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<東京怪談・PCゲームノベル>


商物「夜の衣」

 畳の上に胡座をかき、腕を組んだ藍原和馬は着物を包んだ帖紙を前に思案の表情で固まっていた。
 そうやって既に小一時間が過ぎている。
 それが私室であれ紛う方なき個人の自由であるのだが、如何せん、今のこの場は店舗の帳場、営業妨害以外の何者でもない和馬だが、幸いにして、彼以外に客と思しき姿はない。
 陰陽堂と名を冠する店の主は、和馬と同じく帳場に座し……というよりも、脇息に凭れて長くなり、だらしなく煙管を吹かしている。
 だが、それは暗に和馬を厭うての当てつけではなく、心底暇だからそうしているに過ぎないらしい。それを証拠に、茶だ菓子だ、冷えてはいないか替わりは居るか、と煩わしく感じない距離を保ちつつ気遣いを向けてくる、相手に甘えて心ゆくまで熟考している次第だ。
 悩みの種は前に据えられた帖紙……その中身は黒絹で作られた、単の着物である。
 想い出の風景を夢に見られる、そんな夜着があるといつぞや耳にした風の噂は、その突拍子のなさに鵜呑みにするにはちと大きく、和馬は半信半疑、にしては些か執念が必要な程には明らかでない、件の品を取り扱う店の場所を探し出した。
 和馬を迎えた店主は、噂の真偽を問う彼の求めにあっさりと応じて奥から着物を出してきた……単、と呼ばれるそれ。下着のように和装の一番下の纏う薄い生地の黒は、絹の手触りでさらりと水のような光沢で広げられた。
「何処でお聞きなすったか知らないが、こりゃとんだ耳巧者も居たモンだ」
呉服店のように広く取られた帳場は成る程商いに着物も取り扱う為かと納得する和馬を前に、店主は笑い混じりに扱いに慣れた手付きで、広げた薄衣が自然に作る波を手で払うように伸ばしながら品の曰くを口上する。
「こちらがお求めのその品。寝間に使えば夢に恋しい人と会える、そんな謂れを持ちますが……」
僅かな沈黙に続いて、店主の声がひそりと低められた。
「二度は会おうと思わない。そんなお品で御座います」
 夢に想い出を見る、それだけではないという……片手落ち、というよりもオチまで行き着かずに伝播した噂を責める訳には行かず、さりとて店を探し出す労苦を思い返せば目的の品を入手しないのも面白くない。
 と、思いつつも着物が帖紙に包まれた時点で店主の作業の手を止めてしまった和馬である。
 しかし、いい加減悩んだ時間も長く、それだけ何も買わずに去るのは心苦しくなって来ているのも事実だ。
 和馬はその後ろめたさを足場に踏ん張ると、うん、と大きく頷いた。
「おぅッ、にーさんッ!」
決めた覚悟に勢いを求めた為か、何故かべらんめぇ調である。
「ここらいいトコ包んでくんなッ!」
「あいよ、合点だ」
いなせを狙ってノリもよく、店主は袖を捲り上げる……魚屋の店先のような遣り取りは、薄暗い店内にそぐわない事この上ない。
 けれど勢いはそのままに帖紙を二つに折ってその上から風呂敷で包む店主、作業の手元を見もせずに、和馬に笑みかける。
「丈はぱっと見難はないかと思いますがそこはそれ、寝間着に使う品。細かいコトを気にしてちゃ安眠も出来ないってモンで」
店主は明るい口調で、見立てと共に和馬の胸にポンと軽く風呂敷包みを押しつけた。
「そうそう、大事なコトを忘れるトコだった。この着物はね、裏返して使って下さいましね、あぁ、お代はお使いになってみてそれからで」
立ち上がりかけた両肩を掴まれて、くるんと前後を返され、押されるままに帳場を下りて出口に向かう。
 腰から膝へと高さを変える台に並ぶ様々な商品……ガラスケースに真贋を問いたくなる無頓着さで装飾品の類が並び、妙に古びた本が積まれているかと思えば、駄菓子や子供だましの籤が並ぶ。
 その移り変わりを見るとなし、壁かと思う高さで左右に聳える棚の小さな引き出しに和紙に墨でひとつひとつ、納められた薬種の名を目端に捉えながら行き着いた出入り口にぶつかるまいと真鍮の取っ手を回せば外開きに扉が開いてそのまま外へと押し出される。
