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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


[ 足りない調味料 ―愛憎と調味料編― ]


「……遅い」
 脚を組み、右手はペンを持ち、左手の人差し指は机をトントンと叩き続けていた。
 その音は編集部中に響き。編集部員は俯き、慌ただしいはずの編集室では現在長い沈黙が守られている。
「遅いわ…三下君」
 やがてトントンと机を叩く指が宙で止まると同時、綺麗に組まれていた脚が解かれ椅子から立ち上がる。
「たかが幽霊病院如きの調査でどうして三日も帰ってこないかしら!? もう締め切りまで日もないってのに……」
 言いながら彼女が徐に取った書類は、今回月刊アトラス編集部編集長である碇麗香が、編集部員である三下忠雄を向かわせた場所について書かれた物である。
 元は結核病棟か何かだったのか…詳しいことは不明だが、既に廃病棟と化した病院の話は良くある事だろう。しかし今回麗香の下へ流れてきた情報は、本当に怪奇現象の類か疑いたくなるような内容であった。
「――その病棟には、夜な夜な調味料を求める幽霊が出る、と。病院で調味料求める幽霊って……あら?」
 ポツリ呟きながら、捲った最終ページに気になる一文を見つけ麗香はゆっくり眼鏡を押し上げる。
「調味料を持っていない場合……何らかの危機が訪れる――三下君、何か持っていたかしら?」
 天井を見つめ、そういえばメモとペンとカメラしか持たせなかったなと……麗香は編集室を見渡しながら、徐に電話にも手を伸ばした。

 その夜、麗香からの突然連絡に彼女は「クヒッ」と、喉が引き攣れたような小さな笑い声を発した。
 それに対抗したわけではないが、電話の向こうの麗香は恐らく引き攣った笑みを浮かべ「頼むわよ?」と念を押してくる。
「勿論っ!」
 そう手短に依頼を引き受け彼女は電話を切った。しかし、その後口から漏れるは笑い声しかなく、散々笑い声を上げた後彼女は一人、真顔に戻り呟く。
「ヒヒッ――ま、サンシタはどうでもいいわ。……ついでに、回収してやってもいいけどね」
 そういう彼女の目的は、忠雄の救出でなく幽霊がなぜ調味料を求めているのかが気になる……というところにあった。
「さてと、調味料って言ってたわね」
 呟きながら、麗香が必要だと漏らした調味料を探し出してくる。早々に集まったのは掌サイズの瓶に入った調味料各種。ナツメグ、クローブ、シナモン……等とそれをバッグに詰め込むと足早に白王社へと向かうことにした。
 既に外は暗く、けれどこの先待ち受けているかもしれない出来事に、彼女の心は僅か躍っていた。


