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<ホワイトデー・恋人達の物語2005>


雪の里




 『雪が・・』
 窓の外を濡らす、淡い粉雪。
 そっと心だけを窓の外にめぐらせる。
 瞳は動かないから、身体は動かないから・・・。
 『もう3月なのに、どうして?』
 動かない唇で、そっと紡ぐは無音の言葉。
 『お願い、やんで。お願い・・。雪は冷たいから・・。』
 届かぬ祈りは溶け行く淡雪。
 地面に到達する前に、溶け行く粉雪。


 *  *  *  *  *  *


 『助けて』
 そんな声を聞いた気がして思わず歩を止めた。
 「金蝉・・聞こえたか・・?」
 蒼王 翼は、隣を歩く桜塚 金蝉に目をやった。
 「あぁ。聞こえた。」
 金蝉が面倒くさそうな顔をしながらも、頷いた。
 周りを見渡してみるものの、急ぐ人々の中で助けを求めている人はいない。
 『助けて』
 本当に、消え入りそうなほどに弱弱しい声だった。
 その声は、弱弱しいけれどもはっきりとした音を持って耳に響いてくる。
 「子供の声だ・・女の子・・・?」
 「だな。」
 耳を澄まし、余計な雑音を意識の外へと弾く。
 『助けて』
 それはビルとビルとの間に挟まれるようにしてチョコリと立っている小さな家からだった。
 看板には“メロウの家”と書かれている・・・。
 「ここからだ・・・。」
 少しの躊躇の後、そっとノブに手をかけた。
 軽快な鈴の音を鳴らしながら、ゆっくりと扉を開ける。
 そこは小さなアンティークショップだった。
 ビスクドール、オルゴール、柱時計・・。
 ほっと一息ついてしまいたくなるほどに、落ち着いたアンティーク達。
 「おや、何かをお探しかね?」
 奥から出てきた男性は、白髪で腰の曲がった70代後半くらいの紳士だった。
 人のよさそうな微笑みと、ピシっとした身なりが清潔感を漂わせている。
 「あの・・ここから小さな女の子の・・」
 「女の子?あぁ、その子だよ。」
 すっと指差された先、自分の足元・・そこには小さな女の子がちょこりと立っていた。
 アンティーク調のドレスを身に纏い、ふわふわの猫っ毛を頭の高い位置で2つに結んだ・・。
 「なっ・・・。」
 すっと血の気が引いた。
 いくら少女の身長が小さく、死角の位置にいたとしても、ここまで近づかれて分からない事はありえない。
 最初からいたのではない。本当に、突然地面から出てきたような・・・。
 「お願いが、あるの。・・私ね、行きたい所があるの。でも・・1人じゃ行けないから・・。」
 ぎゅっと小さな手で翼の服の裾を握る。
 「“Snowy Village”に行きたいの。・・どうしてもね、会わなきゃいけない人がいるの。」
 ・・・Snowy Village?直訳すると雪の里だが・・・。
 「明日はホワイトデーでしょう?どうしても、会いたい人がいるの。お願い。私も、貴方に協力するから。」
 「でも、Snowy Villageなんて、知らないよ?」
 翼はしゃがみ込み、少女と視線を同じくした。
 「・・・私が知ってる。・・でも、1人では行けないから・・・。」
 「でも・・・」
 「私からもお願いできますか?その子は、大切な人と約束をしているんですよ。けれど、1人では出歩けない。・・・去年は私が一緒に行ったのですが・・・。」
 とんとんと、杖で自分の足をつつく。
 そして苦笑いをすると、穏やかな微笑を浮かべた。
 「貴方にもホワイトデーの約束がおありかも知れませんが・・ほんの少しだけ、この子に付き合ってやってくれませんか?」
 「一生懸命貴方のお手伝いするから!お願い・・っ!」
 あまりに必死な頼みに、翼はチラリと金蝉の方を見た。
 ため息混じりに、勝手にしろと小さく言う金蝉。
 「僕でよければ、協力するよ。」
 翼は少女の頭を柔らかく撫ぜた。
 「ありがとう。私・・貴方のために一生懸命お手伝いするからっ!」
 少女が嬉しそうに腰に抱きつき、ぎゅっと締め上げる。

