コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


人の築きしモノ



 世界の主な植物種の八分の一が絶滅の危機に瀕しており、かつてない急激なスピードで消え去ろうとしている。このままのペースで絶滅が続けば、二〇五〇年には六万種、現存する主な植物種の四分の一が、現在の人間の化学力で解明できる様々な有害作用の所為で、絶滅する恐れがある。
 日本という国だけに限ってみても、狭い国土の山は削られ、森林地は単一種植栽が進められ、水力発電用ダムが無尽蔵に建築され、人間の利便のためだけに道路や鉄道が張り巡らされ、美しい海辺や山岳地帯は観光者達に踏み固められた。
 それに伴い、住処を失った野鳥や昆虫たちが道路で踏み潰され、絶滅の一途を辿っている。変わりに、街の中心部ではクマネズミが繁殖を続け、カラスに続いて、植物性であったはずのドバトまでが生ゴミを漁る。沿岸部ではユリカモメが増え続け、野生化したインコたちが空を埋め尽くす。
 チューリップやセントポーリアの元の種が既に滅びるのみになっている事を、どの位の人間が知っているのか。環境庁が絶滅の恐れのある野生生物をレッドデータブックに上げ、注意を促した。その数およそ五百。遅すぎた感が拭えない。
 消えゆく彼らの微かな声が、聞こえた気がした。




