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一泊二日三途の川旅行
雫が自分のホームページの掲示板を見て久々にあごを外した。いくら端末ごとに敷居があっても、さすがにこの姿を他のお客様に披露するみっともない。右手に少し力を込め、勢いよく口を塞いだ。しかしワンクリックするたびに呆れ、またゆっくりと口が開いてくる……いったいこれは何の冗談なんだろう。ウソや冗談の類にしてはその辺が強調されておらず、そういう意味ではパンチが弱い。でも真実だと仮定して読むと、どうにも納得できない部分がいくらも出る。ウソか本当かを確かめるためには、情報提供者とアクセスを取って話を聞く以外にない。雫は正直、この件に関してはあまり乗り気ではなかった。ところが彼女のサガがこのネタを放置することを許さない。この謎の真相を知りたくて知りたくてたまらないのだ。彼女はそんな衝動だけで指を動かす。そしてメールの題名を打ちこんだ。『一泊二日三途の川旅行の噂について』と……
透き通るような空の元、10人乗りの小型バスを丁寧に洗っているのは専属運転手の二本松だ。水仕事をしているというのにしっかりと制服を着て、その上から黄色いカッパを羽織って作業している。彼は鼻歌混じりに長いホースを巧みに操り、日課になっているバスの洗車中だ。見えるところは隅々まで洗い、後で専用のワイパーで残った水滴を落とす。二本松の一日の始まりはいつもここから始まる。彼がお客さんを乗せて『目的地』にいる時以外は、であるが。
そんな彼の元へ、とことこと背の低いバスガイドがやってきた。彼女は新米ガイドの清海ちゃん。たったひとりしかいない先輩からの指導を受けながら事務もこなすガッツのある女の子である。そんな彼女が笑顔で一枚のプリントを広げながらかわいい声で叫んだ。
「じゃ〜んっ! 一泊二日三途の川ツアーにご予約が入りました〜っ!」
「おおっ、そりゃ吉報だねぇ。こりゃいかん。バスの整備や掃除もしとかないとな……で、いつのご出発?」
「今度の土日で〜す。でも予約した人、ずいぶん若いみたい。電話の声を聞いたら幼い感じしたよ。」
「最近は若い人にも人気なのかな。じゃあ『三途の川リゾートホテル』にも連絡だけ入れとかないとさ。」
「でもあそこ、今まで一度も満室になったことないですよぉ〜?」
「そうしとかないと、またお局様に怒られるよ〜。ほらほら清海ちゃんも準備しないと。」
なんと彼らが噂の『三途の川旅行』を企画している旅行社の人間のようだ。いや、彼らが本当に人間かどうかはわからない。とにかく二本松と清海はお越しになるお客様のためにできる限りの準備をしようと運行の日までがんばった。特にいつもと違うことをするわけではない。二本松はバスの中も外もピカピカにし、清海はささやかなページ数ではあるが旅のしおりなるものを作っていた。彼らは本気である。本当にお客様をあの世に行かせようとしているのだ。そんなふたりから悪意などというものは微塵も感じられない。お客様に旅行を楽しんでもらうためだけに、彼らは仕事をせっせとこなすのであった。
一方の雫は何とも言えない不安に駆られていた。三途の川リゾートの予約を取ったはいいが、これが片道キップだと困る。行ったらちゃんと帰ってこれる保証がどこにもないのが怖いのだ。このカキコだってそう。本当はあの世から実行されてるかもしれない。可能性はなきにしもあらず……そんな時、彼女の脳裏に便利な言葉が浮かんだ。昔の人はいいことを言った。『旅は道連れ、世は情け』と。彼女は当事者に話を聞く時とは明らかに違う強さでキーボードに触れる。その震える指から彼女らしさを想像することはできない。顔もかなり引きつっている。口元も怪しげな感じに開いていた。
「そ、そうよね。道連れは必要よね。なんか不安になるくらいの激安ツアーだけど、みんな掲示板でこんなに盛り上がってるんだからある程度の興味はあるはずよ。それになんかあったら生き返らせてくれるような人を一緒に連れていけばいいのよ。そうよ、それでいいんじゃない。だいたい三途の川でビーチバレーや水泳ができるなんて触れこみがおかしいのよ。どうせまがいものよ、それっぽい場所を三途の川に見立てた新型リゾートなんだわ。ふっ、ふんだ。そ、そんなのだったら訴えてやるんだからっ!」
