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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


花葬


■ 

「で、開発されることになったはいいが、どうにもその木が恐ろしいのだと、業者の代表は言うわけだよ」
 アトラス編集部にたびたび足を運んでいる男・田辺聖人は、そう告げて頭を掻いた。
全身を黒一色で染め上げた出で立ちをしているこの男は、その目つきもあって、どうにもガラの悪い男にしか見えないのだが。
 対して、彼の前のテーブルには、所狭しと並べられた数種類ものケーキ、ケーキ、ケーキ。
三下がこそこそと皿を運び、田辺が自作したというケーキを皿の上に取り分けた。
「田辺さんのケーキ、いつもおいしそうですよねぇ」
 感嘆のため息を吐く三下の言葉は、ソファーにふかぶかと座っている碇編集長の耳には届いていないようだ。
 三下のため息は感嘆のそれから無念のそれへと変容するが、そんな三下には目もくれず、碇はチョコレートケーキにフォークを突き立てた。
「神木の祟りとかいうのはよく聞くけれど、その木もそういった類いかしら」
 紅茶を口に運びつつ、碇はそう返して目を細ませる。田辺は小さな唸り声のような返事を返し、三下に一瞥する。
「神木レベルでなくても、ある程度の樹齢を重ねていれば、必然的にそういった逸話は抱えるだろうしな」

 トウキョウの中心から離れること、数時間。とある市のはずれの山間に、その木はぽつりと立っている。
 見晴らしのよい小高い丘の上、群れることなく、一本だけ揺れるその木に咲く花は、薄紅色の桜の花。
 その桜は”送りの桜”といわれているのだという。
 その昔、その木の下に、若い男がうち捨てられた。そしてそれを発端に、流行り病に侵された者が、その場所に置き去りにされるようになったのだという。
あるいは飢饉の対策として、生まれたばかりの子供や老人なども、そこに捨てられるようになったのだという。

「開発して住宅地にするのはいいが、その木が邪魔になる。で、切ろうとすると、どうも女の泣き声が聞こえるのだと。それがどうにも恐ろしくて、一向に開発が進まんのだと」
 田辺は三下の顔を見据えたままで、そう言い放って静かに笑う。
「女の泣き声……。やっぱり、そこに捨てられた人の誰かとか、あるいは関係者とかが、成仏できずにいるのかしらね」
 紅茶を飲み干して、カップを受け皿に戻しつつ、碇が小さく首を傾げた。
対する田辺はわずかに肩をすくめてみせただけで、同意も反意も見せなかった。
「それでまぁ、それをどうにか解決してほしいっつうのが、俺が出入りしてる事務所からの依頼でな。業者は”祟り”を解決してくれりゃあいいんだろうが、あんたらとしてはそれだけで終わらねぇだろ?」
 頷く碇を見やり、田辺は薄い笑みを浮かべて続ける。
「まぁ、あれだ。時期も時期だし、花見と洒落こむのもアリだろうしな」
 ニィと笑う田辺の言葉に、碇もまた微笑して目を細ませる。それから初めて三下の顔を確かめて、
「ということだから、何人か集めてちょうだい」
 三下は田辺のケーキを口に運ぶタイミングを見計らっていたのだが、碇の視線に、すごすごと引き下がって行った。
 電話を手にして思い悩み始めている三下を眺め、田辺はアゴヒゲを撫でつつ、ふむと頷く。
「俺のほうでも、知り合いに連絡とってみたんだけれどもな。……まぁ、気が向けば来るだろうさ」



 薄紅色の花びらが、風に舞ってひらひらと揺らぐ。
 風の内に水流があるかのような、その揺らぎを漆黒の瞼に映し、少女はついと睫毛を持ち上げた。
「――――桜の、夢」
 呟き、窓の向こうの空を仰ぐ。
 春の湖面と同じ色を浮かべた空に、少女――海原みそのは細い首をわずかに傾げた。
それからゆらりと躯を動かすと、その身に薄衣をふわりと羽織る。
「……碇様のもとへ、参りましょう」
 誰にともなく呟くと、窓から流れこんだ柔らかな風が、その黒髪をはらりと撫でた。

