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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


調査コードネーム:春風・爛漫・花見会
執筆ライター  :階アトリ
調査組織名   :界鏡現象〜異界〜
募集予定人数  :1〜8人

------<オープニング>--------------------------------------

 八束ケミカル本社ビル屋上。
 屋上緑化で作られた小さな人工林にも、地上の木々と同じく新緑の色が光る。
 梢の合間に苔むした屋根を覗かせる社(やしろ)の中は、今日も今日とて、酒臭い。
「…………」
 格子扉を開けた八束・銀子(はちづか・ぎんこ)は、眉間に皺を寄せた。
 蝋燭の火の揺れる祭壇の前に、白狐が一匹、丸くなって眠っている。深く眠っているようで、銀子が歩み寄っても、寝息のリズムは乱れない。その周囲の床には、様々な種類の空き瓶が転がっていた。ラベルを見るまでもなく、全て酒類のもの。
 銀子の金色の目が、剣呑な光を帯びて細められる。
 くるぶしまであるスカートの裾を軽やかに捌き、銀子は床に膝を折った。
「兄様。椿の兄様。……もう日は高うございますよ」
 優しく声をかけてみても、反応はない。
 銀子は溜息を吐き、おもむろに、眠りこけている白狐の耳元に両手を寄せた。そして思い切り、打ち合わせる。
 パン!
「ふぎゃっ!?」
 塀の上で居眠りしていた猫が落ちた時のような、文字表現しがたい悲鳴を上げて、白狐――社の主である稲荷狐、椿(つばき)が跳ね起きた。
「な、何や!?」
 椿は突然の衝撃に、激しく目を瞬いている。きちんと意識が覚醒するまでに、これから更にしばらくを要した。
 目の前にいるのが銀子だと認識できても、相手に合わせて人の姿に化けることすらできないのだから、よほど気を抜いていたのだろう。
「昨夜も遅くまで、街で遊んでおいででしょう。夜に歩くのは我らの性、仕方がありません。しかし、あまりお社をお空けになぬよう、銀子はいつも、口を酸っぱくしておりますのに」
 くどくどと説教されて、椿の耳が嫌そうに項垂れた。これではどちらが兄だか妹だかわからない。
「そんな……ワシがどんだけ朝寝しとったところで、誰が迷惑するちゅうこともなし……」
「いいえ、迷惑はかかります」
 別にええやんか、と言おうとしたところを制されて、椿はしゅんと鼻面を下げる。
「社の鈴をいくら鳴らしても応えがなかったからと、大木(おおぎ)のお山からのお使いが、わざわざ私のところへ来たのですよ」
 銀子は椿の眼前で、扇子を広げた。上に乗っているのは、瑞々しい若葉。
 山桜の葉だった。里で咲く桜と違い、花と共に芽吹くその葉は、独特の紅い色をしている。
 椿は目を丸くした。
「そうか。もう、そないな季節なんやな」
「ええ。紅衣御前(べにぎぬのごぜん)から、お花見のお誘いです」
 紅衣というのは、山桜の古木の名だった。彼らが故郷の山を離れてからも、こうして、花の時期には知らせをくれる。
「もうすぐ八分咲きの、見頃だそうですよ。なんでも、今年は特に賑やかにしてほしいとか」
 銀子の言葉に、椿の耳がピンと立ち上がった。宴会好きの血が騒いでいるようだ。
「賑やか、なあ。……ほな、なんぼか人集めなあかんなあ」
 

