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<東京怪談ノベル(シングル)>


汚濁




 陰謀だろうかと、彼女はしきりにいぶかしんだ。
 それに対する心当たりがはっきりとあるのが、なんともいえない。それはともかく、空は澄み渡って青く、その境目の水平線から澄んだ水色が広がっている。太陽を雲が覆い、白い砂浜に一瞬だけ陰りが落ちた。
 頬を焼く初夏の陽光が翳った事に気がつき、彼女は顔を上げる。青い瞳が、空の、海の青さを映してより輝きを増す。同じ色の髪が風に遊ばれて背後に流れた。スカートのプリーツが乱れる。赤のスカーフが揺れた。右手に下げたままの通学鞄が、レジャーな雰囲気の砂浜になんともいえない違和感を落としている。
 海原みなも、十三歳。
 沖縄にて、途方にくれている。





 そもそも、今日は学校が終わった後にアルバイトがあったはずだと、みなもは記憶していた。近くの喫茶店で、ちょっとしたスポット的な仕事だった。巫女さんの衣装でのホール仕事、というみなもにしては普通の仕事であった。そこまでは良かった。
「確か、学校が終って……」
 そのアルバイト先の店長が校門前で待っていた。直ぐ来て欲しいと請われ車に飛び乗ったまでは良かったのだ。
 そして。
 空港からジェットに詰め込まれ、数時間も経たずに沖縄の海に立っているわけである。日焼け止めすら用意できなかった、という微妙にずれた現実問題を直視しながら、みなもは握らされた封筒に目を落とした。
 店長は目を逸らしながら渡してくれた。心配要らないから、としきりに繰り返し、やがて幾度となく謝罪を述べられた。不安を煽るような真似は止めてほしい。
 みなもは溜息一つ。埒のない考えを振り切るように首を横に振った後、辺りを見回して日陰を探した。初夏だというのに、随分と汗ばむ陽気。これくらいでないと、海に潜ろうとは思わないのだろう。平日の砂浜は、人影が少ない。
 閉ざされた売店の前が少しだけ日陰になっている。そこに体を滑り込ませて、封筒を開けた。中にはワープロの非個性的な文字が並んでいて、その内容は彼女の嘆息を誘うに十分過ぎるものだった。
「どうしてこういう事を、何の前置きもなく……」
 どうもこの沖縄で神隠しが起きているらしい。スキューバダイビングに訪れる観光客が次々と消え、警察でもその行方は皆目検討つかないとか。その度に人魚が目撃されていて、その人魚が犯人だという見方が強い。その原因を探って解決をして欲しいというのが、主な内容だ。無駄な美辞麗句が多い為、真意を読み取る為に時間が掛かってしまった。
 神隠しがあるというなら、それを解決するのに否やはない。解決できるかどうかはともかく、尽力する事を厭うような性格ではないのだ。
 しかし、何故事前に相談してくれないのか。みなもは悲しい溜息をもう一度落とし、
「よし」
 と気合を入れなおした。今までの経過はさておき、眼の前の現実に立ち向かうべく、彼女は颯爽と歩き出す。青い瞳が輝きを増した。凛と背筋を伸ばして歩く姿は勇ましい。
 しかし、少し考えれば、自分がしている事に疑問を感じるだろう。そこを考えない所が、彼女の悲しいほどの美徳であった。





