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<Rainy Cat>
雨の冷たさは人の温もりをより強く感じさせる。
しゃがみこんで触れた水たまりはいたるところにその指を伸ばしている。この先にはどのくらいの人々につながっているのだろう。
意識をゆっくりと水に溶け込ませていく。
彼女は、そこにいた。
晴れ間を願っているかのような澄んだ水色の傘をクルクルと回しながら少女は歩いていた。
昨日で喫茶店とゲームセンターとスーパーとファミレスのバイトが終了。
どれも短期のものばかりだったし曜日ごとにうまくローテーションが組めたので数のわりには大変ではなかった。
なにより”制服”がどれもかわいいものばかり。
「喫茶店はモノトーンカラーのギャルソンタイプだったし、ゲームセンターはメイドさん。スーパーは若草色のベストがシンプルだけどいい感じだったでしょぅ。それからファミレスはちょっぴりスカートが短かったけどあのフリルのついたエプロンが素敵だったわ」
それぞれの制服を思い出して着ていたときのことを思い出し、海野みなもはほんわかと幸せな気分に浸っていた。
が、ふと、
「ふぅ、ん……」
ため息をついて視線を落とす。
彼女がバイトをするのはなにも生活が苦しいとかなにか欲しい物があってのことではなかった。その理由とは様々な”かわいい服”が着れるということにつきているのだ。
しかしどうもこのところ彼女は少し物足りなさを感じていた。とはいえさっき挙げた制服たちは彼女の心を奪うに十分なかわいさを持っていたし、仕事そのものもおもしろく学校がなければずっと続けてもいいくらいだった。それに中学生を雇ってくれるところというのも難しく、正直辞めてしまうのはとてもおしいことだと彼女自身思ってはいたのである。
「でも……」
このところありきたりなバイトしかしていない。
はやく高校生になりたい。
そうすればもっといろんな仕事ができるのに、とみなもは思った。
そんなことを考えながら歩いていると、
「あ……」
ふと視線をあげたそこには「草間探偵事務所」という看板があった。
「探偵さん、かぁ……」
探偵といえばタータンチェックのハンチングとケープのついたロングコート、それから草煙草のパイプが咄嗟に思い浮かぶ。
「さすがにわたしには似合わないかしら」
身にまとった自分を想像してみてそのあまりの不似合いさに思わずクスり、っと笑いがこぼれた。それに本当にそんな恰好をする探偵などいるはずもない。
と、衣装をまとうのはあきらめたみなもだがそのかわりにふつふつと探偵の仕事にたいする興味が湧いてきた。
彼女は制服で仕事を選ぶ他に、おもしろい(変わった)仕事にも大いに好奇心をかきたてられる性分なのだった。
事務所の中には奇妙な沈黙に満たされていた。
困惑しきった表情の男性が一人。窓を打つ雨を、もしくは雨の打つ窓を涼しげな表情で眺める少女が一人。そしてテーブルにつっぷしたままピクリとも動かない男性が一人。
「えっと……」
少ない期待を抱えてアルバイトの相談をしようと思い勢い込んで事務所に顔を覗かせたみなもは理解のしづらい雰囲気に声をかけられずにいた。
しばらく様子をうかがってみたのだがどうも状況が動き出す風もない。
(探偵たるもの行動力よね!)
なにやら使命感に燃えてきた彼女は思い切って場の空気を動かすための言葉を発した。
「あ、あの! こちらでアルバイトをさせていただきたいのですが!」
困惑顔の男性。
「あ、や、その……僕はここの人間では、ない、ので」
しどろもどろになりながらも彼女の言葉に応える。
窓を眺めていた少女。
「いらっしゃいませ〜」
ニコリ、と人懐っこそうな笑顔で明るく返す。応えにはなっていないけれど。
テーブルにつっぷした男性。
「…………」
姿勢変わらず。
「えっと……」
今の様子からするとこの動かない男性が責任者のようなのだが……動く様子が、ない。
またも沈黙。
訪ねる所を間違えちゃったかしら、とみなもが思い始めたそのとき、さきほどまで動かなかった男性が、
「……ん」
いかにも億劫そうに顔をあげ、
「んな金があるならメシを買う……」
そう一言発して再びテーブルに倒れ込んだ。
数分後、そのテーブルの上にはコンビニのおにぎりとお茶が置かれ、そのまた数秒後にはそれらの”から”が広げられていた。
そして……みなものお財布は少しばかり軽くなっていた。
猫を”ひとり”探して欲しいと依頼者はいった。
草間探偵事務所の所長であるところの草間は依頼者の男の言葉に疑問を口にするでもなく依頼内容を整理していった。ちなみに草間が”ツッコミ”をいれなかったのは彼曰く、探偵なんてものに足を運ぶ者は誰だって”わけ”を抱えているものだから細かいことを気にするなということだった。もっとも、その疑問はすぐに解消されたのだけれど。
