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<東京怪談ノベル(シングル)>


 『小瓶の星』


「うーん、暇じゃ……」
 本郷源は、そう言いながら自室の畳の上で文字通りゴロゴロ転がっていた。左に転がって壁までたどり着いてから、今度は逆に転がる。しかし、当然といえば当然だが、面白くも何ともない。
 彼女は溜め息をつくと起き上がり、遊びに来ていた嬉璃の方に顔を向ける。嬉璃はというと、お茶を啜りながら、何やら分厚い雑誌のようなものを熱心に見ていた。
「嬉璃殿、何を見ておるのじゃ?」
 源の言葉に、嬉璃は顔を上げて答える。
「これは、霊界の通販カタログぢゃ」
「おお!それは面白そうじゃ!わしにも見せておくれ!」
 源が目を輝かせてそう言った時、玄関のチャイムの音がした。彼女はとりあえず着物についた埃を手で払うと、パタパタと軽い足音をさせながら、玄関へと向かう。
「はーい」
 扉を開けると、目の前には、隣の部屋に住む青年が笑顔で立っていた。そして、手に持っていたものを、こちらへと差し出す。
「本郷さん、回覧板です」
「あ、ご苦労様ですじゃ」
 源が回覧板を受け取ると、青年は「それじゃ」と言って、踵を返し、去っていく。
 部屋の奥へと戻りながら、早速渡された回覧板に目を通してみる。この回覧板は、地域のものではなく、このアパート『あやかし荘』の中でだけやり取りされるものだった。
 分厚い紙製のフォルダーに挟まれた紙を捲っていくと、ひとつの記事が、源の目に留まる。
「おお!これは!」
「どうした?源」
 思わず声を上げた源に、嬉璃が目を瞬かせる。
「嬉璃殿、これを見ておくれ」
 フォルダーから外した一枚の紙を、源は嬉璃へと差し出す。
「なになに……『第五回あやかし杯こう投げてぇ、こう打ってアウト、セーフよよいのよい大会ぱふぅぱふぅ』参加者大募集……何だか、以前にもこんなようなものがあった気がするのう……というか、その前の四回なんぞわしは知らんのぢゃ。いつやっておったのかのう?」
「そんなことはどうでもいいのじゃ!面白そうなので、わしは参加するのじゃ!冬の間の運動不足解消と暇つぶしも出来る上、優勝者には賞品も出るのじゃ!」
 そう言われ、嬉璃は改めて紙を見直す。
「『小瓶の星』?何ぢゃこれは?」
「嬉璃殿、知らんのか?これは今、巷の女子の間で密かに流行っているアイテムで、ささやかな願いごとを叶えてくれるというものじゃ」
「ふーん、そうなのか……ところで源、この大会というのは、名前からして、野球のようなものなのかのう?」
「多分そうだと思うのじゃが……そうだったら、何なのじゃ?」
 不思議そうに首を傾げる源に、嬉璃は口の片端を上げ、ニヤリと笑った。
「開催まで一週間あることぢゃし、優勝を狙うなら練習はしておいた方がよかろう?」
「まあ、それはそうじゃな」
「先ほどカタログで、これにピッタリの商品を見つけたのぢゃ。早速取り寄せるのぢゃ!」
 そう言うと嬉璃は、先ほど見ていたカタログを手にとり、部屋に備え付けてある黒電話へと向かうと、どこかへとダイヤルし始める。無論、普通の電話なのだから、霊界などに繋がるはずはないのだが――
「……あ、もしもし?春物カタログの五百二十二番が欲しいのぢゃが……ああ、支払いは分割で。手数料は無料ぢゃったな?」
 ――どうやら、繋がったらしい。
「……ではそういうことで、頼んだのぢゃ」
 そう言って彼女が電話を切った途端、天井から段ボール箱がドスンと音を立て、落ちてきた。
「ふふ……早速開けるのぢゃ」
 嬉璃は満面の笑みで段ボール箱を開け始める。そして、中に入っていた、ホッチキスで留められた紙を捲り始めた。
「源」
 嬉璃は急に真剣な表情になると、源の名を呼ぶ。
「何じゃ?嬉璃殿」
「これからは、わしのことを『嬉璃殿』ではなく、『母ちゃん』と呼ぶのじゃ」
「――は?」
 嬉璃の突然の申し出に、戸惑いを隠せない源。
「……ええと……何でじゃ?」
「何でもぢゃ!マニュアルにそう書いてあるのぢゃ!『小瓶の星』が欲しくないのか?」
 気迫さえ漂わせる嬉璃に源は気圧され、よく分からないながらもとりあえず頷く。
「……ほ、欲しいのじゃ。分かったのじゃ、嬉璃……母ちゃん」
「よし、それでこそ源ぢゃ」
 この、嬉璃が注文した訳の分からない商品の所為で、事態がロクでもない方向に向かおうとは、その時の源には思いもよらなかった。


