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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


[ 足りない調味料 ―最後の晩餐編― ]


「……遅い」
 脚を組み、右手はペンを持ち、左手の人差し指は机をトントンと叩き続けていた。
 その音は編集部中に響き。編集部員は俯き、慌ただしいはずの編集室では現在長い沈黙が守られている。
「遅いわ…さんしたくん」
 やがてトントンと机を叩く指が宙で止まると同時、綺麗に組まれていた脚が解かれ椅子から立ち上がる。
「たかが幽霊病院如きの調査でどうして三日も帰ってこないかしら!? もう締め切りまで日もないってのに……」
 言いながら彼女が徐に取った書類は、今回月刊アトラス編集部編集長である碇麗香が、編集部員である三下忠雄を向かわせた場所について書かれた物である。
 元は結核病棟か何かだったのか…詳しいことは不明だが、既に廃病棟と化した病院の話は良くある事だろう。しかし今回麗香の下へ流れてきた情報は、本当に怪奇現象の類か疑いたくなるような内容であった。
「――その病棟には、夜な夜な調味料を求める幽霊が出る、と。病院で調味料求める幽霊って……あら?」
 ポツリ呟きながら、捲った最終ページに気になる一文を見つけ麗香はゆっくり眼鏡を押し上げる。
「調味料を持っていない場合……何らかの危機が訪れる――さんしたくん、何か持っていたかしら?」
 天井を見つめ、そういえばメモとペンとカメラしか持たせなかったなと……麗香は編集室を見渡しながら、徐に電話にも手を伸ばした。


 数十分後。麗香の前に集まった四人は、書類を見つめたまま窓際に立つ麗香の言葉を待っていた。
「――まずは、集まってくれてありがとう」
 そしてようやく書類から顔を上げ机へと戻った麗香に、それぞれは他の三人に自己紹介をすると、麗香に向かっても一言ずつの返答を返す。
「麗香さんの頼みだし、やっぱり三下くんが帰ってこないのが気になるのよ」
 そう麗香から向かって右正面に立ち言ったのはシュライン・エマ。その手には大き目のバッグを持ち、中からは僅かにビンやペットボトルがぶつかりあうような音が響いていた。
「三下君が帰ってこないということで、心配ですからね」
 続いて心底心配そうに言うのはセレスティ・カーニンガム。彼は全員が揃う前から麗香の正面にあるソファーに腰掛けている。彼はたまたま普段から可愛がっている忠雄の顔を見に来たところで話を聞き、捜索の手助けを申し出ていた。
「人を探すことだったら私の能力が一番いいし、三下さんはお友達ですから……心配です」
 控え目に、しかし忠雄の安否を心配し言うは神崎・美桜(かんざき・みお)。麗香から向かって左に立ち、この中で最年少ながらも抜群な体形を持つ少女だ。その足元には今、多くの荷物が置かれている。
 そして最後、セレスティの正面に座るは九音・奈津姫(くおん・なつき)
「調味料を欲しがる幽霊、なんて聞いて変な感じがしてね。私も協力するわ」
 彼女はTVドラマや映画などのメディアで活動中の女優であり、歌手でもある。故に編集部員の視線は今、自然と奈津姫へ集中していた。
 その視線を追い払うかのように麗香は鋭い眼を飛ばすと、四人に視線を戻しため息を一つ。そしてまずは手元の資料を四人へと配布した。
「問題の件なのだけど、三下君を連れ帰ってくるのは勿論、ついでに調査の報告も後でしてくれると助かるの。よろしく頼むわよ」
 言われ一同は資料へ目を通す。
 書かれているのはまず病院の場所――編集部から電車とバスで一時間程度――そして、一番後ろには病院の見取り図がA3紙に印刷され、丁寧に折りたたまれホッチキスで留められていた。
「流石麗香さん、話が早い!」
「屋上有りの三階建て……さほど大きな病院ではないようですが、こうして見取り図が有ると助かります」
「状況は不明みたいですけど……建てられたのは大分昔なんですね」
 シュラインとセレスティ、そして美桜は見取り図を広げ、それぞれ麗香に礼を告げる。すると彼女は最後、付け足すよう言った。
「見取り図には無いのだけど、噂では地下室もあるらしいわ――気をつけてね」
 最後に笑みを浮かべ言った言葉は、半分脅かしも入っているような声で、一同も思わず微妙な笑みを浮かべる。
「噂の地下室、ですか。三下さんすぐ見つかればいいのですけど……」
 資料にはざっと目を通し顔を上げた美桜は、一人呟くと資料を足元の鞄の中へとしまいこんだ。
 そして依頼を告げ終わり作業を始めた麗香に、四人はそれぞれ目を合わせると、編集部を後にし目的地へ向かうことにした。
 しかし間もなく駅に差し掛かるというところ、セレスティの声に他の三人は足を止める。
「すみません。少しばかり寄りたいところがありまして。少々お待ちください」
 そう言うなりセレスティは目の前の店内へと入り、あっという間に奥まで行くと、会計を済ませ帰ってきた。その手には紙袋が一つ。それが何であるか、誰も問うことは無かったが、それは皆の中で恐らく答えが出たからだろう。
「お待たせしました。それでは行きましょうか」
 そしてセレスティの一言に、一同は頷き再び歩き出す。