 とりあえず、同封されていた地図―――用意周到なことだ―――を開いて目的地へ向かった。ハンカチで汗を拭いながら暫く歩き、岸壁を一つ回りこんだところに、その海岸はあった。潮が引いているので何気なく通れたが、満ち潮になれば海のそこに沈んでしまう。そう言う場所だ。「立入禁止」という黄色のテープが巻かれた赤いポールが、いくつか無造作に置いてある。砂袋が括りつけてあり、流されないように配慮してあった。
 では、ここが目的の神隠しの場所なのだろう。
 早速調査を開始、と彼女は辺りを見回した。神隠しにあったのはスキューバダイビングに来た観光客、インストラクター、捜索に来た警察、興味本位で覗き込んだ地元の学生、とざっくばらんだ。年齢も性別も職業も何一つとして共通点はない。この場所で消えた、という以外は。
 ならばこの場所に原因があるのだろう。が、ざっと見回しただけでは解らない。潜ってみるか、とみなもは覚悟を決めた。ポケットから懐中時計を出して時間を確認する。十七時四十八分。太陽はゆっくりと傾き始めている。早めに終らせないと明日も学校なのに、とそこまで考えてから。
 セーラー服に通学鞄。
 ふと、彼女は自身の恰好に気がつく。冗談でも、海に潜る恰好には見えない。体育でもあれば、体操服に着替えて中に入る事もできただろうに、人生とは無情なものだ。しかも、確か、昨日汗をかいたから、と洗い代えの制服をクリーニングに出した所だった。そのため今日はのりのきっちりと利いた、ぱりっとした制服を身にまとっている。それだけで気分は引き締まるものだが、そのまま海に飛び込もうという気にはならなかった。
 もう一度、そっと辺りを窺う。左右は岸壁で覗き込まねばわからないだろう。見上げると絶壁で、林があるのだろうか、木が茂っているのが見えた。ここは神隠しが起こるという実に曰くつきの場所で、態々足を運ぶ物好きは居ないだろう。
 すとん、とプリーツスカートが砂浜に落ちた。上着もそっと脱いで、それぞれ畳んで鞄へと入れる。少し考えてから、スリップも脱いでおいた。ランジェリー姿であるが、寒さは感じない。白い肌に白い下着で、一見すれば少し早い水着姿であるが、本人は恥ずかしくて仕方がない。鞄を潮が満ちても流されないように高い場所へと固定し、躊躇いもなく砂浜へと足を運んだ、腰に水が当たるようになれば、全身を沈めて潜る。これで、下着姿を見られる心配はなくなった。
 水は冷たい。けれど、浅瀬ならば太陽の光が温かい。目を閉じて、久しぶりの感触に浸る。
 原因を探るべく人魚に合わなくてはならない。そのために姿は人魚の方がいいのだろうと、彼女は漠然と思った。それだけで、気がつけば体は水に順応している。
 尾びれを強く翻し、一息で沖まで出る。光を弾いた鱗が、透明な海の中に青い光を煌めかせた。
『また来たの』
 不意に、声が聞こえた。特殊な音であった。本来音は空気が微細に振動することで伝えられるが、それを海の水でする事は難しい。波があり様々な生き物が常に水を揺らめかせているからだ。それが出来るのは、人魚などの海を住処とするものだけだ。
 顔を上げる。
 息を呑むほどに、美しい景色。
 透き通るような蜂蜜色の髪が、淡いウェーブを描いて水中を漂っていた。そして、アメジストを思わせる紫の瞳が、陽光を含んで輝く。鱗の一枚ずつが宝石になるに違いない、と思わせる下半身を、そっと岸壁に下ろして座っている。しゃんと背筋を伸ばしている姿は、気品を感じずに入られなかった。
 彼女こそが、アンデルセンで語られる『人魚姫』に違いない。そう、闇雲に信じてしまいたくなる姿。
 赤、緑、紫、と様々な色の珊瑚が彩を添える。そこを取り巻くように、おもねるように、原色の魚たちが泳ぐ。
 みなもの純然たる青と、鋭さを含んだ紫のそれが、はっきりとかち合った。
『最近の人間は、人魚を真似る事すらできるのね』
 ふわ、とその人魚は微笑んだ。カスミソウのような、淡い気配。
『あの、あたし、海原みなもと申します』
 目礼して、みなもは名乗った。どんな相手であろうと、礼を忘れる事をしない。相手は目顔だけで、彼女の話を促す。名乗り返してくれることはなかったが、みなもは自分の方こそが彼女のテリトリーを侵した事を自覚していたので、余計な事は言わない。
『この辺りで神隠しが起こっていると聞いて、調査に来ました。あなたは何か知っていますか?』
 率直に訪ねる。余計な小細工は必要なかった。
『えぇ。わたくしがしたのよ』
 また、ふわ、と笑う。アメジストの瞳だけ、刃のような鋭さを秘めたまま。
『何故、ですか?』
『珊瑚礁を滅ぼした人間たちに、責任を取ってもらっただけ』
 見ほれるほどに優雅ないでたちで、人魚はくすくすと笑みを漏らす。あっけないほどに、彼女の調査は終ってしまった。しかし、問題の解決は酷く困難そうだ。
『その人たちは、今どこに?』
 人魚は笑ったまま、すい、と舞台挨拶でもするみたいに、手を広げた。つられて、みなもは辺りに視線をやり、絶句する。
 辺りの色とりどりの珊瑚礁は、人間の形に、見えないか?
 本来、珊瑚礁とは小さな珊瑚の―――時には小さくない珊瑚もあるが―――集合体である。様々な種類の珊瑚たちが群れて出来たものだ。そこに魚たちが住み着き、一つの集落のように海を彩っている。そこに。明らかに大きすぎる骨格を持った珊瑚が点在していた。