なぜか雫は独り言を言い続けながら両目にいっぱい涙をためて、決死の思いで閲覧者に向けてのお誘い文章を書いていた。その端々から彼女の必死さがにじみ出ている。彼女の頭の中には『生きるか死ぬか』しかないのかもしれない。激安ツアー『一泊二日三途の川旅行』の真相とはいったい何なのだろうか。
雫が指定した出発日は少し肌寒くはあるものの、澄んだ空に新緑がよく映えるさわやかな朝となった。逆にそれが雫の気持ちを真っ暗どんよりさせるのはなぜだろう。「この空を拝むのも今日で最後ね」と恨めしそうに空を見つめる彼女の隣には、じと〜っとした視線で見下す切れ目の美人がいた。彼女はいつもの赤いスーツに大きなボストンバッグを持っている。どうやら三途の川に行く旅人のひとりらしい。彼女は早くも賑わいつつあるバスの中を見て、なんとか声を絞り出した。
「あのさ、雫ちゃん。こんなに参加する人がいるのなら、別に私がこなくてもよかったんじゃないかしら?」
「だって……あの時はそんな余裕なんてなかったし。シュラインさんなら怪奇探偵の助手だから大丈夫かなって。」
「だからって、あんたね。何の前触れもなく聞いたこともない旅行社からダイレクトメールが来て『三途の川リゾートにご招待!』なんて書かれてるのを読まされる私の気持ちになりなさいよ。しかも雇用者から『骨休めに行ってこい』って言われたのよ。命令形よ、命令形。きっとあの人、三途の川ってその辺の観光地と勘違いしてるのよ!」
雫が必死の思いで探した道連れとは、どうやらシュライン・エマのことらしい。普段から親交のある興信所に連絡が行くようわざわざ旅行社に働きかけ、いかにもお得な旅行があるかのごとく書かれたダイレクトメールを送らせたのだ。それは所長や妹の目に入り、偶然にも事務員に対して最近ぜんぜん福利厚生に気を遣っていないことを思い出させた。そしてそんな気持ちのままシュラインに手紙を渡し、「ここに行ってこい」と勧められたというわけだ。言う方も言う方なら、仕掛けた方も仕掛けた方である。本来ならさすがの彼女もどっかん大噴火ではあるが、雫の脅えた目を見ているとなぜか何も言えなくなってしまう。主催者が泣きそうになっているところに追い討ちをかけるのはさすがに心苦しい。とりあえず怒りの矛先を雫に向けるのはやめ、旅行の内容を改めて確認することにした。ちなみにこの確認はすでに4回目を数える。
「ホント〜〜〜〜〜に、片道切符じゃないんでしょうね?」
「って、ガイドの清海ちゃんは言ってるけど……」
「だったらもうどーんと構えましょうよ。せっかくの旅行なんだしさ。みんなもノリノリでバスに乗りこんでるしね。でも……みんな若い身空でよくこんなとこに行きたがるのね。センスを疑うわ。」
ネットカフェからそれほど遠くない路肩に小型バスが駐車していた。これに乗って三途の川に行くのだ。もうすでに多くのお客が出発を今か今かと待ちわびている。そう、まだ乗っていないのはシュラインと雫だけなのだ。特に雫はバスに乗る根性が出ないらしく、足から地面に根が生えたかように動かない。それで時間を食っているのだ。中からはさまざまな励ましがあったものの、未だに彼女の足はぴくりとも動かない。特に鈴森 鎮が乗り口で軽快な歌声を響かせたのがよくなかったようだ。本人はいたって元気だが。
『そんなこと気にしないで早く乗ったら〜? おーっちっていっきまっしょー、じご……♪』
『言わないでっ、露骨に簡単にそんなこと言わないでっ!』
