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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


◇ 蒼い影法師 act1−Ver.AC ◇

 力強くも勇ましく、その事務所内に高らかな音楽が鳴り響いた。
 善良な一般市民であれば、その音楽を一度は聞いたことがある……かもしれない。
 そう、それは確変に依って天国と地獄が決まり、ジャンジャンバラバラと銀色の玉が吸い込まれては出て行く店、パチンコ屋で一昔前ならお馴染みの音楽である。
 「ちょっとーぉっ! 征ちゃーん、いい加減にその変な着信音は止めてよねぇ! このアカウントCの品格ってもんがぁ、疑われるじゃなぁい!」
 腰まで波打つ金の髪に深い青の瞳を持つ、セクシーボンバーナイスバディのおねえちゃんが、ドライバー片手にスローなテンポの口調でありつつ、目を三角にして怒りまくっている。
 「品格云々言う前に、ミシェルはその服何とかしろよ。って、まあんなこたぁ、どうでも良いか。来たぜ。メシのタネ」
 どーでも良いだろとばかりに、長い黒髪を書き上げ青い瞳を明後日の方向に向けているのは金浪征だ。何とかと言われたミシェルの服装は、ゴシック調なボンテージ一歩手前なものである。
 「解ってるわよー。だからその変な着信音は止めてって言ってるのにぃ」
 そう、軍艦マーチは、仕事依頼のメールが届いた時の着信音だった。
 依頼は嬉しい。キャッシュになるから。けれどその時に響き渡る、あの着信音がイヤなのだと、彼女──ミシェル・クレールと言う年齢不詳に見える技術屋は言う。
 「どっちもどっちだな」
 ぼそりと言うのは、無愛想にコンクリート装飾を施したと言っても過言でない程に、無表情でガテンな風貌である銀髪赤目の陽・コンラートだ。
 二人にぎろりと睨み付けられつつも、陽はコーヒーをずずっと啜る。
 基本的に自転車操業であるアカウントCは、この三人と、とても優しい善意の協力者とのギブアンドテイクにて成り立っている、何処ぞの興信所の様であった。スポンサーである筈の国家権力機関は、面倒なことばかり押しつけてくる為、はっきり言ってアテに出来ない。
 「いーかー、転送するから読めよー」
 以下、征に来たメールの内容だった。

**********************************************************
Subject:依頼【蒼い影法師】
Addressor:A<a_ver@xyz.com>
Address:アカウントC<gold_honey@ac.com>
Date:Mon,XX Apr 2005 13:54:57 +0900 (JST)

●依頼事項
頻発しているコンピュータシステムクラッシュについての調査・駆除

●現時点の調査結果
1)クラッシュする直前、使用者は一様に、モニタ内に蒼く染まる人影を見ている
2)1)より、この人影は、『蒼い影法師』と呼称されている
3)発見初期と最新を比較すると、この『蒼い影法師』はモニタ内で動いている
4)通常のウィルスチェッカーには反応せず、またウィルスパターンの作成は現時点で不可能
5)被害は、アプリケーションの破壊より始まり、一部ハード破壊もあり
6)被害にあったコンピュータの共通事項は、常時もしくは一時でも、ネットワーク上にあったコンピュータと言うことのみ
7)現在、規制が引かれており、表層部には『蒼い影法師』の存在は秘匿されている

上記を元に、この『蒼い影法師』についての調査、及び駆除願う。

以上

**********************************************************

 「何時ものことながら、マジで愛想もクソもねぇよな、Aは」
 「簡潔で良い」
 征の言葉に、端的に答えたのは陽だ。それを聞いた征は、さいですかとばかりに台詞を棒読みした。
 「ハイソーデスネ。……って、どうすんのこれ。『蒼い影法師』は、確かにネットの表には出てないけど、裏じゃあちょっと有名でね。俺たち二人じゃ、手が回りきらないかもね。『迷える神父』に手を借りる?」
 ネットジャンキーの言うことだ。確かに裏側なら、それなりに情報もあるのだろうが、それをオフラインでも表に出さないと言うことから、軽々しく口にすれば、何かそれなりの制裁があるのだろう。取り敢えず、解決の見込みが出るまで、一般市民には知られたくないと言うことが丸わかりな状況だった。
 だがミシェルは、断固として言う。
 「ジョーダンでしょー。あの守銭奴にお願いしたら、こっちの台所は火の車よぉー」
 「んじゃ、今回も善意の協力者にお願いする?」
 「ええ、お願いしまーーっす」
 にっこり笑ったミシェルは、『善意の協力者』を探し始めた。



 彼女が帰った時、ここの主である草間武彦はこめかみに青筋を立ててがなり立てているところだった。
 「おいっ! そりゃどー言う意味だっ! うちは『怪奇の類はお断り』だって、何度言ったら解るんだよっ!」
 その台詞を聞き、中性的な美貌を持つ妙齢の女性は、諦観が伺える溜息をその紅唇に乗せる。
 「ああっ?! おいこらっ、巫山戯てんじゃないぞ!」
 滑り落ちる黒髪を、軽く首を振ることで後ろへ流し、眉間を揉む様にして肩をすくめた。何時もであればクールな色を湛えている青い瞳は、グリーンに彩られた瞼に依って隠されている。
 彼女の名を、シュライン・エマと言った。
 バイトの身ながら、この興信所を陰に日向に支えている、実に有能な女性である。今現在、年代物の黒電話の向こう側に怒鳴っている草間武彦とは、なかなかに良い感じな関係だ。そしてこのことは、勿論草間興信所の七不思議の一つであるとも言われているのだが。
 『それにしても』
 彼女は、そう思う。
 いくら草間の言う『怪奇の類お断り』が、社是──あってなきが如くではあるが──となっていようとも、お客様に向かってあの態度は如何なものだろうかと。
 この興信所の財政は、お世辞にも豊かであるとは言い難い。はっきり言って、依頼内容をえり好みしている場合ではないのだ。
 シュラインは溜息一つ、草間の手から黒電話の受話器をひったくった。
 『ケチーーーっ! だからタケちゃんは、万年貧乏なのよっ』
 テンションの高い女性の声が聞こえる。『タケちゃん』なる呼称に、思わず浮気を疑ってしまったシュラインだが、ちろりとその『タケちゃん』を見ると、眉間に皺を寄せたまま、煙草を思い切り吹かせていた。どう見ても、浮気がばれた男の様には見えない。
 いや、それ以前に、草間がそんなことをする甲斐性……と言うか、財力がある様には見えなかった。
 「申し訳御座いません。お電話変わりました。先程はうちの者が失礼を致しました。再度ご用件を承りたいと存じますが……」
 『あ、あらっ? ……ごめんなさぁい。てっきり、あのオカルト探偵かと……。おほほほ』
 とってつけた様な笑い声に、思わず生暖かい笑みが浮かんでしまう。
 『失礼いたしました。あたくし、アカウントCのミシェル・クレールと申します』
 「草間興信所のシュライン・エマと申します。それで、本日はどの様なご用件でしょうか?」
 そう名乗ったシュラインに向かい、草間がぼそりと『そいつは客じゃない』と呟いた。どう言う意味だとばかりに視線で促すが、彼はぶすったれたままだ。
 『あのですねぇ、タケ……じゃなくて、草間興信所さんに、お願いがあってお電話したんです』
 ここの主は客ではないと言ってはいるが、しっかり客だろうとシュラインは冷たい視線を彼に向ける。
 話を聞いていくと、要はとある依頼の為、人手を募っていると言うことらしい。
 その内容とは、最近頻繁に起きているシステムクラッシュの原因調査と駆除と言うことだ。これだけなら、余り珍しいことではなく、それこそそっち系の専門企業にヘルプをお願いすれば良いことなのだろうが、この依頼は一味違った。
 「え? 蒼い影法師……ですか?」
 『そうなのぉ。それが目撃されてるのよー。ここで詳しくは言えないんだけどぉ、ちょっとネットワークに潜って調査してもらいたいのね。で、タケ…じゃなくて、所長さんにご協力願った訳なんだけどぉ、もうね、けんもほろろな仕打ちでしょー?』
 しくしくと、言葉で泣き真似をしている電話向こうの女性が、口程に堪えている訳ではないと言うことをシュラインは悟った。
 それにしても、ネットワークに潜ると言うのは、一体どう言った状況を指し示しているのだろう。
 興味が湧いた。
 そっぽを向いたままの草間を、顎を掴んでこちら側に向け、にっこりと笑ってアイコンタクト。
 その笑みが怖かったのかも知れない。草間は、口元を引きつらせつつも不承不承、解ったとばかりに頷いた。
 「解りました。ご依頼、お受けいたします。こちらでも、心当たりに声を掛けさせて頂きますわ」
 シュラインがそう言った瞬間、まことにもって嬉しげな悲鳴が、受話器の向こうから上がったのである。



