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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


春色の恋

オープニング

 何だかおかしいなと思いつつ、草間はそれでも目を閉じていた。
 場所は興信所。応接室の使い古した固いソファの上。
 酔いつぶれて、それでも使い慣れた厚い毛布のあたたかさを求めて興信所に戻って来た草間には何の不思議もない場所であり、状態である筈なのだが、何かが、何処かが何時もと違う。
 温もりを逃さないよう、身動きせず、目も開けずに草間は暫し考える。
 一体何がおかしいのか。
 そして、気付く。
 酷く体が重いことに。
 身動きできないほどの重さではない。けれど、胸が重苦しく、何時もの二日酔いとは違う気がする。
 風邪でも引いたか……と喉や頭の痛み、呼吸の異常を確認してみるが、二日酔いであろうと思う頭痛以外、風邪らしい症状はない。
 では何故こんなにも胸が重苦しいのか。しぶとく目を閉じたまま、草間は考える。
 この重苦しさは……、何かに似ている。以前に似たような重みを経験したことがあるような気がする。
「あれは何だ……」
 呟いて、その数秒後に思い出した。
「そうだ」
 去年の夏、ドアを閉め忘れて眠った際に近所の野良猫が勝手に入ってきて、胸の上で寝ていたことがあった。あの野良のくせにでっぷり太った猫の重みと温かさ。あれに似ている。
 またドアを閉め忘れて、暖を求めてやって来た猫が人の胸の上で寝ているのか。だったら払い除けてやろう。
 草間は僅かに身動きしてうっすらと目を開け、猫を払い除ける為に手を挙げた。しかし、開いた草間の目に映ったのは猫ではなく、犬でもなく、狐でも狸でもなく、
「なっ!だ、誰っ、誰だおまえっ!?」
 悲鳴に近い声を上げる草間をにっこりと見下ろしているのは、胸の上にちょこんと正座した1人の少女だった。
 慌てて起き上がると、少女はにこにこと草間に微笑みかけたまま脇のテーブルに腰を下ろす。
 年の頃は高校生……いや、中学生……。ピンクのような紫のような、微妙な色合いの薄いワンピースを纏った以外には何の飾り気もなく、化粧気もない。
 草間はごくりと唾を飲んで考えた。
 いくら何でも、どんなに前後不覚になってその辺の女性を片っ端から口説いていったとしても、未だかつてこんな年端もいかない小娘をお持ち帰りした記憶はない。
 昨日はかなり早い時間から飲んでいて、何軒かハシゴをした。行った店の名は全て覚えているし、相手をしてくれたホステスの名前も顔も、支払った金額も覚えている。かなり酔って適当でいい加減な話しをしたような記憶もあるし、そうだ、途中に閉店間際の花屋で名も知らぬ鉢植えを買わされたことも覚えている。300円足らずだったと記憶している。飲み食いしたものもそこそこに記憶にある。しかし、どう糸を手繰り寄せてもこんな娘を連れ込んだ記憶はない。
「ま、待ってくれ、まず水、水を1杯……」
 テーブルに座ったまま微笑み続ける少女を手でそこにいるように留めながら、草間は冷蔵庫に走り残っていたミネラルウォーターを一気に飲み干す。冷えた水が喉を通り、胃に納まるのを待って草間は横目で少女を確認する。
 少女はテーブルに座ったまま、体をこちらに向けて草間に微笑みかけている。
「多分、何か誤解があると思う……。待ってくれ、落ち着いて話しをしよう。うん、話せば分かる……」
 少女はとても可愛らしい顔をしているのだが、ひたすら草間に微笑み続ける様子が逆に恐ろしい。
 身にも心にも覚えはないのだが、もしや自分は酷い過ちを犯してしまっただろうか。
 誰かに助けを求めるべきか、兎に角この少女を別の何処かに連れて行って、沈黙を守るべきか。
 草間はガンガンと痛む頭で懸命に考えた。

