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<東京怪談・PCゲームノベル>


非科学事件 ♯2


 イチゴジャムの出来ばえがすばらしいものであったから、彼女は薄力粉とベーキングパウダーを取り出した。隠し味のヨーグルトも忘れない。
 バッハのやさしい調べが続いている。名曲ぞろいのバッハ集は、彼女の鋭敏な聴覚を逆撫ですることもない。トラックが12曲目に移ったところで、羽澄はくすりと小さく笑った。
「『目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声』」
 オーブンから香ばしい煙を上げるスコーンを取り出して、光月羽澄はご機嫌なのだ。
「私が知ってる物見さんは、ひとりだけどね」
 ほんの味見と、彼女は焼きたてスコーンのひとつをふたつに割って、赤いジャムを塗りつけた。それはたちまち、彼女のかたちのいい口にのまれて、消えてしまった。

 光月羽澄の知っている物見とは、つい最近知り合った初老の男で、物見鷲悟といった。東京の片隅にある、名前だけ聞けばひどくあやしい、「帝都非科学研究所」の所長である。ゴーストネットOFF経由で彼と知り合ってから、羽澄は今日までに何度か彼の持ちかけてくる話に乗ってきた。無報酬、或いは些細な謝礼(例:肉まん1個)が出るだけの、怪奇事件調査依頼だ。世知辛い世の中だが、物好きな人間は意外と多いもので、物見の依頼は大概有志の調査員たちによって解決されている。
 その物好きな人間に、光月羽澄も含まれていた。
 不思議な事件も、危険な事件も、総じて彼女の旺盛な好奇心をくすぐった。報酬などは頭の片隅にも置いていない場合がほとんどだ。正直に言えば、割に合わないと思ったこともあるのだが。
 この日焼いたスコーンと、手製のイチゴジャムは、物見鷲悟への謝礼である。

「いつも素敵な体験をさせてもらってますから」
「何だかあべこべじゃないかね? 悪いよ」
「気にしないで下さい、近くに用事もありましたし」
 しかし光月羽澄が帝都非科学研究所に立ち寄ったのは、この日が初めてであった。これまで、物見とは事件現場近辺やネットカフェで落ち合うばかりであったから。彼女は研究所とは思えない様相の研究所には素直に驚いたが、それを口には出さなかった。
 東京の中心からはずれた町の、閑静な商店街の中だ。
 しかも看板も掲げていない、ごく普通の雑居ビルの2階。
 研究所というよりも、古い事務所のたたずまいだ。
 物見は常日頃、いつも金に困っていると言っているが――まさに、そうであるようだ。真新しい器材は何ひとつなかった。本や資料とそれを詰め込んだ棚、古びた机に、無愛想な椅子。どれも物見と同じくらいの歳を経ていそうな代物だ。パソコンは――確かに、ハイテク器材といえるだろうが――これも羽澄から見れば、『化石』同然のものだった。
 だが、羽澄はその中で、ひとつのこだわりと幸福を見出していた。
 クリスタル製のティーポットだ。これすなわち、紅茶通の証。
 彼女は紅茶を淹れて、持参のスコーンとジャムを物見にふるまっていた。


「ふむ、近くに用事、か」
 2杯目の紅茶を空けて、物見は足を組み替えた。
「確か、光月君の勤め先は調達屋さんだったな」
「そんな、就職してるわけじゃありませんよ。……することになるかもしれませんけど」
「『胡弓堂』だったね」
「はい」
「評判のいいところだ。高峰君も一目置いているし」
 物見は窓の外を見ながら口元をゆるめた。
「私も信頼している」
 その表情と言葉に、羽澄もカップを置いて微笑んだ――これは、予兆というものだ。
「また何か、気になる事件でも?」
 振り向いた物見は、口元だけではなく、目にも微笑をたたえていたのである。


「月島の東亜劇場。知っているかな」
「ああ、はい。ちょっと前に閉鎖になりましたね。大正からあったんでしたっけ」
「そうだ。もとは劇場だったが、昭和の半ばに映画館になった。ネットでもニュースでもそれほど騒がれなかったのは哀しいことだな。――今年の冬には、アミューズメント施設に改装される予定だった」
「……改装工事は中止に?」
「今のところは、先延ばしにされただけだ。死者や怪我人は出ていないが、現在の所有者は入院している」
「『黄色い救急車』の管轄内ですね」
「ああ。察しがいいな、さすがだ。もっとも、その救急車も発端を知りたい都市伝説のひとつだが」
「行ってみましょうか」
「きみが行ってみたいのなら、私はついていく」
「じゃ、行きましょう」
「おや、今すぐかね? まだスコーンが残っている」
「スコーンは逃げませんよ」


