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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


オルゴールの踊り子

【T】

 両手に買い物袋をぶら下げて、八坂佑作はふとアンティークショップ・レンの前で足を止めた。商売っ気のない店構え。それを前にふらりと、なんの目的もなしに訪れる。そういうことが似合う店というのは少なからず存在するのだと佑作は思う。特別な目的もなく、店の雰囲気をなんとなく肌で感じながら、何気なく陳列される品物を眺める。それだけのことを愉しむことができる店。そういうものは商売っ気がないから良い。
 しかしリストラされた身分の自分にはそんな店は今もうすっかり縁遠い存在だということに否応なく気付いてしまう。両手にぶら下げた買い物袋。いかにも所帯じみた装い。それでもいつもと違う日常の雰囲気をまとうアンティークショップ・レンの雰囲気はひどく魅力的で、それに惹きつけられるようにして佑作は店のドアを開けた。
 店内はどこか雑然として、それでいて独特の秩序を守る店内は今日もいつかの古めかしい時代の香りを仄かに漂わせながらひっそりとした雰囲気のなかに落ちている。
「ごめんくださいぃ〜」
 スローテンポで長閑な声が店内に響く。静かな店内でその一声はひどく鮮明に響き、これでもかというほどその存在感を主張した。
「あのぉ〜、どなたかいらっしゃいませんかぁ〜?」
 ドアが佑作の背後で自然に閉じる。そしてふと佑作は視線を感じて、そちらに視線を向けると店主の碧摩蓮は常のようにやる気があるのかないのか判然としない態度でカウンターに腰を落ち着けていた。
 ただ一つ違うことがあるとすれば、いつもなら音楽など聞こえもしない店内に慎ましやかな旋律が響いていることだろう。
 涼やかな旋律。軽やかに、慎ましやかに一つ一つの金属を軽く弾き上げるような繊細な音だ。
 佑作はその音の根源を求めるように店内に視線を巡らせる。それぞれの場所に腰を落ち着ける無数の品々。どれもこれもが沈黙を守り、音を紡ぐのはただ一つ。カウンターの上あった。
 開かれた蓋。そこから顔を覗かせる精巧な作りの人形がその音楽にあわせて、緩やかにダンスを踊る。たおやかに巡る腕、優雅な曲線を描く脚、どこか遠くを見つめた青色の双眸、そして背中まで届く流れるような金色の巻き毛。オルゴールの装飾品の一つにしてはそれはあまりに美しく、まるで誰かの生き写しであるかのような滑らかさを持ち合わせていた。蓋の内側にはどこかの舞台をモチーフにした装飾が施され、鏡が空間を深くする。
「おやぁ〜良いオルゴールの音ですねぇ〜」
 云いながらカウンターに近づくと、気怠げに蓮が顔を上げて佑作の顔を見た。
「なんだか哀しいカンジですね〜。キミがここの店長さんですか〜?」
「そうだけど、何か気に入ったものでもあったのかい?」
 蓮の返事は素っ気無い。相手が客だからといって丁寧な口調を使うわけでもなければ、媚び諂うわけでもなくただ自分のペースをキープして話しているようだった。それがきっとクセなのだろうと思って佑作は気にもしない。
「云っておくけど、この店にあるものは一筋縄じゃいかないものばかりだよ」
 どこか楽しげに蓮が云う。
「そうなんですかぁ〜」
 云いながら佑作が店内を見回す。その間もオルゴールは音楽を奏で続け、ひどく佑作の鼓膜を刺激して、意識に深く響いてくる。自ずと視線はそこに戻り、視線を引き剥がせなくなる。
「このオルゴールの人形ぅ〜売り物でしたら買いたいのですがぁ〜」
 佑作の言葉に蓮は何か思惑があることをにおわせるような笑みを浮かべて云った。
「ここに地終わり、海始まる。―――この言葉の意味がわかったら考えてやらないでもないよ」
「どういうことでしょうかぁ〜?」
「詳しい話はこっちから聞けばいい。帰りたいと云うんだよ、どこにあるかもわからない閉鎖されてしまった劇場にね」
「どこにあるかもわからない閉鎖した劇場に連れて行けと云うんですかぁ〜!?」
 佑作の言葉を無視するように蓮はすっとオルゴールを佑作の前に差し出す。
 するとオルゴールから声が響いた。まっすぐに、佑作に向けて。
『できることなら、もう一度あの舞台に立ちたかった……』
 僅かに異国訛りの残る言葉が綴られる。けれど決して不恰好に響くのではなく、細く消えてしまいそうな声は涼しげだ。
『たとえ閉鎖されてしまったとしても、劇場はまだ変わることなくあの場所に建っていると思うの。私はただ、そこに立ちたいだけ。あなたはそれを叶えてくれる?』
 縋るように訊ねられ、佑作はノーと云えないお人よしの部分が刺激されるのを感じた。
『あなたは私をそこに帰してくれる?』
 だから頷かずにはいられなかった。


