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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


▲閉鎖病棟24時▼


------<オープニング>--------------------------------------

 大きく息をついて碇麗香はキーボードに這わせた手をコーヒーカップへ移動した。モニターを眺めながら指先でコツコツとカップを叩く。近頃は胸躍らせる特ダネがさっぱりなくてマンネリ気味だった。このままではコアな一部の読者も逃しかねない。
 ふと顔を上げると異質な騒がしさが編集部の入り口で起こっている。三下忠雄が情けない声を上げて必死に押さえていた。やや興奮した様子の青年がなにかを訴える。
「お願いです、助けてください! 警察に捜索願い出しても発見できなくて、でもアイツは絶対にあの中にいるんです!」
 そういうのは困りますよぉ〜、と眉を「ハ」の字にした忠雄が足を踏ん張らせて追い出そうとした。会話の内容からして行方不明者が出たのだろう。一つ気になるのは警察がダメだからといってなぜここに来たかだ。
 直感が特ダネの匂いを感じる。声をかけて彼らへ来るように言った。でも、と躊躇う忠雄を強めの口調で制し、青年の話を聞く。
「実は、友達と三人で廃病院に肝試しをしに行ったんです、女のコの霊が出る、ていう噂を聞いて」
 ビンゴ、と胸中で呟いて麗香は口端を僅かに持ち上げた。メガネの縁を軽く摘んで掛け直し、身を乗り出す。
「初めはもちろん信じてませんでした、遊び半分で。でも実際に出たんです」
「女のコが?」
「そんなもんじゃありませんでした、地獄です。人間のようなそうでないような奴らに追いかけられて、とにかく逃げて逃げてやっと病院を脱出した時、僕ともう一人しかいませんでした。友達の一人がいなくなってたんです。それでも二度とあそこには戻りたくないし、警察に頼んでも見つからなくて」
「それでここに来たってわけね」
 青年は小刻みに震えながらコクリと肯く。少女の霊の他にも大量に襲い来る霊、いったい廃病院にはなにがあるのだろうか。
 分かったわ任せなさい、と言うと彼は嬉しそうに礼をして帰っていった。
 楽しくなってきた。想像を巡らせるだけで記事が組み上げられていく。
 忠雄へ視線を向ける。ビクッと体を震えさせて彼は後退った。相変わらず勘はいいようだ。
「さんした君、取材をよろしく頼むわね」
「ひょえぇえぇっ!? 嫌ですよぉっ、僕なんかじゃ行方不明に加わるだけですぅ〜!」
 メガネが飛びそうな勢いで首を横に振って拒否反応を示す。
 ふむ、と考えて、彼の言っていることも一理あると思った。忠雄の身の危険はともかくとして、編集部まで戻ってきてもらわなくては記事にできない。さりげなく酷いことを思案して電話へ手をかける。
「しょうがないわね、特別に護衛をつけてあげるからしっかり真相を突き止めてくるのよ」
「あぁ〜、僕は結局行かなきゃいけない運命なんですねぇ……」
 なよなよとした声を出して肩を落とす。彼もどんなに反抗したところで麗香には逆らえないと分かっているのだろう。しきりに溜め息をしてデスクへ戻っていった。
 全く気にしていない麗香は早くも記事の見出しを考え始めた。

