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トリガー
■a Gun of the silence
草間は悩んでいた。
腕組みをしたまま、デスクの上に置かれた物体を睨みつけている。その状態が始まってから既に１時間近くにもなる。
「一体、なんだってこんな物――」
忌々しい、という表現がぴったり来そうな口調で呟き、草間はその物体を取り上げた。手の中でしばし弄んで重量を確かめた後、おもむろに事務所の入り口へ向けて腕を伸ばす。
丁度タイミングを計ったかの様に、訪問者が姿を現した正にその瞬間。
草間は手にした拳銃の、トリガを引いていた。
「よく来たな。待ってたぞ」
轟音も硝煙の匂いもなく、お互いの間に降りたのは何とも言えず気まずい沈黙だった。
とりなす様に腕を下ろした草間は空いた方の手で訪問者を招いた。
「まぁちょっと、これを見てみろよ」
言いながら、先程トリガを引いたばかりの拳銃を訪問者へ向けて滑らせる。
銃には、弾丸がしっかりと装填されていた。
「この通りだ。ちなみに、構造上の欠陥その他、物理的には何の問題もないんだとよ」
やれやれと肩をすくめ、草間は煙草に火を点けた。煙と共にため息を吐き出す。
「先方も首を捻ってる。まぁ、銃なんぞを使う必要もないんだが、これはこれで気になるらしくてな」
眼鏡の奥の瞳を眇め、草間は笑った。
「暇だったら、こいつの機嫌を直してみないか？」
散らかったデスクから一枚の紙片を取り出し、訪問者へと差し出す。
「その銃と一緒に出てきた書付と先方の連絡先だ。なんかの参考にでもしてくれ」
『汝、我を如何に用うか。何の為に用うか』
焼け焦げの残る紙片には、辛うじて判読できる文字でそう、綴られていた。
■Ladies and the Gun
「よく来たな、じゃないわよ。……わかってても趣味が悪いわ」
詰めていた息を吐き出し、シュライン・エマは視線を釘付けにしていた黒光りする拳銃から引き剥がした。細い指を胸元に当ててわざとらしく深呼吸しながら、草間を軽く睨みつける。
「悪い悪い。あんまりにタイミングが良かったものだから」
あまり悪びれた風もなく、草間は笑ってその場を流そうとする。シュラインも口元に苦笑を刷きつつ、デスクの上の物体に歩み寄ろうとした。
その時だった。背後で、バサリと物の落ちる音がしたのは。
「あら？ みなもちゃん？」
足を踏み出したままシュラインが振り返れば、顔なじみになった少女が目を大きく見開いて立ち尽くしていた。その足元には先刻の物音の正体とおぼしき学生カバン。どうやら学校帰りに立ち寄ったらしく、海原みなもはセーラー服姿で硬直している。
「武彦さん……」
驚きにこれでもかと見開かれているみなもの双眸を見、シュラインは眉間に手を当てて嘆息した。この驚きようからして、己に銃をつきつけ、あまつさえ引鉄さえも引いてしまった草間を目撃したのだろう。
思わずカバンを取り落としてしまっても、仕方のないことだ。
「わ、悪かった……」
流石に草間も反省せざるを得ない。申し訳なさそうに縮こまる草間を他所に、シュラインは驚きから立ち直ってぱちぱちと目を瞬いているみなもに笑顔を向けた。
「ごめんなさい。驚かせちゃったわね。この人ったら、誰が来るかも考えないで冗談にならない事するから」
「あ、いえ。あの、こんにちは」
目じりを僅かに下げて謝罪を示すシュラインに、みなもはぱたぱたと胸の前で手を振ってぺこりと頭を下げた。元気の良いその仕草に、その場の空気が一気にほぐれていく。
「バイト探しかしら？ とりあえず、そこに座ってて。お茶でも淹れるから」
屈みこんでカバンを拾い、みなもをソファへと促す。物の乱雑に散らかったこの事務所では、大抵一人分ぐらいしか座る為のスペースがない。
「ありがとうございます。あの、それで」
手早くお茶を用意したシュラインは、カップを片手にデスクに凭れた。
すぐ近くに、元凶の拳銃が横たわっている。それには手を触れずに空いた腕で己の腰を抱くようにし、シュラインはまずは一口茶を啜った。
「バイトなら、この仕事を手伝ってもらいましょうか。この銃が撃てない理由を探ればいいのよね？」
後半部分は草間に向け、シュラインは首を軽く傾げる。そして、慎重に紙片を取り上げた。間違って濡らさぬよう、カップは脇に置いてから、紙片に書かれた文字を今一度読み上げる。
「『汝、我を如何に用うか。何の為に用うか』」
「使うべきに使え、とも取れますね。それはどんな銃なんですか？ 用途によって、変わってくると思うんですけど」
銃の種類なんてわからない、とみなもは真っ先に手を上げた。それを受け、シュラインは拳銃を取り上げた。