 数十分後。麗香の前に集まった四人は、書類を見つめたまま窓際に立つ麗香の言葉を待っていた。しかし余りにも長い時間待たされるため、それぞれはソファーで出された茶を片手に寛ぎながら自己紹介を始める。
「まずはあたし、ウラ フレンツヒェン。よろしく」
 最初に名乗り出たのはウラ・フレンツヒェン。今日のファッションはゴシック・ロリータでその身を包み、厚底ブーツで決めている。
「人造六面王 羅火、じゃ。まぁ、よろしく頼むの」
 ウラに続いたのは人造六面王・羅火(じんぞうむつらおう・らか)。現在ライダースーツで身を包み、その足元にやたら大きなザックを置いている。じじくさい言葉遣いなものの見た目は二十そこら、この中では一番の年上だ。
「えっと、葛城ともえです。よろしくお願いします!」
 ソファーから立ち上がり、深々と頭を下げ挨拶をするは葛城・ともえ(かつらぎ・―)。元気いっぱいの声とその笑顔は、感染力を持つ。否、彼の場合元からもあるのだろうが……
「おれは葉室穂積! みんなで絶対に三下さん助けてあげないと!」
 やはりソファーから立ち上がり、ともえ以上に声を上げたのは葉室・穂積(はむろ・ほづみ)。彼の足元には形のいびつなバッグが置かれ、大事そうに抱える袋からはいい匂いが漂っている。
「そう言うにしてはおまえ、脚が震えてるじゃない?」
 しかしそんな彼に、ウラはお茶を片手にサラリと言い、ソファーに座りかけの穂積はもう一度立ち上がると正面に座るウラに言い返した。
「むっ……これは武者震いだよ!」
 穂積が再びソファーに座りなおすとほぼ同時、ようやく書類から顔を上げた麗香が皆の前に立ち言葉を告げる。
「さてと――まずは電話でも話したけどこれ、資料ね」
 言われ一同は資料へ目を通す。書かれているのはまず病院の場所――編集部から電車とバスで一時間程度――そして、一番後ろには病院の見取り図がA3紙に印刷され、丁寧に折りたたまれホッチキスで留められていた。
「ちゃんと見取り図つきとは、気が利くわね」
 言いながらウラはペラリと見取り図を広げ、なにやらチェックを始める。
「問題の件なのだけど、三下君を連れ帰ってくるのは勿論、ついでに調査の報告も後でしてくれると助かるの。よろしく頼むわよ」
 そして依頼を告げ終わり作業を始めた麗香に、四人はそれぞれ目を合わせると、ソファーから立ち目的地へ向かうことにした。

    ■□□□

 編集部を後にし移動すること一時間。着いた病院は遠目に見て確かに残っているが、辺りは多くの草木に覆われ、明かりなど一つもない。
 そんな場所へ向かい、皆は廃病院へと続く長く緩やかな坂道をゆっくりと登っていく。
 途中、左右に植えられた桜が風に揺れていた。短い桜並木道。その光景は、僅かながら今の四人を和ませてくれた気がした。

 バキッと、入り口に足を踏み入れた瞬間何かを踏んだ音。
「大分散らかっとるのう」
「うん、厚底履いて来て正解だったわ」
 言いながら平然と木材を蹴り飛ばしガラスを踏み、中へ入っていくのは羅火とウラ。それに続きともえと穂積も中へ足を踏み入れた。
 狭い敷地に立っているものかと思われたが、本館と別館に分かれるこの病院内部は意外に広い。見取り図に書かれているのは一階から三階まで、そして屋上。一階に外来、二階に病室・ナースステーション、別館に外来と食堂・調理場。三階は病室・ナースステーションと手術室。入り口は此処一つの造りだ。
「うっわー、暗いなー……なんも見えないよ」
 辺りを見渡す穂積の言葉が終わる前、何かに気づいたともえが足を止めた。
「えーっと――ナンか見えちゃった、かな?」
 ポツリ呟き、二階へ続く階段を見つめるともえに、他の三人は一体何を見たのか問いかける。その答えは簡単なもので、変なものが見えた、ということだ。もっとも、その"もの"と言うのはたまたま同じ方向を見ていたウラは見ていない。
 目の錯覚かと問えば、ともえは「多分幽霊ってヤツかも?」と小首を傾げながらも答え、同時に自分は後を追うと告げてきた。
「おれも行くよ! 誰か居るなら会って話も聞きたいし」
「うむ、わしも行くかの。ぬしに着いていけば何かしらに出会えそうじゃし、こりゃ早々に戦り合えそうじゃのう」
「あたしは悪いけど独りで行動させてもらうわ。何かあったらちゃんと知らせるからね」
 ともえに続き穂積、羅火が同行を告げ、ウラが単独行動を告げる。
 待ち合わせ場所を決めるべきか考えたが、動き回ってればそのうちどこかで合流するだろうという考えもあり、結局そのまま四人は二手に分かれた。
 ともえを先頭に穂積と羅火が向かうは二階、ウラが向かうは三階だ。

