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『春色勝負!』
路上の人々は、既に人垣と呼べるものになっている。
「うわあ、すごおい♪」
「いやあ、たいしたもんだ」
そんな歓声と、拍手を浴びながら彼らは真剣に、炎に向かっていた。
額に汗を滲ませながらも楓・兵衛は通りの向こうを睨みつける。
「‥‥いい加減‥‥諦めたら‥‥どう‥‥だ?」
視線を感じたのだろうか?丹下・虎蔵は顔を上げた。目元から頬に落ちる汗は手甲で拭って‥‥。
「お主こそ‥‥素直に謝れば‥‥許してやっても‥‥」
そこから先の互いの声は、燃え上がる炎の響きに掻き消された。
二人の真剣勝負は未だ果てる事はなく続く。
「チリウインナー焼き三本と、牛串二本ね」
「はっ! 毎度ありがとうでござる」
「つくね八本、あと‥‥やげん三本」
「はい、少々お待ちを!」
並ぶ客を素早い動きで捌いていく、屋台売り上げ対決という真剣勝負は‥‥。
事の元凶というか、諸悪の根源と言おうか、それは確かに彼らのせいではないのだが。
楓兵衛は、今は故あって一週間限定宿無しの身分である。
帰る場所は無く、住む場所も無い。
とにかく例え、一週間であろうと野宿をするにはまだ寒さの残る春四月。
彼はとりあえずの仮住まいを自らの引く串焼き屋台に求めた。
とりあえず、屋根もあれば火もある。自らの食い扶持を稼ぐくらいの力もある。
「‥‥ふう、狭い塒は、身体に響く‥‥」
小さな扉を開けて身体を起こした兵衛は首を右左に動かし‥‥さらにぐるりと回して背筋を伸ばした。
「あやかし荘払いになったとはいえ、店を怠けては嬉璃殿のご不興を買うであろう。とりあえず、しっかりせねば‥‥」
公園の水道で顔を洗うと彼は手早く仕込みを始めた。
彼の串焼き屋台はこう見えてもなかなかの評判なのだ。素材を生かした調理法と、見事に切りそろえられた包丁の技は天下一品と評判も高い。
ひらり
落ちた薄桃の花びらに兵衛は顔を上げた。
「ほほう、公園の桜‥‥五分という所でござるな。ならば今夜は少し多めに仕込んで置いた方が良いかも知れぬ‥‥」
顔を上げて桃色の花、頭を下げて地面の青いシートに茣蓙、目を閉じて風の色を確かめて、彼は悠然と立ち上がった。
「はて、おかしい‥‥?」
兵衛は首を捻った。空は晴れ、風も良し。桜も開いて七分咲き。
公園は賑やかな笑い声と、じなるが如き歌い声、騒ぎ声で溢れている。
なのに何が変なのか?
「おかしい、この人出‥‥もっとお客は来るはずなのに‥‥」
売れ行きが、悪いわけではないが思ったほどの勢いが無い。
今まで準備に手一杯で気が付かなかったが、この手の判断をたがえた事は無いのにと、まだ相当数が残る串刺しの食材を彼は、ひ、ふ‥‥と数える。
火と、眼前の通りから目を話したその時だ。
駆け抜けていく若いOL達。その楽しげな声が兵衛の耳を動かした。
「おつまみ、どうする? ここで買っていこうか?」
「‥‥ねえ‥‥見て! 向こうの焼き鳥屋さん!」
「うわ〜! すごお〜い、‥‥あっちに行こ!」
「焼き鳥‥‥屋?」
言われてみれば、通りの向こうに人だかり。
自分の店からとは違う、炭と炎と、油の匂い‥‥。
(「な‥‥なんと!?」)
「‥‥と、虎蔵‥‥殿?」
そこにあるのは見知った顔。熱々の焼き鳥をお客に差し出す丹下虎蔵の照れたような顔があった。
元々自分にはこのようなことが得意ではないと、虎蔵は自分でよく解っていた。
本来忍びとは影に生き、影に消える者。