------<集合>------------------------------

 数日後、四月某日、朝。
 八束ケミカルの屋上に、社員の一部と、一般からの物好きな……否、有り難い希望者若干名が、花見の参加者として集まっていた。
 その中には、草間興信所の三名もいる。
「おい。確か、どっかの山に行くんだよな? 大人数なら、足はバスか何かだろ。集合場所が屋上って、妙じゃないか?」
 草間・武彦(くさま・たけひこ)に言われて、シュライン・エマは切れ長の目を瞬いた。椿から知らせを聞いて、花見に参加しようと言い出したのは、興信所で事務員を務めている彼女だ。
「そうね。でも、確かにそう聞いたわよ」
「大丈夫なのか? 弁当まで持ってきて、置いてけぼり食らうのは御免だぜ」
 草間の手には、大きなお重が入っているとおぼしき、風呂敷包みが下げられている。中身は、シュライン特製のお花見弁当だ。
 今日は、参加者がそれぞれ自慢の一品を持ち寄って宴会をしよう、という形式になっているのである。
「でもお兄さん、他にもたくさんの方がいらしてますよ。間違ってはいないんじゃないでしょうか?」
 暖かいお茶の入った魔法瓶を抱えた零が、周囲を見回して言った。
「僕も、『屋上に集まれー』って聞いたの。間違ってないのー」
 零のスカートの裾から、ピョコリと藤井・蘭(ふじい・らん)が顔を出した。いつもの緑のパーカーに、小さなリュックを背負っている。オリヅルランの化身である彼が「持ち主さん」と呼ぶ少女が用意してくれたのだろうか、遠足に行くようないでたちが、子供らしくて微笑ましい。
「私もここだと聞いたけどねぇ?」
 横で聞いていた大徳寺・華子(だいとくじ・はなこ)が、蘭の言葉に同意した。婀娜な仕草で軽く首を傾げると、腰まである艶やかな黒髪が、縞の和服の上で揺れる。黒襟に、春らしい淡い色取りの縞で、夢二の美人画から抜け出てきたような風情だ。彼女も、お重を包んだ風呂敷を下げていた。
「あの。なんでも、屋上からその山まで、一瞬で移動できるとか、聞き及んでおりますが」
 後ろから声をかけてきたのは、一色・千鳥(いっしき・ちどり)だ。足許に置かれた彼の荷物は、彼の着ている渋茶色のスーツに似合う、旅行用の革鞄が一つ。だが、恐らく参加者中で一番の大荷物であろう。
 千鳥は、今回の宴会用にと献立を考えた時に、事前に確認を取っていた。荷物が多くなるのだが大丈夫か、と。それで返ってきたのが、「屋上から一瞬、あとはちょっぴり山登り」という答えだったのだ。
 集合時間が近付いてきて、屋上がざわつき始めた時だった。
「申し訳ありません。お待たせしました」
「おはようさんです!」
 稲荷神社のある鎮守の森から、銀子と椿が出てきた。椿は額に汗を浮かべ、一仕事終えたような顔をしている。
「いやー、久しぶりやったから、繋げるのに手間取ってしもたわ」
「ですから、きちんと前日に準備をしておけば良かったのです!」
 銀子に睨まれて、椿は肩を竦める。
「ま、ええやんか。時間には間に合うたことやし。な?」
 ぱちん、と手のひらで朱の鳥居を叩いて、椿は集まった面々に向かって言った。
「ほな皆さん、鳥居をくぐって。楽しいお花見に向けて、出発しましょか!」

