コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


恋する君へ 〜Obedient mind〜

 まだ、ほんの子供だった。
 義務教育をようやく修了し、これからまさに自分自身の華を咲かせるところだったのに。
 生まれたときから心血を注ぎ、それこそが己の命と思っていたことを、少年は奪われた――同時に、いつでも自分に笑いかけてくれると信じていた『家族』から捨てられた。
『お前の才を、僕が恨む前に』
 そんなのは兄さんの勝手だ。僕はただ心のままに舞いたいだけなのに。
『お前は決して先頭に立ってはならぬのだ、そのための名であったのに』
 お父さん――それは何? ううん、分かってる、別に僕にはそんなつもりはない。ただ、ただ舞えるだけで、僕はそれでいいのに。
『忍、貴方は舞ってはなりません。貴方の舞いは悪戯に人の心を乱す……さようなら』
 お母さん!? なんで? どうして?
 母親の少女のような繊細な手が、少年の懐から一本の扇を抜き取り、それを父親の手へと渡す。
「なにをっ――」
 止める間さえなかった。少年の――忍の言葉が届く前に、彼の扇は無残に手折らればらりと床へと散らばる。
 生まれて初めて手にした忍のためだけの無地の舞扇。
 濃紺のそれには、華が咲くことはなかった、永遠に――そのはず、だった。

   ***   ***

「もしもーっし、大丈夫? 具合悪いわけじゃないわよね?」
 腰掛けていたブランコを隣から揺さぶられ、忍は慌てたように顔を上げる。脳裏を駆け抜けた過去の残影、それに心を奪われてしまっていたらしい。
 今、思い返しても苦い笑みが浮かぶその記憶。実の両親と兄に別離を告げられた――捨てられたあの日のこと。
 どれだけの時間が経とうと、胸に深々と刻みつけられたそれは、埋もれることなく鈍い疼きを発し続けている。
「すいません、少しぼーっとしてしまいました。『恋』の話、でしたよね」
 須能勢・忍、25歳。新宿駅に程近い場所に居を構えるシステム開発系の会社に勤務する営業マン。成績は優秀、企業の若さも手伝って、この春には部長にまで昇進。
「そうそう。すっかり寂しんぼな大人に愛の潤いをって」
「年齢、変わらないように見えますけど」
「あははは、潤ってないのは私じゃないのよ。まぁ……そうね、年齢はそう変わらないけど。って、はいはい、私の方はどうでもいいのよ、貴方のお話、貴方のお話」
 新規開拓にと、個人経営の輸入業者を訪問した帰り道、ふらりと覗いた住宅街の児童公園。まるで人払いしたかのように賑わう声のないその場所に、ぽつりとブランコに座る見覚えのある女性の姿があった。
 不意にぶつかる視線。
 それからは、あっと言う間。
 気が付いた時には先日出会ったばかりの火月に、ほぼ強制的にブランコに鎮座させられ、自身の恋の話をするよう促されていた。
 全く、俺は強引な人間にどうしてこうも弱いのか。
 こそりと吐かれた溜息に、自分以外の人間が含まれていることを火月はそれとなく推察する。
 新緑を天に向けて広げる木々の間から差し込む光が、忍の漆黒の髪にえもいわれぬ輝きを与えていた。
 穏やかな午後――ともすればまどろみの中へと誘われそうな。
「恋……ですか」
 就業中であるはずの時間に、こんな所で油を売っていて良いのだろうか?
 今頃社内で眠気と戦っているだろう同僚たちの姿を思い浮かべながら、忍はゆるりと空を見上げた。
 どこまでも澄んだ青。そこに映えるのは若葉の鮮やかな緑――それは誰かの瞳の色。まっすぐに忍を見つめてくれる、ただ一人の人の。

   ***   ***

『俺を……信じて、忍』
 苦しげな声に心臓を鷲掴みにされた。
 そんなことありえないと、ただひたすらに否定の言葉を繰り返す頑なな自分を癒すように、幾度も幾度も『好き』という気持ちを言葉にして。


