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<東京怪談ノベル(シングル)>


桜花のもとで。


 蓮生は夜空に浮かぶ月を見上げながら一人、物思いに耽っていた。
 月の輝きは不思議に、蓮生を見下ろしている。まるで何かを語りかけるかのように。
「………………」
 今の生活には不自由していないが、窮屈な感じは拭い去れない日々。…一握りでいいから、自分だけの自由な時間が欲しい。
 と願ってしまうようになったのは、以前一人で人界へと足を運んだときから。

 ――穢れた世界。

 天女たちからはそう聞かされていた人界は、自分が思い描いていたモノとは随分とかけ離れていた。失望したわけではない。目に映る世界は――とても魅力的に見えたのだ。
 あの時目に留まった咲き始めの桜は、今もまだ枝を飾っているのだろうか。
 ひとつでも、そう思いを巡らせると、騒ぐのは自分の心の中。
 天女たちは、決して言えないことだ。まして、もう一度人界へと赴いてみたい、などとは…。
 蓮生を主とする彼女たちは、一人ひとりが持ち合わせる愛情すべてを、彼へと注いでいた。幼き主が、可愛くて、愛しくて…いつまでも目に掛けておきたいと。
 蓮生はその愛情の中で、日々積み重なっていく心根の中の感情を、殺すことが出来ずにいた。
 外へと赴くことすら、自由には出来ない日常。
 外気に触れてはいけない。美しいお姿が晒されてはいけない。それはまるで、足枷のように重く重く、蓮生を縛り付ける。
「……そうか」
 そこでひとつ、思いついたこと。
 単純なことほど、気がつくのが遅いときのほうが多い。
 天女たちに見つからなければいい。以前のように、人目を憚り、こっそりと抜け出せば人界へと降りることが出来る。
 考えが纏まってしまえば、後は行動を起こすだけのこと。
 蓮生は腰掛けていた窓辺からひらりと降り、その場を後にした。