 有楽町線に乗り、バスに乗り継いでたどり着いた先は、帝都非科学研究所のある商店街よりは幾分ましな賑わいを見せる下町だった。それでも、都心の繁華街の喧騒にははるか及ばない。
 再開発がすすんでいる地域であるらしく、近代的なコンクリート造りのビルが立ち並んでいた。そんな中、大正時代の影を残す古い映画館が、肩をすくめるようにして建っていた。
「改装だなんて、嘘ですよね」
 羽澄は呟いて、映画館を見上げた。東亜劇場は、札幌の時計台のように孤独だ。ビルの中にうずもれている。
「取り壊す気だったんだわ」
「かもしれないな。とりあえず私が知っているのは、ここにいずれアミューズメント施設が出来るということだけだ」
 建物の裏手を指しながら、物見は言う。ネットに普段から触れているためか、彼は外来語もすらすらと口にした。羽澄同様、ベンチャー企業がどういうものかも知っている。
「これから知ることは多そうだな」
 ふたりは劇場の裏手にまわり、ごく自然に黄昏どきの不法侵入を果たした。


「物見さん――」
「私の目の黒いうちは安全だ」
「うーん、言い得て妙ですね」
 結界を張りながら先頭を行こうとした羽澄を制して、懐中電灯を持った物見が先を歩いた。彼は合理的で、羽澄に力の温存をすすめてきたのだ。
 東亜劇場の内部は、不自然なほど暗かった。会場内が暗いことには頷けるのだが、全体的に、窓の少ない建物だった。通路やエントランスまでもが、暗闇に包まれている。木造の廊下は、どけだけ忍び足で進んでも、ぎいぎいと悲鳴を上げた。
 物見の懐中電灯は、古き良き時代の終焉を照らし出していた。羽澄が生まれるずっと前の記憶が、壁や床や手すりに残っている。
「ハリウッド映画全盛のいまになっても、ここは邦画を上映し続けていた。……私は、ここが好きだったよ」
 羽澄が見た物見は寂しげに笑っており、
 羽澄が聞いた歌声は怒りを含んでいた。
 そして彼女は、物見の目が白銀に光る瞬間を見たのである。

 音と衝撃は、間一髪で羽澄が相殺した。間一髪、というのはすこし誤りか。攻撃を受けずにすんだのは羽澄だけで、物見は1メートルほど吹き飛ばされていた。音は会場の古びたスピーカーから発せられたようだったが、正直なところ、正確な音の発生源は、羽澄にもわからなかったのだ。
 まるで――
 ――この建物が歌ってるみたい。
 積まれたがらくたの中に突っ込んだ物見は、眼鏡を直しながら立ち上がった。
「光月君! 見たかね」
「え、何をです?」
「モノクロの侍だったよ」
 壁についた一筋の鋭い刀痕を、物見が指した。
 物見が見たものはすでに消えているらしい。羽澄は会場へつづく扉にさっと目を向けた。
 ――開いている。
 羽澄はものも言わずに、会場内に飛びこんだ。浅はかな行動だったとは、あとになってから気がついた。彼女は無我夢中だったのだ――続いて物見が中に入ったところで、お約束というべきか、扉はひとりでに閉まった。物見が手にしていた懐中電灯の光が、不穏な揺らぎをみせ、やがて消えた。
 漆黒の闇の中で、羽澄は目を凝らす。
 銀幕はすでに剥ぎ取られていた。羽澄には見えたし、わかったのだ――この座席群の前にあった古びた銀幕が破られたとき、この劇場は慟哭し、目覚めたのだということが。
 錆びたかすかな音楽は、カタカタと回るフィルムの音とともにあった。鈴を構える羽澄は、銀幕の英雄たちと対峙する。往年の、モノクロの大スタアたちは、くるくるとその顔かたちや体つきを変えていた。フィルムに付着した埃の影、フィルムについた皺が生む黒の線、それがモノクロの世界の古ぶるしさを際立たせている。羽澄と物見を観客に迎えた劇場は、古い時代の映画ではなく、記憶そのものを上映していた。すなわち、この劇場の生涯を。
(わたしは滅びぬ)
 カラカラと回り続けるフィルムが、確かにそう呟いた。
(わたしは死にたくない。わたしは一度は変化を受け入れた。わたしのかたちを残してくれるのならと、喜んで。しかしいまは、あまりにも変わってしまった。老いぼれは滅びるさだめにあるというのか。映画を求める心は変わらぬというのに。
わたしを、殺すのか)
「ちがうわ!」
 羽澄は思わず声を張り上げた。きいん、と空気が鋭利な光を帯びる。フィルムが一瞬とまり、映像が静止した。
「私……私たちは……」
 ――私たちは、何をしに来たの?
 ――見に来ただけよ。
 ――この劇場に、何もしてあげようとしてない。
(ならばわたしは戦おう。かつてのこの国のように)
耳慣れた咆哮が上がった。日本人なら誰もが知っているであろう、日本が生み出したあの大怪獣の声だ。同時にそれは侍や任侠の怒号でもあったし、大女優の慟哭でもあった。モノクロームの巨大なあぎとの中にずらりと並ぶ牙は、日本刀で出来ている――
「……やめて!」
 羽澄の警告は、ほとんど悲鳴だった。きいんと鳴る振動は、鈴が生み出したものだ。
 音の結界は牙を砕き、勇ましい音楽をつらぬいた。
「――、」
 羽澄は大きく、息を吸い込む。
 すべてを見つめる物見が、そのとき初めて身を守った。彼は、耳を塞いだのだ。
(いまは、許して)

