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<東京怪談ノベル(シングル)>


ゆめであえたら

 何事にも息抜きは必要じゃ、等とぶつぶつ口の中で呟きながら、朔耶は広く長い廊下をこそこそと歩いていた。
 酷使するだけが能ではないぞ。何に於いても適度な休息と気分転換があってこそ、能率はあがると言うものじゃ。至極尤もな主張であるが、それを見た目十歳足らずの少女が述べているのはどこが不思議な光景である。
 そろり、と足音を忍ばせて廊下の角から片目だけ覗かせる。向こう側を伺うと誰かがこちらにやってくる気配がした。朔耶はそのまま息を潜めて身を隠す。その人物が通り過ぎたのを見計らい、朔耶は一気に板張りの廊下を走り抜けた。
 「脱出成功じゃ!」
 背後で制止する声が聞こえたような気がしたが、走り出したら止まらないのが世の常(?)である。


 両手の指を組んで頭上に持ち上げ、精一杯背伸びをする。強張った身体の筋が心地良く伸びて、今日のこの春めいた気候と同じぐらい、朔耶はのびのびとした気分を満喫した。暖かな陽光に誘われてか、或いは激務の疲れが出てきたか、朔耶は
覆った手の平からもはみ出るぐらいの大きな欠伸を漏らした。
 「さて、どうするか…折角手に入れた自由時間じゃ…ただ昼寝をして過ごすのは如何にも勿体ない話じゃの…」
 欠伸の所為で、少しだけ滲んだ眼元を指で擦りながら朔耶がふと視線の向きを変える。ん?と言う顔で立ち止まり、朔耶は通りを挟んだ向こう側を眺めた。
 そこは住宅街の中にある、平凡な公園だった。幾つかの遊具とベンチ、水飲み場や公衆トイレ等がある、極々普通の公園である。その、どこにでもある砂場の中に、数人の少年が屯っているのが見えた。
 中途半端な時間帯故か、公園には彼ら以外の人の姿は無い。もし居たとしても、小学生同士の他愛もないじゃれ合いとみなされてしまったかもしれない。だが朔耶は、そこに流れるほんの僅かな不穏な空気を、見流す事が出来なかった。
   やれやれ…折角の休息が無駄になるか……
   良く言うわ、好き好んで首を突っ込みに行く癖に
 内心でくすりと笑う朔耶に、煩いと一喝して朔耶は少年達の方へと歩き出した。

 「鞄もロクに持てないのかよ、全く役に立たないな!」
 少年の一人がそう言って砂を蹴る。円座の真ん中で膝を突いた少年の顔に砂が掛かり、少年は顔を顰めてその砂を手で払った。
 しゃがみ込んだ少年の脇には幾つかの鞄が無造作に積み上げてあり、それらは立ったまま周りをぐるりと囲んでいる少年達の持ち物らしい。つまり、中央の少年は他の少年達の荷物を持たされており、その鞄を落としたか何か失敗をして、それをよってたかって咎められているらしかった。
 「さぁ、とっとと鞄を持てよ!今度引き摺ったりしたら今度こそ承知しないからな!」
 「己が無力さを棚に上げて、承知しない等と大仰な口がよく叩けたものじゃな」
 不意に背後から聞こえてきた声に、少年達が一斉に振り返る。そこに居たのは自分達と同じぐらいの年頃の少女、但し、服装は少々彼らとは意を異にしていたが。
 「何だよ、可笑しな格好をした奴だな」
 「解せん事を、これのどこが可笑しいと言うのじゃ。退魔師として極当たり前の装束じゃぞ。己の知り得る情報のみが正しいと思い込んでおる狭量なお主らこそ、自らを恥と思うべきであろう」
 私が喧嘩を売ってどうするの、と内心での朔耶の囁きは、腕組みをして少年達の前に立ちはだかる朔耶により、綺麗さっぱり無視された。
 「大体、弱い者苛めなぞ、心のさもしい者がする事じゃ。自分より何かしら弱い者しか相手に出来ぬ証拠じゃからな。そんな事も判らぬ程、お主らも間抜けではあるまい」
 「さっきから何を訳の分からない事を…そんなに泣かされたいのかよ!」
 一人、ひときわ身体の大きな少年が、朔耶の方へと一歩足を踏み出す。それに臆した様子もなく、朔耶は平然と言い足した。
 「ああ、そう言えば忘れておった。さっき、通りの向こうから歩いてくる人影があったな。ネクタイを締めてジャージを羽織った男じゃった…そうそう、いかつい顔をしておったな。如何にもな感じの男じゃ」
 ぽむ。と手を打って朔耶がそう言うと、少年達は一様にゲッと怯んだ表情になった。
 「…やべぇ、見回りしてんだ、また」
 「行くぞ、みんな!」
 少年達は、それぞれ自分の鞄を手に取ると、急いで公園を出て行く。小学生とは言え、覚えておけよ、とお決まりの捨て台詞は忘れていなかった。
 「はて、覚えておけと言われても…何を覚えておけば良いのかの。名前も知らぬ相手の顔なぞ、あっと言う間に忘れてしまうわ」
 「あの……」
 首を傾げて少年達の背中を見送る朔耶に、ひとり残った少年が声を掛ける。振り返った朔耶に、少年はおずおずとした笑顔を向けた。
 「あの、…助けてくれてありがとう」
 「助けたつもりは無いが、結果的にはそうなったな。良かったの」
 「…先生、近くに来ている…のかな…?」
 きょろきょろと辺りを見回す少年に、朔耶は何の事だと聞き返す。
 「…え?だってさっき、通りの向こうから歩いてくる、って…」
 「ああ。あれは嘘じゃ」
 「え?!」
 何でもない事のようにさらりと嘘だと言い切る朔耶に、さすがに少年の目も点になる。
 「良くある手じゃ。ああ言う輩は、何かしら後ろめたい事を抱えておるじゃろ。己より強い立場のものには得てして弱いものじゃて。それに、恐らく奴らには警察なんぞよりも教師の方が恐ろしかろと思うたまでじゃ」
 「でも、良く僕らの学校の先生の事を知ってたね。だって君、うちの学校の子じゃないでしょう?」
 「勿論。当然、お主らの教師がどんな男かなんぞ知らんよ」
 「え、でも…」
 訝しげな少年に、朔耶は目を細めて悪戯な笑みを浮かべた。
 「わしが言ったような風体の教師なぞ、どこの学校にも一人ぐらいは居るものじゃろ?」
 そう言うと朔耶は、肩を揺らして笑い出す。少年は暫しその様子を唖然として見詰めていたが、やがて釣られて笑い出し、二人は暫く楽しげに笑い転げていた。