 『素敵なホワイトデーを。』

 老紳士が呟いたその一言は、様々な感情が交じり合って出来ているような声だった。


 * * * * * * * * * *


 「それで、私は何をすれば良いの?」
 メロウの家から出て直ぐに少女が翼の裾を引いた。
 クルリとした大きな瞳が、翼の瞳を真っ直ぐに捕らえる。
 「そうだな・・最初に、名前を教えてくれないか?」
 「私はね、ルナって言うの。本当はね、月って書いてルナって読むんだけど、誰もルナって呼んでくれないからね、私、カタカナで自己紹介してるの。だからね、ルナって呼んでね。お姉ちゃんは、何てお名前?」
 「僕は蒼王 翼。翼で良いよ。」
 「そっかぁ、翼ちゃんだね。・・・翼ちゃんって呼んだらダメ・・?」
 「ダメなんて事ないよ、そう呼んで。」
 「うん、分かったぁ。」
 ルナはそう言って嬉しそうに翼の手をギュっと握った。
 元より翼は子供が嫌いではなかった。それも、こんな小さな女の子を・・嫌えるはずがない、むしろこの素直で純粋な少女が好きだった。
 愛らしくて、フワフワのルナ。
 なんだか小さな妹が出来たみたいで、翼は正直嬉しかった。
 「お兄ちゃんは、何てお名前なの?」
 ルナが金蝉の裾をチョイチョイと引っ張る・・・。
 「あぁ?」
 金蝉が凄く不愉快そうな声を出し、チラとルナに視線を送る。その顔は別に不機嫌だと言うわけでもなさそうだが、知らない人にとって見ればとても怖い表情だ。
 しかも相手はまだ幼い少女だ・・・。
 ルナがうるうると瞳を滲ませ、それでも必死に泣くまいとして唇をひき結ぶ。
 「金蝉っ!・・あぁ、大丈夫だよ、ルナ。怖くないから・・。ほら、ね?泣かない、泣かない。」
 えぐえぐと、泣きじゃくるルナの頭を優しく撫ぜ、その華奢な身体を抱き上げる。
 「このお兄ちゃんは、桜塚 金蝉って言うんだ。」
 「こ・・・金蝉・・・ちゃん・・・?」
 ルナの言葉に、金蝉が露骨に嫌そうな顔をする。
 その顔を見てか、ルナの肩が大きく上下し、ひしと翼の服を小さな手で一生懸命掴む。
 「金蝉っ!」
 「分かったよ、何とでも呼べ。」
 小さな舌打ちの後で、金蝉がダルそうにそう言った。
 金蝉が元々子供嫌いなのは知っていた。けれど、どうしてもルナの頼みを断れなかったのは、ルナがそれだけ必死だったからだ。
 翼は心の中でそっと金蝉に詫びると、まだウルウルとした瞳を向けるルナに優しい微笑を見せた。
 「ほらね、大丈夫でしょう?」
 「うん・・・。翼ちゃんと、こん・・・金蝉ちゃん・・・だね・・。」
 まだ“金蝉”と呼ぶのに恐怖を感じるのか、ルナが上目遣いで金蝉を盗み見ながらそっと言った。
 「あぁ。」
 「それで、私は翼ちゃんと・・金蝉ちゃんに、何をすれば良いの・・?私、一生懸命頑張るから、だから・・Snowy Villageに・・・。」
 翼はそっと考えた。
 バレンタインデーには、どこぞのアイドル顔負けの量を貰う翼。それは職業柄というのも含まれているが、その大半は容姿のおかげだった。
 美麗な容姿は、人々の注目を集める。
 だからホワイトデーのお返しも、かなりのものになった。