    ■□□□□

 編集部を出て一時間。着いた病院は遠目に見て確かに残っているが、辺りは多くの草木に覆われ、まだ昼過ぎだと言うのに夕方の景色と変わりがないように見えた。
 皆それぞれ、廃病棟へと続く長く緩やかな坂道をゆっくりと登っていく。
 途中、左右に植えられた桜が風に揺れていた。短い桜並木道。その光景は、僅かながら今の四人を和ませてくれた気がした。

 病院入り口は案の定薄暗く、シュラインが念のためにと持ってきた懐中電灯に照らされる。
「やっぱりこういう場所って良い感じがしないわよね。埃っぽいし」
 辺りを見渡し少し咳き込む奈津姫は、まだ薄暗さに慣れぬ目を細め辺りを見渡した。
「これだけ埃が積もってるなら、三下くんが通った足取りが分かりそうだけど……うーん」
 呟くシュラインに美桜も懐中電灯の灯りを頼りに辺りを見渡すが、自分達以外の足跡は見当たらない。
 セレスティは今見取り図に触れ、もう一度場所の把握を始めていた。
「大まかに見て一階に外来、二階に外来と食堂・調理場、別館に病室・ナースステーション。三階は病室と手術室。入り口は此処一つ……ですね」
「――三下さん、確かにこの建物の中に居ると思います」
 セレスティの言葉の後、小さく声に出したのは美桜。その言葉の意味に三人の視線が集まった。
「三下くんが居るか居ないかが判る、の?」
 奈津姫の問いかけに美桜は小さく頷いてみせる。
「もうしょうがないわね、手分けして探しましょ。一人は危ないから二手に分かれることにして――」
「それなら私は二階に行かせてもらっても良いですか? 気になる場所があるので」
「あら、私も二階が気になるの。ご一緒しても良いかしら?」
 シュラインの提案にセレスティが申し出、それに間髪いれず奈津姫もにっこり微笑み主張した。二人の共通点といえば、此処に来る前話していた料理人について。目指す先は調理場となるだろう。
「分かったわ。それじゃあ、そっちにも懐中電灯渡しておくわね。確かもう一個位あったはず……っと」
「ありがとう。えっと、あなたの分は?」
 シュラインから懐中電灯を受け取ると、奈津姫はセレスティを見て問う。
「私には必要ないので、どうぞ」
 元々視力の弱いセレスティに、今の暗さは何の支障もない。明るすぎるよりはまだ暗いほうが感覚で補いやすくなる。
 奈津姫も灯りを点すと、辺りは大分見えるものになってきた。加えてこの暗さに目が慣れてきたというのもあるのだろうが。見える先には割れたガラスや中身の飛び出たソファーが行く手を遮っていた。
「えっと……私はシュラインさんと一緒、ですよね」
 辺りの光景に圧倒されながらも、美桜は隣に立つシュラインを見上げ微笑んだ。それは今まであまり表情のなかった彼女に、今日初めて浮かんだもの。
「えぇ、よろしくね――それじゃ、私たちは一階を探すから三階で合流で良いかしら?」
「分かりました」
「分かったわ」
「それではまた……後で」
 シュラインが指定した場所を確認すると、セレスティと奈津姫はそれぞれ近くの階段をゆっくりと上っていく。
 上の階には、更なる暗闇が待ち受けているようだった…‥

