を抜く必要はないしね。」
 「死ではなく血・・・。犯人は血によってなにを得ようとしてるのかな・・?」
 「う〜ん、やっぱエリザベートなのかなぁ。」
 「一つの可能性論としては、それなりの力を持っていると思うけど・・。」
 嫌な・・本当に嫌な話だった。
 「とにもかくにも、行ってみなくちゃ始まらないんだけど・・。」
 律が口ごもり、チラリと上目遣いで暁を見やる。
 「な・・なに・・?」
 「暁君、一緒に来てくれる・・?」
 そもそもそのためにここに来たのだが・・・。
 うるうるとした瞳が暁の心をガッチリと掴んで放さない。
 ・・確か、同じ年だったはずなのだが・・何分律は標準身長よりも小さい。そしてこの華奢な体つき・・どう贔屓目に見ても、暁と同じ年には見えなかった。
 「って言うか、そのつもりでここにいるんだし・・。」
 「本当!?ありがとう、暁君!」
 律はそう言うと、暁の腕を取った。
 「よろしくね!」
 「あ・・あぁ・・。」
 何故だかかぶる、ツインテールのあの女の子・・・。


■夢幻館

 周りを山に囲まれた小さな村。
 そこだけ時代を間違っているような印象を受ける村に、暁は少しだけ眉根を寄せた。
 「うっわぁ〜!辺鄙な村だねっ!」
 無邪気に言ってはいけない事を大声で口に出すのは無論、片桐 もなだ。
 「もなさん。辺鄙なんて言ってはいけませんよ。せめて昔風の村と言ってください。」
 奏都がもなを優しく諌める。
 直訳すると、オブラートに包めと言う事だ。
 しかし奏都の用意するオブラートは確実にどこかが破けていた。
 「てめぇらは、デリカシーっつーもんがねぇんだよ!デリカシーっつーもんがっ!」
 今まで発言したものの中で、一番まっとうな意見を言ったのはご存知、夢幻館きってのやられキャラである梶原 冬弥だ。
 「冬弥ちゃんにデリカシーなんてナイーブな単語使われちゃった日には、あたし達お終いだよ〜!」
 「終わってしまえ、いっその事。」
 「ははっ、冬弥ちゃんひでぇ〜!」
 プンとそっぽを向くもなに、暁は苦笑いをすると・・事実上もなの味方についた。
 「っつーかさぁ、テメェラなにしにここに来てるわけ?あぁ〜!?律の捜査の手伝いだろ〜?そのっくせ荷物も持たねぇで・・やる気あんのか、てめぇら!あぁ〜!?」
 不機嫌低音ボイスでキャッキャとした黄色い雰囲気を粉々に砕いたのは、神崎 魅琴だ。
 その腕には重そうな荷物がいくつもぶら提がっている。
 「あ、俺が持つよっ!」
 そう言って魅琴の手から荷物を受け取るのは、おそらくこの中で一番力のないと思われる律だった。
 魅琴が僅かに顔を歪ませ、一番軽そうな荷物を律に手渡す。
 フラリフラリと歩き出す律。ほんの数歩歩いた所で・・・ベシャリと転んだ。
 「あぁっ!!りっちゃん!?」
 「ぬわっ!律っ!!」
 もなと魅琴が一目散に駆け寄り、律の顔を覗き込む。
 「大丈夫〜?」
 暁も駆け寄り、そっと地べたに座る律の肩に手を置いた。
 「あ・・大丈夫っ・・・。」
 うるうる〜っと、今にも泣き出しそうな瞳を向けられ、ひるむ暁。
 「律〜!お前は最高だ!いっその事俺の嫁に・・」
 律にガバリと抱きついた魅琴の頭を、冬弥が蹴る。
 「ヤメロ貴様。白昼堂々痴漢行為で訴えられたいのか・・・?」
 「ってぇ〜・・・。テメェ冬弥!よくもやりやがったな!?俺様の貴重な脳細胞を・・どうしてくれるっ!!」
 「どうもしねぇよ。」
 冷たく言い放つ冬弥に、暁は苦笑していた。
 自分といる時はもっとキャンキャンとした印象を受ける冬弥なのに・・ここではなぜかしっかりと見えてくるから不思議だ。
 「とりあえず律は、奏都と一緒に歩け。荷物は持たなくて良い。荷物は俺ともなと魅琴で持つ。」
 テキパキと仕切る冬弥に、魅琴が暁を指差した。
 「暁ちゃんはぁ〜?仲間はずれなの・・??」
 「・・暁、山道歩きなれてるか?」
 「ん?それなりに〜?」
 「村の入り口まであと少しだけど・・荷物もって歩けるか?」
 「だぁいじょうぶだよ〜!直ぐじゃん!」
 「いやいや、待てよ冬弥。ほら、見てみろこの細腕を!」
 魅琴が両腕に大量の荷物をぶら提げながら、暁の腕を掴んだ。
 「細いっちゃぁ細いが・・それが?」
 冬弥の生返事に近い答えに、魅琴が両腕から荷物を落とした。
 かなり重いものだったらしく、ドサリと落ちた場所からは砂埃が舞いあがっている。
 「さっきの律みたいにとは言わないが・・倒れたらどうする!?」
 「いや、俺そんなにか弱くないし・・。」
 「本人がそう言ってるぞ〜?」
 「否!!律もそうだが、本人の意見は採用しない主義だ!俺様は!」
 魅琴はそう叫ぶと、暁の腰に腕を回した。
 いや〜な感じが背中を滑る。
 そしてその感じはすぐに肯定される!
 魅琴に力いっぱい抱きしめられる暁の図・・・。
 巨大で馬鹿力の魅琴の腕は、すぐに解けるものではない。そもそも凄まじいパワーと体格の差がある。
 「ほら見ろ!こんなに華奢でか弱いのに・・・。」
 「地獄へ落ちろ!」
 素敵な低音ボイスが当たり一帯に響き渡り、魅琴の頭に何かがぶつかる。
 それは一見するとボールのようであったが・・よくよく見ると小さな人だった。
 ・・ツインテールの・・。
 「暁ちゃん、大丈夫だった!?」
 すっ飛ぶ魅琴に、暁は全身の血液を足元へと落とした・・。
 あんなに力の強い魅琴を、一瞬のうちに・・・。
 「んもう、だから暁ちゃんと魅琴ちゃんを一緒の場所にいさすのイヤだったんだよぉ〜!だぁってぇ、魅琴ちゃんって可愛い子とか綺麗な子とか、性別関係なく好きじゃん!」
 「あぁ!?綺麗だとか、可愛いだとかっつーのは一種の才能だ!それを好いちゃわりぃか?」
 キャンキャンと騒ぎ立てる巨大な男と小さな少女・・・。
 「ほら、暁、行くぞ。そいつらに構ってたら日が暮れるどころの騒ぎじゃねぇ。」
 冬弥が暁の腕を取り、引っ張る。
 「・・お前、いっつも俺の事からかってるようだけど・・・俺は夢幻館一の常識人だっつー事がコレでわかっただろう?」
 一番かどうかは定かではないが・・とりあえずこのメンバーの中では常識度は上位に組み込まれているだろう。
 「さぁ、皆さんともう一息で村に着きますよ〜!」
 この騒ぎを見えていないのかそれとも無視しているのか・・・春風のごとき爽やかさで奏都が微笑んだ。
 その隣ではすでに体力を消耗しきった律がぐったりと力なく奏都に支えられながら歩いている。
 「ってか、律・・大丈夫なの?」
 「あー・・律の体力がミジンコ以下なのは前から。」
 心配顔の暁と、ただ気にするなと言っただけの冬弥。
 そしてその背後から走ってくるツインテールの少女。その腕にはこれでもかと言うほど荷物が沢山ぶら提がっている。
 「もー!重いよ〜これっ!」
 大して重くはなさそうなのだが・・・。


