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■+ もっと貴方を知りたくて +■
最近頓に考えることは『世の中、不思議なことが多すぎる』と言うことだった。
勿論ながら、彼を含む周囲の人間自体が、不可思議満載であるのは明白であるも、それ以外のことでも不思議とは色んなところに転がっているものだと言うことを、彼はひしひしと感じていた。
はむはむとクレープを食べ、ジャムたっぷりのロシアンティーを一口。
くしゃくしゃとした天然パーマの様な黒髪を持つ、少年の外見をしたマリオン・バーガンディは、猫の様に金色に光る目をあらぬ方向に彷徨わせ、とある事を企んでいた。
彼の趣味の一つとして『くまさん収集』がある。
最初は可愛らしい数であったそれも、何時の間にか膨大な数になっていた。自分に与えられた部屋では到底置いておくことは出来なかった為、彼の主にお願い──最終的には、であるが──して、屋敷の一室を借り受けてもいた。ちなみにミュージアムを作る計画なんぞも、密かに出来上がっている……らしい。
そしてその膨大なくまさんの一部が、どうやら歩いていると言うことが、最近になって判明したのだ。大きいくまが動いているのを見たことはある。ちょっとばかり、友情を暖めあったりもした。
けれどそれ以外のくまさんもまた、どうやら動いている気配があるのだ。
「でも、どうして私に会ってくれないんでしょう」
それが寂しい。
折角一生懸命集めたのに。
自分のことが嫌いなのであろうか。
だとしたら、とてもショックだ。
マリオンのテディベアに関する情熱は、生半可なものではなかった。
「あ、……もしかすると、照れているのかもしれませんね」
そう思うと、マリオンの心はすっきりした。
嫌われていないと言うそのことだけが、彼には大問題であったのだ。
すっきりしたと同時に、目の前にあるクッキーやチョコ、サブレやクレープの山の消える速度が上がった。
もぐもぐ口いっぱいに頬張りながら、マリオンは思う。
「やっぱり照れている子には、私から逢いに行ってあげた方が良いですよね」
他人の迷惑、己の満足。
マリオンはそんなことを露とも考えずに、嬉々として準備を始めたのだった。
勿論、目の前のお菓子だけは食べ尽くして。
月の光よりもなお静謐な銀の髪、駆け抜ける風よりもなお涼やかな青い瞳を持つ青年、リンスターの当主であるセレスティ・カーニンガムは、つい最近になって、とあることを頻繁に耳にする様になっていた。
その先は数多くの秘書や執事であったり、メイドであったりと様々だ。けれど彼(もしくは彼女)らは、一様に口を揃えて言う。
曰く。
『夜中、何かが動いているんです、いやクマみたいなのですけれど』
更に曰く。
『マリオンさまが、何やら企んでいる様なのです』
『……はて?』とばかり、セレスティは小首を傾げつつ、どんなことかと問えば、その者達は、やはり口を揃えてこう言うのだ。
『マリオンさまが、その夜中に動いているクマを見ようと、画策しているらしいのです』
それを聞いて、セレスティはくすりと笑った。
『ああ、それなら問題ありませんよ、きっと。好奇心旺盛なのは、良いことだと思いますしね』
大きなクマのこともあったが、それでもセレスティは、大したことではないと思った。気紛れで悪戯な子猫の様に、マリオンは嬉々として計画しているのだろう。
セレスティはその楽しみを取り上げる様な、心ない、そして意地悪な主ではなかった。
一度(ひとたび)懐に入れた者には大層甘い彼であるから、マリオンに対しても、同じく鷹揚な態度でいるつもりだ。
しかし。
それを後に改めたくなる様な事が起こるとは、現在予想もしていなかったセレスティであった。
どうやら動いているのはこれであろうと言う目星を、マリオンはしっかり付けていた。
その理由は簡単だ。
毎朝見る度に、その座っている位置が違うからである。
