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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


【ロスト・キングダム】鵺ノ巻

 はげしい物音に、警備員は思わず身をすくませた。
 夜警の見回りと云ってもそれは儀式のようなもの、彼がこの職についてから、実際に何か問題が起こったことなど一度もなかったのだ。だが……今夜はとうとうその記録が破られたらしい。
「誰かいるのか!?」
 盗人か、それとも、学生が悪ふざけで忍び込んだのだろうか。彼は真夜中の研究棟を走った。懐中電灯の輪の中に、倒れている人影を見つけ、駆け寄る。
「どうしました。……あなた――」
 男は身を起こした。金色の髪に、仕立てのよいスーツの胸に咲いた赤い薔薇。神聖都学園大学の(ある意味)名物教授、河南創士郎のことは、一介の警備員にもよく知られていた。
「こんな時間に、まだいらしたんですか」
 研究棟には、夜を徹してこもっている教授もいないわけではない。だが、河南の様子は、単に研究室に居残っていたというだけではなさそうだった。
「襲われた」
 整った顔を、苦痛にゆがめて、河南は云った。額からひとすじ、血が垂れている。
「きみが来てくれたから賊は逃げたよ。助かった」
「襲われたですって!? 強盗ですか? でも研究棟の中にまで……」
「もしかしたら」
 金髪の教授は、皮肉に唇の端を吊り上げる。
「ボクのファンかもしれないね」

「――と、いうわけなんで、腕の立つ人を何人かよこしてくれない?」
「あのですね、教授」
 八島真は電話口で盛大なため息をついた。
「うちはボディガードの派遣会社じゃありません。『調伏二係』は国益のために……」
「その国民の――それも日本が誇る頭脳のひとりに危機が迫っているんだよ。ボクの払っている国税分くらいは協力してもらいたいもんだね」
「……。襲われる心当たりは」
「ボクの美貌と知性に嫉妬している人間は山ほどいる」
「電話、切ってもいいですね?」
「……相手の顔や姿はよく見えなかったけど、力や素早さは人間ワザじゃなかった。こういうときくらい、友だちらしいことをしてよ」

■狙われた学園

「事情はわかりました」
 ノンフレームの眼鏡の位置を正しながら、怜司は応えた。
「神聖都学園といえば、息子が小学部に通っています」
「おや、そうだったんですか」
 意外なことを聞いたという感じで、八島が片眉を跳ね上げる。
「ですから、河南教授には、将来、息子がお世話になるかもしれないわけですし、お手伝いしたいと思います。それでなくとも、息子の通う学校の敷地に、あやしいものの出入りがあるとあっては」
 いくらなんでも、小学生の彼の息子が、長じて大学教授の河南と接点を持つのはかなり遠い将来だと思うが、親というのはそういう考え方をするものかもしれない。――そんなことを思って、光月羽澄はくす、っと笑いを漏らした。
「ファンにしては過激な扱いだったみたいですね。でも賊は本当に、教授を狙ったのかしら」
「さあて、あの教授の言うことですから……」
「ともかく、調べてみよう」
 そして、ふたりは連れ立って、『二係』を後にしかけたが……
「あ、待って。『彼』も連れて行ってあげてください」
 八島がかれらを呼び止める。黒服・黒眼鏡の宮内庁職員は、腕に小さな猫を抱いていた。……奇妙な模様の猫だ。ちりり、と首の鈴が鳴る。しかも……気のせいか、なにかふてくされたような顔をしているような……。
「言うておくが、取引じゃからの、これは」
 ふいに、猫が喋った。
「羅火さん? 羅火さんですね。異界のホテルでお会いしましたね」
 怜司が言った。それへは、ふん、と鼻を鳴らしただけで、猫の姿の羅火は、
「いいか。この仕事をわしがやったら、例のヤツは……」
 と八島にささやく。
「ええ、お約束通り破棄します。こちらで所持する意味の薄い資料ですからね。しかし、驚きましたよ。最近、資料庫の整理を進めているのですが、ふいに羅火さんのデータがあったものだから。あの研究所――」
「にゃあぅ! けったくそ悪いことを思い出さすな!」
「あ、あいたたた」
 八島の腕に爪を立ててから、ひらり、と猫はそこを飛び降り、とてとてと歩き出す。
「さあ行くぞ。さっさと片付けたい」
「あ、待って。……抱かせてもらってもいい? あら、素敵な首輪」
「む……。こ、これはじゃの……そのぅ……」