「毎度ご贔屓に。またどうぞ」
隙間から愛想良く響いた声を最後に、扉は和馬の背後で音なく閉まった。


「羊がごひゃくろくじゅうさんびき……羊がごひゃくろくじゅうよんひき……」
頭の上まで布団を被った弊害で、はみ出た足先が夜気に冷えるのを擦り合わせて寒さを紛らそうとしながら、和馬はひたすら羊の数を数えていた。
 身を包む黒絹の単衣のしっとりとした生地は吸い付くような肌触りで、程よく体温を止めて心地よい……よく、眠れそうなものだが、一向に訪れぬ眠気に難渋する。
 強く目を瞑りすぎて眉間に皺を寄せていた和馬は、ふと眉を解いた。
「……何やってんだ全く」
時の流れに遠く霞んだ想い出を、夢に求めた所で詮の無い。
 けれど彼方に朧だからこそ、曖昧に見える記憶の端々が手繰れぬもどかしさを寝返りで誤魔化して、和馬は腕を枕に僅か身を縮めて布団の中にどうにか身を収めた。
 想い出の場所、恋しい人。その言葉に想起する、もう存在しない場所や遠くに行ってしまった友人の面影は、和馬が生きた年月に応じて一般の人々が抱くそれよりも圧倒的に多い。
 その全てを見たい訳ではない。
 暖かな闇に包まれて、和馬は一つ息を吐き出した。
 容易く想い出せる、それ等はいい……自らが思い出せない、それ程に遠い記憶が欲しいのだ。
 彼が育った地、9世紀を経て地名も様相も変わり果て、それが何処であったかすら定かでない。ただ其処に、その時代に生きた人々ばかりは変わらず鮮明に覚えているというのに、和馬の思う形を為さずに日々欠けていくような気がする。
 今既に忘却の彼方に去ろうとしているならば……この夢を最後に忘れても仕方がないのではないか。
 そう、半ば諦めの境地で瞼を閉じた和馬は、知らぬ間に深い眠りに落ちていた。


 山並みが濃い緑で高く澄み渡った空を縁取って、秋が近い事を知らせている。
 実りの時期を目前に里は慌ただしさを増し、更に向こうに控えている長い冬への備えに繋がる収穫を一粒たりとて逃すまいと躍起になり出すあたりだ。
 彼は大きな柿の木の太く張りだした枝に腰掛け、足をぶらつかせながら立ち働く人々の姿を見ていた。
「こらァッ!」
放たれた怒声に緊張した瞬間、額に投じられた何かがガインと音を立てて命中し、そのまま地面へと落ちる。
「痛ッてぇぇ……ッ」
咄嗟に受け身を取ったものの、強打した額と打ち付けた背中とにのたうつ彼の前に立った男の、影がかかるのをキッと見上げる。
「痛いじゃねぇかッ! 何すんだよお師さんッ!」
和馬の抗議に壮年の男性はふん、と鼻を鳴らした。
「手伝いさぼって柿泥棒か?」
「盗るにもまだ生ってねぇじゃんか!」
夏に花を散らした柿の木は未だ青々とした葉を茂らせ、何れ赤く熟する実は葉と同じ色合いで、ひっそりとしている。
 師、と呼びかけられた男は木を見上げてん、と首を捻り、己の過ちに気が付くと豪快な笑い声を彼の上に降らせた。
「おぉ、それは悪かったな。しかし、俺ばかりが悪いのではないぞ」
単衣の襟首を抓むようにして立たせ、師はバンバンと彼の背を叩いて土埃を落とす……が、力が強くてかなり痛い。
「そういうのを唐ではな。李下に冠を正さずというのだ。賢人君子は他者に誤解を受けるような真似はせんものだ」
嘘か本当か知れぬ外国の故事を持ち出されても彼には理解出来なかったが、師が自己弁護の末、責任を己に振ったのだけは解って唇を尖らせる。
「いっつも賢人君子で飯は食えねぇっつってんのはお師さんだろ?!」
反論に、けれど師は悪びれず再び笑い声を発した。
「そうとも、仕事をせねば冬を越せない。今年は里中に家を借りる事が出来たからな、お前も精を出して働け」
仕事をさぼっていたのは確かで、そればかりは気まずく彼は軽く肩を竦めた。
「お? 何やら良い着物を着ていると思えばそれは絹ではないか」
身に纏った黒を称して言う師に、彼は自らの胸に手をあてて懸命に弁明する。
「盗んだんじゃねぇぞ?! これはちゃんと俺が……ッ」
