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覚醒と、その先の未来。
穏やかな、時間であるはずだった。
(……煩い…)
ベッドに横たわり、休息を取るつもりでいたのが、ふとした瞬間、壊された感覚に陥る。
万輝は脳に直接響いてくる他人の心の声を、酷く不快に感じていた。
持ち合わせる能力のせいなのか、以前からこういう事は茶飯事的によくあることだったのだが、最近は特に酷いのだ。
(…煩い…うるさい……)
眉を寄せ、皺を作り上げながら万輝は瞳を閉じていた。
自分が望んでいるわけでもないのに、次から次へと彼の元へと届けられる、雑沓の中の心の声。
寂しさだったり、悲しさだったり、怒りであったり…。
「…万輝ちゃん、だいじょうぶ…?」
あまりにも苦痛を帯びた表情でいたためか、万輝を主とする者が心配そうに問いかけてくる。
「……大丈夫、だから…ちょっと、一人にしておいて…」
覗きこもうとしていたその者を避けるように、万輝は自分の腕で表情を隠した。
「…………万輝ちゃん、ほんとに辛くなったら…呼んでね」
少し、寂しげな声で万輝の分身たるその者は、部屋を出て行く。その際、明かりを消して。
そして静かに、扉が閉まる音がした。
「………………」
静寂が訪れてもいい空間であるはずなのに、万輝の頭の中には未だに他人の思念が流れ込んでくる。いつもは軽く受け流す程度でいられたのに、今日はそれが出来ない。だから余計に、自分のこの体質に腹が立ってしまうのだ。
これは、万輝自身に変化が訪れている証拠。
でもその変化に、気がついていないのは彼自身。
―――辛い?
閉じた瞼の上に右腕を押し付けていた万輝に、彼と同じ声が響いた。
「……――なにが、辛いって…?」
万輝はその声に、驚くこともせずに問い返している。
―――何にそんなに、腹を立ててる?
「…………」
腕を上げ、瞳を開くと、そこにはうっすらと浮かび上がった、万輝の姿がある。自分を見下し、クスクスと笑っていた。
―――それって、自分が弱いせいじゃないの?
人差し指を万輝に突きつけ、そう言うのは心の闇に潜むもう一人の『万輝』。心の中の彼は、実際の万輝より随分と素直に感情を曝け出していた。
―――あの子、可哀想だよね? だって、キミのその『弱さ』のせいで、あの子は何度も傷つく。キミを守るためだけに。
万輝はその言葉に、一瞬だけ表情を歪ませた。
彼の言う『あの子』とは、先ほど声をかけてくれた万輝の半身である存在だ。小さなころからいつも一緒で、今まで離れたことなど一度も無い、誰よりも大切な相手。
―――あの子は、キミを助けるために何時も自分を犠牲にする。…見返りも求めずに。
「…やめろ」
―――健気だよね。キミは何もしてあげられないのに。
「!!」
自分の影と言うものは、嘘をつかない。
どんなに万輝が否定して、嫌なことから目を逸らそうとも、それを許さないのは自分自身の心だ。
―――まぁ…所詮、あの子はキミの下僕だしね?
「…違うッ!!」
がばり、と万輝は跳ね上がるかのように飛び起きた。すると彼の心の闇は、すぅ、と身を引きまたクスクスと笑う。
―――何が違うの? だってそうでしょ? あの子はキミの彼女とか、そう言う存在じゃない。キミから生まれた、キミの為に生きる、見目の可愛い下僕――。
「やめろっ、それ以上言うな…!!」
万輝は両手で耳を覆った。
曲げた膝に頭を埋めて、彼の言葉を遮断するかのような態度を取る。
それを見た影は、深い溜息を吐いた。
―――ねぇ、いつまでそうしているつもり?
―――キミが『僕』を受け入れない以上、これからも同じことを繰り返すんだよ。
「………………」
―――あの子を守りたいんでしょ? これ以上傷つけたくないんでしょ? だったら…もっと良く前を見ないとね…。
ふと、影の声が和らいだ気がして、万輝は思わず顔を上げた。
目の前には、同じ顔が彼を見つめ返している。
―――そろそろ、新しい路、踏んでみようとは思わない? いつまでも自分の殻に閉じこもっているばかりじゃ…あの子に置いていかれるよ?
