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<東京怪談ノベル(シングル)>


ゆったりと、ゆっくりと。


 巨大学校群が密集する神聖都学園……その中をひとり悠然と歩く男が今回の主人公。門屋 将太郎、新任の非常勤スクールカウンセラーである。いつもは『門屋心理相談所』の所長をしている。その時は着流しの上に白衣を羽織った気楽なスタイルをしているが、神聖都学園の出勤日となれば話は別。学園内での彼の立場は教師とほとんど変わりがないからだ。カウンセリングに来る生徒から『先生』と呼ばれる以上、それなりの姿をしていないと示しがつかない……とこういうわけだ。それでも新任という言葉から来る緊張感を一切漂わせず、スーツ姿でいつものように静かな廊下を歩く。実は今は授業中である。教室の中からわずかに漏れるあの独特の騒がしさを聞いていると、思わず自分の学生時代を思い出してしまいそうになる。すると彼は不意に小さく苦笑いしながら、肩を小刻みに震わせた。どうやら門屋はいつかの懐かしさに出会ったらしい。だが視線も歩みもここで止まることはない。
 彼は自分に与えられた小さな部屋を出て、ある場所を目指してゆっくりと歩いている……と、いかにも容易にできそうな感じで書いたが、神聖都学園ではこれがとても難しいことなのだ。神聖都にはさまざまな教育棟とその中を複雑に入り組んだ廊下が存在する。新入生は必ず『無駄に広いゲームのダンジョンのマップ』を連想するそうだ。それでも門屋は真っ先に自分の部屋の位置を覚えた。いや、覚えなければならなかった。部屋へ戻ろうとするまさにその時、悩み疲れた生徒が自分の部屋で助けを待っているのかもしれないのだから。だからといって、彼の動作が機敏になったり真剣な表情を見せるわけではない。いつものようにゆったりと、ただゆったりと振る舞う。それを『門屋流』と表現するのは、彼を知る生徒たちの誉め言葉である。そんな彼は赴任して一週間も経たないうちに生徒たちの心をガッチリとつかんでいた。

 そんな門屋先生が向かう先、それは食堂だった。生徒たちが黒板やノートに釘付けになっているうちに、自分はさっさと今日の食料を確保しようとこういう腹である。彼には教師とは違って固定の授業時間が設定されていないので、ほとんどの時間を自由に使うことができるのだ。もちろんいついかなる時でも助けを求める生徒がいるならば、ちゃんと部屋に戻って仕事をしなければならないという制約は設けられている。だが、そんなことが午前中に起こることは極めて稀だ。少なくともここ数日でそれは確信した。もし何かあれば学園から支給された携帯電話が震えるようになっているから何の心配ない。門屋は恐ろしく広い食堂を横切り、その横にある購買へと足を運ぶ。そしてさっき入荷したばかりの調理パンを一通り眺めた後で、すでに心に決めている焼きそばパンを手に取った。すると購買のおばちゃんが仕事の手を休めずに話しかけてくる。言うまでもないが、ここにいるおばちゃんたちも門屋のファンである。

 「あら将ちゃん、今日もそれぇ? 他にもパンはいっぱいあるのに……ほら、メロンパンとかもあるのよ?」
 「一日のリズムって言うのかな。どんなことでも何回か繰り返すと慣れちゃってさ、それをしないと落ちつかなくなるってことない?」
 「だから……今日も焼きそばパンなの?」
 「そそ。」

 長年ここで大勢の生徒の相手をしているおばちゃんの仕事っぷりはまさに熟練の技である。そんな最中、彼女は門屋の顔も見ずに手を広げて「早くパン代を出しなさい」と無言の圧力をかけてきた。彼はパンを口にくわえたまま頷き、少し慌ててポケットから取り出した百円玉をその上に置く。相手は手のひらに金属の冷たさとわずかな重みを一瞬で感じると、釣り銭用に用意された受け皿にそれを置いてまた仕事に専念し始めた。そんなわずかな間にも門屋は他のおばちゃんに声をかけられ、昼前の挨拶をすると言うのがいつものパターンである。
 彼は忙しそうに働いているおばちゃんたちに向かって、自分からあまり積極的に世間話をしない。それをせずとも相手が勝手に話をしてくれるということもあるにはある。とりあえず自分のペースは焼きそばパンを食べることで確保しているから、あとはゆっくりと周囲の話の流れに任せてしまうのだ。生徒たちとは異なる悩みや相談、はたまた世間話を聞くというのもこれはこれで楽しい。話しているおばちゃんがお困りの表情を見せたなら、門屋は適切なアドバイスを送ったりする。こんな調子で毎日を過ごしているのだから、カウンターを挟んだ現実の距離よりもお互いの心の距離の方が近くなるのは言うまでもないことだ。彼はいつものように食堂の椅子を拝借して腹ごなしの時間まで話す。


 門屋は『さぁ、部屋に戻ろうか』と思って立ち上がり、椅子を手に持って元の場所に戻そうとした。すると突然、部屋の隅にかけられたスピーカーから明るい音のチャイムが鳴るではないか。今まで気づかなかったがすでに食堂のカウンターにはちらほらと生徒がおり、すぐ外にある廊下からも賑やかな声がここまで伝わってきた。不思議そうな顔をする門屋に向かって、おばちゃんが豪快に笑いながらツッコんだ。