------<ちょっぴり、山登り>------------------------------

 鳥居の向こうは、もう屋上ではなかった。
 ビルの立ち並ぶ風景は消え、緑豊かな境内に。見上げれば空も違った。花曇りだったのが、見事な晴天。
 一歩踏み出しただけで、明らかに別の場所に出てきたのだった。
「どこでもドアみたいなの!」
 目を真ん丸にしている蘭に、椿が歯を見せて嬉しげに笑う。
「どや、坊(ぼん)、おもろいやろ? 同じ稲荷神社やったら、日本全国津々浦々、こうやって鳥居を通じて行き来できるんや。今風に言うたら、鳥居ネットワークっちゅうとこかな」
 屋上の稲荷神社から繋がっていたのは、山中の古びた神社だった。
「こりゃまた、随分と荒れてるんだねぇ」
 狭い境内を見回して、華子が言った。
 石の敷かれた参道はなんとか残っているものの、境内には雑草のみならず、若木さえ処構わず生えているありさま。社は半ば崩れかけていて、ここに長く人の手が入っていないことがわかる。
「昔は近くに村があったんやけどな。そこが……ホレ、何やったかな、銀子」
 椿に袖を引かれて、銀子が答えた。
「ダムの貯水池です、兄様」
「せやせや。ダム! それで沈んだんや。そやから、神主はおろか参拝者もおらんようになってなあ」
 つまり、ここは打ち捨てられた神社なのだ。
 朽ちた縄のかかった丹塗りの剥げかけた鳥居には、辛うじて読める文字が残っている。
「八束稲荷……」
 鳥居を撫でながら呟いたシュラインに、椿が頷いた。
「あ、ここな、昔ワシが住んどったとこ。ここ出てからは、とことん土地に縁がのうてなあ。関西一円、転々としたんやわ」
 重箱を下げた草間が、周囲の木々を眺め回して唇を曲げる。
「なんだ。このあたりにはまだ、桜はねえみたいだな」
「もう少し上ですのよ」
 銀子に先導されて一同が神社から出ると、舗装はされているものの車一台がやっと通れるほどの山道があった。山肌に沿って緩やかな螺旋を描くような形で、頂上へと続いているようだ。
「……上まで、結構ありそうですね」
 手でひさしを作って、千鳥は道の行く先を仰いだ。ちょっぴりの山登り、と聞いていたが、これは「ちょっぴり」ではないかもしれない。
「念のため、荷物は一旦ここに置いていきますか」
 手ぶらで上まで登った後、遠見の力で荷物を引き寄せることにしようと決めて、千鳥は鞄にしっかり鍵をかけた。

