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いつかの日
「由樹、日曜暇?」
はじまりは、姉のそんな一言だった。
特に予定も何も無いので「暇だよ」と倉前・由樹が答えると、姉――沙樹はほっとしたような笑顔を浮かべた。
「あのね、よく行くケーキ屋さんが男女ペアで行くとセットが割引なのよ♪」
「へえ……で、もしかして、もしかする?」
「うん♪一緒に行ってほしいなと思って……ほら、由樹も行った事あったでしょう?」
確かに、姉と、それから従姉と三人で食べに出かけた記憶はある。
滅多に美味しいとか言わない従姉がここのケーキはあまり甘すぎなくて好きだと言っていたし、それに由樹自身もあまりくどくない甘さのケーキに食べやすさを感じても居た。
「うん、ある」
「ね? 由樹もあそこのケーキは甘すぎなくて好きだって言ってたでしょ?」
だから、一緒に行こう?
再び、そう言われ、由樹は静かに「いいよ」と頷いた。
姉からの頼み事など滅多にないし……断る理由も無かったから。
――それに。
「本当? 有難う♪」
姉が嬉しそうに笑うのを見るのが何より、由樹は好きだったから。
+
そして、日々は過ぎる。
時に緩やかに、時に素早く時間を変えながら、確実に。
後何日、と思う度に、財布の中身をチェックしたり(奢って貰う、と言うのも心苦しいものがあるし)、従姉にもお土産買って……と、考えてしまう自分自身を由樹は何度となく確認する。
(そう言えば……)
ふと、湧き上がる疑問。
姉さんには休日、一緒に過ごすような特定の男性は居ないのだろうか?
そんな事を考えた瞬間、背筋に寒いものが走る。
とは言え、ありえないことではない。
姉は身内の贔屓目から見ても可愛いし、彼女自身から出される何処か清楚な雰囲気は由樹の友達でさえ良いなあと思っている程なのだ。
(もしかしたら、今回、相手の人が駄目で誘ってくれたのかもしれない…って言うのも)
あるかもしれないんだよなあ……
何だか、どうしようもなくなり由樹は大きな、ため息をついた。
近くでは、母親が、興味深そうに由樹の表情を眺めている。
+
当日、午後。
弟の悩みなど気付くことも無く、沙樹は由樹の前を歩いていく。
何時、聞いてみようか。
今、聞いてみたらいきなりだろうし……
由樹は何度も姉の表情を見ながら、何時聞こうと考え、その度に首を振る。
今は、聞けない。
ただでさえ買い物を楽しんでいるようなのに、聞いて、ケーキ屋に行くこともなく帰られたら、家へ帰っても無視されたら、どうしようもない。
「どうしたの? 疲れた?」
「ん? あ、ごめん。少し考え事……」
「そっか♪ じゃ、そろそろゆっくりしようか…由樹も買いたいもの買ったんでしょう?」
「うん、姉さんは?」
「私も大丈夫」
欲しいものは殆ど買えたし、と微笑うと沙樹は由樹の手を引っ張る。
「ね、姉さん、手を引っ張らなくても……」
「何、言ってるの。手を引かないでいたら迷子になったの何処の誰?」
「そんな小さい頃の事、引き合いに出されても……」
とほ……
奇妙な溜息を吐きながら、由樹と沙樹は漸く、ケーキ屋へと入っていった。
ドアベルがカランカランと軽快な音を立て、やがて、消える。
+
「さて、今日は付き合ってもらったし……お礼にお姉ちゃんが奢るね♪」
「え? いいよ、俺だって来たいと思ったから来たんだし……」
「いいの、いいの。たまには素直にお姉ちゃんのお礼を受け取りなさい?」
「う、うん……じゃあ、今回だけは遠慮なく」
けど、次回は俺がちゃんと奢るからね?
そう、言いながら由樹はウェイトレスが運んできたお冷に口をつける。
染みるような冷たさが心地よく、喉が渇いていたのだということを思い出させた。
沙樹は、由樹の言葉ににっこり微笑い、
「そうね、次は由樹がどうしても!と言うのがあった時に連れて来てくれれば」
と、言った。その言葉に近くに居たウェイトレスが興味を示したが、それよりも早く沙樹が手を上げケーキの注文を始め、ウェイトレスの好奇心は仕事の前へと砕けていった。
由樹も沙樹の注文が終わったあとに、希望の商品を言い、飲み物を先でと頼むと、真剣な表情になり、「あのさ」と話を切り出した。
何時になく真剣な弟の表情に、沙樹は何度か瞳を瞬かせる。
一体何が聞きたいんだろう、と表情に出しながら。
「? なあに?」
「姉さんは……俺以外に誘うような人いないの?」
「……居ないわね。あ、由樹、飲み物来たわよ?」
「うん……って言うか本当の本当に、居ないの?」
「しつこいわねえ……本当の本当に、居ないってば」
「だって姉さん、モテそうだし」
「……上級生のお姉さま達にモテても虚しいものなのよ?」
「じゃ、なくって、その…男の人とかは……?」
「肝心の出逢いが無いもの……あ、ケーキが来たね♪ ね、食べながら話そ?」
「うん」
それぞれに来たケーキに「美味しい♪」と幸せな表情を浮かべ、沙樹は聞かれた事を弟へ聞き返すことにした。
(こっちが答えたのに弟の事だけ知らないのも寂しいし)
「そう言えば、由樹はどう?」
「どう、って?」
「一緒に出かけるような人は居ないのって、こと」
「うーん……姉さんと同じで肝心の出逢いが中々……」
「………」
「………」
あまりに同じ答えに二人の間に暫しの沈黙が訪れた。
カチャ、カチャ……、と、フォークを操る音だけが嫌に、耳につく。
(こういうのも、らしいのかな)
似たもの姉弟、なのかも知れない。
くす。
小さく、沙樹が微笑う。
「……まぁいつかはお互いそういう人が、出来るんでしょうね……でも、由樹に彼女出来たら、お姉ちゃんちょっと寂しい……」
「…でも、きっと、まだまだ先だよ」
沙樹の言葉を聞き、由樹は困ったような笑いを堪えてるような笑みを返した。
まだまだ、先。
二人は互いの中の隣に立つだろう人を、そう思うことにする。
まだ、一緒に過ごせると。
僅かばかりでも、場所は、互いの中に残っているのだと。
「そうだ、姉さん。帰り、ケーキをお土産に買って帰らない?」
「ん? そうね…二人で来ちゃったから……ご機嫌伺いに行かないとね。…とは言え、怒りはしないんでしょうけど…」
寂しがるかもしれないから。
「寂しがり屋だもんね。どんなケーキが良いかな……」
二人は話しながら、共通の人物の驚いた顔を思い描き、目を合わせた。
瞳の中には楽しむ色が互いに浮かんでいる。
―End―
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