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<東京怪談ノベル(シングル)>


中毒症


 守崎・啓斗(もりさき けいと)は真剣に取り組んでいた。真剣な眼差しで資料を見、真剣な顔をして資料を読み、真剣に資料を捲る。そして真剣にメモを取る。
「啓斗じゃないか」
 そんな一見勉学に勤しんでいるかのような啓斗を見て、草間は「ほほう」という感嘆の声を上げた。
「……もう帰って来たのか」
 小さく「ちっ」という舌打ちと共に、啓斗は呟く。草間は小首を傾げ、啓斗の手元を覗き込む。
「……お前、せめて一言くらい言ってから」
 草間は言いかけ、溜息をつく。それ以上言っても無駄なことくらい、とうの昔に分かっている事なのだ。案の定、草間が言おうとする言葉を知っている筈の啓斗は、そんな草間を大して気にする風でもなく資料に集中している。
「茸、か」
「ん」
 資料の名前は「茸」である。今まで起こった数多の茸事件を記録した、事件が事件なら資料も資料だ、と突っ込みをもりもり受けそうな「茸資料」である。恐らくは、日本……いや、世界を探してもこのような資料は他に類を見ないだろう。
 なにせ、中身は「大きく歩き回り意思を持つ茸」を集めた資料なのだから。
 その茸に、夢中になっている少年が約一名。ただし、茸に対して抱いている感情は、恐らく他に類を見ないものだ。可愛いだとか、素敵だとか、そういったマスコット的存在を求めているのではない。
 そう、啓斗が求めるのはただ一つ。……高価買取。
「珍しい茸は、さぞかし高く売れるだろうな」
 ぽつり、啓斗は呟く。万年赤字の守崎家の家計簿を握る啓斗にとって、突如表れた珍茸は救世主といっても過言ではない。普通の茸よりも大きい、というだけでも注目されるのは間違いない上、歩くのだ。意志を持っているのだ。
 高く売れないはずは無い。
 一つ売るだけで、どれだけ守崎家は潤うだろうか、と啓斗は考えてしまうのだ。となると、出る行動は一つしかない。たった一つだけ。
 捕獲。
 その後、更なる潤いの為に「栽培」も考えているのだ。その為の努力を、啓斗は惜しまない。家計の為に、黒字の為に、火の車からの脱出の為に……!
 その努力が、今正に、草間の目の前で繰り広げられているのだ。恐らく、草間が無理矢理資料を奪い返そうとしても無理だろう。相手が草間だからといって、啓斗はきっと手加減などしない。寧ろ資料を独り占めできるチャンスだと思い、本気の攻撃をするかもしれない。……と、これは言い過ぎかもしれないが。というよりも、言い過ぎにしたい。草間の心からの願いである。
「……仕方ないな」
 草間は暫く考え、結論を出す。もう、それくらいしかいう事も無かった……とも言える。
「ちゃんと、元の場所に返しておけよ?」
「うん」
 草間の言葉にも適当に返事する啓斗に草間は苦笑し、煙草に火をつけた。ふう、と吐き出すと、白煙が天井へと向かって行く。
 ぱらぱらと、啓斗が資料を捲っている音だけが興信所内に響く。草間はぼんやりとその様子を見る。真剣な啓斗が、妙に滑稽に思えてくる。
 熱心に資料を読み、あれやこれやと計画と対策を頭の中で組み立てているのだろう。かと思えば、ぼんやりとしながら、茸を捕まえた後の事をシミレーションしているのだろう。
 啓斗の頭の中で、傘が赤く大きな体の茸は、どんどん増殖していっているのかもしれない。
「リボンをつけたほうが、価値が上がるかもしれない」
 ぽつり、と啓斗が呟く。そんな呟きも、頭の中で茸が出荷されている様子を想像しているのだと知らせるものだ。草間の口元から苦笑が漏れる。
「草間、煙草の灰」
 資料から目を離す事なく、啓斗が言った。草間は慌てて自分の指に挟んでいた煙草を見る。灰が今にも落ちそうなくらいに垂れていた。