 ―――――――――――――ッッ!!!!

 声を超えた声は、銀幕の幻影と抵抗を打ち砕き、物見の目を銀に染める。
 聖なる声であったのか、羽澄の頭上に、物見は一瞬翼持つものの姿を見た。

 爆発の余韻が消え去ると同時に、羽澄はそこに崩れ落ちた。音楽とフィルムの回る音とは、ぷつりと途切れた。座席は吹き飛び、緞帳は裂けている。
「ごめんなさい……ごめんなさい。いまは許して……。私……絶対に、あなたを……」
 もうそれ以上は、言葉にならなかった。言ったところで、何になるのだろうかと考えた。そうして――涙が出てきそうになっている。銀髪をかき上げもせずにうなだれる羽澄に、物見が手を差し伸べた。
「私の望みはかなったが」
 彼は静かに言った。
「きみとこの劇場は、まだ終わりを迎えてはいないようだ。今度は、私が手助けをしよう」
「……どうするんです?」
「さあて……高峰君に掛け合うことくらいしか思いつかないが……やるだけやってみるさ」
 羽澄は物見の手を借りて立ち上がり、こくりと無言で頷いた。
 何に対しての相槌なのか、彼女自身、よくわかっていなかった。


 ――まだ、戦わなくちゃ。私は、物見さんじゃない。見るだけじゃなくて、戦うことが出来るもの。
 いったん物見の研究所に戻った彼女は、所長のパソコンを立ち上げた。ネット生活を送るのには何の不自由もないが、それ以上でもそれ以下でもないスペックだ。最低限の環境の中で、羽澄は日本に向けて打診する。
<東亜劇場を、助けましょう>





「はい、『胡弓堂』です」
『やあ、光月君。物見だ』
「ああ、こんにちは。何ですか? また気になる事件でも?」
『おや、まだ知らなかったか』
「はい……?」
『先日の東亜劇場だが』
「ああ!」
『やはり、アミューズメント施設にする方向性で進めることが決まったそうだ。改装工事は来週から再開される』
「……」
『しかし――』
「?」
『「大正館」という名の施設になるそうだ。劇場をそのまま使い、内装は大正の時代背景をもとにしたものになる。小さなスクリーンではあるが、往年の邦画を上映するつもりもあるようだ。ネット上での声に企業が動いた。……もっとも、事業主があの劇場でおそろしい幻影に脅されたせいもあるだろうがな』
「……そうなんですか! 本当に?!」
『きみたちは、充分戦ったよ。きみたちの勝ちだ』
「ありがとうございます、物見さん!」
『私は何もしていない。見ていただけだ。光月君、やはりきみは信頼に値するよ』

『……ところで、また少し付き合ってはもらえないかな。どうも、音が絡んでいるような事件があってね――』




<了>

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   非科学事件調査協力者
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【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】

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               物見鷲悟より
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 やあ、光月君。いつもありがとう。お手製のスコーンとジャムも素晴らしかったが、きみの戦いぶりも素晴らしかった。……何も戦闘とは、力でぶつかり合うものだけとは限らない。そして、戦うのはきみひとりだけではないのだよ。きみは孤独ではないのだから。
 「大正館」がオープンしたら、様子見に行くとしようか。きみのお友達も誘ってな。……ソーダ水をおごるくらいなら、私の財布も許してくれるだろうから。

 『胡弓堂』店長にもよろしく伝えておいてくれ。
今度、寄ってみることにするよ。……失礼だが、どうも、面白いものが見られそうな気がするのでな。
 では、また。