   たまにはいいね、こう言うのも
   たまにも何も、休息自体殆どあり得ぬのじゃがな
 照れ隠しか、憮然とする朔耶に、朔耶はまたくすくすと笑った。
 ひとしきり笑い合った後、朔耶は砂に汚れた少年の服を払ってやり、今は二人並んでブランコに腰掛け、のんびりと揺らしていた。
 「いつもあんな風に言いように使われておるのか?」
 朔耶の問いに、少年は苦笑いを浮かべ、俯く。
 「ん、まぁ…僕、クラスで一番小さいし…でもいいんだ。それももうすぐお終いだから」
 どう言う事かと朔耶が視線で問うと、少年は朔耶に微かな笑みを向けた。
 「僕、もうすぐ転校するんだ」
 「……ああ、…」
 納得したように朔耶が頷く。判った?と少年もひとつ頷いた。
 「だから、平気。もう少しだけ我慢すればいいんだもん」
 「確かにな。確かに、暫し堪えれば、今の状況は自然と終わりを告げるじゃろうな」
 じゃが。と付け足し、朔耶は反動をつけて、高く揺れるブランコから飛び降りた。
 「次の学校でも、同じ状況にならぬとは限らぬぞ。…お主が変わらぬ限りな」
 「…僕が、…変わる……?」
 ブランコに腰掛けたまま、少年が朔耶に尋ね返す。首だけ捻って振り返った朔耶が、ゆっくりとひとつ大きく頷いた。
 「難しい事ではない。それもこれも、お主次第じゃ」
 「………」
 「そろそろわしは行く。お主も暗くならぬ前に帰るのじゃぞ」
 そう言い残し、朔耶は、振り向きもしないで歩き始める。その背中に、少年が声を掛けた。
 「また、…会える?僕が引っ越ししてしまう前に…」
 朔耶は立ち止まり、少年の方を向く。朔耶は、イエスともノーとも答えなかったが、ただ無言でにっと勇ましい笑みを向けた。