「ええと……まずは……」
 付属マニュアルをじっと見ていた嬉璃は、おもむろにテレビをつける。画面には、今人気の若手お笑い芸人が映っていた。
 そして突然。
「――このヘボ芸人がぁ!お主なんか、所詮一発屋ぢゃ!!」
 嬉璃はテレビに向かい、飛び蹴りをかました。テレビは後方の壁に当たってから、重い音を響かせて床に落ちる。
「――な、何をするのじゃ!?嬉璃殿!」
「『嬉璃殿』ではない!『母ちゃん』ぢゃ!テレビは壊さねばならぬとマニュアルに書いてあるのぢゃ!お主は金持ちなのだから、また新しく買い換えればいいのぢゃ!文句を言うでない!」
 肩で荒い息をつく嬉璃の目が血走っている。下手に刺激するとまずいと感じ、源は口を噤んだ。
「次はこれぢゃ!」
 嬉璃はそう言って、段ボール箱の中から、エキスパンダーが幾つも組み合わさったような奇妙な物体を取り出す。
「母ちゃん、何じゃ?それは?」
 不思議そうに問う源に、嬉璃は相変わらず血走った目で不気味に笑う。
「これは、『マイナーリーグ養成ギプス』ぢゃ!とにかく、さっさと装着ぢゃ!」
 何かを言う間もなく、その『マイナーリーグ養成ギプス』とやらを身に着けさせられる源。
「さぁ、次に行くぞ!今度は字を書くのぢゃ!」
 今度は書道道具一式を渡され、源は言われるまま半紙に『ど根性』と文字を書く。
「母ちゃん、書けたのじゃ」
 割合と上手く書けたので、満足気に字を見せる源に、しかし嬉璃はわなわなと震えだした。
「何ぢゃこれは!もっとタコ踊りみたいな字で書かぬか!ギプスの意味がないではないか!」
 てっきり褒められるものと思っていた源は、何故嬉璃が怒っているのかが分からない。それに、常人ならばギプスの影響でそうなっていたかもしれないが、源は獣人の血を引くために、並外れた身体能力を有している。この程度では、日常生活に支障は出ない。
「もういいのぢゃ!とりあえず、外に出るぞ源!」
「りょ、了解なのじゃ、母ちゃん」


