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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


調査コードネーム:春風・爛漫・花見会
執筆ライター  :階アトリ
調査組織名   :界鏡現象〜異界〜
募集予定人数  :1〜8人

------<オープニング>--------------------------------------

 八束ケミカル本社ビル屋上。
 屋上緑化で作られた小さな人工林にも、地上の木々と同じく新緑の色が光る。
 梢の合間に苔むした屋根を覗かせる社(やしろ)の中は、今日も今日とて、酒臭い。
「…………」
 格子扉を開けた八束・銀子(はちづか・ぎんこ)は、眉間に皺を寄せた。
 蝋燭の火の揺れる祭壇の前に、白狐が一匹、丸くなって眠っている。深く眠っているようで、銀子が歩み寄っても、寝息のリズムは乱れない。その周囲の床には、様々な種類の空き瓶が転がっていた。ラベルを見るまでもなく、全て酒類のもの。
 銀子の金色の目が、剣呑な光を帯びて細められる。
 くるぶしまであるスカートの裾を軽やかに捌き、銀子は床に膝を折った。
「兄様。椿の兄様。……もう日は高うございますよ」
 優しく声をかけてみても、反応はない。
 銀子は溜息を吐き、おもむろに、眠りこけている白狐の耳元に両手を寄せた。そして思い切り、打ち合わせる。
 パン!
「ふぎゃっ!?」
 塀の上で居眠りしていた猫が落ちた時のような、文字表現しがたい悲鳴を上げて、白狐――社の主である稲荷狐、椿(つばき)が跳ね起きた。
「な、何や!?」
 椿は突然の衝撃に、激しく目を瞬いている。きちんと意識が覚醒するまでに、これから更にしばらくを要した。
 目の前にいるのが銀子だと認識できても、相手に合わせて人の姿に化けることすらできないのだから、よほど気を抜いていたのだろう。
「昨夜も遅くまで、街で遊んでおいででしょう。夜に歩くのは我らの性、仕方がありません。しかし、あまりお社をお空けになぬよう、銀子はいつも、口を酸っぱくしておりますのに」
 くどくどと説教されて、椿の耳が嫌そうに項垂れた。これではどちらが兄だか妹だかわからない。
「そんな……ワシがどんだけ朝寝しとったところで、誰が迷惑するちゅうこともなし……」
「いいえ、迷惑はかかります」
 別にええやんか、と言おうとしたところを制されて、椿はしゅんと鼻面を下げる。
「社の鈴をいくら鳴らしても応えがなかったからと、大木(おおぎ)のお山からのお使いが、わざわざ私のところへ来たのですよ」
 銀子は椿の眼前で、扇子を広げた。上に乗っているのは、瑞々しい若葉。
 山桜の葉だった。里で咲く桜と違い、花と共に芽吹くその葉は、独特の紅い色をしている。
 椿は目を丸くした。
「そうか。もう、そないな季節なんやな」
「ええ。紅衣御前(べにぎぬのごぜん)から、お花見のお誘いです」
 紅衣というのは、山桜の古木の名だった。彼らが故郷の山を離れてからも、こうして、花の時期には知らせをくれる。
「もうすぐ八分咲きの、見頃だそうですよ。なんでも、今年は特に賑やかにしてほしいとか」
 銀子の言葉に、椿の耳がピンと立ち上がった。宴会好きの血が騒いでいるようだ。
「賑やか、なあ。……ほな、なんぼか人集めなあかんなあ」
 