 何か救いを求めるように、空に手を伸ばした姿のクダサンゴ。おびえるように全身を丸めた姿のナガレハナサンゴ。そのほか幾つも、人の形をした珊瑚がある。それほどまでに大きく育つには、かなりの年月を要するはずだ。そのはずなのに。
『これは……』
 何か言おうとし、みなもは言葉がでない事に気がつく。何を、どういえばいいのか。
 アメジストの瞳をした人魚は、ただ、くすくすと笑うだけ。
『人を、珊瑚に変えたのですか……』
 聞くまでもなかった。人を珊瑚に変える、そんな力があるはずがない。少なくとも、みなもにはない。では、この目の前に居る人魚は。
『純血種…』
 人魚の血族。その血を濃く継ぐものは、人間たちの想像を絶する力を有すると聞いた事が会った。その力を、こんな形で見せ付けられる事になるとは思わなかったが。
『そう、呼ばれた事もあったわ』
 一瞬、その瞳のアメジストが、微かに曇る。けれど、直ぐにまた、刃のごとき鋭さが宿った。それで切り裂くように、人魚は真っ直ぐにみなもを見る。
『なぜ、こんな事を』
『言ったでしょう? 責任を、取ってもらっただけ。わたくしの大事な珊瑚礁を傷つけるだけでは飽き足らず、滅ぼし、保護と称して閉じ込める……っ! 返しなさいっ!!!』
 突然彼女は怒号した。
 波立つような声で、辺りから一斉に小魚が消える。みなもは一瞬体を竦めてから、きっ、と彼女を睨み据えた。
『返してっ! わたくしたちの故郷を! もう、何もないのよ! 珊瑚の屍骸と、それに引っ掛かった海草が揺れるだけのあの水底を、元の珊瑚礁にして見せなさいっ!!』
 蜂蜜色の髪をかき乱して、身をもんで眼前の人魚は泣き叫んだ。それは、既に悲鳴であった。
『人間の力は、それほど大きいのでしょう!? 強大な津波も、恐れなくて良いほどにっ!!』
『お、落ち着いてください!』
『落ち着けですって!? 笑わせてくださること!』
 みなもに一瞥くれて、彼女は喉を逸らして笑った。嘲笑った。
『人は誰もが珊瑚礁を滅ぼそうとしているわけではありません! タンカーの座礁で原油が漏れれば、国中の人たちがボランティアで駆けつけてくれます』
 必至で言い募った。
 確かに、珊瑚礁が滅びる原因を作ったのは人間だ。けれど、全ての人間がそうしているわけではない。また、そうしたかったわけでもない。偶然が重なって、そのしわ寄せが珊瑚礁に言ってしまっただけの場合もある。そして、それを改善しようと尽力する人間がいるのだ。
『オニヒトデが大量発生して珊瑚礁を食い荒らそうとしたら、大量の時間と人手を費やして一匹ずつ駆除したりしていました』
 誰もが敵ではないのだと、解ってもらいたかった。アメジストの瞳が、余りに悲しそうで、みなもまで、つられて泣きそうになる。
『人の全てを悪だと決めないでください。一つずつ、解決の方法があるはずです』
 そう、と。
 彼女は落とすように呟いた。
 解ってくれた、とみなもが笑顔を零したその瞬間。
『残念なですわ。人魚の血を引くあなたなら、解ってくださると思ったのに』
 人間くさい。
 彼女は、そう言って。
『待ってください! 話を聞いてくださいっ!!』
 叫んだみなもの眼前に、蜂蜜色が広がる。額に、淡い唇の感触。まるでいとおしむように。
『あなたは綺麗だから、モモイロサンゴがよろしいわね』
 次の瞬間、じわり、と何かがざわめいた。
『な、何? なんですか、これぇ……っ!』
 逃れようと体を捩ったが、尾びれが根でも生えたように、岩に吸い付いてはなれない。そして、つま先から薄紅が広がっていく。
 慌てて手を伸ばして、そこが硬い骨格である事に気がついた。
『や、止めてくださいっ!』
 哀願が口をついてでた。海の底で人知れず別の生き物に変えられる。その恐怖が彼女を鷲掴みにした。しかし、アメジストの瞳をした人魚は、ただ微笑んでいるだけ。先ほどの激昂はなんだったのかと思うくらい、穏やかで淡い笑み。
 陽光を青く弾いていた下半身の全てが、薄紅に染まる。硬質な輝き。動く事は叶わない。
『いや、いやぁ』
 みなもは首を振って身を捩る。涙声が漏れた。自分がどうなるのか、まるで見当もつかないのだ。珊瑚は動物だ。体中に生やした触角でプランクトンや微生物を食べて生活している。
 死ぬ事はない。それは解っている。けれど。
『モモイロサンゴを人間たちは、宝石珊瑚とよぶらしいですわね?』
 何気ない問題提起のように、人魚はたおやかに微笑む。
『これほど大きな珊瑚なら、さぞや多くの装飾品が作れましょう』
 ぞ、と背筋が凍った。
 薄紅の侵食は、ウエストの括れを這い上がってきている。心臓が止まればどうなるのか。意識はどうなるのか、まるで解らないまま。
『いやぁぁぁぁぁぁっ!!』
 絶叫が、喉から迸った。
 手が、腕が動かなくなる。首までが薄紅に染まって。
 ただ、刃のような光を宿した瞳と、淡い微笑が視界に焼きついて。
 やがてみなもの意識は消えた。
 赤、青、緑、紫。点在する彩の中に、本来は深海にしか育たないモモイロサンゴがすっくと姿を現した。物珍しそうに、カクレクマノミがイソギンチャクから顔を出す。その他、色々な原色の魚たちが珍しい珊瑚の周りを回った。
 彼女はただ、笑っていた。