    □■□□□

 ゆっくりと足元を確認しながら階段を上る音と、時折ガラスの割れる音や木材、金属類の何かを蹴り飛ばすような音が響く。
「大丈夫ですか?」
 感覚を研ぎ澄まし、ステッキを使いゆっくりと階段を上るセレスティは、先行く奈津姫が特に踊り場付近でいろいろな物に足を取られていることに気づき声をかけた。
「大丈夫よ――っと、調理場はどっちの方向だったかしら……いい男が居るかもしれない調理場はぁ――」
 最初を苦笑交じりに言い、語尾をセレスティには聞こえぬよう言うと、奈津姫は階段を上りきり見取り図を出そうとする。が、そこにすぐさま声がかかる。
「食堂と調理場は別館に。別館は右方向ですね。途中、ナースステーションもあるので、少し寄って行っても良いですか?」
 どうやらセレスティは、すっかりこの病院内を把握しているらしい。しかし見取り図を持たぬ彼は奈津姫の隣まで上ってくると、微かにその表情を曇らせた。
「誰か居ますね」
「えっ……」
 そのまま彼は「三下君だと良いのですが…」と呟き前を歩き出す。一歩遅れ奈津姫もその後を追うと、懐中電灯の灯りの先、傾き割れたナースステーションの看板を見つけた。
 多くの書類が今は色褪せ、物によっては判別できない有様で散乱するナースステーションは、この病院の中で一番悲惨な状況に思えた。 カルテや医療器具、薬の揃えられていた筈の棚は斜めに傾き中身は全て床にばら撒かれた状態。割れた窓から入ってくる風が常に換気の役割をしているおかげか、薬の瓶が割れていようが臭いはなく、奈津姫もセレスティに続きナースステーションの中へと足を踏み入れた。
「大抵二十年ほど昔のものでしょうか……大分時が経っているようですね」
 字が薄れていようと、そこに情報がある限りそれを読み取ることの出来るセレスティは、灯りも無しに次々とカルテを手に取り年月を読み取っていく。
 そこから少し離れた場所で、奈津姫はファイルの埃を払いながらも他の書類に目を通す。辛うじてまだ読める程度に文字の残るカルテは、女性ながらの少し丸みがかった文字で丁寧に患者の事が記録されていた。
「一番真新しいので十八年前……そこで急に書き込みが無くなって――」
 その時突如響く大きな音。
「っ……何!?」
「――!?」
 思わずファイルを閉じると更に埃が舞い、それを手で払いながら奈津姫は音のした方向へと懐中電灯を向けた。灯りの中に舞う埃がキラキラと無駄に輝く様が少しだけきれいに見え、セレスティもその方向へと神経を集中させた。
 が、物音はそれ一度きりで、何かが此方へ向かってくるという気配もない。
「別館の方向から……大分反響があったようですが、瀬戸物が割れる音に似ていましたね」
「と言うことは食器……なら、やっぱり調理場か食堂?」
 奈津姫の答えにセレスティは頷き、揃ってナースステーションを出た。
 逸る気持ちは有るが、走るのはどうにも危険と疲れが伴うため、先行く奈津姫は本館と別館とを繋ぐ渡り廊下を早足で渡った。違和感を感じたのは別館に足を踏み入れるのと同時だった。
 此処だけ空気が違う――そう、すぐさま感じ警戒する。ただ、何が本館と違うのか……今一度辺りを見渡した。正面には外来向けの食堂、右奥には恐らく医師や看護婦専用の食堂、そして左には――…‥
「ビンゴ、ね」
 静かに呟くと、後からゆっくりと歩いてきたセレスティがそっと目を伏せ言った。
「誰か居ますね。三下君の可能性が有るか否かが際どいところですが」
「……そういえば、神崎さんなら三下くんか否か判るんじゃないかしら? さっき頷いてたし」
 奈津姫の提案にセレスティはすぐさま頷き踵を返すと、関係者専用食堂の方向を指し歩き出す。なるべく物音とステッキの音を響かせぬよう。
「一旦三階で合流したほうが良さそうですので、近くの階段から上に行きましょう」
 そんな彼に続く奈津姫は最後、その背になんとなく聞き覚えの有る音を聞いた気がした。それでいて今までとは違う何かの視線を――…‥

