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▲きっかけはナイフ▼
------<オープニング>--------------------------------------
「警察は忙しそうでいいな、まったく」
誰にともなく草間武彦は皮肉を漏らし、タバコを咥えて火を点けた。ソファーにどっかりと座って脚を組む。テーブルにコーヒーを置いた草間零が苦笑をした。
「不謹慎ですよ、お兄さん」
「タバコ代も危うい経済状況なんだ、問題発言の一つや二つはしたくなるさ」
カップを口につけて節約から湯水同然の薄いコーヒーをすする。あまりの不味さに顔をしかめ、口直しに紫煙を大いに吸った。いままではなんだかんだとやってこれたが、いよいよこの興信所もダメかもしれない。
テレビへ恨めしい視線を向ける。昼のニュースがやっていて、中年のレポーターが深刻そうな顔つきで街の一角を説明していた。最近、ニ週間のうちに五人が殺された事件だ。女と子供という共通項以外に被害者に関連性がなく、通り魔殺人の仕業とされている。そう離れていない場所に出没していて警察も躍起になって巡回などを増やしていた。
「コーヒーは我慢する。だからせめてタバコ代だけでも稼げる仕事よ来い」
声に出して念じた直後、玄関の濁ったブザーが鳴った。そら来た、とタバコを灰皿に押し付け、跳ぶように立ち上がってドアを開ける。地味な和服の太った男が武彦の勢いにビクリと震えた。有無も言わさずに中へ促す。
「零、コーヒーだ、薄くないのをお客様にお出ししてくれ」
はい、と肯いて台所に入る彼女を横目に確認し、応接セットのテーブルを挟んで向かい側に座った。対面する男は落ち着かない様子で部屋を見回している。昭和の化石、黒電話を目にして訝しげな表情をした。
さっさと引き受けてしまうに限る。
「ようこそ、草間興信所へ。それで、どんなご用で」
「ああ、はい。実は私、骨董屋を営んでまして。近頃起きてる通り魔事件をご存知ですか?」
テレビの方をチラッと視界に入れて嫌な予感がした。
「知らないこともないが、それがなにか?」
「それなら話が早い。二週間前、とある男に売った曰くあるバタフライナイフなんですがね、もしかしたらそれが関係してるんじゃないか、と」
「零、コーヒーはなしだ。お客様がお帰りだそうだ」
台所から、はーい、という返事が聞こえた。ソファーを立ち、頭上に疑問符を並べる男を見下ろす。来るものといえばこんな依頼だ。自分の運命を呪いつつ、壁の『怪奇ノ類 禁止!!』という貼り紙を指差す。
「どうせナイフになにか危険が一杯な怨霊めいたもんが憑いてて持ってると人を殺したくなるとかそんな曰くがあって売り主として事件が起きるのは他人事じゃない気がするから犯人を捕まえてくれとか言うんだろ」
一息で言う武彦を目を丸くして見る依頼者は、おぉさすが、と感嘆して小さく拍手した。伊達に心霊に関係する事件に巻きこまれていない、見事に的中したようだ。
「男はサラリーマン風の背の低い気弱そうな風貌でしてね、まさか私もあのナイフが本当にそんな物騒な物だと思いませんで、初めの事件があった次の日に見違えるように活き活きとして私んところにお礼を言いに来たんですよ。シックスセンスって言うんですか、その時に私はビビビッと閃いてあの男が犯人だと――」
「そんな詳細はいらない。とにかくこの話はなかったことにして帰ってくれ」
うかうかしているとまたおかしな事件に巻きこまれかねない。苛立ちが溜まってポケットへ手を伸ばした。クシャクシャになったタバコの包みを出して固まる。
「そうですか、警察はこんな話しても信じてくれないから、ここなら引き受けてくれると思ったんですが仕方ありませんね。他をあたってみることにします。それでは」
「ちょっと待った」
玄関と男の間に立って通せんぼをした。表情を引きつらせ、依頼承諾派と反対派で脳内戦争が勃発する。かつてないほどの経済的ピンチ、しかし怪奇関係の依頼は嫌だ、されどタバコが一本もない、碌に仕事もできない、ではどうするか。