「こんにちは、碇さん。ご無沙汰しておりました」
 丁寧な挨拶を口にしながら、綾和泉匡乃は慣れた足取りで編集部の中を歩き進めて来た。
穏やかな物腰のその青年に、碇はソファーに腰掛けたままで視線を上げて、「あら、久しぶり」と笑う。
「お久しぶりね、匡乃さん。お忙しかったのかしら?」
「ええ、少々。時節柄、受け持ちの生徒の受験が一段落つくまでは、僕自身も休暇を取るわけにいきませんから」
「ああ、そういえば、塾の講師だものね。もう落ちついたの?」
 片手で髪を撫でつけながら微笑する碇に、匡乃は小さく頷くことで返事と成した。
 碇の向かい側のソファーに目をやれば、そこには見慣れない男がいる。
「田辺さんっていうの。時々うちにネタを……いえ、情報をもってきてくれるのよ」
 碇の紹介を受けて匡乃が丁寧な会釈をすると、田辺もわずかに頭をさげた。
「その田辺さんがアトラスにいらっしゃるということは、何かしらの依頼が舞いこんできている、という事でしょうか?」
 匡乃が訊ねると、碇と田辺は顔を見合わせた後に小さく笑い、匡乃を見やる。
「ハジメマシテでなんだけど、えぇと、匡乃さん? あんた、花見は好きかい?」
 田辺が笑った。

 三下からの電話を受けた時、セレスティ・カーニンガムは、ちょうど車での移動中であった。
「――えぇ、たった今ほど用事が終わったばかりでして。――えぇ、それは構いませんよ。花見は嫌いではありませんし。――――わかりました。それでは、……そうですね、五分ほど後に、編集部の方に参ります」
 通話を切ってスーツの内ポケットにしまいこみ、運転手に行く先を告げると、麗しきリンスター財閥の総帥はゆったりとシートに腰を据える。
「送りの桜だそうですよ。……桜というものは、とかく曰くに所縁の深い樹だと思いませんか?」
 悠然と微笑みながらそう問うと、運転手は弱く笑って「はぁ」と唸った。
その対応に小さな笑いをこぼし、セレスティは窓の外に流れる風景に目を向けた。
――色づいた花の色彩が、街の風景を和やかな風景へと染めている。

 威伏神羅はふと足を止めて、目の前に建つビルを仰ぎ眺めた。
小さなため息をこぼすその口許はわずかに緩み、赤い色を帯びた目は穏やかな笑みを浮かべている。
 ついと足を進める。目指しているのはアトラス編集部。
「田辺め……私に声をかけてくるのはいいが、厄介な面倒事ではなかろうな」
 一人ごちて肩をすくめる。
仕事帰りであるのだろうか。その出で立ちはといえば、薄い桃色の地に桜色の子持ち縞の入った和装。合わせている帯は、全体を締めるような黒に花柄が織り込まれている。
吹く風がその裾を揺らし、神羅ははらりと舞う黒髪を軽く撫でつけて、ビルの中へと踏みこんだ。


 羽角悠宇は、色づき始めた風景を横目に、初めて訪れた山間の中バイクを走らせていた。
通りすぎていく景色は、長かった冬から目覚めた喜びの色をたたえ、流れていく風がその上をやわらかく撫でていく。
 悠宇が今日この道を走っているのには理由がある。先日、彼は、とある筋から一つの噂を聞いたのだ。
”すすり泣く桜があるらしい”
その噂を耳にしてから彼の胸の内には不思議な情が浮かび、その情は一向に立ち消えようとしない。
 そうして今日、彼はついに思い立って、その桜を見にいってみることにしたのだ。
 横目に流れていく景色はのどかで心を和ませる。
――――と、彼の横を、一台の高級車が追い越していった。


「なぁなぁ、どんな酒持ってきたのかって訊いてるだけじゃん、あややぁ」
 前を行く槻島綾は、わずかに早足で歩を進めている。それを追う高台寺孔志は、しかし急ぐ風でもなく、のんびりとした歩調で、友人の後についていく。
「あややってばよぉ」
 孔志が二度目にそう口にしたのと同時に、槻島がカツリと歩みを止めて踵を返した。
「もうじき列車がきますよ、孔志さん」
 眼鏡の奥でふうわりと笑みを浮かべているのは、芽吹き出した新緑にも似た優しい色彩。
そしてその言葉の通り、列車の到着を告げるアナウンスがホームの中に響き渡る。
列車の姿を目にとめながら、槻島は、自分が携えている袋を持ち替えて孔志の言葉に応じた。
「これは、桜を慰めるためのものです。僕達が楽しむためだけのものではないんですよ」
「そりゃ、わかってるけどさぁ」
 槻島の言にわずかな不服を示してみせる孔志に、槻島は困ったように微笑んで、ホームに滑りこんできた列車に足をかけた。