 その事務所の印象は、集まった人々の印象をことごとく裏切っていた様だ。
 互いが互いの顔を見て、そう結論づける。
 ここはまるで、何処ぞのカフェテラスの様だった。
 採光を考えられた窓は二方にあり、パノラマ写真に写った様な街の風景を見せている。中央には大きな白い円卓。周囲には観葉植物やドリンクサーバー、本棚やAV機器などが配置されている。入って来た扉の右側にある壁には、もう一つの扉が見えた。
 今そこには、八名の人間が席についている。目の前には、それぞれコーヒー紅茶などのドリンクが出されていた。パソコンの類など、全く見当たらない。
 「本日は、お忙しい中、ご足労頂きありがとうございまぁーっす」
 満面の笑みでそう言ったのは、年齢不詳の女性だ。彼女が、草間興信所へと電話してきた女性であると、シュラインには解る。
 今から仕事の話をするとは思えない程の、リラックスぶりであった。
 「取り敢えずは、お名前知らないとあれだからぁ、自己紹介からね。まあ、お知り合いの方もいるみたいだけど。んじゃ、うちの人間から行きまーす。まずはあたくし。ミシェル・クレール、アカウントCの技術担当でぇーっす」
 底抜けの明るさに、毒気を抜かれた様になっているのが現状だ。
 「金浪征(きんなみ せい)。アカウントCの……何と言うか、まあ、調査員かねぇ。取り敢えず、ナビゲータだって思って」
 「陽(よう)・コンラート。調査員」
 「電脳土方だろ?」
 「それはPG」
 混ぜっ返す征に、淡々として返すのは陽だ。
 征は電脳世界の力仕事専門と言う意味で使ったのだが、陽はきっちり否定した。
 確かに陽は間違ってはいない。通常、電脳土方とは、PG(プログラマ)に対して使用される言葉であるのだから。
 全く持って対照的な二人だと言える。愛想の良い征と、無愛想の極みである陽。ちなみに最も愛想の良いのは、ミシェルであるが。
 「では、今度は私達ね」
 シュラインは、率先して口を開いた。
 「シュライン・エマよ。翻訳家をやってるわ。…と言っても、最近では草間興信所の事務員兼調査員と言った方が良いみたいな感じだけど」
 草間興信所のことは、まるで第二の我が家の様にも思っているのだ。
 「初めまして。セレスティ・カーニンガムと申します。シュラインさん経由で、お話を頂きました」
 微笑みを浮かべつつ、軽く会釈をする彼を見て、既知を含んだ全ての者が、ほうと溜息を吐く。
 「セレスティさまの元で、庭師をしておりますモーリス・ラジアルです。今回はシュラインさんよりお声を掛けて頂きました。以後、お見知りおきを」
 人を安心させる様な笑みでありつつ、何処か悪戯っぽい印象を受けるのが彼だ。
 「え…っと、その……定久保、常二です…。よ、よろしく…」
 お願いしますと言う言葉が、語尾に消えて行く。へらっと笑いつつ、彼は弱気に自己紹介をした。
 対照的なのは、最後になった元気の良い彼である。
 「初めまして! シオン・レ・ハイと申します。草間さんのところに、ご飯を食べに行ったら、ここを教えてもらいました。宜しくお願いいたします!」
 甚だ誤解を生む台詞である。そしてやはり、約一名が大幅な誤解をしたらしい。
 「まあ! タケちゃんてば、ご飯を食べさせてくれなかったのね。良いわ、あたくし、今からお夕食を……」
 「あ、違うのよ、ミシェルさん。シオンさんには、仕事の紹介をしただけだから…」
 思わずシュラインが、付け足した。ご飯はきっちり食べてもらっている。
 「ミシェル、ボケるのも大概にしろって……、まずは仕事の話だろうが」
 シオンの瞳が輝くも、約二名から突っ込みが入り、お流れになってしまう。
 このままこの二人が会話すると、何処までもボケ倒してしまうかもしれないと言う危惧は、取り敢えず回避された様だ。
 「そうだね。まずは仕事の話を聞かせてもらおうか」
 その声に、征を除いた六名が、唖然とした顔をする。
 台詞を発したのは、先程まで小さく纏まっていた常二である。
 だが、今の彼の声には、張りがあり堂々としていた。瓶底眼鏡の奥が、鋭く光った……のかもしれない。
 「あの……、定久保、さん?」
 シュラインが戸惑いつつも、そう聞いた。
 「はい、何かな?」
 何処か面差しまでもが違う感じがするのは、錯覚ではないだろう。
 セレスティとモーリスが顔を見合わせ、何となく意志を通じ合わせているのは、彼の変貌振りに得心することがあったのだろう。
 恐らく、彼は仕事となると、日頃は持ち合わせのない自信というものが復活するのだと考えた。
 ただ一人、『ご飯が…』と拘っているシオンが、常二の変貌振りを全く関知していなかったが。
 ちなみに征が平然としていたのは、先に彼と話し変貌振りを知っていたからである。
 「いえ、別に。ええと、そう。詳しい話は、伺ってなかったわよね」
 「んじゃ、そっちは俺が話すわ。まず、PCを出してもらうかな。テーブルを二回、指先でタップして」
 不審に思いつつ、ここに初めて来た五人が、顔を見合わす。それを見た征が、まあ仕方ないかと言った顔をして、自分が例を示す。
 トントンと、二回人差し指でテーブルをタップ。
 瞬時、彼の前にあるテーブルの一部が、ご開帳。その中から、目に優しい角度のモニタが現れ、キーボードとタッチペンがせり上がる。パソコン自体は、既に起動済みだ。
 「面白いな」
 常二がうっすらと微笑んでいる。
 「セレスティさま、社の会議室も、こんな風にしたら面白いかも知れませんよ」
 「そうですねぇ。一度話してみましょうか」
 そう話しているのは、セレスティとモーリスの主従コンビだ。
 「手品みたいですねぇ。凄いですっ!」
 目を丸くしているのはシオンだった。ここに草間興信所に預けてきたウサちゃんがいれば、『何バカなこと言ってんのよっ』と言う視線をくれたかもしれない。
 「こう言った設備投資って、どれくらいで出来るのかしらねぇ……」
 もしかすると、依頼料も良いのかも知れないと思ってしまう自分が悲しい。
 各々感想はあれど、取り敢えずは自分達も征を真似てテーブルをタップすると、同じ様に埋め込み式のパソコンが現れた。
 既に陽とミシェルの二人も、それを出している。
 それを確認した征は、今度は耳に引っかける様にして装着しているインカムを一度タップ。即座に白い円卓の中央部分が下へと引き込まれ、そこからホログラム装置が出現する。更に、上部へ白い光が吐き出されたかと思うと、そのまま全方位角のモニタが作られた。
 「SFみたいね」
 「そりゃーもー、ミシェルがそう言うの大好きだから。デザイン、おもっくそパクってるんじゃないかねぇ?」
 「ひっどーいっ。パクるなんて、人聞き悪いわよぉー」
 「その追求は、今は脇に置かないと、話が進みませんよ」
 クスリと笑いつつ、セレスティがそう話の方向性を修正した。ごもっともとばかりに、征は、肩を竦めてから話し出す。
 「まず、今回の依頼内容から。まずは、こっちに送られて来たメールを見てもらおうか。ってか、これが全てって感じなんだけどな」
 そう言うと、中央のモニタと、個々に割り当てられたモニタに、『A<a_ver@xyz.com>』と言う人物から送られたメールが表示される。中央のモニタは征が己のモニタでサブ画面を開きリモートにてズームアップしているが、個人の前にあるモニタは、それぞれで操作可能になっていると言うことが続いて話された為、タッチペンとキーボードを使用して思い思いの表示を行っている。
 つまりのところ、中央では文面が、各々のモニタでは、各自気になった点をプレビューしていると言った具合だ。
 「このメールにある様に、ここんとこ企業や個人で使用しているパソコンが、正体不明のウィルス、もしくはシステムに依ってクラッシュへと追い込まれている。公には出ていないものの、UGでは可成り有名な話だね。こいつはクラッシュ前に、必ず蒼く染まる人影を見せることから、『蒼い影法師』と呼ばれている訳なんだが、要は、この『蒼い影法師』の調査、そして駆除……と言う言い方が正しいかどうかはさておきで、まあ、潰しちまうってのが、今回の依頼の大筋」
 一気にそこまで言うと、征が五人の顔を見回した。
 それぞれ一様に、何かを考えている様だ。
 暫くの沈黙の後、まずはシュラインが口を開く。
 「良いかしら?」
 「どうぞ。まずはディスカッションと行こうじゃないよ」
 「私が気になったのは、クラッシュした時の状況なんだけど、それってオンライン、オフラインのどっちだったか解る?」
 答えたのは征ではなく、常二だった。
 「私が知っている限りでは、その区別はなかったかと思えるな。裏で流れている話や、PG・SE仲間の噂話から総合すると、オンラインであろうがなかろうが、一度でも外に繋がるネットワークへと接続したPCは、アタリを引いた場合に漏れなくクラッシュしている。勿論、繋いでいても無事なPCもあると言うがね」
 常二は職業柄と言うこともあるが、それこそ黎明期からこう言う世界に慣れ親しんでいる為、オフラインではともかく、ネットでの交友関係は広い。また趣味でツールの配布をしていることもあり、常連となった者達からお礼メールを受け取ると同時、ちょっとした噂話と言うものも手に入れることが出来るのだ。
 「んーー、そうなのね。ネットを巡回していた影法師が、閉じこめられてしまったからこう言うことになったのかと思ったんだけど……」
 『ハズレね』と、ちょっとがっかりした気分になる。
 「案外、外に出たがっているのかもしれないな」
 上目遣いに唸るシュラインに、常二が軽い笑みを浮かべて冗談で返す。
 「影法師と言うのは、誰かがリモートコントロールしているのではないかと、私は思うのですけれど」
 二人のやりとりを聞いていたセレスティが、そう言って口を開いた。
 「オトパみたいな?」
 「オトパ?」
 征の言葉に、モーリスが怪訝な顔をする。
 オトパとは、まだパソコン通信が全盛であった頃、自動巡回ソフト──オートパトロールと呼ばれるツールを、一部の人間が略して呼んでいた言葉でもある。インターネットが主流となった今、自動巡回ソフトは存在しても、その略語自体をあまり耳にはしなくなったが。
 「自立系かそうでないかと言うことも含め、ですね。つまり、この影法師を操っているものが、何処かにいると言うことです。通常こう言ったものは、自然発生したとは考え辛いですから。誰かが作り、そしてネットへと流した。私はそう思います」
 「まあ、自然発生と言うことになれば、現実世界で言うところの心霊現象になるのでしょうが、ネット内では、あまり想像が付きませんね。……ただ、ここは異界ですから、何が起こったとしても、不思議ではないと思いますけど」
 最後に意味深な言葉を残すモーリスに、口角を上げて笑みの形を取った陽が口を開いた。
 「この東京が異界なら、ネットワークはそれを繋ぐ通路だな」
 「通路とは、どう言う意味です?」
 「そのままだ。ネットワーク内は、何処にでも繋がっている」
 全く以て、答えになってはいないが、まあ良いでしょうとモーリスが呟く。何か思惑を秘めた顔であるのは、見間違いではないだろう。
 「ともかく、誰かが操っていると言う可能性は、可成り高いだろうと私も思う。何が目的か、それを含めて調べる訳だが、人が作ったものであれば、必ず癖が出る。システム、またはウィルスに限らず、腕の良いPGなら尚のことね」
 「あのぉ……」
 今まで目の前にあるPCを興味深げに弄っていたシオンが、おもむろに手を挙げる。
 「壊れたものは、元に戻せないのでしょうか? 裁縫や工作でしたら、私は得意なんですけれど」
 「壊れ方に依るね」
 常二がそう答える。
 「うーんでもねぇ、流石にお裁縫とかでは、戻せないかもしれないわねぇ」
 真剣に答えているミシェルに、これまた真剣な表情で聞いているシオン。
 「あ、でも、中に入って、修復作業をする時、そう言ったイメージで治すことは出来るかも……」
 「本当ですかっ?!」
 何処か嬉しそうにそう答える彼に、ミシェルはにっこり笑って頷いた。
 「えーと……。今の会話から、更にネットに入って…と言う話が見えなくなって来たのですけれど……」
 苦笑しつつ言うモーリスに答えたのは、またもや陽だった。しかも、無愛想とも言える程に簡潔に。
 「入れば解る」
 モーリスがまじまじ見ていると、徐々に陽の耳が、コンクリート張りの無愛想さはそのままに、赤くなって行くのが解る。
 「見るな」
 「これは失礼」
 にんまり笑うモーリスは、腹に一物ありと言った表情だった。
 「もうちょっと聞いても良いかしら?」
 「答えることが出来るなら、何なりと」
 愛想の良い笑みを、征が浮かべる。
 「今まで被害にあった人が、良く行っていたサイト、更に、その被害者自身のの共通点…性格や趣味とかね、そう言うのは解っているの? 後、使用したプロバイダや購入店舗なんかも、共通点があるのかしら?」
 シュラインの問いに肯き、征は中央モニタにデータを飛ばした。
 全画面表示されていたメールが、右上部へと引っ込み、新たにアルバムめいたアプリがが中央に立ち上がった。
 「流石は草間んとこの要だよな。基本はきっちり突いてくれる。取り敢えず、現在こっちに来てる被害者の情報だ。細かいところは、さっきと同じ様に個々で見れるから、気になる点を見てくれ」
 通常、リモートしているPCを個々で操ろうとした場合、各自がコントロールの取り合いになる。しかし現在使用しているそれは、中央モニタに表示されると同時、予め入っていたアプリが各々のPCで自動的に立ち上がり、個々でDB内の情報を検索出来ると言った形である為、そう言う状況に陥ることはなかった。
 データ量はそこそこあり、ある程度中身を読んだところで、シュラインが溜息を吐く。
 「どうやら、特にこれと言った特徴はないようね」
 確かに被害者に共通することはない。
 使用アプリやOSは様々だし、購入店舗も多岐に渡る。プロバイダも有名処から、地元のものがあり、企業においてはプロバイダ云々以前の話でもあった。被害者個人においても、アウトドア派からインドア派までと幅広い。
 けれど。
 「いや、実際の影法師が吐いたと言えるデータがないから、そうとも言えないな。データを見れば、何か共通していることがあるかもしれない。そもそもプラットフォームが違うのに、全く関係なく壊れていると言う状態が気に入らない。……もっとも、違っても壊れるものが、ない訳ではないがね」
 ウィルスなどに言えることなのだが、プラットフォーム、つまりOSやそれを動かす環境と言うものが違えば、通常は感染したりはしない。Windowsに猛威を振るっていたそれが、Macintoshでは屁の突っ張りにもならないと言うのが、その状態だ。しかし、『尤も』と但し付きで付け加えられた、プラットフォームを越えて感染するウィルスは、二○○一年に確認されてもいる。これはWindowsとLinuxの両方に感染する『W32.Winux』と言うウィルスであるが、脅威という観点では可成り低い。
 ちなみにアプリなどにしても、通常、OSが違えば、コンバートと言う処理が必要となるが、クロスプラットフォーム──もしくはマルチプラットフォーム型のプログラムやデータも確かに存在はする。多くの人が耳にすることのあるプログラム言語で言うとJAVAなどがそうで、データの話をすると、jpgやgif、txtなどだ。
 「どのみち、ウィルスなら反応するわな。新種なら後手だろうけど、パターンファイルが作れないと言う訳でもないし」
 「もしかすると、ウィルスではないのかもしれませんねぇ」
 セレスティが、小首を傾げてそう呟く。
 「ウグイスチェッカーさんと言うのに引っかからないのなら、そうなのかもしれませんよね」
 「……。ウグイス?」
 シオンと付き合いのある三人は、彼が何を言いたいのか良く解ったらしいが、初対面の人間は、『何故ウグイス?』と言う顔をしている。いや、初対面でも、ミシェルはどうやら違う様で、新種のウィルスならぬ、新種のセキュリティソフト作成において、ウグイスがウィルスと言う虫を食べる描画が楽しそうなどと、シオンと二人盛り上がっていた。
 「アプリやOS自体が自壊していくのであれば、ウィルスチェッカーが反応しなかったと言うのには頷けますから」
 二人の盛り上がりを微笑ましい視線で見つめつつ、セレスティはそう考えを述べる。
 「それ自身からの警告は出るだろうがね」
 「取り敢えず、データのサルベージを行ってみるのが良いかもしれませんね。いくつかサンプルがあれば、検証も出来るでしょうし。それに、先程仰っていた、壊れたものを復元することも、元がなければ話になりませんしね」
 セレスティがちらりとモーリスを見ると、彼は心得たとばかりに頷く。
 「修復は、私がやってみましょう。影法師自体の復元、そしてアプリやOS、パソコン本体など、ソフト面からハード面と色々やってみる価値はありますね」
 「メールで送ってもらったり、ストレージでやりとりってのは、勘弁な。完全にスタンドアロンにしたヤツ用意するから、実際に何かに入れて、こっちに持ってきてくれ。ああ、ぶっ壊れたPC、そんまま借りるのでもOKだ」
 征がそう釘を刺す。
 勿論、彼がそう言う意味を、約一名を除き解っていた。
 要は正体不明のものを、このシステム内に取り込みたくはないと言うことだ。
 「ええ、そのつもりです。ここのシステムを破壊する訳にはいきませんから」
 セレスティがそう請け合った。
 「じゃあ、まずは被害者を回って、破損データの確保と言うことで良いのかしら?」
 「私は、ネットに潜って調査と言うことをしてみたい。中と外では、解ることも違うかもしれないからね」
 「確かに一理ね」
 「あ、私も、素潜りをやってみたいです」
 「いや、素潜りじゃないんだけど……」
 うきうきと言うシオンに、脱力系の突っ込みを入れる征。しかし慣れている者は、全くその言葉を気にしてはいなかった。
 「セレスティさんと、モーリスさんは?」
 二人にそう聞くと、誠にもって彼ららしい台詞が返った。
 「サルベージを言い出したのは私ですからね」
 「シュラインさんやセレスティさまに、力仕事はさせられませんよ」
 行動は決まった。
 「んじゃ、皆さん、宜しくお願いしまぁーーっす」
 小首を傾げ、胸の当たりで両手を合わせたミシェルが、何とも嬉しそうな微笑みを浮かべ、ディスカッションの終了を告げた。