   折角トモダチになれたのに…残念だね
   家庭の事情と言う奴じゃ、致し方なかろう
 屋敷に戻った朔耶は監視の者に大目玉を食らったが、堪えた様子もなく、すぐにまた次の機会を伺い始めていた。そのチャンスは思ったよりも早く訪れ、これならあの少年が引っ越しする前に会えそうだと、公園に向かう足取りも軽くなっていた。例の公園は相変わらず閑散としており、この間のブランコの傍で少年がひとり佇んでいるのが見えた。
   居たよ、あの子
 「………」
 ああ居たな、と答えようとした朔耶だったが、その言葉は息と一緒に飲み込んでしまう。
   …何かが
   …憑いてる…あの子
 朔耶が互いに頷き合った、その気配に気付いたのだろうか。こちらに背を向けている少年の背中の真ん中から、何かがその姿を擡げる。その姿形から、少年に憑いたのは至って下等な小鬼の一種のようだ。退魔師総本家白神の娘の知り合いに取り憑いた事で何かしらの優越感を覚えたのか、ケケケと耳障りな鳴き声をあげて朔耶を挑発した。身の程知らずが、と朔耶は一歩足を踏み出すが、
   待って
   何じゃ。猶予はならぬぞ
   判ってるけど…あの子に見られたくはないよ
   ………戦っている姿は、か
 朔耶が呟くと、朔耶はこくりと小さく頷く。朔耶は、小さく舌を打つものの、思いはひとつなので特に異論は唱えなかった。その代わり、踵を返すと凄い勢いでどこかに走り去っていった。

 この間、ここで出会った不思議な少女を待って幾日目になるだろう。少年は溜息を零して何故か重い肩を自分の手で揉み解した。
 「…名前、聞いておけば良かったなぁ……」
 だって聞いても答えてくれなさそうな気がしたんだ、と自分で自分に言い訳をする。不意に背中に鈍痛を感じ、少年は思わずその場に膝を突いた。
 「…な、……何、これ…僕、どうし……」
 「動くでないぞ」
 どこかで聞いた事のあるような声が背後から聞こえた。え?と少年が振り返ろうとすると、自分の肩越しに見た事もない化物が自分の背におぶさり、にぃっと下卑た笑いを浮かべていた。
 「う、うわぁああッ!?」
 「これしきの事で怯むでない!」
 ぴしっと背筋が伸びるような叫び声が響く。少年は反射的に身体を強張らせ、動きを止める。何か棒の様なもので、背中に張り付いた化物を払い落とす気配がした。
 「グギャ!」
 「このわしを嗤ったのじゃ、覚悟は良いな」
 少年は恐る恐る目を開く。自分の背中から叩き落とされた、鬼のような姿をした化物が地面の上でのた打ち回っている。その前に立つのは見覚えのない一人の女性だ。年の頃は二十歳前半か、女性にしては長身で、すらりと均等の取れた体躯の、美しい女だった。
 女性は揃えて立てた人差し指と中指で、空に何かの紋様を描く。同時にその唇は人の耳には届かない音で呪を唱えた。宙に描いた陣を指先で弾き飛ばすと、それは真っ直ぐに小鬼へと飛んでいき、その痩せさらばえた身体に巻きつく。縛められた小鬼が苦悶の悲鳴を上げるのを待たず、女性は符を投げ付ける。符は、小鬼の身体を包み込み、瞬く間にその色を失くしていった。
 「………消える、…」
 「還る、のじゃ。あるべき場所へ、な」
 ふ、と肩の力を抜いて女性が微笑む。少年は、先程までの身体の痛みが綺麗になくなっている事に気付いた。
 「あ…ありがとうございます……」
 「礼には及ばぬ。これがわしの仕事じゃからな」
 現代的な容姿とは余りにそぐわぬ爺言葉で、女性は笑みを向ける。では、と踵を返してその場から立ち去ろうとする。何かを言いかける少年の言葉を遮るように、女性は振り向きもせずに少年に言った。
 「戸惑わせてすまぬな」
 「……え?」
 「会う度に違う姿では分からぬじゃろ、……いや、何でもない」
 女性はゆるく首を左右に振り、そして歩き出す。後は少年の方を振り向くことはなく、ただ片手を挙げて『サヨナラ』と手を振った。
   サヨナラ、言えなかったね
   こう言う事もあるじゃろて


 「手紙?」
 朔耶は読んでいた書物から顔を上げ、差し出された手紙を受け取った。宛名を見るが、その名に見覚えはない。だが、封を切って中身を読むと、その正体はすぐに知れた。
 【二回も助けてくれてありがとう】
 子供らしい文字で、そう書かれていた。
 【最後に会えなくて残念だったけど、でも最後に会えて嬉しかった】
 謎掛けのような言葉だが、その意味に朔耶は小さく苦笑いを浮かべる。
 【新しい学校では同じ事を繰り返さないよう、僕も頑張ってみる。どこまで出来るか分からないけど、精一杯頑張ってみるよ】
 【次に会う時は、きっと僕も生まれ変わっているよ。楽しみにしてて】
   …バレておったとはな
   いいんじゃない?別に
 くすりと朔耶が笑う。そうじゃな、と朔耶も同じようにくすりと笑った。
 「…頑張れ」
 ぽつりと呟く朔耶に、きっとまた会えるよね、と朔耶も頷いた。


おわり。