人の前に出るものではない。まして接客商売など‥‥。
それでも、あえて彼が屋台を借りてまで、ここにいるのには二つの理由がある。
一つは、彼も同様に宿無しの身であるが為。
自分の身を自分で養い、生活費を稼がなければならない。
もう一つは‥‥
「‥‥貴殿‥‥一体こんなところで何を?」
こいつだ、と虎蔵は心の中で舌を打った。こいつさえ、いなければ‥‥
「勝負だ‥‥楓兵衛!」
「な、何?」
差し出された包丁、いや苦無は真っ直ぐに兵衛の鼻先0.1mmで止まる。
一刀一足の見切りを会得した忍者と侍を周囲のお客達は瞬きもせずに見つめていた。
「我がこのようなことをする羽目になったのも、全ては御方様に邪心表すお主のせい。この恨み晴らさぬ限り、例え所払いが晴れ様とあやかし荘に戻るわけにはいかぬのだ!」
「邪心などとは失敬な! 我が思いに一点の曇りも無いでござる」
「ええい、問答無用! だが、我が身は御方様に捧げた者。私利私欲の戦いなど許されぬ‥‥。故に勝負は屋台の売り上げ勝負。今夜一晩の売り上げが多い方を勝ちとする。負けたらそなた二度と御方様に近づくでないぞ!」
刃は引かれたものの一方的な宣戦布告に兵衛の顔はかたく、声もまたかたい。
「拙者にそのような勝負に乗る義務も無ければ、義理も無い。ここで貴殿が店を構えるというのであれば、拙者は他所へ移るとしよう、さら‥‥」
ば、という最後の声は発せられなかった。挑むような、蔑むような‥‥それら全てを内包した声に‥‥止められた。
「負けるのが怖いのか?」
兵衛の歩みは止まった。
「何?」
「挑戦に背を向けるような臆病者が、御方様に思いを寄せるなど数十万年早いわ!」
「言うか!」
兵衛は右手を上げ、愛刀斬甲剣の柄を掴み踏み込んだ。その動きは閃光のように素早いが、虎蔵は一歩も動かなかった。
今度はさっきと逆の形態になる。虎蔵の鼻先に斬甲剣の切っ先が迫る。
「文句があるというなら勝負を受けるがよかろう」
「望む所でござる。後で後悔してもおそいぞ!」
売り言葉に買い言葉。かくて、勝負の幕は切って落とされた。
勝負はまったくの互角と言ってよかった。
固定客を持つ兵衛がやや有利かと思われたが、どうして虎蔵の焼き鳥も春の花見の友としてなかなかの好評を博す。
実は、それには虎蔵の客寄せパフォーマンスの影響が大きかった。
右手と左手に五本ずつ、半焼きの焼き鳥がまるで苦無のように構えられている。タレを浸して待つこと一秒‥‥
「いざ! 忍法火遁の術!」
炎がゴウ、と音を立てて一気に舞い上がる。屋台の屋根を焦がすほどに上がった炎に向かって投げられた焼き鳥は‥‥数秒後、炎と一緒にコンロの上に落ちた。
飴色の焼き加減と、鼻腔を擽るいい匂いが、日本人の鼻と、腹を誘惑する。
目にも止まらぬ早業の腕で返された焼き鳥は、一本たりとも余すことなく紙袋に詰められ、人々の腹へと移行した。
一方兵衛の方もまた、じわりじわりと即席屋台を追い上げる。
牛串、豚串、カエル串、バリエーションにとんだ品揃えと、的確な技術で焼かれた味は常連客を持つだけの力があった。
一度食べたら病み付きと、二度、三度と足を運ぶ者もいる。
あっちで三本、こっちで五本、向こうで十二本、こっちは十本。
酔っ払いの求めるままに焼き続ける二人の知らぬ間に、シンデレラタイムはとうにすぎ、草木も眠る丑三つ時も彼らは働き続け‥‥やがて‥‥東の空が白みかけた頃。
「‥‥どう‥‥だ‥‥参っ‥‥」
「そっち‥‥こそ‥‥で‥‥ござ‥‥」
バタン!