 槻島はその桜の話を、とある山間で計画されているという、都市開発にまつわる噂で耳にした。
 今まさに伐採されようとしている桜の古木があるらしい。
 桜には、槻島も孔志も、少なからず心を寄せている。
関心をもって調べてみると、その古木はおよそ300年ほど前からその場所にあったらしい、ということが分かった。

「300年っつうとさ、ソメイヨシノじゃぁないよな」
 列車に揺られながら、呟くように孔志が問うと、
「枝垂桜みたいですね……ソメイヨシノの寿命は60年から100年ほどといわれていますし」
 槻島が頷いた。

 カタタン カタタン
 列車が静かに揺れ動く。乗客の姿は二人以外に見当たらない。
「ともかく、アトラスの碇さんが仰るには、僕達の他にも現地に向かっているとの事ですし。多少時間が前後するでしょうが、合流して調査してみましょう」
 窓の外を流れていく牧歌的な風景に目を向けながら、槻島がゆったりと詠うように呟いた。


■ 

「これが件の桜のようですねぇ」
 ひどくのんきな口調で、セレスティがその指先で枝を愛でている。
 
 七人がそれぞれの手段で桜の下に集った頃には、空にはうっすらとした三日月の姿があった。とはいえ、そこに広がっているのは、未だ暮れきれていない薄い夕闇。その中で、その桜の花は、黙したまま風にそよいでいる。風にそよぐその枝は、長躯な者であればその髪にもたれかかってきそうなほどに垂れ下がっている。
「枝垂桜であったのか」
 神羅は薄い笑みを唇に浮かべつつ、そう述べた。

 その枝垂桜は、その身ひとつでその場に立っていた。
群れをなさず、ただ独りきりで、まるで空に架かる月ばかりを友として在るかのように。

「俺は、この花が”送りの桜”と呼ばれていると聞いてここに来たんだけども……」
 桜を見つめていた視線を、誰にともなく移した悠宇の言葉に、孔志が眉をしかめる。
「送りの桜? なんだそりゃ」
 眉をしかめつつ隣にいる槻島に目を向けると、槻島は何かを言いかけて、ふと口を閉ざした。
代わりに応じたのは匡乃。匡乃は目を細めて桜を見据えていたが、その目をゆっくりとおろすと、悠宇と孔志に微笑みかけて頷いた。
「これは僕が田辺さんから伺ってきた話ですけれども」
 そう前置きしつつ、槻島に視線を向ける。
槻島は匡乃に向けて笑みを返すと、半歩ほど前に進んで首を傾げた。
「僕も、少しですけれど、調べてきました」

 桜は風になびいてさわさわと揺れる。
その彼方では、三日月が、紙のようにひらひらと輝いている。
 槻島と匡乃が、桜のもつ曰くの由来を話している間、みそのは一人、桜を見上げていた。