 そう・・“なった”だ。それは過去形でしかない。
 とっくの昔に翼はホワイトデーのお返しのものを用意していた。
 なのでこれと言ってルナに手伝ってほしい事はなかったのだが・・折角の申し出だ。
 「そうだな・・それじゃぁ、Snowy Villageを一緒に探す代わりに、僕に笑顔をくれないか?」
 「え・・?笑顔・・?」
 「そう、まだ僕、一度もルナが笑った所を見てないよ。」
 翼の言ったとおりだった。
 嬉しそうな表情は時折覗かせるものの“笑顔”自体はまだ見た事がなかった。
 今までに見た表情は、必死な顔、泣きそうな顔、そして・・嬉しそうな顔。
 「うん・・こ・・・こう・・・?」
 ルナが微笑んでみようとするものの、それはどこかぎこちなく、おかしなものだった。
 「う〜ん・・。それじゃぁ、Snowy Villageに着いた時で良いから、ね?」
 「うん。」
 ルナはコクリと大きく頷くと、両腕を胸の前で握り締めた。
 気合を入れているつもりなのだろうか・・・?その愛らしい仕草一つ一つに、思わず笑みがこぼれる。
 「それで、Snowy Villageって言うのは、どこにあるの・・?」
 「うん、あのねぇ・・。すっごく、遠いんだけどね、お祖父ちゃんが言うには、近いんだよって。私がね、あんまりお外に出ないから、遠く感じるんだよって。」
 「そっか。お祖父ちゃんとは、バスに乗って行ったんだよ。最初からね、最後まで行くの。」
 つまり、始発から終点までと言う意味だろうか?
 「金蝉・・ここらにバス乗り場はあったか?」
 「そこら中にある。」
 金蝉が鼻を鳴らしながら辺りを指差した。
 確かに・・バス停は所狭しと並んでいる・・・。
 「どのバスに乗ったのか、ルナは覚えている?」
 「う〜んとね、アナウンスでね、私の名前を言ってたのよ。良い子のルナって。だからね、私そのバスが大好きなの。」
 「良い子のルナ・・・?金蝉、分かるか?」
 「さぁな。そのガキを褒めてるわけじゃねぇ事は確かだけどな。」
 「金蝉っ!ったく・・・。ルナ、他になにか覚えている事はないか?」
 「んっとねぇ、金蝉ちゃんみたいな髪の人が、途中でいっぱい乗ってきたの。なんかね、銀色のアクセサリーいっぱいして、すぅつ・・?みたいなの着て・・。」
 ルナがたどたどしい口調でスーツと言う。
 金色の髪、銀色のアクセサリー、スーツ・・・。
 「あっ!翼ちゃんの名前が入ったバッグを持ってたの!ぺしゃんこだったけど、丸い模様があって、そのなかにお花の絵が描いてあって、その下に翼ちゃんの名前があったのよ!何て読むのかわかんなくって、お祖父ちゃんの聞いたら“つばさ”だって教えてくれたのっ!」
 金蝉と翼は視線を合わせた。
 丸い模様、ぺしゃんこの鞄、翼の名前、金色の髪、銀のアクセサリー、スーツ・・・。
 「あそこ・・だな。」
 金蝉の小さな声に、翼はコクリと頷いた。
 「・・って言う事は、ルナって・・・あそこ・・?」
 「だろうな。確かに“良い子のルナ”だしな。」
 苦笑いをしながら言う金蝉に、翼は思わず微笑むと、ルナを連れてそこを通るバスに乗り込んだ。