それは小さなテディベア。
クリーム色したふかふかの、丁度抱き上げるには良い大きさのクマだった。しかし少々、普通のそれよりは重い。
マリオンはそれを手に入れ、セレスティに見せた時のことを思い出す。
『これは恐らく、マイベイビーベアでしょう』
彼の主は、そのテディベアを見てそう言ったのだ。
欧州では、子供が生まれた時に、その子供と同じ身長、同じ体重のテディベアを作る習慣があると言う。それをマイベイビーベアと言うのだ。
そのテディベアは、確かに生まれたばかりの赤ん坊と同じくらいの大きさをしている様に見えた。
全長が五十センチ前後、重さは三キロくらい。足には名前と数字が刺繍され、胸には白いレースの涎掛けがある。そこには『Ewige Liebe wird in Sie gesetzt(貴方に永遠の愛を込めて)』と縫い取られていた。
それを見て確かにそうかもしれないと、マリオンは感じたことを思い出す。
親から子へ、溢れんばかりの愛を。
そう言う思いを込めて、このテディベアを子供に送ったのだろう。
「あの時、私は何て言ったんでしたっけ?」
小首を傾げて考えて見る。
「ああ」
暫し考え、漸くその言葉を思い出した。
『では、今度は私達がご両親に代わって、可愛がってあげましょうね!』
もしかすると、その結果が今になって現れたのかも知れない。
もしもそうなら良いなと、マリオンに緩やかな笑みが浮かんだ。
「さて、これで準備は万端です」
少年探検団の様な出で立ちで、ぴっと人差し指を立てたマリオンは、自分の作戦にいたく満足していた。
子供を模したと言われるマイベイビーベアなら、きっと心はまだ子供だろう。
……この際、作られて何年経っているかを、既にマリオンは置き去りにしているが。
子供と言えば、お菓子が好き。
……自分が好きと言う意味ではなく。
だとすれば、やっぱりここはお菓子で餌付け。
「名案、ですね」
昼の間、マリオンはここぞ言う複数のポイントに、こっそりとお菓子を置いていた。
そしてまた、そのお菓子に手を付けると、マリオンが主からこっそりと拝借したモバイルPCに、その位置を映し出すことになっている。
後はお菓子を食べて夜更かししつつ、待つだけだ。
これぞ『果報は寝て待て』作戦だった。
楽して結果が入れば、これまたマリオン的には言うことなしである。
じっくり待つこと三時間。
時間は既に、午前三時を回っていた。
「遅いですねぇ……。今日は寝てるんでしょうか?」
そう言いつつ、マリオンの手は、シフォンケーキをつついている。傍らには、この夜の為に用意して貰った暖かいハーブティ。眠気覚ましにもってこいの、カルダモンとブラックペッパー入りのシナモンティだ。
ふわぁっと大きな欠伸が一つ出た時、それは起こった。
「あ!」
モバイルの液晶画面の一部が点滅する。
「やった! 待ってて下さいね。改めて、お友達になりましょう!」
マリオンは、即座にポケットに詰めれるだけの袋入りクッキーを詰めて歩き出した。ここで走り出さないのが、マリオンらしさかも知れない。
車の時は、走り屋まっつぁおなデンジャラススピードを叩き出す彼であるが、人力二足歩行の際には、大層な安全運転である。今回Door To Doorと言う、己の能力を使う気は毛頭ない。そんなことをすれば、いきなり現れたマリオンを見たテディちゃんが、腰を抜かしてしまうではないか。
モバイルから目を離さず、口はもぐもぐ動かして、マリオンはてくてく目的地へ歩いて行く。また歩行スピードであるから、当然の様に点滅信号も移動していた。
「……あれ?」
その移動方向を見つつ、何だかイヤな予感がするマリオンだ。
「……あれ?」
ますますその予感は高まっていく。まるで一秒ごとに頭上で膨らんで行く、風船の様に。
テディちゃんが腰を抜かす云々などと、悠長なことを言っている場合ではないかもしれない。
「……。これ、もの凄く不味い気がするんですけど……」