「……それじゃあ、昔この辺に住んでた人達は、この桜の周りに病人達を置き去りにしていったっていうのか……だから」
 悠宇が眉をしかめると、匡乃が頷き、視線を持ち上げた。
「僕が思うに、この桜が色々な逸話をもっているのだとしたら、それは、この樹が彼らの――捨てられた人々の心の拠り所だからなのではないのか、と」
 匡乃が見上げる先、月が静かに輝いている。
糸のような雲がいくつか集い、三日月を覆い隠すようにゆらりと伸びる。
 セレスティの銀髪が、絹糸のように夜風に舞う。
彼はそれを片手で撫でつけながら、匡乃の言に同意した。
「墓標のような役割を担っているのではないかと、私も思います」
「墓標……」
 悠宇の視線がセレスティを捉える。
二人の銀髪は、時折雲間から覗く月光に照らされて、鉱石のようなひらめきを放つ。
「噂だと、ここですすり泣く声は女のそれだっていうけど……その話が事実なら、なんだか……なんだかやるせない話だよな」
 悠宇の目が、地表に積もっている桜の残骸へと向けられた。
花びらはあとからあとから降り注ぎ、まるで薄紅色に染まった雪のように、地をやわらかな色で染めていく。
 しばし訪れた沈黙の後に、孔志が小さな唸り声にも似た声を発し、首を鳴らした。
「んんー、なんつぅかさ、俺もさ、桜が嘆いてるんだとしたら、黙っちゃらんねぇけどさ。俺、花屋だしね?」
 薄茶色の柔らかな質をした髪をかきあげて笑うと、孔志は目を桜の樹に向け直して、その手で古木の幹を静かに撫でる。
「……こいつがさ、今まで何を見て……何を守ってきたのか。それを知りてぇかなって思うんだよな」
「昔ここであったその話が事実だとすれば、ここで泣いてるっていうのは、初めに捨てられた男の恋人とか、そういう人なのかもしれないよな」
 悠宇が、孔志の言葉を継げるように口を開ける。
「悔しさとか、後悔とか、悲しみとか……色んな想いがここに拠っているのかもしんないよね」
 悠宇の言葉に、場が再び沈黙に包まれる。

 さわさわと桜が揺れる。
花はそうして揺れるごとに欠片を散らし、地表には一面の薄紅が積もっていく。
さわさわと風が吹く中で、それまで黙していたみそのがゆっくりと振り向いて穏かに笑んだ。
「泣いておられるのが疫神様であれ、怨念であれ、こちらの樹に在る精霊様であれ、嘆く理由がおありなのでしょうから、そのご事情を直接窺った方がよろしいのではないでしょうか」
 詠うように紡がれたその言に、悠宇と孔志が互いの顔を見合わせた後に同意した。
「こちらにいらっしゃるのはお一人なのでしょうか?」
 セレスティが問うと、みそのはしばし思案した後に艶然と微笑し、首を傾げる。
「お会いしてみれば判るのではないでしょうか」
「……そう、ですね」
 槻島が、眼鏡を指の腹で押し上げながら小さく頷く。
「お会いするための術はおありでしょうか?」
 訊ねると、みそのは、まとっている薄衣をはらりと風に舞わせて目を閉じた。
「わたくしには、こちらにおわすお方を呼び招く事しか出来ません。……その後は皆様方にお任せするよりほかございませんが」
 舞踊を舞うような足取りのみそのを見やり、神羅がゆらりと足を進める。
「およばずながら私も助力しよう。これでも一介の楽師なればのぅ」
 赤い光彩を放っている眼を緩め、みそのの横に腰を据える。やんわりと歪めている唇に篠笛を添えれば、次の瞬間には、笛の音が風に舞って広がっていた。

 さわさわと桜が舞う。
笛が奏でる音は花を散らす風と重なり、日暮れた空に昇っていく。
紙のような三日月が、言葉もなく地を照らしている。今は糸のような雲の姿も見当たらない。
「この曲は、なんといいましたでしょうか」
 セレスティが闇空を仰ぎ眺めて呟くと、
「祇王だと思います」
 槻島が答えた。

 さわさわと桜が揺れる。

「――――声が」
 匡乃が呟くのと同時に、風の声は女の声となって笛のそれと重なった。
花を揺らしていた風が、ぴたりと凪ぐ。
「女の泣き声だよね」
 悠宇が周りを見渡した。
 
 みそのの薄墨の衣がひたりと止まる。
 風も凪いでしまったその場には、今や神羅が奏じる笛の音と、桜が地表に降り積もる音、そして女の嘆く声ばかりがある。
 その静寂を壊さぬように、ひどく静かな声音で、みそのがゆっくりと唇を動かす。
「貴方様がこの樹におわすお方でしょうか?」
 見つめる先には、一人の女が立っていた。
その表情を窺い知る事が出来ないのは、女が小面をつけているからだ。
その立烏帽子に水干といった出で立ちは、神羅が奏していた”祇王”を彷彿とさせる。
 女はみそのの問いかけに応じて俯くと、とてもかすかな、消え入りそうな声で言葉を告げた。