    □□■□□

 三階まで上ると、既にシュラインと美桜がそこに居た。それを確認するや否や、セレスティと奈津姫は二階での状況を報告した。そして、調理場に居るのが忠雄であるか否かを美桜に判断して欲しいと、最後に奈津姫が言葉にした。
「……実はこの階に三下さんの気配を強く感じます。本館と別館で移動しているようなのですが」
「という事は、下のは三下くんじゃないのね……残念」
 悲しそうに奈津姫はポツリ言うが、問題は二階に居たのが忠雄でないなら誰であるか、ということである。
「でも、それならばまずはこの階に居る筈の三下君を探しましょう」
「そうね。優先すべくは三下くん、二階のことはその後でも多分大丈夫よ」
 そう言い三階を重点に始まった探索は、なるべく四人固まりながらも効率よく病室を調べて行く形で別館を終え本館へと移動する。
 途中、シュラインと美桜が一回での出来事を手短に教えてくれた。特に異常は無く、地下室はあったが誰か居るものではなかったと。
 そして別館の病室はどれも似た装いだった。壊れたベッド、窓を突き破り延びた幹に埋め尽くされる部屋。破れ、辛うじてそれだと判るカーテンに割れた花瓶。別館の何処にも人やそれ以外の気配は不自然な程に無い。夜になれば皆現れるとでも言うのか……。やがて本館へ足を踏み入れ、半ば研ぎ澄まされていた四人の神経が半分切れかかりの頃。

「――――っうひゃあぁぁ、ぁあっ!!」

 響く声はあまりにも聞き覚えがありすぎて。
 シュラインは誰よりも早くその場所へと向かい、その後ろを美桜が追う。奈津姫はその後を追った。
 一階や二階より障害も無い廊下。辿り着いた先は、本館最果ての病室だった。多分この場所は大部屋よりも個室があるのだろう。引き戸のある部屋が幾つか並び、その中にドアが開け放たれた部屋を見つける。
 その部屋はオレンジ色の明かりに包まれた小奇麗な部屋だった。どう見ても別館で見てきた病室とは違う。荒れ果てた様子など何処にも無く、此処だけは何一つ変わらず当時が残ってるような印象を受けた。
 そんな光景に、先に着いたシュラインと美桜は言葉を失い立ち尽くしていた。そして奈津姫は何か言おうか否か悩んでいるところにセレスティが追いついてきた。
「――で、三下くんは此処で一体何をしているの?」
 いかし結局声に出した奈津姫の言葉どおり、三下忠雄はそこに居る。とは言え、こんな場所で食器を片手、床を這いずっていた姿は想像の範疇を超えていた。
「みみみっ、皆さん!? ど、どうしてここに?」
 心底驚いて見せた忠雄は、ずれ落ち掛けの眼鏡をわざわざ押し上げ振り返ると、四人を見て立ち上がる。その姿は元気そのものだろう。
 念のためにと忠雄に近寄った美桜も、外傷の見当たらない彼に安堵の息を吐いた。体力も低下しているようには見えず、この様子ならば、全くの飲まず食わずでは無かったのだと思う。
「良かったです…三下さん、無事で……」
「本当に、無事で何よりですよ。さあ、もう帰りましょう? 編集部で碇さんもお待ちですよ」
 しかしそこで忠雄は頭を振った。
「すみませんが僕は……料理長の許可が下りないと、この病院から出られないんですぅ」
 しょんぼり俯き食器を握り締めた忠雄に、四人は事情を話すよう促すこと数十分。彼はようやく、シュラインの持ってきた食事を目の前に、この三日間に起こった出来事を話し始めてくれた。
 それでも途中、スポーツ飲料にゼリー状のバランス栄養食を食べ終わると、まだ暫し続きそうな話の展開に美桜が「みなさんも一緒に食べましょう」と、バッグから取り出したお弁当をベッド上のテーブルに並べる。それは忠雄用にと魔法瓶に入れられていた温かいシチューにライ麦パン。そして皆で食べられるおにぎりと唐揚げ、玉子焼きなどの入ったお弁当だ。
 一同は「いただきます」と手を合わせ、中身に手を付けながら引き続き忠雄の話に耳を傾ける。
 この病院まで辿り着いた忠雄は、調査すべく一階から三階まで探索を開始した。しかし結局何も発見できぬまま帰ろうとしたとき、忠雄はようやく記事に出来るような出来事に遭遇した。それが、先ほどセレスティと奈津姫も発見した調理場の灯りだった。
「そこには成仏できない料理長が居ましてぇ……捕まった僕は料理の味見や、他に成仏できない患者さんへその料理を運んだり――」
 完全な使い走りにされること三日。食べ物には困らないものの、そろそろ味覚がおかしくなってきそうな状況に、忠雄は助けを請う。何せ、食材は確かに実在する物で腐っているわけでもないのだが、どうしてか調味料が何時も足りず食べられるものではない。
「多分調味料があれば料理長も成仏できるはずなんですぅ……どうにかしてくださいぃ」