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★三下・忠雄Side
 錆びた門を通って廃病院の敷地内に足を踏み入れる頃、小雨がちらつきだした。手入れのされていない地面はぬかるみ、生え放題の雑草が雫を弾いてズボンの裾を濡らす。天気予報では一日中晴れだと言ってたのに、と月を隠した灰色の空を仰いだ。1滴、2滴と水玉がメガネに当たる。視線をそのまま高くそびえ立つ廃病院へ向けた。白い塗装が暗く淀んでいて薄気味悪さを一層濃くしている。
 不安で不安でたまらなかった。
 横の方をチラリと見やる。繊細さを形にしたような長い黒髪に華奢な体、それでいて丸みを帯びた豊かな曲線は女性らしさを際立たせている。雨に濡れた髪やワンピースが部分的に肌へ貼りついていて可愛らしさよりもいまはセクシーさが浮き彫りになっていた。
 彼女とは面識がないわけではない。しかし現場にいるのは自分と一人の少女のみだ。この状況は心細さを増幅させられる。
「だ、大丈夫ですか?」
 つい訊かずにはいられなかった。
 キョトンとした少女はすぐに微笑んで手に持っていた袋を掲げる。
「お塩と懐中電灯は持ってきましたよ」
 神埼・美桜は、頑張ります、と顔の前で両拳を小さく握った。
 ハハハハ、と苦笑いせずにはいられない。お決まりのオバケに変装した友達にキャーキャー驚きながら墓に塩を盛って帰ってくるような夏の定番――肝試しとはわけが違うのだ。ヤバイものはヤバイと三下・忠雄は身をもって体験している。本気で走馬灯が見えたことが何度もある。今回はそれどころではないかもしれなかった。
 遺書を書いてくれば良かったと後悔していると美桜が雑草を踏み締めて敷地の端に植えられた木に寄った。手で触れ、密着する。小さな声でなにかを呟いた。
 振り返った彼女は小さく息をつく。
「確かに病院内には行方不明になった方がいるようです」
 それは彼女の能力だった。動植物などと会話ができるのだ。樹木の見ていたもの聞いていたもの感じていたものを情報として収集できる。依頼は行方不明者の救出だ、入って大変な目に遭って誰もいませんでしたとなったら骨折り損のくたびれ儲けになってしまう。確かな証言があるだけでも精神的には違ってくる。
 少し感心をし、そんなに心配をしなくてもいい気がしてきた。行きましょう、と少女が手を引く。雨も勢力を増してきたようだ。扉の撤去された入り口へ駆け足で入った。ハンカチを出した美桜は雫を拭いてくれ、それを繋いでいる手に結びつける。
「これでお互いに、はぐれたりしませんよね」
 可憐に微笑む表情に心臓が跳ね上がる。違う意味でもドキドキしたのだった。


★都築・亮一Side
「はい、そうですか、分かりました、すぐに行きます」
 携帯電話を切り、自分の部屋を見回した都築・亮一は無駄のない動作で準備をした。懐中電灯に始まって札や小刀、退魔に役立つ品々を装備していく。1秒とて遅れるわけにはいかなかった。表面には出ていないが、内心はハラハラしていて一刻も早く駆けだしたい気分だ。
 アトラス編集部の碇・麗香に調査依頼をされたのだった。それはいい。問題は自分1人ではないということ。編集員の忠雄に加え、従妹の美桜が既に現場へ向かっているという。人間に危害を与える霊がいると思われる場所に行かせるなどさせたくなかった。引き受けるなら引き受けるで一言ぐらい相談してほしい。しかし自分は間違いなく断れと言うだろう。彼女はそれを見越していて伝えてくれなかったのかもしれない。
 フル装備をした亮一がふすまを開けた。左右に長い廊下が伸びている。
「こんな雨降る夜更けに、どこへ行かれるのですかな」
「ちょっとそこまで行ってきます」
 寺の僧だった。頭を綺麗に剃りあげた男は視線を上下に移動させてこちらの姿を観察している。どこからどう見てもサンダル引っかけて夜食を買いにコンビニへ向かうような格好ではない。
 亮一には劣る彼も鍛練をしている身、危険な場所へ行こうとしているのは一目瞭然だろう。
「アナタは寺を統率する立場にある方ですよ。少しは自覚をもってください」
「俺はそんなことどうでもいいです。通してください」
「断じてなりません」
「どうしても通してくれないのならば――」
 蹴り。
 正に一蹴を食らわせて男を踏み倒し、亮一は廊下を疾駆する。すみません、と心底申し訳なく思った。しかし美桜に関する出来事に対してはどうにもならない。実の妹のように可愛がっている彼女になにかがあったらと想像するだけで居ても立ってもいられなくなる。ことが起こってからでは遅いのだ。後悔はしたくない。
 ゆえに走る。
 騒ぎを聞きつけた者達が角や部屋を跳びだして次々に向かってきた。全てを右へ左へあっさり躱していく。疾風の如き亮一を止められる者は誰もいなかった。玄関を出て尚も足は止めない。本降りになってきた雨も気にしないでひたすらに続く階段を下りていく。
 廃病院の場所は麗香に聞いてだいたい分かっていた。できることなら病院へ入る前に間に合ってくれ、と切実に願う。いつも美桜は心配をさせるようなことをする。もうニ度となにもできずに悔やむのはごめんだ。
 水溜まりを後方へ蹴飛ばしてただただ走った。


