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<東京怪談・PCゲームノベル>


商物「過現未」

 中華街の車の乗り入れが禁じられている路地も、リンスター財閥総帥のお越しとなれば極彩色の彫刻のような車止めも撤去される事だろう。
 けれども本日はお忍びで点心を堪能しに来た身、そんな大仰な真似をされたら否応なく満漢全席を並べられそうで、セレスティ・カーニンガムは片隅にひっそりと佇む、喫茶に近い小店舗で望みの甘味にありついていた。
 それこそ、邸に料理人を呼びつければいいのだろうが、それでは店舗での味わいを謳った記事に覚えた魅力が半減する。
 厚みのある器の中身、サイコロ状の淡いレモンイエローを手にした蓮華で掬い、口元に寄せて傾ける……それだけでするりと喉の奥に滑り込む愛玉子は、絡められた琥珀の蜜の爽やかな香りと相俟って美味であり、何気なく目にした雑誌の記事の通りのそれである。
 人の好みは千差万別、こと食に関しては宣伝の為に過剰な表現が為される事が多く、この手の記事を鵜呑みにしては落胆を覚えるばかりであるのだが、宣伝目的でない……というよりも、下手に煽ってこの味が失われては適わない、というような記者の憂慮までが読みとれる枠も小さな記載に、記者とは食に関しては気が合うだろうと思われた。
 家族で営んでいる小さな店舗、デザートの点心は老婦人が作っているのだと書かれていたが、記事から穏やかな印象を受ける婦人の姿はなく、店から覗く厨房には壮年の男性の姿しかないのを少々残念に思う。
 またの機会もあるでしょう、と心中に財閥総帥御用達に認じたセレスティは、秘密の隠れ家を見つけたような心地で機嫌良く店を後にした。
 足に負担をかけぬよう、ステッキに体重を預けてのゆっくりとした歩行に、独特の色彩溢れる街並みが与える感覚を楽しみながら、ふとその小路の存在に気付く。
 看板の影に隠れるように暗く、通用路と思しき狭さだが、ステッキの先をこつりと当てれば、整えられた石畳は小路の奥にも続いているようではて、と首を傾げた。
 アスファルトを下地とした石畳の響きとはまた違う感触に興を惹かれるまま、小路に踏み込めば、日中であるというのに薄暮の如き暗がりが視界が薄く覆う……けれども元より物の形を捉えるほどの力を持たぬ眼だ。
 薄暗いならばいっそ目を閉じた方が影に惑わされずに済む、とセレスティは己の思考に従って瞼を下ろした。
 コツ、と石畳を叩く杖先の響きに変わりはなく、しばらく歩を進めてもう一度首を傾げ、周辺の地図を脳裏に思い浮かべるが、歩いた距離は記憶の中の一区画より長いような気がする……思い、すと薄く目を開けて視線を巡らせれば頭上にぼんやりと丸い光を認識する。
――……月?
頼りないとはいえ感じる日差しは昼間のそれのまま、電気が持つ特有の熱を持たぬ光に、そんな印象を受けたのだろう。
 そして興味も覚える。杖を持つ手を変えて横に手を伸ばせば、指先が滑らかな漆の、独特の艶やかさに触れた。
 視力を補って発達した知覚が触れた箇所から鋭く走り、一瞬にして建物の外観の像を脳裏に結ぶ。
 店舗と思しき建造物の外装は円形と菱形を線で組み合わせた格子に絡む植物めいた紋様に、大陸のそれを思わせる……が、華やかな朱ではなく、黒漆の艶やかさは和風である。
 扉と壁とのデザインに別がないのは仕様なのか、鈍た光りをつるりと湛えた真鍮の取っ手がなければ、入り口が何処か解らないだろう……ほんの少し手の位置を下ろせば存在する真鍮のノブにセレスティは手をかけ、更に暗い扉の隙間に滑り込んだ。


「……おや、これはこれは」
屋内に足を踏み入れると同時に感歎の響きを込めた声が上がるのに、セレスティは足を止めた。
 その背後で扉が音もなく閉まる。
「とんだ別嬪さんのご来店だ」
ふぅ、と吐息の形に動く空気に押されて、紫煙の……苦いだけでない何処か甘いような香を含んだ空気が鼻を擽るのに咄嗟、僅かだが顔を背けた。
「こいつぁ失礼を。煙草はお嫌いでしたか」
男の声は近くはないが遠くもない。