------<集合>------------------------------

 数日後、四月某日、朝。
 八束ケミカルの屋上に、社員の一部と、一般からの物好きな……否、有り難い希望者若干名が、花見の参加者として集まっていた。
 その中には、草間興信所の二人もいる。
「おい。確か、どっかの山に行くんだよな? 大人数なら、足はバスか何かだろ。集合場所が屋上って、妙じゃないか?」
 草間・武彦(くさま・たけひこ)の言葉に、零(れい)が周囲を見回した。
「どうなんでしょう。他にもたくさんの方がいらしてますけど」
 隣にいた赤い髪の女が、とろりとした緑の目で草間を見る。
「ミーの情報に間違い、ないネ。確かに屋上と聞いているヨ」
 彼女はジュジュ・ミュージー。興信所の二人を花見に誘ったのは、調査員として度々出入りしているこのジュジュであった。
「だと良いんだが。弁当まで運んで来て、置いてけぼり食らうのは御免だよなぁ」
 草間の手には、大きなバスケットが下げられている。中身は、ジュジュ特製のサンドイッチだ。
 今日は、参加者がそれぞれ自慢の一品を持ち寄って宴会をしよう、という形式になっているのである。
「あの。私たちも、屋上だって聞いて来たんですけど」
 前にいた、長い黒髪の少女が草間たちを振り返った。お重を包んでいると思しき四角い風呂敷包みを下げている彼女は、初瀬・日和(はつせ・ひより)だ。
「俺たちはメールを一緒に見て確認してるし。集合場所はここで間違いないんじゃねえの?」
 一緒に振り向いた、連れの少年は羽角・悠宇(はすみ・ゆう)である。銀の髪を掻きながら、悠宇は笑った。
「集まったとこで、下に降りるんじゃないか? まさか、この屋上にヘリでも来て、皆で空から行きましょう、ってことはねえだろ」
 悠宇の言葉に、それもそうか、と、その場の全員が納得しかけた時だった。 
「わしらは、屋上からその山まで、一瞬で移動できると聞いて来たぞ」
 後ろから声をかけてきたのは、和服に袴姿の童女だった。振り分け髪も愛らしい、その見た目に反した年寄り臭い口調が悩みの種の、彼女は本郷・源(ほんごう・みなと)だ。
「うむ。そう聞いたのぢゃ!」
 源の隣で、薄紫の和服に赤い帯を締めた童女が頷いている。あやかし荘の座敷童、嬉璃(きり)だった。同じあやかし荘の住人である源とは良いコンビだ。今日はその背中に、大きな寸胴鍋にたすきをかけて背負っている。
 小学生ながらおでん屋台を営む源が持ってきたのは、もちろんおでん。暖かい状態で出したいということになると、具そのものの他、鍋にカセットコンロにと、大荷物になる。そこで、源は事前に確認を取っていた。荷物が多くなるのだが大丈夫か、と。
 それで返ってきたのが、「屋上から一瞬、あとはちょっぴり山登り」という答えだったのだ。
 集合時間が近付いてきて、屋上がざわつき始めた時だった。
「申し訳ありません。お待たせしました」
「おはようさんです!」
 稲荷神社のある鎮守の森から、銀子と椿が出てきた。椿は額に汗を浮かべ、一仕事終えたような顔をしている。
「いやー、久しぶりやったから、繋げるのに手間取ってしもたわ」
「ですから、きちんと前日に準備をしておけば良かったのです!」
 銀子に睨まれて、椿は肩を竦める。
「ま、ええやんか。時間には間に合うたことやし。な?」
 ぱちん、と手のひらで朱の鳥居を叩いて、椿は集まった面々に向かって言った。
「ほな皆さん、鳥居をくぐって。楽しいお花見に向けて、出発しましょか!」