★神崎・美桜Side
 院内は異様な気配に満ち溢れていた。天候の悪さもあって春の温もりを一切感じない。深い闇による圧迫感があった。入ってすぐの広いロビーにはイスやソファーが散在している。懐中電灯で照らす床はホコリまみれで、かつてあったであろう清潔さは見られない。
 静寂な空間に2人の足音がやけに大きく響いた。繋いだ手に忠雄の不安や怯えが感じ取れる。精神感応の能力が普通の人よりも如実に彼の状態を教えてくれた。忠雄の心情を思うと先に進ませるのは躊躇ってしまう。
「あの、私、一人で行きましょうか? きっと大丈夫ですから」
 え、と止まった彼にほんの少しだけ安堵の色が出る。彼は唇を噛み締め、勇気を振り絞るように首を振った。
「い、いいい行きまふっ!」
 沈黙。
 大いに震えて裏返った声に悪いと思いつつも美桜は笑ってしまった。忠雄も頬を掻いてはにかんでいる。
「それに、行かないと怒られますから」
 ポツリと一言、遠くを見つめたメガネの奥でキラリと涙が光った。
 励ましの意を込めて手を改めて強く握る。頑張りましょう、と言ってあげると彼は黙って肯いた。
 どこを回ろうかと1階を探索する懐中電灯に照らされてレントゲン室のプレートが見えてくる。ひとまず入ってみようということになった。
 中にはレントゲンをする大きな機械が設置してある。部屋は二重になっていてドアがもう1枚あった。こちら側の部屋が見えるように壁がガラス張りになっている。ホコリや汚れで曇っていてあまり鮮明には覗けない。
 忠雄がドアを開けた。傍目にも無理をしてるのがありありと感じられる。恐る恐る入った彼はなんでもないことでたまに、うひゃ、と独特な声を上げた。
 機器が並んでいる。ここで医師が操作してレントゲン写真を撮るのだろう。用途不明なボタンが勢揃いしている。それを忠雄が寄りかかった拍子に押してしまった。例に漏れなく、うひゃぁっ、という声を耳にする。機械のある向こうの部屋がカメラのフラッシュのように発光した。
 今度は美桜もビックリして、きゃっ、と目を瞑る。再び暗くなった部屋で2人は目を見合わせた。おかしいのだ。病院が潰れたのはずっと昔のことで電気が供給されているわけがない。電源をONにできない機器はどう引っくり返っても作動させられない。
 背筋がゾッとする。それは何者かが確かに存在する証拠。微かに震える手は忠雄のせいか自分のせいか分からない。口数を少なくして部屋を出た。
 レントゲン室の対面に薬剤室があった。表記するプレートは傾いていて落ちないのが不思議なぐらいだ。本当は開けたくないのを、ここに行方不明の青年がいたら、と思うと行かないでおくにはいられなかった。
 猫の鳴き声のようにドアが軋んで開く。いきなり棚がいくつも並んでいた。ガラス越しに見えるのは倒れてこぼれた薬品の数々だ。粒状のものやカプセル状のものが散乱している。
「あ、いまなにか聞こえませんでした?」
「えぇえ? ぼ、僕には聞こえませんでしたけど」
 忠雄が左右を忙しく確認している。人の気配がしたのは奥の方の棚だ。壁になっていてここからでは窺えない。依頼をしてきた青年の友達だろうか。確認をする必要があった。
 乗り気でない忠雄を引きずるようにして部屋の奥へ歩む。足音に混じって物音が聞こえてきた。細かく、断続して耳朶に響く。音の発声源は近い。棚の裏にできた空間を覗いて光を当てた。
 薄汚れた白い服。隅に屈んでボリバリとなにかを頬張っている。床には薬が散らばっていた。それを掴んでは口に運んでいる。あの、と問いかける美桜。ボサボサの髪をした彼はゆっくりとこちらを振り返った。
 朽ちた顔。
 黒眼のない双眸、欠けた鼻、引っ掻き抉られた頬、歯茎が露わになった口――人外の者だった。ハッと息を呑んだ美桜は立ち上がる彼を前に動けない。1歩、2歩と迫ろうとする脅威に対してなにもできなかった。
 ゾンビとなった男が腕を伸ばして襲いかかってくる。限界まで開けられた口が噛みつこうと肉薄した。
 寸前で手を引かれる。男が壁に激突して転倒した。
 小走りになって前方を見ると忠雄が必死に引っ張ってくれている。うひゃうひゃうひゃぁ、と混乱の叫びをしながら棚の迷路を抜けた。美桜も続いて背後を振り返る。
 人型の怪物は数メートル後ろを走ってきていた。ドアに手をかけて勢いよく閉じる。直後に激突音がして鉄製のそれが僅かにたわんだ。何度も何度も体当たりをしてくる。ドアノブを回す知能はないようだ。
 2人で荒い呼吸をしてとにかく薬剤室を離れる。階段があった。
「上、上行きましょう。ここはきっと危ないです、早く、早く」
 同感だった。追ってくる様子はないが、なにかの偶然でドアが開かないとも限らない。好んでショッキングな姿の人間を見たくはない。やや急ぎ足で階段を上がっていく。
 今度は精神感応能力を注意深く作動させて危険を探った。床を這う虫、迷いこんだ野良犬、なんでもいい、あらゆる生命を対象に力を発動させて死者がいないか監視する。
「なにか、います」
「うひゃぁっ! ま、またですか!?」
 階段を上がりきったところで忠雄が腰を引いて身を縮める。具体的には分からないものの先程とは違う感じがした。明確な意思がある。廊下をなにかが宙を羽ばたいて迫ってくる。窓に射す外の電灯により段々とそれがなんなのか分かった。
 背に翼を生やした巨大な蛇だ。咄嗟に逃げようとする忠雄を押さえて蛇を見据える。どうやら誰かに使役されているものらしい。忍びこんだ青年らを追いかけ回して退けたのはこの蛇だろう。人間を病院外に排除するよう命じられているのが美桜には分かった。ゾンビを相手にするのとは違う。
 優しい手つきで蛇の顔に触れて額同士を当てた。精神へ入りこんで会話する。説得はものの数分で済んだ。ついでにこのフロアには誰もいないと教えてもらった。礼を言った美桜は瞼をパチクリさせる忠雄を引きつれて上へ通じる階段へ向かったのだった。