他にも本当に三途の川に行くとは思っていない銀野 らせんの能天気な説得や、行く気まんまんの秋山 悠の気合いのこもった言葉を聞いたが、雫にしてみればどれも決め手に欠ける。逆にアイン・ダーウンはバスに乗りこむ前、雫に淡々と生と死に関して自己の経験を織り交ぜながらうつむき加減で話していたのでそっちの方がインパクトが強烈だったようだ。リンスター財閥に従事している笑顔がかわいいマリオン・バーガンディはらせんと同じく「お気軽に三途の川が渡れるのはいいですね〜」などと言っている。本人は渡る気などさらさらないのだが、このバスに乗ったらその場のノリで行ってしまう……いやいや逝ってしまう可能性は限りなく高い。しかもその中には鎮と同じような子どもも含まれている。民主主義とはいわゆる数の暴力。どうなるかわかったものではない。雫の頭はいよいよ大混乱という時に、バスガイドの清海から声をかけられた。
「あのぉ、バスの中で点呼したんですけど……不動 修羅さんっていらっしゃいませんか?」
「えっ? 乗ってないの私たちだけだと思うけど……」
「ご出発の時間もかーなり過ぎてるんで、そろそろ行きましょうね!」
「行く根性があったらとっくの昔に乗ってるわよ!!」
足元の荷物を蹴飛ばさん勢いで言い放つ雫。まだ恐怖が心を支配しているらしい。そんなヘタレた彼女に見切りをつけたのか、シュラインは嘆息しながらトランクで待機していた運転手の二本松にバッグを預けると清海の横を通ってさっさとバスに入ってしまった。ついにひとりぼっちになってしまった雫はすがる思いで清海に哀れな視線でよくわからない何かを訴えかける。しかし、返ってきたのは小悪魔的な笑みと残酷な言葉だった。
「あっ。早く出発しないとこっちに戻ってくる時間がなくなるかも……」
「わかったわよ! 行けばいいんでしょ、行けばっ! ほら、運ちゃん荷物っ! はい、どいてどいて!」
ごねるお客を早く乗せるテクを持っていた清海の勝ちだ。雫は目を潤ませながらもヤケクソ気味に動いた。そしてバスの中に入ると、そこはすでに賑やかな空間になっていた。ゆったりとした椅子に圧迫感を与えない適度な広さ。決して華美ではない証明器具。自己主張しない彼らもその雰囲気作りに一役買っているのだろう。雫は子どもふたりが仲良くいる横に座って、どういう経緯で参加したのかを聞き出そうとした。無事に帰った後にレポートを書くためだろうか。それとももっと別の理由があるのだろうか。
「ねぇねぇ。君たちはなんで三途の川に行くの?」
「みあお、河川敷でキャンプとか温泉とかで遊ぶの〜。トランクにちっちゃな釣り竿とか用意してるよ。」
「河川敷……ねぇ。」
銀色の髪と瞳を輝かせながら元気いっぱいに話すのは海原 みあおだ。どうやら三途の川を死後の世界だと思ってないらしい。なんてお気楽極楽なのだろうかと、雫は思わず尊敬の眼差しで彼女を見た。その隣にいるのも同じくらい小柄なお子様だ。おかっぱに黒ローブ姿、胸にはかなり大きな金色の懐中時計をぶら下げている。見た目は死神にも見えなくもない。雫は『本当に客か』と疑ったほどだ。みあおの隣でおしとやかに座っているので、彼女と同じ接し方で話しかけてみた。
「あなた……お名前は?」
「あたしはつゆき やえでぇす!」
「みあおちゃんもそうだけど、若い身空でかわいそうに……」
「あら雫ちゃん、騙されちゃダメよ。八重ちゃんは今年で910歳なの。よくうちに来てる常連さん。」
シュラインからのツッコミを聞いて、思わず脊髄反射で矢のように鋭い言葉を発してしまう雫。しかし他人の振りして聞いている誰もが彼女と同じことを思ったはずだ。そして露樹 八重を相手に限りなく不毛なバトルが幕を開けた。
「こんなのサギじゃない! こっちはお子様だから遠慮して話してあげたっていうのにっ!」
「だれがおとしとすがたのちがいがさぎでぇすか! 910さいはまだまだわかいんでぇす! ぷんぷんぷんすかでぇすよ! さっきもがいどさんにほじょせきにすわらされそうになったのでぇす! これもぷんすかでぇすよ! あたしはこうみえてもすてきなれでぃでぇす! れでぃはほじょせきにすわらないのでぇす! だからみあおさんのとなりにすわってりっちにふるまってるのでぇす!」
「そうね……お年だからね。補助席はキツいでしょうね〜。」
「だからさっきからぴちぴちのれでぃだっていってるでぇすよ! おはだもみずをはじくでぇす!」