微かな音が、向こうの屋台と、こっちの屋台、同時に聞こえる。
その音を、聞いたのは桜と風と‥‥微かに揺れる下駄の足音だけだったのではあるが‥‥。
『やれやれ、一晩くらいでへこたれるとは、まだまだおこさまじゃのお‥‥』
チュン、チュチュチュン!
囀る雀の声に、兵衛はガバ! と身体を起こした。
節々が痛いが、昨日の朝とは違う痛み‥‥。
「‥‥拙者は一体‥‥はっ!」
はたと気が付き、カウンターの下を見る。そして無言で彼は膝を付いた。
「し、しまった‥‥」
そこには一円玉一枚たりとも残っていない、買ったばかりのように綺麗な手提げ金庫があった。
昨夜の売り上げが、ほんの数時間前までは溢れていた筈なのに‥‥。
道の向こうにまだ沈黙する屋台が見える。
兵衛は‥‥暫し考えてから道を渡り、うちわを持ったまま台にもたれかかって眠る数分前の自分の肩を揺すった。
「起きよ‥‥起きられよ‥‥」
「‥‥う‥‥ん‥‥はっ! 売り上げが無い。き・貴様! まさか、我が屋台の売り上げを‥‥」
言いかけて虎蔵は止めた。仮にも目の前の男は侍。そこまで卑怯な真似をするはずも無い、と‥‥。
「どうやら、こちらもやられたようでござるな‥‥売り上げも無くなったこと‥‥勝負の決着は、またの機会にするとしよう」
「‥‥仕方あるまい。だが‥‥恨みを忘れたわけではない。御方様には指一本、近づけはせぬぞ!」
苦笑と、憎まれ口を返しながらもその口調はどこか明るい。
二人の男は顔を見合わせ、そして笑った。
古き昔より、死力を尽くしあって戦った漢は友となる。
まだ、友では無いにしろ、一人の女を巡ってのライバル同士であるにしろ、恨みと敵意、それ以外のものが桜の下、二人の間に芽生えたのは確かだった。
明るい若い笑い声が‥‥晴れた青空、満開の桜の下、高く、高く響き渡って消えた。
数日後
「一週間が過ぎましてござる。あやかし荘払いを‥‥どうかお許し頂きたく‥‥」
ベランダに膝を付く兵衛と虎蔵に嬉璃は
「許す」
とは言わなかった。
「なんの事じゃ?」
思いもかけぬ言葉に二人の男は顔を合わせる。そして‥‥あやかし荘の影の主の顔を恐る恐る見上げたのだった。
「先だっての件のお怒りは‥‥」
「先だっての件? なんじゃ? それは? とっとと入るが良かろう。そんな所におられては花見の邪魔じゃ」
気が付けばあやかし荘の庭の桜も満開、風に揺れて散る桜の花びらは、美しい。
確かにここに男の姿は無粋だと、二人は身体をそっとあやかし荘へと持ち上げた。
「そういえば、そなたら学校、とやらはよいのか? 今日は『にゅうがくしき』では無かったのか?」
「「‥‥あ゛‥‥」」
完全に脳内からすっぽり抜けていたことを思い出し、二人はまた顔を見合わせた。
武術を極め、屋台ではあるが一国一城の主でもある彼らだが‥‥まだ小学校一年生なのである。
これでも‥‥。
「まあよい。そなたら、暇だと言うのであれば掃除と茶の準備を手伝うが良い。もうじき『らんどせる』とやらを見せに『ピカピカのしんにゅうせい』がやってくるでな」
「ぴかぴか‥‥の?」
「しんにゅうせい?」
こき使われながら部屋を片付ける二人の耳に、入り口の方から足音が聞こえる。軽く軽快な足音。そして、楽しそうで、嬉しそうな‥‥笑顔。
「嬉璃殿、今日はおごってくれるとな。珍しいの‥‥おや?」
桜を背に、桜色の頬を輝かせ、桜色のランドセルを背負った少女が扉を開ける。
春は爛漫。
人の心もまた爛漫であった。
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