------<ちょっぴり、山登り>------------------------------

 鳥居の向こうは、もう屋上ではなかった。
 ビルの立ち並ぶ風景は消え、緑豊かな境内に。見上げれば空も違った。花曇りだったのが、見事な晴天。
 一歩踏み出しただけで、明らかに別の場所に出てきたのだった。
「なるほどねエ。確かにこれなら、屋上集合がベスト」
「ここはどこだ!? 俺はただ花見に来ただけだぞ。なんでまた、怪奇のニオイがしやがるんだ……!」
 さしたる動揺もなく言うジュジュの隣では、草間が頭を抱えている。
 からからと、椿が笑った。
「同じ稲荷神社やったら、日本全国津々浦々、こうやって鳥居を通じて行き来できるんや。今風に言うたら、鳥居ネットワークっちゅうとこかな」
「ほほぅ。便利なものじゃな。旅費要らずじゃのう」
 言って、源は狭い境内を見回す。屋上の稲荷神社から繋がっていたのは、山中の古びた神社だった。
「随分と寂れてるな。……こら、ちゃんと下を見てないと危ないぞ」
 悠宇の言葉の後半は、木漏れ日に目を奪われている日和に対してのものだ。
 石の敷かれた参道はなんとか残っているものの、境内には雑草のみならず、若木さえ処構わず生えているありさま。社は半ば崩れかけていて、ここに長く人の手が入っていないことがわかる。
「昔は近くに村があったんやけどな。そこが……ホレ、何やったかな、銀子」
 椿に袖を引かれて、銀子が答えた。
「ダムの貯水池です、兄様」
「せやせや。ダム! それで沈んだんや。そやから、神主はおろか参拝者もおらんようになってなあ」
 つまり、ここは打ち捨てられた神社なのだ。
 朽ちた縄のかかった、丹塗りの剥げかけた鳥居には、うっすらと墨色の文字が残っている。
 日和は手のひらで土埃を拭った。辛うじて、文字が読める。
「八束稲荷、って……」
 呟いた日和に、椿が頷いた。
「うん。ここな、昔ワシが住んどったとこ。ここ出てからは、とことん土地に縁がのうてなあ。今のビルの屋上に行くまで、関西一円、転々としたんやわ」
 狭い境内の人口密度はあっと言う間に上がった。ひいふう、と人数を数えながら、ツアーガイドよろしく、銀子が小さな旗を挙げる。
「皆様揃われたようですね。では、出発しますよ」
「桜はどこなのぢゃ?」
 鍋を背負った嬉璃が言う。
「もう少し上です」
 銀子に先導されて一行が神社から出ると、舗装はされているものの車一台がやっと通れるほどの山道があった。山肌に沿って緩やかな螺旋を描くような形で、頂上へと続いているようだ。
「ちょっと山登りしたら、腹も減ってええ頃合になるで」
 椿が言ったが、その「ちょっと」が大分怪しい。
「坂、結構急だね……」
 手でひさしを作って、日和は道の行く先を仰いだ。山は高く、道は上へ上へと長く続いている。山に行くと聞いて、ジーンズで来たのは正解だったようだ。
 悠宇が、日和に手を差し伸べた。
「ほら、荷物持ってやるから。……がんばれよ」