 あやかし荘の裏手。
 アパート自体も巨大だが、広大な敷地を持つここは、庭も広かった。件の大会も、この庭で行われるらしい。
「では源、わしがバッターをやるから、お主は『マイナーリーグボール一号』を投げるのぢゃ!」
「あの……母ちゃん、その『マイナーリーグボール一号』って何じゃ?」
 バットを構えながら言う嬉璃に、源はおずおずと口を開く。商品が届いてからの嬉璃は、正直言って、怖い。源の言葉に、案の定、彼女は怒り出した。
「そんなことも分からんのか!これは、振る前のバットにわざと当てる魔球なのぢゃ!スウィング体勢に入っていないバッターはボールの当たった衝撃で尻餅をつき、ロクな球が打てんのぢゃ!」
「わ、分かったのじゃ……やってみるのじゃ」
 そう言って、源は投球態勢に入る。
 最初こそ上手く行かなかったものの、常人を凌駕する運動神経を持つ彼女は、すぐに『マイナーリーグボール一号』をものにした。
「よし、では次は『マイナーリーグボール一号(改)』ぢゃ!」
「ええ!?せっかく覚えたというのに、いきなり改良じゃと!?」
「文句を言うでない!マニュアルに書いてあるのぢゃ!今度はバットのグリップエンド部分を狙うのぢゃ!」
 今の嬉璃に逆らったら、何をされるか分かったものではない。仕方なしに、従おうとしたのだが、今までずっと気になっていたことが黙っていられなくなり、源は口を開く。
「ところで母ちゃん、さっきからずっとこっちを見て泣いている女の人がおるのじゃが……」
 その言葉に、嬉璃が源の視線の先を見遣る。そこには木が立っており、その陰に隠れるようにして、長い黒髪の女性が、涙を流しながらこちらを見守っている。
「ああ、気にするでない。あれも商品の一部ぢゃ」
「はぁ……」
「とにかく、特訓再開ぢゃ!」
 そして、その『特訓』とやらは夕方まで続いた。


「母ちゃん、晩御飯が出来たのじゃ」
 テーブルの上に、源の手作りの料理が並ぶ。
 その間も、嬉璃はマニュアルを読み耽っていた。だが、今までとは違い、どことなく表情が暗い。
「母ちゃん、どうしたのじゃ?さあ、冷めないうちに……」
「こんな料理が食えるかぁ!!」
 源が心配そうに声を掛けたその時、嬉璃がいきなりテーブルをひっくり返した。ご飯やおかずが辺りに勢いよく散らばる。
「な!?何をするのじゃ!?」
 嬉璃の血迷ったとしか思えない行動に、源が声を上げる。
「し、仕方がないのぢゃ……マニュアルに書いてあるのぢゃ……ううっ……わしの晩御飯が……」
 嬉璃は、自分で食事を台無しにしておきながら、がっくりと肩を落とし、涙を流している。そして突然、がばっと顔を上げたかと思うと、源の手を引っ張り、窓際へと連れて行く。そして、夜空を指差し、こう言った。
「源、見るのぢゃ。あの星座が小瓶の星なのぢゃ」
「……母ちゃん、今日は曇っているから、星は見えないのじゃ」
 源の言うとおり、空は一面厚い雲で覆われており、月さえ見えなかった。
「喧しいのぢゃ!マニュアルに書いてあるのぢゃ!うわーん!」
 駄々っ子のように床に転がり、手足をばたつかせる嬉璃を見ながら、源は大きな溜め息をついた。



 ようやく迎えた大会当日。
 庭には、あやかし荘の住人たちが集まっていた。人間もいれば、そうでない者もいる。
 エントリーしたのは、源を含めて十名。あとは観戦するだけのようだ。
「源〜!頑張るのぢゃ〜!」
 観客席から、嬉璃が大きく手を振り、声援を送ってくる。その隣には、わざわざ観葉植物の鉢を持参し、その陰から涙を流しながらこちらを見ている『商品』の女性の姿もあった。
 一週間の間続けられた、嬉璃の訳の分からない『特訓』の所為で、源は精神的にかなり参っていたのだが、それでも笑顔で手を振り返した。


