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それも一つの秘密依頼
目下の悩みは、珍しい事に食費の事でも事件の事でもなかった。
もちろんその問題も常々頭を悩ませている事であるのだが、これは精神的な問題なのである。
少し前に水没し、壊れてしまった携帯電話を前に腕を組む。
「………」
何が入っていたのかは結局解らないままだった、上手い事ごまかされてしまった気がしてならない。
本人が何も言わなかった以上。判断や推理の出来る物が残っているとすれば、この携帯だけなのだが……降れば水が滴るような状態からでは、何をした所で回復する事はなかった。
修理に出せばデータは失われてしまうため、こうして仕方なく携帯を前に頭を悩ませているという訳である。
何を言ったのか、あの時聞けなかった事がこんなにも気になって仕方がない。
聞いたら怒るのだろうか、あれだけ言うのを拒否していたのだから……そうなる可能性もある。
悩むより前に携帯が治らなければどうにもならない所だが、一つだけ何とか出来てしまう方法があるのだ。
あるべき物を最適な姿に戻す事の出来る存在が……。
他でもない、ハルモニアマイスター。
モーリス・ラジアルその人が。
「……けど」
本当にそうしていいのだろうか?
あの男と会ってから、どうもこれまでの考え方と行動が一致していない事は良く解っている。
行動に探りを入れたり、まるで試すような事をしてしまうなんて。
しては行けない事だと解っているのに、どうしようもないのだ。
知りたくて、仕方がない。
こうして考えているだけでは本人に聞く事も、確かめる事も出来ない。
「………考えてても、仕方ないよな」
携帯を強く握りしめ立ち上がった。
受けて貰えるかは解らないが、相談だけでもしてみよう。
水屋敷。
何度か尋ねたこの家は、何時来ても溜息ばかりが出るようだった。
「どうぞ」
「いただきます」
ペコリと頭を下げ、出されたお茶に口を付けてから説明をする。
まずは、そこからだ。
どう説明するかを考え、結局壊れた携帯電話をテーブルの上へと置く。
「これを直してほしいんです」
「確かに完全に壊れてますね……どうしたんですか?」
手に取り確かめた携帯をモーリスは刺し手傷でもない所から水没させてしまったのだろうと予想したのだが案の定。
「ええと……水に浸かってしまって」
他に言い様はあったのかも知れないか、啓斗は正直に訳が合って川に投げてしまったのだと説明した。
「修理に出したらデータは消えるから、出来るなら直して貰えないかと思って」
「出来ますよ」
あっさりと微笑むモーリスに、啓斗がほっとするのもつかの間。
「けれど何かするにはそれ相応の対価が必要だと思いませんか?」
「………」
解っていたはずなのだ。
一筋縄ではいくはずのない相手なのだと。
ここに来たのも一つの賭であった訳で……今はちょうど上手く行くかの瀬戸際なのだろう。
目の前の相手も、気を付けて対応しなければならない相手だったのである。
早くも来なかった方が良かったかも知れないと言う考えが頭を過ぎるが、何の進展もないまま帰るのもいやだった。
「見返り……?」
「そうですね、何がいいでしようか」
楽しげに微笑みながら、啓斗を見つめて色々と思考を巡らしているのが解る。
まるで品定めされているようだと眉を寄せれば、帰ってきたのは一見人の良い微笑み。
何とか話題を逸らす事が出来ないだろうか……?
苦肉の策がこれである。
「ええと、今……あまり持ち合わせがなくて」
「いいえ、欲しいのはそう言ったものではないから、安心してください」
「………」
嫌な予感を抱く事はこれまでにだって事件の時や、戦闘中にも多々あったのだが……どうやら今のような事にも対応しているに違いない。
話を逸らしたつもりが返って悪い方にいってしまったような気がして、啓斗はどうにも落ち着かない気がした。
なにせモーリスは一筋縄ではいかない相手なのである、弟も色々とからかわれていたのだという事は知っていたというのに。
「じゃあ……何を?」
「そうですね」
請われた携帯を眺めて直ぐにでも治せるような顔をしつつも、力を解るように出し惜しみしてみせる。
どうしたものか、どんな事を言われるのかと警戒する啓斗にモーリスが苦笑した。
「まるで猫のようですね」
「………?」
伸ばされた手が頬に触れかけ、僅かに体を引く。
「………いきなりだったんで」
「いえ、すみませんでした。表情が変わるのが楽しくてつい」
クスクスと笑うモーリスにからかわれたのだと今さら気付いた。
これからは思っている事を外にださらいようにしようと決める。
「じゃあ一つ聞かせてもらっても?」
「………」
不意に変わる口調。
どうなるのかと妙に不安にさせられた。
今のやりとりで妙に喉が渇く。
紅茶を飲みながら、小さく頷き同意する。
「誰の録音が聞きたいのかな?」
「!!?」