 村に着き、まず一番最初に一行を案内してくれたのは“村人A”と言う感じの人だった。
 ・・・ゲームで、道の中央に立ち、話しかけると何度も同じ説明をしてくれる、あんな感じの人だった。
 小さな民宿のような場所に通される。
 律がはたと足を止め、一行もそれに従う。
 渦巻く、あちら側の世界の雰囲気・・・。
 「ここが、Border・・・?」
 「違うよ。でも・・確実にここに犯人がいる・・・。」
 「どう言う事?」
 「人にあらざる者の場合、あちら側の空気を消す事が出来るんだよ。身体にこびりつく、あちら側の空気をね。でもね、人から脱した者の場合はそれが出来ないんだよ。もとが、あちら側の世界の人じゃないから・・。」
 もなの説明に、暁はただ頷いた。
 とにもかくにも、ここにその犯人がいる可能性が高いと言う事だ。
 「まぁ、いらっしゃいませ・・。警察の方ですね?」
 「いえ・・警察から依頼されて事件を解決しに来た・・いわば雇われです。」
 魅琴が民宿の中から出て来た40代半ばと言った容姿の女性に、丁寧にお辞儀をする。
 ・・・先ほどまでのもなとのバトルが嘘のようだ。
 「そうなの?でも・・随分とお若いのね・・。自己紹介が遅れましたわ、私、この民宿を経営しておりますオーナーの三沢 津江(みさわ つえ)と申します。さぁ、こちらへどうぞ。」
 どうぞと言われても、躊躇をしてしまう程に空気が禍々しい。
 「ばーか、律を見ろ。あんなへなちょこ体力のクセに、さっさと入って行ってるだろ?」
 冬弥の囁きに、暁は律を見た。
 津江と話しながら民宿の中に入って行く律の表情にこれと言った変化は見られない。
 「ま、応えてるとは思うけどな。あいつの霊感は半端じゃねぇから。」
 「それで・・どーして冬弥ちゃんは先に行かないのかな〜?」
 「ばっか、お前が逃げ出さないか見張ってだな・・・」
 「冬弥ちゃんだって中に入ってくの、勇気がいるくせに〜!」
 「うっせぇ!大体からしてなぁ、こんな渦巻いた念の中に入っていけるのは、神経の図太い奏都とか、魅琴とか、もなとか・・」
 「誰が神経図太いですって?冬弥さん・・・?」
 ひゅる〜っと、背筋を冷たいものが落ちる。
 恐る恐る振り向いたそこ、絶対零度の笑顔で微笑む奏都の姿・・。
 「うわっ!奏都、いつからそこに!?」
 「先ほどからいましたよ〜。はいはい、暁さんも冬弥さんも、入った入った!そんなにグズグズしてたら不審がられちゃいますよ〜。」
 そう言って、2人を中に突き飛ばす奏都。
 むわっとした念が暁の身体に纏わりつき、絡みつく。
 「こう言うのは慣れですから・・。律さんも最初の方は随分苦労したみたいですよ、あちら側の雰囲気は強いですから・・。」
 襲ってくる黒い念は、暁の腕に、足に・・絡まる。
 眉根をひそめた暁の頭を、奏都が優しく撫ぜ、そっと背に触れた時・・何故だか気分が楽になった気がした。
 「さぁ、参りましょう。」
 暁はコクリと頷くと、奏都の後ろを着いて歩いた。
 ・・・すっかり冬弥の事は忘れて・・。
 入り口で動けなくなった冬弥は、律に発見されるまで、この悶々とした空間で冷や汗をたらしていた・・。