まぶたをしばたかせる彼に向かってハハハと強張った笑いをする。
「いまのはジョーク。引き受ける、受ければいいんだろ、こんちくしょう」
タバコ切れのせいか、半ば自棄で壊れ気味になった。背に腹はかえられない。究極の選択をした武彦はおぼつかない足取りで受話器を取って協力者を募ったのだった。
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★草間・武彦Side
営業スマイルで骨董屋を見送り、ドアを閉じた草間武彦は表情をなくしてガックリと肩を落とした。ソファーに身を投げてポケットを探る。結局は怪奇関係の仕事を引き受けてしまった。お決まりのパターンで巻きこまれたのではない、断ろうと思えば断れた。それとこれとでは大違いだ。越えてはいけない第一線を越えてしまったかのような感覚が体を脱力させる。
空になったタバコの包みを出してしばし見つめ、雑巾絞りの如く捻ってテーブルに放る。背を優しく叩かれて振り返ると鼻先で食べ物の匂いが香った。弁当だ。切れ長の双眸を微笑ませた女が立っている。草間興信所の事務員をしているシュライン・エマからそれを受け取って苦笑した。
「いつも悪いな」
「いいえ、私と武彦さんの仲でしょ。それよりお仕事来たんですって? それも巷で起こってる連続通り魔の件」
肯き、事情の詳細を簡潔に語った。骨董屋が言うには、バタフライナイフに怨霊めいたものが寄り集まって所持する者へ人を刺したくさせるのだという。普段は普通のショーケース内に並べていて、そこへ例の男が顔を出したので曰くについて話してやり、触らせると躊躇なく買っていったのだ。そんな危険な物を適当に保管して客に触れさせるなどいかがなものかと思ったが、営業方針に口出しするつもりはない。事件を解決して報酬をもらえればなんでもいい。
「ご近所の安全のためにも頑張りましょ、武彦さん」
もう一度、シュラインは慰めるように背を叩き、台所から出てきた草間零を見た。
「零ちゃんなら簡単に叩き落としそうな気もしないでもないのだけれど心情的にやらせたくはないものね、うん」
「そうだな、俺らのフォローに徹してもらおう」
零に手を貸してくれと言えば拒む言動はチリほどもしないで承諾してくれるだろう。しかし彼女のこれからも考えるとあまりかかわらせたくはなかった。
シュラインが向かいのソファーに座って地図を広げる。興信所周辺に5個の赤い印が書き加えられていた。通り魔殺人事件のあった場所だ、既にチェックをしてくれていたらしい。
「さてと、それじゃあ作戦を練りましょうか」
「ああ、その前にちょっと待ってくれ。あと一人、助っ人を呼んでるんだ」
小首を傾げる彼女がドアの方を向いた。ノックも一切なく勝手に開いていく。長い黒髪にワンピースを着た少女が入ってきた。外見からして小・中学生なのに、その顔つきはなにも知らない者が見たら目が覚めるぐらい大人びている。ササキビ・クミノ、それが彼女の名前だった。
クミノはシュラインをチラリと一瞥してからこちらへ視線を移す。
「いつもに増して冴えない表情をしてるのね」
「大きなお世話だ、どうせ冴えない経済状況だよ」
落ち着いた声に応えて苦笑いをした。少女とはいっても壮絶な過去を背負っている。おまけにネットカフェまで所持していて色んな面で最強の女子生徒と言っても過言ではない。
「電話でも言ったけど、第六感は怪奇と近いものであっても、そのものじゃないでしょう? 既に計測された現象の一つにすぎない、だからそんなに――」
淡々とした口調を途中で区切り、なんでもない、と言って首を振った。まだ幽霊の類が関係しているとは決まっていない、ということだろうか。素直な物言いではないが、彼女なりの励ましだったのかもしれない。
よし、と気合いを入れた武彦は仕事の開始を口にする。
「んじゃ、メンバーも揃ったところで作戦会議だ。ニコチンが切れる前にケリつけるぞ」
★シュライン・エマSide