「その猫というのは、その……形見、といえばいいでしょうか」
男には同棲していた女性がいた。きっかけは普段仕事の帰りに通る飲屋街でのことだったそうだ。
「ごみ箱の上でね、酔い潰れてる人っていうのを初めてみましたよ」
まわりには誰も介抱する人間は見あたらず、どうやら彼女は一人で飲んで一人で酔いつぶれていたらしかった。よれよれのシャツに膝のすりきれたジーンズと紐のとけたスニーカーという恰好のせいで初めは男と勘違いしましたよ、と懐かしげに目を細める男の表情にみなもはどことなく寂しげな影を感じた。
男は彼女を放っておくことができず、近くにある自分の部屋に連れて帰り介抱をした。
「なれそめにしちゃなんとも色気がないんですけどね、はは」
ともあれその強烈な出逢いのおかげで顔はすぐにお互い覚えてしまい、それから二人は顔をみかけるたびにどちらからともなく声をかけるようになっていった。やがてそれは恋へと移っていき、ついには同棲をするにいたったのだそうだ。
そんなある日。
「彼女が一匹の黒猫を拾ってきたんです。ちょうど今日みたいな雨の日だったかなぁ……」
ずぶ濡れの子猫以上にずぶ濡れになった彼女は、それでもやさしさでいっぱいの暖かな笑顔で、
「名前、なんてつけよっか?」
そういったのだった。
思い返してみれば彼女はその野良猫に自分を重ねていたのかもしれない、と男はいった。自分の過去について多くは語らない女性だったがいつもどこかに影を背負っていたように男は感じていたのだ。いや、初めて出逢ったときからそう感じていたのかもしれない。
その日の夜はその子猫の名前を何にするかで一晩中二人で話しあったのだが、結局決めきらず……
「翌日、彼女は事故にあいました……車の、よそ見運転だったそうです。それがおととい……」
路地裏、公園、草むら、建物同士の隙間、橋の下、川、線路脇、家の庭、神社の境内。
草間とみなもはそれぞれに手分けをして男から聞いた黒猫の特徴だけを頼りに街中を探し回った。しかしいかんせん情報が少なすぎた。唯一の手がかりの特徴も右耳だけが白いということだけ。どこで彼女が拾ってきたのかも、どこでよく遊んでいるのかもまったくわからない状況で探すのはどれだけ有能な探偵であったとしても不可能に近い話しなのだ。
だが草間はそれを愚痴ることはなかったし、みなももまたスカートの裾に泥がはねるのもかまわず探し続けた。
「メシを食わせてもらった礼じゃないが、これは人手がいる仕事だからな。頼むぜ」
瞳に大粒の涙をためていたみなもに草間がそう告げてからすでに数時間が経過していた。
定期的に草間がみなもの携帯に連絡をし、お互いに情報を交換しあうがこれといって有益な情報は得られずにいる。
「あきらめたりなんて……絶対、みつけなきゃ」
みなも自身はこれまでそれほど多くの恋をしてきたわけではないが、それでも大切な人を失う辛さは比べるべくもないにせよ少なからずわかる。もし自分がその立場だったならばと考えるとやりきれなさに小さな胸が散々になってしまいそうだ。
それに話しでは相手は子猫。この数日の雨では凍えることはないにせよ病気になってしまう可能性は大いにある。それはすなわち野良の子猫にとって死に直結するのだ。
「なにか……なにか方法はないかしら……」
日数に余裕があったならば方法はいくらでもあるだろうが、そうもいかない。今、この場で効率よく捜し出す方法。
「どうしてわたしには千里眼とか探知とかそういう能力がないのかしら……」
この世の中にはそういった力を含め、様々な異能の力を持つ人間が多数存在している。みなももまた異能の力の持ち主だった。彼女の場合は水を自在に操るという力。ときにそれは刃となり盾となる。それ以外にも水中を陸上よりもより快適かつ俊敏に泳ぐという特性もあるのだが……
「こんな、水を操るなんて力なんかじゃ……」
なんの役にも立たない自分の無力さにみなもはスカートの裾が地面につくのもかまわずその場にうずくまり、抱えた膝に顔をうずめた。
傘はとうに意味をなさず、肩や靴は雨でびしょ濡れ……
「雨……?」
ふと、思いつく。
「そうだわ!」
勢いよく顔をあげたかと思うと突然みなもは傘を投げ捨て両の手の平を地面に叩くようにしてついて四つんばいになった。
「お願い……教えて……」
祈るような気持ちで瞳を閉じて精神を集中させ、みなもは力を四方に散らせた。
「…………」
雨の冷たさは人の温もりをより強く感じさせる。それは猫でも草木でも、生きとし生けるもの全てにある魂のあたたかさなのかもしれない。
しゃがみこんで触れた水たまりはいたるところにその指を伸ばしている。この先はどのくらいの人々につながっているのだろう。
そんなことをふと思う。
