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<東京怪談ノベル(シングル)>


鐘、高々に鳴り響き


 門屋・将太郎(かどや しょうたろう)は、どろりとした触感が、ざらりとした感触が、身体を支配しているような感覚に襲われているだろう。虚ろな目をして、日々ただ『存在する』だけだ。
 俺はそう思うと、思わず笑みが止まらなくなった。どうしてだか、理由などとうの昔に分かっている。長年待ち望んできた、好機がやってきたからだ。
(奴は、ついに心を閉ざした)
 俺は思い、再び笑った。可笑しくて堪らない。どれだけ切望し、どれだけ絶望させようとしたか。
(門屋のシャドウとして、俺が生誕してからどれだけ経った事か)
 心理学用語である、シャドウという存在。俺はそういう存在として生まれ、ずっと待ってきたんだ。あいつ、門屋がガキの頃から。
(漸く、やってきたんだ)
 俺はくつくつと笑った。この瞬間を、どれだけ待ち望んでいた事だろうか。何度夢見た事か。恋に狂いし乙女のように、親の敵を討つ子のように。
 俺はこの瞬間を、待っていたのだ。
(23年……23年だ!)
 門屋が5歳の頃、読心能力に目覚めたのがきっかけだった。奴が目覚めたと同時に、俺は奴の心の中で誕生した。俺という存在の、確立。
 俺はくつくつと再び笑う。ガキだった奴は、この力に怯えていたから。
『皆、ボクのことが嫌いなんだ』
 そんな事も言っていた。ベソなんてかきながら。
(その頃だったかな、俺の心に邪なことが芽生え始めたのは)
 しかし、芽生えただけで終わってしまっていた。だからこうして、虎視眈々と機会を窺っていたのだ。
 俺の芽生えを、そのまま消してしまわぬように。
 そんな中訪れた、この好機。逃してなるものか……!
(屋上は、どうだったか?門屋)
 閉ざした心に、きっと問い掛けても答えは返ってこない。それでも俺は構わない。言いたくて言いたくて、うずうずしていたのだから。
(屋上に恋い焦がれていたのだろう?)
 病院の屋上は、さぞ広く、白く、お前の目には鮮明に映っただろうな。俺という存在の事など関係ないと、思いたくなるくらいに。
 でもな、それは間違いだったんだぜ。
 お前は屋上に行けば、無くした記憶を取り戻せるのだと思っていたのかもしれないが、ただそれだけじゃなかっただろう?
(屋上の空気は、すがすがしかっただろう?)
 いてつく寒さも、心地よく感じるほど。
(屋上の風景は、白いシーツが綺麗だったろう?)
 はたはたと靡く姿は、何かの誘いにも見える。
(屋上というその場所は、お前にとって気分転換以上のものを与えただろう?)
 全てが、繋がっているのだ……!
 苦しいと、辛いと、哀しいと。お前は感情豊かにその風景を享受していた事だろう。ネガティブな感情や感覚さえも、お前はお前のものとして受け取る筈だったのだろう。
(残念だったな)
 俺は知っていた。屋上という風景が、門屋に何を与えるかを。知っていたから、あえて行ってもらった。
 是非に、行って貰わねば。
(世界を終わらせようぜ?門屋)
 幾度となく囁いてきた、その言葉。門屋はいつも気にしないようにしていたようだが、実際には心の奥底にはその言葉は刻み込まれていた事だろう。
(終わらせてしまおうぜ)
 くつくつと俺は笑う。なんと愉快な事か。
 今はまだ、俺は外には出られない。だが、それも時間の問題だ。出るための手段は、手の届く所に在るのだから。
 ほんの少しずつでいい。少しずつ少しずつ、意識を支配すればいいのだ。
(人は傷つけあい、痛めつけあう。何ともくだらねぇ世界だ)
 怒りとは恐ろしいものだな、と俺は門屋に呼びかける。門屋は答えない。心はそれだけきっちりと閉ざしているという事だ。
 自己防衛は、ばっちりじゃないか……門屋!
(お前は怒ったのだろう?それでいいじゃねぇか)
 怒りは我を無くすというが、本当に門屋は自分を無くしてしまったのだ。あはは、何という様だ。何と脆く、何とも危うい。
 俺ならば、そんな事にはならないぜ?
(嫌われれば、嫌い返せばいいだけじゃねぇか)
 閉じた心の中で、奴はまたベソでもかいているのだろうか?勝手にすればいい。好きなようにベソでもなんでもかけばいい。弱く、脆いのだから。
 俺は表に出る。
 門屋という人間は、俺の裏になればいい……!
(今度は、お前がシャドウになる番だぜ?門屋)
 くつくつ、と再び俺から笑いが漏れた。何とも輝かしい瞬間だ。シャドウ、影という名からの開放。さあ、大いに祝おうじゃないか!
(お前の事)
 閉じられた心の奴は、きっと小さく縮こまっている事だろう。情けないが、お似合いだ。俺はそういうのは将に合わないが。
(嫌いなんだぜ?)
 囁いても囁いても、きっと奴には届かない。でも、それでも構わない。
 心を閉じているから聞こえないのかもしれないが、それで結構。全くこちらとしては困らない。大事なのは、俺がこうして存在し、門屋の影から表の世界へと飛び出すという事だけだから。
 それが俺の存在意義。俺という存在があるという証なのだ。
(皆、お前の事が嫌いなんだ)
 聞こえているか、この囁きが。
 聞こえていないのか、この囁きが。
 今度こそ、俺は再び生まれるのだ。お前の中ではなく、お前の表として。シャドウという地位は綺麗に明け渡してやろうじゃないか。
(お前、嫌われているんだな)
 かわいそうに、と続けてやる。お前に向けられるのは、今や憐れみしかない。
 お前が今まで築いてきたものは、お前自身の怒りによって全て失ってしまったのだから。そうなればお前に今あるのは、一体何だ?
 門屋に残っているのは、憐れみを受けるだけの抜殻だ。
(憐れだな、門屋)
 言葉とは裏腹に、俺は笑いを止められなかった。くつくつと、喉の奥の方から何度も笑いが零れてきた。
 大いに嘆き、大いに哀しむがいい。お前という存在が消えたその瞬間から、今のこの運命は逃れようも無かったのだから。
(残念だったな、門屋)
 閉じてしまった心に囁きかけても無駄なのだと知りながらも、俺は囁き続けずにはいられなかった。記念すべき瞬間であり、また俺にとっての大事なステイタスとなりそうだった。
(可哀想にな、門屋)
 俺は何度も繰り返す。いつしか完全に門屋の意識を支配し、完全に表に出るために。
(お前は嫌われ、邪魔者扱いだ)
 幾千もの囁きは、繰り返されるネガティブな言葉は、いつしか閉じられてしまった門屋の心の中にまで浸透する事ができるかもしれない。そうなれば、支配するスピードは格段に上がるだろうし、俺が表に出る事が出来る時期も早まるかもしれない。
 どうかしっかり眠っておいて貰わねば。
(皆、お前が嫌いなんだ)
 俺は再び繰り返した。暗くどろどろした空間の中に放り込まれたかのように、きっと奴は小さく縮こまっている。そうして徐々に支配されていくのを、ベソでもかきながら見ているしかなくなるのだ。
(皆、皆、皆!お前のことが嫌いなんだ……!)
 あははは、と俺は笑う。奴には聞こえていない言葉を、幾度となく繰り返しながら。
 がらんとした空虚の中、俺の笑い声と言葉だけが、鐘のように響いていくのを確かに感じるのであった。

<影は鐘を鳴らすが如く囁き続け・了>