空はオレンジ色に染まっている。景色も暖色系に変化していた。シュラインは地図で目をつけた人通りの少ない道を注意深く歩いている。今日は偵察のみを目的にし、3組に分かれてそれぞれが次に犯人の出没しそうな場所へ実際に足を運んで調べることにしていた。
机上の理論では見えていないところも多い。自分ならばどうするか、被害者を狙いやすい周りの様子や環境がどこにあるかをゆっくりと見回す。予想通り、この時刻になると人影はほとんどない。道の左右を民家の高い塀が囲んでいてある種の閉鎖状況を作っている。もう少しするとまばらな人の数も全くなくなるだろう。危険度は、やや高い、とした。
『こちらA地点、そっちはどうだ? どうぞ』
武彦の声が発せられる通信機はクミノの提供だ。喜ぶ彼はすぐにしょんぼりとした。彼女に、使用コストは必要経費としてあげさせてもらう、としっかり言われたのだ。彼のあの状態を見ると今回もボランティアになりそうだった。
思い出して微笑する。
「こちらB地点、予想の範疇よ、あと少しで一通りチェックできるわ。どうぞ」
『こちらC地点、同じく予想の範疇』
クミノの報告のあと、了解、と武彦が応えた。
前方を見据えて歩みを続ける。真っ直ぐに伸びる道も終わりかけ、車の行き交う大きな道路が小さくなって眼に映りだした。シュラインは手を抜かず、念入りに犯人の身を隠せそうな電柱や壁を調べていく。
脇の角から紺の制服を着た男が出てきた。左右を確認し、首を向けてくる。巡回中の警察官だ。
「そこの方、そろそろあまり人のいないところは通らない方がいいですよ、特に女性は危険なので。通り魔をご存知でしょう? ナイフを持った男がうろついていますからね」
一言、注意します、と返した。警察官は、お気をつけて、と言って反対側の脇道へ去っていく。
警察が頑張っているのは確かなようだ。果たして、発見したところで彼らに捕まえられるのだろうか。犯人の腕自体はナイフを使っている人間の身体能力内と考えていいのか、はたまた単に女性や子供を狙うのが好きな怨霊なのか、その辺りでも危険度が変わってくる。
「被害状況を調べた時点でおおよその予想はつくわね」
新聞やニュースではほとんどめった刺しに近いとされている。的確に人を殺そうとしているではない、というのは確かなようだ。あまりにも無駄が多すぎる。
考えを巡らせていて、ふと気づくと人気がすっかりなくなっていた。天も薄暗くなってきていて電柱の明かりが灯った。ところどころで電灯が切れかけていて点滅している。
通り魔には適した状況だった。
背後でアスファルトを鳴らして迫る靴音がする。もっと早く撤退するつもりでいたから今日はなにも装備をしていなかった。私一人で相手をできるだろうか、と体を緊張させる。物怖じをしない性格であっても、敵の能力を把握していないうちはさすがに鼓動を早めずにはいられない。心臓から首を伝って耳に大きく強く響く。3・2・1で振り返ろうと思った。
3・2・1――
思い切って後ろへ体をひるがえす。サラリーマン風のスーツを着た男がいた。背は高めでシュラインを視界へ入れ、照れたように視線を逸らす。情報では身長は平均よりも低いとある。つまり――犯人ではない。
ホッと安堵をすると武彦から通信が入った。
『こちらA地点、偵察終了、各自速やかに興信所に戻ってくれ。どうぞ』
『こちらC地点、了解。どうぞ』
「こちらB地点、二人ともお疲れ様。夕ご飯はなにが食べたい? どうぞ」
無事に大通りへ出たシュラインは先程の緊張はどこへやら、日常の何気ない会話を彼らと交わす。武彦が、タバコ、と言うので却下した。クミノに訊くと、なんでもいい、と応えたので結果的に自分で考えることになる。
興信所の冷蔵庫にひき肉が入っていたはずだ。ハンバーグでいいか問いかける。武彦は応じかけ、耳を澄ましているかのように言葉を止めた。一拍のあとに言う。
『こちらA地点、女の悲鳴が聞こえた。近い。俺はこれから現場に急行する。どうぞ』
それは被害者が増えたことを表していた。
