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<東京怪談ノベル(シングル)>


春眠、暁を覚えず。

 欠伸が出ます。
 …いえ、別段…退屈、と言う訳でも無いのです。
 ただ、ぽかぽか陽気が気持ちよい、と言う事くらいで。今は、そんな季節になります。
 私の正面には今、数冊の稀少言語の辞書が広げられております。ただ、辞書と言っても編纂途中、それも――ちょっとした趣味で手掛けているだけのもの。別にどうしても、の必要があってしている訳でもありません。もう使う方が少なくなっている少数民族の言葉、新しい言葉に淘汰され、既に文献に残されているだけでどなたも使ってらっしゃらない言葉――等々。興味を持ったところから、何となく手を付けています。
 一応、私のライフワークと言っていいだろう、仕事ではあるのですけれど。
 ずぅっと昔から、やってます。
 難しそう…に見えるかもしれませんが、楽しいですよ?

 …また、欠伸が出ます。
 目の前の編纂途中の辞書には、まだ白紙のページが多いです。
 一旦、伸びをしてから、ティーポットからカップに紅茶を注ぎます。
 飲みます。
 …和みます。
 いい春の日なのです。
 ふと、目の前に広げている以外の――書棚に並べて置いてある、編纂途中の辞書にもちらりと目を遣ってみます。他のものも広げてみましょうか。それとも今目の前にあるものを先に、進めましょうか。
 興味は気分で移り変わります。…そもそも、目の前に広げてあるものだけでも、ひとつではないのですが。

 どうしましょうか?

 …取り敢えず今机上に広げてあるものは――比較的簡単な種類のものなのですけれど。
 それでもまだまだ白紙が多いです。
 元々、この編纂途中の辞書を――広げてみるのは、久し振りなのです。
 今日は気持ちのよい日ですからやってもいいかなぁと。
 そんな風に思いつき、久々に広げてみた訳です。
 思いついただけです。
 …どうしても今――とか、やらなければならない――とか、そんな大変な事ではありません。
 やりたいからやっているのです。

 さて、そんな編纂途中の辞書、いつになったら出来上がるのか。
 それは神のみぞ知る、です。
 …私にもわかりません。
 はい。

 でも、それでいいんです。
 困る事は何もありません。



 さらさらさらと紙の上にペンを走らせます。文献から引いて、自分の頭の中に置いてある知識とも比較して、調べて。いい感じです。やっぱり今日は辞書の編纂をする、と決めて正解だったようです。
 暖かい日の光が私を応援しています。

 そんな中、ふと、書斎の窓の――外の景色が目に入ります。
 お庭で咲き誇る花が鮮やかな緑が私を呼んでいます。綺麗です。
 可愛らしい鳥の囀りも何処からか聞こえてきます。元気です。
 窓を開けてみました。
 いい風が入ります。
 心地好いのです。
 本当にいい春の日なのです。
 今度は――お茶請けに用意しておいたお菓子をひとつ、手に取ります。
 私の大好きなお菓子なのです。
 …美味しいのです。
 紅茶にとても合います。
 和みます。
 美味しいお菓子とお茶があれば幸せなのです。
 特に、こんな春の日は。

 眩しさに目を細めながら、窓の外を眺めます。
 ぽかぽかと暖かいのです。

 …私は椅子を立ちました。



 気が付けばいい匂いのするふかふかのベッドの上でした。
 …おひさまの匂いがするおふとんに誘われて――もぐりこんで眠ってしまっていたようです。
 目が覚めると、開けっ放しの窓からそよぐ風が頬を撫でます。
 程好く涼しいです。
 …お昼寝には丁度いいような昼下がりなのです。

 机上の編纂途中の辞書、白紙の量はあまり変わっていません。
 結局、何も進まないままの一日になっているのです。
 でもそれでも、構わないのですけどね。
 誰の為に作っている訳でもありませんし。
 これを作ってどうなるか――って、私の、自己満足の為に作っているに過ぎないんですから。
 遅くなってもいいのです。
 今はもっと重要な事があるのです。

 そう。
 気持ちのよい時には、寝るに限るのです。

【了】