    □■□□

 この依頼がきたときウラが考えたのは、調味料を求めている=薬を求めているのではないかと言うことだった。
 たしか古来、もしくは現在韓国で使われる調味料――薬念(ヤンニョム)――の中身が実際漢方薬の薬材として用いられるものが多いこともあり、もしかしたら薬を作っているのではと。病院と言う場所も有り、推測でしかないが今のところは考えに忠実に進むしかない。
 向かおうとしている内科病棟は三階のほぼ全てを使った所だ。一部に外科・内科で使用する手術室もあるが、まずは入院患者が多く居たはずの病室を回ることにする。
 先の三人とは違い、一旦一階の奥まで進み別館へ移動すると、そこから階段を使い上へと上がった。階段の踊り場付近は特に入り口以上に乱雑な様子だが、ウラはそれを気にせず厚底で前へ前へと進んで行く。
 そしてたどり着いた内科病棟。此処は全部の病室が大部屋という造りになっていた。要するに六人部屋辺りが主流の病室だ。
 一階よりも遥かに明るい場所に、ウラはどうしてかと見渡したところ、割れた窓からは夜桜と星空、輝く弓張月が見えた。それが病院内を照らしているのだ。ただ、それだけの光が……。
「ふうん、今のところは誰もいなさそう」
 つまらないと言った様子でウラは呟くが、念のためにと足元に落ちていたメスを不意に拾い上げた。既に錆び付き、どう見ても紙切れすら切ることの出来ないメス。試しに手首に宛がってみるが、切れないどころかザラザラした不快さだけを残してくれた。
「まあ、いざとなれば雷光で知らせるけど、咄嗟の抵抗時は無いよりマシね。……っと」
 言うや否や、ウラの触れていた錆び付いたメスは裏の手の中で光輝くメスへと変化する。
 それを見、満足そうに頷くとウラは先へと進んだ。
 何かを踏む音は勿論、厚底と言うだけで廊下には足音が大きく響いている。これだけ音を立てていれば誰か出てきてもいいと思うのだが、全く気配の一つもしない。不自然なほどに。
「何? なんで何も出てこないわけ? これじゃ、つまんないわ!」
 やがて本館への連絡通路。渡り廊下を歩きながらウラは半分肩を落としかけていた。
「えっと…本館には手術室に大部屋と個室、ナースステーション。屋上へ上る階段が一つと。あ、薬剤部ってあるわね!」
 見取り図を片手、本館へ片足が入った途端その光景にウラは立ち止まる。
「…………――なによこれっ!?」
 反応は十二分といって良いほど遅れた。落としかけた見取り図をギュッと握り締め、今は現実のままだと実感する。
 後ろを振り返ることは出来なかった。ただ、固唾を呑むと同時、少し遅れて湧き上がってきた好奇心に負ける。足取りは軽く、突如明るさを露にした本館にウラは両足を踏み入れた。
 別館から見た本館は確かに別館と同じで薄暗く、乱雑とした様子だった筈。
「まるで運営当時が蘇ってるみたいね」
 それが今、光る廊下を看護婦が歩き、行き交う患者が確かに笑みを浮かべている。とは言え、全員揃って脚から先は無い。やはり幽霊であることは分かるのだが、どうしてそれが急に蘇ったかに興味がある。
「まあ、これだけ人が居れば調味料を求めている人の情報もすぐに聞き出せそう!」
 ウラの考えでは、身体の内部を悪くして死んだ人が調味料を求めている可能性もあると思い、片っ端から病室へと入り込んだ。
 そして患者や看護婦は皆、ウラを見るなり歓迎の言葉を口にした。その対応に何か裏は無い気がする。
「あたし、この病院で調味料を探している人が居るって聞いて来たのだけど、誰か知ってる?」
 しかしウラがその言葉を紡ぐと決まって誰しもが口を噤んでしまった。
 その話題から離れるようベッドに潜り込む者や、他の患者さんのところへ行かなければと去る看護婦に、情報は全く得られない。
「ヒヒッ……こうまでして避けるってことは、やっぱり何かあるのね!」
 一人呟きながら最後の大部屋を出ると、ウラは個室へと移動した。しかし此方の反応も同じ、もしくは既に死んでいるにも拘らず重症状態の患者も居て話どころではない。
 結局個室最後のドアを閉め廊下に出ると、ウラは大きなため息を吐き、次の瞬間顔は本館最奥へと向いていた。見据える先は薬剤部。多少はまともな人間が居ることを願い、ウラはドアを開ける。
