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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『すけっち日和』


「こらこら、走るんじゃない。転ぶぞ」
「大丈夫なの!」
 そこは行楽客や買物客の訪れる大きな駅で、改札を出るのにも列を作った。外へ出た蘭(らん)は、はやる気持ちを抑えきれずに、動物園への道を走り出した。葛(かずら)も慌てて小走りになる。
 ゴールデン・ウィークには少し早く、花見のイベントも終了した今の時期は、動物園を訪れる客もさほど多くない。気候も寒くなく暑くなく、髪をなびかせる風が心地よかった。大きく息を吸い込むと、緑の匂いが体中に広がる気がした。
 深夜までネットゲームに興じていたので眠いのは確かだ。早い時間に「今日は光合成しに行くなの〜。おでかけしようなの〜」と蘭に揺り起こされた。仏頂面で駅に降り立った葛だが、はしゃぐ蘭の笑い声に釣られ、次第に心も踊って行く。
 藤井(ふじい)・葛と蘭は表向きは姉弟として暮らしているが、歳がだいぶ離れていた。22歳の大学院生と、外見年齢10歳の少年。蘭は実はオリヅルランの鉢植えである。葛の父親が、観葉植物を人間の子供に変身させて、一人暮らしの娘のアパートに送り込んで来たのだ。
 葛はそう愛想のいい娘ではないし、それまでは子供が好きというわけではなかった。接したことさえ殆ど無い。最初はとまどうことも多かった。だが、今では、休日にはおにぎりを作って動物園なんぞに出かけるようになった。蘭が来る前の自分からは考えられない行動だ。

 蘭は入園すると、まっしぐらにパンダ舎へ向かって走り出した。順路で言うと、最初はキジ舎、次がパンダ舎なのだが、子供はパンダが大好きなものだ。
 葛は、すまなそうに、ゆっくりと檻の中のキジに目を落とした。オスのニジキジは、鮮やかな青い羽とコバルトグリーンの顔を持つ。パンダの隣でなければ十分その美しさに注目されるだろう。『いいんですよ、馴れてますから』とでも言うように、彼は首を横に振ってみせた。
 パンダ舎で蘭に追いつくと、彼は人だかりに押されながら、後ろの方でぴょんぴょんと飛び上がっていた。
「見えないなの」
 一頭は、壁の途中に作られた、棚のようなベッドのような台で寝ていた。蘭の身長では見えないだろう。別の舎のもう一頭は床に座り、観客に背を向けている。ここも人の頭で蘭にはパンダが見えない。
「ほら、こっちにおいで」
 葛は、そのガラスの正面では無く、隣の空いたスペースへと蘭を導いた。ガラスの屈折で少し像が歪むが、パンダのようにシンプルな色形ならはっきりと見えた。ここなら一番前で見られる。
「パンダさん、黒いところ、背中にもあるなの!」
 パンダの黒い毛は前脚から背中へ続き、ショールを巻いたように一周している。蘭は、正面を向いている絵や写真しか見たことがなかったので、今日初めて知ったのだ。
 3歳くらいの女児が、「ぱんだ!ぱんだ!」とするすると人の間に入り込み、いつの間にか一番前に陣取った。『見えない』とぐずる子供を、親が『前へ行ってらっしゃい』と送り込んだようだ。厳密に言うとマナー違反だろう。
 潔癖な葛は、以前はこんな場面には眉をひそめた。だが、ある時、割り込まれた方は誰も怒っていないことに気づいたのだ。最前列にいたカップルがスペースを開けて、押されないよう子供を庇う。「ぱんださん、こんにちわー」とお辞儀する女児に笑いが起こる。 