ずばりを言い当てられ、吹きそうになりかけた紅茶を何とか喉に流し込む。
「何故という表情をしている所悪いのだけどね、少し言ってみただけだよ」
「……つまり」
「こうも上手く行くとは思わなかったんだけれどね」
カマをかけられ、まんまとそれに乗ってしまったと言う事だ。
何かに似ていると考え込み、唐突に気付かされる。
会話の方向を言いように持って行かれてしまう辺りは、あの男によく似ているのだ。
きっと人をからかって、困っているのをみるのが楽しいに違いない。
だが逆に考えれば、なにかいい手が見つかるかも知れないのだ。
「………」
「以外に良く表情が変わるね」
「え?」
またもや思考が読まれていたのかとあわてて視線をそらす。
そんなに表に出していたとは思わなかったのだが……。
「嘘だけどね」
サラリと告げられ肩を落とす。
やりにくい、当たり前と言われてしまえばそれまでだか、やはり方法が微妙に違うのだ。
何がどうかは明確に言葉に出来ないのだか、とにかく違うのである。
それ以前に、あの男も何とか出来ていないのにモーリスを何とか出来るはずもない。
もはや何をどうこうするとかの状況ではなくなってきている。
いや、そもそもそう言う問題ではなくて。
「さっきの続きになるけど、携帯やデータを直したい理由は大体同じだからね」
携帯だけが必要であるのなら、修理に出してしまえば良かったのだ。
中のデータが必要な理由は……とても簡単。
情報や記録その物を必要としているから。
「どれが、大切なものなのかな?」
「それ、は……」
言葉を濁す。
どこまでいって良いものか判断出来なかったのだ。
少しでも言えばかの言いモーリスの事だ。僅かなヒントから答えを導き出してしまうだろう。
いや、既に………お見通しである可能性すら在る。
説明するにしたって、自分でもよく解っていない事を言える訳がない。
答えにつまり、グルグルと頭の中を悩ませていた啓斗がようやく出した答えは……。
「……全部です。メールも、録音の中身も、全部」
聞けなかった部分だけではなく、今までの物も全部。
「なるほど……」
画面に目線を移し、納得したように頷く。
「……って、え?」
明かりの灯った液晶画面は、完全に水没させる前の状態と同じだった。
「えええええっ!」
治った? いつのまに!?
いや、驚くよりも先にするべき事がある。
「み、見たのか!?」
それは……まずい。色々と。
「そこまではしてませんから、安心してください」
「………」
楽しげな笑顔で携帯を返され、不安を感じていたのは画面を見るまでの間だけだった。
待ち受け画面に表示されているのは無機質なデジタル時計と日にちだけである。
「疑ってすみません」
ほっとすると同時に、いくらなんでもそこまでしないはずだと思い直し素直に啓斗が謝った。
「構わないよ」
気を悪くした様子がないどころか、やけに楽しげな表情が多少気になりはしたが……。
「まずは本人が確認するべきだと思うからね」
「………」
聞く気、なのだろうか?
それともこれすらもからかわれているだけなのかも知れない。
悩み始めた啓斗に一言。
「中身、確かめなくても?」
「ん……」
知りたくてここまで来て、直して貰えるようにモーリスに頼んだのだ。
どんなメールを残したのか、一体何を留守録に入れたのか。
その答えが、ボタンを押せば直ぐそこにある。
「………」
メールを開こうとした手がギリギリで止まった。
「どうかしましたか?」
見たくない訳ではない、気になるのは事実。
幾らかの手順を踏みさえすれば、解るのかも知れない。
一体、なんて言っていたのか。
どう思われているのか。
真剣に考え込む啓斗に首を傾げる。
「本当秘密にしておきたいなら見たりしないから」
「そうじゃなくて……」
携帯を握りジッと画面を見つめた。
「迷ってるんだ、本当に見てもいいのか」
「振り出しに戻っただけでは?」
言う通りだ。
期待と不安が同じぐらい入り交じった感情は、家にいた時と同じぐらいに頭を悩ませている。
違いは……何も解らない状態であったか、そうで無いかだ。
知りたい事は、ここにある。
ちゃんと、この手の中にあるのだ。
それは、とても大きな違い。
「……いえ、聞かない事にします」
「それで良いのかい?」
驚いたように目を見開くモーリスに、はっきりと頷き返す。
「もう決めましたから」
いつでも見る事が出来る、この携帯を使う事も出来るのだ。
「今は、これで十分なんです」
少しだけ余裕が出来て、考え方を変えるだけで大分楽になる。
「じゃあ、それに免じてお礼は無しで良いよ」
「えっ?」
「見てるだけでも十分楽しめたからね」
腕を組み、ニコリと微笑んだ。
後日。
モーリスが別の相手……某編集者から変わりにお礼を受け取る時にあった騒動は、また別の話。
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