「いらっしゃ〜い。キミが噂の女の子ですねー」
 声は正面。まるで此処に来るのが分かっていたかのように、ウラは迎えられていた。
「おまえは? ここの主なの?」
「僕は、此処で薬剤師やってました。まぁ、主で正しい」
 そう少しのんびりトーンで物腰低く言うのは、白衣に忠雄と同じく向こう側が見えないような眼鏡をかけた一人の男。彼は椅子に腰掛けウラをジッと見ている。
「聞きたいことがあるの。いい? ううん、ダメって言っても無理矢理にでも聞くけどね!」
「薬のことならなんでも〜、って思うけれど――キミはそんな目的で来た訳じゃない、みたいですね」
 最後は能天気なトーンを微塵も残さず、まじめな声色で彼は言った。
「話が早いわ。おまえが調味料を求めてるってヤツ? あたし、そいつを探しにここまで来たの……と、ついでに人探しね」
 しかし男はすぐさま頭を振る。
「残念ながら僕は調味料が欲しくて此処に居るわけじゃないですね。代わりと言ってはなんですが、貴方が持っている調味料、何か良い物くれたら僕も良い物をあげましょう。どうですか?」
「結局おまえも調味料を求めてるんじゃない!」
 男の言葉にウラは言い返すと、彼はにっこり笑い言った。
「いいえ、僕はどちらかと言えば調味料を薬として有るなら欲しい、で求めています。別に無くても良いんですが……有れば見返りをあげますよ」
「先に見返りってやつをくれれば、考えてやってもいいわ。相応の価値があるならあげるから」
 言い返すウラに男は堂々巡りを感じる。故に、先に折れたのは男のほうだった。彼は「やれやれ」と肩を竦めるが、座っていた椅子の上で脚を組むとウラからそっと目を逸らし、今は闇しか広がらぬ窓の外を見る。
「この病院の本館地下室には一人の女性が居ます。ただし、彼女と出会って無事に帰ってくるにはある調味料が必要。残念ながら、キミはそれを持っていない」
「その、調味料ってなんなの?」
 どうして自分が調味料を持っていると、挙句持っている種類を知っているのか、疑問に思いながらもウラは問う。
「答えはさしすせそ、その中に。恐らく、キミと一緒に来た人が一杯持っていると思うので大丈夫でしょうがね」
「…………」
 外を見ていた視線をウラへと戻し男は微笑んだ。何もかも見透かされている気がして少し気持ち悪い。
「まあ、いざとなればやり方は幾つもあるのだけど……あたしの調味料、少しならあげるわ。今のお礼に」
 言うなりウラはバッグから調味料の小瓶を出して見せた。
 いくら今この場所では役に立たないとは言え、家に帰って捨てるものでもない。『少しなら』を強調し、「どれにする?」と、瓶を手渡すことも無くウラは男に聞いた。しかし二人の距離はまだ大分有る。
「へぇ……これまた面白いものを持ってる。それじゃあクローブを。後ナツメグも貰えますかね?」
「少しよ?」
「はいはい、お嬢様。ま、お礼と言ってはなんですが、これで更に面白いものを作ってあげましょう。多分、役に立ちますよ〜」
 椅子から立ち上がりウラの前へと歩み寄ると、小瓶の中からクローブとナツメグを少々取り出し。男はステップを踏みながら部屋の奥へと歩いていく。なにやら上機嫌だ。
「コレとアレを混ぜて〜……うんうん」
 やっているのはちょっとした実験に見えた。その様子はウラにとって少し興味深い。
「――ポンッとな。でけあがりー」
 振り返り男が手に持っていたのは、小さな瓶に入った粉だった。
「何がよ? つまらない物だったら雷光浴びせるからね!」
「言うなら媚薬。ナツメグに色々加えてですね……ま、困ったら使ってくださいな」
「わかったわ。一応ありがとうってことで、地下室だったわね。行って来るわ!」
 ふわりと踵を返しドアを開ける。
「――――」
 しかしその背中に男の声を聞いた気がして。振り向き言葉を失いかけた。
「な、に……――消えた?」
 今しがたまでそこに立っていたはずの男は影も形も見えず。
 気づけば部屋は廃病院の一部に戻り。微かな喪失感と同時、一歩歩けば再び蹴り飛ばす医療器具。
 割れた窓から吹き込む風が、ウラの長い髪の毛をそっと撫でていた。

