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<東京怪談ノベル(シングル)>


不遇の骨頂、身を屠る


 齢18にして、彼は己の人生の本質を見極めていた聡明な青年であった。
 黒贄歩けば雷(らい)が鳴る、とはクラスメイトも良くいったものだと本人も思う。彼が出席すれば遠足と修学旅行は決まって雨か雷に見舞われ、体育祭と校内避難訓練は決まって晴天に見舞われた。
 要するに、運のない男、なのだ。
 貧乏くじとは彼のために存在する言葉であり、不運とは彼を形容するために存在する言葉である。
『よるなよ黒贄、不運が移る』
 受験のころにはそう蔑まれ、前後左右2席に渡って机を離された経緯もある彼――――黒贄慶太が、それでも他人の不幸を掻き分けて志望校に合格したと知れたとき、誰もが『黒贄は人生に残されたすべての運を受験で使い果たしたのだ』と噂した。
 ――――その噂が果たして真実であるか否かは、後の人生の中で彼本人が決めることであったが。

(ウグヴヴヴヴグググウゥゥ)唸っている。
(ヴグググググウウゥゥゥグァァァアア)低く、地鳴りのように彼の中を轟かせている。
(グァァアァァアアヴァァ――――)それは肚の底を揺るがし、腰を揺るがしみぞおちを揺るがし、(――――ヴヴヴヴヴヴヴ)四肢の隅々にまで、行き渡っていく。
 ――――五月蝿ェんだよ、引っ込んでろ。
 脊髄の中を這いずり回るような不愉快な脈動に、黒贄は朦朧とした意識の中で己の左耳を強く引っ張ってやっ(ヴググググググ)た。

 鋭い痛みと耳奥の残響に、男はシーツの上で目を醒ます。

「…………――――超目覚めが悪ぃや」
 右手はシャツをはだけて、無意識に腹を掻いていた。掛け布団は蹴飛ばしてベッドの上から落としてしまっていたので、ひどくあられのない姿での覚醒である。付けっぱなしだったテレビから小さなボリュウムで下卑た衆笑が聞こえる。
『――――ですからあぁぁッ! ……ねんッ!!』
「阿呆。云ってろ」
 独り言が多くなるのは独り暮らしの弊害だ。枕の下で押しつぶされていたリモコンをぞんざいにテレビへ向けて、電源を切ってやった。
 ものは考えようなのだ。
 要は、己が不運であると考えなければ善い。
 つけっぱなしにしたテレビが今月の電気代をはね上げると気落ちしなければ善い。冷蔵庫や家電と同じだと考えれば善い。
 己に運命付けられているとしか考えられない不運を、意識せねば善い。
「俺って賢い。賢いついでに朝飯食お……――――」
 ねずみらしき生き物に齧られた様子のコンセントが冷蔵庫のものであると知ったとき、それを不運と取らねば善い。
 つけっぱしにしたテレビの電気代のツケを、冷蔵庫が腐敗した食料を腹の中に抱え込んだまま美しく相殺してくれたのだと考えれば善い。
 かつて活きの良いレタスと呼ばれたであろう深緑色の野菜の玉を、炒めてチャーハンと混ぜて食せばそれで善い。
「……俺なんのために東京出てきたんだろう」
 それが独り暮らしというものなのである。

 彼の身に振りかかった至上最悪の不運と引き換えに、彼は赤い髪と墨入れの腕、そして肉体改造の悦びを手に入れた。
 地の底を経験した彼にとって、それ以降の不運など不運のうちには入らない。
『我の道を辿るが良い、ヒトの男よ』
 一度失ったはずの左手は黒贄に呼びかける。
『運命に悪識で仇なすヒトの男よ、己の運命に反逆した罪を贖え』
 左腕が疼く日は決まって目覚めが悪く、それは黒贄の記憶の表皮に至上最悪の不運を蘇らせる。
『悪識を以てなした仇を、誰(た)が悪識で贖う日まで我と往け』
 5年前。
 己の身に余る『それ』を討ったとき、黒贄は彼自身の左腕を失った。
 大学に合格して上京し、何かと小うるさい両親の目から逃れていよいよ人生を謳歌しようとしていた矢先のことであった。
 新歓コンパまで蹴って、頼まれてやった『拝み屋家業』だったのに。
『我が依り代よ、苦しみながら死に至れ』
「ようするに、騙し討ちされたのが納得できないってコトなんだろ」
 作りすぎたチャーハンはラーメンどんぶりに山盛り一杯分になった。半分以上はレタスである。
 それを色あせたスプーンでかき込みながら、夢見の悪かった己に言い訳をするような独り言を黒贄は漏らす。
 どんぶりを支えている左腕は黒贄の左手であって、それと同時に黒贄の左手ではない。
 あの日討った羆――――ケモノが、黒贄を依り代として具現化したモノ、だった。
「俺ぁ人間のままで生きて、人間のままで死ぬ。てめぇの思う通りになんざさせねぇよ、悔しかったら乗っ取ってみやがれってんだ」
 電源を切ったまま映らないテレビを睨みつけながら黒贄は囁く。
 この身を屠るケモノを食い止めるために、この身を焼く。
 この身をケモノと同調させぬために、この身に痛みを刻みつける。
「……負けてたまるかってんだ」
 不遜に舐めた口唇に、冷たい金属の感触がある。それはしゃらりと小さく鳴りながら、彼の耳朶を震わせ揺れた。
 生きることをまっとうするために、生きていく。
 至上最悪を経験した男は、己の内に飼うケモノと闘っている。

(了)

■□■今までのご愛顧、本当にありがとうございました。 森田桃子■□■