何気なく発した八重の言葉は心当たりのある人間に苦悶の表情を出させた。そして彼女たちはカミカゼのような早さで胸を抑え、ぐっと何かに耐えるかのように地面を見る。そして何かしらブツブツとつぶやき始めるのだった。おそらくは遠慮のないれでぃへの恨み節だろう。なおこの場で誰が反応したかは敢えて説明しないことにする。
妙な緊張感が漂い始めた中、気分を一新する意味を込めてガイドの清海がマイクを使ってお客様に呼びかけた。いよいよ三途の川に出発するらしい。二本松も運転席に座り、ハンドルに手をかけた。乗り口の自動ドアが閉まり、ゆっくりとバスが進み出す。小気味いいエンジン音が響く中、清海はご挨拶から始めた。
「皆様、本日は一泊二日三途の川旅行にご参加いただきまして誠にありがとうございます〜。明日までのご案内は私が、そして運転は二本松が担当いたします。どうぞよろしくお願いいたします〜。」
お決まりのセリフに一同もお決まりの拍手で応える。清海も「ありがとうございます〜」と返した。
「皆様のお席の前に簡単な旅行の手引きをご用意させて頂きました。車酔いされる方は現地到着後でも結構ですので、一度は目を通して下さいませ〜。でもその前にどうしても先に説明しなくてはならないことがありますのでお聞き下さい。まず、肉体ごと三途の川に行きますので、死ぬということは一切ありません。基本的に身体と魂が一緒になっている物体は霊界の規則に束縛されないというルールがあるんですね〜。三途の川を泳ごうが、たとえ渡ろうが大丈夫で〜す。」
「へぇ〜。ガイドさんはその辺はしっかり説明してくれるんですね。感心しました。」
「でもノリは死にに行く感じじゃない?」
「鎮さんの受け止め方も間違ってはいないと思いますよ。むしろ合ってるような錯覚を受けるほどです。」
マリオンと鎮のように、ガイドの説明にいちいち反応して盛り上がるお客たち。そんな中、悠は旅のしおりを開いてその辺の表記を見つけてはせっせと赤線を引いたり、メモを取ったりと懸命に手と目と耳と脳を動かしていた。どうやら彼女は目的があって三途の川に行くらしい。その姿は鬼気迫るものがあった……行くところが三途の川だけに。そしてパッと手を上げて、ガイドさんにある質問した。
「はい、ガイドさんに質問っ! あっちにいる有名人に会うっていうことはできるのかしら?」
「そうですね〜。その辺は皆さんのご希望次第ですねぇ。三途の川近くに存在するという秘湯探しや三途の川スイミングの他にも、三途の川を越えて閻魔様と閲覧するなどのオプショナルツアーが用意されておりますので、その中からそれぞれに選んでいただくということに……」
「オッケーですっ! それが聞ければ十分っ! ありがとうございますっ!」
「閻魔様に……謁見できるの?」
「ええ、シュラインさん。明日は日曜日なので公休日なんです〜。」
「悠さんのおかげとはいえ、いいことが聞けたわ。私からもありがとうを言わなきゃね。へぇ……」
何やら意味深なことを言う悠とシュライン。このふたりはすっかりその気になってしまっているようだ。もちろん提示された他の案に食いついた参加者もいる。あの世のことくらい、何かしら情報を知っているのはごくごく当たり前のことだ。その辺の知識を反映させて楽しもうというのが、アグレッシブな今回の参加者たちである。
彼らを乗せたバスはしばらくの間は東京の街中を走っていたが、ガイドの清海が客にカラオケを勧めた。バス旅行のお約束とも言える定番のコースに食いつくお子様たち。差し出された曲リストをみんながそれぞれ手に取ると、また今までとは違った賑やかな雰囲気が広がる。そんな時、バスの四方を覆っているガラスにカーテンがかけられた。そして車内の明かりが徐々に光を放つ。カラオケをするにはちょうどいい状態になってみあおや八重たちもちょっと興奮していた。
最初にマイクを手に取ったのはらせんだ。しかし彼女は番号も何も言わずにいきなり熱く歌い始めた。
「みんな〜、決めるまであたしが歌ってるわよ〜! 邪悪な力、打ち破れ〜! 運命のリズムを、巻き上げろ〜っ! ああ輝く、ああ鋭く〜! 私こそがドリルガール♪」
「それ、何のお歌?」