------<紅衣桜>------------------------------

 天気がよいおかげで、昼が近付くと気温がぐんと上がった。
 千鳥の危惧した通り、山登りは小一時間ほどに及ぶこととなる(どうやら、山育ちの椿の言う「ちょっぴり」は、普通のセンスからはズレていたようだ)。
 軽く汗ばみながら頂上近くの平地にたどり着いた面々は、見渡す限りの薄紅に出迎えられた。
 山桜の群生地だった。薄紅の花びらの合間に覗く、紅色の若葉が、里の桜とは違った風情だ。口々に歓声が上がる。
 中でも目を引くのが、若い木に囲まれるようにして枝を広げる、一本の古木だった。
 老いた幹には裂けた傷や瘤が目立つが、それでも花は瑞々しい。
「よっしゃ、到着や! ほな、解散して適当に宴会!!」
 昼食に丁度良い頃合である。
 椿に言われるまでもなく、あちこちにレジャーシートが敷かれた。やはり、古木の周辺が一番人気だ。
「わあ! すごい。シュラインさん、たくさん作ったんですね」
 風呂敷をほどき、五段重ねのお重を開いた零の顔に、笑みがこぼれた。
「……道理で重かったはずだよ」
 普段の運動不足がたたって、草間は少々ぐったりしている。しかし、重箱の中身を覗きこんだ彼の顔も、自然とほころんだ。
 お重の中には、煮っ転がしや蕗の煮物、茄子田楽といった、ビール、日本酒に嬉しい肴の類に、クリームコロッケや春巻きといった、お子様も大喜びの惣菜が詰まっている。豆腐の混ぜ込まれた出汁巻きと、花の形に飾り切りしてあるラディッシュのコントラストが、また美しい。
 品数も色取りも豊かな、正統派花見弁当の中には、当然のように草間の好物も多数入っていた。
「パンやデザートも、と思ったんだけどね」
 シュラインが開いたお重には、稲荷寿司やサラダ巻きといったご飯ものが入っている。食べ盛りも来るであろう、と予測して、張り切って作ったのだが、流石にこれ以上はお重に入らないので、かなりの品を諦めた。それでも、この華やかさである。
「美味そやなあ」
 シュラインの後ろから手が伸びてきて、稲荷寿司をヒョイと取った。
「お。この、ご飯がピンク色なんは、紅生姜なんやな。うん、無茶苦茶美味いわ」
 行儀悪く口一杯に頬張って、目を細めたのは椿である。椿は持っていた紙皿に、つくねの串と煮豆も取って、福々と満足顔だ。
「あら、ありがとう。でも、あんまり食べると妹さんのお弁当が食べられなくなるわよ?」
 先ほどから見ていると、椿はあちこちで色んな人のお弁当をつついて回っている。シュラインに言われて、椿は難しい顔で眉を顰めた。
「銀子のは、なあ……好みが別れるっちゅうか……」
 銀子もすぐ近くで重箱を広げている。中身は、ごく普通の、海苔の巻かれたおにぎりだが。
「わーい、いただきます、なのー!」
 ずっと椿の後ろをついて歩いていた蘭が、そのおにぎりを取って、口を開けようとしている。椿は慌てて駆け寄った。
「あ、坊。あかん!」
 しかし時既に遅く、蘭は一口、大きく頬張ってしまった。もぐもぐ、と咀嚼して、しばらくしてから、蘭の顔が真っ赤になる。
「お水〜、お水が欲しいの〜!」
 おにぎりの断面を見ると、ご飯のほうが少ないんじゃないかというくらいの勢いで、明太子と本場物の激辛キムチが、ぎゅうぎゅうに詰まっていた……。
 素材は良いので、決して不味いものではないのだ。ただ、激しく食べる人を選ぶというだけで。
「辛いの〜! お水〜!」
 飛び回る蘭に、シュラインが冷たい水を渡してやって、一件落着する。
「ほら、言うたやろ? アカンやろ? この具の配分は、ほとんど罰ゲームや」
「私は、美味しいと思うのですけど」
 椿に言われてしゅんとする銀子の横から、おにぎりに手が伸びた。
「私も、美味しいと思うけどねぇ?」
 一口食べて、平然と、笑みさえ浮かべながら言ったのは、華子だ。
「そうですか!? 良かったら、もっと召し上がってくださいな」
 銀子の顔がぱっと輝いた。彼女、その極端な辛党のせいで、普段から、手製の料理にあまり褒め言葉をもらえないのである。
「うーん……銀子と同じくらい、不思議な味覚を持ったお人やね……」
 複雑な顔で唸った椿の前で、華子が彼女の持ってきた風呂敷包みを開いた。
「お返しに。どうだい?」
 お重の中身は、おこわだった。季節の山菜がたっぷり入っている。
「……華子殿の、手作り?」
 紙皿に取ってもらったおこわを手に、恐る恐る、椿は訊ねた。
「そうだよ。何かおかしいかい?」
「いえ。何も」
 妖艶な微笑を向けられて、椿はぎくしゃくした動きで箸を取った。不思議な味覚の持ち主が作った料理である。……大丈夫だろうか。
 不安な表情で、一口、口に運んだ椿は、予想と逆の理由で目を丸くした。
「いける! 美味いわ。坊も食べてみ!」