 「なんか、しばらくすると結構楽になるもんなんだね〜。」
 「慣れるんだよ。俺も何度倒れそうになった事か・・。」
 「でもさ、律はもう平気なんでしょ?」
 「うん。暁君も慣れればもっと平気になるよ。・・ねぇ・・暁君ってさ、綺麗な金髪だよね・・。」
 「あ〜染めた時、愛称が良かったのかも。律だって綺麗な淡い金髪じゃん。」
 「俺のは・・その・・。地毛・・だから・・。」
 「え〜?地毛なんだ?ハーフ?」
 「ううん。両親とも、日本人・・・?」
 「って、俺にきかれても。」
 「ねぇ・・暁君はさ・・目の前で・・大切な人が・・いなくなったら・・。どうする・・?」
 「・・さぁね。俺、目の前で大切な人を亡くした事なんてないし。」
 しらっと答える暁に、律が抱きついた。
 ギュっと、暁の腰に腕を回し、胸に顔をうずめる。
 そう聞くと危ない光景のように思えるが、実際は弟がじゃれて兄に抱きついたといった感じだった。
 「律・・?どうした・・?」
 「ん・・。あのね、俺・・・。・・・うん、なんでもない。」
 暁はそれに対して何かを言おうとしたが、結局口をつぐんだ。
 淡い金髪の柔らかな髪をそっと撫ぜる。
 「ここに、犯人がいるのは確かなんだけど・・。結局Borderを見つけないと・・。」
 「そうだな。」
 「うん、明日は・・歩くね・・。その・・・山の中・・を・・。」
 途切れ途切れに一生懸命言葉を紡ぐ律を、暁は正直に可愛いと思った。
 同い年なのに、それを感じさせない華奢な体つきも、儚い雰囲気も、全てをひっくるめて可愛いと純粋に思った。
 その素直で真っ直ぐな性格も・・。
 けれど、心の奥底でどす黒く蠢くものがあるのもまた真実だった。
 そしてそれが何であるか、暁自身も知っていた・・。
 一番自分が良く分かっている気持ちに、暁は目をそむけた。


 (暁と律の2ショットを部屋の隅で見ていた皆さん達はその時)

 「おい、律が暁に抱きついたぞ!?」
 「あぁ。きっと律さんは甘えているんでしょう。律さんは愛情不足の中で育ってきましたからねぇ〜。」
 「奏都、そんなにのほほんと言う事か・・?」
 「キャー!同い年で危ない光景☆になるはずなのに・・何でか暁ちゃんとりっちゃんだと、兄弟にしか見えないね・・。」
 「もな!カメラ何処やった?!ほら、この間冬弥が改造した、あのシャッター音の響かないカメラ!」
 「持ってる持ってる!撮る!?撮る!?」
 「おい、待て!俺はそんな事のために改造をしたんじゃ・・。」
 「犯人にばれないように写真撮るためとか言って、そんなのめったにないし〜!ここで使っとかなきゃ損だよ〜!」
 「コレは損得の問題じゃねぇ!」
   カシャ
 「ヤメロっ!」
 「ちょっと〜!良い場面なんだから邪魔しないでっ!」
 「あぁ、なんか良いよな〜。綺麗なのと可愛いのとのツーショット!」
 「綺麗に冊子にしたら売れますかねぇ。」
 「売れる売れる!馬鹿売れだよ!」
 「・・奏都、こいつらに変な知識を植え付けるのはやめろ・・。」
   カシャ カシャ カシャ カシャ カシャ
 「まぁ、ばれなきゃ良いって事で。」
 「立派な犯罪だ!!」
 「犯罪の片棒を担いじゃったね☆冬弥ちゃん〜!」
 「担いでねぇっ!てか、やめろお前らは!パパラッチか!?」 
 「だぁってよぅ、お前は思わないか?あんな綺麗なのと、可愛いのとがワンセットでいるんだぜ〜?なんて言うか、今夜にでも・・」
 「魅琴、それ以上言ったらマジでお前の事葬るから。」
 「・・あはっ☆冬弥ちゃん、目が据わっちゃってるね〜!」
 「さて、装飾の方はすでに業者に頼みましたので、後は写真を冊子にまとめるだけですね。」
 「ってぇ奏都!なに勝手に本を出版する気でいるんだよ!?おかしいじゃねぇか!アイツラの人権はどこだ!?」
 「大丈夫だって!律ちゃんは奏都ちゃんの言う事には基本的に逆らえないし、暁ちゃんは魅琴ちゃんのお嫁さんになれば問題ないよ〜!」
 「ちょっと待ちやがれ。律のはなんだか脅迫めいているし、暁にいたっては本人の意見無視か!?」
 「まったく、冬弥ちゃんは頭が固いんだから〜。」
 プゥっと頬を膨らませながら言うもなに、冬弥は体中の酸素を外へと吐き出した。
 長い長いため息だった・・・。