「えっへん、これドリルガールの歌。作詞と作曲はあたし。」
「さびからはいるおうたもむだにはいってるきあいも、しょうたいふめいのどりるがーるもあらゆるいみですごいでぇすよ。」
「ほらほらそんなこと言ってないで、みんなも早く曲を決めてよ〜。このままだとオンステージになっちゃうじゃな〜い。」
そりゃかなわんとばかりに手を上げて鎮は曲番号を清海に伝えると、ヒートアップしたらせんからマイクをさっと奪った。この辺はさすが鎌鼬、素早い行動には自信がある。そして曲がかかると自分も彼女に負けじと声を張り上げた。ところがその第一声で全員が椅子の上でスベった。
「はぁ〜〜〜ん、トイレが近いのわたくしはっとくりゃあぁっ♪」
「う、う、うわっ……鎮さん、よくこんなマイナーな曲を知ってますねぇ。レディーがいるのに勇気あるなぁ、うんうん。」
「あ、あの、アインさん。この曲はいったい……?」
あんまりにもお下品な歌に戸惑いながら小首を傾げるマリオンに、アインは丁寧に答えた。
「あれは『白い紙』っていう歌ですよ。子どもの間では流行ってるらしくって、俺も少し歌えますよ。」
「あっ紙がないっ、紙がないっ、紙がないっ♪」
らせんや八重は真っ赤にした頬に手を当てて黙って曲を聞いている。シュラインや悠は手引きを読む振りをするという大人な態度でそれとなく聞き過ごしていたが、それでもちょっぴり恥ずかしいようで器用に耳だけ赤く染めていた。これ以降、鎮の宴会部長っぷりには磨きがかかる。他の人がカラオケを歌っている最中にたんまり持ってきたお菓子を振る舞い、アインやマリオンが遠慮すると「俺の菓子が食えねぇのか」と子どもらしからぬ高圧的な態度で接する。もちろん、鎮の態度に眉をひそめる者などいない。ただ次第に『旅に遠慮など必要ない』ということに気づかされた参加者はこれから大いに盛り上がっていくことになった。もちろん雫もその輪の中に入っている。
すっかり普通の旅行気分に浸っている車内のお客たちだったが、カラオケが一段落ついたところでカーテンが開かれた。するとさっきまでとは明らかに違う景色が窓の外を彩っている。バスは舗装された唯一の道をひたすら走る。空は夕暮れ時を思わせるような夕焼け空だった。そこにはなんとも言えぬ寂しさが同居しており、誰の心にも哀愁が漂うのだった。
「もしかして……ここが三途の川付近ってことかしら?」
「こんなに明るいのに太陽ないよー。どうなってるんだろ。」
シュラインの予想もみあおの指摘も実は当たっている。いい感じにみんながカラオケで楽しんでいる間に、バスはさっさと三途の川付近へと移動していたのだ。ただまっすぐ進むバスの向かう先には立派な建物がそびえたっている。あれが宿泊地なのだろう。その奥には地平線の右から左まで、巨大な川が横たわっているように見えた。清海はさっそくマイクを取って観光案内を始める。
「皆さ〜ん、目の前に見えますのが『三途の川リゾートホテル』です〜。そしてその奥にあるのが三途の川。見た目はもう海同然で、向こう岸が俗に言うあの世と呼ばれる場所なんですよ。現実世界で言い伝えられてる事柄も実際にこっちでもあっちでも行われていますので、その辺を確認するのも楽しみのひとつになると思いま〜す。」
「向こうがあの世って……すでにここがあの世なんじゃないの?」
「おおざっぱに言ってしまうと、雫さんのおっしゃる通りですね〜。」
「『ね〜』じゃないわよ! 本当に生きて帰れるんでしょうね!?」
「ご心配なく〜。保険にも入ってますし、万が一の場合でも……」
一抹の不安を無邪気にどんどん膨らませる清海のガイド。そしてそんなことなどぜんぜん気にしない参加者たち。雫はもう呆然とするしかなかった。こうなったら流れに任せようとまで思った。徐々に大きくなっていくリゾートホテルをぼーっと見つめていると、さっそくデジカメのシャッターを切る音を聞こえた。なんとマリオンとみあおが記念撮影をバシバシ撮っているのだ。雫にはこの図太い神経が理解できない。きっと閻魔様も驚くくらい心臓に毛が生えていることだろう。もし何かあったら彼らにすべて任せればいいかと諦めにも似た気持ちが雫の中でだんだんと大きくなっていた。