シュラインはゆったりと歩く人々を縫うように走りだした。
★ササキビ・クミノSide
救急者のサイレンを聞きつけてできた僅かな人集りの中でメガネをかけたキャリアウーマンという感じの女が担架に乗せられた。白いブラウスの二の腕部分で赤い模様がジワジワと大きくなっていく。傷口で判断すると噂の凶器と一致した。死にはしない軽い被害だろう。
辺りを見渡し、ここは絶好のポイントだと思った。児童公園にしては広大で立ちはだかるように木々が密集している。外の道路や他の遊歩道からは見えなくなっていた。太い木に隠れて待ち伏せにも最適だ。
ジッと見つめるクミノのもとへ武彦と零が駆け寄る。遅れてシュラインも来た。
「クミノも来てたのか」
「それより状況はどんなだったの?」
「ああ。俺が駆けつけた時には被害者は腕を押さえて倒れてた。犯人らしき影は俺の気配を察したんだろうな、逃げる後ろ姿が一瞬見えただけだった。追いかけるには距離があったからな、被害者の方に集中したわけだ。彼女が言うには、マスクをつけた男だったらしい、震えてしきりに呟いてた。あとで病院に行って詳しく訊くつもりだけどな」
そう、と肯いて状況を頭で回想させる。武彦が近くにいなかったら確実に女は殺されていただろう。まさか夜が落ちたばかりの早い時間に現れるとは考えていなかった。5人を殺して大胆になってきたのか、犯行を早めた理由が他にあるのかは分からない。
「あーあ、ついに接触しちまったか。正直、かかわりたくないな」
「なにを言ってるの。連係をとり、情報の整理と推理する頭脳が必要でしょ。嫌だと言っても巻きこまれる運命よ」
「冗談だ、分かってるさ」
分かってる、と再び武彦は呟いて溜め息をついた。本当に分かっているのか怪しいものだ。タバコのない彼がどこまで働いてくれるか疑問だった。
なににしてもこれで公園は要マークだ。ほぼ確定はしているが、例の犯人だとすればしくじったのは今回が初めてとなる。犯人は多幸感全能感に満たされており、河岸を変えるとは考え難かった。あの女をまた狙ってくるだろう。警備の厚くなる公園に対してどういう行動に出てくるか。
「でもお兄さん、霊的な気配を私は感じませんでしたよ」
「なんだって? じゃあ、なにか? クミノの言う通りあの骨董屋のシックスセンスとやらは当てにならないってことか?」
草間兄妹に目を向けられても困ってしまう。初めに言ったのは、あくまで可能性にすぎない。否定も肯定も100パーセントできる保障はなかった。視線を背けて現場の方を見る。
確かに霊的な残滓は感じられなかった。しかしだからといって特殊な能力を兼ね備えている場合もある。強力な力を備えていればいるほど足跡を掻き消すのは容易いはずだ。全くもって油断はできない。
春にしては冷たい風が吹き、なにかを告げるように木々がざわめいた。
★草間・武彦Side
看護士に急かされて早歩きになった武彦とシュラインが病院の廊下を行く。窓越しに見える景色はすっかり暗くなっていた。夕食後、被害者の運ばれた病院探しに手間取って遅くなってしまったのだ。面会時間ギリギリだ。
クミノは無意識で展開されている【障壁】を考慮して先に帰らせている。致死時間は1日ということになっているようだが、死にかけの人間が多い場所に彼女が混ざるのはマズイかもしれない、と考えた。念には念を入れておいた方がいいだろう。彼女は彼女で察したようで、気を悪くするでもなく帰っていった。
案内されて着いた病室をノックして入る。傷自体は入院する必要のないものだ。精神的なダメージがあって泊まることにしたらしい。誰なの、と問いかける怯えた声がした。
武彦が姿を見せると彼女は安心したようでぎこちない笑顔を作る。清潔なベッドに半身を起こし、経済学書を閉じた。表紙には理解できない単語が当然のように並んでいる。随分と難しい本を読んでいるみたいだ。
「さっきはありがとうございました」
「どういたしまして。まぁ、仕事なんでね、無事でなにより」