 一方、その二人と一匹の目的地、事の発端である神聖都学園大学。
 文学部研究棟と表示のある建物の中の一室に、河南創士郎の研究室はある。
「教授っていろいろと大変なんだね」
 ソファーに腰掛けて、のんきな声を出したのは、霧杜ひびきである。この学園の生徒には違いないが、彼女は高等部だ。
「先生のことは知ってましたよ。有名だもん」
「それは光栄ですね」
「新聞部の友達が、『名物先生特集』で取材した記事も読んだことあるし。あ、今回の話、紹介してくれたのもその友達なんだけど……。先生、家に薔薇の温室があるってホント?」
「ああ、それはボクをとりまくさまざまな伝説のひとつです」
「でも、その薔薇……」
「契約している業者があって、毎日、届けてもらっているだけです」
「そうなんだー」
 ひびきは、目をしばたいた。
「……で、その襲って来たやつのことなんだけど」
 その、彼女の言葉を遮って、ばん、と研究室の扉が開いた。
 ひとりの少女が、そこに立っている。
「亜矢坂9・すばる。只今、到着した」
「やあやあ、亜矢坂9クン、ようこそ」
「すばるで結構」
 外見の年格好はひびきと同じくらいだろうか。どこかの学校の制服を着た、小柄な少女である。だがその顔には表情というものがなく、淡々とした口調で話す様子は機械的だった。
「状況の詳細な説明を請う」
 ちょうどそのとき、『二係』から派遣された一行も、研究室の入口に姿を見せた。
 全員を招じ入れると、いささか狭くなった部屋で、河南は窓を背にした机に坐り、まるでゼミでもはじめるように、話をくりかえすのだった。

「じゃあ、この部屋へと向かう廊下の途中で襲われたのね?」
 羽澄が確認した。
「あとで現場を調べてみないと」
「人間のようだったけど、力や素早さは人間以上だった、って言ったよね?」
 とひびき。
「それってまるで――」
 言いかけた彼女の言葉をまたしても遮ったのは、すばるである。
「証言者の観察は信頼に値する。現場およびさらに詳細な被害状況とも照らし合わせる必要があるが、足音を聞いて逃走した犯人の行動原理、証言から推定される知能レベル・体技能レベルなどを総合し、現状で仮説的に導きうるひとつの結論」
 立ち上がると、備え付けのホワイトボードにつかつかと歩みよる。
 そして彼女は、マジックで大きく、ふたつの文字を書いた。

  さ る

「猿!?」
「あー、でも、ひびきもそう思ったの!」
「しかし、こんなところで野性の猿ということもないだろうし」
 怜司が首を傾げる。
「ふん、決まっておろう」
 彼の膝の上で丸まっていた羅火が、面白くもなさそうに言った。
「普通の猿ではないか、あるいは猿回しがおるのだ」
「……他になにか、気がついたことはありませんでした?」
「そうだね、ボクが気になっているのは、あの音なんだ」
「音?」
「あるいは、あれの声だったのかもしれない。……鳥の声のようにも思えた。でもなにかの合図だったのかも」
 その場面を回想したのか、遠い目をして、河南は言うのだった。

■セキュリティは万全に

 こうして、河南の警備がはじまった。
 河南は、狙われている身であるという自覚が足りていないのか、一同を信頼し切っているのか、行動を普段と変えるつもりはまったくないようだった。

 講議の時間は、羽澄とひびきが、一応、大学生に見えるような服装で教室にまぎれこむ。羽澄はそれとなく教室の面々へと視線を走らせたが、とくにあやしいものは見当たらない。
「半分くらい居眠りしてたね。ずっと喋ってる連中もいたし。河南先生の話、結構、面白かったと思うんだけどなぁ」
「大学生なんてあんなもんですよ。学部生にあんまり厳しくしても仕方ないしね」
「寛容なんですね」
「いやいや、居眠りしてたら答えられっこないテストを出して、点が悪ければ容赦なく落すよ、ボクは」