そんなことを考えているうちにバスはホテルに到着、デフォルメされた鬼の像が両脇に立つ門をくぐって玄関の前で止まった。もちろんここが『三途の川リゾートホテル』だ。しかしその外観がスゴい。都心でもなかなかお目にかかれないほどのグレードを誇る高級ホテルなのだ。思わず悠がかばんの中に手を突っ込んで領収書を確かめた。そしてトランクから荷物を大事そうに下ろしている二本松を捕まえて確認する。
「ちょっとあなた! 本当にこんな金額でここに泊まれるの?!」
「え……ここの相場ってそんなもんですけど……」
「そ、それだったらいいけどさ……あ、それ私のだから持ってくわ。」
「ようこそ、三途の川リゾートホテルへ。お荷物はお部屋までお持ちいたします。」
悠が自分の荷物に手をかけようとした瞬間、5人のボーイが笑顔でそれを制した。そしててきぱきとした動作で荷物をフロントへと運んでいく。小説の取材でもなかなかこんなにいいところに泊まったことはない彼女は逆に戸惑ってしまう。同じようにシュラインも自分で仕事をすることの方が多いので、やってもらうということに関しては少なからず違和感があるようだ。アインやマリオンは場慣れしているのか、それほど驚いていない様子だった。まぁ、たいていこういうことに無頓着なのが子どもというものである。八重や鎮、雫は当然といった態度でボーイの後をついていくし、みあおやらせんは「ありがと!」と言いながら嬉しそうな顔をしていた。
清海の案内でフロントへ通された一行は3階にある特別な部屋のカードキーを持たされた。説明ではその扉を開けると全員がくつろげるレストルームがあり、その奥に個人に用意された寝室があるという。ホテルには大浴場やプライベートビーチ、バーベキューなどありとあらゆる娯楽が用意されているという説明を受けた。まさにいたせりつくせりである。ただここでひとつ、二本松から意外な注意があった。
「えー、今からリゾートをお楽しみになられる皆様の気持ちに水を差すようで悪いですが、この一点だけは心に留めておいて下さい。」
「ほら来たっ。やっぱり死ぬんだわっ……!」
「だから雫さん、死にませんから。実はこの世界は昼や夜といった区別が存在しない場所なのです。遊びに熱心になってしまうと睡眠時間や集合時間を忘れてしまい、お帰りの際に極度の疲労を持って帰って今後の生活に支障をきたす事例が多く見受けられます。せっかくのご旅行でそのようなものをお持ち帰りになるのは当方としても心苦しいですので、どうかこまめに時計を見るようにして下さい。よろしくお願いいたします。」
「えっと、今は夕方の4時ですね。ご夕飯などすべて自由ですので、皆さんのお好みでどうぞ〜。えっと、悠さんとシュラインさんからお聞きしてる閻魔様との面会は明日の朝にしました。しっかり睡眠を取って下さいね。」
「了解。それじゃ先にお食事でもしましょうか。その後でビーチバレーとか河原で遊ぶとか。」
「みあお、バーベキューがいいっ!」
「じゃあそうしましょっか。清海さん、手配の方よろしくお願いしますね。なんか頼む一方って、それはそれで肩が凝るわね〜。」
「こんなときくらいそんなこときにしなくてもいいでぇす。どっかりかまえてたらいいでぇすよ!」
八重が小さな身体で無理に胸を張る。それを見て思わずシュラインが笑った。日々の激務で本格的にリラックスすることも忘れてしまっていたらしい。彼女はこれを境に徹底的に遊ぼうと心に決めたのだった。無論、他のメンバーもそうである。彼らは部屋に向かいながら、この後何をするか相談しあった。
バーベキューの後でみあおは八重を誘って河川敷へ温泉を探しに行くことになった。本当に温泉が見つかった時のことを考えて、ふたりともちゃんと水着を部屋で着ている。レディーが裸でいるところを見られたら一大事だからだ。フロントでバスタオルや桶などを借りて、さっそく河川敷へと繰り出した。
