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<Rainy Cat>
皆が息をひそめてたたずみ”きっかけ”を待つ。
一人だけ椅子に座った男が足をひとつ踏み鳴らすとすぐ側にある物から喉元に駆け昇るような低い音が上がった。
男の役割はドラムス。そして音の元となった物はスネア。
幾拍かリズムを刻む内に周りの男たちがそれぞれの腕や肺に力を蓄えていく。
マイクを祈るようにつかみ、頭を垂れてかかとでリズムをとるヴォーカル。鈍色の紅いレスポールをだらりと肩からさげて天を仰ぐギタリスト。翼のかわりに両手を大きく広げて音を呼び込むキーボード。そして愛おしい女性を胸に抱くかのようにうつむく、真っ青なそれを携えたベーシスト。
嵐の前の静けさを思わせる緊迫した沈黙。
次の瞬間、
「ィィィィヤァァハァ!」
小瓶に閉じこめた衝動が一斉に彼らから吹き出す。
空気が爆ぜ、音が複雑に絡まり合いながらもやがてそれはひとつの曲へと――
「ストーップ!」
ヴォーカルが一言目の歌詞を吐き出そうとしたそのとき、ドラムスの男がステッキをカッカッカッ、と鳴らして演奏を止めさせた。
「アキ、またテンポずれてるぞ!」
叱咤を受けたのは紅いギターを持った男――桐生暁。
これで今日は五回目の失敗だった。
いつの間にか通い慣れた探偵事務所。
同じように見慣れたそこの主は空腹感を心なしどす黒いオーラでまき散らしているかのように見える。
「草間さん。ポッキーでも食べる?」
暁が差し出したお菓子を食虫植物でも乗り移ったのか反射的にかぶりつく草間。
「あっは! 他にも色々あるから食べていいよ」
そういって学生鞄から色々とお菓子を取り出し草間に与える。それらはことごとく草間の胃袋に消えていった。
「くっくっくっ。草間さんそうとう腹へってたんだねぇ。ちょっと待っててよ、なんか作ってあげるから」
小一時間後には風貌に似合わず色とりどりな暁お手製の料理たちが草間の前にならべられていた。
「は〜桐生さんってお料理上手なんですねぇ」
草間の妹である零が物言わず彼の料理にむさぼりつく草間の姿をみながら感嘆の声をあげる。
「ま、一人暮らし歴がけっこう長いからね」
暁は照れくさそうに応えたがその顔はどこか寂しげであった。
胃袋の落ち着いた草間はようやく活躍の機会が巡ってきたつまようじに歯の隙間を掃除するという役目を与えながら改めて暁にたずねる。
「で? 猫を”ひとり”さがしてほしいっつ〜のはどういうこった」
「猫っていっても子猫ちゃん。ようは女の子なんだけどさ」
「あ〜色恋沙汰は管轄外だぜ?」
「いやいやそんなんじゃなくて……あ、デザートいる?」
おもむろに席を立ってまだ残っていた食材を手に台所に向かう暁。
「おめぇいい嫁になるな」
「あらいやですわ草間さんったら。零ちゃんとどっちをとるおつもり?」
「あほ……」
「あっはっは!」
などと二人がからかいからかわれしていると、
「お兄さん……わたし捨てられちゃうんですか?」
零が真剣に哀しそうな眼差しで兄に問いかけてきたものだから草間は飲みかけていたお茶を吹き出し、彼女にこれはふざけあいなのだということを真面目に講義してやらなければならなかった。
「いや〜ん。私のことを捨てる気なのねぇ〜」
懲りずにそんなことをいいながら抱きつく暁を少々本気で力を込めて殴る草間。
「空腹が解消したかと思えばこんどはおめぇらが悩みの種かよ」
眉間にシワを寄せて草間は深いため息をつき……
といった掛け合いはさておき。
「いやぁほんと草間さんはからかいがいがあるなぁ〜。ま、本題にもどろっか」
「はやいとこそうしてくれ」
食を提供してくれた時点で依頼の拒否権はない。
もっとも、草間は彼という存在を少なからず知っている。
暁という青年は真剣な話しであればあるほど場を茶化したがるのだ。
そんな彼の依頼を無下に断るほど草間は薄情ではない。
「その女の子にいってやりたいことがあるんだ……」
それまでのどこか雲のようにつかみ所のない雰囲気を一変させて暁は話し始める。
「帰ることのできる場所があるんなら……帰らなきゃ、ってね」
誰でもうまくいかない日というものがある。
その日の暁はもう目が覚めたときからそれがずっと続いていた。