仕事、という言葉が気になったらしく、無言の問いを投げかけてくる。武彦は簡単に自分の仕事を説明した。彼女の方も職業柄なのか、ハンドバッグから取った名刺を差し出してきた。割りと有名な会社だ、部長をしているという。どうやら外見通りに仕事はできるようだ。
自己紹介も済ませて本題に入る。
「警察にも訊かれてるだろうけど詳しい状況を聞かせてくれないか?」
すると彼女は目を伏せ、伸ばした脚に載せて絡ませた両手に視線を落とした。口を固く結び、唇を噛み締めている。事件のあらましを思い出しているのだろう。申し訳ない想いがしながらも訊かないでおくわけにもいかない。ゆっくりでいい、と言って待つ。壁にかけられた時計の動く音が際立って聞こえた。
女はポツリポツリと話しだす。
「私の務めている会社の方針で残業は禁じられているんです。だからいつものように定時で仕事を切り上げて、夕方過ぎに会社を出ました。そして公園を歩いていたら、誰かが走ってくる足音がして、初めは夜のジョギングかと思ったんですけど、振り返ったらナイフを持っていていきなり切られたんです。驚いて尻餅をついていなかったら、おそらくまともに刺されていました」
「そこに俺が来た、てことか。でもなんでまたあんな人通りのない公園を通ろうと思ったんだ? 事件のことは知ってるだろ」
「あそこを避けて迂回すると家まで倍以上の時間がかかるんです。それに、自分が狙われるなんて思ってなくて」
前者が確かな理由の一つであっても後者が本音だろう。凶悪な事件がニュースで流れていても、まさか自分が、と思ってしまう。ドラマやアニメを観る感覚と同じなのだ。どこかに危機感を持っていてもそれ以外の判断に押し潰されてしまう。
なるほど、と言う武彦は手帳を出す。
「最後にもう一つ質問――犯人に心当たりは?」
女は慎重に考えて唸った。
「マスクの印象が強くて、暗かったし、それに気が動転しててあまり顔を見てませんでした」
そうだろうな、と思っていた。誰だって日常を超越する存在を前にしたらパニックを起こす。これ以上の情報は望めそうになかった。しつこく問いつめて彼女の思いこみや想像で語られても支障をきたすだけだ。手帳に、手掛かりナッシング、と書いて閉じようとする。
「でもどこかで見かけたことがあるような気がしなくもないんです。なんて、きっと気のせいですよね、私ったらまだ混乱してるのかしら」
恥ずかしそうに苦笑する彼女を見て、なにかが閃いた。横のシュラインと顔を見合わせて肯く。彼女も同じことを考えたのだろう。
電話番号を教えてもらい、情報提供に礼を言って二人は病院をあとにした。
★ササキビ・クミノSide
武彦に帰れと言われて帰るクミノではない。通信機といった使用コストは日を重ねるごとに増していく。時間がかかればかかるほど手伝いに対する報酬が削れていくだろう。最終的に得られる金額は同じであっても報酬が減るのは損をした気分になる。武彦とは違う理由で早々に決着をつけてしまいたかった。
犯人の去った方角を推測してクミノは駅前の路地裏へ小さな体を潜めている。夜も深まった時刻になり、人の行き来も少なくなってきたとはいえ、ここらはまだ賑わいがある。目の前を何人もの人々が通っていくが誰もこちらには気づかなかった。
【障気】を発動し、駅近辺を監視して一時間が経つ。半径20メートルの状況は事細かに把握していた。犯人が1日に2度出てこないとも限らない。怪しい行動をする姿を目撃できれば事件の解決も早まるだろう。
一番の問題は情報の少なさだ。背が低くてサラリーマンでマスクをしている男。花粉の季節にマスクをしている者は沢山いる。それに犯行後もしているとは思えなかった。サラリーマンだというのはいままでの犯行時間から推理できる。そしておそらく犯人は気が弱い性格だ。武彦やシュラインも気づいているだろう。犯人は無意識に行動しているのかもしれないが、女や子供しか狙わないのはそのためだ。