 腰まである銀の髪から、ピンと立った馬の耳がぴくぴくと辺りを窺っている。額からすっくと生えた真珠色の角は、楽しげに揺れていた。人間ではありえない独特の歩調で、蹄の音を立てながら歩くのは、少女の上半身とユニコーンの肢体を持つ半身半獣のシルエット。
「綺麗です」
 そっと落とすように呟かれた声は、素直な賞賛で溢れていた。
 バラ科サクラ属のPrunus Yedoensis。日本原産の木で、四月ごろ葉より先に五弁の薄い紅色の花を咲かす。落葉高木で、秋の紅葉も見事にこなすサクラの代表的な種類だ。
 んー、と唸ってから、手を打って「ソメイヨシノ」と呟く。どうも、学名よりも一般名の方が覚えにくかったようだ。
「オオシマザクラとエドヒガンの雑種でしたっけ」
 どうでもいい事を思い出して、彼女はゆったりと微笑んだ。クリスティアラ・ファラット。それが彼女の名前である。
 わけあって地球の、日本という島国に居候中のクリスティアラは、亜空間の庵でひっそりと暮らしているが、そこの近くにサクラが咲いたのを眺めていた。満開に咲き誇り、薄紅でかすんだ景色は、淡く優しい。”桜前線”なるものを全国ニュースで大真面目に論じている所には、笑わせてもらったが、今ならその気持ちも解る気がした。
 長い冬を蕾に篭って耐え忍び、春になればそっと綻び、梅雨を迎える前に未練なく一斉に散る。その生き様は尊敬に値した。
 『潔い』や、『儚い』という意味の言葉を遣う民族は多くないが、それらの由来はこの花から来ているのかもしれなかった。
 不意に、クリスティアラは表情を消した。軽い跳躍。白銀の蹄が地面を蹴り、同じ色の尾が陽光でつやめく。手に持った杖を一振りし、一歩、二歩と空を蹴った。
 世界からの干渉の一つである重力を振りきり、光の粒子から自由になる。あわせていた全ての柵を失うと、途端に酷く開放的に感じた。同時に、常にそこに縛られて生きている生命たちに、深い憐れみを感じる。彼らは一生、この開放感を知る事はできないのだ。
 太陽の間近で溶岩の流動を感じ、小さく見えた星に駆け寄って形を確認したり、幾つ物太陽系を渡り歩いて周期を共に刻んでみたり、と。そういった楽しみを知らない彼らは、生きる意味をどうやって見つけてゆくのだろうか。
 余りに開放的になりすぎると戻る事が億劫になるため、クリスティアラは地球から極力離れないように心がける。
 成層圏まで上って、星を見下ろす。少し景色が悪かったので、更に上昇して、大気圏を脱した。
「こんな所まで……」
 小さく呟いて、眉を顰める。地球の周りは、世界中が打ち上げた『衛星』という鉄くずが数多く浮いている。どのくらいが役になっているのかは、クリスティアラには解らなかった。調べれば解るが、そんな気にもならない。人間が宇宙に出るようになってから何世紀もたっていないはずだが、この調子で宇宙にゴミを打ち出すなら、宇宙船から見た地球が「青かった」と言われる事はなくなるだろう。
「それはともかく」
 気を取り直して、実習開始である。
 本日の実習は環境調節。混沌の海といえる地球の生態系の確認と、地球という星全体の環境調節が主な課題で、やりすぎや不足がない様に、力の加減を調節する修行といえる。
「クリスティアラ・ファラット。実習開始します」
 すい、と杖を水平に構えて眼前で捧げ持つ。呼吸を整え、意識を研ぎ澄ました。
 人が『神』と呼ぶ存在がある。日本やアメリカの一部、古代ギリシアやエジプトでは、人間の力ではどうしようもない災害や、自然現象を物語にし、やがて『神』と呼んで恐れた。また、聖書と呼ばれる書物を元にし、唯一絶対的な存在にして万能である創造主を『神』と呼ぶ宗教があった。
 クリスティアラの肩書きは、後者に良く似ている。世界の理をつくり、命を生み出し、『世界』を作る。それこそが彼女の目指すもの。そして、絶対ではありえない。そのような存在はありえないのだ。人間たちが何故そんなものまで作って崇めているのか、少し理解できない彼女である。近年ではその聖地を巡った戦争まで起こり、多くの人間たちが淘汰されていく。
 できることなら、自分の作る世界には争いの少なき事を願って。そのために彼女は今日も腕を磨くべく、実習に励むのだった。
 ざっと地球全域を見渡し、絶句。
「ひどいものです」
 呟いた。それ以外しようもない。
 過放牧による乾燥帯の増加。殺虫剤やその他の農薬の使用で荒れる土地。火やチェーンソーによる森林破壊。排水や水の汚染。工業化や都市化の破壊的影響。高山や採石場の開発。ジープなどのオフロード車による被害。外来植物による競争圧。薬理作用や美容作用を持つ植物の過度の採取。園芸用植物の球根の乱採取。
 数え上げてもきりがない。地球は病んでいる。
 地球のサイクルとして、周期的に大量絶滅と呼べる現象が起こる。過去、五回にわたりあったと確認されており、最も大きなものとして当時存在した種の九十パーセントが消滅させられた―――中生代から第三期への過渡期に起こったとされる―――恐竜の絶滅が上げられる。六千五百万年前の話だが。
 その代わりを、人類が行おうというのか。人類がかける圧力は、確実に自然を滅ぼしてゆく。自分たちが住むための星を維持できなくなると知っておりながら、だ。
 最早『種』とは呼べない。『腫』というべきか。
 クリスティアラは小さく笑った。
 じっくりと様子を見て、考察していかないと、どういった形であったのかすら解らない。海は濁り、大地は枯れ、北極南極の氷が溶け出し大地を削り、木々はやせ細って、河や地下水脈は干からびている。
「こんなものは、『環境汚染』とすら呼べません」
 環境とはすなわち、個々の生き物を取り囲む世界。汚染とは有害物質などに汚される状況を言う。そう言う曖昧な言葉を作って安心し、自分たちがそれへの対処を取り組んでいると勝手に思い込んでいる。
 このままでは、人類の罪状に、地球という星の傷害致死が加えられる可能性が極めて高い。
 ただ何気なく食事を取る。それだけの為に、どれだけの命が犠牲になっていると思っているのか。養殖場を作るために生態系を殺し、食物連鎖を強引に歪ませることで出来た亀裂に、何時になったら気がつくのか。地球の全てを勝手な物差しで「有用」「無用」に二分し、無用なものを殺していく。その結果、地球が死んでいく。
 そして、そのことを見てみぬ振り、あるいは―――こちらの方が罪が重いかもしれない―――見えていながら見えていないことに気がついていない。



 桜の花を思い出した。
 ある朝突然に花開く鮮烈さ。
 全てを霞ませてしまうような、淡い存在感。
 やがて散りゆく、潔さ。
 そして、入れ替わるように萌える緑の葉と、青空のコントラストは爽快の一言に尽きる。
 このままでは、やがてその営みも息絶えることだろう。
 シジュウカラの鳴声も、雨上がりの空の青さも、やがては消えてしまう。
 遠い昔、海から出てきた生き物である人間は、母とも言えるそれを殺す。
 変わって抱いてくれた乳母とも言える大地をも、滅ぼし。
 父のように生きる術を与えてくれる、木々や珊瑚を屠り。
 生活する為に不可欠な、住居といえる星を巣食う。