    □□■□

 男に言われたとおり本館にあるという地下室へ向かおうと、ウラは見取り図を広げるがそれらしき場所は載っていない。此処に載せないという事は知られたくない場所なのか。
 一先ず一階まで下りたところで正面に三人の影を見た。恐らく羅火にともえ、穂積かと思っていると、案の定顔が見えるか見えないかの頃、ともえが手を振っているのが分かった。
 互いの情報交換の結果、共に行く場所は地下で一致する。他に分かったのは十八年前この場所で無差別殺人があったということ位だろうか。
「問題は地下室とやらが何処にあるか、じゃな」
 見取り図を広げた羅火にウラも同意した。そこには描かれておらず、しかし確かに存在するらしい地下室。
 紙と対面する二人とは別に、ともえと穂積は辺りを見渡しそれらしき場所を探すことに専念している。が、不意にともえの片手が上がった。
「あのぉ、ごめんなさい」
「え、もしかして?」
 控え目な言葉だったが、何処か見据えているともえの視線に気づき穂積が問う。彼女はゆっくり頷き皆を見た。
「あたし……また見えちゃいました」

 今目の前にある地下室へと続く扉。それだけは恐らく当時のまま残っており、尚且つ目立たない場所にあった。
 ともえが聞いた話では霊安室だったと言われるだけあり、やはり人に見られると不味いと言うのがあるのだろう。とは言え、十分目立ちそうな外来診察室、そこにまぎれた部屋の一つ。その裏口から行けた地下室は、少しじめじめしていて黴臭い。
 階段は意外に狭く、結局結局ウラ、穂積、ともえ、羅火の順に一列に並んで降りていくことにした。恐らく階数にしたら今下りている階段は二階分の長さだろうか。やがて階段を下りきり一枚のドアの前で立ち止まった。
「開けるわよ!」
 ウラの声と同時、開けられたドアはギィッと嫌な音を立て。その先に見たのは、何十何百と灯る蝋燭と――
「あ、サンシタね。調味料求めてるヤツはどこ?」
「三下さん!!」
「大丈夫ですかっ!?」
「なんじゃ? 戦り合える相手はどこじゃ?」
「うわぁん、みなさぁん!!」
 五人の言葉がそれぞれ入り混じり、狭いらしい地下室に煩いほど響き渡る。
「皆さん、塩ぉ! 塩は有りますかぁ!?」
 発見されるまで床に寝転がっていた状態の忠雄は、慌てて起き上がると同時喚き散らし、眼鏡の下から涙まで流し懇願するかのように言った。まるで彼が調味料を求めていると言う幽霊だ。やつれているようには見えないが、蝋燭に照らされた顔は相当青白く見える。
 ウラとともえは生憎それを持たなかったが、穂積と羅火は互いに頷いている。
「じゃ、じゃあ…早くそれ持ってその看護婦さんに渡してくださいよぉ」
「その?」
 羅火と穂積の声は綺麗にハモリ、向いた視線もほぼ同時。その先に映し出したものも勿論同じだった。
「――いらっしゃい」
 一体何時の間に彼女はこの部屋に居たのか。部屋の中央、丁度忠雄の真後ろに、今一人の看護婦が立っている。その片手には注射を持ち。もう片手には壊れた血圧計を持ち。にっこり微笑んでいた。実年齢の分からない、すっかり痩せこけた顔で。
「持っているなら頂戴、お塩」
「あ、はいこれ!」
 看護婦の言葉、素直に塩の瓶をバッグから取り出し手渡そうとした穂積に、ウラは制止の声を上げた。
「ちょっと待って! おまえが塩を求める理由はなんなの?」
「……どうしてそんな事を? 私が此処で何しようと勝手でしょ? 貴方たちなんて、勝手に踏み入ってきただけなのに」
 そして看護婦に問いかけるが、すぐさまそれに答えることは却下された。
「勝手じゃないです! 三下さんを探しにきましたから!」
 確かに勝手に踏み入ったのは事実だが、問題はそれ以前にあると、今度はともえが主張する。
「このさんした、を? そんな役立たず、塩が手に入るならいらない…それに、もっと若くてイイ男が来たし」
 そう、彼女の視線は穂積へと向けられた。しかし向けられた本人はその視線の意味に気づかず、塩の瓶を片手に持ったまま看護婦とウラとを交互に見る。
「……ヒヒッ…言わないなら、おまえの欲しい塩が鉄屑になるわよ?」
 言いながらウラは穂積の手の中から今、素早く奪い取った塩の蓋を開け、中身を少しだけ掌に出すと一度握り締め……それが開かれたとき、手の中から出てきたのは勿論光る鉄の砂。塩を金属へと変えたのだ。
「わぁっ!! すっげー! 手品みたいだね!」
「っ、おまえね…そんな安っぽい物と一緒にしないでよ!」
 しかし塩をそんな形に使われた本人はその様子に酷く感動し、ともえもその光景に見入っている。羅火は四人から一歩離れ、今は関係ないといわんばかりに頭を掻いていた。