そういった面を考慮していくとある程度は絞りこめてくる。クミノは視点を駅の入り口付近に移動させた。音声を聞かなくても騒がしさが分かる人混みだ。若者、中年、年寄り、種々様々な人間がいる。犯人の特徴に該当するのは3人。
まず、3人組の肩を組んだサラリーマン。中央にいる男は背が小さい。千鳥足で仲間と一緒にフラフラと歩いている。顔が絵の具で塗りたくったみたいに真っ赤だ。飲み屋の帰りに違いない。犯人ではなさそうだった。第一、犯人は1人のはずだ。途中で同僚と合流したとも考えられるものの、アルコールの摂取量などを計算に入れると今日の事件が起こる前には飲んでいたと思われる。
次に、ベンチに座ったサラリーマン。視線をキョロキョロと動かして挙動不審になっている。性格の一致。緊張した面持ちで立ち上がった。帰るのかと思いきや、駅の入り口に立つ女子高生に話しかける。なぜかサイフを開いて見せ、指を2本、3本、4本、と立てていく。なにかを交渉しているようだった。少女は首を振って遠退こうとする。しつこくも食い下がる男が彼女の腕を掴んだ。直後、彼の頬が平手打ちで弾かれる。音がここまで聞こえてきた。周りの人間に注目された男は慌てて駅内に消えた。間違いなく犯人ではない。
三人目は、花壇の縁に座るサラリーマンだ。片手はポケットにしまい、もう片方の手でやけに高い位置まで携帯電話を持ち上げていじっている。先程の男とは違って落ち着いていた。性格は犯人像と合わない。しかしその視線はなにかを観察するように時々携帯の脇へ外している。
クミノの携帯電話がバイブで着信を告げた。画面の表示には武彦の名が出ている。サラリーマンを監視しながら電話を繋げた。
「俺だ。どこにいる?」
「家」
即答した。彼は疑うでもなく、そうか、と言って間を置いた。
「実は有益そうな情報を手に入れたんだ、考えがある」
「こっちもよ、帰りの途中で偶然」
「そうなのか? よし、じゃあ明日の夕方――」
簡単な説明を聞いたのち、携帯の通信を切った。彼の方でもなにか確固たるものを掴んだらしい。なんだかんだでちゃんと仕事をしているようだ。
クミノも彼に負けず劣らずの仕事をしていた。軽く笑んで踵を返す。
【障気】の視点が男を捉えている。彼の見る方向には女子高生やOLがいた。
★???Side
男は標的が出てくるのを会社の脇にある本屋で待っていた。立ち読みをするフリをして女を待っている。デートの約束よりもドキドキする一方的な待ち合わせだ。
出てきた。
いかにもキャリアウーマン然としたスーツ姿で華麗な歩き方だ。ああいうところが気に食わない。見下されている気がする。事実、あの女は見下している。
くだらない雑誌を放り投げて男は一定の距離でついていった。目立たない背格好というのはこういう時は有利に働く。
昨夜はしくじった。あと少しだった。邪魔が入らなければ仕留められた、あの憎々しく忌々しい女を虐げられたのだ。悔しさが感情を昂ぶらせていく。おのずと息が荒くなっていった。ポケットに手を突っこんで閉じたバタフライナイフを触れる。固く冷たい感触を指先に感じた。
昼間のことを思い出す。部長でもある女は腕を切られたというのに懲りずに出勤してきた。それどころか提出した企画書をあっさりと目の前でシュレッダーにかけたのだ。いつものことだ。その時もこうやって密かにナイフへ触れて自身を落ち着けた。
自分にかかれば誰もが倒れ伏す。それもこれもこのナイフのおかげだ。俺は変わった、と男は思った。骨董屋で紹介され、触れた時に変わった。人を刺したくなるという曰くのあるナイフ。買った次の日、衝動を抑制できなくて女を殺した。次は塾帰りの子供。
「チビだからって馬鹿にした目で見やがって」
立ち場は逆転して思うがままだ。このナイフさえあればなんでもできる。それは至極の快感だった。曰くに「様」付けをしたくなるぐらいだ。気弱で臆病な性格を変えてくれたのだ、感謝してもしきれない。
心の中で笑みつつ歩く男は速やかに曲がり角へ入った。女が雑貨屋に行ったからだ。おかしい、と思って首を傾げる。いつもは寄り道を一切しない。ここ数日で調査済みだ。