そう。その点滅は、セレスティの寝室で輝いていたのだった。
「そこはダメですっ!」
叫びと共に、いきなりの重力を感じ、セレスティは夢心地から現実へと引き戻された。
けれど低血圧の彼のこと、瞼は開いても、その状況の把握が出来よう筈もない。
この声はマリオンの声であると、誰かが何処か遠くのお花畑で教えてくれる。
けれど声が、真上から聞こえるのは何故だろう。
更に言えば、とっても重い。布団蒸しにあっている様な感覚と言えば一番近いだろうが、生憎セレスティは、その布団蒸しなる状態を知るには、とても遠い位置にいた。
バフンとばかりに、地面が跳ねる。いや、ベッドが跳ねる。
『あ、軽くなりましたねぇ……』
暢気にそう思っていると、再度マリオンの声だ。
「逃げないで下さいっ!」
『いえ、私は逃げてませんけど……』
またもやベッドがバフンとバウンドした。
一緒にセレスティも、バフンと跳ねる。
「もう! セレスティさまが起きちゃうじゃないですかっ!」
『もう起きてますけど……』
そう思うも、低血圧が災いし、未だ完全ではないセレスティだ。のんびりのほほんと呟いている。勿論、四季を無視したお花畑で。
「ああ!! 蜂蜜でべたべたじゃないですかっ!」
『……それは困りましたねぇ』
徐々に覚醒はしている意識。
トドメとばかりに、大きく一回バフンと跳ねると、何かが目の前に落ちてくる。
「捕まえましたよっ!」
見つめ合ってしまう二人。そしてその状況をいち早く理解したのは、落ちてきた方の人間だった。
「………あ゛」
「マリオン、ここで何をしているのですか?」
「…………お、おはようございます」
流石に唇まで後一秒の距離であれば、セレスティにも充分視認可能だ。
冷や汗だらりなマリオンのドアップが、寝起きのセレスティに迫っている。
見つめ合う二人だが、またもやマリオンの方が、早く我に返ったらしい。即座に飛び起き、ベッドから駆け降りた。
むっくり起きあがったセレスティは、青くなっているマリオンを、小首を傾げつつもじっと見た。
何やら抱きしめる様にして持っているのは、以前買い付けたテディベアだ。
ちなみにそれの鼻面には、てらてらべったりと何かが付いている。
「マリオン、あの……」
「セレスティさま、ごめんなさい!」
「……マリオン?」
「クマさんと仲良くしたくて、追い掛けっこしてたんです!」
「?」
「お休み中に、お邪魔するつもりはなかったんです! セレスティさまのところにまで、お菓子は置いてなかったですし!」
「……?」
さっぱり意味が解らない。
「あのですね、マリオン……」
「本当にごめんなさいっ!」
セレスティが何かを言おうとすると、マリオンが即座にごめんなさい攻撃で返してくる為、全く持って、何が何だか解らぬままだ。
「あ、ちゃんとシーツ代えて貰う様に手配しますから! じゃあ、お休みなさい!!」
日頃の怠惰は何処へやら。
二足歩行のマリオンなのに、今はアクセルベタ踏みドリフト走行の様に、セレスティの前から姿を消した。
「何だったのでしょう……」
寝起きにバフバフ跳ねていたセレスティは、脳味噌がぐるんぐるんと回っている。
ちらちらと、今まで寝ていたベッドを見回し、溜息を一つ。
「あまりにスプリングの効いているベッドも、考えものですねぇ……」
やはり寝起きは、今三つなセレスティであった。
翌日、正確にはその日の昼前のことになる。
マリオンは彼の主に呼び出されていた。
にっこり慈悲深く微笑む彼の主、セレスティは、何時もの様に穏やかな物腰で口を開いた。
「マリオン。小グマさんとは、仲良くなれましたか?」
セレスティの性格上、弾けんばかりの笑顔とは行かないが、暖かな春の日差しの様な笑顔でそう聞いていた。
しかしその笑顔を浮かべて話されることであっても、マリオンには額面道理の問いだと考えられない理由がある。
そう。
昨夜……と言うより、夜中の騒動のことだ。
「あ、えーと、……はい……。多分……」