ところが出発前にボーイさんから「温泉を見つけるのは難しいんじゃないかなぁ」と言われた。八重はその言葉にムッとしていたようだが、みあおはそんなことなどまったく気にせずお散歩気分で河原を歩く。さっきのバーベキューではみあおが用意した釣り竿やミニ山菜辞書が大活躍したのでご機嫌様なのだ。この調子で温泉を見つけて、もっと喜んでのんびりゆっくりしたいところ。八重は美容のためにと非常におませな理由で同行した。
ふたりは三途の川を向かいにして右手を進んでいた。その理由は「そちら側ではあの世での作業を行っていないから安全だ」とボーイさんに言われたからである。まぁ誰かがいるところで温泉に入るというのもあんまり気持ちのいいものではないので、ふたりは素直に忠告に従った。左手には果てしなく伸びる三途の川が、右手には白い砂利が一面を覆っている。パッと見ただけではどこに温泉が沸いてるかなどわからない。みあおも八重もきょろきょろしながら歩くが、そう簡単には見つからない。次第に八重からかわいい容姿に似合わない唸り声が聞こえてきた。
「うううう〜〜〜ん、ないでぇすねぇ。」
「まだ歩いて20分くらいだよ。もうちょっとだけ探そうよ。きっとあるから!」
「でももどるのにもおなじくらいのじかんがかかるのでぇす。」
「その時は飛んで帰るから大丈夫だよ。それに夜が来て真っ暗になるわけじゃないし、あのホテルもおっきいし。」
確かにみあおの言う通り、何もない場所に建てられたホテルは絶好の目印になっていた。帰る時に迷うということはなさそうだ。しかし温泉を見つけずして帰るというのはそれはそれで面白くない。諭された八重は素直に言うことを聞き、また前へと歩き出した。ところがどこまで言っても同じ景色でつまらない。さすがのみあおも精神的な疲労がたまってきた。そんな時、八重がその辺にいくらでも転がっている石をひとつ拾い上げる。そしてそれをポーンと向こうへと投げたのだ。
「ううう〜っ、みつからないでぇすよ〜!」
ポチャン♪
「あれ……八重、どこに投げたの?」
「めのまえでぇす。」
「今、ポチャンって音がしたよ……?」
その言葉を合図に走り出すふたり。するとそこには湯気の出ている水たまりがあるではないか! 八重がたまたま投げた石で幸運にも温泉が見つかったのだ。しかも自分たちの身長でも溺れないくらいの高さに保たれている。これには八重自身もビックリした。
「ら、らっきーなのでぇす!」
「ホントだね! じゃあ早く入ろ!」
大急ぎで水着姿になったふたりはそのまま温泉に入る。中はとてもいい温度だ。温泉特有のぬめりのある水が美容にも効きそうである。ふたりはうっとりとした表情で見つめ合う。
「ふぅ〜、いいゆかげんなのでぇす〜♪」
「なんかみあおたち専用だね、このサイズ! 来てよかったな〜♪」
温泉の中から見る景色は格別だ。ふたりの話も自然と弾む。三途の川でゆっくりのんびりをじっくり楽しむみあおと八重だった。
翌日、賽の河原では鎮とみあおが他の子どもたちに混じって石を積んで遊んでいた。本来ならここは遊ぶところではない。親不孝を悔い改める厳粛な場所である。子どもふたりがそこに行くと言うのを偶然聞いたらせんが心配して保護者代わりについていった。しかし伝説とは遠くかけ離れた雰囲気にらせんの調子は狂いっぱなし。鎮やみあおだけでなく、誰も彼も笑顔で石を積んでいるのだ。まるで現実世界にある大きな公園に設置された砂場で遊んでいる子どもたちと大差がない。子どもたちは自分の身長より高く積み上がるとジャンプしたりしてなんとか高く積もうとがんばっていた。
すると突然、らせんの期待に応えるかのように赤鬼さんたちが角の生えた棒を振り回しながら登場した! そして子どもがせっかく積み上げた石をいとも簡単に壊してしまう。ガラガラと音を立てて崩れていく石……そして空しく立ち昇る土煙。らせんは彼らの狼藉を我慢できず、無防備にも煙の中に突進した。だがそれを通り抜ける瞬間、目映いばかりの閃光が放たれる! その中から現れたのはらせんではなく、ドリルガールだった! 変身する場所が見当たらないので、煙を利用して変身したのだ。そして前口上を言いながら右手のドリルで赤鬼をばったばったと倒していく!