------<紅衣桜>------------------------------

 天気がよいおかげで、昼が近付くと気温がぐんと上がった。
 千鳥の危惧した通り、山登りは小一時間ほどに及ぶこととなる(やはり、山育ちの椿と銀子の言う「ちょっと」は、普通のセンスからはズレていたようだ)。
 軽く汗ばみながら頂上近くの平地にたどり着いた面々は、見渡す限りの薄紅に出迎えられた。
 山桜の群生地だった。薄紅の花びらの合間に覗く、紅色の若葉が、里の桜とは違った風情だ。
 中でも目を引くのが、若い木に囲まれるようにして枝を広げる、一本の古木だった。
 老いた幹には裂けた傷や瘤が目立つが、それでも花は瑞々しい。
「よっしゃ、到着や! ほな、解散して適当に宴会!!」
 丁度、昼食時である。椿に言われるまでもなく、あちこちにレジャーシートが敷かれた。やはり、古木の周辺が一番人気だ。
「わぁ。ジュジュさん、たくさん作ったんですね」
 バスケットを開けた零の顔に、笑みがこぼれた。
 中身はサンドイッチだった。それぞれに様々な具材を使ったミックスサンドで、卵やトマト、ハムやレタスの彩りが切り口に覗いているのが目に鮮やかだ。
 さらに、パンに合うワインが二本ほど、その脇に立っている。大人の行楽に嬉しいお弁当だ。
「……道理で重かったはずだな」
 普段の運動不足がたたって、草間は少々ぐったりしている。
「武彦、迷惑だったか? 皆に振る舞おうと思って作ったら、どうしてもこの量になってしまったネ」
 草間の顔を、ジュジュが心配げに覗き込んだ。慌てて、草間は頭を振った。
「いや、俺も零も何も持ってこなかったからな。荷物持ちくらいは当然だ」
 と言いつつ、男としては、隣にいながら女の細腕に重い荷物を持たせるわけにはいかない、というのが本音である。ハードボイルドを気取りつつ、根はフェミニストな草間であった。
「ほら、ワインはこっちにかせよ」
 バスケットの中身をシートの上に広げるジュジュの隣で、草間はワインの栓を抜く。
 ……これはまるで、デートみたいネ。ジュジュは内心、拳を握っていた。周囲には他の参加者が山ほど居るのだが、この際それは無視しよう。
「武彦の分は別に取ってあるヨ」
「ああ。そうなのか?」
 自分の鞄に入れて大切に運んできたランチパックを、ジュジュは草間に手渡した。
(これヨ! 良い感じヨ!)
 デート気分を満喫するジュジュの後ろから、彼女を現実に引き戻す声がした。
「美味そやなあ」
 伸びてきた手が、卵サンドをヒョイと取る。
「うん、洋風のモンもええなあ。無茶苦茶美味いわ」
 行儀悪く口一杯に頬張って、目を細めたのは椿だった。零に紙コップ入りのワインをもらって、椿は福々と満足顔だ。
「それは良かったネ。どんどん食べるヨ」
 ジュジュに勧められるままに、ハムサンド、チーズサンド、と次々に口に入れて、一通り全種類食べたところで、椿は首を傾げた。
 その視線が向かうのは、草間の持っているランチパックだ。
「……なんか、そっちのん、ちょっと違わへん?」
 実は、草間用のサンドイッチはスペシャル仕様であった。万人向けに作ったミックスサンドとは異なり、より大人向けに、具材は選りに選った上等の燻製肉と春野菜。マヨネーズは肉の風味を打ち消さないように控えめに。レタスの歯ざわりのよさも確認済みだ。
「酒も、そっちのんが上等な匂いしてるなあ……」
 さらに、椿は草間の持っているカップに目をやって、指をくわえている。実は、ワインも草間用にはランクが上のものを用意していたのだ。
「きっ、気のせいヨ! ほら、ユーも、もっと飲むネ!」
 彼女には非常に珍しく慌てた様子で、ジュジュは椿のカップにドボドボとワインを注いだ。
 色んな意味で、春である。
 一方、そのすぐ隣にも、ほのぼのと春めいたやりとりをする二人がいる。
「大丈夫、かな?」
 少し恐る恐るな様子で訊ねる日和の視線の先には、悠宇がいる。
「美味いよ」
 悠宇の持つ紙皿に乗っているのは、錦糸玉子と桜でんぶも鮮やかな、日和手作りのちらし寿司だ。笑顔を向けられて、日和はほっと肩の力を抜いた。
「良かった! あ、お吸い物も飲んでみてね」
 日和が魔法瓶から紙コップに注いだ澄まし汁からは、鰹の出汁と、三つ葉の香りがする。
「こら。そんな風にしちゃひっくり返るでしょう。ダメよ?」
 その匂いに惹かれてか、カップに鼻先を寄せてくる銀色の小さな狐を、日和は困ったような顔で押し止めた。彼女の飼っているイヅナの末葉(うらは)だ。山の中だからと出してやったのは良いが、宴会の雰囲気が物珍しいのか、さっきから落ち着きがない。