【U】


 買い物帰りであることなどすっかり忘れて、佑作はオルゴールの人形と向き合っていた。
 依頼を引き受けることを決めると、オルゴールは不思議と佑作の手にしっくりと馴染む。当然のように佑作の両手におさまり、ひっそりと細い、今にも壊れてしまいそうな声で言葉を綴る。
 それでも佑作の問い掛けに対する答えは的確がものだった。過去の演目、劇場の場所、内装や外観、劇場の雰囲気を語る声はつい先ほど見てきたばかりだとでもいうように滑らかだった。総て演出家の手による創作作品を上演していた、ひっそりとした決して流行っているわけではない小さな劇場だったという。それでも内装や外観が寂れたものだったのかといったらそうではなく、小さいながらも幻惑を見せるような魅力に包まれたものだということが言葉からわかる。住所を語るわけでもないのに、まるで風景を切り取ってきたかのようにして声は劇場の場所を告げる。きっとその場所を改めて調べれば劇場の場所がはっきりするだろうと佑作は思う。
「鮮明に覚えてるんですねぇ〜」
 佑作が問うと僅かな恥じらいを滲ませながら声は答える。
『忘れることができないだけよ。あの人と培った一つ一つ、共に過ごした一瞬一瞬を忘れることなく覚えていたいと思ったら忘れることができなくなっていたの。このオルゴールは一つの記念。私が主演を飾ることができた記念にあの人に作ってもらったものよ』
 どこか幼さを感じさせる声だった。
 だから失礼とは承知で佑作は訊ねる。
「失礼ですが、年齢を教えて頂けますかぁ〜?」
『十九よ。長いようで短い時間だったわ……』
 十九年の歴史。それは一体どれほどのものを声の主に与えたのだろうか。もう一度だけと希う。ただ一つの舞台に立つことを希求する。それは決して夭折した踊り子ならではのものではないはずだ。きっと声があの人と語るその人物の存在が強く影響しているのだろう。
『旅をして、彷徨い続けた人生だった。この国が一番私に馴染んだ国よ。言葉もすぐに覚えたし、いつまでもここにいたいと思えたのもこの国だけ。そして私が死んだのもこの国よ。―――あの人の傍で私、死んだの』
 ひっそりとした呟きが音楽とともに店内に響き、溶ける。
 その余韻を壊さぬように、佑作は小さな声で云った。
「ちゃんと調査しますから安心して下さいねぇ〜。だからもう少しだけお話を聞かせて下さいますかぁ〜?演出家さんのお名前とか覚えていたら教えてもらえると手がかりになると思うんですよぉ〜」
 長閑に響く佑作の声に人形が果敢無く笑った気がした。