 水面に何かが浮かんでいる。黒い、ボールのようだ。
 この透き通った海には似つかわしくないそれは、遠い沖のほうから一つ、二つと波に運ばれてくる。原油を運ぶタンカーが、使い古した燃料を捨てていた。
 それが、白い砂浜に染みをつけてゆく。






 山が崩されていく。
 木々が切り倒されていく。
 砂を支えられなくなった陸地から、河を伝って赤土が海へと流れ込む。
 その栄養分を得て、オニヒトデが沸き起こった。
 珊瑚だけを食べて命を繋ぐその蹂躙者たちは、動けない獲物ににじり寄る。
 僅か一週間で、そこは命の匂いがしなくなった。






 多くの人魚が珊瑚礁で戯れていた。
 一人は襲ってきた津波を珊瑚礁共々食い止め、命を落とした。
 一人は座礁したタンカーを救うべく尽力し、巻き込まれた。
 一人は観光客に捕らえられ、自ら命を立った。
 一人は濁っていく水に耐えられず発狂し仲間に命を預けた。
 一人は陸に上がり、誇りを捨てた。
 一人はその海を去り、別の海を求めた。
 一人は……
 一人は……
 最後の一人は少女だった。年端も行かない、童女。澄んだアメジストの瞳に、同じ色の尾びれを翻し、蜂蜜色の髪を波に遊ばせながら。
 彼女はこの海と共に生き、共に滅びる事を選んだ。