 それは、末葉よりも少し大きく、精悍な姿をしているもう一匹のイヅナも同じことだった。
「白露(しらつゆ)! 日和のジャマするなよ。今日はゆっくりしに来たんだからな」
 飼い主である悠宇の叱る声にも構わず、白露は末葉と一緒に、日和の側にまとわりついている。散らし寿司を求めるほかの参加者に取り分けてあげたり、澄まし汁をついであげたりするのに、獣二匹が著しく邪魔だ。日和は苦笑した。やりにくいのもあるが、これでは折角二匹を山に連れてきた意味がない。
「ねえ、白露。せっかくお外に来たんだし、末葉と一緒に思い切り遊んで来たらどうかしら?」
 日和に言われて、白露は少し考えるように首を傾げると、やがて末葉を伴って山の中へ駆けて行った。
「ったく、どっちがアイツの飼い主だかわかんねえな」
 日和の分のちらし寿司を取り分けてやりながら、今に始まったことじゃねえけどな、と、悠宇はぼそりと呟いた。その錦糸玉子の上に、はらりと薄紅の桜が一枚、落ちる。
「やっぱり、山の桜って雰囲気が違うのね。野性味があって、とても綺麗」
 上を見上げて、日和が言った。悠宇も、それを追って上を見た。
「ああ。それに、こんなに立派な木なんて滅多にないしな」
「齢500年にもなろうという木ですからね」
 後ろからの声に振り向くと、そこにいたのは銀子だった。
「500年! ……きっと、ここで、色んな人たちのたくさんの思い出を見詰めていらしたんでしょうね」
 桜の下といえば、今も昔も人の集まる場所だっただろう。来る人間は年を経てどんどん変化しても、この木はずっと変わらずここにあったのだ。それを想像すると、不思議な気分になる。
 散らし寿司に箸をつけるまえに、日和は銀子が広げている重箱に目を止めた。中身は、ごく普通の、海苔の巻かれたおにぎりだ。自分の作ったものばかり食べているのも寂しい。
「あの。よければ、おにぎりとお寿司、交換しませんか?」
「ええ、どうぞ」
 紙皿と交換におにぎりを一つ取って、日和は口を開いた。そして一口頬張って――
「!」
 複雑な表情で眉を寄せた日和に、氷水の入ったピッチャーを持った椿が、慌てて駆け寄る。
「嬢ちゃん!」
「んん……っ」
「日和!?」
 見る見るうちに、日和の顔が真っ赤になる。悠宇がおにぎりの断面を見ると、明太子と本場物の激辛キムチが、ぎゅうぎゅうに詰まっていた……。
「辛いのアカンか!? 水飲んどき!」
 椿に注いでもらった水を飲み干して、ようやく日和は一息吐いた。激辛は苦手なのだ。
「ほら、言うたやろ? アカンやろ? この具の配分は、ほとんど罰ゲームや」
「私は、美味しいと思うのですけど」
 椿に言われて、銀子はしゅんとしている。
「うーん……。キムチも明太子も、確かに美味いけど……」
 日和が食べられなかった残りを引き受けた悠宇も、一口食べてやはり複雑な顔だ。素材をそのまま使っているのだから、けして不味くはない。おにぎりの中に鬼のように入っている、ということだけが問題なのだ。
「何がいけないのでしょう?」
 その極端な辛党故に、銀子の料理は人に褒められることが少ない。不思議そうに首を傾げる彼女に、
「あの、やっぱりおにぎりですから、具はご飯より少ないほうが良いと思います……」
 まだ少し噎せながら、控えめに、日和が言った。……おにぎりの定義として、超基本事項であろう。
 さて、宴会の中心では、カセットコンロの上の大鍋が注目を浴びている。
 鍋の前には、きりりとたすきをかけ、おでん屋台主の顔になった源が居る。
 おでんの煮込みは、グラグラ沸騰させてはいけない。温め直しもまたしかり。屋外で、しかもカセットコンロでは火の調節が難しい。源は嬉璃と交代で、つきっきりで鍋の面倒を見ていた。
「よし、そろそろじゃ!」
 源が勢い良く蓋を取ると、鍋からわっと湯気が上がった。
 出汁と醤油と、煮込まれた具材の匂いが渾然一体となって奏でる、いわゆる「おでん」の匂いが広がり、吸い寄せられるように人が集まる。
 到着してからしばらくたち、山登りの熱気が去って、肌寒くなってきた頃合で、皆暖かいものが恋しいのだ。
 飛ぶような勢いで、鍋の中身が減ってゆく。
「やれやれじゃのぅ。さて、わしらもそろそろ、本格的に宴会を楽しむとするか」
「そうぢゃのう」
 コンロの火を止めると、鍋から離れて、源と嬉璃は周囲を見回した。
 サンドイッチにワインあり、散らし寿司あり。
 山の下の酒屋に頼んでいたという酒が届いて、冷たいビールは余るほどあるし、樽酒も開いている。
「うむ。やはり、桜には清酒一献じゃ!」
 柄杓を取り、樽から持参した徳利へと、なみなみと透明な酒を注いで、源は上機嫌だ。