「おはようごさいまーす!草間さん、アルバイト探しに……」
 その日、健康的な明るさで勢い良く興信所の扉を開けた海原みなもは、中に広がる冷え冷えとした空気に一瞬たじろいだ。
 世間は春。桜が咲き誇り、暖かな日差しが万人に降り注いでいる中でだた一ヶ所、草間興信所だけは未だ極寒の冬であるかのような雰囲気に、まだ若いみなもは言葉を失い、このまま回れ右で帰ろうかと考える。
「あ、おはようございます。どうぞ、こちらの席が空いていますよ」
 と、冷え冷えとした空気にそぐわぬ気の抜けたような声。
 何故か一人でプリンを食べながらにこにことみなもを手招きするのは、シオン・レ・ハイ。
「ど、どうも……」
 席を勧められたからには帰るわけにいかず、みなもは細い指で指された席にちょこんと腰を下ろす。
「あのぅ、一体何があったんですか?」
 尋ねながら、みなもは室内を見回した。
 何時も通り自分の席についている草間、同じく自分の席に腰掛けたシュライン・エマ、ソファに座ったシオン・レ・ハイとセレスティ・カーニンガム、四宮灯火。
「…………?」
 見知った面々の中で、ただ一人知らぬ顔を、灯火がそっと指差した。
 自分と変わらない年齢の少女で、何故か草間の机にちょこんと座り、にこにこ笑っている。
 依頼人だろうかと考えて、そんな雰囲気ではないと考え直す。そして思わず口をついてこんな言葉が出てしまった。
「零さんに手を出せないからって、ついに……」
 地雷だった。
「コーヒーでも入れようっと。ホットでいいわよね?あ、そう、武彦さんは要らないのね」
 シュラインが立ち上がり、給湯室に向かう。みなもは慌てて立ち上がりながら言った。
「そっそんなことは、恋人がいる草間さんにできませんよねっ。シュラインさん、あたし手伝います」
「この方は……草間様の……?」
 灯火が首を傾げて尋ねる。みなもは恋人のいる草間には他の女性に手を出すなど出来ないと言ったが、疑う余地は僅かなりともある。
「依頼人でも恋人でも妹でも娘でもないっ!」
 乱暴に言って、草間はシオンを睨んだ。
 鍵を掛けずに寝てしまった自分も悪いが、早朝に忍び込んでくるシオンはもっと悪い。
 シオンが冷蔵庫に忍ばせておいた貰い物のプリンをこっそり取りに来た時がまさに、草間が少女を前に自分の身の潔白をどう証明しようかと頭を抱えている時だった。
 突然やって来たシオンは、少女の前で右往左往する草間に、こう尋ねた。
「恋人ですか?」
 違う、と言えばどんな関係ですかと尋ねてくる。分からないと言えば面白がって、あちこちに電話を掛けて草間が困ったことになっていると吹聴した。
 出来る限り穏便に、内密に話を終わらせようと言う計画は敢え無く失敗に終わり、身じろぎしようにも空気が痛いこんな状況に陥ってしまった。
 この悪魔め、と草間はシオンを見るが、当の本人は全く悪びれた様子がない。
「まぁ、落ち着いて。草間さん、大丈夫です。話せば分かりますよ」
 優雅な動きで足を組んだセレスティだけが唯一、草間を疑ってかからなかった。
「そう、話せば分かるんだっ!」
 天の救いのように、草間はセレスティを見る。しかし勿論、セレスティが草間を信用しているのではなく、草間にそんな器用な真似が出来るはずがないと思っているだけだった。

 何だかんだ言っても誰かに辛く当たったり、分け隔てしないところがシュラインの美点の一つだと草間は思う。
 5人分のコーヒーだけでなく、自分にも、そして謎の少女にも、シュラインはちゃんとコーヒーを入れてくれた。と言っても、少女の方は全くカップに興味を示さなかったが。
 シュラインの機嫌は極めて悪かったが、ちゃんと話をしようと言うセレスティの意見には従って、まずは草間の言い分を聞こうと言う。そこで草間は出来る限り詳細に至るまで昨夜の記憶の隅々まで思い出し、今朝に至るまでを説明した。
