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<東京怪談ノベル(シングル)>


『桜色の風景』

 ある夕方、屋台の前を親子連れが通っていった。
 子供はその小さな両手で大きな箱を抱えている。
「重くない? 大丈夫?」
 心配そうな母親の言葉にううん、と子供は首を振った。
「だって、ぼく、もうすぐいちねんせいだもん。じぶんのランドセルはじぶんでもつんだよ!」
「そう‥‥偉いわね」
「ぼくね、しょうがっこうにいってね、いっぱいべんきょういしてね、おかねもちになるんだ! そしてママにらくさせてあげるからね」
「もう、この子ったら、どこでそんな言葉覚えたの?」
 仲の良さそうな親子。このような親子は普通屋台に足を止めたりしない。
 予想通り、背景でしかないように通り過ぎられた屋台から、小さな小さな呟きが聞こえる。
「‥‥入学式‥‥か」
 
『ぴっかぴかの〜〜』
「ふむ、今年もそんなシーズンか? 時の立つのは早い者ぢゃ‥‥」
 テレビに流れるCMの小学生は自分の頭よりずっと大きなランドセルを見ながら元気な笑顔を見せている。
 そんなにこやかな笑顔をつまみに渋い煎茶を一口。
 静かなテレビ鑑賞のお供は船沢屋のおはぎ。
 こたつもぼちぼちいらなくなったほのかなぬくもりの中‥‥管理人が活けたのだろうか。膨らみかけた桜の枝を嬉璃は眺めた。
「春はいいものぢゃのお〜〜」
「どこがいいものか? 春なぞ大嫌いじゃ!」
 ドンドン、ノック代わりに管理人室の障子が揺れて、中にいるものの許可を待たずに大きな音を立てて開く。
 そして大きな足音を立てながら入ってくる者の形相‥‥。嬉璃は小さく舌を打った。
「源‥‥」
「嬉璃殿、入るぞ!」
「だめぢゃ」
 と、言ってもこいつは言うことなど聞くまい。
 嬉璃と呼ばれた人物は肩を竦めると入ってきた人物に座布団を勧めた。
「どうしたのぢゃ、源。まずは茶でも?」
 二煎目のお茶を萩焼きの茶碗に汲んで、差し出すと客はそれを一気に飲み干し‥‥はあ、深い息を吐いた。
 足をコタツに投げ出して深く深呼吸する。そして‥‥頭を下げた。
「すまん、嬉璃殿。ち〜っとばっかりイラ付いておったのじゃ。礼を言う」
「礼は茶にでも言うが良かろう。さて、本当にどうした? 随分荒れておるではないか?」
 日本茶に限らず茶という者は古今東西、人の心を和ませる力を持っている。
 本郷 源にもその神通力は聞いたようで、障子を叩き壊さんばかりの勢いは少し落ち着いて、今は年相応に‥‥は見えないが普通の少女に一応見える。
「‥‥どうも、こうも‥‥、これを見るのじゃ」
 嬉璃の言葉に源は着物の胸元から一通の封書を差し出す。青墨の毛筆‥‥を真似たワープロ文字で描かれたその宛名は本郷源様。
 差出人は‥‥小学校?
「中を見るぞ?」
 沈黙は承認の合図と嬉璃は中から手紙を取り出した。
「『入学式のご案内』‥‥ほお、そなたは今年小学校入学か‥‥おめでとう、というべきかのお?」
 ニッコリと笑顔を見せる嬉璃を源の目がキッと睨んだ。
「本気で言うておるのか? 嬉璃殿?」
「本気とは?」
 余裕の表情で三煎目の茶を注ぐ嬉璃の茶碗が、バン! 強い音と共に宙に一瞬浮かんだ。
「わしは今年一年間いわゆる『いちねんせい』をやったのじゃぞ! それがどうしてまた『にゅうがくしき』をやらねばならんのじゃ!」
「いろいろ大人の都合があるのぢゃろう? いいではないか? 新しい服に新しいカバン。ピカピカの新入生はいいものぢゃ」
 ドン!
 また机が軽く振動して船沢屋のおはぎの皿が少し右に寄った。茶碗は嬉璃の手に持たれているので無事だったが‥‥。
「大人の都合とはなんじゃ? 大体ぴかぴかの新入生と言えば聞こえはいいが、入学式のたびに新しいカバン、新しい服、山のような新学期用品。購入金額もばかにならないのじゃぞ。知っておるのか? 東京都内で小学生の入学式までに必要な用品類の平均金額は‥‥」
 ズズズズズ‥‥。
 まくし立てる源の声を聞いているのか、聞いていないのか、嬉璃は茶碗を置くと皿の上のゴマおはぎを一つ、自分の手元の小皿に取った。
 もう一つは源の前に。
「あ、どうもなのじゃ」
 ぱくぱくぱく‥‥はた!
 危うくゴマおはぎだけにゴマかされるところだった。源は皿を開けてから気が付いた。
「ああ! そうではなくて‥‥、タダでさえお金がかかるのにだなあ、わしは今までにこの『入学式』を三度体験しておるのじゃ! 何時の間にやらランドセルも三個ある!」
「テラの方針であるのであれば仕方がないのではないかな? ‥‥ちなみにそなたランドセルは何色を買った? 昔は女子は赤と決まっていたものぢゃが‥‥最近は色々な色があるようぢゃな?」
「最近はオレンジ色とか、桃色もあるようじゃなあ。わしはやっぱりおんなの子らしく、キュートに‥‥って、寺の方針? わしは仏教系学校に行くわけではないのじゃぞ!」
 また話題が逸れようとしていた。慌てて話の流れの前髪を掴んで源は引き寄せた。
 まだ逃げられずにはすんでいるらしい。
「ほう、もう四度目か‥‥。そうぢゃのお。わしらの付き合いも結構長くなってきたものぢゃ。わしも年をとるはずじゃ‥‥」
「とし‥‥嬉璃殿は今年いくつに‥‥‥‥! 嬉璃殿! ワザと話題を逸らしておられるのじゃろう? いい加減に真面目にわしの話を聞いてはくれまいか?」
 ふう、バレたか。というような顔で嬉璃は息をついた。
 そして源の顔をちゃんと見る。
「‥‥わしとて、入学式が嫌いなわけではない。春の桜吹雪、新しい友達との出会いも大好きじゃ‥‥じゃが‥‥」
 俯き、源は珍しくしおらしげな顔を見せた。
「新しい学年、新しい勉強、新しい生活‥‥そんなものも体験したい。そして‥‥何より‥‥入学式というものは‥‥」
「源‥‥」
 漏らしたため息の持つ意味を、嬉璃は理解していた。
「しかたあるまい、システムがそうなって‥‥げふんげふん、ごほんごほんごほん!!」
 突然咳き込み始めた嬉璃の苦しげな表情に、源は慌てて駆け寄った。
「どうされた? 嬉璃殿。しっかりするのじゃ」
 演技ではない苦しみように背中をそっと擦って、気遣う源に‥‥ほど無く嬉璃は深く呼吸をし直し‥‥もう大丈夫、と笑って告げた。
「もう大丈夫ぢゃ。心配をかけてすまなかったのお」
「驚かせないでくれなのじゃ。肝が冷えたぞ‥‥」
「ハハハ。すまぬ、すまぬ。そうぢゃ、今度、今日の詫びに一緒に花見でせぬか? 桜あんぱんに桜の茶。とっておきのものをわしが奢るとしよう」
「それはステキなのじゃ、ふむ‥‥桜もちも頼んでいいか?」
「もちろんぢゃ、皆を呼んでぱーっとやろうではないか?」
「ますますステキじゃ。花見にはやっぱりおでんじゃのお‥‥」
「おでんも悪くは無いが‥‥わしはどっちかというと焼き鳥のほうが花見には向いておると‥‥」
 しばらく花見談義に盛り上がった後、源は機嫌よく部屋を出た。
 やがて気付く。話の流れに完全に逃げられたことに。
「あれ? わしは‥‥何故‥‥‥‥あっ! しまった。誤魔化されたか‥‥」
 一度、自分で閉じた障子‥‥。もう一度開けても良いのだが、何だか妙にヤボに思えて一度、障子に触れた手を、源はそっと引いた。
「‥‥まあ、仕方が無い。素直に一年生をしてくるか‥‥」
 そうじゃ、今年のランドセルは桜色にしてみるか‥‥。
 どうせやるなら楽しい思いでやってやろう。
「いっつ! ぽじてぃぶしんきんぐ! なのじゃ」
 古くきしむ木の廊下を軽いスキップが跳ねていった。 

