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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


power relationship

「おーあたりぃッ!」
法被を着た商工会会長が振る鐘の音が、グワラン、ガラン! と大きく響き渡る。
 商店街の一角に設けられた地元商工会主催の春の大感謝祭、福引きコーナーで以て、藍原和馬は引き当てた玉も見ずに会長に向かって片手を差し出した。
「べんちゃらはいいから、早くくれよティッシュ」
この商店街の福引きは、最下位8等でもボックスティッシュが一箱貰えるのだ。
 近隣でバイトを入れた和馬はそれを目的に、せっせと店舗を利用していたなどとお首にも見せず、クールな和馬に沸いていた周囲がシンと静まる。
「……あのぅ、お客様? お判りになってらっしゃいますか?」
「うん? だからくれってば」
山積みにされたティッシュを見ながらほれほれ、と差し出した手を上下に揺らして催促する……会長と、大学生と思しきバイトは顔を合わせると和馬に背を向け、空きの目立つ賞品の陳列棚の上段から恭しく盆を下ろした。
 差し出した手の行き場のない和馬が訝しい思いに首を傾げると、それを合図としたかのように『せーのッ』と無音で呼吸が合わせる空気が福引き会場を満たす。
「特賞! 二拍三日温泉旅行ご招待、ペア無料宿泊券獲得おめでとうございますッ!!」
実にご苦労な事に、もう一度場を盛り上げる為にテンションを上げる会長とバイト、そして夕食の買い出しに通りかかったご婦人方の拍手に包まれて、和馬は呆然と……掌に乗せられた封筒を、信じられない思いで見詰めた。
 特賞と書かれた目録の厚みを、きらびやかな水引が纏めている……その視線の先には無造作に転がる金色の引き玉。
当て込んでいた消耗品が化けたにしては思いも掛けない贅沢品に、和馬はもう一度周囲を見回してやらせの看板がない事を確認すると、再びボックスティッシュの山に目を戻し、呟きを洩らす。
「……ティッシュ?」
コレ、ティッシュに換算したら何年分貰えんだろ、の意である。
 そんな思いが吐いて出た言葉に、商工会の皆様は特賞の栄華がティッシュに負けてなられない、とばかりに万歳三唱まで始める始末。
 人間、思いがけない幸運に出会すと、思考が動かなくなるらしい事を、和馬は身を持って知った。


 さて、若い……とは実年齢的に口が割けないと言えないが、枯れてはいない男が二拍三日もの宿泊旅行のペアチケットを手にすれば、誰を誘うかなど決まり切った話だ。
 親しい友人、出来れば異性。そう、相棒という距離からほんの半歩でいいから歩み寄りたいそんなささやか過ぎる野望を胸に秘めた身なら当然、その対象を、というのが自然且つ必然的な流れとなろう。
 いやに分厚い目録は中に挟み込まれた旅館のパンフレットの厚みで、宿の美点を挙げる中にしっかりと混浴の露天風呂の記述がある事を目敏くチェックして、和馬が抱える複数のバイトの休暇の確保と宿の予約、後はターゲットを確保するのみまで全てを準備万端整えるのに二日も要さなかった……それだけ期待が大きかったと言える。
 しかしながら、幸運の女神は慈悲深く、けれど悪戯好きであるのが常識で。
「なかなか良さそうな宿じゃないの」
新緑の眩しさの下で、そう満足げな微笑みを和馬に向けるのは、そう……今回の彼の思惑からは、遠く離れた所に居た筈の、マリィ・クライスである。
 間の季節に相応しい装いに、淡い色合いワンピースと同系色のカーディガンを合わせた身軽な姿で、和馬に先行したマリィは塀の内側に和風の庭園を広く配する様子が遠目にも解る純和風の宿へと向かう坂道を上がって行く。
 大荷物……ほとんどがマリィの物である、を抱えた和馬はいつもの黒スーツの為か、有閑マダムとそのお着きの人にしか見えない。
「……あいつと温泉旅行の筈だったのに」
マリィの軽い足取りを見ながら、それでも諦め悪く呟いた和馬は嘆息せずには居られない。
 この事態を招いたのは、彼の油断であったのだ。