 最初は冗談だと思っていた。
 その中に違う色を見つけたのはいつの事だっただろう。
 しかし、それが忍の『恐怖心』のトリガーを引いた。
 違う、有り得ない。
 自分は必要とされない人間だから。だからこの気持ちは思い上がり――心が一杯になってしまう前に、逃げ出さなくてはいけない。
 この世に信じられる人間など、いはしないのだから。
 都心の夜景を切り取る大きなガラス窓。それに映る自分の姿を眺め、しっかりと自分に暗示をかけた。黒い瞳が、僅かに辛そうに見えたのは、きっと気のせい。
 自分は変わらない。
 誰一人信じない。
 信じてはいけない、だから自分の心の中に誰かを住まわせることはない。
 それなりに『恋』はしてきたつもりだけれど、どれも長続きはしなかった。それはきっと『彼女』達が忍の心を察してしまうから。どれだけ想っても、どこかで拒絶されている事に絶望を覚え、終わりを選択するより道はなくて。
 どろりとした闇のように纏わりつく思考に、忍は頬を歪める。
 忘れたつもりでいる傷は、今尚深い。
 生まれた家は、日本舞踊の傍流の当主筋。当然、父も母もそれを生業とし、五年先に生まれた兄は、次代を担う者として忍が物心つく頃には既に舞台へ上がり優雅に舞っていた。
 だから当然、忍もその後を追いかけていたのだ。
 舞うことは息をすることと同じ。自分の命と同等の事。それ無しで生きることなど有り得ないと信じていた。
 そしてそんな忍を父も母も、そして兄も可愛がってくれていたのだ――あの日、までは。
『忍、貴方は二度と舞ってはなりません。そしてこの家に立ち入る事も禁じます』
 突きつけられた言葉は突然。
 四月から通う高校の制服が出来上がってきた日、ひどく重苦しい空気を放つ部屋へと呼ばれて母から言い渡された。
 理由は今ならば、分かる。
 舞うことで、人の心を操る――それほどの魅力を持ちえてしまった奇跡。
 当時はそんなこと気付きもせずに、ただ無邪気に、ただ舞える事が嬉しくて仕方なかった。
『お前の舞が美しいと思えるのは、人の心を操っているからだ――そうは思いたくなかった。そう思ってしまっては、俺の心がどんどん汚れて行く気がして』
 大学進学の年、家を出て以来はじめて顔をあわせた兄がそう吐露したのを、今でもはっきり覚えている。そして、その時になって忍は初めて知ったのだ、自身の『能力』を。
 ありえない、そんな馬鹿げた事。
 ありえるはずがない。
 信じられなくてたった一度、大学のサークルの飲み会で禁を破ったことがある。
 夏の暑い日だった。
 誰かが持っていた団扇代わりの扇を借りて、ほんのさわりだけと。喜怒哀楽をさまざまに織り交ぜて。
 結果は忍に真実を突きつけた。
 素人相手だ、表面上は特に大きな変化はつけたつもりはなかった。ただ滲み出るように――しかし、それだけで効果は絶大だった。表わす気持ちの色を変えるたび、学友の顔色が変化する。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。ただ舞に感銘を受けたからの変化とは、言い難いほどに。
 向き合わされた事実。
 こんなだから自分は捨てられたのだ。きっとこれからもそうなのだ、自分が自分である限り。
 頑なな心は一層硬く閉ざされた。


『何で冗談だって決め付ける! 俺が言うことは全て冗談なのか、嘘なのか……そう……ずっと思って接してきたのか』


 入社の前の社長面談。
 凄腕の営業マンがいると聞いて、どんな人だろうかとは気になっていた。でもそれは『興味』ではなく、自分の上に就く人への一種の『競争心』のようなもの。
 入社式の日、偶然目が逢いたじろいだ。
 年齢が近いからだろうか、どこか兄を思い出させるような人だとその時は思った。
 しかし、接してみて最初の印象は全く意味のないものだったことを思い知らされる。
 確かに仕事は出来る人物だった。幾ら若い会社だからとはいえ、20代後半で部長職にある理由は社内の誰の目にも明らかな人だと言えるだろう。
 けれど、事あるごとに自分をからかう様な態度に、彼を『上司として敬う心』より『なんだ、こいつは』と思う心が勝るようになって行く。
 それが、二人の距離が少しずつ近付いている証拠だとは気付かずに。
 そしていつの頃からか『好きだ』と言われるようになった。勿論、冗談めかして。
 社内の誰もが、部長の部下猫可愛がりだと笑っていた。
 忍も『この人はいったい何なんだろう』という気持ちを強くするだけで、特に変化はないつもりでいた。
 けれど、なぜか。
 その冗談を真に受けようとしている自分がいる事にある日気が付いてしまった。
 親しく接されることさえ稀だった――当然だ、そうなるように仕向けていたのだから――忍に、例えどんな顔をしていようと変わらず近寄ってくる彼。
 邪険にしても、振り払っても。
 いったい何が楽しいのだ?
 心に踏み込まれかけている感覚に怯え、憎しみさえ感じそうだった。
 全ては冗談なのだ、自分はどうかしている、こんなのは思いあがりだ、ありえない、間違っている――自分は何も望んではいない。
 綻びかけた蕾は、再び固く眠りについたかのように思われた。
 なのに、それなのに。