 結局――二階まで降りてきた五人は、今明かりの灯った調理場を目の前に固唾を呑む。
「……ちょっと待ってて下さい」
 そしてその一言を残し調理場へと消えていく忠雄の背を見送りポツリ、シュラインが呟いた。
「炒め物――後、煮物? 包丁を使ってる音」
「匂いも悪くなさそうですね」
「あっ、この音って調理の音だったのね……どうりでどっかで聞いたことがあると思ったわ」
「三下君、もう戻ってきましたね――料理長さんもご一緒に」
 冷静なセレスティの言葉に、一同の視線は今忠雄の隣に立つ一人の男性へと向く。
「――こんにちは。貴方達がさんしたさんの知り合いで?」
 低く落ち着いた声だった。とは言え忠雄の呼び方は麗香と大差が無く、彼が忠雄をどう扱っているかが良くわかった。歳は三十半ば程だろうか。長身細身の体にコック帽が良く似合い、すらりと伸びた脚の先は悲しいことに見つからない。
 問いかけに四人は疎らに頷き返事をすると、彼は帽子を取り踵を返した。
「私は此処の元料理長を任されていた者。ひとまず中で話しを」
 そう案内された調理場もやはり当時のままなのか、蜘蛛の巣一つなく綺麗な空気が保たれている。
 そんな調理場の片隅に、彼は人数分の椅子を用意すると話を始めた。
「さんしたさんから聞きました。どうやら……相当の種類調味料を持っているようだ。いますぐ出してください」
 一体短い時間で忠雄から何を聞いたのか。それでもまだ忠雄にも口に出していない調味料の存在を言い当てた彼には、何か特別な目か嗅覚でもあるのだろう。最後が命令口調であることに不快を覚えながら、四人はそれぞれの持ち物を料理長の前に出した。
「えっと、セイジにローズマリー、チャイブ……ついでに持ってきた塩・胡椒も少しあるわよ」
 ハーブをメインに持ってきた奈津姫に料理長は一瞬顔を顰めるが、彼女と目が合うなり視線を逸らし「まぁ良い」と次へ移動する。
 そして一通り見終わった料理長は、後ろにある調理台を指し指示を出した。
「良し、塩とハーブ以外を此方へ。調味料は全て私の料理に使わせてもらう。後この中で料理できる人は? 誰かさんはまるで役に立たない…料理をさせれば焦がす、指を切る、運ばせればひっくり返す、食器を割る、食材を取りに行かせればドアを壊す……料理の評価は美味しいか不味い――」
 嘆息交じりの言葉に、彼の傍に座る忠雄は縮こまっていく。
 そしてシュライン・美桜・セレスティもあっという間に役割が決まり。最後に奈津姫を見た料理長は、目が合うなりすぐさまその視線を逸らしてしまった。が、聞きたいことは分かっている。
「私? 私はね……料理長さんの姿を見ていたいの。ダメ、かしら?」
「……好きになさいと言いたいが…君には、さんしたさんと…地下の食料倉庫まで行ってもらう」
「あら残念。おまけに地下って埃っぽくて湿っぽそうで嫌ね……」
 結局シュラインと美桜が料理長に続いていき調理の手伝い、セレスティが味見の手伝い、奈津姫が忠雄と共に地下の倉庫――シュラインと美桜が一階で見つけた場所だ――へ食料調達に決定し、それぞれは作業に取り掛かる。
 そして無関心というわけではなさそうだが、いまいち完全に魅了の効かない料理長に、奈津姫は調理場を出る時思わず肩をすくめてしまった。