「おそらくは護身用の拳銃、じゃないかしら。見たところ、新しいものではないわ。かなりの年数が経ってる物に見える」
一通り検分した後で、シュラインは拳銃をみなもへと回した。おっかなびっくり拳銃を受け取ったみなもだったが、トリガには手を触れないように観察する内に好奇心の輝きが瞳に宿り出す。
「依頼人はこの銃をどこで手に入れたんでしょう？ それから、何のために使ってたんでしょうか。あたしとしては、普通の生活をしてれば必要ない物に思えます」
冷たい金属からは当然答えは返らない。
「そうね。まずはその辺りから調べてみましょう。幸い、そんなに遠くはないから直接訊ねてみるのが早いかも知れない」
依頼人の連絡先が記入されたカードを取り上げ、シュラインは悪戯っぽく草間を見やった。カードの先を唇に当て、唇の端だけで笑みを形作る。
「少なくとも、冗談で発砲する為でないのは明らかよ」
それに、私なら自分の為には使わないでしょうね。
カードの影に隠れた呟きは、思わず吹きだしたみなもの笑い声と草間の情けない抗議に埋もれてシュラインの胸の内だけに零れ落ちた。
■Why do you use it?
静かな住宅街の一角が、依頼人の住む家だった。何の変哲も無い一戸建てのリビングに通され、シュラインとみなもは並んで座り心地の良いソファへ腰を下ろした。
「草間興信所の調査員、シュライン・エマです。こちらは助手の海原」
在宅だった依頼人の了承を得てすぐにここを訪れたせいで、みなもは制服のままだった。最初は怪訝そうな顔になった依頼人も、紹介を聞いて納得顔になる。
「北沢義則、と申します。その銃の、謂れというか、どうして我が家にあるのかをお知りになりたいと言うことでしたね」
先だって告げておいた用件について、人の良さそうな顔立ちの青年は、その顔に僅かな困惑を滲ませて語り始めた。
「残念ながら、製造元や購入先についてはお話できません。というのも、祖父が存命だった頃に大事にしていた銃というだけで、祖父が誰からそれを購入したのか、或いは譲り受けたのかが一切わからないんです。祖父が口にすることもなく、由緒書きの類もありませんでした。――僕たちにとっては、ただ、いつの間にかあったのです」
膝に両腕を乗せ、軽く手を組む形で青年は視線を床に落とした。記憶を手繰る様なその様子を、二人は黙したまま見守った。
「祖父の死後、何故か末っ子だった父がそれを譲り受けました。ですが、撃てないという理由で実家の倉……今も関西の方にありますが、そこにしまい込んだということです。そのまま父も忘れていたらしいのですが、最近の倉の掃除で見つかったのを、いらないからと僕に譲られて今に至ります」
そもそもの出処がはっきりしない点を除けば、この銃はほとんどの時間を眠って過ごしてきたという事になる。
「撃てないのを試したのは一度だけですか？ 修理などは？」
「父と僕は一度だけ試したきりです。詳しい方に見ていただいた事もありますが、特に異常はないようで、逆に首を捻っておられました」
物理的には何ら異常はない。にも関わらず、そのトリガは沈黙を守っている。
シュラインは小さく唸った。
「おじいさんの時は、どうだったんでしょうか？ 大分昔だし、銃もまだ使ってたんじゃないかと思うんですけど」
みなもがそっと問いを挟んだ。
シュラインは改めて北沢を見る。外見だけで判断すれば、大体シュラインと同年代かもう少し上といったところだ。彼の祖父の年代と言えば、大戦辺りに北沢の年頃だっただろう。
しばし考え込んでいた北沢は、不意に両膝を打って顔を上げた。
「あぁ、そう言えば一度だけ、祖父が銃を撃つところを見た事があります。どういった状況だったか忘れてしまいましたが。その後、何度かせがんでみたものの、終ぞ聞き入れて貰えなかったのも憶えています」
祖父の銃を構えた姿が、瞼に焼き付いて離れなかったのだと北沢は言った。その目が、少年特有の熱を帯びて煌いている。大人しそうに見える彼もまた、子供時代はそういった物に夢中になっていたのだと、シュラインは小さく笑んだ。
「大体のお話はわかりました。それから、この紙片なんですが、これは銃と一緒に出てきたものだそうですね？」
草間から銃と共に預かってきた紙片をテーブルに置く。北沢はゆっくりと瞬きをしてから頷いた。
「えぇ。祖父の筆跡です。銃を使う際の心得の様なものだと、僕は思っているんですが……。戦争中に倉も少し焼けてしまって、これだけしか残ってなかったんです」
「北沢さんは、この銃がもし撃てたとしたらどう使うつもりだったんですか？」
素朴なみなもの声に、北沢はぱちくりともう一度瞬いてから、微笑んだ。