『――忍』
 名前を呼ばれる事に、胸が震えて止まらない。
 触れられた部分から伝わる熱に、解けてしまいそうになる。
 それほどに、もう心は奪われていたのに。それなのに、それを認めようとしない理性が、忍の心をずたずたに切り裂こうとする。
『違う、有り得ない』
 いつの間にか溢れ出した涙は、知らぬ間に頬を伝い落ちていた。
 拭われる手の優しさに、このままでいいと流されそうになるたび、痛みを伴う過去の記憶が警鐘を打ち鳴らす。
 信じては駄目だ。
 信じてもいずれ裏切られる――捨てられる。自分はそういう人間なのだから。
 だから、この言葉に頷いてはいけないのだ。
『信じろ、俺の言葉を。俺が貰ってやる、お前の全部を』
 何もかも全部ひっくるめて、恐怖心を捨てられない心ごと。
 必死にかけ続けたブレーキが、決壊間近の悲鳴を上げた。抗えない、この想いには――違う、本当はとっくに縛られていたのだから。
『ぜ、んぶ?』
 覚束ない言葉で、告げられた想いをなぞる。心臓が痛いほど締め付けられていた、もう止められない、押し止めていた気持ちが堰を切って流れ出す。
 長い長い長い間、凍て付かせていた何が勢いよく弾ける。
『そう、全部だ』
 揺るがぬ事を示すように、強く言い切られた言葉。その瞬間、緑の瞳の奥に黄金の輝きを見た気がした。

  ***   ***

『へぇ、それでお前はソイツを信じる事にしたんだ?』
 不意に割り込んだ声に、忍は俯いていた顔を上げた。そこに立つのは、自分と全く同じ背格好の青年。きっちりと着こなされたビジネススーツも忍の好む色合いのもの。
『バカじゃないのか? 信じたって無駄だって、信じるだけ人生なんて損なんだよ』
 唯一違うのは、彼の瞳に浮かんだ光。けれどそれは知らぬものではない、ほんの少し前まで、毎日のように鏡の向こうに眺めていた冷たい色。
 揺れていたブランコを、足を地面に降ろして止める。
「火月さん、彼は?」
 そのままゆっくりと隣を見遣れば、突然の乱入者にも全く動じた風のない火月の笑顔。だからだろうか、彼女が発した非現実的な言葉を素直に受け入れられたのは。
「彼は謂わば貴方の想いと正反対の心の集合思念が実体化したもの、って所かしら。あんまり素敵なお話だったから、フラっと出てきちゃったのね」
「幽霊とか、妖怪とか、そういう類のものということですね?」
『何ごちゃごちゃ言ってるんだか。俺はお前にたった一つの真実を教えてやろうと思ってるだけだよ』
 眼前の青年の顔が、醜く歪む。それはきっと過去の自分を映した鏡。そう思うと、胸が潰れそうになる。その痛みを知っているから、救いのない迷宮を彷徨う心を覚えているから――今は違うからこそ分かる事。
 意を決したように、ブランコから立ち上がる。視界を遮る眼鏡を、傍らに置いた鞄に乗せた。
「火月さん、舞扇を今お持ちですか?」
 自分の動向を静かに見守る女性に問いかける。返る応えは確信していたけれど。
「何故?」
 わかったの? と続くはずだっただろう火月の声を断ち、右手を差し出す。
「姿勢です、それと細かな仕草。俺と同じだから。失礼な話と分かってはいますが、お借り出来ませんか?」
 舞い手にとって、誇りの象徴でもある扇。幼い頃の自分は、それこそ宝のように大事にしていた。
 今もし火月が持ち歩いているとしたら、それはきっと彼女にとって特別なもの。それを顔見知り程度の自分に貸してくれ、というのは無茶な願いだと思う。けれど、どうしても『彼』に教えたいのだ、変化した自分の心を。
『あのさ、さっきから人のこと無視しないでくれないかな?』
「いいわよ、貸してあげる」
 痺れを切らした青年が忍の胸倉に掴みかかろうとした瞬間、火月の手から忍の手に渡されたのは一本の舞扇。
 触れた瞬間、脳髄が熱く震えた。
 感動にも似た疼きが全身を走り抜ける。
「ありがとう、ございます」
 一振りで扇が広がる。奇しくも遠い昔に手折られた紺地。しかし今度は花が咲いていた、多くの人は知らないままだろう、榊の花。白く清楚に、そして凛と美しく。
『おい、お前――』
「教えてやるよ、信じられる心ってのを」
 軽やかに、優雅に。忍の腕がふわりと虚空を凪いだ。