 天女たちの目を盗み行動することは、実は容易いことだったりもする。
 心配させてはいけない。
 そんな思いが常にあったからこそ、今までは考えもつかなかった。
 だが、一度降りてしまった人界を見て以来は――そんな思いすら、何処かに吹き飛んでしまった。
 それほど、蓮生にとって人界とは、魅力的だったのだ。
 蓮生の後ろに束ねた金糸が、はらりと空に舞った。
「……これは、賑やかだな…」
 降り立った先は一つの山の中。人目についてはと生い茂る木の中へと身を隠しながらの行動だったのだが、少し先へと視線をやれば、多くの人間たちが集まり花を愛でている。
 季節は春。
 人々は今年も変わりなく咲き誇る桜を楽しむために、この地へと足を運んでいるのだ。俗に言う『お花見』なのだが、それを蓮生が知っているかどうかは、心の中をのぞいてみないことには解らない。
「……………」
 ひらひらと舞う花びらに導かれるように、蓮生は歩みを進めた。
 喧騒の中、目指すのは一番美しく感じ取れる大木。よく見るとそれは、もう老木だった。
 その木の前へとたどり着いた蓮生は、徐に幹へと手を伸ばし、静かに手のひらを置く。そしてゆっくりと桜を見上げて、微笑みかけた。
「……見事な花だな」
 それはまるで語りかけるかのように。
 蓮生の紡いだ言葉は、空気に溶け込みながら老木へと染み込んでいく。するとその老木は一度だけ啼いた。
 人間には見えない。そして聞こえることもない、その『声』。
 蓮生は桜の木の精霊と、会話をしているのだ。
「そうか…お前はずっと、ここで…ヒトを見てきたのだな」
 手のひらから流れ込んでくる、老木が見せる記憶。途方も無いヒトとの触れ合い。それを素直に受け取りながら、蓮生は静かに言葉を投げかけていた。
「……………?」
 心穏やかに、精霊との会話を続けていた蓮生に、突き刺さるような刺激があった。
 それは蓮生に向けられたものではない。まして、攻撃のような類でもなく…。
 ゆっくりと振り向くと、その先には一人の老人が立っていた。そして蓮生が感じ取った『刺激』とは、老人の視線であった。
 酒を飲み交わし、花を愛でているヒトの群れを気難しそうな表情を見つめている。
 それが妙に気になった蓮生は、桜の精に『また後で』と声をかけ、老人へと歩みを進めた。
「―――失礼。何をそんなに…気に病むことがある?」
 蓮生は老人へと、ゆっくりと声をかけた。
 綺麗な白髪を揃えた老人は、蓮生の声にくるり、と瞳を動かす。
 目に留まった少年のその美しさに一瞬表情を固まらせた老人は、それでも眉根を寄せ、深いため息を漏らす。
「……この山は、年々若者に汚されてゆく。儂はそれが許せんのだ」
「……………」
 蓮生は老人の言葉を黙って聴いていた。先ほどの桜の精霊も、『最近は空気が濁ってくるようになった』、と言葉にしていたことを思い出しながら。
「この地の持ち主は…貴方なのか?」
 ほろり、とそう問いかけると、老人は深く頷いた。
 精霊に見せてもらった映像には、毎年この時期になると花見客で賑わい、活気あふれる空間があった。それは蓮生には惹かれるものに見えたが、老人には厭う映像でしか無いらしい。
 確かに、花を愛でるだけならいいが、よく見れば設置されたゴミ箱には飲食物のゴミが溢れ返っている。この美しい山には、到底似合いもしない現実だ。
 蓮生は僅かに視線を動かし、それを理解する。
「……しかし、この見事な桜には罪は無いだろう」
 老人に向き直りながら、蓮生がそう言う。
 すると老人は、蓮生をまじまじと見つめた。彼が本心からそう言っていることに、驚いているのかもしれない。若いのに、珍しいと。
「確かに山が汚されていくのは悲しいことだ。だが…年が巡るたびにこれほどまでに美しい桜を咲かせる木々を…多くのものに見てもらえるというのは、誇りではないか?」
「……お主のような若者が、もっと存在すれば儂の胸のうちも穏やかになると思うのだがな…」
「では、俺が舞をひとさしご覧に入れよう。…見事な桜を見せてもらった礼だ。…それで貴方の内心が晴れるかどうかは解らないが」
 尚も眉間の皺を解こうとしない老人に、蓮生は微笑みながらそう言う。
 そして老人から少し離れ、一本の桜の木の下で、蓮生は姿勢を正し足を揃えた。
 老人は何も言わずに、その蓮生を見つめている。
「…………」
 すぅ、と息を吸い込みながら、蓮生は瞳を閉じた。
 そして天界での天女たちが生み出す音楽を思い浮かべながら、彼はその場で体を動かし始めた。
「………ほぅ」
 その優美な動きに、老人も素直に感心する。
 蓮生がゆっくりと身を回転させる度に、空を舞うのは彼の金糸。それが舞い落ちる桜の花びらと重なり、また綺麗だ。ヒトには真似できる事の無い、美しい舞。
 見るものすべてを魅了してしまうような、それほどの姿。
 蓮生をずっと見つめていた老人に、いつの間にか笑みが戻っていた。
 それを舞いながら感じ取った蓮生もまた、美しく微笑む。
 
 ――人界の魅力をまたひとつ、見つけた。

 蓮生は静かにそう心の中で呟き、空を見上げた。
 夜空には星が綺麗に瞬いている。
 天界にも夜は訪れる。そして今見上げているような星も、見ることは出来る。
 しかし、この人界の魅力というのは、自分の肌で感じ取らない限りは、理解出来ないのだろうと蓮生は思った。
 穢れた部分もあるかもしれない。
 それでも蓮生は、この人界を愛しく思えてしまう。
 そしてもっと、この世界を知りたいと。自分の目で、すべてを感じ取りたいと――。

 そんな思いを馳せながら、蓮生はただ静かに、舞を舞う。
 一人の老人のために。そして、この山を飾る薄桃色の花のために。



 -了-
 

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冷泉院・蓮生さま

初めまして、ライターの桐岬です。この度はご発注有難うございました。
大好きな花、桜を題材にお話を書かせていただき、とても嬉しかったです。
イメージとかけ離れていなければよろしいのですが…。

少しでも楽しんでいただければ、幸いに思います。
今回は本当に有難うございました。

※誤字脱字がありました場合、申し訳ありません。

桐岬 美沖。