★都築・亮一Side
 レインコートを脱ぎ捨てた亮一はロビーを見渡した。暗く冷たい空気が流れている。既にそこには美桜がいなかった。鷲の姿をした式神を呼んで先導させて歩く。彼女を察知すれば式神が教えてくれるのだ。
 しばらく廊下を進んでも影すら見当たらない。この階にはいないのだろうか。高い天井を見上げて息をつく。彼女の治癒能力が特殊なのを知って蘇りを目的に襲われていないか心配だった。焦る気持ちを抑えながらも歩を加速させる。
 式神が反応を示した。廊下を2つの人影が歩いてくる。美桜の他に忠雄もいるはずで、その2人かもしれない。
 期待は裏切られることになる。
 神剣「ツクヨミ」を構えて相手を睨む。風貌は極ありふれた看護士とパジャマ姿の男だ。衣服を纏った中身が異質なものだった。腐った体で呻きを発し、頼りない足取りで向かってくる。
「死して生きるのは世の摂理に外れています。安らかに眠ってください」
 一吹きの風を起こす。間合いに立った彼らは停止し、やがて崩れ落ちた。腐肉を両断した剣が音を立てる。
 自分には戦う術がある。だが美桜にはそれがない。このような敵を相手にできるとはとても思えなかった。早いうちに彼女と合流しなくては、と亮一は階段を目指した。


★ゼハールSide
 ゼハールの意識が目覚めるとそこには幼い少女が立っていた。今回の召喚者だ。霊体の場合、外見と力が比例しないことが多い。彼女に命令されて3階以上のフロアを守護している。もっとも召喚者に力がなくとも絶対服従は変わらない。普通の少女であってもどんなことであっても背きはしない、言われるままに行動するのみだ。
 ただし誰一人としてここまで来た者はいなかった。階下を守らせている大蛇のハイレスがだいたい追い払ってしまうからだ。ハイレスだけで大丈夫だろう。それでもゼハールは微笑んで従っている。細い体と少女のような顔には不似合いの大鎌であるミッドガルドを肩に掛けて見回りをする。
 一周をして今日も異常なしであることを確認した、その時だった。階段の方で歩みの音がする。2人分だ。慎重に足を運び、時々「うひゃっ」という意味不明な声がした。ハイレスはどうしたのでしょう、と疑問に思いながらも小さな歩幅で侵入者に近づいていく。
 彼らも気づいたようで、こちらを視界に入れて後退った。
「こんばんは、ようこそいらっしゃいました。私はゼハールと言います、このフロアを守護させていただいています」
 微笑して礼をする。つられたのか、2人も自己紹介をしてきた。黒髪が綺麗な少女の方が美桜でメガネの素敵な男が忠雄。仲良く手を繋いでいて、心優しそうな印象がある。少なくとも戦闘や破壊の意思は垣間見えなかった。人間に多少の害をもたらすミッドガルドの瘴気を抑制する。
「あ、あの、なにもしてこないんですか? その鎌で斬りつけたりとか」
「はい、そのようなことは致しません。私の目的はあくまで病院の守護です。もっとも破壊活動をなさるというのならば事情は異なってきますが」
 体を引き気味の忠雄へにこやかに応える。それを聞いた彼は安堵したように大きく息を吐いた。横の少女も肩を撫で下ろしている。
「立っているのもなんですからお茶でもどうですか。こちらの部屋で紅茶を用意させていただきます。残念ながら個人的に嫌いなお酒は用意できませんが満足してもらえると思います」
「いえ、せっかくですけど遠慮しておきます。私達、先を急がないといけないので」
 美桜が苦笑する。少し残念に思いつつゼハールは笑みを崩さない。
「それより、ここ最近で外から男の人が迷いこんできませんでした? 私達、その人を探してるんです」
「ええ、いらっしゃいますよ。こちらへどうぞ、ご案内します」
 あっさりと応えるゼハールに2人は困惑顔でついてくる。しかし自分にとっては当然のことをしているだけだった。あらゆる質問に真実を応えるという制約があるからだ。軽やかな歩調でエレベーターに促す。
「地下1階まで通じています。そこから更に下へ行ったところにいらっしゃるはずです」
 重々しい扉が開いていく。エレベーターはゼハールの力によって動いていた。素直に頭を下げてくる彼らを微笑んで見送る。脇にある電光表示が下がっていった。
 ゼハールはあらゆる質問に真実を応える。だが質問されなかったことに関しては応える必要がない。地下にも守護する者がいることを言わなかったのはそのためだった。
 あ、と思った。痛みなどはないが、階下にいるハイレスが倒されたのを肌で感じる。誰かが上に来るようだ。
 大鎌ミッドガルドの瘴気を大気に混ぜ、クスッと笑った。