最初はまず寝起きに服を脱ごうとしたときに勢いあまってボタンを飛ばしてしまった。次は自宅を出てすぐに雨に降られ(もちろん傘はない)、スタジオでの音合わせでは何度やってもテンポが合わず結局今日はしかたないので練習を予定よりずいぶんと早く切り上げるハメになってしまっていた。
「で、極めつけはこのコってワケ?」
暁の目の前には怯えたような、怒ったような瞳を向けてくる少女が立っていた。
スタジオを出た暁はとにもかくにも自宅に早く帰ってしまおうと濡れるのはこれはもうあきらめて全力で走っていた。
すると、まるで二流ラブコメよろしく道の角を曲がったときに同じように反対側から走ってきていた彼女と正面衝突してしまったのだ。
幸い暁は転倒をまぬがれたものの少女の方は”すこぶる”激しくどでかい水たまりに身を投げ出す恰好になってしまい……
「どうしてくれんのよ!」
「…………」
肩を小刻みに震わせながら暁をにらみつける排気色した泥にまみれた少女。
本当についてないときには運命の女神様はとことん厳しいらしい。
どうしたものかな、と額に手を当ててしばし考え込む暁。
「ウチ、すぐそこだからくる?」
「な!?」
少女の柳眉が逆立ったかと思った一瞬後、暁は自分の右頬が熱くなっていることに気づいた。
「ヘンタイ!」
「はぁ?」
わけがわからず間の抜けた声を出した暁は全身の毛を総毛立たせた少女をみてすぐに思いいたる。
「ばっか。着替えくらい貸してやるっていってんの。誰がおまえみたいなガキに欲情なんかするかっての」
彼の言葉に少女は甚だしい勘違いをしたことにハッ、として今度は情けなく表情を崩す。
顔は耳まで真っ赤だ。もちろんそれは先ほどまでの怒りのせいではない。
「ったく……最近のガキはやたらマセてるったら……」
とはいえそもそも悪いのは自分なのだ。ため息をひとまず懐にしまって暁は少女を自宅へと案内した。
部屋に人を招いたのはいつくらいぶりだろう。
友人と呼べる者たちでさえよほどのことでもないかぎり部屋にあげた覚えがここのところない。
「サイズは……ま、しかたないか。すそ折れば問題ないっしょ。あ〜先にいっとくけどそれ、別に返さなくていいから。どうせもう着ないやつだし」
「…………」
着替えを貸してやったあと汚れた服を手頃な袋を渡してそれにいれさせる。
少女は緊張しているのか物珍しそうにきょろきょろと部屋内を見回しており、暁は暁ですぐに追い返すのも冷たい気がして珈琲を二人分ほど用意していた。
「あ……おいしい……」
硝子板のテーブルに置かれた珈琲をひと口飲んで少女がつぶやく。それが功を奏したのか、少しずつ緊張がほぐれていく。さすがにシャワーまでは借りるのをためらっていたため身体が冷えたままだったので喉をするりと降りていった珈琲はいつもよりおいしく感じられた。
しばらく――できたてなのでちびちびと飲んで――身体を暖めていた少女は、ふと暁にたずねた。
「殺風景な部屋ね……一人暮らし?」
くるりと首をめぐらせたあと暁の顔をうかがって、少女はその表情に思わず頬を緊張させる。
「……ま、いろいろと、ね」
暁にしてみれば平静を装った笑顔だったのだが眉根のシワをごまかすことはできなかった。
「ごめん……」
うつむきながらつぶやく少女の言葉に暁は自分がどんな顔をしていたかに気づく。赤の他人に見せるなんてらしくないな、と思ったがそれと同時に詳しい話も聞かずに謝る彼女のことが少しおかしかった。
「俺さ、バンドやってんのよ。担当はギターね。トランスっていうバンドなんだけど、知ってる?」
唐突に話題を変えられてきょとんとする少女。
「う、ううん。知らない」
「そっかぁ。これでもけっこう有名になってきたと思ってたんだけど……くすん」
「あ、あたしそういうの特別うといから、その、えっと……」
「あっは。冗談冗談」
「え?」
「わりと騙されやすい性格なんだね、あんた」
「…………もぅ!」
からかわれたことに気づいて頬をふくらませる少女。
生意気だなと最初は思っていたが、なかなかどうして可愛いところがあるなと暁は心の中で微笑んだ。
場の雰囲気が少し和んだところで今度は暁がたずねる。
「こんな雨の日に”傘もささずに”いたけど……なんで?」
「…………」
暁の言葉にまたうつむく少女。
(あら、まずったかな?)