 時間は定時前。
 丁度企業も、終業に向けて、または第二の定時に向けて、慌ただしくなって来る頃合いだった。
 シュライン、セレスティ、モーリスの三人は、馴染みのビルの前に立っていた。ここへはセレスティとモーリスが乗って来ていたリムジンで来ている。
 「まさか、ここまで被害にあっていたとはねぇ……」
 「あの鼻の利く編集長が、良く記事に書かなかったものです」
 「何か思惑があったのかもしれませんよ?」
 口々に感想を述べる三人の目の前には、彼らにはお馴染みとも言える白王社のビルがあった。
 被害にあったのは、碇麗香率いるアトラス編集部内ではなかったが、同社内であったことには変わりなく、それをみすみす見逃す様な女傑ではないと、それぞれが良く良く知っている。
 とまれ、ここでビルを眺めていても仕方ない。
 三人は被害にあった部署へと向かうことにする。
 問題の部署がある階は、アトラス編集部と同じ階だ。季刊誌を発行しているそこは、同じ編集部と言えど、馴染み深いオカルト編集部とは全く違った雰囲気を持っていた。
 話はもう通してあるので、そのまま編集長のデスクへと直行する。
 人目を引く容貌の三人だ。当然の様に、道すがらの視線は熱い。ちなみに編集長も、彼らが自分の机に到着する前に、その存在を確認して手を振っていた。
 「初めまして、先にお電話致しましたアカウントCの調査員です」
 シュラインが微笑みつつ、そう口を開いた。
 日頃であれば、この『アカウントC』内には草間興信所やアトラス編集部などの名称が入る。初めて使うその名称は、やはり言い慣れないものだ。
 互いが自己紹介をし終わり、『では早速…』と用件に入る。
 「ああもうあれ、持ってってもらっても構わないから」
 がっくり肩を落としつつ、編集長がそう言った。
 「本体ごとお借りしても宜しいのでしょうか?」
 小首を傾げつつ言うセレスティに、彼は答えを提示した。
 「勿論。何回インストしても、全く使いモンになりゃしねぇ。直ぐイカれちまうのさ」
 眉間に見事な三本皺を作る彼に、モーリスが尋ねる。
 「例えば?」
 「最初はエディタやDTPソフトがフリーズしたりする程度だったのが、もうOSバカになるわ、OSだけインスト出来たは良いが、保護エラーっつーのが出て、そっから起動しねぇ。果てに煙りまで出て来やがる。蒼いヤツなんざ、最後にゃ、横向いてんだぜ? オカルト現象は、碇んとこだけで充分だっての」
 その言い草に、シュラインは生暖かい笑みを浮かべていた。しかし聞き捨てならぬこともある。それはモーリスも同じだった様だ。
 「横を向く?」
 確かに動くと言う話は聞いている。けれど彼の言葉には、何か連続した動作があった様な含みがあった。
 「ああ。最初はな、後ろ向きだったんだよ。だがな、もー、イヤってなくらいにリカバリってたら、何時の間にか、その蒼いヤツがこっち向き出したんだよ」
 つまり徐々に振り返って来たと言うことだ。何とも言えない表情で、三人が顔を見合わせる。
 「そうなったパソコンは、一台だけですか?」
 「運が良いのか悪いのか、それ一台だ。うちの社でやられたのは、そんだけ。ま、バリバリに使ってるヤツじゃないのが、救いと言えば救いだな」
 肩を竦めた彼は、内線で台車の手配をしてから、問題のパソコンへと案内する。それは使い物にならないと言うことで、埃に溢れた倉庫の隅へと押しやられているらしい。
 編集部内を出、問題の倉庫へと台車を押しつつ歩を進めて行くと、アトラス編集部の入っている部屋のドアが勢いよくぶち開けられた。
 「ごごごごごごごごめんなさいぃぃぃっ!!」
 そう言いつつ、転げだして来たのは三下だった。
 「三下くんっ! 何度言ったら解るのっ!」
 続いてアトラス編集部女帝が現れ、仁王立ちで廊下に這い蹲っている三下にガンを飛ばす。
 「……麗香さん?」
 相変わらずねぇとばかりに、シュラインがそう呼びかけると、『あら』と麗香は三人へ視線を向けた。
 「シュラインさん、セレスティさん、この前はどうも。モーリスさん、こんにちは」
 三下に向けれられるのとは、雲泥の差である視線温度。
 「今日は……、あ、例のあれね」
 得心顔で言う麗香は、ここへ来た目的を直ぐに見抜いたようだ。三下は、麗香の心臓を抉る様な言葉の弾丸を受けずに済んで、ほっとした様に三人を見上げている。
 「ええ、そうなの」
 「ま、頑張ってね。期待してるわよ」
 笑う視線に含みを感じる。
 「アトラスは、この事件を取り扱わないのですか?」
 人畜無害の笑顔で聞くのは、モーリスだ。勿論、この問いかけの答えは、三人とも実に興味のある内容でもある。
 「まあ、ちょっと色々と考えがあってね」
 「差し支えなければ、その理由を教えて頂きたいのですけれど」
 「簡単に言うと、手が足りないと言うことが一つ、ちょっとしたところから圧力が掛かってるからと言うことが一つって感じね」
 三人の顔に、疑問が浮かぶ。
 たかだかそんな理由で、この天上天下唯我独尊な彼女が引っ込む筈もない。
 手が足りなければ、何時もの様に人を募れば良いだけであるし、圧力がかかったところで、そんなことに恐れ入る様な彼女ではないのだ。
 「では、全くノータッチ?」
 まさかとばかりに彼女は首を振る。
 「そんなの決まってるじゃない。真相が明らかになったら、実際に関わった人からレポートを貰って、大々的に記事にするわよ。それが貴方達で良かったわ」
 やはり『碇麗香は碇麗香』であった。
 要は棚ぼた的展開を狙っているのだ。
 何とも『らしい』答えを聞き、何処か安心した三人であった。



