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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


希よ、闇を払いのけよ


ぉお、痛や、痛や。ほぅれ、この身が先から欠けて失せてゆくのが見えるかぇ。カ、カカッ。この眼が雫を垂らさぬのが辛いわぃのぅ。
カカ、カカカッ。あんまり痛ぅて、はらわたもよじれるわぃのう。ほうれ、指が全て芥と化したわ。可笑しゅうてはらわたがよじれるわぃのぅ。

 ねっとりとした闇を背景に、妖異がひとりこちらを見据えて笑っている。

カ、カカカッ。カカッ。
 
 女であろうか。あるいは見目美しい男であるのかもしれない。いや、そもそもにして、妖に性の違いなどないのかもしれない。
妖異の乾いた笑い声は、辺り一面に広がる闇に溶けこむように消えていく。
 場所は都の大路であろうか。脇にはいくつもの屍が転がり、物言わぬ昏い眼孔で闇夜を見据えている。
 呪禁師である男は、狂ったように嗤っている妖を毅然と見つめて手を揮った。
 それはかつてないほどの巨悪であった。悪という定義を、改めて心に刻みなおすほどのものであった。
人を殺めることに理由を成さず。喰らうために屠るのではなく。例えるならば、知らず小石を蹴り上げてしまったかのような感覚で。
十指ある内のひとつを動かせば、都中に厄が広がった。ふたつ動かせば、門の外の者達の大半がぼろ布のように命を落とした。
みっつ動かし、帝は闇を畏れて気が触れた。
よっつ動かす前にはこれを滅さねばならぬと、呪禁師は眉をしかめた。かくして長く短い闘いが始まったのだった。

おぉ、痛や、可笑しや。可笑しついでに、この身が確とこの世に在ったのだと、失せる前に遺しておきたいわぃのぅ。
 
 呪禁師が手を揮い挙げて妖にとどめをさそうとした、その刹那、妖異はその紅いあぎとを冥府への入り口たるように広げて嬌声をはりあげた。

「ぉのれ、小童ァ! うぬの血族を永劫祟ってやろうぞぇ! カ、カカッ! この身がうけた辱めと痛みとを、うぬの血を引くすべてのものに与えてやろうぞぇ! カカッ! カカカ!」


 
 高峯弧呂丸は、全身を伝う脂汗を拭いながら上体を起こした。
息があがり、心臓は破裂せんばかりにうねりをあげている。
――――ああ、またあの夢か。
思い、周りの様子を確かめる。そこはいつもと少しも変わらない、弧呂丸の自室だ。
 障子を透いてさしこんでくる薄明は月光のそれではなく、間もなく朝を迎えるのであろう刻を知らせている。
「夜明けか……」
 呟いて数度瞬きを繰り返した後に、額にはりついている黒髪を片手でかきあげる。
じっとりとした汗の感触に、弧呂丸の背がわずかに震えた。
聞こえるはずのない哄笑が、どこからか聞こえてくるような、そんな感覚に捕らわれる。

――――カ、カカッ
 
 薄闇ばかりが視界を埋める。


 高峯の家は呪われている。
 その昔、高峯の祖である高名な呪禁師が対峙した妖異が、消え往く寸前、祖を祟り呪ったというのが、忌わしい呪痕との始まりであったのだという。
 一族の嫡子として生を受けた者の躯に黒い痣が現れる。
それは一点の染みのようであるというのだが、ゆっくりと、時には急速に、その躯を汚染し尽くしていく。そして終いにはその命を奪いとっていくのだ。
 それが”呪痕”と呼ばれる呪い。
そのために、高峯の嫡子はことごとく短命であるのだという。実際、先代も若くして命を落としている。

 弧呂丸が時折見るあの悪夢は、もしかしたら祖が妖と対峙した折の記憶であるのかもしれない。
ねっとりと広がる、醜悪なまでの漆黒。そこに在ったのは、ただ、悪であった。
その眼孔を思い起こせば背筋が震えるようであったが、強く首を振ってそれを払い落とす。
――私には、闇に打ち震えている時間など僅かほどにもないではないか。
そう念じて気を奮い立たせると、障子に手をかけて廊下へと踏み出す。
目指す先は、高峯家が所有する幾つもの蔵書をおさめている蔵だ。


 その日の昼を過ぎた頃、高峯燎がオーナーをしている「NEXUS」の電話が店の主を呼び出した。
 燎はちょうど昼食を取るために外出しようとしていたのだが、バイトの一人に呼び止められて、渋々呼び出しに応じた。
「――おぅ、コロ助。どうした? また説教か?」
 電話をかけてきた相手は燎の双子の弟である弧呂丸だった。
弧呂丸は燎がつけた”コロ助”というあだ名に遺憾を述べながらも、近場の公園まで来てくれるようにと簡潔に告げた。
燎は弟の呼び出しに「おいおい、俺ぁ今から飯の時間なんだが」などと不服を述べたてたが、受話器の向こうの弧呂丸はその言をあえなく断わると、兄の返事を待つこともせずに電話を切ってしまったのだった。