「いらっしゃいましお客様。陰と陽と、その間に構える故に陰陽堂と、そう冠しましたるこの店。あたしゃその主でして」
少なくとも五歩は離れていよう距離か、と欠ける視界を補って頼りとする感覚から判ずるが、倣いとしてまず察知する店の広さを掴めずにセレスティは額を押さえた。
 等間隔に並ぶ棚の多さと、それに詰められた品々の持つ情報に気が引かれて把握仕切れない。
「おや、ご気分でも? 奥で少しお休みになるといい……コシカタ、ユクスエ。カーニンガム様をご案内して」
添えられるように肩に触れる手の動きに、衣に移った煙草が香る。
 そして軽い足音が二つ、セレスティの足下に駆け寄って小さな手が両袖を軽く引いた。
「どうぞ」
「こちらへ」
促す声の幼さに引かれるまま足を進めれば、程なく低い位置に腰掛けられる場所へと案内される。
 畳の感触に触れて、その場所が広く取られた台場だと知れた。
 足を休めて一息をついて、はたと気が付く。
「何故……」
自分の名を、と問おうとしたセレスティの問いを察した笑いの吐息が空気を揺らした。
「そりゃ、あぁた。商売やってる身でかの名高いリンスター財団の立役者を知らにゃモグリってヤツでしょうよ」
声と気配の移動に合わせて、セレスティは聞き取りやすいよう顔の位置を変える……店主は台場へと上がったようで、「よいせ」と短い声が高い位置へと移動する。
「そのお姿を知って名を知らにゃ、虚けにも程があろうってモンで」
そう、とはいえ店主の言い分には些か疑問を感じる……創設時から総帥の地位に在り続ける身、年経ても変わらぬ姿で在らぬ悶着を避ける為に衆目に晒す事は避け、あらゆる情報媒体に財閥総帥としての肩書きで姿を現さぬよう情報操作を施して来たその筈だ。
 実際に遭遇しての事なら話は別だが、失礼ながら裏路地に店を構える小店舗の主がセレスティを知る機会を得たとは思えない……何より、セレスティがその気配に覚えがない。
 訝しさにセレスティは沈黙し、傍らに立てかけた杖を取ろうとした指が、固い何かに触れた。
 それは厚手の本である。
 重量のあるそれを捲れば、図版の多い百科事典であると……動物の類を納めた物であると知れる。説明書きは些か難解な今は旧い言葉で書かれているのが却って新鮮で、セレスティは思わず文字に指を走らせて内容を読み進めた。
「面白い?」
「気に入った?」
問い掛けと共に両の腕に触れる小さな手に、セレスティは左右に微笑みかけた。
「いい事典ですね。君達のですか?」
こくりと同時に頷く気配に本を閉じて差し出す。
「ありがとうございました。読書がお好きなのでしょうか」
両手にかかる加重が失せて、子供のどちらかが本を受け取ったのを知った。
「コシカタ、ユクスエ。カーニンガム様のお邪魔をしちゃいけないよ」
窘めの言葉にぱたぱたと遠ざかる軽い足音を追えば、横から差し出された香気を含んだ湯気が顎を撫でた。
「どうぞ一服。お上がり下さいましな」
勧められるまま、傍らに置かれた膳に手を伸ばせば、ぽったりと厚みのある陶器に触れる。
 磁器は薄ければ薄いほど上質とされるが、注がれた液体の熱さを掌に伝えない心遣いを感じ取り、指先につと触れて、小さな皿に和菓子が添えられているのを認識した。
「アレがお気に召したなら、どうぞお持ち下さいまし」
不意の声に、セレスティは口に和菓子を運びかけていた手を止める……が、直ぐにそれは事典を示しての言だろうと得心して首を横に振る。
「あれは子供達の物でしょう」
セレスティの辞退に、店主は軽い笑い声を響かせた。
「いえいえ、この店の内にある物は全て売り物ですとも。あの子等も、兄がコシカタ、妹がユクスエと。申しましてうちの立派な商品で」
あっけらかんとした店主の物言いにそぐわない不穏当な言葉に、ん?と心中に首を傾げたセレスティだが、答えは同じ軽さで即座、当の店主から発せられる。
「占が得意でね。コシカタは後、ユクスエは先、見通す事にかけちゃ、ちょっとしたモンですよ」
「……あぁ……そういう」
意味で、と安堵の息を吐いて漸くセレスティは和菓子を口を入れた。
 梅の香り付けをされた餡は上品な甘さで溶けるように解け、抹茶を含めばその苦みと相俟って微妙な味わいを舌の上に残す。