「うむうむ。しかし、わしはびーるも好きぢゃ」
 そう言う嬉璃の手には、しっかり、ビールの缶が二つ握られている。……小さな童女二人の会話としては、いささか不健康に見えるのだが、双方ただの子供ではない。
 ツマミになりそうなものをそのあたりからもらってきて、二人は酒宴のセッティングを整えた(その中には、銀子作の殺人的なおにぎりも含まれていた。ほぐして、少しずつ食べるぶんには良いツマミになると判断したからである)。
 そして、徳利から猪口に酒が注がれて、さあまずは日本酒で乾杯、というところで。
「あかんで。子供がァ、そないなもん飲んで!」
 源の手から猪口が奪われた。椿だ。
 一応叱る口調なのだが、本人の顔が真っ赤で、少々呂律が怪しいものだから、説得力に欠ける。
「なんのことじゃ? これは般若湯じゃよ?」
 惚けて、酒の入った徳利を振る源を、椿はじとりと眺め下ろした。
「ほんまかいな〜? なんや、えらいええ匂いの般若湯やなあ?」
 言って、椿は源から奪った猪口を呷る。ぷは、と酒臭い意気を吐いて、椿はケラケラ笑った。
「ああ、確かに百薬の長の味やな!」
 ぐりぐり、頭を撫でられて、源は膨れ面だ。
「そうじゃ! だからもう一度注ぎなおすのじゃ!」
 と、椿に向かって空の猪口を振る源の隣では、
「酔っちゃっタ〜、介抱して〜」
 目尻をほのかに染めたジュジュが、草間に甘えて凭れかかっている(本当に酔っているのかどうかは……本人のみが知る)。
 草間は持っていたカップを後ろにおいて、慌ててジュジュを受け止めた。
 そこに手を伸ばしたのは日和だった。同じ白い紙コップがもう一つあったのだが、草間の腕の影になって見えない。
 草間のカップを口元に運びかけて、日和は手を止めた。
「あれ? 悠宇くん、これってお水かな?」
「違う! 飲むな!」
 日和の手から、悠宇が慌てて、酒の匂いがするカップを奪い取った。日和はアルコールに弱い。下手をすると眠ってしまって帰れなくなるところだから、飲む直前で気付いて幸いだっただろう。
 周囲には、歌う者あり、古今東西など始める者あり。桜の下はもうすっかり宴会場だ。
「いいねえ。賑やかだねえ」
 ふふ、と笑う声に、古木の周囲に居た者たちは顔を上げた。
 いつの間にそこに居たのだろう、山桜の幹の隣に、臙脂(えんじ)色の着物を着た老女が立っている。
「一年ぶりやね、椿に銀子。おかえりよ」
 深く皺の刻まれた瞼を笑みの形にたわめて、老女は兄妹を見た。
「よっ。まだまだ元気そうやないか!」
「お招きありがとうございます。紅衣御前」
 椿が杯を持った手を上げ、銀子が頭を垂れる。
「あの。紅衣御前様って、もしかして、この桜の……?」
 日和の言葉に、紅衣は頷いた。
「わしの花を見て、綺麗と言うてくれて、嬉しいよ」
 紅衣が笑うと、頭上の梢も笑っているように震える。
「ようこそ、お客人」
 ゆっくりと、紅衣は頭を下げた。
「……こっちこそ、花見ができて嬉しいネ。ここに座ると良いヨ」
 自分用に膝にかけていた毛布を外し、ジュジュが紅衣を手招いた。
「ありがとう。ほな、お邪魔させてもらおうかね」
 ちょこんと座った紅衣は、大きな木姿とは対照的に小さかった。近所の縁側にでも、普通に座っていそうな風情だ。
「少し寒くなってきたネ」
 呟いて、ジュジュが紅衣の膝に、毛布をきちんとかけてやる。確かに、午後になって少し風がでてきたようだ。
「そうだ、温かいお茶を入れようか」
 悠宇が、デイパックの中から急須と魔法瓶を出してきた。続いて出てきたのは、名の通った茶園のラベルがついた高級煎茶葉と、和菓子屋の箱。
「おおっ。茶じゃ、茶菓子じゃ! 中を見てもよいかのう?」
 源が目を輝かせた。酒飲みは甘いものが苦手なことが多いが、源はどちらもいける口である。
 箱を開け、中に並んだ桜餅と豆大福を見て、源と嬉璃が歓声をあげた。
 どこからか、野球拳の歌が聞こえてくる。アウト・セーフ・ヨヨイのヨイ! そちらを見ると、勝負しているのはどちらも男で、見て楽しくないことこの上ない。しかし、それを見守る周囲は盛り下がらない。酒の席ならではのおかしなテンションである。花見では、酒と同時に花にも酔わされるので、もしかしてそれもあるのかもしれない。
 悠宇が入れた緑茶が香り、紅衣桜の下には酒宴の席とは切り離されたような、ほのぼのとした空気が漂った。
「なんや、今年は賑やかなんがええて? 今にも死にそうなこと言いよるから心配したのに、元気そうやな」
 桜餅を頬張りながら、椿が紅衣の背を叩いた。
「いつどうなるかわからん、老い先短い身やからな。ちいっと我侭を言うてみとうなったのよ」