「それ、貴方にあげるわ」
「え?」
 青年が最期に見せたのは、仄かな微笑。
 忍の舞の効力で、存在理由を失った――正確には気持ちが向かうベクトルが変化して、浄化されたのだが――彼の姿は、今は火月の掌中の赤いビー玉へと変わり果てていた。
 この世には、常識だけでは捉えきれない事が多数ある。勿論、忍の舞が持つ力もその一端だ。
「というか、多分貴方にあげる為に今日持ってきてたと思うのよ。運命ってそんなものだから」
「でも……」
 躊躇う忍に火月が優しく笑む。
 その時、彼女の手の上でビー玉が乾いた音を立てて弾け散った。粉々になった屑は、キラキラと陽光を反射させながら、遥か高みを目指し宙に踊る。
「その扇は私の手元での役目を果たしたのよ。これからは貴方の元で貴方の為の役目を果たすでしょう――その扇は、そういう扇だから」
 重力に反した光景を静かな気持ちで見守りながら、忍は「あげる」と言われた扇をそっと握り締めた。
 いつもの自分なら、受け入れられなかっただろう奇怪な現実をすんなりと認められたのも、『運命』なのだろうか。
 何故だか自然と、そう魂の深い部分で感じ取っていた。
「それは貴方の能力には引き摺られない、そういう品よ。ただし下手をすると貴方の命を縮めるから、舞う時は心を落ち着けてね」
「それが――基本ですから」
 どうしようかと迷いの念を捨てられなかった忍が、ようやく凛と顔を上げる。その瞳にはもう迷いはなかった。
 むしろ隣に並んで感じられるのは、ある種の自信。作り上げられる予定のなかったパズルが完成したような、言いようのない達成感。
 それも全て、忍を抱きしめた彼のおかげ。
 彼の言葉がなかったら、彼の強さがなかったら、今日のような道も開かなかった事だろう。
「じゃ、今日はごちそうさま。また機会があったら逢いましょ」
「ありがとうございました」
「いえいえ、此方こそ。とっても強力な栄養源になったから」
 深々と頭を下げる忍に、意味深な言葉を残して火月も立ち上がる。そのまま彼女は扇を大事そうにしまう忍を置いて、公園の入り口まで駆け抜けた。
 そして、姿を消す直前。
「あの専務さんによろしくねv」
 爆弾を投下し一撃離脱。含まれたのは明確な意図。
 聞こえるはずがないのに、くすくすとからかうような笑い声が忍の耳まで届いたような気がする。
 いや、確かにバレるような話はしたが、それでも限定するだけの理由はないはずだ。そもそもの原因は、先日の花見であからさまな話をした彼の上司の責任。
 自分の話は綺麗に棚に上げ、先ほどまで感謝の気持ちを寄せていた某人物へ責任転嫁の溜息を零す。


「……自意識過剰じゃなくって、本当にバレバレだったじゃないか」


 呟きは新緑の香りを乗せた5月の風に攫われた。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名】
  ≫≫性別 / 年齢 / 職業
   ≫≫≫【関係者相関度 / 構成レベル】

【5078 / 須能勢・忍 (すのせ・しのぶ)】
  ≫≫男 / 25 / サラリーマン
   ≫≫≫【 ― / E】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 こんにちは。ライターの観空ハツキです。
 この度は『恋する君へ。』にご参加下さいましてありがとうございました。

 須能勢・忍さま、近々でのご指名、ありがとうございました。此方の方は、件の花見からは一月ほど経過していると思って頂けると幸いです(納品、ぎりぎりで申し訳ありません)。
 消せない過去の記憶、そしてそれゆえ雁字搦めにされた心。アレンジ可能ということでしたので、ツボストレートでがしがし詰め込ませて頂いてしまいました。
 上手く表現できたかは不明のままですが……少しでもお気に召して頂ける部分があるよう、祈っております。
 なお今回、火月より譲り渡された品がありますが、詳細はアイテム欄にてご確認頂けますと幸いです。

 誤字脱字等には注意はしておりますが、お目汚しの部分残っておりましたら申し訳ございません。
 ご意見、ご要望などございましたらクリエーターズルームやテラコンからお気軽にお送り頂けますと幸いです。
 それでは今回は本当にありがとうございました。