くるりとした金の瞳を上目遣いにし、探る様な視線でセレスティを見た。
セレスティの部屋から出て直ぐは、いきなり飛びかかったマリオンに、小グマも警戒をしてはいたのだが、悪意はないこと、そして仲良くしたいことを切々と話すと解ってくれたらしく、おずおずと彼の手からお菓子を食べたのだ。
まずは、友好的な関係へと、一歩前進したと言えよう。
「それは良かったですねぇ。それにしても、何故昨日、あの子は私の部屋にいたのでしょう」
セレスティにそう聞かれるも、マリオンにも実際解らない。お菓子はセレスティの部屋には、置いていなかった。解らないのだから答えようもなく、マリオンは。
「さあ……。良く解りません。今度聞いてみます」
そう言うしかなかった。
「ねぇ、マリオン」
『来たっ』
マリオンはそう思う。
思わず身体が、びくりと反応してしまうのは臑どころか、顔面に傷を持つ身であるからかも知れない。
猫背気味に、視線だけを上へと上げると、彼の優しい主が微笑んでいる。何時もの様に。
けれど、それが怖い。
「君が小グマさんと仲良くするのは、良いことだと思いますよ。ただ、一つだけお願いできますか?」
「は、はい……。あの、何でしょう」
尻つぼみの声になってしまうのは、仕方ないだろう。
セレスティは、決して声を荒げて叱ったりしない。ただただ、切々と『お願い』と言うばかりに、悲しげな──相手に罪悪感を感じさせる様な──顔で、懇切丁寧じっくりと説いて行くのだ。
「私が朝に弱いことは、とても聡い君なら、当然知っていますね?」
「……はい」
セレスティの笑みが、更に深くなった。
「何も無体なことを言うつもりはありません。ただ、私は普通に、睡眠時間を取らせて欲しいのですよ」
「……ごめんなさい」
そう言われてしまえば、マリオンはぐうの音も出ない。
確かに彼の主の睡眠を邪魔したのは、他の誰でもないマリオンだ。しかも邪魔したのは、朝早くと言うより明け方…いや、夜中であり、普通の人間なら当然寝ていて然るべき時間帯のことでもある。セレスティがそう言うのは、当たり前の話なのだ。
「謝ることはありませんよ、マリオン。君は小グマさんと、仲良くなりたかっただけなのでしょう? 動いているのを、見たかっただけなのでしょう? 好奇心は、猫をも殺すとは言いますけれど、私はそう言ったものは、生きていく上で必要であると思っています。だから、その芽を潰す様なことは好みません。好奇心があるからこそ、人は常に前進することが適い、更には予想だにしない成長を遂げることが出来るのだと思っています」
日頃物静かな主が、これほどまでに語ると言うことは、可成りキているのだ。
マリオンは元から小さい身体を、更に小さくして、『はい』と素直に頷いた。
「ねえ、マリオン。私と約束してくれますね? 私が寝ている時は、そっとしておいてくれると」
「勿論です。セレスティさま」
「良い子ですね、マリオン。私はとても嬉しく思いますよ」
これで幾つの計画がぺちゃんこに潰れてしまったのだろう。マリオンは、ちょっとだけ悲しくなった。いや、それ以前に、セレスティが寝ている間に、何をするつもりだったのかと言う疑問はあるが。
とまれ。
己の安眠を確保したセレスティは、満足げな笑みを浮かべ、対するマリオンは、半ば涙目になっていた。
「ああ、そうそう。マリオンが小グマさんと仲良くなれたお祝いに、何か花を贈ってもらいましょうか」
「え゛?」
マリオンの背筋に、冷たい汗がたらりと落ちた。今回のことが、某先輩に知られるなんて、恐ろしすぎる。
「あああ、あのっ! セレスティさま! そんな勿体ないことは……」
「何を遠慮しているのです。私からの気持ちですよ」
そう言うと、セレスティは内線電話に手を伸ばし、マリオンは心の中で涙の河に流されて行ったのだった。
Ende
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