今度は自分が謝る番か、と思っていると少女は膝の上に拳を握ってぽつりといった。
「家出……」
喉につまったいいかたに”怒り”を感じ取る暁。
「迷子の迷子の子猫ちゃんは自分で”迷い子”になってたってわけだ」
「だって! ウチの親いろいろうるさいだもん! 何かにつけて勉強勉強。少し門限すぎたらその過ぎた分の何十倍もお説教してくるし、お化粧ちょっとでもしたらあんたにはまだ早い! とかいってくるのよ? 今時小学生だってそのくらいしてるわ!」
溜め込んでいた不満がダムの決壊のように次々と吐き出されていく。
よくある年頃の少年少女たちが持つ親への反発心から生まれる言葉だった。
「どうしてあたしの親はあんな……」
しかし自分もその”年頃”であるはずの暁は彼女のその言葉たちをうらやましげに聞いていた。
「ねぇ」
「ん?」
「あたしをここに置いてくれないかな?」
「は?」
「あ、ずっといるわけじゃないからさ。少しは親に心配させて――」
湿った部屋の空気に似合わない乾いた音が部屋に鳴り響く。
暁が少女の頬を叩いたのだ。
「な!? なにすんのよ!」
赤くなった頬を押さえ怒りの声をあげる少女。
「あ……」
「ばかぁ!」
考えるよりも先に手が動いていた暁が我に返ったとき、すでに少女は部屋を飛び出していた。
「……まいったな」
左頬を押さえながら暁。
彼女は出ていくときにきっちり彼にお返しをしてから去っていったのだった。
草間にひととおり説明をし終えた暁は彼らと共にとある駅前にやってきていた。
「ねぇ……マジ?」
人のまばらな夜の改札口。
暁はギターを肩から提げて立っていた。
「名前も知らねぇ。特徴もこれといってなし。行動範囲もいきつけの店も知らないてめぇが悪い」
「う……ま、まぁそうかもしんないけどさ……」
「ほれ、さっさと始めた始めた」
「はぁ……なんでこんなことになってんだか」
話が終わって草間は開口一番、
「路上ライヴでいこう」
といったのだった。
何一つ手がかりもない状況ではやみくもに探すのはあまりに効率が悪い。
ならあちらさんから寄ってくるように仕向ければいい。そう草間は考えたのだった。
「ミュージシャンでよかったな、おまえ」
しれっ、とした表情で暁に満面の笑みで言い放つ草間。どこか楽しげにしているのは気のせいだと暁は言い聞かせた。
だが草間の提案は確かに有効的な手段ではあった。暁自身そう思ったからこそわざわざ自宅からアコースティックギターを引っ張り出してきたのだ。
「ふぅ」
覚悟を決めた胸に心地よい緊張感が拡がり始める。
月も星も見えなかったが幸い雨は上がっていた。
五つの弦を爪弾きチューニングがきちんとなされていることを確認。頭の中でレパートリーのリストをころころとひっくり返して選曲をしていた暁はふと思い立ち、今まで弾いた覚えが自分自身ないメロディを奏で始めた。
「……ラ、ララ、ラ」
歌詞は、なかった。
「ラララ、ララ、ラ、ラー」
思い浮かべなければならない譜面もどこにもない。たった今、即興で曲を作り上げていく。
にもかかわらずその旋律を生み出す指先に迷いはなく、むしろいつになく力強く、しかしどこか包み込むような優しさと温もりを含んでいた。
「ほぅ……さすがだな」
草間は素直に感心していた。提案をしたのは自分だがまさか即興曲になるとは思いもしなかったのである。今時の音楽というものにさしたる興味を示さない草間であったが、その彼をして唸らせる暁の音は高校生ながらも人を惹きつけるという点ではかなりのものを持っているのだろう。気づけば行き交う人々が一人また一人と足を止め彼の演奏に耳を傾け始めていた。
そしてその中に……あの少女がいた。
しかし暁は演奏をやめようとはせず、集まってくれた人々のために、また少女のために指を動かし続けた。
いつ何時であろうと、彼はミュージシャンだからだった。
しばらく後。
「どうもありがとうございました」
額にうっすらと汗をかきつつも満足げな表情で頭を下げた暁に聴衆から温かな拍手が送られた。
「さて、じゃぁ俺は退散するかね。あとはお若いお二人にまかせるってことで」