 否、彼の失点であるとは言い難い。商店街の福引きといえば、当選者の名前を高々と掲げるのが常であり、当然の如く『特賞・豪華温泉旅行ご招待 藍原和馬様』との達筆が福引き会場に高々と掲げられた。
 それは、マリィが営む骨董品店の近隣の商店街であり……その可能性を想定出来なかったのは、和馬の敗因と言えようか。
 特賞を引き当ててから三日目、念のためにとバイトのシフト確認に訪れた『神影』にて、和馬が店内に足を踏み入れた瞬間、マリィは巻物のような長い紙の端をするすると床に落とした……如何なる手段で入手したのか、それは福引き期間終了まで会場に掲げられるべき『特賞・豪華温泉旅行ご招待 藍原和馬様』の垂れ幕。
「最近疲れてるのよねー」
「…………」
そう、にっこりと笑うマリィに、沈黙以外の自己を主張出来る度胸の在る人間が居るならば、是非とも相対してみたい和馬である。
 そして到る現在に、和馬の思いは悲しく有り得た可能性へと飛翔する。本当ならば今頃は彼女と並んでこの坂を上っている筈で……荷物をさり気なく持ってあげて……部屋に着いたら旅館の中を散策して……軽く内風呂を使って……ちょっと早めに豪勢な夕食を取って……後は露天風呂(もちろん混浴)でしっぽり……などと多少妄想混じりの未来予想……基、希望図が、和馬の脳裏を去来しては現実の壁にぶつかり、切ない音を立てて瓦解する。
 幾度めか知れぬ溜息を吐き、和馬は気落ちと荷物の重さとに肩を落とした。


 その温泉町で最も由緒正しいとされる高級旅館……なのだが、不思議と人の姿がなかった。
 歴史の証とも言うべき木造の本館は、過ごした時間の重みを黒光りする木肌に蓄えて、その色味を増すかの如き暖色の灯りが、軒の深さに暗がりを作る筈の屋内で目に優しい光を放っている。
 来客を迎える為に整えられた空間だが、肝心の人に姿がない。
 それを柔らかく評すれば閑散とした光景に、マリィの呟きが奇妙に大きく響く。
「……鳥が鳴いているわね」
実際に、鳥の鳴き声が聞こえたのではない。屋内に一歩足を踏み入れた途端、キィンと響くような静寂を鳥の声に準えるならば、その名はきっと閑古鳥。
 これはどうした事かと、和馬が荷物の内に入れた目録を取り出そうとした所で、背後に人の気配を感じ取り、和馬とマリィは全く同時に振り向いた。
 其処には、二人分の目線に晒された初老の男性……宿の名を染め抜いた紺の羽織に旅館の関係者と一目で知れる。
 よもや休館日だったかと確認を求めようと口を開きかけた和馬に先んじて、男性は唇を戦慄かせた。
「……お客様だ……」
心なしか、目が潤んでいるようにも見える。
「お客様?!」
「お客様ですって?!」
「うぉ、本当にお客様!!」
それを皮切りにわらわらと、何処に潜んでいたんだコイツ等はいう勢いで年配の女将、下足番のアルバイト、白髪の目立つ番頭、まだ和装が着慣れない風な若女将、仲居、料理人、その他諸々が表玄関に集結した。
「幽霊の出ない宿へいらっしゃいませお客様!」
「女の幽霊なんか微塵も居ませんからご安心下さいお客様!」
「幽霊の女の噂なんかちっともさっぱりお気になさらないで、おくつろぎ下さいお客様!」
口々に囀って、上がり口にて膝を付き、タイミング、角度を全く同じとする芸術的な統制で出迎えに深々と頭を下げた宿の総勢は、これまた熟練を感じさせて見事に声を唱和させる。
「女幽霊の出ない宿へようこそいらっしゃいました!!」
 マリィは仮面のように張り付いた従業員一同の顔を見回して最後、和馬の横顔に視線を固定した。
「……ですって。よかったわね」
事態に呆気に取られ、顎を下げた和馬の肩から、荷物がどさりとたたきに落ちた。


「で、本当の所はどうなんだ、結局」
部屋に案内された和馬は、挨拶に来た女将に単刀直入、問いを向けた。
 隣の部屋に案内された――予約は二人で一室を取っていたのだが、部屋が余っているなら別にしろと和馬が無理矢理ねじ込んだ――マリィもその場に居合わせているが我関せずといった様子で、仲居の淹れたお茶をとお菓子を頂いている。
「どう……とは、何の事で御座いましょうか、お客様」
ほっこりと笑んでとぼける女将に、何を今更、と和馬は心中に舌打ちをして、問いを明確にした。
「本当に女の幽霊が出るのか出ないのか」
「えぇっ、何処でそれを?!」