――わたくしは、この樹に棲む精でございます

 ひっそりと泣きながら応じた女に向けて、槻島が問いかける。
「なぜ嘆いていらっしゃるのですか?」
 女はしばしの間を置いた後に顔を持ち上げた。

――わたくしは、わたくしというこの身を、志半ばに世を去った方々や、最期まで親の名を呼びつづけていた幼子達のための墓標であると思っております。

 答えると、女は再び俯いてひっそりと泣き声をあげる。

「なるほど……やはりそうでしたか」
 匡乃が頷き、女の横に座るみそのに微笑みかけた。
「確かに、それをいきなり切るというのは、無粋な行為ですよね」
 匡乃の笑みに微笑を返し、みそのが漆黒の双眸を緩める。
「植えかえる――――ってのはどうかな」
 孔志が口を挟む。
「この土地の開発はどうしようもない事だろうし……だったら俺ん家の庭に来りゃぁいい。そうしねえか?」
 しかし女は俯いたままで首を振り、孔志のその申し出を静かに断った。

――わたくしはこの場を離れず、彼らを慰めていきたいのです。この身の最期のひとひらまでを用いて。

 月の灯がぽつぽつと桜を射るように降ってくる。
その月を仰ぎながら、セレスティが思案顔で口を開けた。
「しかし私には、あなたが嘆いていらっしゃる理由がそれひとつだけだとは思えないのですけれども」
 それから目を女へと向け直し、深く考えこんでいるような表情を見せる。
「墓碑を残したいというその望み、私でよろしければ叶えてさしあげられますよ」
 だからもう眠りませんか。そう続けるセレスティの言葉を継げて槻島も口を開く。
「キミ……いえ、あなたがこれまでどのような景色を目にしてきたのか、僕には思いはかることも出来ません。でも、僕はこう思うのです」
 女の顔が自分に向いたのを確かめると、槻島は首を傾げて静かに笑んだ。
「どんなに辛い過去も記憶も、今、そして未来に繋がっていく掛け橋なのではないかと。それを忘れることは難しいです。いえ、忘れる必要はないのだとも思います。でもいつかはきっと懐かしい思い出になるのだとも、信じています」
 槻島の言葉に、セレスティも微笑する。

――懐かしい、と

 女はそう呟きを返し、再び俯いた。
しかし間もなく面を持ち上げると、顔を覆っていた小面を外し、あらわになった顔で桜を見上げて口を動かした。
――懐かしいと思えるようにと、永い間願ってまいりました
 ため息のようにそう呟く女の白い頬に、涙が弧を描いて筋を成す。
「……永い間ひとりで過ごしてきて、辛かっただろう?」
 孔志が語りかける。女は答えなかったが、代わりに夜風がはらりと花を揺らした。
――わたくしにはもう時間が残されておりません
 涙と共に吐き出された告白を、桜の花を撫で過ぎていく風の音が打ち消した。
――わたくしはもう、次の春を見ることが出来ないのです

「……僕達には何をしてさしあげることも出来ませんが、あなたを、そしてこの場所で亡くなった方々を送ることくらいなら出来ると思います」
 匡乃が、女に言い聞かせるような口ぶりで、ゆっくりと言葉を成した。
深く頷きつつ同意したのは悠宇だった。
「力でどうにかするのは簡単な事だと思う。でもそんなことはしたくない。おまえの命がもう尽きようとしてるなら、俺たちがおまえの終わりを見届けてやる。……それで、おまえ達の慰めにならねぇかな?」
 悠宇がそう訊ねると、女はわずかに唇を緩ませた。
「――そのようなことであれば、遠慮なく宴の用意を始めるとするか。のぅ、巫女殿」
 神羅の口がつりあがる。みそのはいくらか驚いたような表情を浮かべてみせたが、すぐにまた艶然とした笑みをのせ、首を傾げる。
「それではわたくしは皆様方に酌をしてさしあげます」
 桜吹雪を散らした薄衣が、みそのの動きに合わせてはらりと揺れた。
「そうそう、みんな聞いてよ。あややってばさぁ、すっげぇ良い酒持ってきてんの。精霊も酒飲めるんだったら一緒に飲もうよ。あ、でも余ったら、俺土産に持って帰るから」
 孔志の言葉に槻島が困ったような笑みを浮かべる。
「孔志さんはそればっかりですね……心配しなくとも、余ったらお土産にさしあげますよ」
「余ったら、であろう?」
 脇から朱塗りの椀をつきだしたのは神羅だった。
「なぁに、余る事はあるまい。私がおるからのぅ」