「ライオンさん!絵を描くなの〜」
 ライオンはガラス張りのドームにいた。パンダ舎は混んでいたし、室内で暗く狭く、蘭もリュックからスケッチブックを取り出す気になれなかったようだ。青空の下、ガラスドームのまわりは緑も多く道幅も広い。ゆったりと百獣の王を眺めることができる。ガラスの中のライオン達も、樹と岩が成す複雑な地形のおかげで隠れ場所や日陰も多く、ストレスは少なそうだ。ただ、蘭が陣取ったところからオスライオンは見えず、タテガミの無い獅子だけが大きく欠伸をしてみせた。
「メスライオンを、きちんとメスライオンに見えるように描くのは、けっこう難しいと思うぞ?」
 不服そうだった蘭に、葛が含み笑いで言葉をかける。そう言われると、絵の好きな蘭は描いてみたくなるだろうと思ったのだ。予想通り、蘭は、茶色のクレヨンを握って描き始めた。
 呼吸も忘れてやしないかと葛が心配になるほど、蘭は夢中でクレヨンを動かしていた。葛は途中で水筒から麦茶を飲み、蘭に「飲むか?」と尋ねたが、彼は返事もしなかった。聞こえていないのかもしれない。
 オレンジや焦げ茶も使って蘭が描いた動物は、確かに猫でも虎でも豹でも無い。スフィンクスのように佇むそれを、斜め横から描いた絵は、クレヨンの太い線ながらも、しっかりと張った顎や鼻筋を捉えている。特に、顎の線はメスライオンでしか見ることのできない特徴だ。丸い耳もメスの方がはっきり見える。
「うわあ、蘭、巧く描けたなあ」
 葛が感心した声をたてると、初めて振り向き、得意そうに笑った。
「僕にも麦茶なの。いっぱい走った時みたいに、喉がカラカラなの」

 水筒のコップを握ったまま、蘭が「僕、ライオンさん達とふるさとが同じかな、なの?」と、ガラス鉢の中を見下ろした。確かにオリヅルランは南アフリカ原産の植物だが・・・。
「蘭、残念だが、ここのライオンはインドライオンなんだってさ。それに、ここの動物園で生まれたんだ。東京生まれなんだよ」
「動物園生まれ?」
 眉を下げて悲しそうな表情をした蘭に、葛の胸も痛んだ。小さな鉢に入れられて育った蘭。彼にもアフリカの記憶は無い。
 だが。
 今もサバンナで風に揺れる蘭の体の一部と、ここで葛と麦茶をごくごくと飲む蘭と。二人の幸せを比べることはできないと思う。
 狩りの緊張感と飢えへの危機感のはざまで張りつめて暮らす野性のライオンと、決まった時間に新鮮な肉を与えられ穏やかに暮らすライオンと。飼育係に愛され、園を訪れる大人にも子供にも喜びに満ちた瞳で眺められて。不幸だと言い切ることができるだろうか。どちらが幸せか断定してしまうのは、人間が傲慢のような気がした。
「ゴリラは、ニシローランド種・・・アフリカ出身だよ。見に行くか?」
「うん!見るなの!ゴリラさんも描くなの!」
 ランの顔がぱっと一瞬で輝きを取り戻した。葛は「よし」と蘭の頭をくしゃっくしゃ撫でると、先に立って歩き出した。
 
 葛も、蘭が居たから子供の愛らしさを知ることができた。頭で考えるのと、触れてみるのでは重さが違う。動物だって、図鑑やテレビで見るのと、動物園で本物を目の当たりにした感動とは比べものにならない。
 檻の中の動物たちの慰めにはならないだろうか。人々が動物を愛する手伝いをしているというのは。葛は頑な少女のように唇を噛んだ。

 ガラスの森に住む森の番人達は、土の上でも岩の上でもごろりんと丸くしゃがみ、空を眺めて瞑想していた。時々、瞑想に飽きた一頭が動きだし、木登りをしてみたり、手を土について歩いてみたりした。こちらも全体にのんびりムードだ。
 蘭は苦戦しているようだ。昼近くなり、日差しが強くなった。影はさらに黒く暗くなる。緑の濃い木陰で休む黒いゴリラは、細部が判別しづらいのだ。光る目ばかりがぎょろりと動く。それに、光が当たる肩や背も、クレヨンの灰色では色が淡すぎるし、黒一本でも描き切れない。
 残念ながら、神の歌に聞きほれているようなゴリラの表情までは写せなかったようだ。画用紙の絵は、黒い達磨のようになってしまった。達観したようなゴリラは、達磨に似ていなくもないが。

 だからって消沈する蘭では無い。次々と舎を駆け巡る。
「ぞうさん!ぞうさんなの!」
「しろくまーーーーっ!」
「ペンギンがいるですなのぉぉぉ!」
 蘭は夢中で動物たちを描いてまわった。母象にぴたりと付いて行く子象は、母がターンすると必死で真似して振り返り、鼻を母の尻に激突させ、観客の笑いを誘った。北極熊は、オフィスの床を行き来する白髪の中年のように落ち着き無く歩き回り、ペンギン達はヨチヨチと踊ると気ままに水へと飛び込んで行った。燕尾服の紳士達は、陸の上の拙さは演技だったかのように、水中では王の威厳で優雅に舞ってみせた。