「……そんなの、嫌だ…」
ぽつり、と万輝の口から毀れた言葉。
それを聞き逃さなかったのは、目の前の『もう一人』。
―――『僕』を拒絶し続ける限り、キミはまだまだコドモって事になるよ。
そう言いながら彼はくすりと笑い…万輝を見つめていた。
彼は心の闇から生まれたもの。だからといって、それが『悪』とは限らない。鏡に映った自分を見ているようなもの。
万輝は幾度の依頼や、多くの人とふれあえた事で、成長を重ねてきた。だがそれが著しく目の前に発揮されていなかったのは、彼自身の心の問題だった。
人に対しても、何に対しても、素顔を晒せずにいた、自分。いつの間にか見えない仮面を作り上げ、それを何枚も重ねて被せてきた。『自分を知る』ということが――怖かったのかもしれない。
大人のフリ、何もかもを解っているような素振り…。その態度で、自分のガードを固めすぎてしまっては…ちっとも前には進めない。
―――外見だけで自分を飾るのは、そろそろ卒業しようよ。
「……………」
万輝はその言葉に、返事をしようとはしなかった。これは、性格の問題かもしれない。
ふい、と顔を逸らして、少しだけ頬を膨らませている。その表情に、『もう一人』はクスクスと楽しそうに笑う。
「……さっさと、帰れば」
―――もう、大丈夫だって、思うんならね。
「見れば、解るでしょ…? 『自分』なんだから」
憎まれ口などは、やはり変わりはしない。だからこそ、『万輝』と言う気もするのだが。
目の前のもう一人は、そのまま笑みを崩さずに、ゆっくりと泡のように消えていった。
そしてその彼のいた場には…黒塗りの弓が落ちている。
「…………『静夜』」
万輝はそれを躊躇いも無く手にした。直感で脳を横切った、それの名を口にして。
漆黒の弓矢は、万輝の新たな力が具現化したもの。手にした瞬間、それは音も無く溶けるように、彼の体の中へと吸い込まれていく。
万輝はそこで初めて、自分の新たな力を手にしたことを、自覚したのだ。そして…今までどれだけ周りを拒絶し、自分までも閉じ込め、己の無力さを感じ取ることも出来なかったという事を…嫌でも感じ取る瞬間でもあった。
「……でも」
悪くない、と万輝は心の中で言葉を繋げる。その表情には、僅かな微笑さえ、浮かんでいた。
手のひらを見つめ、ぐ、と力を込めてそれを握り締める。そこにはちゃんとした、『実感』があった。
「……万輝ちゃん…?」
そんな時に、彼の大切な『あの子』がひょっこりと顔を見せた。先ほどは猫の姿であったが、今は愛らしい少女の形を取っている。
「……おいで。もう大丈夫だよ」
万輝はその彼女に手を差し出し、自分へと招く。
すると少女は嬉しそうにドアを全開させ、飛び込んでくる。
「えへへ〜…ママ様がね、もう万輝ちゃんは大丈夫だよって。だからね、ようすを見に来たの♪」
『ママ様』とは、万輝の母親を指す。彼女が良く懐いている人物の一人だ。その母を頭に思い浮かべ、
「……敵わないな…」
と万輝は小さく呟いた。
「にゅ〜?」
「…なんでもないよ」
腕の中から自分を覗き込んで来る彼女を見ながら、万輝はふわりと笑って見せた。
それはとてもとても穏やかな、顔で。
もう、煩いと感じていた雑音は、聞こえない。
-了-
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栄神・万輝さま
ライターの朱園です。いつもありがとうございます。
今回は万輝君の成長、と言うことで書かせていただきましたが、如何でしたでしょうか?
多少の脚色もさせて頂いたのですが…もしイメージとかけ離れているようでしたら、申し訳ありません。
少しでも楽しんでいただければ、幸いに思います。
今回は本当に有難うございました。
※誤字脱字が有りました場合、申し訳有りません。
朱園 ハルヒ
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