 「ちょっと助かっちゃったわね」
 シュラインが車中でそう小さく笑う。
 「そうですね。しかし、三下くんが着いて来てくれなくて、私は少々残念に思います」
 「セレスティさま、彼が着いて来たとしても、今回はあまり役に立たないかと……」
 モーリスの台詞を聞いていると、日頃はとても頼りになる人材の様に聞こえる。
 勿論、そんなことはないと、拡声器で宣伝出来るくらいに役立たずではあるが。
 とまれ、三人は、鉢合わせた三下に、台車に乗せた件のパソコンをセレスティのリムジンまで運び入れて貰ったのだ。当然、何かミスをしてPCを落としても大丈夫な様に、モーリスの檻に入れて。
 そして現在は、もう一軒、被害にあった、今度は個人宅へと車を走らせていた。
 「そんなことを言うものではありませんよ。三下くんは、私達を和ませるマスコットの様な存在ですからね」
 本当にそう思っているのだろうか、世界を背負って立つ財閥総帥の真意は計り知れない。
 「そろそろ着くわね」
 セレスティが本気か冗談か解らないことを言っている間に、被害者宅が見えて来た。
 一般的な集合住宅、有り体に言えば団地だ。リムジンで乗り付けるには、不適当ではあるが、今更乗り換えて行く訳にもいかない。彼らは運転手に車を任せ、その五棟ある内の一号棟と書かれている建物の中に入った。
 「エレベータなんて良い物、ここにはないみたいだけど、大丈夫?」
 シュラインは、そうセレスティを心配する。ここは五階で、被害者宅は上から二番目の階だ。通常ならエレベータが着いている筈ではあるが、老朽化した建築物には得てしてそうでないことも多い。
 「ありがとうございます。大丈夫ですよ」
 微笑む彼を見つつ、これ以上言うのは失礼であるとシュラインは感じた。
 「いざとなれば、私が抱き上げてお連れ致しますよ」
 「それはあまり嬉しくはありませんねぇ」
 ゆっくりと時間をかけ、漸くのことでそのドアの前に立つ。
 こちらの方にも、予め連絡は入れてある。シュラインがインターフォン──と言うよりブザーが適当だが──を押すと、草間興信所に負ける劣らずの音が中で響いていた。
 暫しの後、そこが開かれ、ひょろ長いと言った風の男が顔を見せる。
 「こんにちは、アカウントCより参りました」
 モーリスが、そう笑みを浮かべて言う。
 最初は胡散臭そうな顔をしていたが、そこにいる三人を見て心象が変わった様だ。
 「聞いてるよ。どーぞー」
 神経質なのかと思いきや、のんびりとした声がする。三人は、後ろ姿となった男の後を追い、中へと入る。室内は汚れていると言うより、散らかっていた。靴を脱ぎたくないと言う程ではない。どうやら2DKであるらしく、キッチンから二つのドアが見えた。奥のドアを開けると、そこは五台のPCがあり、それぞれがネットワークに接続されているのが解った。いや、一台だけ、接続されていないPCがある。
 「これですね?」
 セレスティが確認した。
 「ああ、そーだよ」
 「出来れば、お借りしたいんですけど、構いませんか?」
 隙のない笑みを浮かべたシュラインに、彼は明後日の方向へと向いて言う。
 「ま、良いけど。条件、言って良い?」
 その言い様に、三人がやれやれとばかりに顔を見合わせた。
 何を言い出すのやらと、呆れ半分好奇心半分。
 「何でしょうか? こちらの方でも、出来得る限りはさせて頂きますが」
 モーリスは、人好きのする笑みを浮かべたまま言った。
 「この影法師、俺もキョーミあるんだなー。だから、消さないでくれる?」
 「え?」
 思いがけないその言葉に、シュラインが困惑顔になる。セレスティ、モーリスも眉を顰めて目の前の被害者を見た。
 「まだ色々と弄ってみたい訳」
 「まだと言うと、何かもう既に?」
 オリジナルが手に入らないのかもしれない。セレスティもそう思ったらしく、聞き返していた。
 「いんや。もーー何てーか、お手上げ状態。だからもっと色々と対策練ってから、リトライしたい訳」
 成程。
 取り敢えずは、手が入っていないと言う訳だ。
 まあ、その条件ならのめない訳でもない。もし万が一、そのままで返すことが出来なくなった場合でも、適当にそれらしいものを入れておけば良いことだ。
 「解りました。こちらは、元のままでお返ししますわ」
 シュラインがそう請け合うと、彼はにんまりと品なく笑った。



 「何だか悪戯したくなりますね」
 モーリスは、リクライニングシートの様なものに横たわっている四名を見て、そう感想を漏らした。
 現在三人は、PCやデータの回収を終え、アカウントCへと戻ってきている。部屋に入った時、誰もいないのには驚いたが、どうやらこの部屋でモニタリングしてたらしいことが解った。通常なら、バイオメトリック認証にてOKの出た者のみに開かれるドアだと言うことだが、中にミシェルがいた為、彼女がロックを解除したのだ。
 そしてそこに入って、彼らは先程の部屋とは全く違った様子に少々戸惑った。
 先程の部屋が白ならば、ここはセピアだ。照明は、まるでバーの様に薄暗く落とされ、中央にあるリクライニングシートとミシェルの弄っていた機器のみが明るかった。
 リクライニングシートの半分近くが埋まっている。シオン、常二、征、陽の四人が、ヘッドセットとグローブのような物に覆われていることを無視すれば、まるで眠っているかの様にいたのだ。
 外から見た、ネットイン状態の人間である。
 そしてその風景を見たモーリスが、先の感想を述べたと言う訳だった。
 「顔にへのへのもへ字くらいは書いてもOKよん。特に陽ちゃんなら、こっちじゃ文句言わないからねっ。存分に悪戯し放題っ、いや、寧ろ推奨しちゃうわよーん!」
 何処か私怨が入っている気がしたのは、恐らく自分一人だけではないだろう。
 「あ、そうそうでも、頭や手の部分は弄らないでね。何が起こるか、予測不可能だから」
 「これがインターフェースと言う訳ですね」
 成程と言う風に、セレスティが頷いた。
 「みんな、中に入って調査をしているの?」
 「うん、そーよ。あ、入ってみる?」
 「え? 大丈夫なの?」
 いきなり事情も知らない人間が、こうして案内もなく入っても大丈夫なのだろうかと思うのだ。それは聞いたシュラインだけでなく、セレスティもモーリスも同じように感じていたことだろう。
 「全然OKー。ナビゲータの征ちゃんが中にいるからねー。タグでポイントしてあるから、現在位置もこっちで把握出来てるし。全く問題ナッシング」
 「入ってみたいですねぇ」
 微笑みを浮かべて言うセレスティに続き、モーリスもまた何処かおもちゃを見るような目つきでにっこりと笑う。
 「ええ、面白そうですし」
 「必要があるなら、私も」
 「必要、出てくるかもよん。今はまだ情報収集の段階で、外から中から両方で探すのOKだけど、その結果次第で、中からしか落とせないってことになるかもしんないからー、慣れとくのは、ソンがないと思うわよー」
 「そう言うことなら、私もネットイン希望ね」
 何事も本番一発勝負と言うより、出来るのであればシミュレーションをしておきたい。慎重を期するが故の判断だ。
 「んじゃ、簡単に説明ね。このモニタ見て」
 複数台あるモニタの、何処を見れば良いのだろうと思いつつ、一番中央にあるメインと思しきそれを見ることにする。
 そこには、ネット内に入っている四人が映し出されていた。
ちなみに彼らが帰った時に、ミシェルが出て来れなかったのは、ネット内部をモニタリングしておく必要があったからだ。
 「あら、何だか面白い格好ねぇ」
 彼らはオレンジのミラーグラスを装着し、ハムスターを腕や首に巻いている。そのハムスターがまた、何だか可愛いのだ。
 「風景は、こちら側と余り変わりない様に見えますけれど」
 内部にいる人間はおいておくが。
 「一応ね、解りやすい方が良いでしょ? あたくしのこだわりよん。でね、基本的に、現実世界と同じ様な要領で、ネットの世界も過ごせる訳なんだけど、ちょっと戸惑ったりする場合とかあるでしょ? そー言う時、手助けするのが、このハムちゃん」
 ミシェルの手が、コンソールを弾くと、シオンのハムスターがズームアップする。
 曰く。
 ハムスターは、ネットインした人間がデフォルトで持っているナビであり、大きなアクションはナビゲータである征がフォローするが、細々とした処理、例を挙げるとメッセージやメールが届いた時などは、それDLして読ませてくれたり、または自分から発信することも可能であること。その際、ハムスターが本人のみ視認可能なモニタを表示する。
 ハムスターと言う形状は、デフォルト値であり、各々がカスタマイズして小動物であれば変えることが出来、名付けもOK。更に、メールなどの即時DLするしないもカスタマイズOKであること。
 ハムスターが出す内容を、モニタではなくミラーグラスに映すのが可能であること。ハムスターを利用して、モニタやミラーグラスから取得した内容を、各自が持つ権限内であれば、自由な方向で参照可能であること。その方法は、ハムスターに指示するだけでOKと言うこと。ツールなどを使用したい場合も、ハムスターへの指示やモニタに表示されているのならそこから選択すること。
 基本的にミラーグラスには、ナビゲータがコマンド入力したものや、バックグラウンドで流れているプログラムが点滅表示されること。
 携帯用武器などは、ツールに含まれる為、先の通り。
 他、何かやりたいことがある場合、そのままヘルプ参照の指示を出せば、ハムスターが表示してくれること。
 そしてファイルの変更などは、セキュリティの関係上、ナビゲータしか行えないこと。 「OK?」
 「色々とありますけれど、要は、何かあれば、ナビゲータ役の人やハムスターに聞けば良いと言うことですね?」
 モーリスがそう纏めた。色々言ってはみたものの、端的に言えばそうなるのだ。
 最後のファイル変更云々は、入った者であれば誰でも変更可にすると、重要なデータやシステムファイルなどを、故意、またはうっかりとでも、書き換えされてしまっては困る為であると言う理屈も納得が出来た。
 「ピーンポーーン。カスタマイズは何時でも受付OKだけど、一度使ってみてから変更かける方が良いかなーと、あたくし思うの」
 了解とばかりに三人が頷く。
 「少しお願いがあるのですけれど」
 「何かしらん?」
 セレスティに向け、小首を傾げつつにっこり笑う。ついでにパネルを叩いて、征に今から三人を送り込む旨を告げ、OKの返事が返って来たことを確認した。
 「これは姿を変えて中に入ることは可能でしょうか?」
 二人のやりとりを聞きつつ、シュラインとモーリスの二人はシートへと移動する。シュラインが常二の隣へ、そしてモーリスが陽の隣だ。
 「出来るけど。……何で?」
 何時も笑っている印象であるミシェルが、眉間に皺を寄せる顔と言うのは意外だった。
 「いえ、まさか人がネットに入るなどと思う人がいるとは思いませんし、更に入ったからと言って、それが私であると特定出来る様な形式ではないかと思いますけれど、もしもの時、私であると言うことが、即座に解らない様になればと思いまして」
 「んーーー。身バレの問題ね。そ言うことならOK。ま、バレる心配は、ここに踏み込まれない限りないけど。あ、でも、報酬からカスタマイズ分マイナスよん?」
 お金の話をセレスティにすることは、全くの無意味であるが、取り敢えずミシェルがそう確認した。
 「勿論、構いません。今より若い、…そうですね、少年時代と言った感じでお願い致します」
 「OKー。んじゃ、ちょぉーっと若い、ボクちゃんって感じのペルソナ使うわね」
 ええと頷くセレスティを見ていたモーリスが、思い出したと言う風にミシェルへと声をかける。
 「申し訳ありませんけれど、私の方も、動きやすい服装へと変えてもらえますか?」
 「服くらいなら、問題ないわよん。どんな?」
 「これが使える様な」
 そう言って取り出したのは、何処に隠していたと突っ込みが入りそうな、一見普通の鞭だ。しかしただ単なる鞭でないことは、わざわざ取り出して来たところから察することが出来るだろう。
 「OKー。獲物を追い掛ける狩人さんね。あ、シュラインさんは?」
 「私は特に」
 別段脳裏に浮かばなかった為、シュラインはそう答えた。
 「えーと、携帯する武器とかは? こっちで報酬からマイナスと言う形でレンタルするけど」
 揃って三人が首を振る。
 「んじゃ、シートに着いてねー。でもって、四人と同じ様に、ヘッドセット着けてー、アームレスに手を置いてね。更に右アームレスにあるスイッチ入れて。それがマウントシステムの起動スイッチなの」
 既に位置を決めている二人はそのまま、セレスティがモーリスの横へと着き、三人がそれに身体を預けた。ゆっくりとリクライニングすると共に、手の部分が何かに覆われる感じがする。更に身体全体がエアバックに覆われた感触がした。
 『VRS(ヴァーチャル・リアリティ・システム)オンライン。ニューラルネットワークオンライン、ハイセレクトシステムOK、位相コントロールOK、フィードバックシステムOK、エイアリシング・ノイズNoting、アンチチェイサーシステムOK。VRSオールグリーン。VDまで、テンカウント』
 まるで脳内に直接響くかの様な声。それはヘッドセットを通してのもの。
 カウントダウンが進むにつれ、項あたりから何かが流出して行く感覚がする。徐々に激しくなる耳鳴り。
 ラストは『ゼロ』。そして──。