「占いですか……」
ほ、と息を吐いてセレスティは思わぬ一服を堪能しながら微笑んだ。
「奇遇ですね……私も少々の心得はあるもので」
少々、どころか。
 その占で財閥の未来を左右する、経済界の重鎮である……その彼を前に占を誇るは滑稽ともいえようが、セレスティは周囲に見掛ける事のない年頃の少年少女がどのような占を為すのか興味津々である。
 笑みの気配をこちらに向け、店主が煙管をふかした様子で空気が細く長い息に揺れた。
「こんな辺鄙な店に足を踏み入れる位だ。急ぎの用は御座いませんでしょう。お代はどうぞこの子等に一つずつ、揃いの品でも買い与えてやって下さればそれでよし。夕を過ぎてから朝までの間に、店に送り届けてやって下さいましな」
こちらの思考を読んだかのような勧めに是非を答える間もなく、右の肘に手がかかる。
「何処に行く?」
 強請る言葉ではあるが、少年……コシカタの声は淡々として感情に薄い。
「何して遊ぶ?」
反対側の手の甲に少女……ユクスエの長い髪がさらりと流れる動きでかかる。
「お気に召したなら、どうぞお持ち下さいまし」
もう一度、同じ言を繰り返した店主の笑みが更に深まる気配が、した。
「気を引かれるならば、その子等が。今必要という事ですよお客様」


 近隣に待たせていた車を呼び寄せれば、子等と両手を繋いだセレスティの姿を見て、運転手が一瞬動きを止めた。
 物問いたげ……という程あからさまではないが、外出時の警護も兼ねる彼の心中を察して、セレスティはクスリと小さく笑う。
 財閥総帥が子供と仲良く手を繋いでいる光景など、彼でなくともついぞ目にした事がないだろう。
「この子達は私の子供です」
そう、運転手の疑念を解くべく発した言は確信犯、財閥総帥に隠し子発覚?!と見出し付の思考が頭から溢れ出しそうにガチリ、と不自然に凍り付いた運転手の反応に、セレスティはそれは満足げに美しい笑みを上らせた。
「……そのつもりで今日一日お預かりしましたので。よろしくお願い致しますね」
その言にあからさま、運転手の肩から力が抜けるのにまた笑いを誘われる。
 どのような経緯があったか等の更なる疑念はどうあれ、主の決であれば使用人である運転手に否やなく、彼は恭しく、主人と暫定子供達の為に車の後部座席の扉を開いた。
 コシカタとユクスエに、両脇を挟まれる形で乗り込んだセレスティは、運転手に行き先を問われて思案する。
「何処かで遊ぶ……とはいえ、屋敷に連れ帰るのは流石にどうでしょう……」
距離的な問題と、果たして屋敷に子供が楽しめる品があったろうかと頭を悩ます主人を見かねてか、運転手が「差し出がましく存じますが」と、口を開いてバックミラー越しに視線を合わせた。
「お子様方の年代でしたら、遊興施設やショッピング、お食事にお連れしましたらお楽しみになれるのでは」
その言に、ひとつずつ揃いの品を、と代価を求めた店主の言をセレスティは思い出す。
「あぁ、そうですね。私が身体を張って遊ぶ覚悟を決めなくてもその手段がありました」
深く頷くセレスティに運転手はほっと内心胸を撫で下ろす……財閥総帥が身体を張る遊びが如何な物か、些か興味を覚えはしたが。
「……なら、お食事にしましょうか。先ずは服を誂えに参りましょう」
運転手に指示を下し、セレスティは目下、子守、というあまり記憶にない体験の新鮮さにとどのような時間が過ごせるかを考えるだけでも楽しく、目元を綻ばせた。


 食事に行くのに何故に先ず服が必要か。
 それは、セレスティが急時に予約なく利用出来る食事の場が正式である為だ。
 その馴染みの店に向かう前に、御用達とも言える仕立屋に赴いたのだがこちらで思わぬ時間を取られた。
 何の疑念もなく訪れたのは紳士服専門店……其処では子供用の仕立をした事がなく、コシカタは当然の事ながらユクスエに到っては生地すらない事態に慌てふためいたのはセレスティではなく店の方だ。
 上得意様の難題ならば如何にしてもやり遂げてみせようという、商売人の意地と誇りが燃え上がった末、幸か不幸か店主の身内に居た子供服を取り扱う者を急遽、既製服ながら質の良い品々と共に呼び寄せる仕儀と相成った。