□捜索

 次の日、一行は山へと登って行った。
 昨夜律が民宿の人々と会って、その中から犯人と思しき人物をはじき出していた。
 「ここに勤めている、案内係の関原 美穂(せきばら みほ)さん、25歳に間違いないかと。」
 揺ぎ無い力でそう肯定した律に、一同は頷いた。
 そして今日、Borderを見つけるために一行は山へと入って行った。
 「なんか、暗い山だね〜。」
 「あっちの世界が近くにあるからじゃねぇか?ほら、すっげぇ気配がすんじゃん。」
 魅琴がオーバーリアクションで両手を広げた。
 サワサワと聞こえてくる梢の音が、やけに大きく響く。
 「それにしても・・世間ではこの事件、吸血鬼の仕業って噂されてるらしいな。」
 冬弥の小さな呟きに、暁はすっと目を細めた。
 「吸血鬼の仕業・・ねぇ。」
 「だけどこれは人から脱した者の仕業だって律が言ってたしな。・・まぁ、間違いないだろうな。」
 暁が頷こうとした時、背後で何か重たいものが倒れる音がした。
 「りっちゃん!?」
 「どうした・・?」
 「りっちゃんが急に倒れちゃって・・・。」
 振り向いてみると、そこには青い顔をして苦しそうに目を瞑る律の姿があった。
 「これは・・貧血ですね・・。」
 「あぁ、やっぱりな。昨日、血を飲ませ忘れたから・・。」
 「もう!冬弥ちゃんのお間抜けさん!」
 袖をめくり、腕を出した冬弥と暁の目が合う。
 「律、貧血なの・・?」
 「あぁ。コイツは吸血鬼と鬼のハーフなんだけどな、その相性があまり良くないらしくて・・体力もないし、すぐ貧血になったりするんだ。」
 「だからね、毎日のように血を飲まなくちゃいけないんだよ、りっちゃんは。でもね、りっちゃんは自分の事が嫌いだから、すっごく、大嫌いだから・・血を飲むのを拒絶するんだ。」
 血を飲まないと、生きて行けない律。
 けれどそれを拒否する律。
 自分の事が嫌いだから、大嫌いだから・・・。
 「俺の・・血を、飲ませるよ。」
 「暁ちゃん?」
 冬弥を後に押しやると、暁は袖をまくった。
 「使うんでしたらどうぞ。」
 奏都が笑顔で折りたたみ式ナイフを手渡す。・・何故持っているのかはあまり深く突っ込まない事にして、暁は腕にナイフを当てるとピっと引いた。
 熱い痛みが腕を一直線に走る。
 「いたいっ・・。」
 もなが小さく悲鳴をあげ、目を瞑る。
 暁は律の上半身を起こすと、その口に腕をつけた。
 すーっと血は流れ、律の口元に落ちる。
 それを無意識のうちにコクリコクリと飲む律・・。
 徐々に顔色が良くなり、ふっと瞳を開いた。
 「あ、大丈夫〜?もう、心配したよ〜!」
 ヘラリと笑い、律の上半身を完全に起こすと、暁は腕についた血を拭った。しかし、それでも後から後から血はにじみ出てくる。
 「あ・・俺、貧血・・・?」
 「そう、急に倒れちゃってさ〜、もうなんて言うの?驚き?一応俺の血飲ませてから大丈夫だとは思うけど〜。あ、心配しないでね、俺、血の気は多い・・」
 「俺・・俺っ・・ごめんなさいっ!・・ごめんなさいごめんなさいっ、ごめんなさい・・ごめ・・ごめんなさいっ!!」
 「・・え?いや、良いって別に。血くらい・・。」
 「ごめんなさ・・い・・ごめんなさい・・」
 今にも泣きそうになりながら謝り続ける律に、暁は今まで押さえていた感情があふれ出すのが分かった。
 同じ年、同じような境遇、同じような・・・。
 けれど律は真っ白だった。
 1点の穢れもない、純白だった。
 「ごめんなさい・・ごめんな・・」
 「こんな事で謝るなっ!!!」
 気がついた時には、感情が理性の防波堤を破ってあふれ出していた。
 怒鳴ったのなんて・・本当に久しぶりだった。それも感情むき出しの・・。
 驚いたように固まる律の頬に、一筋の涙が零れ落ちる。
 その輝きは繊細で、可憐で・・真っ白で・・。
 「生きる為には、仕方がない事だろう・・?そんな事言われたら・・俺はどうすれば・・。」
 暁はギュっと唇を噛むと、その場から走り出した。
 一番最初に会った時から、律が綺麗なのは知っていた。
 もしも律が光りだったとしたならば・・自分は闇だった。
 暁は自分でも知らず知らずのうちに律と比較をしていた。全てにおいて自分と正反対の律に、コンプレックスを抱いていた。
 何もかも純粋で無垢な律。
 微かに聞こえる水音に、暁は走った。
 そこは小さな川だった。けれどそれなりに大きな川に、湖や泉を思い出させる。
 がむしゃらにその中に入っていった。服が濡れるのも省みず、切った場所がジンと痛むのも気にしなかった。
 気を落ち着けるために、暁は水を被った。
 両手に水を汲み、何度も何度も頭にかける。
 ・・自分が汚い事なんて、始めから知っていた。
 「そんなの・・・知ってた・・。始めから、綺麗じゃない事なんて・・・。」
 暁の目頭が熱くなる・・しかし、それはほんの刹那の事だった。
 涙はもうとっくの昔に捨てていた。だから、涙なんてもう流れはしない。
 「だけど・・これが、涙の変わりなのかもな。」
 自嘲的な微笑みで、頬を伝う水を拭う。
 暁は大きく深呼吸をした。
 こんな事くらい、今までなら平気だったのに・・どうしてだか、最近はそう言う事に感情的になりすぎる。
 ソレではいけないと理解しているのだが、どうしても感情と言う厄介なものが纏わりついて、暁の邪魔をする。
 「始めから、自分が汚い事なんて知ってただろ?今更綺麗になれるとでも思ってるのかよ。」
 自虐的な言葉。
 いくら傷つけたって構わなかった。むしろ、自分の事は自分で傷つけなければならなかった。
 それは強さでもなんでもなかったのかもしれない。
 けれど、どうしても・・自身を傷つけずにはいられなかった。
 「・・暁さ〜ん、こんなに肌寒いのに水遊びですかぁ〜?」
 のんきな台詞が暁の背後からふりかかる。
 「・・冬弥・・?」
 冬弥が片手を上げ、ずんずんとこちらに近づいてくる。
 「馬鹿・・服が濡れるっ・・。」
 「良いんだよ、暁が濡れてんだから。」
 グイっと、暁の頬を伝う水を右手で拭うと、冬弥は瞳を合わせた。
 「律のせいで気を悪くしたんなら、謝る。」
 「別に・・律は悪くないよ。ただ俺が・・・。」
 汚いから。そう、続くはずの言葉は飲み込まれた。
 「今ではそうでもないけど、俺は昔・・律が嫌いだった。アイツ見てると、自分がどれだけ汚いのか思い知らされるからな。」
 まるで暁の心を読んでいるかのような言葉に、思わずはっとした表情になる。
 「俺はずっと嫌いだと思い込んでた。でもな・・実は違ったんだよ。」
 「なんだったの?」
 「それは自分で探してみろ。」
 冬弥が柔らかく微笑み、暁を胸に抱く。
 「言っとくけど、これはセクハラでもなんでもないからな。」
 「・・わかってるよ・・。」
 しばらく、この厄介な感情が心の底に落ち着くまで、暁は冬弥に身を任せた。
 そして・・気分が落ち着いた時、ドンと冬弥を突き飛ばした。
 派手な水しぶきを上げ、冬弥が尻餅をつく。
 「油断大敵・・でしょ?」
 「あぁぁぁ〜〜〜きぃぃぃ〜〜〜!?」
 「ほらほら冬弥ちゃん!水鉄砲!」
 「て・・てめぇ〜!?やったなぁ!?」
 「ちょ・・ちょっとタンマ!冬弥ちゃん、それはヤバイって!」
 「問答無用!」
 「うぅわ・・びしょびしょじゃん〜!仕返しっ!」
 「この、やったな〜!?」
 「勝負しよっか、冬弥ちゃん!」
 「いらん!どうせまた変なものかけんだろ〜!?」
 「変なものって何だよ〜!賞品は俺!俺をかけた・・」
 「すきあり!」
 「ちょっと冬弥ちゃん、反則だよっ!俺が一生懸命話してる時に〜!」
 暁と冬弥は時も忘れて水遊びにふけった。
 水をかけてはかけられて、びしょびしょになりながらも、暁の心は理性を取り戻していた・・。