 『環境汚染』などという言葉は生ぬるい。遠回りで壮大な種族規模の『無理心中』と呼べる。
「優しい人もいるのですが……」
 一度集中を解いた。こんなものを見ていると気分が滅入ること請け合いだ。
 人間という種族の『個体』は優しかったり、穏やかだったり、と決して滅んでいくような種族に見えないのだが。
 落ち込んだ気分を盛り上げる為に、クリスティアラは殊更に明るい声で「さて」と気合を入れた。
「もういっその事、完全に『治して』差し上げましょうか」
 これくらいなら私でも、と杖を握った手でガッツポーズもつけてみる。
「何と言っても、全知全能ですから」
 集中を解き自分も黙ると、急にその空間が静かになった。沈黙が耳に痛い。
「ごめんなさい」
 急にいたたまれなくなって、クリスティアラはその場でしゃがみこむ。誰が見ているわけでもないが、それゆえに余計恥ずかしい。涙まで滲む始末だ。
「すいません、嘘言いました」
 誰も居ない空間に何度となく頭を下げる。なんとなく言ってみたかっただけなのだが、声にすると奇妙なほどに恥ずかしい。何時かそうなって、他人から言われる事があるだろうか。それは、何千、何万、何億年先の話だろう。
 それくらいでなれたらいい、と儚い夢を抱きつつも、クリスティアラは気を取り直して立ち上がった。杖を構える。
 赤くなった頬を引きしめて、呼吸を整えた。
 ゆっくりと地球全体を見渡す。完治させる事はできるが、そうすれば「ある『種』に加担してはいけない」という規則に反してしまう。更に、現地生物への干渉も禁じられているのだから、ばれたらただではすまない。
 色々と方法やら抜け道やら考えてみたが、結局自然浄化の範囲でしか行えない、という結論に至った。 
 溜息を我慢し、そっと力を解放する。実習と称して地球環境を学び、クリスティアラは思う。何故、人は自らを滅ぼすのか。自滅する為だけに生まれてきたのか。やがて滅び行くとき、何を道ずれにし、何を巻き込むのか。
 その爪痕を、地球は何万年かけて癒すだろう。人にとっては永遠に近いその時間も、地球という星やクリスティアラにとっては大した時間ではない。
 その僅かな時間の中で、人は何故、これほどまでに滅びようと躍起になるのか。自然を壊し、病を招き、戦争をする。そして、何故師匠はこの世界をつくり、クリスティアラをこの場所へ導いたのか。
 何も解らないまま。
 汚染されつくした海の余計な油をそっと掬い取り、大地にばら撒かれた毒物を拭い、水蒸気の酸を薄め、できる限りの、浄化。
 浄化では限りがある。更に、クリスティアラが浄化する以上のスピードで、地球は汚染されていく。



 秋空の下で、共に駆けた。
 黒い瞳を思い出す。
 「わん」と鳴いたあの子犬に、一体いかほどの罪があるのか。
 人類は、罪のないものまで巻き添えにして滅びていく。
 哀れな被害者たちを救う手立てを、クリスティアラは持っているのに、行使は出来ない。
 助けられる命が目の前にあっても、手出しをしてはいけない。
 けれど目を逸らすことなく。
 彼女は更に浄化を進めた。



 人は気づき始めている。
 ようやく。
 世界の、地球の、そして、自分たちの危機に。
 世界自然保護基金や、国際自然保護連合、という団体がようやく、自然保護を呼びかけだした。国が利益に関係なく、保護を考えるようになった。
 人々はリサイクル、エコロジーという言葉の元に、生活を見直しだした。
 間に合うだろうか。
 クリスティアラは、絶望的な気分でそれを否定する。アメリカ、日本、EUがそれを目指しても、やがてそれらに変わってアジアが自然に牙をむく。
 それでも、と。
 何もしないよりは、ずっといいはずだから、と。
「お願いします」
 クリスティアラは、ひたすら、浄化を続けていた。
 何に祈るのか、それすら定かでないまま。
 ただ、願いを込めて。





END