    □□□■□

 最後の料理が出来上がり、セレスティの試食の結果十分美味しいと判断されたのは鍋一杯に作られたスープだった。
「ようやく……最後の晩餐となるか」
 料理長は調理中被り直した帽子をまな板の上に置くと、目を閉じ深く息を吐く。
「一つ聞いても良いかしら? 十八年前、もしかしてこの病院では何か事故でも?」
 成仏できぬコックだけならまだしも、患者が居ると言う点が普通ではない。
 苦笑いを浮かべた料理長だが、開いた目が奈津姫と合うなり重い口はゆっくりと開かれた。
 この病院が出来たのは今から二十年程前。当時の病院としては最先端を行く医療器具を取り揃え、多くの外来を受け入れる医者の数と病室などが揃った大病院に属する物だったらしい。それは数ヶ月や一年で廃れるものではなかったが、終幕は突然にやってきた。
 全ては家族を医者に殺された――そんな考えを持った男が一人で引き起こした事。執刀医は勿論、担当看護婦や同室だった患者、目に付いた人物を手当たり次第に殺して回ったという。
 決して医療ミスではなかった事態。しかし彼は家族の死というものを受け入れられなかったのだろう。散々流れる血で手を染め、最期――屋上で自ら尽きたらしい。
 思わず口元を押さえた美桜に、セレスティがそっと手を差し伸べ優しく声をかけた。シュラインと奈津姫は神妙な面持ちで彼の言葉に耳を傾けている。
「――乗り込んで来た彼に、私も呆気なく殺された。此処ではそれこそ抵抗できる術はあったが……それをしては料理人の名が廃る」
 俯いた視線は包丁へと向けられた。料理人の命ともいえる物。それで抵抗することは、ましてや人を殺めてしまうかもしれない事態は考えられない。
「十八年間、私は当時作りかけの料理を完成させることが出来ぬまま……そして決して食べられることはない料理を作ってきた。肝試しにやってきた人間を捕まえては調味料を要求し、料理を手伝ってもらうのも今日で終わりだ」
 完全に何かをやり遂げたという顔で、彼は宙を仰ぎ笑った。
「今日、素晴らしい食材と人材の下に全てが揃った……料理を、三階へ――」