 少年の手はクレヨンを離す気配は無い。蘭にはいくら時間があっても足りないだろうと思われた。適当な頃合いを見て、葛は蘭の肩に手を置く。
「そろそろお弁当を食べないか?」
 きょとんと蘭が見上げた。お昼ご飯のことなど忘れていたらしい。
 園内放送ではとっくに正午が告げられていた。
 猿山にほど近い休憩所のベンチに、敷物を敷いて弁当を広げた。出かけるのは今朝決まったので、おにぎりと、あとは有り合わせだった。甘い玉子焼きに、タコウィンナー、冷凍のミニハンバーグ、彩にプチトマト。オリヅルランのくせに、蘭はウィンナーもハンバーグもおいしそうに頬張った。
 葛は自販機でペットボトルの麦茶を買って、魔法瓶の水筒へ入れ替え、余った分をコップへ注いだ。このあと気温は高くなりそうだ。蘭には水分補給をマメにさせた方がいいだろう。
「食べたら、西園へも行くだろう?子供に動物を触らせてくれる広場があるんだよ」
「え、撫で撫でできるなのっ?行く行く!」
 蘭はまだ片手におにぎりを持っているのに、早まって立ち上がった。

 長いスロープの昇り下りを経て、小動物と触れ合える広場へと出た。幼い子供達の歓声が聞こえる。アーチ型の看板には愛らしい動物のイラストが描かれ、子供達を迎える。入口は柵にスライド錠が施され、小さな動物達が逃げ出さないようになっていた。柵の中では、ベンチで子供がウサギやモルモットを膝に乗せ、静かに頭や背を撫でている。鶏やら山羊・羊も放し飼いにされ、子供たちに撫でられていた。山羊の角はカットされているものの、二頭で頭をぶつけ合うものもいた。
「へえ。山羊に餌をあげることができるらしいぞ。うわっ、ウサギ、可愛い!」
 葛も童女に戻った笑顔で、くるぶしをくすぐる白いウサギを見下ろす。
「も、持ち主さん・・・」
 蘭は、葛が腰に結んだカーディガンをぎゅっと握って引っ張った。
「出ようなの。ここ、怖いなの」
 振り向くと、蘭は涙目になっている。顔色も蒼白だ。
「・・・え?」
「怖いなの。僕、食べられちゃいそうなの・・・」
 ああーっ、そうか、しまったと、葛は蘭の手を取って慌てて広場を立ち去った。蘭には草食の動物は怖いに決まっている。人間が、虎や豹の檻に入れられたようなものだ。
「すまなかったな、気がつかなくて」
 葛は、蘭の手を強く握り、ずんずんとそこから遠ざかった。そして、急に可笑しくなり、ぷっと吹き出した。
「笑うなんて、ひどいなの」
「ああ、ごめん、ごめん」
 ピンク・フラミンゴ達も、キィキィ一緒に声を上げて笑った。さわさわと、一緒に羽も震わせて。
「キリン、見に行く?草食だけど」
「檻に入っていれば大丈夫なのっ!」
 蘭は葛の手を振りほどき、キリン舎へ向かって一人で早足に歩き出す。
「だから、ごめんってば」
 笑ってしまったのは、蘭の困惑を想像すると愛らしくて可笑しかったからだ。なにせ、『カワイイ動物』を撫で撫でする気満々だったのだから、さぞ驚いたことだろう。
 葛は、笑みを噛み殺しながら蘭を追った。
 
 たぶん、黄色いクレヨンを擦り減らしてキリンを描き終えた頃には、蘭は不機嫌さも忘れていることだろう。その時、「休憩!」と言って、ソフトクリームでも差し出してあげよう。
 キリンがこちらへと首を下げて、鍵盤のような歯を覗かせた。まるでにやりと笑ったみたいに。
 ベンチを翳す葉たちが風で揺れ、葉っぱ達も笑った。蘭は背中を丸めて熱心に描き続けている。でもきっと、彼ももう笑顔だろう。

< END >