 つまり、自分の記憶さえ自分を裏切らなければ身は潔白で、本当にこの少女に見覚えはない、と。
「その割には随分な慌てっぷりよね……。本当は何度もこんな事してるんじゃないの?」
 貧乏やだらしなさには耐えられても、女癖の悪さだけはどうしても生理的に受け付けない。草間にとっての自分の存在のあり方を疑ってしまう。
「まあまあ、シュラインさん。恋人同士には何度か訪れる試練の一つですよ」
 その試練を無駄に大きくしたお前が言うな、とシオンはシュラインと草間の両方から睨まれたが、自分が悪いとは全く思っていない。
「何だか、猫っぽいコよね。勿論、ホントに普通のお嬢さんで、座りやすそうな武……所長のお腹の上に正座してたと言う可能性もあるけれど……」
「こらこらこらっ!」
 普段なら武彦さんと呼ぶところが所長になっている。これはいよいよ拙い。どうにかして誤解を解かなければと草間は焦るが、この少女についての記憶がないのでどうにも説明のしようがない。
「もし猫だとしたら、まだ1歳に満たない程度よね。去年所長のお腹の上で眠ってた野良猫の子供とか?」
 首を傾げるシュラインの横で、セレスティは暫し考えてから口を開く。
「閉店間際の花屋で鉢植えの花を手に入れられたそうですが、それは何処に?」
 問われて草間は興信所内を見回した。確かに花屋の名前の入ったナイロン袋に入れて持ち帰ったはずだが、何処に置いたか記憶にない。
「あ、もしかしてあれですか?」
 と、みなもが指差したのは窓際の、観葉植物が並んだ低い棚の上だった。興信所に出入りする面々が戯れに持って来ては日当たりの良いその棚の上に置いていくので、自分も無意識にそこに並べたらしい。
みなもが立ち上がり、ナイロン袋ごと持って来て、皆に見せる。
「チューリップですね」
 灯火が小さな手を伸ばしてただ一つの膨らみに触れる。
 薄い紫のリボンを結んだ茶色いプラスチックの鉢植えに、たった一輪、黄色いチューリップが開いていた。
 リボンの紫は、少女が纏ったワンピースの色に似ている。
 少女は相変わらず草間の机に座ったまま、ただひたすら幸せそうな笑みを浮かべて草間だけを見ている。
 少女と鉢植えのチューリップ、それから興信所内の粗末な家具類を見回し、首を傾げていた灯火がゆっくりと口を開いた。
「この方は……、この鉢植え……ではないでしょうか……?」
「鉢植えって、このチューリップ?と言うことは、妖精とか?」
 みなもが少女と灯火を交互に見る。
「さあ……、それはどうか分かりません。何らかの力で意思を持ってしまったのでしょうか……」
「ええ、その可能性が強いと思います。今のところ会話が成立していないようですが、意思の疎通が出来るかどうかが問題ですね」
 セレスティが言うと、灯火はゆっくりと少女に向いて言った。
「お話……できますか……?……あなたは……どこからいらっしゃったのでしょうか……」
 しかし少女は答えず、草間に笑顔を向けるのみ。
「うーん、どうも私達の事は眼中にないようですねぇ。お嬢さん、プリンでもいかがです?」
 と、シオンがプリンにスプーンを添えて差し出してみても、見向きもしない。
 うっとりとした目を草間に向けて、幸せそうにしている。
「もしチューリップの精なんだとしたら、コーヒーやプリンなんかより水の方が嬉しいのかしらね?お日様とか?」
 言って、シュラインはコップに入れた水を土に垂らしてやり、心地よく日の射し始めた窓際に鉢を戻す。
 少女は嬉しそうな笑顔を一瞬だけシュラインに向けた。

「花の妖精を連れて帰って来ちゃうなんて、草間さんらしいパターンですよね」
 言いながらみなもはマウスを少し右に動かしてクリックした。
「好きで連れて帰ったんじゃない。この妖精欲しさに買ったわけでもないぞ」
 草間は不機嫌に言ったが、シュラインが小さな声で「どうだか」と呟く。
