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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


幸せのSweetBear


[ ACT:1 幸せはチョコレートの香り ]

 マリオン・バーガンディがそれを思い付いた事について、彼を良く知る者ならば特に何も思わず、彼らしいなと納得するだけであろう。
 いや、例えマリオンの嗜好を知らなくても、時期がちょっと外れているかもと思うくらいで、別段驚く程の事ではない。
 問題はその量と大きさにあった。
「……えーっと、随分大量にあるわね」
「はい。たくさん食べたいですから」
 応接用のテーブルに山と詰まれた荷物と満面の笑みを返すマリオンを交互に見つめ、シュライン・エマは数分前の自分の発言を少し軽率だったと反省するのであった。

* * *

 マリオンとシュラインの間で一体どのような会話がなされ、シュラインが何故自分の発言を失言だと思うに至ったのか。それを知るには少々時間を遡らなければならない。
 数週間程前、二人は偶然同じ場所で出会い、一人の人気作家と一箱のチョコレートがもたらした盗難事件に遭遇した。この時既に兆しは見えていたのだ。
 事件そのものは大して苦労する事もなく解決に至ったが、事件のきっかけとなったチョコレートのおかげで、マリオンは眠れない日々を過ごす羽目になったのだ。
 そのチョコレートは普通に暮らしていたら絶対に手に入れる事の出来ない珍しい代物であった。ここで言う『珍しい』というのは、余りにも高価で一般市民には手が出せないとか、一日に作られる数量が限定される為に手に入れるのが困難だとか、そういう類の物ではない。確かに限定品は限定品だったのだが、作った職人は人間ではなく、しかも食べれば有難くない副作用が出てしまう言わば『呪われたチョコレート』だったのだ。
「本当にすっごく辛かったんですよ。絶対美味しいに決まってますもん、あのチョコレート」
 その事件から数日後――つまり本日だが、草間興信所に寄ったマリオンは、シュラインにさも悔しそうに当時の心境を語った。
 マリオンは大のチョコレート好きである。目の前に好物の品――それが例え食せば必ず犠牲を伴う物だったとしても――があるにも関わらず手が出せない苦しみ。あの時は事件の解決の為に冷静を保っていたけれど、心の中では欲求と理性との狭間で葛藤していたのだと言う。更には幻の美味への切ない思いが日に日に募り、恋にも似た胸の苦しさに眠れない日が続いていると、シュラインに向かって切々と訴えたのだ。
 身振り手振りを交えチョコレートへの熱き思いを語るマリオンに、シュラインはこれはもう好物というより中毒に近いわね、と苦笑した。
 事件を追い行動を共にしていた時も、マリオンの言葉や行動の端々から余程チョコレートが好きなのだろうと言う事はかなり感じていたのだが、まさか思い悩んで眠れなくなるほど好物だったとは予想以上である。
「そこでですね、僕は思ったんです。あのチョコレートへの思いを吹っ切るには、あれに変わるチョコレートを作ればいいと」
「チョコレートの無念はチョコレートで晴らそうと言う訳なのね?」
「はい。心にぽっかり開いた穴を埋められるような満足のいくチョコレートを作りたいんです」
 ぐっと力強く両手で拳を握り締め、マリオンは瞳の中に決意の炎を燃やしていた。
「マリオンさんはどんなチョコレートでその穴を埋めようと思ってるの?」
「それなんですけどね、僕、クマさんが好きなんですよ」
「……ク、クマ?」
「はい! それで、クマさんの形でちゃんと中身が詰まったチョコレートがいいのです!」
 マリオンは握り締めていた拳を解き今度は祈るように胸の前で組むと、瞳を輝かせシュラインを見つめた。
「……ええと、それはもしかして私に作って欲しいと言ってたりするのかしら?」
「僕一人では上手く作れるかちょっと自信がないのです。シュラインさんなら料理もお上手だと思いますし、きっと素晴らしいチョコレートが作れるんじゃないかと」
「……まあ、チョコレートも作った事がないわけじゃないけど」
「クマさんチョコレートが食べたいのです! 材料はこちらで全部準備しますから!」
 テーブルの向こうから身を乗り出して期待を込めた視線を送ってくるマリオンに、シュラインは暫し思案する。市販のチョコレートを溶かして固めるだけならば、少し手を加える必要はあるものの、そう難しくはない。クマの形にするのも、型が手に入ればまあ大丈夫だろう。出来上がった暁には、万年腹を空かしている興信所の主とその妹へのおやつとして少しお裾分けして貰ってもいいかもしれない。
 宙を見つめていた視線をマリオンへと戻すと、シュラインは一つ息を吐いた後、笑みを浮かべた。
「仕方ないわね。いいわ、作りましょ」
「わぁ! 有難うございます! 早速必要な物を揃えてきますから待っててくださいね」
 シュラインの返事に顔を輝かせ、マリオンは興信所を後にした。