この時代、絹は一反でも一財産の価値がある……端働きで日々を凌いでいる身で稼ぎで買ったと言うには難があり、説明に困る彼の頭を大きな掌が撫でた。
「あぁ、困るな困るな。どうせ夢だ、多少道理が通らぬでもよかろうよ」
「って、お師さん、夢だって解ってんならさぼりくらい認めろよ」
言われて彼は納得する。夢は夢だと認識した時点で現在の己も自覚する。
 間違いなく此処は己が生まれた……否、生地は捨てられていた彼を拾って育てた師ですら知らないが、物心ついてから育った場所である。
「お前には夢だが、我々はここで生きているからな」
師はそう笑って彼を促した。
 歩き出した師の隣に並んで立てば、その肩の位置は彼よりも低い。
 そもそも、この頃の日本人は背丈自体さほど大きくはなく、師も一般の標準であった……けれどずば抜けた身体能力を利用しての体術は巧みで、彼は体格の差を持ってしても一度も勝てた試しがない。
 最も彼の負けず嫌いが手伝って、師に挑むは既に日常であり、今では自分ではかなりいい線まで行っている……と思うのだが相変わらずに打ちのめされるのが口惜しい。
 彼の眼差しに気付いてか、見上げる師は目元で笑う。その上漢文をよくし、知識も知恵も里の翁に勝りよく人に頼られる……だというのに根無し草のように山で摂れる食物や里の雑役で生活しているのが不思議だった。
 何処かの貴族であったのだろう、とまことしやかに囁きが人の口の端に上るのもしばしばだったが、支配階級に特有の気配はなく、彼にとって師は何処までも師でしかない。
「もうすぐ冬か」
独り言のように師が呟くが、それに続く言葉はいつも同じで彼は苦笑して先んじた。
「俺を拾ったんだろ? 雪の日に」
台詞を取られた師は、けれど怒りもせずに嬉しそうに笑う。
「おぅ、覚えてたか」
「あんだけ言われりゃ忘れねーよ……」
げんなりとした彼に、師は更に笑みを深めた。
「おぅよ、その年は殊更雪の深い年でなぁ……乳飲み子を拾ったはいいが俺は乳が出ん」
「出たら怖いって……で、赤ん坊産んだばっかのおばちゃんが俺に乳やってくれたんだろ?」
そんな風にして師は……否、里人が皆して親に見捨てられた子を育ててくれたのだ。
 彼は己の僥倖を思う。
 小さく纏まった社会は余所から来た血を、出来の定かでない存在を疎むのが常だ。
 けれど元々異邦人である師を受容れる程に寛容な里人、偶々其処に捨てられた自分、その年の実りの豊かさも手伝って、幸運を重ね重ねて打ち捨てられて然るべきを繋がれた命だ。
 彼の思い出話に花を咲かせていた師は、里の辻で山に向かう方向に足を向けた。
「お師さん、稲刈りに行くんじゃねぇの?」
田へと繋がる方向を指差す彼を振り向き、師は思案の表情を浮かべる。
「そうだな……お前も貴族で言えば元服の年だ。そろそろ違う仕事を覚えても良かろう」
師は時折難しい顔をして仕事に出て行く事がある……後から何処ぞの怪異の解消に師が関わったという噂を風に聞くばかりだが、教えようという仕事がその類である事に彼はすぐ察した。
「何、今日は様子見だが。山の中腹の洞穴が唸るような妙な風鳴りを起こすというのでな」
そう、様子見の筈だったのだ……けれどその場で師は命を落とす。
 存在を禁忌としたか、近隣の誰もが伝え語りにすらせずに忘れられた旧い妖の封印を、時の流れに綻び解けようとしていたそれを、無知な自分が解いてしまった為に。
 解放の喜びを咆吼に代え、躍り出た魔の爪にかかって五体を引き裂かれた師の姿……骨を筋を食いちぎり、血と臓物を啜る魔を前に、果たして自分は逃れたのか倒したのかそれは定かな記憶として残っていない。
「……お師さん」
彼の呼びかけに、師は山に向けようとした足を止めた。
 師を喪ったを機に、彼は里を離れた……以来、その場にその山に近付く事すら恐れて名前も場所も忘れてしまう程に長い時間を経て、漸く己の後悔に気付く。
「今日は止めとこう。明日でも……もっと、もっとさ。俺が強くなって、お師さんに勝てるようになってからでもいいじゃねぇか」
師を護れるようになってから。
 引き止める彼に、師は不思議そうに首を傾げる。