 * * * * * * * * * *


 ガラガラの車内では、数人が居眠りをしていた。
 翼と金蝉、そしてルナは一番後ろの席に座ると、窓の外を眺めた。
 窓側からルナ、翼、そして金蝉と座り、ルナが窓にべったりと両手をついて外を眺める。
 「凄いね〜!みんなちちゃいよ〜!」
 ルナが無邪気な声を上げ、隣に座る翼の袖を引っ張る。
 「そうだねぇ。」
 「金蝉ちゃんも!見て見て!外を歩く人がちっちゃいのっ!」
 「それは当たり前だ。」
 「ったく、金蝉は純粋さが足りないっ・・。」
 「俺がそのガキと同じく、外見ながら人が小さいね〜なんて言ってみろ、即行病院送りだ。」
 「なにもルナと同じくはしゃげって言ってるんじゃないよ。」
 「そう聞こえたんだよ。」
 金蝉はそう言って鼻で笑うと、疲れたようにため息を吐いた。
 車内アナウンスが流れる。
 『次は、ルナファンタスティック前〜ルナファンタスティック前〜。良い子の遊び場、良い子のルナファンタステッィック前〜。』
 ルナがパっと顔を上げ、誇らしそうに翼と金蝉を見つめる。
 「ね、良い子のルナって言ったでしょう!?」
 ・・正確に言えば、ルナファンタスティック前だ。
 最近出来たテーマパークの名前だ。
 「そうだね。」
 翼はそっと微笑むと、ルナの頭を撫ぜた。
 「私はいっつも良い子だから、名前を呼ばれるんだよって。」
 そう言ったのは、あの老人だろうか?
 とても嬉しそうに話すルナに、まだ笑顔は見られない。
 『次は、翼南総合大学付属高等学校前、翼南総合大学付属高等学校前〜。』
 バスが停車し、数人の人を吐き出す。ここでは乗ってくる人はいない。
 まだ学校が終わっていない時間帯だから、仕方がないのだが・・・。
 「あのね、ここだよ!金蝉ちゃん見たいな金髪の人がいっぱい乗ってきて、翼ちゃんの鞄持ってたの!」
 分かっていると言う代わりに、翼はコクリと頷いた。
 丸い模様とその中の花の絵は、校章の事。翼の名前はそのものずばり、翼南総合大学付属高等学校の“翼”だ。
 割合自由な校風のここは、髪をカラーリングし、アクセサリーをつけた生徒がいっぱいいる。
 スーツは制服の事・・・。
 外を見つめていたルナが、しばらくすると小さな寝息を立て始めた。
 クタリと、翼に寄りかかる。
 クークーと眠るルナの顔を見ながら、翼はある事を考えていた。
 このバスが向かう先、終点の事・・・。
 「金蝉、このバスって・・。」
 「あぁ。」
 金蝉はそう言うと、腕時計を見つめた。


 * * * * * * * * * *


 小高い丘の上、点々と並んだ小さな丸い石。
 そのうちの一つの前で、ルナはしゃがみ込んだ。
 ポケットから小さなチョコレートを2つばかり取り出して、石の前に置く。
 「今年も、約束・・守ったよ。」
 ルナはそう言うと、静かに手を合わせた。