女将の後ろに控えていた若女将が、和馬の言に狼狽のあまり姿勢を崩す。
 ……合わせて和馬も、背を預けていた床柱に懐いた。
「何処でって……」
お前等が口々に自白ってたんじゃねーかよ、とげんなりしすぎて言いたくもない和馬に女将が笑む。
「何処でお耳にされたかは存じませぬがお客様。夜な夜な混浴に女性の幽霊が出るなどとは当旅館と全く関係のないただの噂で御座いますから、大浴場のご利用を止め立ては致しません……どうぞごゆっくり」
深く頭を下げて挨拶を終えた女将と、慌ててそれに倣う若女将とが退出した後、和馬は蝉の如く柱にしがみついたまま、丸いフォルムの湯呑みを口に運ぶマリィを見た。
「……ですって。どうします?」
同行している相手が本来の標的であったならいいトコを見せようという気にもなるが(除霊を口実に混浴へ誘う事も出来たろう)、悲しいかな既に和馬は降って湧いた僥倖を楽しむ事を半ば諦めている。
「ふーん」
しかしマリィは相槌とも言えない返事で、茶托に湯呑みを置いて立ち上がった。
「夕食まで時間がありそうね。館内でも散策しましょ」
「師匠……」
我、関せず。
 周囲に流される事なく己の姿勢一つを貫くマリィは、ある意味男らしい。
 そんな彼女を師と仰ぐのは間違いではないのだろうが、決定的に何かが違う、と思いながら、和馬は同意を求めるようでいて命令であるマリィの誘いに応じるべく、懐いたままだった床柱から身を剥がした。


 老舗旅館の名に恥じず、夕食は豪勢且つ美味なもので、和馬は日常から離れた旅の醍醐味をまさしく舌で味わっていた……差し向かいに座っているのがアイツだったらなぁ、とかアイツにも食わせてやりたかったなぁ、とか切ない思いが浮かびはしたが美味しい食事で空腹を満たす幸せを払拭するには到らない。
 そんなこんなで腹もくち、部屋についてる内風呂にでも浸かって寝るかと立ち上がりかけた和馬の襟首を、マリィの繊手がしっかと掴んだ。
「じゃ、そろそろ露天風呂に行きましょうか」
温泉宿の露天風呂、それは旅の目的ハイライトとも言える。が、あれだけ露骨な警告をされて尚、入浴する心積もりは面倒さも手伝って和馬にはなかった。
「ッて、師匠、マジっスか?!」
「マジっす」
弟子の口調を真似たマリィは、襟首を掴んだまま成人男性の標準よりも背丈がある上筋肉質、畢竟それなりに重量のある和馬を引きずりながらスタスタと廊下に向かう。
「湯船に藤棚が張りだしてるそうよ……今ならいい風情よねぇ」
そりゃ確かに、淡紫の花が枝垂れる様を頭上に湯に浸かるのは良さそうだが……あぁ、今本気で同行しているのがアイツでない事が悔やまれる、と想像に鼻の下を伸ばしかけた和馬だが、はッと我に返る。
「でも師匠、女の幽霊はどうするつもり……ッ」
「出ないんでしょ? 女の幽霊なんて。良かったわね」
言いながらも、和馬を強制連行しようとしている現況、腹の内は見え見えである……否、本気で宿の連中の言を信用して師弟の交流に心を砕こうとしているのかも知れない、という僅かすぎる確立なれど師弟愛の有無を期待してみたりする和馬である。
 そして抵抗らしい抵抗も虚しく、こればかりは男女が別になっている脱衣所に放り込まれた和馬は、ぽつねんと貸し切り状態の脱衣場でしばし動きを止めていたものの、マリィを置いてこっそり部屋に戻り、後で簀巻きにされて湯船にぶち込まれる以外、逃亡に伴う結果の想像が出来ず、幾度も脳内シミュレーションを繰り返して漸く諦めの境地に達したのか、気乗りしない心持ちののろのろとシャツのボタンに手をかけた。
 その時。
「キャ〜アァ……ッ」
衣を裂くような女の悲鳴が露天から響き、和馬は脱ぎかけたスーツのまま、脱衣所から湯船に飛び出した。
「師匠……ッ!」
岩を周囲に配した露天の湯船は、外気との温度差に立ち上る湯気に覆われて視界が悪い。
 その中でしくしくと……女の啜り泣きが聞こえる藤棚の下へと和馬を目を凝らした。
 俯き加減に目を覆い、肩を揺らす黒髪の後ろ姿を、確認した途端和馬はその身体能力の限りを使って湯に足を取られながらも駆け付けた。
「どうしました師匠……ッ、師匠が泣くなんて……ッ」
労りに肩にかけようとした手が……すかっ、と虚しく空を掴んだ。
 え?