数分後、出てきたのは二人だった。一人はもちろんスーツで長い黒髪の女に、もう一人は買い物袋を持ったワンピースの少女だ。背中の感じを見るに年齢も低いだろう。誰なのだろうか。彼女は結婚をしていないはずだ。隠し子か従姉妹か親戚の子供か――まぁいい、と男は納得することにした。あの女と知り合いなのであれば心の醜い人間だろう。ついでにナイフの餌食にしてやればいい。
女と少女が会話をしている。なにを話しているのだろうか。女は微笑ましい声で話しかけている。そう、あのソプラノの声だ。気分を逆撫でしてきてストレスが溜まる。
「俺にはあんな優しい声をかけてくれたことなんてないのに」
呟いて、クソクソクソッ、と貫かんばかりに背を睨みつける。ヘドロのように蓄積された鬱憤を晴らす時まであと少しだ。人の数も減ってきてほとんどない。空のオレンジ色が紺へと滲んできている。
公園は昨日の今日で巡回が多くなっているはずだ。やるならばその前がいい。公園の入り口へ続く一本道も塀に囲まれていて外部には見えない。
少女の方が買い物袋を落として中の雑貨が散らばった。女がやや屈んで拾おうとする。チャンスだ。歩みを大きく早くし、徐々に疾走へと変化させる。慣れた動作でバタフライナイフを開いて構えた。女は振り向かない。振り向こうとした時には接触している。
突進した男の持つナイフの切っ先が女の背に突き立った。
★シュライン・エマSide
雑貨屋で入れ代わり、私服ではなく被害者の女と同じ格好へ変装したシュラインは、切られた、と思った。衣服が裂かれ、硬質な響きが擦れていく。しかし肉体自体に損傷は一切なかった。あらかじめ狙われそうな箇所に金属板を巻いていたのだ。
犯人がつきすぎた勢いを殺せないで通りすぎ、前の方でたたらを踏んだ。バランスを崩した彼は諦めないでナイフを構え直す。
横で残像ができる素早い動作があった。クミノが手の中に小型の拳銃を生んだのだ。回転させたそれを握り、犯人が一歩踏み出す前には額に固く重い銃口を押し当てている。小さな銃とはいっても人間の頭蓋骨を粉砕するには十分な威力がある。
男は瞬く間にフリな立場に追いやられた驚きより、こちらの姿を見て目をしばたいている。
「そんな、まさか、人違いだと? いや、そんなはずはない、声が同じだった。そうだ、声が同じだったじゃないか! あの憎々しいソプラノの響きだった! 間違えるもんか!」
「それは、こんな声?」
シュラインが一呼吸のあとに男を見下した目つきで口を開く。
「あなた、こんな企画書が通ると思ってるの? 全部やり直しなさい!」
それは被害者の女が発する声だった。シュラインの声帯模写の能力だ。本人のものに「似ている」というより「そのもの」だった。どんな科学分析をしても同一人物と判定する。騙されるのも無理はなかった。
絶叫した男が銃を振り払って二人の間を割って抜けた。不意を突かれたクミノは舌打ちをする。
「武彦さん!」「草間!」
ほとんど同時に叫ぶと男の進行方向に武彦が立ちはだかった。挟みうちにされた犯人は後退り、距離を縮めていく前後を交互に見る。二人を相手にするより一人と思ったのだろう、自棄気味にナイフを振り上げて武彦へ向かっていった。対する彼は素手で構える。
銀の煌きが電灯に照らされて弧を描いた。攻撃も半ばにナイフが飛んだ。武彦の足が蹴り上げたのだ。アスファルトに軽い金属音を立てて落ちる。男が必死になって手を伸ばした。寸前で繊細な手が代わりに拾う。零だ。
「素手で触って大丈夫なの?」
念のため近くにお神酒で清めたロープを用意していて悪い霊が憑いていても縛って持ち運べるようになっていた。
心配をして訊くシュラインに彼女は、はい大丈夫です、と肯く。
「どこにでもあるナイフと変わりありませんから」
「え? 武彦さん、それってまさか――」
「ああ、その通りだ」
武彦がクミノに動きを制止させられて混乱する男を見下ろす。
「曰くがあるなんて嘘っぱちだったんだ。人を刺したくなるのは怨霊の仕業でもなんでもない」