 一皿あっという間に平らげて、椿はおかわりをもらいながら蘭を手招いている。銀子も食べて、ほう、と息を吐いた。
「本当に、美味しいですわ。私も、こんな風に皆さんの口にあうようなお料理ができるようになりたいです」
「良かったら、作り方を教えてあげるよ」
 華子の言葉に、銀子はまた顔を輝かせた。華子はというと、銀子作の激辛おにぎりをもう一つ手に取っている。どうやら、お世辞でも、嘘偽りでもなく、気に入っているらしい。
 さて、宴会の中心では、カセットコンロの上の土鍋が注目を浴びている。
 千鳥の大きな荷物の正体はこれだった。
 くらくらと音がし始めたところで千鳥が蓋を取ると、鍋の中から湯気が立ち昇った。中身は白い、豆乳だ。
「湯葉ができますよ。皆様どうぞ」
 到着してからしばらくたち、山登りの熱気が去って、肌寒くなってきた頃合だ。
 いかにも暖かそうな湯気に、吸い寄せられるように人が集まった。
 豆乳の上に張った、薄い湯葉の膜を千鳥が慣れた手つきですくうと、周囲から「おお」を声が上がる。
「まずは、こうして湯葉を頂いて。次にお野菜を入れます。最後はおじやでしめますよ」
 味もさることながら、湯葉を取る作業が面白い。零や蘭のお子様組みは、湯葉が表面に出来るたびに大喜びだ。しかし、湯葉が張る速度に対して、鍋を囲む人数が多すぎる。
「他にもいろいろありますので、湯葉ができるのを待つ間にどうぞ」
 湯葉待ちの人々の前に、千鳥は朱塗りの重箱を出した。小部屋に仕切られた中に、さまざまな品が詰まっている。
 菜の花の和え物をつまんだシュラインが、小さく声を上げた。
「あら。ちょっと面白い味。これは、胡麻の風味がメインだけど……白味噌が少し入っているのかしら?」
「アタリです。ほんの少しですけどね」
 隠し味を言い当てられて、千鳥は軽く目を瞠る。
「この土筆のお浸しも、南瓜の煮物も、どれも美味しい。これって、きちんとしたお店で出てくる味だわ」
 シュラインが続けた言葉に、千鳥は照れを含んだ笑いを口の端に乗せた。
「実は私、『山海亭』という小料理屋をしているんです。ですから、いつもお花見の時期は、そのお花見用の仕出しをするのが忙しくて。今年こそは自分も楽しもうと思って、来たんです」
 思い出してみれば、修行中の頃から、自分で楽しもうとする頃には花は散っていたのですよ、と言う千鳥に、シュラインがクスリと笑う。
「でも、結局お料理で忙しそうね」
 湯葉が終わると、次はキノコ類に水菜にと、忙しく鍋の世話をしながら、千鳥は頭を振った。
「いえ。花の下で私の料理を召し上がるお客様のお顔を見られるだけでも、楽しいですよ。去年まではひたすら、店の中で作るばかりでしたからね」
 そうこうする内に、山の下の酒屋に頼んでいたという酒が届いた。冷たいビールが余るほど配られたり、樽酒が開いたり、大人たちには大体のところ酒が入り、宴会らしくなってきた時だった。
「いいねえ。賑やかだねえ」
 いつの間にそこに居たのだろう、山桜の古木の幹の隣に、臙脂(えんじ)色の着物を着た老女が立っていた。
「一年ぶりやね、椿に銀子。おかえりよ」
 深く皺の刻まれた瞼が笑みの形にたわむ。
「よっ。まだまだ元気そうやないか!」
「お招きありがとうございます。紅衣御前」
 椿が杯を持った手を上げ、銀子が頭を垂れた。
 宴会が盛り上がっている中、老女の登場に気付いている者は少ない。
「あっ。山桜のおばあちゃん、やっと出て来てくれたの! 紅衣御前さんていうの? はじめましてなのー!」
 蘭が駈け寄って来て、紅衣に向かってぴょこりとお辞宜をした。同じ植物の化身として、ずっと気配を感じていたらしい。
「ああ。来てくれてありがとうよ。坊(ぼん)も花の化生(けしょう)やね」
 皺だらけの手を伸ばし、紅衣は蘭の頭を撫でた。
「元気でええねぇ。都会にも良い土があるんやねえ」
「うん。東京のお日様もぽかぽかなの、ここと同じなの! 紅衣御前さんも一緒に宴会するの!」
 蘭に手を引かれ、紅衣もレジャーシートの上に腰を下ろした。
「よかったらどうぞ」
 シュラインが、草間に持たせていたのとは別の、小さな一人用の重箱を出した。
「出汁巻きがお好きだって椿さんに聞いたから、取っておいたの」
「おや。嬉しいね。頂くよ」
「クッキーもあるの。デザートにどうぞなのー!」
 蘭が、レースペーパーで可愛らしくラッピングされた包みを開けた。型抜きクッキー……の筈が、えらく芸術的な形をしている。
「坊、これは亀さんか?」
 横から手を出して一つ摘み上げた椿が、その形をまじまじと見て言った。
「違うの、ヒヨコさんなの!」
「うーん……どう見ても足が四本あるよに見えるねんけど……。お、味はええなあ」
 一口で口の中に入れて、椿は笑みを浮かべる。
「持ち主さんと一緒に作ったのー!」
「そうかそうか。坊はええ子やなぁ」