★都築・亮一Side
 亮一は焦燥感に押されて階段を駆け上がっていた。非常に手強い翼を有する大蛇がいたのだ。なんとか撃退できたが、あんなものがいるとは思いもしなかった。考えるのは美桜のことだけだ。どうにか無事でいてくれることを祈っていた。彼女に指1本、髪の毛1本ほどの傷をつけただけでその者を許さない。息の根を止め、魂も成仏ではなく消滅させる。容赦するつもりは少しもなかった。
 3階への階段を上がり終わると急に息苦しくなる。疲労からではない。頭の奥の方で痛みが響き、胃の中が掻き回されるかのように気持ち悪くなり、体調が不快なものへ導かれた。フロア内にあの蛇よりも強いなにかが存在する証拠だ。
 ツクヨミを構えて廊下に出る。黒と白、そして腰の赤がコントラストを生んだメイド服の少年がいた。首には鎖の付いた首輪をしている。一見、少女に見間違う容姿だ。
 巨大な鎌を手にペコリとお辞儀してきた。
「こんばんは、ゼハールといいます」
 顔を上げた彼は微笑みを浮かべて言う。
「敵意があるとみなし、攻撃させていただきます」
「なっ!?」
 距離が一気に縮まった。跳んだゼハールが鎌を振り上げている。
 金属の擦れる音。
 ツクヨミで絡みつこうとする刃を押さえた。姿形からは想像のつかない膂力が腕に圧しかかる。飛び退いた亮一は体勢を整えて剣撃を繰り出した。突き、横薙ぎ、斬り上げ――どれも手応えはない。やはり只者ではなかった。
 重量のある刃が遠心力を伴って振り下ろされる。敢えて退かないで接近し、柄の上の方を一文字にした剣で受けた。重さで膝が少し落ちる。
 ゼハールと視線が合った。笑みを湛えた目にジッと見つめられる。瞳の奥で妖しい輝きが発生した。悪くなっていた気分が心地良くなっていく。ダメだ、と思った頃には時既に遅し。意識が不確かな方へ薄れていった。
 そこには美桜がいる。彼女が優しく微笑みかけてくる。ふわりと長い髪の甘い香りが漂った。花に誘われる蝶のように亮一は彼女に触れる。くすぐられるような匂いと温かな感触がもっと近づきたいという欲求を強めた。戸惑う美桜を抱き締め、顔を近づけていく。甘美な口づけ、熱い吐息。用意されたベッドへ少女を押し倒し、衣服に手をかける。
 辛うじて留まった。違う、これは自分の意思ではない。目に入れても痛くないほどに想ってはいても、こんなことをするつもりは一切ない。彼女は守るべき者、傷つけたくはない。ダメだダメだダメだ。
「あぁあああぁああぁっ!!」
 叫び。
 意識が爆発した。視界が急激に戻っていく。
「あ」
 一音を発したゼハールが吹き飛んで床を滑った。倒れた彼はピクリとも動かない。どうやら能力を破られて気絶したようだ。荒い息をして亮一は額に浮かんだ汗を拭う。もう少しで快楽の渦へ巻きこまれるところだった。
 ますますの危機を感じながらその場をあとにした。