 そして、試合が始められる。
 審判とキャッチャーは、何故か猫。審判が白猫で、キャッチャーは黒猫だった。
 勝敗判定は単純明快。バッターとピッチャーをそれぞれが交代し、バッターになった時に打てれば勝ち、というものである。
 源は、元々の能力と、特訓の成果が出たのか、次々と対戦相手を負かしていった。
 そして、最終試合。
 源の身体に緊張が走る。
 対戦相手の女性は、源のようにずば抜けた能力を持つのか、今まで相手に打たせないのは勿論のこと、自分がバッターの時には全て一回で決着をつけていた。しかも、打った球は遥か遠くまで飛ぶ。
 気の抜ける相手ではない。
 一回目。くじ引きの結果、ピッチャーは源。
 これで打たれれば負け。
「ニャン!」
 審判の白猫が、プレイボールの合図をした。
「『小瓶の星』は、あたしが頂くよ!」
 女性が、鋭い眼差しでこちらを見ながら言い放つ。
「わしも負けないのじゃ!」
 源も、負けじと言い返した。闘志がみなぎり、目の中に炎が灯る。
 ひとつ深呼吸をし、ゆっくりと振りかぶって第一球。ここで、源はずっと封印していた技を出すことにした。
「喰らえ!マイナーリーグボール一号(改)!!」
 スローモーション。
 観客が、息を呑む。
 女性の目線や筋肉の緊張具合を読み取る。
 その後の動作が――
(見えたのじゃ!)
 自分には、出来る。
 源の放った豪速球が、女性がバットを振りきるよりも早く、グリップエンド部を捉えた。
 その衝撃で、女性は後ろによろめく。
 観客がどよめいた。
「ニャニャ!」
 審判の判定は――アウト。
 ボールは、一応バットに当たったため、転がりはしたが、この大会では、ゴロは『打てた』とは見なされない。
 女性は、悔しさのあまり、バットを地面に物凄い勢いで叩きつけ、へし折った。
 二人は位置を交代する。
 すれ違いざま、女性は源を横目で睨みつけた。源も、眉をキッと上げ、その視線を受け止める。
 バッター源。
「源〜!絶対打つのぢゃ〜!」
 嬉璃の声が聞こえる。
 源は、静かにバットを構える。
 グリップを握る手に、力がこもる。
 脳裏に、この一週間の特訓の光景がよぎる。
 テレビを壊されたこと。
 食事を台無しにされたこと。
 訳も分からず怒り続けられたこと。
 駄々をこねられたこと。
 『重いコンダーラ』という、よく分からない商品を腰に結びつけ、今時誰もやらないうさぎ跳びをやらされたこと。
 これまた『商品』である木の壁を立て、そこに開けられたボール大の穴目掛けて球を投げ、その後ろにある木に跳ね返って、またその穴を通って戻ってきた球を何度もキャッチしたこと。

 ――ハッキリいって、ロクな思い出がない。

 それはともかく、源の目の中の闘志の炎は燃え上がり、大きさを増し、体中をオーラのように覆い尽くした。
 女性が振りかぶる。
 球筋が――見える。
 スローモーションのように近づいてくるボール。
(絶対打ってみせるのじゃ!)

 カキーン。

 源の振ったバットは、見事に球を捉え、白いボールは、快い音と共に、青空へと吸い込まれていった。
 歓声が、辺りに響き渡る。



「いや〜源、カッコよかったのぢゃ!」
 再び源の部屋、『薔薇の間』。
 源は見事に優勝し、『小瓶の星』を手に入れた。
 その名の通り、小瓶の中に、黄色い星型のものが入っている。
「嬉璃殿のおかげなのじゃ!わしは今、猛烈に感動しているのじゃ!」
 大会が終わったためか、もう『母ちゃん』と呼ばなくとも、嬉璃は怒らない。
 色々あったが、結局のところは楽しかったので、二人とも上機嫌である。
「さて、早速願いごとをするかのう」
 願いごとは、もう決めてある。
 源はテーブルに置いた『小瓶の星』に向かって座りなおし、手を合わせた。
 すると、小瓶の中の星が淡く光り、次の瞬間には消える。
「やったのじゃ!星が光って消えたということは、願いごとが叶うということなのじゃ!」
「源、一体何をお願いしたのぢゃ?やはり、金儲けのことか?」
 喜んで手を叩いている源に、嬉璃が興味深そうに聞いてくる。
「それは……秘密なのじゃ」
「ずるいのぢゃ!教えてくれたってよかろうに!」
 唇を尖らせて不満そうに言う嬉璃に、源は悪戯っぽく笑うと、片目をつぶる。


 ささやかな願いごと――
 この幸せな日常が、出来るだけ長く続きますように。