 どうんと言う衝撃と共に、何かに包まれた様な感じがする。まるで海中へとダイブした時の様な、そんな感覚。
 これは海だ。優しい揺らめきと懐かしい記憶を呼び覚ませしてくれる様な錯覚を起こす自然の海ではない。
 そう、ネットの海だった。



 ゆっくりと、けれどリアルワールドの数百倍の早さで、彼らの身体は再構築されって行った。
 駆け抜ける螺旋が、脳天から足へと走ると、即座にまた頭上へと伸びた。漸く生まれたばかりの身体の中を、熱い何かが走っている。
 まるで血液の循環を、リアルに感じている様だ。
 次々と生まれる己の一部。それは視点を変えて見れば、人型のワイヤーフレームに、テクスチャが貼られて行く様を思い出しただろう。
 最後の一枚。
 まるで入魂の儀式の様に、瞳が再構成される。
 視覚が戻って来ると、そこは何処かオフィスの廊下の様だった。
 見回すと、周囲には四人の人間がいる。
 ウェルカムとばかりな征と、ドーベルマンと一緒に行動している常二、お箸で何か紙の様なものを挟みつつ、目を見開いているシオン。そして見たこともない赤い髪、青い瞳の元気そうな少年だった。
 「……。ミーシェールっ! またかっ!」
 征が半眼になっている。
 「やぁーーーっぱ、これバグだって」
 いきなりの場面転換に、現れた三人は周囲を見回している。
 その二人のやりとりに、シュラインはどう言うことかと考えた。
 『違うわよぉー! これはリクエストっ!』
 やはり何処かずれたテンポで答えが返った。
 「ああ、そ。俺またてっきり……。で、あんたはセレスティさん?」
 少しほっとした様子の征が声をかけると、少年の姿をしたセレスティが、大人びた──尤も本体は大人なのだが──笑みを浮かべて頷いた。
 「はい。どうやら混乱させてしまった様で」
 「なぁーんだ。ミシェルのシステムの所為じゃねぇんじゃん」
 つまんねーのとばかりに、陽がそう言う。
 「もしかすると、彼は……陽、さん?」
 今までの話の流れから、シュラインはそうであると感じたのだ。
 「おう! 男前だろ?」
 「なかなか面白い現象ですねぇ。特に手を加えている訳ではないんですよね? 彼には」
 悪戯っ子が浮かべる様な笑みを見せるモーリスは、じっくりと陽を眺めた。
 「知らねぇー。さっきも二人に言ったけど、俺、ネットインしたら、見た目だけじゃなく、中見も変わっちまうんだよ。……しっかしまあ、あんたのその格好、似合いすぎ。追い駆けっこが好きな訳?」
 ハンティングスタイルであるモーリスを見つつ、陽がそう評した。
 「ええ、色んな蝶を捕まえるのが、私の楽しみでもありますねぇ。勿論、狐狩りも大好きですよ。あの駆け引きが堪らなくて…」
 その言葉が嘘ではないと知っているのは、彼と付き合いのある三人のみだろう。
 何かを思い出しているかの様に、モーリスの瞳が楽しそうに眇められた。
 「俺、蝶々や狐でなくて、良かったわ」
 「ものの例えですよ」
 「え゛?」
 ふふんと笑うモーリスは、はたと思い出した様にセレスティを振り返る。彼は少年の姿のまま、柔らかな微笑を浮かべていた。
 「企業秘密なのかもしれないが、ここへ私達を送り込むには、どう言ったことをしているのか聞いても構わないかな?」
 常二が穏やかに、そう尋ねる。
 「秘密っちゃ、秘密だけど、まあ、こんくらいなら話せるか。簡単に言うと、遺伝子情報を読み込んで、ここに投影している訳」
 「遺伝子情報って、かなり膨大じゃない?」
 それに遺伝子情報だけでは、こうして自分自身の持つ記憶に関しての説明は付かない。それらを集めれば、とてもではないが、恐ろしい程の情報量だろう。
 「多分ね」
 「動かしているサーバは、普通のものではありませんね?」
 「それは企業秘密だそうです」
 シオンが重大な秘密であると言う様に話している。実はセレスティのその質問は、先に常二がしていたのだ。
 「そうらしい。……話を戻すが、もしかすると、貴方は遺伝子情報が、少し人と違うのかもしれないね。違うからこそ、変換か投影かのシステムで、正しいパラメータが入らないのかもしれない。ま、仮説だがね」
 そう言うと、彼はドーベルマンを撫でている手を止め、肩を竦める。
 「そうそう。このプログラムが解析した結果、そして今までのデータが経由した経路を見ると、恐らく同じNOCを通過しているものが多い。シュラインさんの言葉にヒントを得て、ゴミデータの中から見つけたんだ」
 「ドアをノックして入ったんですか?」
 「シオンさん、多分それ違うわよ。でもノックって何かしら?」
 「簡単に言うと、ネットワークの管理施設のことですよ」
 まだ少年の姿をしているセレスティに、何時もの大人の姿であるセレスティが重なって見える。
 「プロバイダみたいなもの?」
 「いや、微妙に違うかな。ネットワークは、基幹ネットワークとスタブネットワーク……つまりは端末のネットワーク部分のことだが、それらから構成されている。そしてそのネットワークとネットワークを接続するポイントをNOCと言うんだ」
 話しながら、常二が解析したデータを一般の人間が見ても解る様にと加工し、MSGを各自に送信している。
 可成りシステムを使う要領が解って来ているらしい彼は、流石日頃からコンピュータと近しい位置にいる人間であると解った。
 それぞれのナビが、一回転して前足で宙を押下。
 半透明のモニタ内に、そのデータが表示される。
 「時系列、場所別、マッチング別に見ることは出来ますか?」
 勿論とばかりに、モーリスの問いに頷いた。
 「確かに、今までのデータを見るに、同じポイントが多く見られますね。これが何処かは、解りますか?」
 「そっちは俺から出すわ」
 付属データから、リゾルバのプログラムを使用し、アドレスを割り出す。次いで当てはまらなかった分も同じ様に変換をかけて送信。
 MSGの受信を認識したナビが、それをDLする。
 「あ! 前のが見れなくなっちゃいました」
 「そう言う時は、パラレルビューをナビに指示してみな」
 そう教えられ、以前に表示されたMSGを呼び出し、互いに確認できる様にしている者もいる。常二の送ったリストと、征の送ったマップが並んで表示されると、シュラインがぽつりと言葉を漏らした。
 「これ、全部近いわね」
 「その様ですね。しかし、ここに原因があるとは、一概に言えない。……そうですね?」
 「そのとーり」
 「矢印が、出たり入ったりですねぇ。これはここに入って来るものもいれば、出ていくものもいると言うことで、良いんでしょうか?」
 「それでOK」
 正解を貰ったシオンが、やりましたっ! とばかりにお箸を握りしめた。
 首に巻いたハムスターを撫でながら、シオンを見ていたシュラインの耳が、不意に何かの音を拾う。見るとミラーグラスに、赤い文字列が浮かんでいた。。
 「ねぇ、ちょっと何か聞こえるんだけど……。それと、このミラーグラスに映っている赤いMSGは何? 数字とWarningが出てるんだけど。Warningって、ちょっと不味くない?」
 「それ、こっちに送って。で、ちょっと待ってくれ」
 シュラインの言葉に、征の顔が引き締まる。シュラインがナビに指示すると、即座にメールが送られた。そのままコンソールを操り、何事かを打ちつつ口を開く。
 「言う通り、それはどっかから警告出されてるんだ。数字は、そのIP情報とマップ情報から出してくる位置。赤いのは、……シュラインさん、何か特殊能力があるんだな? 特殊能力使用時、MSGは赤くなる」
 「特殊能力って……」
 言われて直ぐに浮かぶのは、音に関係することだ。この場合だと、聴力だろう。
 「シュラインさん、何かが聞こえると仰ってましたよね? もしかすると、何かが近寄って来ようとしているのでは?」
 「大当たり! かーなり向こうからだ。こっちのコンパネの有効範囲に入ってなかったから、俺のところには出なかった」
 「役立たずだねぇ、征ちゃん。しっかりしろよ」
 「喧しい。……送った」
 陽にそう一言冷たい言葉が送られた後、各自の脳裏にピンポーンと言う音が響く。
 一回転するハムスターは、前足で宙を叩き、その情報を飲み込んだドーベルマンの耳がぴんと立つ。
 「正体は、巡回系のセキュリティシステムですか」
 「ソフト会社のものだね」
 セレスティと常二が、互いにそう呟く。
 「壊す?」
 「おやおや、なかなか攻撃的ですねぇ」
 うきうきと言う陽だが、モーリスの何処か面白そうな声音に、ふふんとばかりに視線を返す。
 「ドアホっ! 壊してどーすんだ! 取り敢えず引く。バイク、乗れるか?」
 ゲンコで一発陽を叩いてから、征が後からの三人に聞く。
 「私はちょっと」
 セレスティがそう言うものの、モーリスが自分の後ろに乗せると言うことで解決する。
 「私は大丈夫よ。オーバーナナハンだって乗れるから」
 日頃良く乗っている訳ではないが、実は大型二輪の免許を保持していた。
 「格好良いねぇ、お姐さん」
 にやりと笑う陽が、元からあるバイクにまたがり、振り向き様にそう言った。
 当然、そこにある二台のバイクだけでは足が足りない。それを出した時と同じく、征がコンソールパネルを叩き終わると、そこには新たに二台のバイクが出現する。
 「四輪は『重い』からな。こっちのが足回りが良い」
 漸く征のコンソールパネル経由で、シュラインが一番に察知したWarningがモニタに現れる。それでもまだ、可成り離れていた。
 「やっぱ、特殊能力のが、性能良いんだよなぁ」
 例えばこれが、迎撃対象であっても十分に間に合う距離ではある。それなのに、シュラインの聴力をネットワーク内で表現すると、更に上を行くのだ。
 全員がバイクに乗ったことを確認すると、そのまま一気にアクセルを噴かした。
 次いでコンソールパネルからコマンドを打ち込み、カレントを移動。
 「成程、こうすれば一気に外へ出れるのですね」
 後発組の三人の内の一人であるセレスティが、モーリスに掴まったまま納得していた。
 シュラインも同じ様にグリップを握り、スピードを上げていく。すると徐々に周囲の景色がレイトレーシングからワイヤーフレームへと移行して行く。バイクとの相対速度の関係だ。
 流れ行く景色を見ることで、ここがリアルワールドではなくネットワークであると認識した。
 「何処へ行くつもりなのかしら?」
 「取り敢えず、後もう一件。ちょっと鬱陶しいとこを回ってから戻る予定」
 「え? 聞こえるの?」
 まさか聞こえるとは思っていなかった為、驚きの声を返す。
 「勿論。聞かれたくないことは、予めハムにそう言うんだ。曖昧なものは、感情パラメータでハムが判断して、人に聞かせる」
 独り言だったのだが、ここはネットワーク内だ。聞かせると言う意思が、聞かせたくないと言う意思に勝れば、通常の会話としてやりとりされる。
 「余計なお喋りは、気を付けませんとね。モーリス」
 「セレスティさま、何故そこで私の名を出すのです……」
 「君が前にいるからですよ」
 そのやりとりで、くすりと皆が笑った。