もしも自分と同じ力をもっと多くの人たちも持つことができたならば、言葉を交わすことがなくとももっとずっと深い絆を築けるのではないか。
それとも偽りの通じない世の中は残酷でしかないのだろうか。
しかし今自分にとって、子猫にとって、依頼者の男性にとって、それは必要な力なのは確かだ。
意識をゆっくりと水に溶け込ませていく。
彼女は……”そこ”にいた。
「本当に、本当にありがとうございました……」
深々と頭をさげた男は愛おしげに子猫を抱え、何度も何度も振り返ってはまた頭をさげつつ事務所を後にしていった。
みなもは満面の笑みで、草間は仏頂面でそれぞれ見送った。
「あんなのは探偵じゃない……」
自分で雇っておいて猫を探し当てたのが自分でなかったことが余程くやしかったらしい。みなもにはとうてい到達できない探偵の神髄をこよなく愛す草間にとっては異能の力で依頼をこなすのはポリシーに反すのだ。とはいえお手柄には変わりないので――一応”大人気ない”という言葉に気をつかったらしかった――素直に「よくやったな」とみなもを褒める草間であった。
「これからどうなさるんでしょう、あの方……」
子猫をどうして捜し出したかったのは愛した女性の”残り香”にしがみつこうとしているに他ならない。今はまだ女性が亡くなってから日も間もないのだから仕方のないことなのかもしれないが、みなもの目にはそれが幸せにつながっていくようにはどうしても思えなかった。
それを草間にいうと、こんな応えが返ってきた。
「俺たちは探偵であって人生相談をしてやれるわけじゃねぇ。ただ依頼をこなすだけでそれ以上のことはできないのさ」
「でもそれって……」
「嬢ちゃん。人の幸せなんて他人が推し量れるもんじゃないんだよ。痛みってやつは本人にしかわからない……結局、てめぇを癒せるのはてめぇしかいねぇ……」
薄情といえばそうなのかもしれない。しかし他人が与えられるのはその場しのぎの飴玉でしかないのだと草間はいった。みなもには正直よく理解できなかったが、それが見守るという大人の優しさなのかもしれないと思った。
「わたしも……大人になればわかるのでしょうか?」
そうみなもがいうと草間は少し驚いた表情をみせたあと、彼女の頭をぽんぽん、っと軽く叩くと、
「背伸びなんてするもんじゃないさ。放っておいても時間ってやつは過ぎていく。今は嬢ちゃんが嬢ちゃんらしくいられる毎日を送くってりゃいい」
雨はあいかわらず降っており、どんよりと曇った空のせいで外の明かりだけでは今が何時かはわからない。なんとなしに時計をみるとすでに針は夜と断言するに十分な所を指していた。
「あ!? もう帰らなくちゃ!」
「っと、ちょっとまった」
急いで事務所を出ようとしたみなもを引き止める草間。
「二、三日たったらまた来な。バイト料払わなきゃなんねぇからな。それから……」
口の片端をニッ、とあげ、
「ここの基本的な事務仕事と探偵とはなんたるかを教えてやるよ」
「あ、えっ!?」
「まさかこれっぱかりで飽きちまったか?」
「い、いいえ!」
ぶぅんぶぅん、と音が鳴るほど思い切り頭を振るみなも。
「これからもよろしくな、海野みなもくん?」
「はい!」
おもしろさというのは触れてみて初めて見えてくるもので、人の心というのも実際に触れてみなければ本当のところはわからないのかもしれない。
手と手をつなぐだけではわからないことがたくさんある。
自分の能力は無力ではないけれど、それに溺れてしまってはいけないのだろうと、みなもは今までにない軽い足取りの帰り道でそんなことを思ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ CAST DATE ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13/中学生】
【NPC/草間・武彦(くさま・たけひこ)/男/30/私立探偵】
【NPC/草間・零 (くさま・れい)/女/不明/探偵見習い】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ writer note ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
なんだかみなもちゃんの成長話のように(笑)
この話での草間は前に出て活躍というよりも一歩引いたところで
彼女を見守るという立場で書いてみました。
彼女が中学生ということもあってその対比として”大人”を演じて
もらおうと思ったわけでして……
さてはて、いかがでしたでしょうか?
そういえば、零ちゃん……活躍の場がなかったなぁ……(苦笑)
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