 研究室にいるあいだは、猫の姿の羅火が、ソファーに寝そべり、眠っているようでいて、かすかな物音にも耳をぴくりと動かしていた。猫の羅火がとても小さかったので、河南のポケットに入りさえした。
 すばるは、黙々と、研究室をはじめ、大学内の彼が立ち入る場所にカメラをセットしていた。
「本日の装備、その1。遠隔操作アイズ。遠隔操作できる小型カメラセット。繋ぎ過ぎによる視点混乱に注意を要するも、警護対象の状況の逐次把握には有効」

 学食で、食事をする時さえも、となりには怜司が坐っていた。
「なんだか懐かしいな。大学だなんて」
 おそろしく安い値段なのにボリューム満点の定食のトレーを前に、怜司は笑った。
「そう? ずっとここにいるとね……退屈そのものの場所だけど」
「退屈なんですか」
「大学の連中はね。象牙の塔のミイラたちだ」
「手厳しいですね」
「正直なだけさ」
 そんなふうに、大学教授の一日は過ぎてゆく。

「やっぱり襲ってくるのは夜なのかなぁ」
 ひびきが言った。今までのところ、なにも起こらないのが拍子抜けしたとでもいうような口振りだった。
 そんなひびきをよそに、羅火は夜に備えようとでも言うのか(いや、そんな理由ではないだろうが)昼寝しているばかりだったし、すばるは淡々と、自分の仕事をしているだけだった。
「ねえ、それ何なの?」
「本日の装備、その2。壷」
「壷……」
「壷」
「…………何のために?」
「計算の結果、必要と判断した。ただし、現状では、一般的には適切な用途は見出せない」
「あ、そ……」

「河南教授って、何を研究されてるんですか」
 羽澄が訊ねた。図書館の、教授と司書しか立ち入れない書庫を、彼女は河南と連れ立って歩いていた。書庫とはいえ図書館であるのを気にして、羽澄は小声だ。
「なんといったらいいかなぁ……。永遠、なんだ」
「はい?」
「羽澄クン。きみ……この世に永遠のもの、ってあると思うかい」
「哲学的ですね……。どういう意味で、永遠と呼ぶかにもよるけれど……」
「即答しないだけ、きみは賢い」
 河南は笑った。
「でも、それが……? たしか、専門は民俗学だと」
「そうだよ。まあ、それは行き掛り上ね。でもすべての学問は、人間とそれをとりまく世界を観察し、記述することを目的にしている。ボクは民俗学的アプローチを専門にしているだけさ」
 色褪せた背表紙を指でなぞり、気にとめた本を抜き出してゆく。
「人はいつだって永遠のものをもとめてしまう。永遠と信じられるものをね。……ボクはそんなものを信じることはできない。でも、それに憧れているのかも」
「……研究のことで、誰かと対立なさっていたということは?」
「さあ。ボクのやっていることは異端だからね」
「誰かが横取りしようなんて思わないかしら」
「それは無理だね。ボクの研究の価値を理解するものは少ない」
「じゃあ、研究を邪魔するような動機のある人たちはいないんですね?」
「どうかな。考えられなくもない」
 河南は、面白がるように言った。
「たとえば……宮内庁さ」
「え――っ」
 意外な言葉に羽澄は目をしばたく。
「で、でも」
「可能性の話だよ」
 はぐらかすように、河南は笑った。

 誰もいない廊下に、怜司が立つ。
 河南が襲われたという地点である。屈みこみ、床に指を這わせた。
「あそこが教授の研究室。距離、およそ5メートルか。敵は研究室のほうからやってきた。……待ち伏せしていた――のか」
 眼鏡をはずした。異形の瞳が、すっと色を変えてゆく。
 彼の目にだけ、廊下を歩く河南の姿が見えた。
 ファイルを小脇に抱え、歩いている。片手で、放り投げてはキャッチするのを繰り返しているのは部屋の鍵か。その歩みが、ふいに止まった。
 ふりかえる。怜司のほうを見たようだが、それはもちろん、現実のことではない。かつてここで起こった過去の光景なのだ。
(……)
 河南の目が見開かれた。何かを見たのだ。しかし、彼がそれほどまでに驚愕する様子を、怜司は初めて目にする。
 次の瞬間、背後から、影が覆いかぶさってくる。
 悲鳴。そして――
(何――?)
 奇怪な声……あるいはなにかの音。
『誰かいるのか!?』
 駆けてくる足音。
『どうしました。……あなた――。こんな時間に、まだいらしたんですか』
『襲われた』
『きみが来てくれたから賊は逃げたよ。助かった』
『襲われたですって!? 強盗ですか? でも研究棟の中にまで……』
『もしかしたら……ボクのファンかもしれないね』
『何言ってらっしゃるんですか……警察に連絡しましょう』
『いや、いい。いいんだ……それより、きみ、あっちから来たなら、誰かを見なかった?』
『いいえ?』
『そう……それならいいのだけど……』
(あの夜、教授は)
 怜司の、異能を発揮して紅に輝く瞳が、すっと細められた。
(誰かを見たんだ。でも……そのことを俺たちには話さなかった)