 不意に、みなもは覚醒した。
 彼女の感覚では、大した時間もたっていないと思われる。水面を見上げると、月明かりがぼんやりと差し込んでくる。感覚が狂わされたようで、何度か首を振って。
 それから、自分が動ける事に気がついた。
『あたし……戻ってる?』
 手を眼の前にかざすと、白い指先が現れた。握ってみると、望むとおりの動きをする。
 何があったのか、と彼女は辺りを見やり、息を呑む。同じように、辺りで珊瑚礁になっていた人たちが急にもがき始めたのだ。突然水の中に放り出されれば、人間には酷な状況といえる。彼らの援助をし、海岸まで運んでから、みなもはまた水の中に引き返した。
『教えて』
 はじめて見た時と同じように岩に腰を下ろした人魚。その蜂蜜色の髪から、泡が立ち上っている。良く見れば、無数の小さな泡が彼女の周りから発生していた。
『まさか……っ!』
 童話の中の人魚は泡となって消える運命だった。
 それが、眼の前で起こっている。
 何か言おうとして、言葉が浮かばない。人を庇う事も、彼女に同情して手助けする事も、今のみなもにはできなかった。どちらの気持ちも、解るのだ。
 より便利に。より高度な文明を。そう言って日夜努力する人がいる。決して、誰かを不幸にしたいわけではなく。一握りの人の笑顔を見るために。
 山を削り、原油を掘り、海を埋め立て、また海岸から砂を取る。そうして世界を汚す事すら、善意で行われている。
 そこで犠牲になっていく人魚を。珊瑚たちを。儚い命を、思いやる事をしないのではない。知らないのだ。そうなる事を、知っていたわけではない。けれど、事実珊瑚礁は消え、海は穢された。
 際限ない汚濁が降り積もる。
 そこに生きていくには、人魚は清らか過ぎる。
 眼の前で、泡になってはじけたその存在。最後の最後まで、淡い微笑と、刃の鋭さを秘めていたアメジストの瞳。
 最後の、言葉を忘れる事はできない。
 泡の弾ける音と同時に、そっとみなもに伝わってきた思いを。どうして忘れる事が出来るだろうか。


『わたくしたちは、どうすれば良かったのかしら?』










 無事に家に辿りついたみなもは、依頼主と電話を交わす時間に恵まれた。
「はい。神隠しにあった人たちはみな、無事でした」
 嬉しそうな笑い声が聞こえ、同じようにみなもも相好を崩した。けれど、晴れやかにはならない。電話をおいた後も、あのアメジストの瞳が頭から離れない。
 やはり、あの海では純血の人魚が生きていくには汚染が進んでいた、ということだった。それは、みなもの結論と同じだったので驚くに値しない。
 ただ、悲しいだけだ。
 誰が、世界をこんな風に汚してしまったのだろう。
 赤土。生活廃水。工業汚水。無酸素。温暖化。様々な要素が、複雑に絡み合って世界に汚濁を降り積もらせていく。
 誰が、ではない。一人一人の生活水準を上げる為に、人々が世界を犠牲にしてきた。電力を補給する為に山を削ってダムを作り、石油が必要だからと海に穴を穿つ。国土を広げる為に埋め立てを進め、その半面で砂が必要だからと砂浜を削り取る。
 人が一時間生活する為だけに、どれくらいの生き物が犠牲になっていくのか。想像もできない。
「あたしに、何が出来るでしょう?」
 そう、問いかけた。
 滅び行く珊瑚礁が何をした。生き物が生きるための酸素を生み出してくれる珊瑚礁。それらは、時に津波の被害すら最小限に食い止めてくれていた。けれど、感謝されることもなく滅ぼされる。一体、何をしたというのだ。
 純血の人魚。彼女たちが生きるには、海は汚された。純血であるがゆえに美しい海でしか生活できず、精神を壊してしまった人魚。
 それは警告であるはずなのだ。やがて、人間たちもそうなる、と。
 このまま世界を破壊していけば、人が住めなくなるのも時間の問題なのだ。ゆえに対策が急がれる。火星の探索もいいだろう。移住計画も悪くない。
 けれど、この母なる星を食いつぶして、反省もしないまま進むなら、どこに移住しても人々は星を食いつぶしていく。
 滅びの道を、進むしかないのだから。
「何が、できるのでしょうか」
 掌を眺めて、彼女は呟く。沖縄の海で出会った人魚。彼女の問いかけ。






『わたくしたちは、どうすれば良かったのかしら?』







 今、できること。
 みなもは立ち上がって、家中の現在使っていないコンセントを抜いた。台所の蛇口をしっかりと閉める。時間は早かったが、早々にパジャマに着替えて消灯した。
 滅びてしまう前に、今、できること。
 とても、小さな事。
 けれど、国中の、世界中の人がそうすれば、必ず救われる命があるはずだ。
 そうなる日が、一日でも早い事を祈って。
 みなもは、青い瞳を閉ざした。


 



『わたくしたちは、どうすれば良かったのかしら?』







 今も、汚濁は降り積もる。



END