* * *
 
 そして話は最初に戻る。
 シュラインが承諾するのを知っていたかのように、マリオンは既に車に材料を積んできていたのだった。トランク及び後部座席に積んでいた大量のチョコレートと大量のクマ型を抱えて戻ると、シュラインの表情が僅かに固まった。
「……どうかしましたか?」
「ううん、何でもないわ。ちょっと驚いただけ……」
 マリオンの抱えているチョコレートを全部クマ型にするのに一体どれだけ時間がかかるのかと考えて、マリオンのチョコレートの対する本気を見誤ったと軽く反省するシュラインだが、引き受けたものは仕方がない。
 今日は一日クマさんチョコレート製造マシーンと化す事を決めたシュラインは、マリオンを促し材料を抱えてキッチンへと向かった。


[ ACT:2 そして溢れる幸せのクマ達 ]

 市販のチョコレートを使って型流しチョコを作る場合、ただ湯煎にかけ溶かしただけでは風味も劣るし、上手く固まらない場合がある。そこで行うのがテンパリングと呼ばれる温度調整である。この作業を行う事によってチョコレートの分子が整えられ、滑らかな口当たりが生まれるのだ。
 また、使うチョコレートにも適した物と適さない物がある。普通のお菓子売り場に並ぶ一般的な板チョコでは手作りチョコレートには向かない。製菓材料として売っているクーベルチュールチョコレートを使うのが普通だ。マリオンが用意したのも勿論クーベルチュールチョコレートで、しかも味のバリエーションもしっかりと揃えてきている。
「ミルクにビターにホワイトチョコ、ストロベリーまであるのね」
「色々な味があった方が楽しめますから」
 満面の笑みで答えるマリオンにつられて、シュラインも笑みを浮かべる。心の底からチョコレートを楽しみにしているマリオンを見ていると、何だか自分まで楽しみになってくる。
「それじゃ早速始めましょうか」
 まず第一陣として、シュラインとマリオンはミルクとビターのチョコレートを刻み始めた。細かく刻んだチョコレートをボウルに移し、五十度程のやや熱い湯を張った鍋にボウルを入れ丁寧に溶かしてゆく。全て溶けたら今度は水を張った鍋にボウルを移し、四十五度くらいになった熱いチョコレートをゆっくりかき混ぜながら二十度あたりまで冷ます。そして再び湯煎にかける。この時の湯の温度は四十〜四十五度。こうして最後の湯煎でチョコレートの味に合った温度に調整し、後は型に流し入れて固まれば出来上がりである。
「ミルクチョコは三十度、ビターは三十一度くらいね」
「詳しいんですね、シュラインさん。やっぱりお願いして良かった」
 嬉しそうにチョコレートをかき混ぜているマリオンに笑い返した後、シュラインはキッチンテーブルの上に山と積まれたクマの型にちらりと視線をやり、
「ところであのクマ型、どうしたの?」
「この間の事件の後、特別に作って貰ったんですよ。普通に売ってるのだと小さくて物足りないな、と思って」
「そんなに前から? 用意がいいわね。でも……少し大き過ぎないかしら、あれ……」
「そうですか? あれくらい大きいといつまでも味わえて幸せじゃないですか」
 マリオンの持ってきたクマ型は大・中・小と大きさが三種類あった。しかもどれも市販の型よりかなり大きめだ。一番大きなクマなど三十センチはある。その大きさ一杯にチョコレートを流し込んで作るのだから、それは食べ応えのある物になるだろうと思う。しかもそんな大きなクマ型は一つや二つではない。シュラインがその量と大きさを見て思わず言葉を失ったのも当然と言えよう。
 マリオンにとっては幸せかもしれないが、甘い物が苦手な人間の前に差し出したら数日間は悪夢にうなされるかもしれない、と思いながらシュラインは丁度いい温度に冷めたチョコレートをクマ型に流し込んでいくのであった。