★ニルグガルSide
 召喚されたもう一人の堕天使は下の階へ行く唯一の手段でもある階段前で槍を手に立っている。ニルグガルはエレベーターが頭上のフロア地下1階に降りてきたのを知っていた。人間の息遣いが聞こえてくる。持っている槍――モトが放つ瘴気を吸ってかなり苦しくなっているはずだ。周囲のコンクリートはモトの影響で表面に腐敗が始まってきている。
 侵入者は運がいいようだ。召喚者の力で集められた霊体が大勢存在しているのにことごとく接触しないで避けている。偶然に次ぐ偶然は奇跡に近い。敵を感知する能力があるのかもしれなかった。例えそうであってもここを通らずに下へ行くことはできない。病院として機能していた時代には遺体運搬専用のエレベーターもあったがもはや事切れている。
 フロア内に誰かが足を踏み入れたようだ、足音が駐車場に響く。間もなくして黒髪の少女とメガネの男が歩いてきた。瘴気に結構参っているようで顔色は優れない。それを差し引いても攻撃の意思は読み取れなかった。
「監禁されてる方は下ですか?」
 少女が疲労からか簡潔に問いかける。
 ニルグガルは秘密を持たない、他者の質問に逃げない。
「はい、いらっしゃいます」
 無表情で至極機械的な声で応じる。
 少女が一歩近づいたのを合図にモトを構えた。切っ先はいつでも彼女を貫ける位置にある。
 召喚者の命令は絶対だ。
「ここをお通しするわけにはいきません」
「そこをなんとかお願いします。私達、つれ帰るように頼まれてるんです」
「どのような理由であろうとお通しできません」
 そのあとの説得の言葉にも同じふうに応えて少しも退かなかった。2人は無理と察したらしく、なにかを相談している。大方の予想はついた。
 せーの、とかけ声をかけたかと思うと男が槍を掴んで明後日の方向に先端を向ける。その間に少女が肩を掴んできた。どかそうというのだろうか。あまり腕力には自信がないようだ。うーんうーん、と言いながら踏ん張っている。ニルグガルは微動だにしないで彼女の顔をやや見上げた。
 目が合う。彼女もこちらを覗きこんだ。闘争の魔眼を発動させる。人の心のうちにある残虐性や闘争心を暴く力があった。相手の焦点がどこかぼんやりと頼りなく彷徨う。
 肩を掴んでいた手を脱力させて離し、体をうずくまらせた。頭を抱えて首を振る。映像は見えなくても情報は伝わってきた。
 彼女――美桜の深いところには闇があった。能力を制御できずに苦しんだ過去。日常では必死に隠していてもいまだに引きずっている昔の出来事。肉親を殺し、従兄の両親をも殺した暗い体験。
「いやっ、こんな場面見せないで、お願い、いやぁっ、やめて殺しちゃダメッ助けてぇっ!」
 美桜が狂ったように絶叫した。自分の残虐な面と葛藤しているのだ。苦しむ彼女を冷たく見下ろす。
 殺気がした。
 姿を捉える前に横へ飛び退く。立っていた地を剣が穿った。動かなければ一刀両断されていただろう。
「亮一、兄さん……」
「離れてなさい、アナタには指1本触れさせません」
 亮一が美桜をメガネの男に任せてこちらを睨んでくる。
 先手はニルグガルだ。殺す気で顔面に突きを放つ。槍の突きは相手にしてみれば「点」の攻撃だ。剣などの直線の動きと違い、どこに来るか予測不可の弾丸が飛んでくるのと変わらない。彼は首を曲げて躱した。特に驚きはない、予想の範疇だ。
 相手に間合いを詰める暇は与えない。彼が首を元に戻した時には2撃目を打っている。今度は腹だ。金属の削れる高音が場に響く。ギリギリのところで弾かれていた。切っ先は服と皮膚を抉ったにすぎない。
 槍を引こうとすると、動かなかった。亮一の肘と腹部で挟んで抜けないようにされている。
 剣が振り上がった。無傷で受ける方法はない。ならば、とモトを離して突進。不意を突いた行動は彼のバランスを崩した。よろけているのを好機として得物を奪い返す。後ろ腰を軸にモトを回転させて逆手に持ち代え、勢いを利用して脇腹を横殴りにする。僅かな呻きと苦痛の表情をして亮一は体を折った。遠心力もついた相当な力で打っているのに倒れはしない。すぐ様に武器を構え直して向かってくる。
 縦の斬撃をモトの中心部でガードした。剣の刃がミリ単位で槍を裂いている。拮抗した力がギシギシと軋みを作った。手強い。大切な者を守ろうという意思の力だろうか。そんな彼にも暗い部分はあるに違いない。きっとどこかに残虐で闘争心の淀んだ心が潜んでいる。
 亮一の瞳を見つめた。
「?」
 彼は目を瞑っていた。なぜ分かったのだろう。それはニルグガルにできた隙。一瞬抜けた力を察知した腕に跳ばされ、次には首筋を打たれた。神経の電気信号が断たれて手足から力が抜ける。
「亮一兄さん、もしかして殺したんですか?」
「心配いりません、峰打ちです。さぁ急ごう、依頼者の友達がどうなったか気になります」
 階段を下っていく気配がする。意識の途切れる最後までニルグガルは通すまいと体を動かそうとしていた。意思とは裏腹に指先すら移動できない。倒れ伏し、霞んでいく視界はやがて暗闇となった。