 「あっははは! 将ちゃんはいつもと同じ時間に来たつもりだろうけど、今日はちょっと遅かったのよ。」
 「もしかして昼休みになったとか……?」
 「正解〜。」
 「まぁ、手間は省けていいんだけどね。じゃあ椅子を戻してそこに座っていようかな。」
 「人気者は辛いわねぇ〜。」
 「あらら、それってジェラシー?」

 レディーを相手にそんな冗談を言っていると、門屋の陣取った机には数人の女子生徒がやってきてまずはご挨拶してご着席。そしてその横に男子生徒たちもやってくる。あっという間に昼休み限定の食堂カウンセリングテーブルのできあがりだ。おばちゃんの人生にもいろいろあるように、生徒たちにもいろいろある。ましてや、彼ら彼女らは思春期真っ盛り。さまざまな悩みを抱えて生きているのだ。
 今日は女の子たちのひとりが惚れているサッカー部の先輩にどう告白すればうまくいくのかという相談を持ち掛けてきた。相談者である彼女はうつむき加減で門屋に説明を始める。相手はエースで人気者で、彼を狙っているのは自分ひとりではない……とこんな感じで話が進んでいく。その時、門屋の隣に座った生徒がその先輩のことを知っているようで、まだまだ続く話の最中に何度も首を縦に振りながら「ああ〜」と唸った。それを見ていた外野の女の子が刑事ドラマの取り調べよろしく、友達のためにその男子生徒からいろいろ聞き出そうと行動を起こそうとする。しかし彼女たちが一歩踏み出そうとした瞬間、門屋が先手を取った。

 「君さ、もしかして……好きな先輩とか他に狙ってる女の子とかと自分を比べて『負けてる』とか『劣ってる』とか思ってない?」
 「えっ……そ、それは、その……」
 「やっぱりそっか。話の入り方がそんな感じだったからね。」

 思わずテーブルを囲む生徒たちがポカーンとした。ところが心の奥を読まれた相談者の女の子はさらに目線を落とす。門屋は話の流れを切らないように言葉を続ける。そうしなければせっかく相談してくれた彼女の勇気が台無しになってしまうからだ。

 「憧れるってすごくいいことだと思うよ。好きだっていう感情を持てたらそれだけでも素晴らしい。たま〜に『私は彼氏なんて、俺は彼女なんていらないんだ』って言うクラスメイトがいるかもしれないけど、そんなのほとんどウソだよ。君たちくらいの年齢なら誰でも人を好きになるもんだ。俺だってな、昔はいろいろと……」
 「うっそ、センセもそんなことあったの?!」
 「おまえな〜、俺が思春期を通らずに生きてきたとでも思ってるのか?」

 門屋のセリフと現在のイメージとのギャップが大きく開いていたのか、女子生徒のひとりが大きな声を上げる。実はちゃっかり左隣に座っていた男子も同じような表情をして驚いていた。門屋がそれを見逃すはずはなく、話を続けながら相手の頭に左手で作ったげんこつを軽く当てる。しっかりツッコミを入れられて「へへへ」と照れくさそうに男子生徒。

 「恋をするのに資格はいらないんだから、思ったままやればいいよ。まぁ物事には順序ってもんもあるから、その辺は友達ともじっくり相談しな。とにかく待ってても相手は振り向いてくれないし、好きな素振りだけ見せて『どうなんだろう』って毎日を過ごすのも辛いしさ。だから自分にできることからすればいいんだよ。今の気持ちが本当かどうかだけ確かめたら十分だ。こいつら見ろよ……男なんて奴はバカばっかりだからな。一度や二度は見切り発車して痛い目に遭ってるぜ?」
 「うっ、門屋先生! お、俺っ……その話したっけ?!」
 「ほらな、こんなもんだ。」

 だんだんと場の雰囲気が和んできた。気弱な相談者の顔にも明るさが戻る。門屋はそれを確認した後で図星を突かれて大慌ての男の子に「聞いてない聞いてない」とフォローを入れてから仕上げに取りかかった。

 「それに……君がサッカー部のエースを好きになったように、相手も君のどこを見てどう判断するかはわからないじゃないか。その話に出てきた彼を狙ってる人たちが美人だったり頭がよかったり、立場がマネージャーで彼との距離が近いからなんてそんなこと全然気にしなくていいよ。それを引け目に感じることはない。彼が好きな自分を一生懸命になって見せればいいさ。それが一番悔いの残らない恋愛なんだよ。」
 「はい、ありがとうございます。なんだか勇気が出ました。」

 まずはしっかりカウンセリングをこなし、門屋は安心した。きっとこの後も、次の出勤日もこんな時間を過ごすのだろう。自分にとってかけがえのない時間は今……その時間を急がず慌てずいつまでも過ごしたい。ゆっくりとゆったりと、門屋は今日もマイペースマイウェイだった。


 そんな門屋の耳元にさっそく次なる相談が舞いこんできた。相手は隣にいる男子生徒だ。みんなの前でコソコソと喋るあたりどうも怪しい。門屋は不思議そうな顔をしながら耳を傾けた。すると……

 『あの、さっきの例えでヤな記憶が蘇っちゃったんで……もし時間があれば、放課後に聞いてもらえませんか?』

 門屋は思わず苦笑いした。どうやら自分から相談者を増やしてしまったらしい。彼は快くそれを引き受けた。