* * *

 冷蔵庫の中の物――殆ど何も入っていなかったのだが――を全て外に出し、その代わりに大量のクマ型を詰め込んでゆく。特別大きいわけではない草間興信所の冷蔵庫はすぐにクマで一杯になった。第一陣のミルクとビターを冷やしている間に、残りのチョコレートのテンパリングを済ませ型に流し込んだはいいものの、流石に興信所の冷蔵庫だけでは詰めきれないので急遽クーラーボックスを用意して残りを冷やす事にした。
 最後の一個をクーラーボックスに仕舞い終えると、シュラインとマリオンは顔を見合わせて笑った。
「後は固まるのを待つだけね。ちょっと時間かかると思うけど」
「はい、楽しみですね」
 チョコレート工場以外でこれほどのチョコレートを溶かして固めた人間は多分いない。ある意味偉業を達成したと言えるのかも知れないが、この先二人の記録を抜こうとする人間もいないだろう。
 全てのチョコレートを捌き切った達成感に酔いしれている二人の耳に、興信所入り口の扉が開かれる音が聞こえてきた。その音の方へ顔を向けると、大量のチョコレートを調理していたおかげでキッチンと言わず興信所内全体に漂う甘い残り香に、外出から戻った興信所の主・草間武彦が思わず叫んでいた。
「うわ、甘っ!」
「おかえりなさい、武彦さん」
「お邪魔してます」
「何だこの甘い匂いは。すっごいチョコレート臭いぞ」
 纏わり付く匂いを払おうと手を振る草間に、
「チョコレート作ってたから当り前よ」
 シュラインがそう答えて笑った。

* * *

 数時間後。冷蔵庫とクーラーボックスから取り出された大量のクマさんチョコレートに、草間は目を丸くしてただその山を凝視していた。
「…………何だこれは」
「だから言ったじゃない。チョコレート作ってたって」
「いやいやいや、それは分かるけどこれはおかしいだろう。この大きさはおかしいって」
「はい、草間さんも一つどうぞ」
「中々美味しいわよ。いつまでたってもなくならないけど」
 三十センチのクマを嬉しそうに齧っていたマリオンが一番小さな十センチのクマを草間に差し出した。その横ではシュラインが二十センチのクマの耳をパキンと折って口に運んでいる。
「で、この大量のチョコレートどうするんだ?」
「大きいのと中くらいのは僕が全部貰っていきますけど、一番小さいのはここに寄付していきますよ」
 そう言うと、マリオンはクマを手にしたまま冷蔵庫を開けて見せた。中には草間が持っているのと同じ十センチサイズのクマがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「チョコレートって長持ちしますし、カロリーも高いから非常食に最適ですよ」
「非常食ね……まあ、食料尽きてたからいいのか……?」
「ここに来たお客さんにも振舞えばいいじゃない」
 ニコニコと満足そうなマリオンの笑顔に、何となく誤魔化されて納得してしまうシュラインと草間であった。


[ 幸せのSweetBear/終 ]