 結局何が決め手だったのか。確実にウラがして見せたことだとは思うが、一同は今居る部屋から更にドア一枚向こうの部屋へと案内された。今まで居た部屋よりも広く、多くの木箱があった。言うならば棺桶に似ている。そしてそこもやはり蝋燭の灯りに照らされていた。
 彼女は何も語らない。ただ、その中の一つを悲しそうに見据えていた。
「一体……どうしたんですか?」
 思わずともえが問いかけると、彼女は皆に背を向けたまま。棺桶の一つを開けた。
「遺骨、にしてはなんじゃ? 放置されて白骨化したような」
「しかも二体、ね。面白い! 一つはおまえの物?」
 ぼろぼろの看護服と白衣を着ている骨の姿は、何処かドラマで見るような光景だった。そして不謹慎にも単刀直入に言うウラに、問われた看護婦は苦笑いを浮かべながらも頷いた。
 ゆっくりと開かれる口。そして知る。二人は十八年前此処で亡くなったと言う事。彼女が彼を殺し、此処に隠したと言う事。しかしその後、病院内を無差別に殺しまわった男により彼女も命を絶たれ此処で尽きた事を。
 だがそれでどうして塩なのか。自分たちの成仏の為の塩かと問えばそうでもないらしい。ならばと続きを問うと、彼女は切なげな表情でただ一言――
「私は生前彼を清めていた。塩で…全身を毎日揉んで。その途中、殺された……揉み足りない――」
 異常な答えが返ってきた。
 それに対する答えは誰の口からも出てこないが、代わりに穂積が一つ質問を投げかける。
 塩を渡さなければどうなるか、返ってきた言葉は「力尽く」のただ一言。
「おもしろい。わしはそれで願うところじゃ。このまま塩だけ渡して帰るのはちと無駄足でのう」
 ようやく面白そうに、後ろに立っていた羅火が前へと出てきた。
「ぬし、腕には自慢があ――っと、これまた突然じゃの」
 羅火が彼女へと近寄った瞬間風を切る音。羅火は何かを避けるが、当然避けたものは後ろにいる四人の方へと向かってくる。
「わっ、危ないなあ!!」
「ちょっ、と! 危ないわよ!」
「――っ!? 危ないっ!!!!」
「ひいいぃっ!?」
 口々に声に出し、飛んできた何かが落下……否、突き刺さった壁を皆で振り返った。壁にはメスが。そして突き刺さった衝撃の大きさとでも言うのか、未だビイィンと音を立てながらそれは揺れている。しかしどうしてそれが皆を避けて壁にあるのか……。明らかに途中、何かにぶつかり弾き返されたような音を四人は聞いた。
 皆が不思議に思う中、ただともえ一人が自分の両手を見つめ目をぱちくりさせている。
「それだけかの?」