「おっと」
 草間は慌てて灰皿を引き寄せ、ぎゅっと煙草を押し付けた。灰を落とそうものならば、家事担当の妹に箒・塵取・雑巾の三点セットを笑顔で渡されてしまう。「自分の不始末は自分でしてくださいね」とか言いながら。過去に何度も経験しているのだから、それは間違いが無いだろう。
「お前も、茸だけはどうあっても見逃せないんだな」
 灰皿に押し付けた煙草が完全に煙を吐き出すのをやめた事を確認し、草間は苦笑しつつ言った。啓斗は一瞬資料を捲っていた手を止めたが、やはり資料から目を離さずに口を開く。
「まあ……今、確実に儲かりそうなものだし」
「儲かるのか?」
「勿論だ」
 草間の素朴な疑問に、こっくりと啓斗は頷く。心から信じきっているようだ。草間は心の中で「そうか?」と何度も突っ込んでいたが、そんな草間に啓斗が気付く様子は無かった。
「そういえばちょっと前に話を聞いたんだが、異界でも探したんだそうだな」
 草間は人伝に聞いた事を思い出しながら、啓斗に尋ねた。明らかに世界の成り立ちが違う異界という、別空間がある。成り立ちが違うのだから、世界の様式も、制限も、ルールも全く違う。
 はっきりといえば、茸の為だけに踏み入れるような場所では、決してない。
「仕方ないじゃないか」
 ぽつり、と啓斗は口を開く。相変わらず資料から目を離すことは無い。
「そこにいるなら、行くしかないだろ?」
「……そんなもんか?」
「そんなもんだ」
 熱心に資料を見つめる啓斗。茸の為に異界にまで足を踏み入れる啓斗。何度も頭の中でシミュレーションまでする啓斗。
 そこには草間には計り知れない、情熱が注ぎ込まれているのだ……!
「……そうか」
 草間は呆れつつ、ただそれだけ呟いた。そうして再び煙草を取り出し、口に持っていく。今度こそ、全てを灰にしてしまわぬように。
「……一緒だ」
「ん?」
 漸く資料をぱたんと閉じながら、啓斗は草間を見る。
「あんたの煙草と、一緒だ」
 草間が呆気にとられている中、啓斗は資料を元の場所に納めた。本当ならば持って帰ってしまいたいくらいだが、一応今日のところは元通りに納めることにしたのだ。
「俺の煙草と、何が一緒だって?形か?」
「そんな訳ないだろう?さっき、草間は呆れただろう?」
「……よく見ていたな。全然こっちを見ていなかったのに」
 驚きながらそういう草間に、何事も無いように啓斗は呟く。
「それくらい、気配でわかる」
「……そうか」
 忍者だもんな、と草間は苦笑する。啓斗はそんな草間に向かって、にやりと笑う。意味深に。人差し指で草間の口元を指しながら。
「止められないだろ?それだけは」
 草間の口元には煙草。まだ火はつけられていないが、そう遠くない未来に付けられる筈だ。そうすれば白煙が立ち昇り、すぐにこの狭い興信所内を煙で埋め尽くす事だろう。
 百害在って一利無し。それが煙草だ。
 それなのに、草間は煙草を止められない。中毒症のように。
 啓斗は呆気に取られたままの草間にくるりと背を向け、興信所を後にした。ぱたり、と興信所のドアが閉まる音が鳴り響く。啓斗の弟では考えられぬほどの、静かな綺麗な閉まり方だ。弟の方ならば、ばたん、という豪勢な音が鳴り響くだろうから。
「……淡白な閉め方だ」
 尤もドアの寿命を気にしなくて良いのは、いい事かもしれない。草間は苦笑し、煙草に火をつけた。予想通り、白煙が天井に向かって立ち昇っていく。
「本当に変わってるよ、啓斗」
 既に本人のいない興信所内で、草間は一人くつくつと笑い続けた。そんな中、茸に関する資料がちらりと視界に入り、余計に笑ってしまった。
「変わってるよなぁ」
 草間は再び呟き、やっぱりくつくつと笑い始めてしまった。
 指に挟んだ煙草が、再び灰となって落ちようとしているのにも気付かないままに。

<中毒は治す様子も無く・了>