 遊びつかれて、岸まで戻った時、そこにはニコニコと笑顔をたたえながら一同が待っていた。
 「ったーくよぉ〜!てめぇらいくつだよ!暁が走ってって、冬弥がその後おってっちまってさぁ、俺ともなは必死で探したぜぇ〜?」
 「やっと見つけたと思ったら水遊びしてんだもん!も〜、あたし頭にきちゃって、ロケットランチャー・・」
 「やめろ、洒落にならん。」
 暁は思わずほっと胸をなでおろした。
 もなも場合、本当にやりかねない・・・。
 「あの・・これ・・。」
 律がおずおずとした手つきで、真っ白なタオルを暁に差し出す。
 「あ、さんきゅ。」
 「さっきは・・ごめんなさい・・その・・・俺・・・っ・・。」
 「良いって。」
 暁はひらひらと手を振った。
 律に謝られるのは好きではなかった。どうしてか、胸が痛む。
 「無事だったんだし、良いよ。」
 もっと優しい言葉を言おうとしても、どうしてか冷たい言い方になってしまう。
 歯がゆい気持ちが胸いっぱいに広がろうとした時、律が暁の濡れた腰に抱きついた。
 「わ、律・・!?濡れるだろ・・!?」
 「・・っ・・ありがとうっ・・・。」
 「え・・?」
 「助けてくれて・・ありがとう。」
 暁の瞳を真っ直ぐに見て微笑む律に、先ほどの冬弥との会話が蘇る。
 嫌いでも、苦手でもなく・・この感情は・・・。
 「どう・・いたしまして・・。」
 “憧れ”だった・・・。
 カァっと熱くなる頬に、暁は驚いた。
 自分と違うから嫌うのではない。自分と違うから憧れるのだ・・。
 「暁君、ありがとう。大好き。」
 この、純粋で無垢で儚い少年に・・暁は確かに憧れていた・・・。
 「暁さん、着替えもありますからあちらで着替えてはどうです?」
 「あ・・奏都さん、ありがとう。」
 暁は律の頭をくしゃりと撫ぜると、濡れた服を脱ぎ捨てた。
 

■Border

 鬱蒼と生い茂る木々は空を狭め、足場はそれほど良いとは言えなかったが、悪いと言うほどでもなかった。
 暁は瞳を閉じた。
 確かに強まりつつあるあちら側の気配に、思わず気が引き締まる。
 「こちら側から感じますね。」
 奏都が正面の方を指差す。
 確かに・・そちらからはあちら側の気配が濃く漂ってきている。
 あちら側の気配の強い方へと、どんどんと進み・・・急に視界が開けた。
 視界が開けたと言っても、別に木々がなくなったわけではない。
 空気が強い方向性を持って、ばらばらの方角から一つの方向へと向かっているのだ。
 混じりあった方向性ではなく・・強く、揺ぎ無い力だった。
 「ここが・・・Borderだよ。」
 律が目の前の空間を指差す。
 そして・・何かの線に沿って、すーっと宙を滑らせる。
 あの、夢幻館で行った時と同じ、世界の狭間の空間。それは確かに巨大な力を持ってそこに存在していた。
 「もなと魅琴、それから奏都はここに残っててくれ。俺と暁と律で調べてくる。」
 「わかった。なにかあったら直ぐに駆けつけるから!」
 最初に律がそこを通り、次に冬弥が通る。
 そして最後に・・暁が通った。
 一瞬だけ感じる、言葉に言い表せないくらいの不安感。
 体がバラバラになってしまいそうなほど、無の空間・・・それはほんの刹那の出来事だった。
 Borderと言う、境界の空間を抜ける間の出来事だった。
 そして抜けたそこ・・体中に纏わりつく、あちら側の世界。
 「大丈夫だったか?」
 「うん。」
 「それじゃぁ行こう。」
 3人は、真っ直ぐに濃い気配の方へと進んだ。


