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<東京怪談ノベル(シングル)>


暁を覚えるまで


 本郷・源(ほんごう みなと)は感じていた。
 暖かな春の陽射しを、柔らかな春の空気を、全ての生き物たちが芽吹く季節を。
「……暇じゃのう」
 そして暇だった。
「おでんもそろそろ店締めかのう?いやいや、まだまだおでんの汁を腹いっぱい飲み干したいくらいの存在はおるじゃろうが……」
 そんなもの凄い強豪は、恐らく居ない。
「このように暖かな日が続くと、おでんの熱さが邪魔になるかもしれんのう」
 源はそう言い、大きく溜息をついた。おでんの出汁は自他共に認める程においしいし、それで煮込む野菜や練り物たちも厳選されているから美味しい。その場で酒のつまみにしても良いし、夕飯代わりにしてもいい。なんならテイクアウトもしても良い。
 だが、おでんが最高潮においしいと思うのは、冬だ。
 はふはふと汗をかきながら食べるなんていう光景はちょっと疑問が生じるし、煮込む為のおでんのネタは季節のものではなくなってくる。
 大根の無いおでんなんて、おでんとは言わない。……と思われる。
 常連達は日々足を運んでくれているが、新規の客が少なくなっているのは事実だ。仕入れもだんだん大変になってきた。練り物ならばあるが、野菜が無い。
「やれやれ、そろそろ別の屋台にするかのう?」
 源は呟き、頭の中で次々と屋台を提案していく。ラーメンならば季節は関係ないだとか、焼き鳥ならば縄張り争いが発生するかもしれないだとか、いっそのこと冷やし中華にしてみるかだとか。
 そうして考えていると、ついこっくりこっくりとしてしまう。何といっても、暖かいから。
 こうして今居る『薔薇の間』の炬燵が、あまりにも温もりを与えてくれるから。
「……暇じゃのう」
 今一度、源は呟いた。そして「ふあ」と欠伸をする。
「……そうじゃ、いい事を思いついた」
 源はそう呟くと、炬燵から脱出した。春の陽気が暖かい為、炬燵から出ても寒さは感じない。
「嬉璃殿、嬉璃殿はおらぬか?」
 源はそう言いながら、あやかし荘をうろつきまわった。台所から管理人室からはたまたトイレまで。
「……なんぢゃ、煩いのう」
「おお、嬉璃殿。探しておったぞ」
「知っておる。おちおち厠にもいけぬな、と今感心しておったところぢゃ」
 嬉璃は苦笑しながらそう言った。嬉璃の目線の先は、先ほどまで源が探していた、トイレ。ゆっくりとトイレも済ませられないかもしれない、と嬉璃の目線は語る。
 もっとも、座敷わらしがトイレで用を足すかどうかは、全くの不明だが。
「嬉璃殿、暇ではないか?」
「む?」
「わしは暇で暇で仕方がないと思っておったのじゃ。どうじゃ?」
「そりゃ、わしもそんなに忙しいという事も無く……ぢゃな」
 嬉璃の言葉を聞き、にやりと源は笑う。
「探検に行かぬか?」
「行かぬ」
 終了!……そうは問屋が卸さない。源だって卸さない。
「良いではないか。さっき、嬉璃は暇じゃと言うておったじゃろう?」
「それはそう言ったが……」
「まあまあ、探検に最終的に行くかどうかは、行ってから決めればよかろう?」
「そうぢゃな……って、そうなるかのう?」
 嬉璃は自らの言葉に疑問を覚える。何故だかおかしい、源の言葉。今気づかねば、きっと行く羽目になる。というか、もう逃れられない。源はにっこりと笑っているのだ。
「では、行くぞ」
 源はそう言うと、嬉璃の手をぎゅっと引っ張った。きっとその手は離されない。嬉璃はもう逃れられない。やっぱり止めた、などという言葉を吐くことは許されない。
 多分。
 こうして、源と嬉璃は探検に行く事となった。といっても遠くに旅立つのではなく、向かった先はあやかし荘の地下であった。身近に探検気分の味わえる、素晴らしい場所だ。……と源は思っている。
「なかなかに暇を潰せる、最高のシチュエーションじゃな」
 源はそう言い、うんうんと頷く。
「最高、といえるかどうかは微妙ぢゃな」
 嬉璃はそう言い、小さく溜息をついた。半ば諦めモードである。そして、ぴたりと足を止めた。
「どうしたのじゃ?嬉璃殿」
「源、このような扉があったかのう?」
 嬉璃の指差す先を見ると、そこにはおどろおどろしい扉があった。今まで見たことも無ければ、先ほどまであったかどうかも怪しい。
「無かったように思うんじゃが……はて」
「思い切り怪しいが……どうするかのう?」
 嬉璃はぽんぽんと扉を叩きながらそう言い、にやりと笑った。勿論、源の答えは決まっている。
「行こうぞ、嬉璃殿。これでこそ探検じゃ!」
 源はにかっと笑って言うと、勢い良く扉を開けた。ばあん、と大きな音をさせて扉は開く。
 扉の向こうは、緑の絨毯が広がっていた。
「……なんじゃ、ここは」
 源はその風景に取り付かれたように見入った。
「地下とは思えぬ佇まいぢゃ。……谷、かのう?」
 嬉璃もその風景を見つめながら、そう言った。二人は顔を見合わせ、ゆっくりと扉をくぐった。
「嬉璃殿、あれを」
 源は何かに気付き、指差した。すると、そこには大きな体をしたトロールが何人もいた。小さな体の源と嬉璃と比較すると、煙草の箱と電信柱くらいの差がある。
「大きいのう」
 半ば感心したように嬉璃が言った。そこが感心する所なのかどうかは、怪しいのだが。
「わしは源じゃ!」
 源が大声で自己紹介した。そこで何故自己紹介をするかは、全く持って意味不明である。
 しかし、その不思議な行動はトロールに良い印象を与えたようだった。集まっていたトロールたちは、皆にこにこと笑いながら源と嬉璃を大きな掌に乗せた。
「おお、見晴らしが良いのぅ」
 風を全身に受け、はるか彼方まで見ようとする嬉璃。
「あっちは嬉璃殿というのじゃ。仲良くしてくれると嬉しいのう」
 トロールたちに嬉璃を紹介する源。そんな源の言葉を、こくこくと頷きながらトロールたちは聞いていた。
 暖かな空気に包まれているような感覚が、二人の間に広がっていた。
「……ちょっと暇つぶしに探検しようと、思っただけじゃったのにのう」
 源はトロールから林檎を貰い、苦笑した。トロールから貰った林檎は、大玉西瓜のように大きかったけれど、食べると口一杯に甘酸っぱい林檎の味が広がった。
「こういうのも、いいのう。暇つぶしというよりも、大冒険みたいぢゃ」
 嬉璃はトロールたちから暖かな茶を貰い、笑った。良い香りがするその茶は丼のように大きな湯飲みに入っていたが、一口啜ると緑茶のようないい香りが口から鼻へと通り抜けていった。
「嬉璃殿、今日はゆっくりして行くかのう」
 トロールの手の上でごろりと横になりながら、源は言った。そんな源の言葉に同調するように、トロールたちも頷く。是非そうしていきなさい、と言っているように。
「それもいいのう。折角こうして、来たんぢゃから」
 トロールの手の上で足を伸ばしてくつろぎながら、嬉璃は言った。そんな嬉璃の言葉に同調するように、トロールたちも頷く。何ならずっといてもいいのだ、と言っているように。
「こうしてずっと、のんびりと過ごすのも良いのう……」
 源はそう言いながら、ゆっくりと目を閉じた。
 トロールの手の上は柔らかく、暖かく、何とも心地よかった。