 数時間前、忠雄を探しに足を踏み入れた三階の廊下は、足を取られるものが無かったといえど、薄暗くそれなりに荒れていたはずだった。それが今、当時の状況が蘇っているかのよう光る廊下、笑顔の看護婦。
「この時刻になると毎日蘇るんですぅ……十八年前の状況なんでしょうか……因みにこの時が食事の時間。一日一回です…」
 箸やフォーク、スプーンなどの落としても割れない物を持つ忠雄は、なんだかんだでこの病院を知り尽くしているため先頭を歩き振り返る。
「まずは此処の大部屋から。別館から本館の個室方面へ移動します」
 言うなり足を踏み入れた大部屋には六つのベッド、五人の患者が居た。皆料理長と同じく脚の先は無いが、生きていた当時を思い起こさせる姿で、食事が運ばれてくるなり笑顔を見せ喜んだ。加えて今日は配膳している新たな四人に興味津々な様で、気さくに話してくる者も居た。
「はい、召し上がれ」
 慣れた手つきで次々と食事の乗ったトレイを運ぶシュライン。
「あの……熱いですから、注意してくださいね」
 一言温かい言葉を沿えお茶をついで行く美桜。
「どうぞ。私が採ってきた食材だから美味しいわよ」
 そう、言葉は間違っていないものの意味の違う言葉をかけデザートを置いていく奈津姫。
「ええ…そうです、三下君のお手伝いで来ているのです」
 問いかけてくる患者に丁寧に答えるセレスティ。
 そしてやはり何かに躓き転がってはその場の雰囲気は和ませてくれる忠雄。
「――――」
 大部屋の入り口はいつの間に居たのか、料理長が壁に背を預け立っていた。
 暖かい空気と暖かい匂いに包まれた部屋。
 患者は次々に箸やスプーンを手に取り、目の前の食事に口をつけていく。
「……ぇっ」
 そして ふわり。
「み、皆さんが?」
 ふわりと…‥
「消えて――」
「……いっちゃうの?」
 食事を口にした患者達は次々に 淡い光を放ち。
 最期には笑顔を残し やがて薄れ消えてゆく。
「ようやく成仏、だ。ほら次の部屋、とっとと食事を運ぶ」
 やがてかかる料理長の言葉に、五人は静かに踵を返した。
 最後の晩餐――その意味をなんとなくに理解して。


 本館まで全ての食事を運び終わると、次は食堂へ特製のカレーライスを中心に運び込む。医師や看護婦、外来客も数人だが食べるなり笑顔で消え……今はまだ綺麗な院内にはただ六人が残された。
「これで助かった」
「でもこれは、一体どういうことなのですか? ここに居た方々のいわゆる未練というものはもしかして……」
 問いかけるセレスティに料理長は薄笑みを浮かべる。
「ええ、この病院に残っていた者は、皆食に囚われた者達だったんだ。それが満足な食事にありつけたことと、その中身に成仏せざるを得なかった、と言うべきか?」
 事件が起きたのは丁度夕飯時。食事を食べる前に殺された者、食べ途中に殺された者、そして作り途中に殺された者。そういう者でこの病院は溢れかえっていた。
「つまり、私達が用意した塩やハーブが決定打ってこと?」
「だから…料理長さんは塩やハーブに一切触れなかったのですね……」
 調理を手伝っていた二人は、料理長の腕は確かだが、調味料を加える作業は任されていたと思い返す。
「中世ヨーロッパの頃ハーブは魔除けとして利用されたらしいけど、本当にそれに効果が?」
 奈津姫は言うがやはり半信半疑だった。今こうして終わるまで、本当にそれを求めているなど思えなかったからだ。
「そして最後は私、だな……」
 奈津姫の言葉に苦笑いを浮かべ小さく呟いた料理長は、鍋に僅か残されていたスープをお玉で掬う。そしてまだ冷たくはなっていないそれに、そっと口を付け目を閉じた。彼の前の前に広がるは闇。しかしその先にはきっと明るい場所が待ち受けているのだろう。
「……良い味だ――」
 言葉と同時、全てに終わりが訪れる。それを誰かが止めることは無い。こうなるべきだったのだろう。出来るならば、もっと早くに。
「ありがとう」
 そして最後 消えゆく体で彼は言った。
「君はとても魅力的な女性だ。遠い昔に妻さえ居なかったら、と思ったよ。……とは言え、妻が居なくとも最早私のような存在に君は似合わないな」
 苦笑し言った料理長に、奈津姫はころりと表情を変え小さく笑って見せた。
「そんなこと無いと思うわよ。でもこれは私の都合かしら? 私にしてみれば、イイ男は歓迎だけど? あなたは腕も立つみたいだしね。あなたみたいな男との恋愛は、私の人生をよりいいっそう面白くしてくれそうよ」
「……それは光栄だな」
 一瞬呆気に取られた料理長だが、「参ったな」といった様子で笑い肩をすくめる。
「ふふ、又どこかで逢えれば良いわね」
 それが叶うとすれば"あの世"という所だろうか……。奈津姫が伸ばした手に料理長も手を伸ばす。直接触れることなど無いが互い、硬く握手を交わした。感触など無いはずなのに、残された奈津姫の掌に彼は温かさだけを残し。