■人から脱した者
 
 暗く暗鬱な雰囲気、身体に纏わりつく重い影。
 ねっとりとした濃厚な気配が、1歩1歩と踏みしめる度に暁に襲い掛かる。
 胸が苦しいような、息をするのが困難な状態だ。
 「・・っはぁ・・っはぁ・・。」
 それは隣を歩く律も同じらしく、額からは汗が一筋滑り落ちる。
 この涼しい・・いや、寒い気温の中で垂れる汗は、発汗作用に従ってのものとは違っていた。
 「・・ヤバイかもな・・。」
 冬弥のそんなささやきを、風が撒き散らす。
 禍々しい空気は、一定の規則性を持ってある方向へと引っ張られていた。
 ・・ザっと、木々が分かれた。
 そこは空が四角く切り取られた場所だった。
 そこに、人から脱した者は座っていた。
 長い髪を風になびかせ、ただ、空を見上げて。
 「・・見つた・・。」
 苦しそうな律の声が辺りに響く。
 黒い瞳がこちらを見、そして・・満面の笑みで3人に言葉を投げかけた。
 「いらっしゃいませ。お客様方。」
 「関原 美穂さん。」
 律の呼びかけに、美穂はただ微笑んで頷いた。
 「はい。」
 サァっと風が吹く。それは、先ほどまでとは方向を別としていた。
 3人の背から吹く追い風ではなく、2人に吹く向かい風。
 強烈な血の匂いが全身にこびりつく。
 しかし、地面に血の跡はない。
 「どうして私だと分かったんです?不思議な世界を支配しているお兄さんに、人にあらざる者の少年に、吸血鬼と鬼のハーフの怪奇探偵さん。」
 美穂が不敵な微笑を口元にたたえながらそう言った時、冬弥が軽く舌打ちをしたのが聞こえた。
 「あっ・・い・・やぁっ・・・。」
 「律・・!?」
 暁の隣にいた律が、崩れ落ちる。
 全身を震わせ、どこか1点を見つめている・・・。
 顔は蒼白になり、小さく悲鳴を上げながら何かを呟いている。
 「・・けて・・やめて、来ないでっ・・ごめんなさいっ・・。ごめんなさいっ!ごめんなさい・・ごめんなさい・・・」
 繰り返される謝罪の言葉は、誰に述べられているのかは分からなかった。
 心拍数が以上に増加し、呼吸も荒く小さくなる。
 何かのショック状態に陥っている律に、暁は冬弥を見つめた・・・。
 「これはなに!?」
 「戒めだ。律の・・血による・・。」
 「どうすれば治るの!?」
 「落ち着かせろ!そうすれば治る。」
 そうは言われても、落ち着かせる方法なんて暁には分からなかった。
 確実に早くなっていく呼吸と、次第に大きくなる震え。
 「ごめんなさい・・助けて・・お願い・・お願い・・しますっ・・ごめんなさい・・・いや・・来ないで・・いやっ・・。」
 暁が今の律にしてあげられる事は・・ただ一つだった。
 ギュっと震える身体を抱きしめる事・・。
 「大丈夫、すぐ治まるから。大丈夫・・大丈夫だから・・。」
 「いやぁっ・・。」
 律がほんの僅かな抵抗を見せるが、それは抵抗と言うにはあまりにも小さな力だった。
 いやいやをするように頭を振る。
 「やだぁっ・・。いやっ・・。」
 律がぎゅっと暁の腕にしがみ付く。
 震える腕が、しっかりと、服を掴む・・・。
 暁は更にしっかりと律を腕に抱いた。ギュっと、強く・・折れてしまいそうなほどか細い律の身体を抱きしめる。
 段々と震えが治まり、そして・・くてんと、律が体から力を抜いた。
 「律・・??」
 「疲れたんだろ・・?しばらくすれば目を覚ます。それにしても、落ち着かせろとは言ったが、誰も抱きつけとは・・」
 「あれ?もしかしてヤキモチ?」
 「ばっか・・俺はだなぁ、もっとこう・・なんて言うか・・」
 「ふ〜ん、ヤキモチなのかなぁ〜冬弥ちゃん♪」
 「からかうなっつーか、場を選べ!場をっ!!」
 そうこうしている内に、背後から走ってきた美穂が物凄い力で暁から律を奪った。
 それはとても女性が出せる力ではなかった。
 いくら華奢で軽そうな律でも、女性が小脇に抱えられるはずがない・・・。
 「貴方達は、分からないでしょうね。死んで行く悲しみなんて。」
 「なっ・・・。」
 「なにが?」
 「私ね、不治の病に侵されているの。後半年の命って医者に言われたわ。けど・・私はまだ25よ!?やりたい事の半分もやっていない!夢だって、まだ叶えてない!」
 「だから・・人を殺したってわけ?」
 「・・血には延命の効果があるって、聞いたのよ。あのエリザベートも、死の間際まで美しかったと書いてあったわ!多少の犠牲は必要だったのよ!」
 暁は微笑んだ。
 一切の感情を排除して、ただ口元に微笑を浮かべた。
 「私には時間がないのよっ・・。」
 「時間がない?何言ってんだか。被害者達の時間を奪ったのはアンタだろ?」
 自己のために犠牲を省みない彼女。それは・・あまりに身勝手な我侭だった。
 「それがどうかしたの・・!?貴方達が丁度立っているその真下に、ヴラドが眠っているのよ。その真上に来た人々は、さながらトルコ兵ね。」
 つまり、この下に何かしらの物が埋まっているのだ。
 おそらくは・・巨大な杭かなにかが・・・。
 「私がこのボタンを押せば、そこが開く仕組みなの。なかなかハイテクでしょう?ここに来た人達は皆その中に落ちて、私のために命を捧げてくれたわ。」
 捧げたのではない。奪われたのだ。彼女によって・・・。
 「俺達も落とすのか?」
 「えぇ。貴方達は若いもの。でもね・・。」
 美穂は小脇に抱えた律を見やった。
 ぐったりとその白い喉をのけぞらせる律は、死の影を含んでいるようにさえ見えた。
 「こっちの怪奇探偵君を、先に・・。・・ふふ。」
 「やめろっ!!」
 妖しく微笑んだ美穂の、手元で何かが光った。
 銀色にぬめりと輝く・・小さなナイフだった。
 小さいとは言っても、それで胸を一突きすれば心臓まで届くくらいの長さはある。
 「儚くて、今にも消えてしまいそうな男の子。折角こんなに綺麗なんだから、今すぐに、終わらせてあげるわ。混血は、肌のためにも良いし。」
 振り上げるナイフ。暁はその場に落ちていた石を美穂に向かって投げつけた。
 「きゃっ!?」
 短い悲鳴の後で、落ちるナイフは微かに律の腕を傷つけた。
 けれどそれはほんの一筋赤い線が入っただけで、命に関わるようなものではなかった。
 冬弥が地面を蹴り、美穂の腕から律を取り戻す。
 「暁っ!」
 冬弥が律を暁の方に突き飛ばし、自分は美穂を捕まえようとする。
 その時、カチリと足元で音がなった気がした。それは本当に小さな音だったのだが・・。
 美穂が妖艶な、勝ち誇った微笑を浮かべ、冬弥が驚いたように瞳を丸くする。
 地面が装置によって開いたのだ・・・!
 咄嗟に身をひねろうとしても、腕には律がいる。どうする事もできないまま、その穴へと落ちて行こうとした時・・誰かが暁の腕を掴んだ。
 そして凄まじい力で暁と律、2人の体重を引き上げる・・・。
 「これはこれは・・なんだかおかしい雰囲気がすると思ってきてみて正解でしたね。」
 「奏都さん・・?」
 「あぁ、怪我はありませんでしたか?・・っと・・やはり律君は気絶してしまったのですね。さぁ、直ぐに後から警察が来ます。諦めてください、美穂さん。」
 「警察・・!?そんな所に入ってしまったら、私は・・」
 「けれど、被害者達の生涯を無理やり閉じたのは貴方です。それ相応の償いを・・・。」
 奏都そう言うと、暁から律をひきとった。
 「さて、それでは俺達は引き上げるとしましょうか。ここには特殊な結界を張りましたから、彼女はここから出られません。後は警察に任せましょう。」
 「・・そう・・。」
 暁は小さく頷いた。
 地面の下から香る、血の匂い。
 それは全身にべったりと纏わりつき、絡みつく。
 息苦しいほどの重さを持って・・・。
 “痛いよ、悲しいよ、怖いよ、寒いよ、寂しいよ・・・”
 聞こえてくる死者達の念は、確かな力を持って暁の腕に、足に、背に、纏わりつく。
 「冬弥ちゃん、行こう。後は警察に任せた方が良いかも。」
 「そうだな。」
 そっと、心の中で彼らに祈りを捧げた後で、暁はBorderを通り、こちら側の世界へと帰ってきた。