 「あ、あれは何ですかっ?」
 通常なら、ワイヤーフレーム状になっている為、速度を落とさない限り判断が付かないことが多い。しかしシオンが指したのは、毒々しいまでの赤に塗りつぶされていた。
 「お目当て」
 右足ブレーキを吹っ飛ばし、右手のブレーキを一気に引いて急停止。勿論、他の人間も危なげなく止まっている。
 停止したそこにあるのは、ビルではあるのだがやはり何処か今までと雰囲気が違った。
 「ここは潰しても良いから」
 「それはどう言うことです?」
 モーリスが、セレスティを降ろした後にそう聞いた。
 「つい最近、手入れが入る予定の、ヤのつく自由業の人達の事務所なの。セキュリティぶっ壊しても、全く持って文句を言われない」
 「成程。ちょっとした予行演習をしようと言う訳ね」
 有難いのだか、有難くないのだか、あまり良く解らない。
 「ヤクザさんと喧嘩はイヤです……」
 「別に、本物が出てくる訳じゃねーって」
 尻込みするシオンを、全面に押し出しているのは、やる気満々の陽だった。
 「いい加減にしろっ! 捨ててくぞっ」
 「捨てる捨てないはさておき、最初からノード破壊するつもりでデータの収集を行うのですか?」
 もしもそうなら、セレスティにも考えがあった。
 「いんや。気兼ねなくどーぞってこと。てか、一個だけ潰しとかないと不味いのはあるんだけどな」
 「まさかとは思うが、未だに繋がっているのがあると言うのか?」
 「大正解」
 「では、そちらに遠慮はいりませんね」
 モーリスがハムスターに指示を出すと、その手には鞭が握られている。
 彼の手から放たれる金の光。それは瞬時の内にグレーの空へと伸びると、一点からそのまま流星が散るように、七人と一匹の周囲へと落ちて行く。僅かに明るく輝いた後、まるで幻であったかの様に光が消えた。
 「ファイアウォールに似た効果か」
 「ここではそうなるのでしょうかねぇ」
 ミラーグラスには、赤で周囲からの侵入・攻撃が一定値を超えるまで無効と言った表示が点滅している。
 「まずどうやって入るのかしら?」
 「セキュリティの突破だけど、ほら、あっこにガラの悪そーーなおっさんがいるよな? あれがここのセキュリティシステム。あれを……」
 「ボコって潰す」
 即座に脳天へと征の拳骨が入り、陽が蹲っていた。
 「最初は穏便に、出し抜くと言うところかな」
 「いきなり力業はあんまりよね」
 「手を出されるまで、こちらは余り構えなくても良いでしょうね」
 それぞれ、気性の解るお言葉である。
 「さて。何出してあそこからどいてもらおうかねぇ」
 「あそこからいなくなれば良いのですか?」
 「まあね」
 のんびりと顎をさすりつつ言う彼に向かい、セレスティは考えがあるとばかりに小さく笑った。
 「では、任せて下さい。それに、この少年の姿の方が、相手も油断するでしょう?」
 「ヤバかったら、こっちでフォローする。ハムに伝えてくれな」
 「解りました」
 頷いたセレスティが、『まるで迷子の少年の様に』ビルの前に陣取っている中年男へと向かう。
 『こんにちは、おじさん』
 会話は全て筒抜けだ。思わず、日頃の彼を知っている面々は、リアルワールドの世界でそう話している姿を想像して笑みを浮かべた。
 『あ? 何だ? このクソ餓……鬼……』
 瞬きの時間程だろう。威勢の良かった男の声が変わる。
 『ちょっとお願いがあるんですけど』
 『言ってみな』
 平坦な声が聞こえる。
 『私の犬が、いなくなっちゃったんです。探して来てもらえますか?』
 「セレスティさま、ここで犬ですか……」
 モーリスが苦笑しつつ呟いていると、セレスティの目の前にいる男がゆっくりと立ち上がる。
 『待ってな。直ぐに探して来てやる』
 ゆらゆらと、夢遊病患者の様に歩いていく男の姿が変わって行った。画像が徐々にモザイクがかり、最初細やかなそれであったのが、見る間に大きな張りぼてへと変わる。
 錯覚か、一瞬だけだがそれが収縮した様に見えると、キィーンと言う音を立てて英数字の固まりに変化するや否や、──弾けた。
 「お見事」
 見事セキュリティが解除されたことが、全員のミラーグラスへと表示される。彼の魅了能力の効果だ。
 駆け足でセレスティと合流すると同時、シオンが口を開いた。
 「凄いですねぇ。まるで映画を見ているみたいですっ」
 「流石ね。セレスティさん」
 シオンが感激に瞳を輝かせ、シュラインが感心して呟いた。
 「いいえ、まさかこれほど利くとは思ってませんでしたよ」
 微笑みつつそう答える彼だが、それは謙遜だと誰もが思う。
 「征、お前ここにいらねぇんじゃねぇ?」
 「喧しい。んじゃ、定久保さん、そのワンちゃんに、問題のノードをサーチしてもらえるか? データは、さっき喰ってたヤツとかで行けるだろ?」
 「勿論」
 常二がドーベルマンに、短く指示を出す。今まで、彼の横で大人しくお座りをしていた犬は、一目散に、けれど目的を持った動きでビルの内部へと走り出した。
 「タグついてるから、モニタで追えるぞ」
 各々が、その声と同時、ハムスターに指示を出してモニタでマップを参照する。
 ビルは三階建てで、ドーベルマンは二階部分に重きを置いて探している様だ。
 「最低だな。ここは」
 「ここは下水道かよ……。とにかく、駆除しないとなぁ。頭からバリバリは、俺、遠慮するわ」
 常二と征のミラーグラスには、何か他の情報が見えている様だ。
 「私もだ」
 「何これ。鳴き声…?」
 シュラインのミラーグラスには、先程と同じ様なMSGが現れ、耳からは聞き覚えのある様なない様な声も聞こえていた。
 「ウィルスでもいるんですか?」
 「大当たり」
 肩を竦めた征は、現在地を特定し、そのままカレント移動のコマンドを打ち込んだ。