 最も、仕立となれば最低でも20日はかかる為、今夜の食事を共にしようという目的の根本から見れば目測が違うと言えば違うのだが。
 そんな顛末を経て漸く、食事にありついた次第である。
 明るい店内、いつもの席に案内されてコース料理を堪能する……店の格式を思えば当然だが、店内に他に子供と思しき年代の気配はなく、本来ならば入店が拒否されるのであろうが其処はそれセレスティの顔が利いていた。
 それに何よりコシカタとユクスエは十二分にテーブルマナーを弁えていて、聞き苦しい音を立てる事なく、複数のカトラリーを難なく使いこなしている。
「ナイフとフォークのの使い方がお上手ですね。ご両親に教わったのでしょうか」
感嘆と疑問を子供達に向ければ、コシカタとユクスエは同時に手を止めた。
「以前、お客様が」
「教えて下さいました」
占を得意とする、という彼等の客の事だろうとあたりをつけ、セレスティは頷く。
「成る程……コシカタ殿は過去、ユクスエ嬢は未来を見るのでしたね。どのように占うのか、伺ってもよろしいでしょうか」
占い、と一言に言っても、予見の如くイメージを捉える者や、道具を使って運命を読み取る等、手法は様々である。
 年端も行かぬ子供達に占星術やタロットなど、高度な知識を求められる占示は難しいだろうと、侮りではないが純粋な興味で以てセレスティは問うた。
 それに、コシカタとユクスエは一拍、呼吸をする為の沈黙を置いた。
「コシカタは過去に深く」
「ユクスエは未来を広く」
子供らしくない、淡々とした口調で声が揃う。
「全てを見ます」
ふ、と空気の圧力が増すような……否、水底に身を置くように空気の密度が増したような心地に、セレスティは僅か眉を上げた。
「……それは、私の過去と未来もですか?」
問いにまた同時に頷く気配がする。
「コシカタが見た過去全てを語るには、セレスティ様が生きたと同じ時間が要るから」
「ユクスエが未来を語るにはそれ以上。だからコシカタもユクスエもひとつずつだけ」
「お客様の過去と未来を差し上げる事にしています」
最後に声を揃える子供達の……まるで当たり前の事柄を説明する、虚偽の疑いを挟む余地のない淡々とした口調に、セレスティは言葉を失う。
 過去は過去、生きた時間が歴史と呼ばれる程に風化したその時間を自ら振り返る事が出来る者は存在しないだろう……それを為せる程に長命なセレスティだからこそ、意識は常に未来へと、自らが進む道の行き先へと向かう。
 確かに彼等の言うとおり、見渡すほどに広い未来は過去へと向かって収束して己という現在を支点にこよりのように彼の背に深く長い道を作り出している。
 その全てを把握するという……彼等は多分、人ではない。
 コシカタとユクスエは椅子から降り、セレスティの右腕と左手とに手を添えた。
「セレスティ様は海に生まれ」
「海に帰る事なく陸で生きる」
……それが、今彼等がセレスティに下す宣なのだろう。
 ふ、とセレスティは息を吐いた。
 子供達の言葉に誘起され、手に取ろうとした想い出の多さと選び取ろうとする選択肢の多さとに、僅かながら眩暈を覚える。
「そうですね……私には、陸に捨てられないモノが多すぎる」
郷愁、と呼ぶ程ではないが何故だか懐かしい。この場にある筈のない、遠い海の香を、セレスティは嗅ぎ取ったような気がした。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】

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■         ライター通信          ■
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大変遅くなりまして申し訳ありませんでしたッ<( _ _;)>
多くを語ると言い訳にしかなりません、と同じ言を繰り返している愚か者で御座いますが、深謝を受け止めて頂ければと、切にお願い申し上げる所存です……。
これに懲りずにどうぞまた時が遇えばご用命頂けますればと、心から願っている北斗に御座います。