「俺、まだあんたと居たいんだ……居たかったんだ、お師さん」
訴えに師は思案に足を止めたままだったが、そのまま歩を進めた。
 彼の、前にと。
「解った、今日は止しにしとこう」
受容れられた想いに、彼は不覚にも涙ぐんだ。
 それを見咎められまいと、師に抱き付けば宥めるように背を叩かれる。
「どうしたまるで子供みてぇに……」
苦笑に師は続けて名を呼んだ。
「ホラ、俺の息子ならしゃんとしろ、――」
彼が……和馬がとうに忘れてしまった、師が名付けたその名を。


 陰陽堂の帳場に変わらずに……傍目に少々だらしなく、商売に対する意欲に欠けて見える店主は、和馬を前に無精髭の浮いた顎をざらりと撫でた。
「はぁ、そりゃまぁ……ご災難で」
店主がまじまじと見るのは和馬の目の下に浮いた隈。
「使った具合は悪かなかったでしょうに」
「そりゃそうだけどな……」
紛う方なき不眠の症状を視覚に訴えた和馬は店主に詰め寄る。
「なんかこー……もやもやーっとして、布団に入るとそれが気になって眠れねぇんだよ! 仕事の予定とかデートの約束とか、そんな、いやそれ以上に大切なモノを忘れてる気がして気になって気になって!」
切々とした訴えを聞きながら、店主はふんふんと頷
いて煙管に煙草を詰めている……全く正しく他人事として受け止める構えに、和馬が苦情を申し立てようとした矢先に、店主はすいと煙管の先で彼の胸を示した。
「良い夢は見られませんでしたか?」
僅かに笑った目元で、奇妙に深みを帯びた問いが不満を逸らす。
「あぁ、なんか……すっげぇ満足した覚えはあるんだけど」
それを思い出せない事がまた気にかかる。
「仕様がありませんねぇ……ならばその単衣をまたお使いになれば、よく眠られる事請け合いです」
和馬は言われて初めて気付いた風で、自分が小脇に抱えていた風呂敷包みを掲げた。
「……コレ?」
「えぇ、それを正しく……裏返したりせずにお使い下さいまし。あぁそういえばお代をまだ頂いておりませんでしたねぇ……こればかり、頂けますか?」
煙草盆の底の引き出しから取り出した算盤をパチパチと弾き、示す金額に和馬は目を剥く。
「高ぇよ!」
「いえいえ破格でございます……もう一度よく御覧下さいましな。白地とはいえ最高級の絹、お値打ち価格でのご提供ですとも」
和馬の脇からス、と引き抜いた風呂敷を帳場で解く……帖紙の上を一度撫で、開いた中には店内の薄暗さにも柔らかな純白。
「……もうちょっとまからねぇ?」
質の良さは和馬の目にも確かだが、気分、値切らずにいられない。
 けれど品の利点を挙げる店主の強行さと不眠の辛さに負けて、和馬はようよう財布の中身で代価を払うと、睡眠を取り戻そうと急ぎ店を出て行く。
 その背に店主は「またご贔屓に」と声をかけたが、出て行く勢いに任せて閉まった扉に阻まれて届かなかった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1533/藍原・和馬/男性/920歳/フリーター(何でも屋)】

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■         ライター通信          ■
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最近頓にお世話になっており、安堵しきりな闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。
しかし遅くて申し訳ありません……いつも同じ事ばかり申し上げている癖、一向に成長の見られない北斗で御座いますorz
けれども和馬さんの過去話……というか原点を書かせて頂けて楽しぅ御座いました。そして妙な北斗の拘りで育ての方を小さくしてしまいました。だって今の認識で長身っていうと昔の平均から考えたら巨人?! とか常々……思ってまして。変なトコロで融通の利かないヤツで申し訳ない。
少しでも楽しんで頂けたらと切なる願いを胸に、また時が遇う事を祈りつつ。