 やがて消えゆくその顔もまた 輝くような笑みだった――…‥

    □□□□■

 料理長の消えた病院は、賑やかさを失い再び廃墟と化す。残るモノは何も無く。見つけるべく忠雄は皆の一歩後ろで挙動不振な行動を見せ。
 まだ灯りの点いている編集部に帰ると、ソファーで寛いでいた麗香が顔を上げた。まずは忠雄に雷が落ち、その後四人に礼が告げられる。

「それにしても…持っていった調味料全部使われちゃうなんてね……」
 シュラインのバッグの奥では残った空の瓶が高い音を立てていた。思わず苦笑いを浮かべた廊下。
「大抵どれも高価でもないので構わないですが、よほど今までまともに使える調味料持っている人がこなかったんでしょうね?」
 音を出すのは美桜も同じで。けれどカチャカチャと響く音はどこか心地良い。
「後は料理の出来る人でしょうか? 今回はたまたま二人もお揃いになりましたからね。それにやたらハーブを持ってる方が居ましたからね、それがお役に立ったのでしょう」
「あら、でもあそこ何故か電力はあったみたいだけど水はまともじゃなかったでしょ?」
 笑い言う奈津姫にセレスティはただ笑顔を返す。
 そして丁度その時白王社の一階にたどり着いた四人は、そこで別れの挨拶を告げそれぞれに散る。
「それじゃ、此処で」
「ではさようなら」
「それでは、おやすみなさい」
「それじゃあね」


 その夜、奈津姫が見た空は、やけに星の輝く夜空だった――…‥


 ――後日
 結局病院の事件については当時の殺人事件と照らし合わされた上で、月刊アトラスの一面を飾る記事となった。
 三日間のレポートを忠雄が、そして病院の詳しい様子やあの場で体験した数々をレポート提供という形で主に美桜が手伝い。


  一体どういう経緯か 綺麗に片付けられたあの病院には今 花が手向けられていると言う

 〔fin..〕

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 [0086/  シュライン・エマ  /女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員]
 [1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い]
 [0413/   神崎・美桜    /女性/17歳/高校生]
 [4994/   九音・奈津姫   /女性/24歳/女優・歌手]

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■         ライター通信          ■
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 お疲れ様でした! 長々となりましたが、何処かしらお楽しみいただけていれば幸いです。
 ご挨拶が遅れましたが亀ライターの李月です。この度は足りない調味料、ご参加ありがとうございました。
 今回2部隊進行となりましたこのお話。最初に来られましたこちらの四人はプレイングより戦闘無し方向で進ませていただきました。散々色々なものを蹴り飛ばしたりはしましたが、せいぜいかすり傷と場合によっては料理長のお手伝い疲労程度で無事解決といったところです。此方は調味料の種類の多さが重視展開となりました。余談ですがもう1部隊は違う重視方向だったりしますので..。
 共通部分もお一人お一人にあわせ出来るだけ変化させてあります。途中別れての探索は短いですが、見比べたり、他の二人の様子をごらんいただければと思います。
 と、極力注意していますが、誤字脱字ありましたら申し訳ありません。気になりましたらお知らせください。

【九音・奈津姫さま】
 はじめまして、この度はご参加本当にありがとうございました!
 なのにあまり表立てなかったようですみません!! 何かと後ろで細々と動いている感じでした…こっそり魅了してみたり。でも九音さん書いてるのはとても楽しかったです。ただ、イメージの食い違いがありましたらすみません。力不足ゆえ所々エマさんと口調が似偏ってるかもしれませんが、微妙に変化をつけているので、判別できていればと思います……判りにくかったらすみません。なにやらもう謝ってばかりですが何かありましたらリテイクなりなんなりとどうぞです!
 お持ちになった調味料、ハーブと塩が決めてでした。どうもありがとうございました。因みに地下室へはしぶしぶ行きましたが勿論三下くんに全てを任せていた…そんな感じですね、九音さん。

 それでは又のご縁がありましたら…‥
 李月蒼