■鵺の啼く夜は

「やっぱりね、私たちが見張ってるから、敵も出てこれないんだと思うんだ。だから、私たちは遠くから見守るようにしたらどうかな?」
 作戦会議もかねて、夕食を摂ることになった大学近くのファミリーレストランで、ひびきはそう発言した。
「……それ、結局、ボクを囮にするってこと……?」
「いい方法だと思うんだけど」
「同意。膠着状態が予想される中、最善の選択のひとつかと評価できる」
「……」
 黙り込んだ河南に、
「ま、まあ、私たちも気をつけますから」
「ええ、信頼してください」
 羽澄と怜司がなだめるように言った。
「念のために訊いておくがの」
 かばんから顔を見せて、羅火が問う。
「ぬし、本当に襲われたのじゃろうな」
「何だって?」
「それはつまり狂言の可能性を示唆するものか」
「いや、それはないと――」
 怜司はその光景を“視て”いるのだ。だが羅火は、
「どうも、ぬしの周辺には、何の気配もないぞ」
 と食いさがる。
「……あの夜、なにかがいた、それは確かだよ」
「でもそれが何かはわからない」
「ひびきクンまでボクを疑うの?」
「そうじゃないけど……でも、先生、なんだかあんまり恐がってないみたいだし」
「…………」
「教授」
 怜司は訊ねた。
「それは俺も気になってはいました。教授が本当は何を恐れ、何を恐れていないのか」
「面白いことを言うな」
 河南は笑った。
「何を恐れ、何を恐れていないのか……。そうだな……たしかにボク自身もよくわかっていないのかもしれない。…………鵺(ぬえ)って知ってる人、いる?」
「妖怪じゃなかったかしら。キマイラの」
 羽澄が生徒のように答えた。
「そう。平安時代……、京の都の、内裏にあらわれて帝を脅かしたという化け物。猿の上半身に虎の下半身、蛇の尾を持ち、トラツグミの声で啼いたという。……これを『鵺』と呼称したわけだけど、『鵺』というのはトラツグミという鳥の別称でもあるんだ」
「え?」
「つまり、本当は誰も『妖怪の鵺』の姿なんか見ちゃいない。『鵺の声』――ひどく不気味な声で啼くそうだけど、それを聞いて、恐ろしい化け物を想像したに過ぎないのだね。鵺の声を持つ化け物がいたのではなく、鵺の声が化け物の姿や属性を獲得した……順序が逆なんだ」
「…………」
「ボクを脅かす存在があったのではなく、ボクの恐れが、ボクを脅かす何者かを存在させているのかもしれない。気のせいという意味じゃないよ。ボクが恐れることで、かれらはボクの脅威になる……」
 話ながら、河南は自身の思考に没頭してゆくようだった。一同は話の意味をはかりかねて、場を沈黙が支配する。
「まあ、よいが」
 口火を切ったのは、赤毛の猫だ。
「わしはやりあえればいいのじゃ。昼間は退屈でかなわんかったわ」