「普通に生活してると、何のためにと言われてもなかなか思いつきませんね」
およそ、拳銃などと言う物には縁のないような、陽だまりを思わせる笑みだった。
結局の所、肝心な部分は過去の闇に消えてしまっている事が判明したのみで北沢家を辞することになった。
「近頃、この辺りも物騒なのでお気をつけて」
「えぇ。また後日、調査経過をご連絡します」
訪問時にはまだ明るさを残していた空も、すっかり暗くなっている。昼間は静かで良い住宅街も、人気のない寂しい道へと変貌を遂げていた。ぽつんぽつんと立つ街灯も、その寂しさを盛り上げる原因だろうか。
「さて、どうしたものかしら。どうやら物理的には全く問題ないみたいだけど」
「あたしの水の力は、逆効果になるでしょうし……」
「火薬、だものねこっちは」
みなもと肩を並べて寂しい道を歩きながら、シュラインは腕を胸の前で組んだ。まさか、水をぶっかければ撃てる様になる訳でもないだろう。
困った、と呟きながら角を折れた瞬間、視界の隅を鋭い煌きがよぎった。
「危ない！」
みなもの叫び声がし、次いで軽い衝撃を受けてよろめく。
ぶつかってきたみなもの身体を抱きかかえながらも何とか体勢を立て直したシュラインの目の前を、ナイフと思しき白刃が通り過ぎた。
「大丈夫ですかシュラインさんっ」
シュラインを押した勢いで抱きついたまま、いつのまにか水の羽衣を纏ったみなもは襲撃者をきっと見据えた。庇う形で抱きつかれたシュラインもまた、無言の影を見やる。体形からして、男だ。
何か言うべきか、とシュラインが口を開く前に、第二撃が襲ってくる。
ナイフを振りかざして飛び掛ってくる影からシュラインを守ろうとしてか、みなもがシュラインの前に出た。
「みなもちゃん！」
咄嗟に、シュラインは拳銃に手を伸ばしていた。
撃てない銃だと分かりきっているはずのそれを、みなもへ襲い掛かろうとしている影へと向ける。
そして躊躇わず、トリガを引いた。
乾いた音と共に腕に反動が来る。思わず眉をしかめたシュラインの鼻を、硝煙の匂いが掠めた。
「撃て、た……？」
肩口を押さえてうずくまり、何やら悲鳴を上げている影を見やり、シュラインは次いで己の手にある拳銃を見た。
もう一度トリガを引いてみるが、カチリと軽い手ごたえが返るのみだ。弾丸の残数はまだあるはずなのに、もう撃てなくなっている。
シュラインの脳裏に、書付の文字が鮮やかに蘇った。
「シュラインさん！」
「ありがとうみなもちゃん。おかげで助かったわ。怪我はない？」
駆け寄ってくるみなもの姿を眺め、無傷であることを確認してシュラインはほっと安堵の息をついた。
「あたしは平気です！ それよりさっきの銃声、あれはシュラインさんが？」
「というより、この銃が、ね」
わかったわよ、とシュラインはそっと銃身を撫でた。
「きっと、この銃は持ち手の意思によって変わるのよ。強く願って引鉄を引けば、銃はそれに応えてくれる。さっきみたいに」
「あ！ だから『如何に用うか。何の為に用うか』？」
「そういう事。もしかしたら、この銃自身にも意思があるのかもしれないわね」
今は既に沈黙を守る銃身をもう一度指先で撫で、シュラインは微笑んだ。
乾いた咆哮は、正にシュラインの願いそのものを撃ったのだ。
■END
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
0086／シュライン・エマ／女／26歳／草間興信所事務員
1252／海原・みなも／女／13歳／中学生
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■ ライター通信 ■
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初めまして、ライターの神月です。
この度は「トリガー」にご参加いただき、ありがとうございます。
「所変われば品変わる」ではありませんが、人が変われば当然お話の展開も変わってきます。実は操作ミスで再アップしてしまったこの「トリガー」、別バージョンもあります。
そちらとはかなり違う流れになりましたので、やはりキャラクタで話は変わるものだなぁと密かに実感させて頂きました。
カッコイイお姉さんと可愛い女の子、という感じのペアで書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか？
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
それでは、お二方の今後のご活躍を祈って。
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