 やはり移動は唐突で、そして目の前に現れた光景は、思わず引きそうになる様なものだった。
 「巨大ネズミですっ!」
 顔面を青くしたシオンが叫ぶ。後数匹となっているそれだが、足下にはドーベルマンに喉元を食い千切られたばかりのものもいた。しかしその死体──厳密には、駆除後のネズミだが──は、即座にポリゴン状態へと変化し、キィーンと言う音と共に、ソースが周囲に弾けて消える。
 果敢に巨大ネズミへと挑むドーベルマンは、自分の主が来たことを知り、一層獰猛に吼えていた。
 「同じ齧歯類でも、これはあまり頂けませんね」
 イヤなものを見たとばかり、モーリスの手首が鋭く閃く。
 風を切る音が聞こえ、黒い蛇が宙を撓った。
 鞭がクリティカルヒットした箇所から、先程と同じく消滅が始まって行く。
 まるで黒い風が吹き荒れている様に、モーリスの持つ鞭が蠢いて、敵意むき出しの巨大ネズミが叩き落とされていた。
 「上手いねぇ、鞭使い」
 のんびりのほほんと、けれどコンソールパネルを確認することは忘れない征は、何処かにトラップがないかを探っていた。
 「俺のも残せってっ!」
 飛び出す陽の身体が輝くと同時、手のひらから光弾が撃ち出される。
 「確か、借りた武器があった筈」
 そう呟くと、ハムスターが一回転して常二の手へとそれを落とした。
 シオンもまた、何か応戦するものはなかったかと、ハムスターに探して貰っている様だが、生憎持ってきたのはマイお箸だ。いくらなんでも、これでは無理だろう。
 「定久保さん、シオンさん、彼ら二人とドーベルマンだけで充分ですよ」
 「そうみたいね。こっちに来たら、何とかしましょ。……それにしても、ゴの付く茶羽根が出てこなくて良かった……」
 セレスティと二人、早々に高みの見物を決め込んだシュラインは、心底安堵の溜息を漏らした。大抵のものは平気である彼女だが、ただ一つだけ、口に出すのもおぞましいあれだけは、見た途端硬直してしまうのだ。
 「終わったみたいですよ」
 落ち着いた調子で言うセレスティは、お疲れ様とばかりに二人を労う。
 綺麗さっぱり片づいたそこには、更に奥へと続くドアが半開きになっており、そこに向かってドーベルマンは唸っていた。
 「この向こうが、汚染されたノードだな」
 「一応、皆さん私の檻の中ですから、こちらに染ることはないかと思いますが」
 「念には念を、よ」
 何かあってからでは遅いのだ。
 「定久保さん、そのフリーザーガンで、あの扉ごと撃ってくれない? それ、システムがハングアップするヤツだから」
 「解った」
 「その後、モーリスさんが、鞭でぶち壊してくれると、リアルでもあちらさんからは修復不可能になる」
 「解りました」
 「気を付けてくれよ。何か周囲のデータの流れが、可笑しい」
 常二が慣れない手つきで銃を構え──。
 刹那。



 唐突に、周囲が蒼く染まった。



 「これってもしかしてっ!」
 シュラインの耳からは、何も拾えない。けれど全ての人間のミラーグラスには、デタラメな値が流れている。
 「影法師か?!」
 扉の向こうから、何かがゆっくりと現れる。
 完全に姿を現したそれは、周囲よりも尚蒼い青年に見えた。
 後ろ向きのそれが、こちらへ向こうと身動きする。
 「定久保さん、撃つんですっ!」
 厳しい声で、セレスティが叫ぶ。けれど直ぐ後、その顔は驚愕に彩られた。
 「?!」
 蒼い影法師の姿は、何かを訴えているかの様に、凍り付いていた。
 ぴしりと言うシステムのフリーズする音が聞こえるのと時を同じくし、蒼い影法師が、白く変わる。
 モーリスが腕を撓らせ鞭を振るった。先端が白くなった影法師に届くと、小気味よい音が聞こえる。
 それは数瞬。
 白い影法師は、徐々にひび割れ、そして鞭が弾いた箇所から崩壊が始まった。
 先程のウィルスとは違い、ごとん、ごとんと言う音を立て、床へと欠片が落ちていく。それに従い、周囲の蒼さも色をなくした。
 「この欠片、さっきみたいに消えませんけど、どうしたんでしょうか?」
 全ての色を取り戻した時、それでも残っている影法師であった残骸。
 「私の檻に入れて、持って帰りましょう」
 「きっちり囲ってくれよ」
 「任せて下さい」



 白い円卓上では、既にパソコンが起動されており、中央の全方位角モニタも出現している。そして端には、シュライン、セレスティ、モーリスがお持ち帰りしたパソコン二台が置かれてあった。勿論、ネットワークに接続はしていない。
 「では、これを修復しましょうか」
 モーリスの両手が、暖かな光に輝いている。それを二台のパソコンへと翳し、逡巡すらも出来ない時間で遠ざける。
 彼の能力を知らない人間は、何が起こったのかを把握できない。
 しかし。
 「では、次ぎに私が読み取ってみましょう」
 「えーー? もう治ったのぉ?」
 驚くミシェルに、はいとばかりに微笑んだ。
 まずは起動せずに、ハード的なものを探るらしい。彼の手が、パソコンへと触れた。
 「捕まえましたよ」
 うっすらと口元に笑みが浮かぶ。
 暫しの後、彼の眉間が顰められ、パソコンから手が離れた。
 「見つけたんだな?」
 今ここにいる陽は、ネット内の姿を全く想像出来ない。マネキンでも、もう少し愛嬌があるだろうと言う程の無表情だ。
 「こっちも完了」
 持ち帰ったデータを、纏めていた常二と征が、そう伝える。
 「んじゃ、あたくしお茶入れるわね」
 そう言っても、出てくるのはドリンクサーバから供給される数種だが。
 それぞれにコーヒーや紅茶、緑茶が配られ、まずは一口とばかり、頂きますとそれを飲む。
 「で。どっちから先に言う?」
 「そちらからどうぞ。ああ、その前に、少々お聞きしたいことがあるのですが、構いませんか?」
 セレスティの顔は、一切の感情が読み取れない。いや、微笑んでいるのだが、何故か『乾いて』いるのだ。
 「ここにいらっしゃるある程度の方がご存じなのですけれど、私は水と、その流れを支配することが出来ます。そして、今回ネット内部で、影法師をフリーズさせる際、定久保さんのバックアップをしようかと思い、その能力を発動させました」
 「え? でも、水は出ていなかったわよね? 凍ってはいたけれど」
 「はい。水はありませんでした。けれど私には、確かに影法師が『凍り付いた』と言う手応えがありました。ミラーグラスにも、征さんが仰っていた、特殊能力使用時の赤いMSGが表示されていました」
 「うーーんと。多分それはね、流れが水だったからよ」
 「それは……? ……ああ、そう言うことなのですね」
 ミシェルの抽象的な言葉に納得をしたのは、疑問を提示したセレスティと、こう言ったところの概念を捉えている常二、そしてアカウントCの面々だ。
 「つまり、データの流れが、そのまま水として扱われ、私がそれを凍らせて影法師の動きを止める手助けをしようとした為、結果として定久保さんの持っていた銃と同じフリーズ現象を起こしたと言う訳ですね」
 「大正解。予め『水』を出そうとしてたんなら、データの流れはそのまま水として表現されたけどな。ちなみに『炎』なら、データはより一層活発に動き、後に暴走と言った現象になる。それが行き着くと、壊れるわな」
 「似た現象ではあるけれど、やはり違いますね。冷気ならフリーズ、またはハングアップ、熱気なら暴走と言う訳ですか」
 良く出来ていると、モーリスが納得していた。シュラインも同感だ
 疑問の解消されたセレスティは、話を止めて申し訳ないと言った後、続きを促した。