 その後ろでは、匡乃と悠宇、そしてみそのがセレスティの車から大量の荷をおろしている。
「せっかくの桜ですしと思い、花見に添うようなものを持参してまいりました」
 自身も軽いものを運びながら、セレスティがやんわりと微笑む。
 やがて並んだのは見目にも華やかな重箱と朱塗りの椀。紙コップに日本酒の瓶、そしてジュースのペットボトル。
「羽角君とみそのさんはジュースだよね?」
 匡乃が微笑しつつ紙コップを差し伸べると、悠宇は少し不満そうな表情で受け取った。
みそのは受け取りこそしたが、それを一口運んだだけで、すぐに酒瓶を手にして歩みを進めた。
「殿方にお酌をしてさしあげるのは、わたくしのつとめでございますから」
 年に見合わぬ艶然とした笑みを唇に浮かべ、みそのはそう告げて首を傾げた。

 さわさわと桜が揺れている。女の姿は消えていた。
空に架かる三日月は夜風に揺らぎ、ひらひらと輝いている。
桜は止むことなく花びらを地に降らせ、夜露で湿った土がそれを飲み下していく。
さわさわと揺れる花の声音が、時折女の声と重なっているように聞こえる。

 どれほどの時間が過ぎただろうか。不意にセレスティが顔を持ち上げて神羅を見やった。
神羅は孔志の椀に酒を注ぎいれながら、自分も浴びるように飲んでいたが、
「――何用じゃ?」
 セレスティを見やって目を細ませた。
「ご迷惑でなければ、また笛の音を聴かせていただきたいなと思いまして」
「あぁ、なるほど。然り、然り。興は多いほうが良かろう。……それに、」
 言いかけた言葉を飲みこんで、神羅は桜の散る様をしばし見届けた。
「餞になりますものね」
 飲みこんだその言葉を代弁するかのように、みそのが腰を持ち上げる。
「わたくしもお手伝いいたします」
 
 夜は静かに更けていく。時の流れと共に、風が強さを増して、悪戯に桜を散らしていく。
――ああ、ああ、わたくしの命は夏を待たず尽きるでしょう
 女の声が桜のそよぐ音にまぎれて流れる。
 神羅はそっと目を閉じて笛に指をかけた。みそのはその音色に合わせて舞いを踏む。
――出来ることならば、どうかわたくしという墓碑を忘れずにいてください
 桜がはらはらと散っていく。まるで泣いているかのように。

「ええ、忘れませんよ」
 槻島が詠うように呟いた。
「僕は生涯あなたのことを忘れません。あなたと、あなたが守り続けてきた魂達のことを」
 
 笛の音が夜に溶けこんでいく。
 紙のようにひらひらと揺れる三日月ばかりが、灯のように闇を照らし続けていた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1388 / 海原・みその / 女性 / 13歳 / 深淵の巫女】
【1537 / 綾和泉・匡乃 / 男性 / 27歳 / 予備校講師】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2226 / 槻島・綾 / 男性 / 27歳 / エッセイスト】
【2936 / 高台寺・孔志/ 男性 / 27歳 / 花屋】
【3525 / 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【4790 / 威伏・神羅 / 女性 / 623歳 / 流しの演奏家】



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■         ライター通信          ■
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お待たせしてしまいました。このノベルを担当いたしましたエム・リーと申します。
時節柄、花見の頃を迎えていらっしゃる場所にお住まいな方もいらっしゃるかもしれませんね。
今年は花の開くのが遅めだとも報じられているようですから、少し気の早い花見ノベルとなったかもしれません。

桜の精霊は、皆様に慰められ、穏かに終わりを迎えられたかと思います。
今回のノベルでは雰囲気を重視したかったので、その辺は少し曖昧にぼかしてみました。
お気に召していただければと思います。
また、今回は初めましてという方がほとんどというノベルになりました。
口調・一人称・設定など、イメージと異なる点がありましたら、どうぞお申しつけくださいませ。

それではありがとうございました。
またお会い出来れば光栄に思います。