「やれやれ、世話がやける‥‥」
 嬉璃は小さく呟いて遠ざかる影を部屋の中から見送った。
「おまかせのこの世界、仕方ないといえば、仕方がないのぢゃがな‥‥」
 だが、と嬉璃は思う。
 源があれだけごねた理由はそれだけではあるまい、と。
 もちろん、お金の問題や‥‥他の問題もいろいろあるのだろう。
 しかし‥‥本当の思いは‥‥きっと‥‥。
「源に入学祝でも贈ってやるかのお‥‥」
 

 満開の桜の下。
 桜色のランドセルを背負った黒髪の元気少女が階段を駆け抜ける。
「遅刻じゃ、遅刻‥‥、っとおぬしらは留守番じゃ。入学式には、流石に連れてはいけぬからのお‥‥」
 足元に従う二匹の猫達の頭を軽く撫でて、本郷源は微かに笑った。
「さあて‥‥行くとするか‥‥!」
 門の手前で自分に向かって手を振る人物に源は目を瞬かせた。
「あれは‥‥」
 その人物は、ニッコリと笑って源を呼ぶ。
 源もまた‥‥心からの笑顔でそれに答えた。
「今行くのじゃ!」
 桜吹雪の花びらが一枚、が桜色のランドセルに貼り付いて‥‥軽く落ちた。
 じゃれつくようにその花びらを立って掴んだ時、猫達は見た。
 小学校の門を、桜のアーチを一人ではなく、誰かと一緒に潜る春色の笑顔を‥‥。