 お返しとばかりに、紅衣は椿の額を小突いた。
 よくよく見てみれば、紅衣の木には、朽ちて花をつけていない枝がある。幹にも大きな洞があいていて、強い台風でも来れば、いつそこから折れてしまうか分らないような有り様だ。
「村がのうなってからは、めっきり寂しいになっとったからなあ。こないに賑やかなんは久し振りや。花を見に、人が来てくれるのは、やっぱりええなぁ」
 緑茶を啜りながら、紅衣は満足げに、桜の下で繰り広げられる酒宴を眺めている。
「……じゃあ、もっと賑やかにするヨ!」
 拳を握り、ジュジュが立ち上がった。
 その時、一台の車が山道を登ってきて、停まった。黒塗りの、車種的に見ていかにも、ちょっと危ない職業の人が乗っていそうな車だ。
「やっと来たネ! よし、お前らさっさと用意するヨ!」
 降りてきたのは、やはり車に似合った、ちょっと危なそうな男たちなのだが、彼らはジュジュの号令に従って、何やら用意している。
 出てきたのは、カラオケセット一式だった。もちろん、それを動かすための発電機もちゃんと持ち込まれている。
「歌うヨ! 『お江戸花吹雪』ヨ!」
 ジュジュがマイクを握った。流れ出すのは、三味線の旋律が熱い、ばりばりの演歌。混血で、褐色の肌を持つジュジュだが、感情の込め方といい、こぶしの回し方といい、完璧だった。
 少々濃いが、桜に演歌はよく似合う。
 一曲終わった後、拍手を浴びるジュジュのもとに、源と嬉璃が駆け寄る。
「わしらも歌う〜!」
 と異口同音に言って、二人はマイクを受け取り、選曲した。歌うは、結婚三年目に浮気した夫を妻が責める、という設定の、有名なデュエット曲である。因みに、男性パートを源、女性パートを嬉璃が担当した。
 仲良く微笑ましいデュエットにも、やんやの拍手。
「両手を突いて謝ったって許してあ、げ、ない! のぢゃ!」
 最後、歌い切った嬉璃の声には、何やら強く心がこもっている。
「な、なんじゃ? もしや、さっきお主の桜餅を半分食ったことを根に持っておるのか?」
 桜の下に戻ってから恐る恐る源が聞いてみると、嬉璃はツンと唇を尖らせた。
「両手を突いて謝っても許さんが、おんしの豆大福を半分寄越せば許すのぢゃ」
 ……良いコンビである。
 カラオケをまじえ、こうして桜の下の宴会は、混沌とした様相を見せつつ終盤を迎えようとしていた。
「ゴミは全部袋に纏めるヨ!」
 ジュジュの号令のもと、桜の下は元通り片付けられて行く。
 全員で取りかかると、宴会の余韻はあっという間に消えてしまった。後に残ったのは、桜だけ。
 強い風が吹いて、傾きかけた太陽の光に照らされた枝から、はらはらと吹雪のように、花びらが散った。
「あと一週間もせぬうちに、見頃も終わりか。儚いのぅ」
 残念そうに、源が呟く。
「儚いからこそ、人の心に残る花だろ、桜は」
 言ってから、悠宇はあわてて付け足した。日和からの受け売りだけど、と。
「あの。紅衣御前さん」
 その日和が、紅衣に歩み寄った。
「うちには、私が生まれた年に植えられた桜の木があるんです。でも、ここを見て思ったんです」
 紅衣桜の周囲には、老いた彼女を取り囲むように若い木々が枝を広げている。だからこそ、花は何倍にも美しいのだ。日和は続けた。
「一本だけじゃ寂しいんじゃないかなって。……これは我侭なんですけど、枝を一本頂けませんか? 私の庭の桜の側に、植えてあげたいなって思って……」
 紅衣は目を細めて笑うと、手を伸ばして枝を一本、折り取った。
「持って行ってくれるかい。都会にも私の子ができるのなら、嬉しいことだよ」
 日和がその枝を受け取ったとき、ケン、と声がして、山の中から銀色の狐が飛び出してきた。そろそろ帰る時間だと察して戻ってきたのだろう、白露と末葉だ。
「あれ。お前、これ、他のところでつけて来たのか?」
 白露の額に桜の花びらがついているのを、悠宇が見つけた。
「わしの孫子や親戚の子らが、この山のあちこちにおるからね。……そやから、わしがおらんようになっても、覚えておったら、この季節にまた来てくれたら嬉しく思うよ。この子らの花を見に」
「寂しいこと、言っちゃ駄目ヨ!」
 ジュジュが、周囲の若い木々に視線を巡らせた紅衣の手を取った。
「来年もくるからネ。元気でネ」
 そうだねえ、来年くらいは、まだまだねぇ。
 ふふ、と紅衣は声を上げて笑った。梢が震え、花びらが舞った。
「心配せんでも、この婆さんはアレや。もうアカンもうアカン言いながら、ズルズル長生きするタイプや」
 茶化す椿の額をうるさいよと小突いて、赤い着物の老女は消えた。
 ほな、また来年。
 確かに一言、そう残して。
 