 そんな次第で、自宅のマンションへと帰る河南の後を、一同は離れて追い掛けることになった。
 しかし、予想に反して、夜道で襲われるようなこともなく、大学教授はマンションの、エントランスの向こうへ消えてゆく。
「先生が住んでるのってココ? お金持ちそう〜。大学教授って儲かるんだね!」
 ひびきが、そんな感想を述べた。
「――!」
 と、すばるが、ぴくりと何かに反応する。
「どうかした?」
「……遭遇。――敵襲!」
「まさか……今度は自宅のほうに待ち伏せしていたのか!」
「本日の装備、その3。ローラーレッグ」
 がしゃん、と音を立てて、すばるの脚から車輪がせりだすのを、一同は見た。
「高起動モードにて対象に接近」
「あ、すばるちゃん、ちょっと待――」
 思わず彼女の腕をとったひびきもろとも、F1もかくやの勢いで、すばるは走った。エントラスのガラスは粉砕され、非常階段を、飛ぶように駆け上がる。
「きゃああああああああ」
 ひびきはロケット並みの速度で爆進する少女にしがみつくしかない。
「標的を確認!」
 河南が、廊下にしりもちをついていた。その傍に立っているのは羅火だ。猫の姿ではない、赤毛をふりみだし、仁王立ちする、がっしりした青年の姿だ。
「羅……羅火クンがかばんの中にいてくれて助かった……」
「ようやく暴れられるわ、腕がなまってしもうたぞ!」
 羅火が吠えた。
 対峙するのは――黒い布を、身体にまきつけ、人相風体を隠した矮小な人影であった。ぎらり、とその両手に、金属の爪を模した武器が見て取れた。
(――ィィィイイイイン!)
 どこかで、なにかが啼くような音が聞こえた。
 敵が、爪をふるう。しかし、羅火は、難なくかわした。
「遅い!」
 鉄拳が反逆する。
 賊もろとも、部屋のドアがはずれて、部屋の中へと飛んでいった。のしのし、と羅火が土足で部屋に敵を追う。
「あー……なんてこった」
 河南が悲鳴じみた声をあげる。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。さあ、先生、怪我はない?」
「な、なんとか……あ?」
「え!?」
 敵は……ひとりではなかった。
 同じ黒装束の、邪悪な爪を持つ影がふたつ、ひびきたちにも躍りかかってきたのである。

■夜半の嵐

「本日の装備、その4。収束ビームアイ!」
 かっ、とすばるの目から、光線が迸った!
 敵影のうち一体を、それが見事にはねとばす。だがもうひとりは――
「ひゃっ!」
 すんでのところで、ひびきがかわした一撃が、壁を削って、そこに爪痕を残した。
「な、なにか、物を出せるもの……そ、そうだ、すばるちゃん、壷を貸して!」
 なぜかすばるが持っていた壷だ。ひびきがそこに手を差し入れる。
「んーと、んーと…………えーい!」
 何もなかったはずの壷の中から、彼女は拳銃を取り出した。
 マンションの廊下に、銃声が響いた。

「待って、夏目さん!」
 羽澄が呼び止める。
「はやく行かないと」
「ええ、でも――」
 それを何と表現すればよかったか。
 言うなれば、風の色が変わった、とでもいおうか。
 月をよぎる雲が流れていく。
 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ――
「うそ。これって」
 羽澄が、空を見上げた。
「……雑司ヶ谷の時と同じ」

「おーーーーーーい」
「おーーーーーーい」
「おーーーーーーい」

「なかなかやるではないか!」
 爪の一撃を受け止めながら、羅火の表情には笑みさえ浮かんでいた。
「身体が温まってきたか……だんだん機敏になりおるの!」
 かれらがぶつかり合うたびに、まきぞえを食って、河南の部屋の家具は粉砕されたし、壁のポップアートは落ち、食器は割れ、クローゼットの服もめちゃめちゃになった。河南自身が、ナマでその光景を見ていないことだけが救いであった。
 だがそんなことに気を回す羅火では、むろん、ない。
 彼は渾身の力で体当たりを食らわすと、体勢を崩した敵をおさえこんだ。体格は羅火が上回っている。
「どうれ、顔でも拝んでやるか!」
 そして敵の顔を覆う黒い布を一気に引き裂く。
「ぬ?」
 あらわれたのは――
 何の変哲もない、青年の……いや、少年とさえ言ってもいい、幼さを残した顔だった。ただその目には燃えるような攻撃の意志が宿っている。
 羅火は見た。
 少年が……その喉元に首輪を嵌めているのを。
「ぬ……ぬし――」
「ガアッ!」
 声にならぬ、かすれたような声を出して、彼は暴れた。そして羅火の身体の下から這い出すと――
(――ォォォォオオオオンンン)