 春めいた装いに包まれた公園は、ちらほらと薄紅色で染められている。
それを照らしている陽光もまた暖かい。季節はいつの間にか恵みの時へと変容していたらしい。
その中に並ぶベンチの一つに、弧呂丸は腰をおろしていた。
年齢にそぐわぬ落ち着き払った雰囲気と、その身にまとった和装が、青年の周りにふぅわりとした独特な空気を漂わせている。
しかしその目はひどく穏やかな光をもっていて、過ぎていく幼い兄弟を優しく見送っている。
「よぅ、コロ助。待たせたな」
 なんの前触れもなくそう言い放ち、弧呂丸の隣にどっかりと腰をおろした燎の手に、ここに向かってくる途中で買ったのだろうと思われる紙袋が抱えこまれている。
 青に染められた頭髪と銀色の眼。体格一つとってもまるで正反対といった外貌の双子の兄は、自分を責めるような弧呂丸の目に気付いてニィと笑った。
「なにしろ飯がまだでな。今朝は寝過ごしちまったから、朝飯もろくすっぽ食ってねぇんだ」
「……今朝?」
 穏やかな双眸をゆるりと細め、弧呂丸は眉間にしわを寄せる。
 
――カ、カカカッ

 今朝見たあの夢が脳裏をよぎる。
――――もしかしたら、燎もあの夢を……。
しかしその問いは言葉を成すことなく、弧呂丸の心の奥へと沈められる。
「一昨日も祈祷してみたんだ」
 紙袋から取り出したパンを頬張っている燎を見据えて、弧呂丸はそう口を開けた。
「ぁあーあー、へー、ほー。おまえもまあ、飽きもせずによくやってるよなぁ」
 弟の言葉の意図するものを汲み取ったのか、燎は大きく頷いて二つ目のパンに口をつける。
「おまえの! おまえのためだろう!」
 燎の言葉に、弧呂丸はめずらしく声を荒げた。前を過ぎる親子連れが驚いたような顔で二人を見ている。
しかし燎はニヤニヤと口許を緩めているばかりで、弧呂丸の怒気に侘びる様子のかけらも見当たらない。
「……呪いは、呪痕は、遠くない内におまえの命を完全に蝕んでしまうんだ」
 言葉に詰まり、弧呂丸は小さな舌打ちを一つつく。
言葉が、うまくまとまらない。
「何度占っても……どの蔵書を漁っても、呪いの解き方が解らないんだ」
 思い悩んだ挙句ようやく口をついて出た言葉は、自分でも驚くほどの弱音だった。
声が震える。

 緊迫した弧呂丸の心に反して、公園はひどくのどやかだ。
暖かな風が頬を撫でて過ぎていき、前をいく幼い子供達は、平穏な日常を満面に浮かべた笑みをのせている。
 その中でただ一人、弧呂丸ばかりが頭を抱えてうずくまっているのだ。
それに気付いた弧呂丸は、頬を紅く染めて顔をあげると、隣でのんきに昼食をとっている双子の兄に視線を投げる。
「おまえは高峯の嫡子として生まれながら、高峯の勤めを投げやって家に泥を塗りつけた。分かっているのか? おまえはッ! おまえは高峯の恥なんだ!」
 声を張り上げ、燎に掴みかかってベンチの背もたれに押しつける。自分よりも大きな兄の体は、思ったよりも容易に押しこまれてくれた。
 燎は弟の逆上に、しかし口許を緩めたままで、小さなため息を一つつく。
「パンが下に落ちちまったじゃねぇか」
 ため息をつきながら身を屈め、砂にまみれてしまったヤキソバパンを拾い上げる。
「あぁーもったいねぇなあ。おまえ、コロ助、ここんちのパンは一日限定二十食とかでなぁ、運良くねぇと買えねぇんだぞ」
 パンについた砂を払いながらそう告げて、ベンチの脇のごみ箱にそれを放り投げた。

 今にも泣き出しそうな弧呂丸の顔に目を向けて(今自分がどういう顔をしているのか、本人は気がついていないようではあるが)、燎は、ふと空を仰ぎ眺めて小さく笑った。

「俺ぁなあ、コロ助。てめぇの生き様に後悔だけはしたくねぇんだよ」
「――――?」
 不意に告げられたその言葉に、弧呂丸は思わず目をあげる。目の前の兄は、悠然とした笑みを浮かべていた。
「高峯にはおあめがいる。……だろ? コロ助。だから俺は俺らしく在り続けられンのさ」
「……自分が、自分らしく」
 弧呂丸が呟くと、燎は再びニィと笑って頷いた。
「俺ぁ、俺だ。呪いがなんだろうが、知ったこっちゃねぇ。おまえはおまえだ、コロ助。おまえはおまえのやりてぇようにやればいい」
 そう言い終えると、燎は大きく体をしならせ、ベンチから立ち上がる。
大きなその体がベンチから立ち上がると、その反動で、弧呂丸の体がふわりと跳ねる。
「……自分は自分らしく……」
 呟き返す弧呂丸に、兄は得意げな笑みを向けてから背を向けた。
「まぁ、今度は説教じゃなく、花見と洒落こもうや。久々に兄弟仲良くよ」
 ヒヤヒヤと笑いながら去っていく燎の背中に、弧呂丸はわずかに笑みを浮かべて目を細ませた。
「おまえに説教しなくなったら、私は私ではなくなってしまう」
「ハ――ハハァ! 確かにそうだ。あァ――あ、面倒くせぇ弟を持っちまったなァ」
 高く笑いながら歩き去っていくその後姿を見送って、弧呂丸は小さなため息を洩らす。

 空を見上げれば、そこには瑞々しい青が広がっている。

 確かに、悪夢はこれからも自分を、自分達を追い詰めようとするだろう。
隙あればいつでもあのあぎとを広げ、底のない泥のような闇の奥へと飲み下してしまうのだろう。

「もう一度初めから調べてみよう」

 一人ごちて微笑する。
 
 望みは、きっと在るはずだから。


―― 了 ――