 誇らしげに胸を反らす蘭の頭を、椿はくしゃくしゃと撫でた。
 どこからか、野球拳の歌が聞こえてくる。アウト・セーフ・ヨヨイのヨイ! そちらを見ると、酒でほんのり頬を染めた華子が、チョキの手を高々と掲げていた。その前で、パーを出した草間がズボンを脱いでいる。完全装備のままの華子とは対照的に、草間はもうシャツとトランクス一枚の状態だ。バカ! お前が負けても嬉しくねえよ! 周りを取り囲んだ男性陣からは、草間への野次が飛んでいる。お兄さん頑張って、とまともに応援しているのは零一人。……ちょっと、気の毒だ。
 出されたものを食べながら、紅衣は満足げに、桜の下で繰り広げられる酒宴を眺めている。
「村がのうなってからは、めっきり寂しいになっとったからなあ。こないに賑やかなんは久し振りや。花を見に、人が来てくれるのは、やっぱりええなぁ」
「それなら、僕、もっといっぱい遊びにくるのー!」
 袖を引いた蘭に、紅衣は少し笑った。
「いや。こうやって、花のきれいな時にだけ、見に来て楽しんでくれるんがええんや。この老い先短い身でも、女やからなぁ。化粧の剥げたところは見せとうないなぁ」
「……短いの?」
 眉を寄せる蘭に、紅衣は否定の言葉は告げなかった。
 紅衣の木には、所々朽ちて花をつけていない枝がある。幹にも大きな洞があいていて、強い台風でも来れば、いつそこから折れてしまうか分らないような有り様だ。
「少し調べてみたんだけど。ああいう、幹の空洞には、防腐剤を塗るか樹脂で埋めるかしたほうが安心だって言うわ。樹木のお医者さんに来てもらったらどうかしら」
 シュラインの言葉に、紅衣はゆっくりと頭を振る。
「有難いことやけど、わしは、山の木やからね。風雨には逆らわず、朽ちるに任せるのが良いと思っているよ」
「折角会えたのに、とても寂しいの……」
 大きな瞳を潤ませる蘭に、椿が慌てて明るい声を出す。
「いやいや、坊。心配せんでも、まだまだいけるで、この婆さんは!」
「歳を言うたらお主も爺さんだろうが」
 婆さん呼ばわりするな、と椿の額を小突いて、紅衣は息を吐いた。
「寂しいの〜!」
 蘭の目からは、今にも涙が転がり落ちそうだ。
 草間との勝負に完全勝利した華子が、歩み寄って来てその蘭の肩に手を乗せた。
「残される側には寂しいことかもしれないけどね。終わりがあるということは、幸せなことでもあるんだよ」
「? ちょっと、難しいの……」
「ああ。坊やには、まだ難しいかもねぇ」
 首を傾げる蘭の頭を撫でながら、華子は艶やかな唇に寂しげな笑みを刷く。彼女には寿命というものがない。終わりの無い生を背負うのは呪いでしかないと、華子は知っている。
 桜の下の宴会は、混沌とした様相を見せつつ終盤を迎えようとしていた。
「おじやができましたよ」
 土鍋を開けた千鳥の言葉で、参加者全員が鍋のもとに向かった。鍋のもたらす、見事な統率である。
 具材の旨味がたっぷり溶けた出汁で炊かれたおじやは絶品だった。暫くの間、誰もが無言になったほどだ。
 その時、ピチチ、とどこかで小さく鳥の声がした。チチ、チ、と数回続いたその声に答えるように。
 ホー、ホケキョ。静かになった一同の頭上を、鶯の鳴き声が横切る。
 桜の梢を見上げれば、あちらこちらに小鳥の影があった。
 宴会に誘われて寄ってきたような様子に、口々に歓声が上がった。鳥を呼んだのは、最初にした鳴き声だ。その正体は、シュラインの手の中にある鳥寄せ笛である。
「すごいの〜! 鳥さんたちと、桜さんたちと、みんなでお歌を歌うの〜!」
 蘭が立ち上がって、ピョンピョン飛び跳ねた。
 歌は自然と、誰もが知っている「さくらさくら」。最初はぽつぽつだった歌声が、最後には華子を除いて全員の合唱になった。
「私の唄は、全てを堕とす忌唄だからねぇ」
 桜の木漏れ日に、眩しそうな目をしながら、華子は呟く。
「ええよ。花を見に来てくれたのが、嬉しいんやから」 
 その耳元にこっそりと、紅衣が囁いた。華子の心中をどこまで悟っているのかは、わからない。けれど、華子は薄く、唇に笑みを乗せた。
 締めの雑炊の後は、片付けとなった。
「ゴミは各自、ゴミ袋に入れて持って帰るのよ」
 ゴミ袋を忘れて来た者はシュラインの持参したものを分けてもらって、帰り支度をする。
 宴会の残滓は、全員で片付けるとあっというまに消えてしまった。
「最後に、みんなで記念撮影するの〜!」
 蘭が、リュックの中からカメラを出した。
「どや? 希望通り、賑やかな花見やったやろ?」
 隣から言う椿に、紅衣は深く、頷いた。
「わしがおらんようになっても、覚えておったら、この季節にまた来るんやで」
 紅衣は古木を囲むように立つ若い木々へと、視線を巡らせる。
「ここらの桜は、みんなわしの孫子やからな。この子らの花を、また皆に見てもらえたら、わしはそれでええよ」