「見て」
 羽澄が示す。
 彼女と怜司は、ベランダのガラスを突き破って飛び出してくる影をみとめた。
 すぐあとから、羅火が出てきて、逃げ去る影に向かって吠えている。
 非常口からも、あとふたつの影が飛び出し、むささびのように闇に身を躍らせた。かれらは、すばるとひびきが相手をしていたものたちだった。 
「今の声……。あの夜も……」
「教授の言うとおり、合図だったのよ。あれで、命じていたんだわ」
「命じる……誰が?」
「かれら」
 不吉な預言を告げるように、羽澄は言った。
「風に乗って……やってくる、かれらよ」



「ちょ、ちょっと、ちょっと!」
 河南がわめいた。
「こ、この絵ね、MoMAから買ったんだよ! この食器だってウェッジウッド……」
「知らぬわ。ともかく、これで仕事は終わりじゃの」
 羅火はにべもなく言った。
 河南はまだ何かをわめき続けていたが、彼は無視した。
 そっと、自分の首輪に触れる。
 ちりり、と鈴が鳴った。

「すごいすごい、すばるちゃんって予測してたんだね。壷が役に立つなんて! 助かったよ、ありがとう!」
「厳密には予測ではない。波動は観測されるまで確定しない。シュレディンガーの猫と同じ」
「猫? 羅火さん……?」
「そうではない。ともかく、任務はこれにて終了とする」
「え……? でも、またあいつらが襲ってくるかもしれないよ、先生は無事だったのだし」
「かれらの目的は、対象の生命ではなかったと推察される」
 そう言って、すばるは河南を指さした。
「…………」
 河南は、壁にぽっかりと開いた穴を、うらめしげに見つめている。
 リトグラフの額の裏に隠されていたスペースだ。埃のあとからして、そこにノート大の何かがあったことがわかる。――いや、正確には、そこにあったものが、持ち去られたことが。
「……ふん、まあいいさ」
 自分に言い聞かせるように、言った。
「ここにあったのは一部だ。本当に重要な資料は別の場所に保管してあるからね……」
「何があったの?」
 ひびきの問いに、河南はにやりと笑って答える。
「この国にあってはならないものの証拠、ってところかな」


(鵺ノ巻・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1282/光月・羽澄/女/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1538/人造六面王・羅火/男/428歳/何でも屋兼用心棒】
【1553/夏目・怜司/男/27歳/開業医】
【2748/亜矢坂9・すばる/女/1歳/日本国文武火学省特務機関特命生徒】
【3022/霧杜・ひびき/女/17歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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大変お待たせいたしました。
『【ロスト・キングダム】鵺ノ巻』をお届けします。
リッキー2号「ロスト・キングダム」の世界へようこそ。
こちらは神聖都学園を通じて垣間見た、本作のプロローグとなります。
そして、後へとつながる情報や伏線が見え隠れしております。

>光月・羽澄さま
いつもありがとうございます。そしてロスト・キングダム第一期ぶん最多出演大感謝です。なので、そのへんもリンクさせていただいて……アトラス編(姑獲鳥)を踏まえた描写にしてみました。

>人造六面王・羅火さま
いつもありがとうございます。敵の「首輪」の正体はナゾですが、もともと予定していた設定だけに羅火さまがいらしていただけたことにどっきりのライターでした。この偶然を活かした展開にしてみました。

>夏目・怜司さま
いつもありがとうございます。怜司さまの能力のおかげで、本作ではまたひとつ、そこまで明かすかどうかは未定だった情報がオープンになっております。

>亜矢坂9・すばるさま
はじめてのご参加ありがとうございます。装備の数々(特に壷)が役に立ちました! ラッキョウもなにか活かしたかったんですけど……。

>霧杜・ひびきさま
はじめてのご参加ありがとうございます。ひびきさまは高等部とはいえ神聖都学園の生徒さんということで、今後も河南教授と接点があるやもしれません。ごらんの通りあやしいヤツですが仲良くしていただけるとうれしいです。

それでは、機会がありましたら、今後ともおつきあいいただければさいわいです。
ご参加ありがとうございました。