 身の潔白を熱弁しながらも何やら最初は自身のない素振りだったし、人から電柱を熱心に口説いていたと言う話も聴いたし……、頑張ってもどうも自分だけ空回りしているような気がしてならない。
 酔って電柱を口説くならば花だって口説くだろう。電柱と花と自分との違いが今ひとつはっきりせず、何だか激しく自信を喪失してしまう。昨年、興信所を辞めようかと悩んだ時期があったが、辞めた方が草間は気楽だったのではないだろうかとまで考えてしまう。
「どこからどう見ても、普通のチューリップですよね。別に変わったところもないし……」
 みなもはパソコンの画面と窓際のチューリップを見ながら言った。
 妖精が現れるきっかけがあったりするのだろうかとネットを徘徊してみたが、創作は沢山あっても現実に妖精が現れたなどと言うサイトは見当たらない。
「黄色いチューリップ……、確か、花言葉は『叶わぬ恋』だったでしょうか……?」
 灯火に問われて、みなもはいくつかのページを見てから答える。
「うん、そう。『実らぬ恋』とか。チューリップって、色によって花言葉が違うんですよね。それって、何か関係あるでしょうか?」
「叶わぬ恋、実らぬ恋、ですか……。さて、どうでしょう。草間さん、店で購入した際にはこの少女は見当たらなかったのですね?店に他にお客さんはいましたか?」
 セレスティは冷めたコーヒーを口に運びながら尋ねる。
「こんな変なものが付いてると分かってたら最初から買ったりしない」
「でも、名も知らぬ花って言ったわよね。もしかして、チューリップって知らなかったの?」
 こんな何処からどう見てもチューリップな花を、名も知らぬ花と思うほどに酔っていたのだとしたら、この少女がいたことに気付いていなかったのではないかとシュラインは言った。
「チューリップってのはもっとこう、丸い感じの花じゃないか。だから分からなかったんだ」
 確かに、このチューリップはもうかなり花びらが開いてしまっている。見頃をとうに過ぎ、散るのを待つばかりと言った感じだ。
「店に他の客はいなかったぞ。店員が外の花を片付けていたんだ。たまたまそこで俺が立ち止まって見ていたら、売り付けられたんだからな」
「よほど昨日の売り上げが悪かったんでしょうか、片付けをしている最中にわざわざ売り付けるとは……」
 少女に無視されたプリンを自分で食べながらシオンは言う。それもこんな散りかけた花を、と。
「お店の方に……何かしら思惑があって草間様に売り付けた……とも考えられますが……」
「思惑ねぇ……」
 一体どんな損得勘定があって草間にチューリップを売り付けたのだろう。もし店員がこの妖精の存在を知っていて対処に困っていたのだとしたら、酔っ払った人の良さそうな草間に押し付けようと考えたのだろうか……。
 溜息交じりに首を傾げるシュライン。
「袋に店の名が書いてあるのですね?では、これから行って少しお話しを聞いてみませんか?栽培について尋ねたいとでも言えば、話が出来るのではないかと思いますが……」
 もし同じチューリップがまだ売られているのならば一鉢購入して自分で育てて見るのも一興とセレスティは考える。
 それにしても、この少女が消えなければ草間は一体どうなるのだろう。このまま一緒に暮らすことになるのだろうか、そうなった時、草間はどんな困った顔をするのだろう。意地悪だなと思いながらも、セレスティはつい笑ってしまった。
「実らぬ恋に叶わぬ恋ですか……。」
 笑みを漏らすセレスティの横で、スプーンを手にしたシオンが小さな声を漏らす。
「どうかしましたか?」
「この妖精さんは草間さんを見て随分幸せそうな顔をしているじゃありませんか。もしこれが、草間さんに恋をしているからこそ向けられているものだとしたら、随分酷な花言葉だと思いませんか?」
「まあ……、本当に……」
 相変わらず草間に笑みを向ける少女を見て、灯火はそっと溜息を付いた。

 草間がチューリップを買ったと言う花屋は興信所からそう離れていない小さな店だった。