 記念撮影の写真の中には、穏やかな顔で笑う老女がいた。
                                     END                         



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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【2163/藤井・蘭(ふじい・らん)/1歳/男性/藤井家の居候】
【2991/大徳寺・華子(だいとくじ・はなこ)/111歳/女性/忌唄の唄い手】
【4471/一色・千鳥(いっしき・ちどり)/26歳/男性/小料理屋主人】

+異界NPC
【稲荷ノ・椿(いなりの・つばき)/500歳/男性/稲荷のお使い白狐】
【八束・銀子(はちづか・ぎんこ)/253歳/女性/会社重役・妖狐】
(全て   http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=1080  より。)

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          ライター通信         
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 いつもお世話になっております。担当させていただきました、ライターの階アトリです。
 お花見お花見……と、テンション上げて、楽しく書かせていただきました。
 お料理の持ち寄り、ご覧になって頂きますとおわかりのように、皆様の品が並ぶと、お花見のお弁当として、とてもバランスが良くなっています。
 持ち寄る品にPCさんたちの個性も出ていて、この点でも、書きながら楽しませていただきました。

>シュライン・エマさま
 想像するだに、彩りよく美味しそうなお弁当で、女の身だというのに、書きながら「こんなお弁当を作ってくれる彼女がほしい!」と思ってしまいました(笑)。
 お料理が上手なんだなあ……ということで、少しお料理談義(?)もしてもらってしまいました。 

>藤井・蘭さま
 いつも可愛らしいプレイング、ありがとうございます!
 今回は、同じ植物の化身ということで、紅衣ともたくさんお話をしてもらいました。
 孫が遊びに来て嬉しいおばあちゃん、のような雰囲気にしたかったのですが、如何でしたでしょう。

>大徳寺・華子さま
 初のご参加、ありがとうございます。
 今回のテーマに沿った背景をお持ちのPCさんだな……と思いまして、少し絡めさせていただいています。
 ゲームにも参加、ということで、(勝ったとはいえ)野球拳などさせてしまい、申し訳ありません……; 色っぽい方でしたので、つい……。

>一色・千鳥さま
 初のご参加、ありがとうございます。
 お花見の時って、意外と寒いので、美味しいお鍋が出てきたら、大人気になるなーと、思いながら書かせて頂きました。
 お仕事柄お花見が楽しめないというプレイングに、なるほどと思いました。
 お花見の料理ばかりは、お客さんが食べているところを見られないのも残念なのでは?と想像たのですが、如何でしたでしょうか。


 色々と、調子に乗って書いてしまったところも多く、PCさんのイメージからそれていましたら申し訳ありません。
 ご意見、ご感想などありましたら、ファンメールにていただけますととても嬉しいです。

 では、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。