 「あぁ、そうです。美穂さん。貴方は一応大本は人なので分からないかも知れませんが、ここは被害者達の念で満たされているんですよ。可哀想ですから、俺の力を少しわけてあげましょう。なに、ほんの少しです。小指の爪ほどにも満たないくらいですよ。・・ほら、段々と聞こえるでしょう?見えるでしょう?被害者達の姿が、声が・・。」
 律を抱きかかえたまま、奏都は冷酷に微笑むと、美穂に頭を下げた。
 美穂の表情がどんどん青くなり、ついには真っ白になる。
 カタカタと震える肩、何かを言っている唇。そして、1点を見つめたまま、力なく頭を振る。
 「いや、来ないで・・。お願い、許して・・。」
 「許して・・とは、随分な物言いですね。彼らだってそう願った。けれど、それを許さなかったのは貴方でしょう?さぁ、楽しんでください。警察が来るほんのひと時の間だけでも、彼らとの対話を・・ね。」
 そう言い残すと、奏都は暁と冬弥の後を追った。


 奏都と律がBorderから出てきて直ぐに、あちら側の世界から悲鳴が上がった。
 それは確かに美穂の声だった。
 「え・・?なにかあったのかな・・?」
 「そうですねぇ・・。あの場所に残った、死者達の念にでもあてられたんでしょう?ほら、警察が来ましたよ。」
 赤いライトが小さな村を照らす。
 チカチカと回るライトは木々に反射し、まるで巨大な手が手招きしているようにさえ見える。
 こちらにおいでと・・・。



