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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき 〜上州つつじ紀行〜


 改札をくぐって、眼前に広がるロータリーを見回すと、そこには大小さまざまな大きさのタヌキの像が置かれていた。
「…………」
 左肩に背負った荷物をそのままに、彼――――桐苑敦己はタヌキたちと見つめあっている。
 一番大きなタヌキは、台座と合わせると桐苑の背丈と同じくらいの大きさがある。その横に、髪を結った江戸時代の町娘風のタヌキがつつましく佇んでおり、さらにその足下には子ダヌキといった様子の膝丈タヌキが桐苑を見上げているのである。
「…………」
 何気なく視線をやった道の向こうのそば屋の壁に、ひどく抽象的なタヌキの肖像が描かれているのを見て、桐苑は僅かな眩暈を感じた。
 東武伊勢崎線・大泉線、群馬県は館林駅である。
 古くは犬公方と呼ばれた徳川綱吉の膝元で、文福茶釜の逸話発症の地ともされている古い町だ。それほど大きな都市ではないが、皇后陛下が生まれ育った場所としてご老人方には名高い町でもある。
「もっと大きな駅だと思ってたんですが……これはちょっとばかり見当を見誤りましたね……」
 くしゃくしゃと前髪を掻きながら、改札横の旅行会社の前で桐苑はひとりぼやく。

 宇都宮からどこに発とうかと繰ったコインは、5度試しても5度の裏を表した。
 本来ならば、1度目の裏で潔く群馬を目指すのが彼の正義だったはずだった。が、宇都宮から群馬入りできる電車は限られている。北関東は、東西に乗り入れられる車線に乏しいのだ。
 できれば、素直に日光へ向かいたい。
 そんな桐苑の思いを、コインは見透かし、あざけ笑うかのように裏を繰りだし続けた。
「わかりました……コインの神様、ごめんなさい」
 宇都宮から大宮まで上り、だるまの町・高崎に向かうか。
 宇都宮から小山に下り、詩人の町・前橋に向かうか。
 宇都宮かに久喜に上り、犬公方の町・館林へ向かうか。
「――――館林なら、歴史の造詣を深めることができるかもしれません」
 そう思って下り立った館林駅での、熱烈なタヌキ像の出迎えであった。

 とりあえず、当初の目的であった、犬公方由来の建造物でも見つけられぬものか。
 そんな思いを胸に、桐苑はさびれた駅前通りをのんびりと歩き始めた。
 通りをはさんで右と左には、古くから商いを続けているのであろうそば屋や中華料理屋、それに甘味処が軒を連ねている。
「……どうせなら、犬公方定食とかがあったら食べてみたいんですけど」
 彼の意図に反して、そこには犬公方の犬の字も発見することができない。ここは本当に、綱吉ゆかりの土地なのだろうか――――自らの知識に疑いの影が落ちたとき、左手に『館林観光案内所』と書かれた小さな店が開いているのを発見した。
 どうせ、何をする当てもない旅である。
 妙にこざっぱりとしたその案内所に向けて、桐苑は歩を進めていく。

「ああ、残念ですねお客さん……あとね、1ヶ月くらいするとすごかったんですよ。つつじ」
「へ? つつじ?」
 案内所の初老の男性に差し出されたもなかを素直に頬張りながら、桐苑はすっとんきょうな声をあげた。
「そう、つつじ。お客さん、東京の人でしょう? だったら1度、ここのつつじは見ておくべきだった。つつじっていう花に持ってるイメージが一新しましたよ、きっと」
 そう云って男は、自分の後ろに張られているポスターをくいっと顎で指し示した。
「わ……すご……」
 つつじ祭、と書かれたそのポスターには、真っ赤に染まった山の風景が写しだされている。記された日付は1ヶ月よりもう少しあとのもので、左下には駅前で見つめあったタヌキ像の写真があった。
「一応ね、つつじ祭はゴールデンウィークなんですけど。でも花山が本当にすごいのは、4月の末なんですよ」
「これ、全部つつじなんですか?」
「そう。うちら地元の人間は、つつじヶ丘公園のことを花山って呼ぶんです。築山がね、まるまるひとつ、つつじで覆い尽くされてるから」
「へえぇぇぇ………………」
 桐苑はもなかをくわえながら、しげしげとつつじ祭のポスターに魅入った。考えてみれば、一見の案内所でどうしてもなかを振る舞われているのかよくわからない。もなかの包み紙には、「足利名物・古印もなか」と書かれていた。ますますもって、意味がわからない。
「この辺りを気に入って移り住んでくる外国人のひとも、沢山いるです。隣町には大泉っつって、ブラジルのひとたちがたくさん住んでる界隈もあるし。この案内所の2階も台湾の人がお店やってるし、そこの角はバングラデシュの人、通りにはインドの人、もう1本向こうの通りには中国の人のお店がある」
「国際的ですね……」
「若い人達がね、頑張ってる町だからここは。新しいものも古いものも恐がらないで受け止められる、柔軟なひとたちがたくさんいるとこ……あ、お茶もう1杯飲む?」
「いただきます」
 男性が中に引っ込んだとき、桐苑は改めてつつじのポスターを眺めた。
「確かに……これをこの目で見ないのは、ちょっと残念な気もしますねえ……」
 桐苑は呟く。
 が、それも旅のひとつの楽しみであると、彼は思う。
 見たければ、またここに来れば良い。もう1度見たければ、さらにここに足を運べば良い。
 旅と人生は等しい。行き急ぐこともできるが、立ち止まることもできるのだから。
「また暖かくなってきたころ、ゆっくりおいでな。これをお土産にあげる、ほら」
 熱い茶を持って戻ってきた男性が、にこにこと桐苑に絵葉書セットを手渡した。
「? これ、鉢植えのつつじですよね?」
 確かに、東京の車道脇に植えられている貧相なつつじとは比べ物にならないくらい、花振りも大きく、色も鮮やかである。が、こんな一株のつつじが、果たして絵葉書になるほど貴重なものであるのだろうか。
「そ、つつじ。宇宙つつじ」
「う……宇宙……?」
「こないだ宇宙にいったで、向井千秋さんが。向井さんは館林の人でね、そこの角を曲がったとこに実家のカバンやさんがあるんさ」
 男性はいつのまにか、屈託のない上州弁でなつっこく桐苑に語りかけていた。
「向井さんが宇宙にいったときね、ロケットん中に館林のつつじを一株持ってってくれてねえ。それが向井千秋記念科学館に飾られてて、それが宇宙つつじ」
「へ……へえぇぇぇぇ……………ありがとうございます……」
 見れば見るほど、普通のつつじである。
 が、桐苑はその絵葉書セットをバッグの中に大切そうにしまい込んだ。

 いつかまた、この町にくることを、駅前のタヌキ像たちに約束した。
 東武伊勢崎線は南北に延び、下れば北は足利市、上れば南は浅草である。
「風の向くまま、コインの向くまま――――」
 ピン、と弾いたコインを、桐苑は手のひらに強く握りしめる。

 まだまだ、この目に見たことのない景色がある。
 まだまだ、この脳に刻みつけられていない知識がある。
 どこまでも続くであろう旅路の果てを、桐苑は心の中に思い描いていた。

(了)

■□■今までのご愛顧、本当にありがとうございました。 森田桃子■□■