 と、クエスチョンマークを頭上にちりばめた和馬に、肩を揺らした師匠……女の人影は振り向いた。
「この人……アタシより胸が大きいぃ……」
陰気ーに告げて湯船に長い髪を泳がせる、噂の女幽霊の前で、岩を背にあててふんぞりかえるように大判のバスタオルを肢体に巻き付けたマリィが、含んだ水気にその胸や腰のラインをぴったりと貼り付けながら弟子を労う。
「そんなに焦らなくても、お風呂は逃げやしないわよ?」
どこから調達したのか、傍らには燗をつけた日本酒まで置いて既に一杯始めていた。
「今の悲鳴は……」
問わずとも、マリィの余裕と幽霊の哀惜とを見れば、どちらが上げたものかは一目瞭然だ。
「悲鳴? 何の事?」
そしてマリィは肝心要の幽霊を前にしてすっとぼける。
「何の事って平気なんですか師匠、目の前に幽霊……」
言いかけた和馬の……外しかけた釦に胸板の見える前身頃をがしっと纏めて掴んだマリィは顔を寄せてにっこり微笑んだ。
「いい? 和馬。私は慰労に来たの。宿の人間が居ないと言い張る存在に関わるつもりは毛頭ないのよ、疲れを癒しに来たのに自分から疲れる真似をするなんて真っ平御免なの」
そして、すぅ、と目が細められて金の瞳が色を深める。
「それとも……私に除霊をさせるつもり?」
ぎり、と喉元を締め上げる力の強さと気迫とに押される和馬、獣化していたならば尻尾を丸めていた所だ。
「……うう……」
是非の判別もつかない呻きを上げた和馬に、マリィは「よし」と頷いて漸く手を放す。
「そういうワケだから」
どういうワケ?と問い直せば、次は間違いなく湯船に沈められる。
 師との力関係を正しく把握して、和馬はその意を正しく汲んで、除霊にかかるべく女幽霊に向き直った。
 が、其処でその幽霊が……俯き加減な上目遣いで、底光りする目で己を見詰めている事に気付き引く。
「あらぁ……このお兄さん……厚い胸板が……とっても……ステキぃ〜〜……ッ」
舐め回すような視線には熱があるのだろうけれども、悲しいかな生きる世界の違いに和馬の背には冷水を浴びせたような悪寒が駆け上る。
「お誉めに預かり光栄、と言いたいトコだが、いつまでもこんな所で迷ってても仕方ないだろ? 送ってやるから上に……ッ」
呼びかけの途中で女幽霊に突進され、和馬は湯に足を取られそうになりながら辛くも逃れる。
「仕方〜、なくないわ〜……混浴なら、思う存分〜……好みの肉体を眺められるじゃない〜〜?」
曰く、肉体を拝見させて貰う変わりに自分も惜しみなく身体を晒しているという彼女……故に自分より見栄えのするマリィを見て思わず悲鳴を上げてしまったとそういうワケだと言う、恨みも哀しみも何もなく、ただひたすら未練と思うのはボディ・ウォッチングだと言う幽霊の主張に、しかし彼女の存在で客足が遠のいては、旅館と本人の益にならない……と、いう理屈を切々と、隙あらば抱き付こうとする幽霊を相手に説かねばならぬ和馬。
 一歩間違えば痴女である、そんな霊なれど女性であるというその一点で本人の了承なく除霊に踏み切れない弟子の甘さを眺めつつ、マリィは盃を傾ける。
 夜はまだ浅く、明け来る朝は遥か遠く。
 ほろ酔い気分で咲き切らぬ藤と温泉と、そして弟子の困惑を楽しむ時間はたっぷりあると、マリィは満足に微笑んだ。