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春にして秋を偲ぶ
桜の花びらが風にヒラヒラと舞う。
「あー、もう桜も終わりなんだ」
手元に花弁が付いて、スケッチブック片手に公園に写生をしに来ていた丈峯楓香(たけみね・ふうか)は動かしていた手を止めた。
公園にある大きなソメイヨシノの大樹の花弁は半分花弁が落ち、代わりに若葉が次々と顔を出しはじめている。
薄紅と淡い緑が混ざる桜を眺めていた楓香の視界の端に黄色い物が映る。
一瞬、ぎくりとする。
黄色く染めたまるでヒヨコのような頭。
思わず振り向いた楓香はそのヒヨコ頭の顔を確認してほっと胸を撫で下ろした。
―――そうよね、今時あんな色の頭なんて珍しくもないんだし。
楓香は自分のよく知るヒヨコ頭を思い出して思わず顔を顰めた。
両親と祖母、そして行きつけの甘味処で貰ったチビと言う名の子猫が楓香の家族だ。今現在。
だが、実は楓香には3つ年上の兄が居る。
名前は丈峯天嶽(たけみね・てんがく)。
粗野で粗暴で粗忽な粗悪品の兄だ。
でも、楓香はそんな兄のことを嫌いではなかった。あの日までは。
季節は秋。
「きゃー、お母さん、あたしの制服のリボンどこー?」
ばたばたと言うけたたましい音をたてて階段を駆け下りながら楓香は制服のリボンが見当たらないと叫びリビングに飛び込んだ。
「今アイロンかけてるから、その間に朝ご飯食べちゃいなさい」
そんな時間ないよっ!と楓香が奥に居る母親に叫んだところで、長身を屈めてリビングに兄がやって来た。
「朝からなにキャンキャン言ってんだぁ」
いかにも起き抜けといった格好で降りてきた天嶽はトーストにかじりついている楓香の頭をガシガシと撫で回す。
「ちょっと、止めてよ!髪がくちゃくちゃになっちゃうでしょ!」
天嶽の手を振り払おうと振り回した楓香の肘が見事天嶽の顎にヒットした。
踏みつけられたガチョウのような声を出して天獄はその場に蹲った。
「あ……っと、ゴメン」
あははと笑って誤魔化しながら楓香は激痛にしゃがみ込んだ兄を今度は見下ろす。
「ふぅぅうぅぅかぁぁ―――」
「ちょっと、ゴメンって。ワザとじゃないんだってばっ」
ドタバタとリビングで追いかけっこをはじめた2人に、
「朝からうるさいわよ!楓香、遅刻しちゃうわよ!天嶽もさっさと着替えてらっしゃい!」
と母親の雷が落ちた。
そこでようやく我に返った楓香が時計を見た。
「ホントに遅刻しちゃうっ!!」
慌てて玄関を飛び出そうとした楓香の背中に、
「楓香送ってやるから待ってろ」
と天嶽の声が飛んでくる。
「やった、ラッキー!」
玄関先でそう叫んで飛び跳ねている音を聞きつけ、家の中から、再び、
「楓香―――!」
という母の怒鳴り声が飛んできた。
ギィィゴォォギィィゴォォ――
「って、送ってやるって大見得切ってなんで自転車なのよ!?」
ギィィゴォォギィィゴォォ――
「うるせぇ、バイクは今修理中なんだよ」
ギィィゴォォギィィゴォォ――
錆付いた自転車が軋んだ音を立てて坂道を登る。
楓香は天嶽の肩に片手を置いてもう一方の手で耳を塞ぐ。
「ところで、兄貴、今日は何の日か覚えてる?」
「あ?……いーや、全く?」
楓香は無言で、耳を塞いでいた手を外して息を切らしながらそう答える天嶽の頬を力いっぱい引っ張った。
「痛っ! ウソだよウソウソ! カワイイカワイイ妹の誕生日を、俺が忘れるわけねぇだろ」
そんな軽口を信じたわけではなかったが、坂を登りきったところで自転車を降りた楓香は、
「じゃ、そういうことでプレゼント期待してるからね!」
と言って校門へと駆けて行った。
■■■■■
「それで妹へプレゼントを買ってやったって訳だ」
なかなかイイ兄貴だろ?と、天嶽は何となく同じアパートの住人に向かってそう言った。
いつの間にか妹の話になり、成り行きで兄と妹の確執―――とは言っても妹の楓香が一方的に天嶽を嫌っている理由を話す事になってしまっていた。
「で?」
「『で?』ってなんだよ」
「それだけなら、妹がお前を毛虫か何かみたいに嫌う理由はないだろう?」
そうどこかニヤついた顔で言われて、図星を指された天嶽はあからさまに動揺した顔になる。
確かに、食べ物やTVの争奪戦などが頻繁に勃発する程度の普通の兄と妹の関係だったのだ。あの日の午後までは。
学校をいつものように自主休校した天嶽は散々いろんな店をまわった結果、文庫本くらいの大きさの12色入りパステルをプレゼントの為に購入した。