 羅火が遠くで挑発するかのよう言えば、次は注射器が飛んでくる。実に看護婦らしい攻撃法だろう。ただし仮にも元・看護婦。職業道具を武器にするのは如何なものかと疑問に思うが、よくも考えればニュースの中で看護婦が注射器を使い殺しなど見た覚えもある。まぁ、そんなもんなのだろう……。
 しかし、次々と飛んでくるメスや注射や点滴針は、時折四人の服を切り裂き頬を掠め。大怪我さえ無いが、幾つかの掠り傷を負い始める。
 そんな中でもたくましく生きているのは穂積だった。飛び交うメスと注射器の嵐の中、此処まで守りきってきた今川焼きの袋を開けると、忠雄にはカロリーメイトとセットで勿論のこと、ウラとともえに「どうぞ」と今川焼きを手渡す。途中、手渡し途中のそれに点滴針が刺さったときは心底驚いたが……。
 全ての攻撃を避けていた羅火だが、やがて後ろに被害が出てきていることを察知してくれたのだろう。少し振り返るなり地を蹴った。元々さほど距離の無かった二人。それが恐らく目と鼻の先まで迫るが、四人からは正確な遠距離感が掴めない。
 そのまま唐突に彼女の頭上を飛び越え後ろに回った羅火は、そのまま彼女の首に片手を回し締め上げた。
「しかしぬし、何時までも塩揉みして成仏せんつもりか? ぬしの強い恨みみたいなもんが晴れんと困るんじゃがの」
「…くっ……っぁ、なたには関係な、い……」
 首を絞められ、挙句羅火に体を持ち上げられ始め。看護婦の足は地を離れ、ばたついた。
「わしはよくても、この病院には大勢の成仏できん輩がおる。恐らくぬしは無意識に全員を縛っとるんじゃ。ちいと気になる輩も居ての、皆揃って大人しく成仏してくれんかのう?」
 言いながら羅火は、首を絞めていたのとは逆の掌を開く。その中にはいつの間にか白い粒子――塩、一握りがある。
「遺骨は後で誰かに葬りを願おう。勿論、二人揃ってじゃ」
「でもっ、成仏しても…彼と結ばれるわけじゃっ、ない……ならば、此処で‥揉んで……いたい」
 その考えは十八年間変えようの無かったもの。
 しかし会話を聞いていたウラは不意に思い立ち、メスや注射の散乱する場所から立ち上がり二人の下へと歩み寄った。
「――なら、コレを使えばいいわ。塩の代わり、特別にあげる。だから消えなさい? もう此処に用は無い筈だわ」
 それはあの時渡された媚薬である。こんなものが役に立つかどうか半信半疑ではあった。しかしそれを見た看護婦の目の色が変わったのをウラは見て、ニヤリと笑みを浮かべる。
「むっ!?」
 終いには締め付ける羅火の腕の中からするりと逃れ、看護婦はウラの元へと駆け寄って来た。
 今は空っぽになってしまった腕を見つめ頭を振ると、羅火は息を吐くと同時肩を竦める。
「ま、不本意じゃがこれで終わるなら――それもありかのう」
 そう言った彼の背中。近づいた穂積が「お疲れ様」と今川焼きを手渡していた。