 ここは墓地だった。
 小高い丘に作られた、丸い石の墓ばかりが並ぶ墓地だった。
 ルナが手を合わせる墓石には『遠野家墓』と書かれている。
 「ここにね、私の大好きな人が眠ってるの。・・遠野、由馬(ゆうま)って言うんだ。・・・バレンタインは、本当は男の人があげるんだって言って、いっつもバレンタインに色々くれてたから・・・私は、ホワイトデーに返してたの。」
 冷たい風が吹きすさぶ。
 そう言えば昨日は雪が降っていた。3月なのに、淡い淡い粉雪がチラチラと町に舞い降りていた。
 「ずっと、一緒にいるって言ったのにね・・・。いなく・・なっちゃったんだぁ・・・。私ね・・大好きだったのに・・・。由馬も、大好きって言ってくれてたんだよ・・。」
 しゃがみ込むルナの髪は、地面につくかつかないかと言う位置で風に揺れていた。
 翼と金蝉はルナの後に立ち、何も言わずにルナが紡ぐ言葉に耳を傾けていた。
 「私ね、由馬の事・・忘れたく・・なかったから、お祖父ちゃんから・・・言われた事を・・守る事にしたの。毎年、ホワイトデーに、ここに来るって・・由馬と約束したのよ。」
 だからあんなにも必死だったのかと思うと、全てがカチリと音を立ててはまる。
 「ここね、私が来る度・・・雪が降るの・・・。チラチラって、空から・・・。でもね、雪は・・寒いから、冷たいから、嫌いよ・・・。由馬も、寒いの苦手だったし・・・。だけど、綺麗だとは・・思うの。真っ白で、儚くって・・。」
 「だからSnowy Village?」
 「うん・・。私が・・つけたの。雪は、嫌いだけど・・綺麗だから・・。見るのは、好き・・。」
 ルナはそう言うと、立ち上がった。
 そしてとても愛しそうに墓石を撫ぜると、そっと囁いた。
 「また・・会えたね。来年も・・・来るね・・。ずっと・・毎年、来るから・・。待ってて・・。由馬。」
 それはまるで映画のワンシーンを見ているようだった。
 とても素晴らしい名子役が、そっと悲しみに浸るシーン。
 ルナがぱっと顔を上げ、翼と金蝉の方に戻って来る。
 そして・・翼に抱きつくと、にっこりと微笑んだ。
 それは心からの微笑であって・・無邪気な幼さと、無垢な純粋さがにじみ出ていた。
 ふわっと、花のように可愛らしく、それでいて雪のように今にも溶けてしまいそうなほどに淡い微笑だった。
 「ありがとう、翼ちゃん。」
 キュっと翼の腰に抱きつき、微笑むルナ。
 甘えるように翼に頭をこすり付けた後で、隣にいる金蝉の袖を引っ張った。
 「ありがとう、金蝉ちゃん。」
 金蝉は何も言わずに、ただ視線を落とした。
 ルナは穏やかに・・本当に穏やかに微笑むと、すっと翼から離れた。
 「あのね、2人とも・・大好きっ。」
 そう言って、すっと瞳を閉じた。
 ルナの体から淡い光があふれ出し、辺り一帯を包みこむ。それは真っ白な丸い光だった。まるで雪の花のような・・可憐で儚い光だった。
 あまりの眩しさに瞳を閉じ・・開いたそこにルナの姿はなかった。
 ただ、先ほどまでルナが立っていた場所には小さな人形がグラスアイをこちらに向けているだけだった。
 「これは・・・?」
 翼がその人形を拾い上げる。
 髪の毛も、服も、瞳の色さえも・・・ルナとまったく同じ・・・。
 「まぁ、そう言う事だな。」
 金蝉はふっと呟くと、ポケットを探った。
 タバコを取り出し、紫煙を空へと吐き出す・・・。
 「おい、翼。空見てみろ。」
 言われて見上げたそこからは、チラリチラリと可憐な花が落ちてきていた。
 「雪・・・?」
 「もう3月だって言うのに、のん気なもんだ。」
 金蝉はそう言うと、踵を返した。
 「金蝉・・?」
 「あのガキ、線香の一つも買ってこねぇで・・・。」
 苦々しく言う金蝉の横顔に、翼は思わず頬を緩めた。
 あぁは言っているものの・・あの凄まじいヘビースモーカーの金蝉がルナの前ではタバコを吸っていなかった。
 それはただ単に吸う気分じゃなかっただけかも知れないが・・・。
 そう言う、きちんとした常識を持っている金蝉が好きだった。
 態度は大きいが、それなりの常識をわきまえている金蝉。
 常識と口先だけで言っておきながら、それを実行しようとしない人よりもよっぽど金蝉の方が真摯だった。
 「線香あげたら、またあそこに行くんだろう?ガキを返しに。」
 「うん。そのつもり・・。」
 チラチラと舞い落ちる雪花は、丸い墓石を白く染め上げる。
 フワリフワリと舞い散る雪花は、いつか溶け消える。
 それでもほんの刹那の間だけ、穏やかに包み込む雪の花。
 小高い丘に咲く、雪の墓石。
 何故だか心休まる懐かしい風景だった・・・。