 再び源が目を開けた時に飛び込んできたのは、見慣れた天井だった。あやかし荘の『薔薇の間』の天井である。ゆっくりと源は起き上がり、自分の状況を確認する。
 源は結局、この炬燵に入ったまま眠ってしまったのだ。
「なんじゃ……夢か」
 ぽつりと呟いて大きな欠伸をしていると、向こうから「ううん」という伸びの声が聞こえてきた。嬉璃だ。
「なんぢゃ、同じ夢を見たようぢゃな」
 起き上がってくるなり、嬉璃はそう言った。
「トロールか?」
「トロールぢゃな」
 お互い言い合うと、ぷっと吹き出した。
「寝ておったようじゃな」
「そうぢゃな。これぞまさしく……」
「「……みん顔つきを変えずとはよく言ったものじゃ(ぢゃ)のう」」
 同時に言葉にした瞬間、再び二人は笑い始めた。同じ事を思っていたのだから。
 正しくは『春眠暁を覚えず』だが。因みにあのカバに似た愛らしい妖精は、全く関係ない。関係付けられても、きっとどうしようもないだろう。
「また行けるとよいのう」
 ぽつり、と源は呟いて笑った。嬉璃はそれには何も答えず、ただ頷いた。
「まだ、林檎を半分も食べてなかったしのう」
 再び源は呟き、ごろりと横になった。
「そこか」
 嬉璃がすかさず突っ込んだが、源は再び夢の世界へと旅立ってしまっているのであった。

<何度も夢へと誘われ・了>