「銀の螺旋に勇気を込めて、回れ正義のスパイラル! ドリルガール、不測の事態も難なく見参っ!」
「おね〜ちゃ〜ん、邪魔しないでよ〜。」
「うるさいわね、赤鬼……って、あれ??」
ドリルガールに文句を言ったのは無法をした赤鬼ではなく、なんとここで遊んでいた子どもだった。らせんは目線を下げてその子の主張を黙って聞く。
「ど、どうしたの。何か不満ある?」
「ここは賽の河原アトラクションなの! 積み上げた石を壊しに来る鬼もゲームの一部で、その回りにいれば無視してどこかに行っちゃうルールなの! ガイドに書いてあったでしょ〜?」
「えっ……うっそぉ! これって本当に遊びだったの?!」
「みあお、知ってて来たんだけど……」
「俺も俺も。両親がいるのにあの世に来たから記念にやっとこうと思ってさ。で、なんであんたビキニなの?」
難なく見参が聞いて呆れる。しかもらせんはなぜかビキニ姿でドリルガールになってしまっていた。これには倒れこんだ赤鬼もビックリドッキリ。健全な子どもの遊び場におかしなお色気ムードが漂う。さすがのらせんもこれには参った。変身を解除しようにもすでに砂煙が消えているのだ。こうなったら人気のない所まで逃げるしかない。ところが!
『姉ちゃん、ちょっと事務所で茶〜しばかへんか?』
「な、なんで関西弁なのよ、この赤鬼っ?!」
『ええやないかええやないか〜。』
「よくないわよっ! あんたたちは子どもの相手してなさいよっ!」
「あんたが邪魔しておいてその言い草はないよな〜。いいじゃん、そのままの格好でデートしてくれば。」
「みあお、みんなより高く積むまでがんばる〜♪」
時として子どもは残酷である。らせんを助けることなどに興味はない。今は遊ぶことに、そして記録更新に必死だった。赤鬼につきまとわれるドリルガールことらせんは、仕方なく空を飛んで逃げていくのだった。
「もーーーっ、なんでこうなるのよーーーっ!!」
彼女の叫びが、そして赤鬼の飢えた雄叫びが空しい。そんなふたつの声がオレンジ色の空によく似合っていた。
清海は現実世界に戻ったバスの中でお別れの挨拶をする。乗客10名は無事帰還。雫は何事も起こらなかったので安心したのかほっと胸を撫で下ろした。そして今は三途の川リゾートの思い出で胸をいっぱいにしていた。
「皆様、今回は三途の川旅行をお楽しみ下さいまして誠にありがとうございました〜。少々のトラブルはございましたが、皆さんのご協力もあって滞りなく予定通りのご案内ができましたことを心から感謝しております。またの機会がございましたら、ぜひ当旅行社のお引き立てをよろしくお願いします〜。運転は二本松、ご案内は清海でした〜。」
暖かな拍手がバスの中を響かせた。ウソのようでホントの一泊二日三途の川旅行は無事に全行程を終え、それぞれ家路についた。旅行社からはお土産として名物の『地獄蒸し饅頭』が配られている。きっとそれを開く時、さまざまな思い出が彼らをまたあの世へと連れていくのだろう。決して、悪い意味ではなく。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】
1415/海原・みあお /女性/ 13歳/小学生
1009/露樹・八重 /女性/910歳/時計屋主人兼マスコット
2525/アイン・ダーウン /男性/ 18歳/フリーター
4164/マリオン・バーガンディ /男性/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長
0086/シュライン・エマ /女性/ 26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2592/不動・修羅 /男性/ 17歳/神聖都学園高等部2年生 降霊師
2320/鈴森・鎮 /男性/497歳/鎌鼬参番手
2066/銀野・らせん /女性/ 16歳/高校生(ドリルガール)
3367/秋山・悠 /女性/ 34歳/作家
(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)
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■ ライター通信 ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回はハチャメチャなギャグ作品を書きました!
本当に楽しいいろんなプレイングがあったので、思い切って分岐させてみました。
皆さんの物語の構成は1日目と2日目で変わっていますのでその辺もお楽しみに!
初めてここまで手の込んだシナリオを書きましたが、それぞれはとても面白いです〜。
今回は本当にありがとうございました。あの世の旅、楽しんで下さいませ!
また別の依頼やシチュノベなどでお会いできる日を心から待ってます!
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