いつでも引き金を引けるようにして男に注意を配りながら踏みつけるクミノが、なるほど、と言った。
「昔でいうところの新調した日本刀で試し斬りがしたくなる心理ね」
「そう、普通のナイフや銃などでもあり得る。そんな状態のところへ、曰くがあって持ってると人を刺したくなる、なんて言われればナイフのせいだと思いこんでしまう。責任転嫁をして犯行にも及びやすい」
四人の視線が足元に向けられる。犯人は本来の弱々しい男の姿になっていた。溜まりに溜まったフラストレーションが爆発して正反対の凶悪なものになっていたのだろう。
「ナイフなんて関係ない、5人の命を奪ったのはアナタ自身の意思」
目線をわざわざ合わせたクミノがズバリ言ってみせた。聞いた男が奥歯を鳴らして嗚咽を漏らす。悔い改めても殺された人の命は戻らない。いまさらながら罪の大きさを感じたようだった。
「ある意味、呪われたナイフなのかもな」
なんとなくといったように武彦が呟いた。
★草間・武彦Side
香ばしい匂いのコーヒーを口にして新聞を開く。大きな見出しで「連続通り魔、逮捕!」とあった。あのあと男は間もなく警察に連行された。極刑、良くても終身刑だろう。会社に取材をした様子で、同僚のコメント「普段はそんなことするような人間ではなかったのですが、ただただ驚きです」などと添えられている。
「草間、依頼料が入ったんでしょ。私の報酬と必要経費、さっさと払って」
「ああ、そうだったな。心配するな、今回はちゃんと耳を揃えて渡す」
厚みある封筒を取り出してそのうちの一部をクミノに差し出した。受け取った彼女が机の傍らに置いたバタフライナイフを横目で見る。
「そんな物持ってきてなにに使うの?」
「変な噂が出てまた世に流れたら問題だからな。どっかで処分してきてくれないか」
クミノ、それからシュラインの方へ視線を向ける。彼女らが目を見合わせた。
黒電話がけたたましく鳴って響きを興信所内に隅々まで行き渡らせる。シュラインが受話器を取った。彼女は丁寧に対応をして眉をしかめる。耳から電話を離して武彦へ向く。
「怪奇事件の調査依頼みたい」
「断ってくれ、久々にまともな仕事ができたんだ。それに――」
ふところに手を伸ばしてまだまだ大量に入ったタバコの包みを出す。一本を咥えてライターで火を点けた。
「――これもまだストックがあるしな」
引き出しを開けてカートン単位でいくつも詰められたタバコを見せる。シュラインは苦笑を浮かべて電話に断りの言葉を言った。
白く細い煙が天井に向かって昇っていった。
<了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1166/ササキビ・クミノ(ささきび・くみの)/女性/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
<※発注順>
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■ ライター通信 ■
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「きっかけはナイフ」へのご参加ありがとうございます!
この調査依頼は、いつもの怪奇物と見せかけて実は普通の事件だった、というものです。
なので、期待や想像とは違うと感じるかもしれませんが、
良い意味で裏をかけていたらなぁ、と思います。
事件を解決方法としてヴォイスコントロールの能力を使わせてもらいました^^
この設定を見た時になんとか使えないものかと考えていたので、
自然な感じで書けていることを祈ります。
全体的にも、いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけたらと思います。
もしまたの機会がありましたら、ぜひご参加ください。
それでは、今後もよろしくお願い致します♪
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