 「では、私から話そうか」
 常二がそう言って、征に頷く。
 中央モニタには、彼らが纏めた現時点の報告書が上がっていた。複数個のファイルに別れているらしく、それは右から左へ一列に並んでいる。内、一番右側のアイコンが、ズームしたかと思うと、中身が現れた。
 「これは何のコード?」
 「文字で描かれた絵みたいですねぇ」
 確かに、シオンの言う通り、ソースコードは遠目から見ていれば、何かを現しているAAの様にも見える。人毎にあるロジックの特徴も元より、拘りを持ってコーディングされているものであれば、見目も勿論美しい。
 「いや、絵じゃないから」
 「これを実行すると……」
 脱力系の声を出していた征に、被る様にして常二が口を開く。起動したのは更に左横のファイルだ。
 「可愛いですけど、お顔がかけています。可哀想ですね……」
 「アバター…ですね?」
 「その様だね。これは、収集して来たデータの切れ端を集めて復元したものなんだよ。一部、こっちで補完はしたが、恐らくこれが正解だね」
 モーリスの言うアバターとは、現在ネットワークで流行っていると言えた。
 元はチャットなどをする際に使われるコミュニケーションツールだ。自分自身の分身として、多くのユーザが登録している。写真より、得てして絵が使用されることが多く、人だけでなく、動物やロボットなども利用可能であった。髪型や服も変えることが出来る為、バーチャルな着せ替え人形の様にも思える。
 「アバターは、ある意味、人の心を反映しているものよね。人の多くは、理想の自分と言うものを持ってる。そんな理想を反映しているアバターも、あるのかもしれないわ。それにしても、何故、こんなデータが出て来たの?」
 「恐らく影法師の元は、これではないでしょうか?」
 「そう思う根拠は?」
 自分が見たこととも、ある意味つながりがあるかもしれない。そうセレスティは考えた。けれど、征の促しには答えず、彼らが纏め上げたと言うものを、先に聞きたいと思ったのだ。
 「後で、ご説明致します。それより、他に何かあったのでしょうか?」
 「ああ、あった。収集したデータと被害にあったパソコンの場所を付き合わせてみると、なかなか面白いことが解ったよ」
 まずは一枚のファイルが起動、更にもう一枚、アバターの上に被せる様にして開かれた。
 「右が事件を時系列順に並べたもの、左が今回拾ったデータのポイントとサイズだ」
 その二つから赤いラインが伸び、互いに同一と思しきデータがリンクされる。
 更に左側のデータを、時系列順に並び替えが行われた。
 「時間を追う毎に、サイズが減ってるわね」
 「これって、どう言うことなんでしょう…?」
 シオンはじっと自分の目の前にあるモニタを凝視している。
 「そう言えば、影法師は後ろ向きから、徐々に振り返って行ったと、白王社の人が言っていましたよ」
 訪ねて行った時のことを思い出しているかの様に、こめかみに指を当ててモーリスが言う。
 「やっぱりねぇ」
 「征ちゃん、どー言うこと?」
 更に別のファイルが開かれる。やはりそこにあったのは、データとコードの固まりだった。しかしもう一つのファイルを開くと、そこには影法師が動いたと思しき軌跡が表示されていた。
 「これをな、またもや時系列順にならべる。更にドンっと一発」
 「ここまで行くと、見事よね」
 シュラインの溜息混じりの台詞は、皆の首を縦に動かした。
 「少しずつ、影法師さんは振り向いているのですね」
 「そー言うこと」
 「これから考えられることは、影法師は徐々にヴァージョンアップしているのだと言うことだと思う。時間が経つに連れ、ゴミデータは徐々に減り、それに従い、影法師がこちら側を向いてきていると言うことは、少なくとも、内部的に何か変化があったと言うことだろう。そしてどうやら、これはヴァージョンアップする時、一定世代毎にコピーを生み出している」
 「コピーを?」
 眉根を顰めてモーリスが言う。
 顰めたくもなるだろう。コピーをぼこぼこ生み出しているなら、一体今はどれほど増えているのだろうか。
 「それにしても、あそこにいた影法師、何であんなに簡単に壊せたのかしら。あれがヴァージョンアップのどの辺りに位置するものかは解らないけど、中で簡単に壊せるくらいなら、誰もこんなに手こずらないでしょ?」
 そんなに簡単な話なら、恐らくは草間興信所に連絡はなかった。
 「ああそのことなら、簡単な話なんだよ。こっちのこっちのバックアップ体制が向こうの上を行ったから、直に対決して勝てたって訳。逆なら、こっちが負けてた」
 「それはどう言う意味ですか?」
 「要は、相手が持つサーバが、うちのよりも性能が良い場合、こっちの持ち出せる武器ってのは、どうしてもヘボくなる。イメージの具現化は出来ても、思うような威力は上げられないんだよ。例えばこっちがレーザー砲ぶちかまして、相手がフライパンで防ごうとしても、相手のサーバ性能が良い場合、フライパンに弾き返されちまうって訳。今回はこっちのバックアップの方が上だったから勝てたってこと」
 「何だか、シュールですねぇ……」
 モーリスの感想は、恐らく初めてネットインした者全ての感想であろう。
 「あ、付け加えると、力関係を表示する設定にしてなかった場合だからな。フライパンに弾かれるってのは。ちゃんと設定してたら、それなりのデカ物に見えるから」
 「それにしても、ネットワーク内でも、パワーゲームなのかしら?」
 「いや、そうでもない。ま、あんまりにも差があれば無理だが、そうだな、1:一万くらいのバランスなら、頭使えば、覆すことも出来るぜ? リアルワールドと同じだ」
 力にだけ頼るのでは、勝てないことも多々ある。
 確かにと頷く面々には、今までの経験からそれが良く解った。
 「じゃあ、影法師を消滅させるのは、それほど難しい話ではないってことよねぇ。……でも」
 言葉を途切れさせたシュラインは、先の会話を思い出している。自然、彼女の顔が曇って行った。
 「そう問題は、影法師がどれだけいるのか解らないってことだね。一定世代を超えると、コピーを生んでるからな。つまりのところ、ウィルスじゃなくても、パターンファイルの様なものを作成し、ネットなどにばらまくしかない」
 「それでは、オフライン状態のパソコンには、意味を持ちませんね。ネットではなく、こちら側に誘い出して駆除する方が、宜しいのではありませんか?」
 「放り込む場所は、メディアか用意したPCとかで?」
 問いかけにそうですねと頷いて、セレスティが喉を潤す。そんな会話を見つつ、シオンが少し戸惑いつつ口を開いた。
 「でも、あのネットの中の影法師さん、何て言うんでしょう……。あの、悲しそうな、驚いた様な……。ええと……、悪いことする様な人には見えなかったんです。私は」
 「それに対しては、私がお話致しましょうか」
 「中身を読み取って、何か解ったことがある様だね?」
 「はい。恐らく、あの影法師は意思を持っているかと思われます」
 「それはAIが搭載されていると言うことになるのかな?」
 「それは私にも解りかねます。ただ、一番最初がどうであったのかは解りませんが、あの白王社のパソコンの中にいた影法師は、私に『助けて』と言いました。何処か寂しげでしたね……」
 「元がアバターであるのなら、一番最初に生まれたものを、治してあげたら良いのではなかと、私は思うんですけど」
 セレスティが読み取った結果を聞き、シオンはそう思ったらしい。助けてと言っているのに、それを消滅させるのは可哀想だと。
 「私もその意見には、賛成します。誘い込んだ媒体に、封じ込めてしまえばよろしいかと」
 「私は、その影法師が、本来の姿に戻った際、人に害を及ぼさなければそのままでも良いかと思います。ただ、害を及ぼすのであれば、消滅させるより他はないかと思いますね」
 セレスティとモーリスの意見は、方向性としては同じであるも、微妙に違う。
 「後もう一点。気になることがあるのです」
 そう言う彼の顔は、あまり楽しげではない。気になると言っているのだから、憂鬱なことであるのは確かだろうが。
 「影法師の声がした後、もう一人の声が聞こえました」
 「セレスティさま、誰だか心当たりが?」
 セレスティはそれに答える前に、ちろりとシュライン、シオンの顔を見る。
 「まさか……」
 イヤな予感と言うのが、シュラインの身体を突き抜ける。シオンもまた、何か感じた様だ。
 「そうです。あの声は、逆さまピエロの声でした」
 イヤな予感は当たった。今度は何を企んでいるのだろうか。それが読めないからこそ、あまり関わり合いたくはないのだ。けれど、許せないことならば、対立する気ではいる。
 「冗談でしょ? ……あ、別にセレスティさんが嘘を吐いているってことじゃないわよ。何でネットの中に、ピエロがいるの? いくら何処にでも入り込むことが出来るからって、あそこは空間と言う訳じゃないのよ?」
 勿論解っていますよと、シュラインに向かってセレスティが微笑んだ。
 そしてそのシュラインの問いに答えたのは、ずっと黙って聞いていた陽だった。
 「言っただろう? 『この東京が異界なら、ネットワークはそれを繋ぐ通路だ』と。そして『ネットワーク内は、何処にでも繋がっている』とも」
 淡々として言う彼の表情は、何時も通りである。征やミシェルもまた、同じく何時も通りの表情だ。
 「そのピエロってのに遭遇したことがないからな、どんな野郎だか、俺には解らん。でもな、その野郎が、自分の力で何処にでも現れることが出来るんなら、陽の言う通り、ネットワーク内にいても不思議じゃないんだよな。ネットワークってのは、とあるヤツの言い分だと『全ての界に繋がるべく存在する通路』ってことだから」
 「もーーー、征ちゃん、あの守銭奴の言葉なんか、出さないでよぉー」
 「随分な例えだけど、その守銭奴って言うのは、誰かしら?」
 「『迷える神父』。情報屋だ。まあ、そんなことは良いさ。で、そいつは何を言ってたのかねぇ?」
 セレスティはそう問われ、暫しの沈黙。
 そしてゆっくりと彼は言う。
 『ねえ、ネットワークで生まれた貴方。気紛れで生まれ、見捨てられた貴方。外へ出たくはないですか? 偽りのペルソナを、本物にしたくはありませんか? さあ、僕の手を、お取りなさい。外で楽しく暮らしましょう』
 その言葉を──。


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◆現在の情報

1)『蒼い影法師』のオリジナルは、青年の形を持ったアバターだった
2)『蒼い影法師』はヴァージョンアップしており、一定世代毎に自身をコピーする
3)『蒼い影法師』は、後の世代になるに従い、不要コードを吐かなくなっている
4)2の現象より、『蒼い影法師』は後ろ向きから、振り返って描画される
5)『蒼い影法師』は、助けを求めている様に見える
6)『蒼い影法師』に話しかけている存在があり、それは『逆さまピエロ』であると考えられる

◆影法師への対策

1)『蒼い影法師』を元のアバターに戻す
2)『蒼い影法師』をメディアなどに封じ込める
3)『蒼い影法師』を元のアバターに戻した際、害がなければそのままメディアやPCに入れたままにしておくが、害がある場合、消滅する

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Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者

5029 定久保・常二(さだくぼ・じょうじ) 男性 43歳 システムエンジニア(兼プログラマー)

<<受注順

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          ライター通信
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 こんにちわ、斎木涼です(^-^)。
 長らくお待たせ致しました、初の異界依頼『蒼い影法師 Act1−Ver.AC』をお送り致します。
 ネットの世界は如何でしたでしょうか? 拍子抜け……と言うことになっていなければ宜しいのですけれど。
 なお、ネットで使用しているナビは、現在、アイテムとしてお渡ししておりません。理由は、PCさまが、以降のご依頼を受けて下さる際に使用致します為、個人で形状や名前、細かい設定(こちらは全て反映可能ではありませんが…)などを設定して頂ければと思っているからです。続けてご参加頂けます際は、その旨をご記入して頂ければ幸いです。
 なら最初から言っとけと言うお話なんですけど…(^-^;)。表向き、一度ご利用頂いてから、使い心地を試して頂けてからのカスタマイズと言うことですので。


 > シュライン・エマさま

 何時もお世話になっております。
 異界依頼にも参加していただけて、嬉しく思います(^-^)。
 設定にあります大型自動二輪免許の箇所、実は密かに書かせて頂きたく思っておりました。今回、移動の際に使用するメインがバイクであると言うことが決定していた為、メンバーを拝見させて頂いた時に、シュラインさまのお名前を確認して『やたっ!』と小躍り致しました。
 何かバイクの種類に拘りがありましたら、お知らせ下さいませ。


 シュラインさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。