    □□□■

 看護婦の消えた部屋。そこには五人と、ただ白骨化した遺体が残る。
 最期、彼女は哀しい笑みをようやく消し、静かに消えていった。羅火は開けてしまった塩の袋をしっかりと縛りながら、ウラにあれは何だったのかと問う会話に耳を傾ける。
 それは途中、自分が出会った薬剤師が役に立つはずだとナツメグから作ってくれた媚薬だと、ウラは言った。あの薬を使い、恋人をあの世で自分の虜にしてしまうのかもしれない。
 揃って一階へと上がり、出口付近。空はいつの間にか朝を知らせる色へと変化していた。闇は消え、光が上る頃。
「もうそんな時間なの!?」
「あ…あたし寮抜け出してきたんでした……」
「うわー、朝練あるのにっ! これじゃ寝れないよ!?」
「帰ったら朝食の準備じゃのお」
 呟きながら、五人揃ってまずは白王社に忠雄を返しに行くことにした。
 途中、桜吹雪舞うその坂道で…‥
ウラは看護婦と医者――恐らく恋人、とあの奇妙な、薬剤師であろう男が並び手を振る姿を見た。
 桜の前に立っていた三人は、やがて天へと昇りゆっくりと消え。
 追ったその先に上る朝日を見て、ウラは小さな笑みを浮かべた。


 ――後日
 病院は取り壊しが決定された。それから数ヵ月後、その地は一度更地となる。
 しかしそれから間もなく、新たな工事が始まり、今そこは…‥

「まさかとは思ったけど即席で作ってくれた媚薬……役に立った。やっぱり人は違えどあそこでは薬を作ってたのね」
 墓前で浮かべた苦笑い。今、此処を目の前にして、何故かいつもの笑いは出てこない。
「でもクローブの使い道はなんだったのか、あたしおまえに聞き忘れちゃった。それがなんだか…気になる」
 特別な哀しみがあるわけではない。しかしどうしてか。ただ、今だけは……

 ざわり…‥
 吹く風があの時と同じよう 長いウラの髪を揺らしていた。


 そこは今 桜の木々に囲まれた墓地となっている――…‥

  〔fin..〕

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 [3427/ウラ・フレンツヒェン/女性/14歳/魔術師見習にして助手]
 [1538/ 人造六面王・羅火 /男性/428歳/何でも屋兼用心棒]
 [4170/  葛城・ともえ  /女性/16歳/高校生]
 [4188/  葉室・穂積   /男性/17歳/高校生]

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■         ライター通信          ■
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 お疲れ様でした! 長々となりましたが、何処かしらお楽しみいただけていれば幸いです。
 ご挨拶が遅れましたが亀ライターの李月です。この度は足りない調味料、ご参加ありがとうございました。
 今回2部隊進行となりましたこのお話。後に来られましたこちらの四人はプレイングや能力より少々戦闘寄りになりました。突っ込んでいったのは羅火さん、実はサポート(バリア)でともえさんとなってます。少々掠り傷や人によっては怪我を負っていますが、すぐ直るものですのでご安心ください!
 共通部分もお一人お一人にあわせ出来るだけ変化させてあります。個別部分がかなり多くなってしまい、得ている情報に大差はありませんが、それぞれ色々な物語で進行しました。時間のお許しする限り、他のと併せお楽しみ頂ければ幸いです。
 と、極力注意していますが、誤字脱字、説明違い等ありましたら申し訳ありません。気になりましたらお知らせください。

【ウラ・フレンツヒェンさま】
 初めまして! ご参加ありがとうございました。可愛い女の子なのに設定が意外で、とても楽しく書かせて頂きました。が、口調や行動、考え方などコレは全然違う!というのがありましたら、遠慮なくご指摘やリテイクをどうぞ。
 そしてお持ちになった調味料を調べたところ、色々面白い答えが出てきまして。結果的に違う方向での解決策が出てきたこと、嬉しく思いました。どうもありがとうございます。

 それでは又のご縁がありましたら…‥
 李月蒼