 鉢植えを持った草間と男女5人の客に店員は笑顔でいらっしゃいませと声を掛けたが、草間の後ろを付いて歩く少女を見て少し驚いたようだった。
「昨日このチューリップを買ったんだが……、閉店間際に。レシートがないんだが、覚えてるかな」
 草間に尋ねられ、店員は勿論覚えていると答えた。
 道端では歩行者の迷惑になるのでと、店内に招き小さな椅子を勧める。それから、困ったような顔で少女を見て草間に頭を下げる。
「どうも、申し訳ありません。まさかこんな風に姿を現してしまうとは……」
「この少女の存在を知っていて俺に売ったのか?」
 お陰で要らぬ疑いを掛けられたんだぞと怒りを込めて言う草間に、店員はひたすら頭を下げて謝罪した。
「どんな花にも妖精がいます。けれど、うちは切花が多いのでこんな風に姿を現す事は滅多にありません。鉢植えでも、見えない方の方が多いので……」
 店員が言う通り、店内のバケツには様々な花が束になって入れてある。観葉植物や大きな蕾を付けた鉢植えもいくつかあるが、妖精らしい姿は少女以外に見当たらない。
「一体どうしてこのチューリップを売ったのですか?何か理由が?」
 セレスティが尋ねると、店員は頷いて、昨夜草間が店の前を通りかかった時のことを話し始めた。
「閉店時間で、外の看板の電気を消したときでした。お客さんが通りかかって、白いバラの前で足を止められました。私は構わず掃除に取り掛かりました。酔った方がよく足を止めますが、大体の方は何も買わずに行かれますので……」
 外に出してある鉢植えを、大きい順に店内に取り込んでいると、ふと足元のチューリップの鉢植えを見て草間が「可愛い色だな」と呟いたのだと言う。
 季節が終わり、半値以下で売り出したものだった。球根があれば来年愛でることが出来るので、枯れかけたものでも買って行く客がいるのだ。
 草間が「可愛い色だな」と口にした瞬間、そのチューリップが僅かに震えた。
「このチューリップは今年初めて咲いたもので、世間を知らないんです。ですから、可愛いとか綺麗とか、そんな褒め言葉が嬉しくてたまらないんですよ。折角咲いたのに、誰も自分に目を向けてくれないままに初めての春を終えようとしていたところに、あなたの褒め言葉が聞こえたので、たまらなかったのでしょうね。数日の内に散ってしまうことを思えば、最後の一瞬くらい褒めてくれた人間の元で過ごさせてやるのも良いのではないかと思いまして、無理やりお客さんに買って頂いたんです。……まさか姿を見せるとは思いもせずに、申し訳ないことをしました。すぐにこちらで引き取ります。料金も……」
「あの、待って下さい」
 店員が慌ててレジに向かうのを止めて、シュラインは草間の横に立つ少女を指差した。
「花が散ると、このコはどうなるの?消えてしまうの?それともまさか……?」
「ああ、大丈夫です。死んだり消えたりと言うことはありません。眠りにつくんです」
「眠り?何処でですか?」
 まさか猫のように草間の眠るのだろうかと首を傾げるみなも。
「球根に戻る、と言えば良いでしょうか……、私達の眠ると言うのとは少し違いますね。まぁ、今のように姿が見えなくなります。そしてまた来年、春が来ると目覚めるんですよ」
「黄色いチューリップの花言葉は……、実らぬ恋とか、叶わぬ恋と言いますが……、来年になってもまた草間様に恋をするのでしょうか……?」
 灯火が尋ねると、店員は「いいえ」と首を振った。
「叶わぬ恋も実らぬ恋も一年限り。来年目覚めるときはまっさらな気持ちで生まれて来ます。そうしてまた恋をして、叶わぬままに季節を終えて、それを繰り返して少しずつ美しくなるんですよ。悲しみを繰り返すようで少し可哀想ですが、健気な良い花なんです」
「なるほど、確かに健気ですね」
 シオンは微笑みを浮かべる。
 あと数日の春と知っていても、草間だけを見つめ、微笑む様子は愛しい。