□終幕の時

 後日、新聞には一面にあの事件の事が取り上げられた。
 関原 美穂は逮捕され、判決が下る前にこの世を後にした。
 「彼女はあちら側の世界の住人になったよ。」
 「え・・・?」
 夢幻館に呼ばれた暁は、出された紅茶の香りを楽しんでいた。
 高級感漂う香りが暁の鼻をくすぐる。
 「どこかに彼女の異界が発生したんだ。それは俺にもわからないけど・・。」
 律はそう言ったきり、押し黙ってしまった。
 そして、暁もその件については詮索をしない事に決めた。
 もしも彼女が異界で力をつけ、こちら側に侵食してこようとしたら、分かるから・・。
 「それでは今回の報酬なんだけど、これくらいでどう?・・あまり多いとは言えないんだけど・・。」
 渡された小切手に並ぶ、ゼロゼロゼロ・・・3・・。
 普段の報酬の3倍近い値段に、思わず驚く。
 「今回は、有難う・・。色々と、迷惑をかけちゃったけど・・。」
 「そんな事・・。」
 「もしまた機会があったら、また一緒にやろう?」
 暁は穏やかに微笑むと、カップを置いた。
 「・・暁君は、彼女があちら側の世界に引き込まれた要因は何だと思う?」
 「自分の命の期限を知って・・じゃないのか?」
 「それも、一つだけど・・彼女を引き込んだのはヴァンパイヤだよ。」
 「え?」
 「可笑しいと思っていたんだ。幾ら腹部を貫こうとも、被害者達の血液がこれほどまでなくなるはずがないから・・。暁君は覚えてる?被害者達の首筋についていた2つの穴・・・。」
 「あ〜・・・うん。」
 「吸血鬼だよ。確かにあの村に存在し、遺体を発見された場所へと移した・・・。ヴァンパイヤだよ。」
 律が机の上から数枚の紙を暁へと渡した。
 なにか良く分からない記号のようなものが並び、最後に赤い文字で“合致”と言う判が押されている。
 「これは?」
 「被害者達の首筋から、微量な唾液が検出されたんだ。被害者達の血と混じり合った・・・。その唾液は、確かに吸血鬼の規則性を含んでいたんだ。」
 「吸血鬼の規則性・・?」
 「物事の根本的なところだよ。俺も詳しくは知らないけど・・・。DNAのようなものだって、俺は思ってる。」
 「それで?」
 「関原さんは、遺体を移動した覚えはないと証言していたんだ。そして警察の方も、女性一人で遺体を動かすのは無理だって言ってるす。だから、共犯者がいるのではって・・・。」
 律がそっと窓を開けた。
 まだ少しだけ冷たい空気が、部屋の中に一つの方向性を持って入ってくる。
 「発見現場の周囲には、誰も近づいた後がなかったんだ。それで、これは非公式なんだけど・・関原さんは共犯者についてこう証言しているんだ。」

 『ドラキュラよりも現実に近い、ドラクルだって・・・。』

 ドラクル・・それは、あのヴラドの父で悪魔公と呼ばれていた人物・・。
 「確かに、彼女は間違った証言はしてないよ。ドラクルと言う愛称で呼ばれるヴァンパイヤを、俺は知ってるから・・。」
 「って事は、今回の事件は・・その吸血鬼と美穂さんが起こした事になるの?」
 「うん。・・もしかしたら、ドラクルが関原さんを魅了したのかも。あちら側の世界へ・・。」
 「心は脆いからね・・。」
 その割れ目から入り込む甘い誘惑は、じんとした痛みと温かさを持って沁みこんで行く。
 決してその力に購えなくなるまで・・・。
 「遺体の発見現場に足跡がなかったのも、納得が行く。彼は空ですらも、自由に歩けるから・・・。」
 高く晴れ渡る空に、鳥達が舞い遊ぶ。
 自由に、何の障害もなく・・・。
 「自由・・か・・・。」
 ふっと零れたその言葉に、暁は苦笑した。
 あまりにも感傷的になりすぎた口調だったから・・・。


      〈END〉

 
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 ■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  4782/桐生 暁/男性/17歳/高校生アルバイター、トランスのギター担当


  NPC/京谷 律/男性/17歳/神聖都学園の学生&怪奇探偵
  NPC/沖坂 奏都/男性/23歳/夢幻館の支配人
  NPC/梶原 冬弥/男性/19歳/夢の世界の案内人兼ボディーガード
NPC/片桐 もな/女性/16歳/現実世界の案内人兼ガンナー
NPC/神崎 魅琴/男性/19歳/夢幻館の雇われボディーガード

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 ■         ライター通信          ■
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  この度は『【---Border---】〜ファイル1、甘美な紅〜』にご参加いただきまして有難う御座いました。
  作中、犯人が「エリザベートも、死の間際まで美しかった」と言っていますが・・実際には違います。
  1611年、貴族裁判でエリザベートは終身禁錮刑になりました。本来なら死刑のはずでしょうが、エリザベートは王室と血縁関係のある貴族でしたので・・。
  エリザベートはチェイテ城の一室に幽閉され、1614年8月21日に享年54歳で死去しました。
  その身体は痩せ細り、かつての美貌(エリザベートは若い頃は美女でした)は見る影もなくなっていたと言います。
  もう1人、ヴラド ツェペシュは、1476年にブカレスト近郊でオスマン・トルコと戦って戦死したと言います。
  甘美な紅を執筆するにあたって、エリザベートとヴラドをかなり調べたのですが・・。
  色々と恐ろしいことが書いてありました・・・。その恐ろしさのほんの一欠けらでも作中に盛り込めていればと思います。

   それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。