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<東京怪談ノベル(シングル)>


Logical afternoon

 昼食時を過ぎたカフェは程よく席が空き、客はそれぞれ飲み物を片手にノートパソコンの画面に見入っている。
 駅からも近いこのカフェは公衆無線LANサービスも備えているため、定久保常二もよく利用する。
「ブレンドコーヒー、Mで」
 常二はいつもここでコーヒーを頼む。
 もちろんこのカフェのメニューには、ホイップクリームをたっぷりとのせたカフェラテや、エスプレッソもある。
 が、正直飲み物の名前とその違いが全くわからない常二なので、ごくまれに三十秒程 他のメニューに目移りしても、結局いつも通りコーヒーを頼んでしまう。
 カウンター越し、にこやかに微笑む店員に代金を渡そうと伸ばした手が、斜めがけされたバッグのストラップに引っかかり、派手な音を立てて小銭をばら撒いた。
「あっ、ああ〜……」
 足元を転がる硬貨を追いかけてもたもたしている常二に、後ろに並ぶ客も堪えきれずクスと笑った。

 たった数秒のうちに吹き出た汗に顔を高潮させながら、常二はコーヒーを受け取ると奥の席へと異動する。
 ああ、しばらくこの店には来られないですね……。
 店員が自分を覚えているはずも無く、周りの客に知り合いがいる訳でもない。
 それでも常二はため息をつかずにいられなかった。
 顎や腹回りにもったり付いた肉を二着セールのスーツでどうにか隠し、度の強い黒縁眼鏡を鼻に乗せ、七三分けの髪はまとめきれず無造作にほつれ……と、常二の外見は冴えない事この上ない。
 そんな常二はシステムエンジニア兼プログラマーをしている。
『35歳で定年』説が囁かれるプログラマーで、43歳の彼は社内でも年長の部類に数えられる。
 技術畑で入社した者も、大抵は途中からマネジメント管理に移っていく。
 会社で仕事をしている以上、個々のプログラマーだけでは製品は作り上げられない。
 仕様に見合った製品を納期までに作るには、それを管理する人間も必要なのだ。
 常二も何度か管理部門への転向を打診されたが、それでも直接コードを書いていくプログラマーに留まっているのは、プログラムを作り上げていくのが単純に好きだからだった。
 ひたすらコーディングに明け暮れた日々が終ったかと思うと、障害が出ないか繰り返し動作確認する試験工程に移る。
 どうにかバグなしでシステムが出来上がり、納期に間に合ったのはつい三日前。
 今日は久しぶりの休日だ。
 待ち合わせまではまだ時間がある。
 常二はバッグから取り出したパソコンで早速メールチェックを始めた。
 メールサーバには何通か新着メールが届いている。件名は「ダウンロードさせていただきました」が多いようだ。

 ――こんにちは!
   ジョージさんの入力支援ツール、とても使いやすいです。
   助かりました。しかも無料で配布だなんて、ありがとうございます!――

 常二は趣味でもプログラムを組んでいる。
 ハンドルネームはそのまま何のひねりもなくジョージ。
 彼のツールはダウンロードサイトに登録され、今も誰かがダウンロードして使っている。
 どこかで誰かが、私のツールを使って喜んでくれている……嬉しいじゃないですか。
 時折こうした感謝のメールが届く度に、常二は静かな喜びに頬を緩ませる。
 もっとも、ディスプレイに映りこむ常二の笑顔は、暇つぶしにアダルトサイトを開いているエロ好きオヤジに見えてしまうのが悲しい所だ。
「あ……この名前……」
 感謝メールに添えられたハンドルネームは、娘と同じものだった。
 普段は『オヤジくさいから近寄らないでよね!』と言っていた娘が、ぶっきらぼうに寄こしたプレゼントの思い出がよみがえる。
『お父さんって、いつも同じネクタイしてるよね〜。
はい、これ父の日のプレゼント! 少しは違うのも付けてみたら?』
 今は大学生になった娘が中学生の時に買ってくれたネクタイ。
 あの子は楽しく勉強しているだろうか?
 少しくたびれたそれは、今も常二の胸元に下がっている。
 離婚して実家に戻る妻の後ろを、娘は何度も振り返りながら歩いていった。
 娘に送る養育費を考えれば、服にかける金額は少ない方がいい。
 しかし常二がこのネクタイを付け続けているのは、金銭的な理由ばかりではない。
 それは思い込みなのかもしれないが――一瞬でも娘が自分を思ってくれた確かな証拠のような気がするからだ。
 別れの時、妻は娘と違い一度も振り返らなかった。
『あなたが嫌いになったんじゃないの。
ただ、これからずっと暮らしていっても……あなたとの思い出が一つも増えないのは寂しいなって思っちゃって』
 プログラマーとしての生活は不規則で、家に帰れず泊り込む事も多かった。
 妻の顔をまっすぐ見つめたのはいつぶりだろうか。
 そこにいるのは確実に年齢を重ねた、見知らぬ一人の女性だった。
 ずいぶん妻を悲しませていたと、常二が気が付いた時には遅かった。
 
 鼻先がつんと痛み出した常二のポケットで、携帯が震える。
 普段から思考にはまると時間の感覚がなくなってしまうので、常二は携帯のバイブレーション機能でスケジュールを知らせている。
 そろそろ待ち合わせの時間が近付いていた。
 常二は一度だけ鼻をすすると、ノートパソコンをバッグにしまい、冷えたコーヒーを飲み干して席から立ち上がった。

(終)