★神崎・美桜Side
 下りきった階段の先には扉があった。開けた場所には幅のある通路が真っ直ぐにつらなっていた。長さのあまり前方は暗くてどこまで続いているのか分からない。左右には等間隔でドアが並んでいた。人間ではない者の蠢きがあちこちで感じられる。
 本当は避けて通りたい道を駆け足で行く。先頭は亮一だ。無数に襲いくる屍を斬り倒していく。先の戦闘でつけられた傷は美桜が治癒していて彼の動きに支障はなくなっていた。
 右手から迫る看護士を胴で切断。左手から覆い被さるようにしてきた医師の肩口を斬りつける。真正面のパジャマの男を一突きして額を刺す。その後ろに出現したオペ服の女を蹴り倒し、踏みつけて頭へ切っ先を突き刺した。
「うひゃぁっ、た、助けてくださ〜い!」
 完全には活動を止められなかったゾンビに忠雄が足首を掴まれていた。逃げようとしても引きずられながらついてくる。即座に亮一がトドメを刺した。ありがとうございまふ〜、と忠雄は涙目になっている。
「どういたしまして。それよりもうすぐです、気をつけてください」
 入ってきたのと似た扉が見えた。立ち塞がる数人の生きたなきがらを袈裟斬りにして亮一が蹴り開ける。
 異様なほど禍々しい霊気を放っていた霊安室は天井が高くてちょっとしたダンスも踊れる広大さだった。中央にパジャマを着た少女がいる。足は地面を離れて大人の腰丈ぐらいまで浮いていた。一般人にも目撃されていた噂の霊だろう。小学生ぐらいの姿をした彼女は表情なくこっちを見ている。
 予備動作なく空中を滑走してきた。弾丸となった少女の通る場所を中心に地響きが起こる。接触に時間はかからない。ツクヨミを盾に亮一が受け止めた。刃が彼女の手に触れているようなのにダメージはなさそうだ。間に固い霊力の皮膜が張っていて亮一の方が押されている。
「いまのうちに被害者の保護を!」
 美桜は肯いて忠雄と一緒に室内を探した。至るところにロウソクが立っていて思ったよりも明るい。従兄の強さは知っていたが度重なる連戦に疲れもあるだろう、迅速に動いて眼を馳せる。忠雄が、いました、と叫んだ。駆け寄ると確かに屍ではなく呼吸をした睡眠状態にある青年がいる。衰弱はしていても外傷は見当たらなかった。無事なのを見て安堵する。
「え?」
 亮一にも伝えようとした途端、誰かの精神が流れこんできた。昔の美桜ではない、能力を制御できるはずなのに止めどなく入ってくる。青年を見る――違う、彼ではない。眠った人にはこじ開けるかのように入ってくる力はない。半端ではないエネルギーを持つ想いだ。それも、哀しい想い。
 少女の精神であることはすぐに分かった。
 彼女は交通事故で運ばれたが心臓は止まっていて死亡と診断された。そしてこの霊安室に入れられたのだ。ところが彼女は仮死状態で死んでいなかった。暗く狭く心細くさせる空間に閉じこめられて寂しさと恐怖に満ちたまま餓死した。普通ならばそうなる前に親類に引き取られるはずだった。早く気づいていれば十分に助かっただろう。不運なことに家庭の事情で誰も来てはくれなかった。そうこうしているうちに病院は異例のスピードで潰れてしまった。遺体は片付けられても霊体は残る。長き日を一人で病院の地下に縛りつけられていたのだ。
 美桜の頬を一筋の涙が流れていく。精神感応によって第三者ではない本人の悲哀に震える気持ちが伝わってきた。孤独感に苛まれていた頃の自分と重ねてすすり泣く。青年を監禁したのも無意識下で人の温もりを欲していたからだ。もし同じ立場にあったら自分もそうしている。
 激突する亮一と少女へ目を向けた。止めなくちゃ、と思う。
 考えなしにおもむろに2人の間に割りこんだ。少女の体を抱き止めようとする。それを亮一の体当たりで阻止された。転がるようにして彼と共に倒れる。
「彼女は邪気に溢れてる。容易に近づくのは危険です!」
「大丈夫、あのコはなにも悪くありません。大丈夫」
 立ち上がった美桜は手を振り解いて少女に近づく。宙に留まる哀しい存在に微笑みかけた。
 触れようとした手を電気のようななにかに阻まれて皮膚が裂ける。血液が丸く膨れて球体状になった。美桜、と呼び止める亮一を無視して覚悟した。優しく抱き締めるように腕を開く。
 彼女と触れる部分に強烈な痛みが弾ける。体中を鋭利なナイフで斬りつけられているようだった。それを耐えて小さな頭を抱く。
 苦痛に表情を歪ませながら耳元で囁いた。
「哀しかったんでしょ、寂しかったんでしょ。でももう平気、私達に任せて。アナタは一人じゃない」
 沈黙。
 なにも変化はない――ように思えた。
 少女の冷えた心に声が届いたのだろうか。浮いていた足が徐々に降りていく。比例して霊気の壁も溶けていった。微弱に突いてくる痛みもなくなる。
 美桜は亮一を振り向いた。彼は呆れた表情で、しかし肯いてツクヨミをかざす。消滅させるためではない。彼の精神に同調して能力を高めていく。少女を優しく想う気持ちで包んだ。現れた光は天から射す浄化への入り口。
 白く広がった淡い明かりは室内全体を呑みこんだ。