―――まぁ、実際アイツの描く絵ってとてつもなく……シュールなんだけどなぁ。
絵を描くことが好きで、得意だと自分で思っている節のある楓香へのプレゼントに画材と言うのは我ながら上出来なプレゼントだと天嶽は自分の思いつきに自画自賛した。数ある画材の中からパステルを選んだのは店員に薦められるがままだったのだが。
「しっかし、こんな色つきチョークみたいなもんがこんなにするんだからわかんねぇよなぁ」
何度かそのプレゼントを眺め回してポケットに突っ込む。
―――今日はさっさと帰るか……
プレゼントを渡した時に楓香の顔を想像して少し口元に笑みを浮かべて家路に向かったその時だった、ざっ……という音と砂埃とともに天嶽は見覚えのある校章をつけた学生服の連中に囲まれていた。
普段からあまり素行がいいとは言えない天嶽にとって、他校生から因縁をつけられ喧嘩になるなんてことは日常茶飯事だったので、取り立て驚く事はなかった。
「なんだぁ、お前ら」
人数は7人。
その中に2人ほど最近みたような顔があった。
「ははぁん、2人じゃ俺に敵わなかったから更に人数増やしてお礼参りってやつか」
天嶽は挑発するように嘲った視線を向ける。
「うるせぇ、勝てばなんでもいいんだよ!」
少しくらいなら遊んでやるか……とポケットに突っ込んでいた手を外に出そうとしたその時、指先がポケットの中のプレゼントに触れた。
今日だけは喧嘩をして帰るわけには行かない理由を思い出した天嶽は、
「わりぃな、今日はお前らと遊んでやる暇ねぇんだよ」
そういうが早いか自分の前を塞ぐ他校生の1人を殴るふりをしてその隙をついて逃げようとしたが、如何せん多勢に無勢。とっさに腕をつかまれてしまった。
また連中の中に引き戻されたその拍子に天嶽のポケットからプレゼントの箱が落ちる。
そして―――その箱はしっかりと奴らの足に踏みにじられた。
バキバキという小さな音が聞こえる。
箱の拉げかたから見ても中身が粉々になっているのは間違いないだろう。
それを見た瞬間、天嶽の頭の中でぷちっと何かが切れる音がした。
「てっめぇら―――!」
そして天嶽は持ち前の『逸らす』という能力故に傷1つ負うことなく、7人を全員病院送りにし、近所の通報により駆けつけた警官に一方的な暴行と見なされ逮捕された。
そして、警察に駆けつけた家族―――特に楓香に向かって天嶽は一言、
「……悪かったな」
とだけ告げた。
「なんで理由を言わなかったかって?仕方ないだろ、プレゼントをぐちゃぐちゃにされて頭に来たなんて楓香に言えるわけねぇじゃん」
「ふーん」
最後まで聞いていた友人は何が言いたげな顔をしたが、天嶽はそれには全く気付いていない。
―――楓香のヤツ、今頃何してるんだろうな。
そう心の中でひっそりと思いながら、何となく妙にむずがゆい気分になってその場は逃げ出す事にした。
「あ、俺ちょっとそこまで煙草買って来るわ」
■■■■■
なんとなく昔のことを思い出して気分の悪くなった楓香は結局いつものように行きつけの甘味処に行って仲良くなった店主にそんな話しを愚痴っていた。
「ね、信じられないでしょ! 誕生日だったのにだよ!」
力任せにテーブルを叩いて楓香は力説した。
そうねぇ……と店主は困った顔をして楓香を見つめている。
兄妹のことだけに他人が口を出していいのかどうか躊躇われたからだ。
「でもね、楓香ちゃん。もしかしたらお兄さんにはお兄さんなりの事情があったんじゃないかしら?」
そう言われて楓香はあの時の天嶽の様子を思い浮かべた。
結局天嶽は家族に謝罪しただけで、喧嘩をした理由については一言も弁解をしなかった。
そして、普段の素行の悪さから少年院に入る事になり現在に至るわけである。
「――-ないない。バカ兄貴の喧嘩の理由なんてどうせたかが知れてるって」
そう言って楓香はみたらし団子を頬張った。
一方、その頃。
「っ、ふぁくしゅん!」
奇妙な声をあげて天嶽は大きくくしゃみをした。
「きっと、誰かカワイイ女の子かきれいなお姉さんが俺のことを噂してるに違いない」
何の根拠もなく天嶽はそう言い切った。
実は噂をしているのが楓香と甘味どころの店主なのだからあながち間違ってはいないということに気付くわけもなく、天嶽は大きく背伸びをしながらゆっくりとアパートへ戻って行った。
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