                                    END                     


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【1108/本郷・源(ほんごう・みなと)/6歳/女性オーナー 小学生 獣人】
【3524/初瀬・日和(はつせ・ひより)/16歳/女性/高校生】
【3525/羽角・悠宇(はすみ・ゆう)/16歳/男性/高校生】
【0585/ジュジュ・ミュージー(ジュジュ・ミュージー)/21歳/女性/デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)】

+異界NPC
【稲荷ノ・椿(いなりの・つばき)/500歳/男性/稲荷のお使い白狐】
【八束・銀子(はちづか・ぎんこ)/253歳/女性/会社重役・妖狐】
(全て   http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=1080  より。)

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          ライター通信         
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 いつもお世話になっております。担当させていただきました、ライターの階アトリです。
 お花見お花見……と、テンション上げて、楽しく書かせていただきました。
 お料理の持ち寄り、ご覧になって頂きますとおわかりのように、皆様の品が並ぶと、お花見のお弁当として、とてもバランスが良くなっています。
 持ち寄る品にPCさんたちの個性も出ていて、この点でも、書きながら楽しませていただきました。

>本郷・源さま
 お花見時って、意外と寒くて、暖かいおでんがあると嬉しいですよね。
 嬉璃さんとデュエットしてもらったり……良いコンビっぷりをたくさん出そうとがんばってみましたが、如何でしたでしょうか。

>初瀬・日和さま
 今回も、二人仲良くを最大のテーマに書かせて頂いております。
 そして、激辛が苦手……ということでしたので……。
 NPCに悪気はないので、許してやっていただけますと幸いです。

>羽角・悠宇さま
 お茶と和菓子、という選択に、なんだか悠宇さんのキャラクターがあらわれているなあ……と思いました。ぶっきらぼうなように見えて、気が利く男の子、というイメージと言いますか……。
 毎度のことながら、白露は日和さんに懐きまくっています(笑)。

>ジュジュ・ミュージーさま
 草間さんは、女の人には優しくても、はっきり言われるまで気付かなさそう、鈍そう。
 という印象があるので、そのように書かせていただいたのですが、如何でしたでしょう。
 ジュジュさんの容姿と、演歌のミスマッチさを描写するのが楽しかったです。


 色々と、調子に乗って書いてしまったところも多く、PCさんのイメージからそれていましたら申し訳ありません。
 ご意見、ご感想などありましたら、ファンメールにていただけますととても嬉しいです。

 では、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。