【V】


 買い物の帰りにアンティークショップ・レンに立ち寄った日から数えて三日、佑作は家事や仕事の合間に調査して得た情報を手に再びアンティークショップ・レンへと足を向けた。インターネット、雑誌などを駆使して得ることができた調査結果は当初の外国にあるのではないかと思われた劇場が国内に存在していたという事実を佑作に教えた。都市の片隅にひっそりと佇んでいたというそれは、今はすっかり廃墟となって心霊スポットなどを紹介するサイトで数多く紹介されていたのだ。しかしそこが劇場であったことは忘れられてしまっているようで、人形から聞いた話がなければそこが彼女の求める劇場だと気付くことはできなかっただろうと佑作は思う。
 今、佑作はオルゴールを手に劇場の前に立っている。ここに至るまでの費用は妻への借金で賄った。リストラの憂き目にあって、専業主夫の地位に甘んじる自分に返せるのかどうかはわからない。けれど今はとにかく必要な費用だと思って、ただひたすらに頼み込んで強引に取り付けた。手の中でアンティークショップ・レンから借り出したオルゴールは蓋を閉ざし、沈黙を守る。彼女が話した演出家の名前。劇場の場所。一つ一つが現在のなかに存在する情報とリンクした。それらが指し示す場所はただ一つしかない。
 目の前にあるのは廃墟と呼ぶに相応しい建物。
 それだ。
 劇場は本当に小さなものだった。時間の流れのなかでそこかしこが老朽化していることは明らかだった。それでもいつかの美しい姿を思わせるには十分な風格があった。すらりと高い建物であることは確かだったが消して豪華な建物ではない。今はすっかり廃墟となってしまって、硝子の一部は割られていたりしたが、壊れて外れかかっていながらも滑らかなアーチを描く扉の形や、演目を知らせるためのポスターを張り出すための掲示板などには一つ一つ繊細な細工が施されていた。当時は白で統一されていたのだろう色彩は今はくすみ、薄汚れてしまっている。壁には蔦が這い、完全な修繕は不可能だと見てとれた。
「ここですかぁ〜?」
 そっとオルゴールの蓋を開けて訊ねると顔を覗かせた人形は朽ちた建物を青色の双眸に映すことができたのか、
『間違いないわ』
と答える。その声を合図に佑作は壊れた扉を越えて、奥へと進んだ。そこはホールと呼ぶには小さく、そして今はすっかり荒れて眼も当てられない落書きが壁に描かれていたりする。オルゴールは沈黙していた。だから佑作も黙って歩を進めた。客席に続くドアはかろうじて止め具に止められていたが、少しでも力をこめるといとも容易く外れてしまいそうだった。そっとそれを押し開き、客席が並ぶそこへと足を踏み入れる。床に敷かれた絨毯は捲れ上がり、椅子もボロボロでそこかしこからスプリングが飛び出している。それでもオルゴールから声が響くことはない。
 きっとただ一点。
 舞台だけを見ているのだろう。
 佑作にはその理由がよくわかった。
 舞台だけがまるで聖域を守るような静寂に包まれて、これまでの道のりの荒れ方が嘘であったかのような美しさを保ってそこにあった。幾重にも重ねられた薄手の布地。奥行きがあり、天井が高い舞台はまるで幻惑を見るような心地にさせる。
 それを前に何をすればいいのかは明らかだった。
 大切に抱えたオルゴールが旋律を紡ぎ始める。
 人形が踊る。
 だから佑作はそれをそっと舞台の端に載せた。
 すると不意に舞台が仄かに明かりを受けて、輝く。凍てる湖の光景か、それとも透明な空を見せようとでもしているのか薄い青の世界が目の前に広がる。高い位置から吊られた重なりあういくつもの薄い布地が幻を演出するかのように影を描き、時に滑らかに波打つ。音楽が細く響く。
 総てがそこで踊る者のために用意されていることは明らかだった。
 軽やかな跳躍。真っ直ぐに伸びる滑らかなラインを描く長い両手と両足を使って、金の巻き毛の少女とも女性ともつかない美しい者が踊る幻惑を見る。最も幸福な者であることを伝えようとするかのような笑顔と共に、まとう衣装の柔らかなレースをなびかせて。青色の双眸はただ一点に向けたまま、ひどくやさしい。
 そこに誰がいるのかは明らかだった。
 きっと彼女が愛した人がいるのだ。
 この劇場の支配人であり演出家であった男がいるのだろう。
 一体どんな関係であったのかは定かではない。人形の言葉からわかることはただ彼女が演出家を愛していて、演出家も少なからず彼女を愛していたということだけだ。もしかすると異国から来た彼女にとってのパトロンのような存在だったのかもしれない。調査のなかでも彼はいつも影をまとって、ひっそりと身を潜めるようにしていた。わかったことはただこの劇場の支配人であったということと、演出家として活動していたことだけ。
 けれど二人の間には確かに愛情があったのだろうことが、今目の前で繰り広げられる舞台を見ればわかる。
 一人、軽やかに音楽に躰を預けて、作られた空間の一部になることができる。
 空間は彼女の存在を躊躇うことなく当然のことのように受け止める。
 ここに地終わり、海始まる。
 不意に蓮が云った言葉が蘇る。
 オルゴールの裏にあったのだという碑文。 
 二人は一体どこへ行こうとしていたのだろうか。舞台の上に二人で一つの世界を生み出し、このオルゴールを残すことで、一体何を願い、何を望んで共に同じ時間をすごしていたのだというのだろう。きっと二人を繋いでいたものがあるとしたらこの舞台だけだったのだろう。それ以上のものはきっとなかったような気がする。目の前の踊り子がそんな気持ちにさせる笑顔を浮かべている。
 舞台よりも遠く、地の果てに広がる海よりも遠くの最果ての地へ行くことを二人は望んでいたのかもしれないと佑作は思った。
 彼女がここでもう一度踊りたいと云った言葉に理由があるのだとしたらそれはきっと、彼の愛情を確かめたかったからなのではないだろうか。
 不意に佑作の涙腺が緩む。
 目の前に広がる光景はあまりに美しすぎた。
 言葉がこぼれる。
「帰れて良かったですねぇ〜」
 音楽を壊さないよう小さな声で云う佑作に答えが響く。
『ありがとう。とても、愛していたの。どこまでも一緒に行けると今も信じていられるくらいに……だからずっとここに帰ってきたかったのよ』
 言葉がオルゴールの底に刻まれた碑文の答えを連れて来る。
 肉体を離れても、二人は今も互いの存在を傍に感じ続けているのだろう。
 たとえ誰にもそれが理解されることがないとしても、それが世界のなかで真実にならないとしても。
 舞台の一部になった演出家。
 その上で踊り子が踊る。
 演出家は今もやさしく、慈しむような色を与えて彼女の最も美しい姿をそこにあらわし続ける。
 これからもずっとそれは続いていくのだろう。
 いつかこの劇場が朽ち果てようとも、彼らにとってはここが唯一の劇場だ。
 そして彼女はいつまでもその目にこの舞台を見続けるだろう。
 形が失われても記憶は残る。
 きっとこれからも二人はここで演じるということで互いの愛情を確かめていくだろう。
 肉体という束縛から離れて、どこまでも遠くへ。

 ―――ここに地終わり、海始まる。



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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【4238/八坂祐作/男性/36/低レベル専業主夫】


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         ライター通信          
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初めまして。沓澤佳純です。
この度のご参加ありがとうございます。
普段あまり書かない言葉遣いだったのでぎこちなさが否めなくて気にかかるのですが、
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。
この度のご参加、本当にありがとうございました。