★三下・忠雄Side
 無事に帰ってこれて一息ついたのも束の間、体験した怪奇現象や事情についての編集作業に追われていた。あらましを話したら編集長の麗香が3面トップ記事にすると言いだしたのだ。しかも締め切りは明日。
 記事の責任者に抜擢された忠雄はパソコンに向かってキーボードを叩いて叩いて叩きまくる。とてつもない忙しさに泣きたくなった。
「三下さん、これはここに置いておいていいですか?」
「ああ、はい、あとは僕がやりますんで」
 束になった資料をデスクに持ってきたのは美桜だ。事件についてもそうだが、記事の手伝いまでしてくれていた。深く感謝をしつつ、じゃあ次は、と言って作業を指示する。彼女の後ろには亮一もいて手を貸していた。彼は美桜をフォローしている。つまり忠雄の手伝いをする美桜の手伝い、ということになる。
 2人の協力があればなんとか間に合ってくれそうだった。
「ところで三下さん、記事の見出しはどうします?」
 美桜の問いに、一番大事な部分を全く考えていなかったと気づく。
 頭を捻った忠雄は、じゃあこうしましょう、とメモ用紙へボールペンを走らせた。
「『霊安室に閉じこめられた哀しみの少女』です!」


★ゼハールSide
 窓を射す日光の眩しさで目を開けた。朝だ。随分と長い時間を気絶していたらしい。瞳をこすったゼハールは身を起こした。廊下をニルグガルがちょうど歩いてくる。仕事は終わったようだ。
 召喚者の力は感じられなくなっている。当初の命令は守れなかったかもしれないが、彼女の想いは遂げられたようだ。
 ニルグガルに並んでゼハールも歩きだす。魔界へ通じる扉がなんでもない壁に開かれた。
 朝日を背に2人の姿は闇へ消えたのだった。


<了>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5054/ニルグガル・―(にるぐがる・ー)/男性/15歳/堕天使】

【4563/ゼハール・―(ぜはーる・ー)/男性/15歳/堕天使】

【0413/神崎・美桜(かんざき・みお)/女性/17歳/高校生】

【0622/都築・亮一(つづき・りょういち)/男性/24歳/退魔師】


<※発注順>

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■         ライター通信          ■
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「閉鎖病棟24時」へのご参加、ありがとうございます!

調査依頼を出す時、少しは展開を予測しているわけですが。

まさか廃病院の幽霊側につくプレイングが来るとは思いませんでした^^;

いえ、決して悪い意味ではなく、あくまで意外だったということです。

病院内のイベントとしてあまりパッとしたものが浮かんでいなかったので、

むしろ助けられた感じさえします☆

さて。

事件は解決する方へと進行するので、

どうしても前面には出せなかったのですがいかがでしたでしょうか。

少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

もしまたの機会がありましたらぜひご参加ください。

それでは、今後もよろしくお願い致します♪