 * * * * * * * * * * *

 
 「おかえりなさい。寒かっただろう・・?さぁ、こっちへどうぞ。」
 メロウの家に入ってすぐに、老人が翼と金蝉を手招きした。
 翼は胸に抱いたルナを差し出した。
 「・・ありがとう・・。ルナも、喜んでいただろう・・?」
 「それで、由馬と言うのは・・?」
 「私の叔父さんの名前だよ。小さい時から体が弱くてねぇ・・。父が18の時、12でこの世を後にしたんだ。ルナを1人でおいてね。」
 少しだけ、昔話をしようか。
 そう言うと、老人はゆったりと話し始めた。

 体の弱かった由馬は、外で友達と遊ぶ事が出来なかった。
 兄は外を飛び回るような活発な少年で、両親達は共働きで家には祖父母がいるだけだった。
 由馬が出来る事は少なかった。
 本、テレビ、ゲーム・・・。
 友達なんていなかった。
 それを不憫に思った母親が、由馬に1体の人形を手渡した。
 可愛らしい服を身にまとい、穏やかに微笑むそのお人形の少女を、由馬は最初、好きではなかったらしい。
 女の子が遊ぶようなお人形だったから・・。
 しかしある時祖母が良い事を思いついたのだ。
 どうせだったら、お人形に名前を付けてあげなさいと。名前がないから、友達になれないのではないかと。
 由馬は考えた。
 そして・・以前テレビで見た綺麗な名前の事を思い出した。
 月と書いて、ルナと読む・・・。
 “ルナ”と名付けられたお人形は命を吹き込まれた。
 それは決して由馬以外には見えない魔法だった。けれど、由馬はそれで満足だった。自分だけの友達を、とても喜んだ。
 最初で最後の友達・・・。
 それは由馬の死の直前まで、友達であり続けた。

 「2人は友達であり・・そして恋人だったんですよ。とても可愛らしく、美しい・・・。」
 少なくともルナは恋人と思っていたのかも知れない。
 とても愛しそうに、最愛の人が眠る場所を撫ぜていたルナ。その表情は、少女ではなく1人の女性だった。
 「私には、少し叔父と似通った所がありました。叔父ほどではないですが、体があまり強くなかったので・・・。だから、ルナは私に囁き始めた。」
 「そうなんですか。」
 「年をとって行く私を、いつもルナは不思議そうに見つめていました。あの子はホワイトデーの時にだけ、叔父との約束を守るために人に変化するんです。2粒のチョコレートを持って。」
 しっとりと、雪が窓の外を濡らす。
 この寒空の下・・どれだけのカップルが今日と言う人共有するのだろうか。
 どれだけのカップルが、愛を囁くのだろうか。
 ずっと一つの約束のために、愛するもののそばへと向かうルナ。それを穏やかに見守るこの老人。そして、1人で逝ってしまった由馬。
 哀しいのか、優しいのか、翼には分からなかった。
 ただ・・それでルナが幸せなら、良かった。
 あの時見た笑顔が本物だとしたならば・・・。
 「これ、いくらだ?」
 店内を眺めていた金蝉がふいにそう言い、目の前のグラスを指差した。
 透明なグラスだが、下に行くに連れて白が混じっている。そして、グラスの側面には桜の花と雪の結晶が静かに浮き上がっている。
 春の香りのするグラス。けれど、しっかりと・・雪の名残も残している、そんなグラスだった。
 金蝉は対のグラスを一つだけ買うと、翼を促した。
 「それでは、また・・・。」
 「あぁ、いつでもおいで。ルナもきっと君達を待っているだろうから・・・。」
 小さな椅子に座るルナの表情が、心なしか微笑んでいるように見えた。
 来た時同様、軽快な鈴の音を鳴らしながら・・翼と金蝉はメロウの家を後にした。