 花と言えばつい蕾の頃から花開くまでを楽しんでしまうが、花びらが散るその瞬間にも命があるのだと思えば、初めて迎えた春に恋をして、叶わぬままに散って行こうとする少女は健気だ。
「良かったら、別のチューリップを差し上げます。まだ膨らみ始めたばかりの蕾のものがありますので」
 もう花は結構だと答えかけた草間の口を手で塞いで、シュラインは立ち上がった。
「いえ、良いんです。このコ、うちの事務所の窓際を気に入ったようなので」
 シュラインは鉢植えを花びらを散らさないようにそっと草間の胸に押し付け、帰社を促す。
 店員は申し訳ないと言って、観葉植物を幾つかお土産にと渡してくれた。

「構わないのですか?引き取って下さると仰ったのに」
 コツコツと杖をつきながらセレスティが尋ねる。
「だって、武彦さんが悪い訳じゃないし、あのコが悪い訳でもないんですもの。あんなに幸せそうな顔をしてるのに、引き離してしまうのは何だか可哀想な気がしたの。あと数日だからあのコが武彦さんに付きまとってても我慢出来るという訳ではないし、哀れんだ訳でもないの。自分が好きな人の側に居られたら幸せだと思うから、その幸せを少しでも長く感じさせてあげたいと言うか……。上手く説明できないわね」
「優しいのですね」
 セレスティが穏やかに言うと、シュラインは困ったような笑みを浮かべた。
「ところで、このままお花見をして帰りませんか。明日から天気が崩れるそうですし、見納めになるかも知れませんよ」
 公園に差し掛かったところでシオンが口を開く。
「良いですね!あたしまだ今年はお花見してないんです。買出し、行きますよ」
 にこにことみなもが草間を見上げると、草間は小さく溜息を付いて財布から何枚かお札を抜き出して渡した。
「ところで草間さん、どうして花屋さんで足を止めたりしたんですか?普段は花なんて全然気にも留めないのに」
 ふとそんな疑問が口をついてでた。
 草間は少し口ごもってからみなもにだけ聞こえるように小声で言った。
「たまにはシュラインに花でもと思って」
 みなもはクスクスと笑って草間に耳打ちをする。
「駄目ですよー、もっとちゃんと態度で示さないと!」
 草間は肩をすくめて鉢植えを抱えなおした。
「なぁに?二人でこそこそしちゃって?」
 いぶかしむシュラインに何でもないと笑って、みなもは近くのコンビニに走って行った。
 首を傾げるシュライン。溜息を付く草間。その横で、やはり草間に笑顔を向ける少女。
 風が薄紅の花びらを灯火の小さな肩に運ぶ。
「まぁ……、風流な……」
 呟いて、灯火は宙を舞う花びらに手を伸ばす。
 桜の花言葉は何と言ったか、この小さな花びらにも命があり、「美しい」と言う褒め言葉を待っているのだろうか。
「……綺麗ですね……」
 灯火は心を込めて呟いた。


End
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1883/セレスティ・カーニンガム/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い
3041/四宮・灯火/女/1/人形
1252/海原・みなも/女/13/中学生
3356/シオン・レ・ハイ/男/42/びんぼーにん(食住)+α 
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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。何時もご利用有り難う御座います。
 ほんのちょっとでもお楽しみ頂ければ幸いです。
 最近、5年間使ったデスクトップパソコンに別れを告げて、ノートパソコンを使っています。機械音痴なので何がなんだかさっぱり分かりません……。
 マウスに慣れていると、小さい小窓は使いにくいですね。肩が凝って仕方がありません……。