演奏の合間に視線を一人の少女に送り続ける暁に依頼の完了を確信した草間はそれ以上は野暮だとでもいわんばかりに煙草をふかしながらその場をあとにした。
「さっきは、悪かったね。いきなり叩いたりしてさ」
「ううん……」
再び人通りの少なくなった駅前で、暁と少女は適当なところに腰をおろして向き合うわけでもなくただ肩を並べていた。
「俺ってさ」
「ん?」
「両親……いないんだよね」
「…………」
なんとなく気づいていたのだろう。少女はとくに頷くでもなく暁の言葉につま先を眺めながら耳を傾ける。
「だからって説教っぽく親孝行しろなんていうつもりはないんだけど……なんていうかさ」
「ん……」
「帰ることのできる場所がせっかくあるのに、それを自分でごみ箱にポイするのは……ぜいたくな話だな、って思うのよ」
ちらりと暁の顔を覗くと彼は口の端をあげ、けれどなんともいえない寂しげな表情をしていた。
「そりゃ俺だってたぶん親がいたらすっげぇ反抗的なことするだろうな、って自分でも思うんだけど、その場から逃げ出すのは……ちょっと違うんじゃねぇ?」
「でも、あたしの話なんて聞いてくれないもの……」
「ならさ、聞いてくれるまで面と向かって反抗してみんのもいいんじゃね? 逃げるのはさ、いつでもできるじゃん。そいつは楽だけどさ、解決にはなんないっしょ」
それにさ、と一言つけくわえる。
「真っ正面から刃向かうってやつのほうがかっこいいじゃん?」
そういってニカッ、と笑う暁。
「あんたって……」
「お?」
「馬鹿がつくほどポジティブだ、ってよくいわれない?」
くすり、と微笑む少女。
その顔は今日見たどの笑顔よりも魅力的だった。
「それってほめてんの? 馬鹿にしてんの?」
「さぁねぇ? あは」
その後他愛のない会話をして名残惜しげに時間を過ごした二人は、どちらからともなく立ち上がり、
「じゃぁね」
「じゃぁな」
それぞれの家へと帰っていった。
雨というのは放っておいてもいつかは晴れるものだとよくいうけれど、調子の悪さというのもふとしたきっかけで元通りになるもので。その日の暁のプレイはいつになく”ノッて”いた。
「なんだ、意外に早いスランプ脱出だったなぁアキ」
「ま、そんなもんっしょ」
今日の練習をひととおり終えて休憩をしているトランスの面々。
と、暁は立ち上がるとおもむろにめずらしく持ってきていたアコースティックギターを取り出し、
「ちょっと新曲思いついたんだけど、聴いてくれっかな?」
「ほぅ、いいねぇ」
興味津々のメンバーに向きなおると、暁はゆっくりとメロディを奏で始めた。
「実はさ……タイトル、決めてんだよね」
「ふぅん? なんてぇの?」
「それはね……」
泥だらけの、ちょぴり気の強い少女の姿を思い出して自然と頬がゆるむ。
「Rainy Cat」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ CAST DATE ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【4782/桐生・暁 (きりゅう・あき)/男/17/高校生アルバイター、トランスのギター担当】
【NPC/草間・武彦(くさま・たけひこ)/男/30/私立探偵】
【NPC/草間・零 (くさま・れい)/女/不明/探偵見習い】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ writer note ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ギターです。歌ってます。エレキもいいけどレスポール大好きです。
自分自身はもう弾き方忘れちゃいましたけど……
最後に詞を書こうかどうしようか迷ったのですがキリの良さを考え
こういう形でまとめてみました。
一見軽い感じの桐生くんですがこの度はちょっとシリアスな部分も
表現させていただきました。
ん〜自分が高校生の頃はもっとお馬鹿だったような(苦笑)
さてはて、いかがでしたでしょうか?
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