 * * * * * * * * * *
 

 トントンと、長方形のチーズを薄く切ってゆく。
 真っ白なお皿にはハムが幾つか並び、その上に切ったチーズを乗せて行く。
 とても簡単な物だったが、美味しさは折り紙つきだった。
 なにせチーズもハムも、良いものを使っているし・・・。
 翼はチーズを切り終わると、残りのものを冷蔵庫へとしまった。
 勝手知ったる金蝉の家だ。
 ついでに引き出しからクラッカーを取り出し、もう一度冷蔵庫を開けてキャビアを取り出す。
 間の蓋を開け、スプーンでキャビアを掬い、ちょんちょんと乗せて行く。
 それをハムとチーズの脇に置き・・・。
 それなりに見栄えも良い物が出来上がり、翼は満足そうに微笑んだ。
 簡単だけれど豪華。
 翼はお皿を持つと、隣の部屋で既にテーブルについている金蝉の所へ歩んだ。
 「はい、出来たよ。」
 「あぁ。」
 金蝉はただそう言うと、翼を目の前に座らせた。
 そして・・あの、バレンタインの時に翼があげた蒼桜酒を取り出すと、先ほどメロウの家で買ったグラスにほんの少しだけ注いだ。
 それは一口か二口か位のもので、翼のグラスにも同じくらいだけ注ぐ。
 グラスの中に、青く色づけられた桜の花びらが舞い、淡い青色の海の中に沈む。
 翼と金蝉は何も言わずにグラス同士を軽くぶつけた。
 乾いた音が、室内に爽やかに響き渡る。
 コクリと飲んだお酒は桜の香りだった。
 アルコール度は低いらしく、それほど強い刺激はない。本当に、炭酸飲料くらいの刺激だった。
 「美味しい。」
 ふわっと広がった桜のほのかな甘みが、溶けるように口の中で拡散する。後味はすっきりとしていた。
 「あぁ。」
 最初飲んだ時は春の味。そして・・春は夏へと変わる。
 最後は、青く澄んだ夏の味・・・。
 金蝉が何も言わずにグラスにお酒を注ぐ。
 無論自分のグラスにだ。翼のグラスには桜の花びらが少しだけくっついている。
 翼はそれを指でとると、目の前に置かれている真っ白なお皿に乗せた。
 白に映える、花びらの青は美しかった。
 白と青をしっかりと瞳に焼き付けた後で、翼はクラッカーを口に放り込んだ。
 コクコクと、目の前でお酒を飲み続ける金蝉。
 ふっと視線を上げたそこ・・硝子の戸棚の中で、こちらを見ているお酒の瓶。
 そのラベルには金の文字で『蒼桜酒』と書かれている・・・。
 翼は金蝉に2本も上げた覚えはない。
 と言う事は、他の誰かから貰ったか・・・いや、違う。
 きっと自分で買ったのだ。
 翼はふっと微笑むと、嬉しさのあまり緩みそうになる頬に力を入れた。
 「ワインじゃないんだから。」
 呟いたその一言に、金蝉が不思議そうな顔をする。
 「・・なんだ・・?」
 「なんでもないよ。」
 これはきっと、金蝉に言ってはいけない事。
 どうせ誤魔化す。もしくは怒り出す・・・?どちらにせよ、金蝉にとっては恥ずかしい事に変わりはない。
 だったら、言わない方が双方のためだ。

 今日はホワイトデー。
 別に、何かを貰ったわけではなかったけれども・・・この気持ちは物になんか代えられない。
 翼はそっと息を吐き出した。
 何故だか高鳴る胸に、息苦しさを覚えたからだ。
 翼がメロウの家を再び訪れるのは、そう遠くはない日だった・・・。


     〈END〉



 ━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

 登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  2863/蒼王 翼/女性/16歳/F1レーサー 闇の皇女

  2916/桜塚 金蝉/男性/21歳/陰陽師


 ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

 この度は『雪の里』にご参加いただきましたまことに有難う御座いました。
 遅れてしまって大変申し訳ありませんでした・・。
 今回は、四季を大切に使おうと思い執筆いたしましたが如何でしたでしょうか?
 春と夏、そして冬。秋は入っていませんが・・・。
 雪の降るあの静かで幻想的な世界をと思い執筆いたしました。お気に召されればと思います。


  それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。