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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『ある春の晴れた日に』

【京也】


 風に乗って聴こえてくる調子外れのリコーダーやハーモニカの曲は桜の花をテーマにした曲だった。
 小学校の歓迎会でやる演奏会の課題曲なのだろう。
 そういえば俺の時にもそういうのはあったと想う。もちろん、俺はほとんどそういうのはぶっちしていたけど(サボっていた)。
 今想えば出ていればよかったと想う。
 それで想い出を作っておけば良かった。懐かしむべき想い出の少なさに最近自分でも気付いた。俺の過去は他者への恨みとか、そういうモノで構成されすぎているから。
 だから振り返りたい想い出というモノは無い。ここでの家族以外の想い出は。それでもそれが自分にとってとても大切な物である事は代わりの無い事実なんだけど。
「なに朝から黄昏がれてんの? ん、京也」
「何でもねーよ」
 後ろから髪をぐしゃっと鷲掴んでご機嫌そうな声を出すシスター。
 俺はその手を振り払って、素っ気の無い声を出す。
 だけどシスターは嫌な顔はしない。前は多分、だからその事に俺は甘えていた。
 ―――でも今はそれが少し苦しい。
 おそらくはそれは俺の心境の変化のせい。
 前は子どもだった。
 だからどれだけ嫌な言葉を吐こうが、どれだけ酷い事をしようが、心から叱ってくれて、その後にちゃんと受け止めてくれるシスターに俺は甘えきっていた。
 でも今は違う。それが重苦しい。
 俺は彼女に甘えていたからこそ、彼女の愛情の温度を知っている。
 シスターの愛情というぬるま湯の心地良さを知ってるからこそ、俺はそこから抜け出さなくってはいけないと想い、
 そして同時に知ってるからこそ、そこから抜け出す事が怖い。気後れして、大切な場面で躊躇ってしまう。一歩を踏み出すのを。


 鳥は止まる枝があるからこそ、空に飛び立てる。
 鳥は止まっていられる枝があるからこそ、空に飛び立てない。


 シスターはどうしようもなく壁なのだ、越えなければならない。
 それを認識した時、シスターの存在の大きさとその難しさ、自分のちっぽけさ、無力さを思い知らされて、俺は愕然とした。
 そしてシスターはそういう俺に優しくしてくれるのだ………
 ―――だから俺はどうしようもないジレンマを己が内に抱え込んでしまう。
「おー、怖い」
「うっるせーよ」
 だけどどうしようもなくシスターへの言葉にガキっぽさを感じるのは否めない。18にもなって反抗期の中坊のガキが母親に言うような事しか言えないんだから。
 だったら大人になったフリでもして、一人称を私にでもして、そういう態度でも取れってか?
 ――――ヤメロよ。それこそ想像できねーよ。
「ほら、京也。そんな所で黄昏てるだけなんだったら、買い物にでも行ってきてよ」
「あー? 今日の当番は俺じゃねーだろう」
「だってほら、当番の子たちは明日の歓迎会の練習で忙しいじゃない。邪魔したらかわいそう。その点、あんたは暇人だろう?」
 にぃっと意地悪に笑うシスター。
 俺は両手をあげる。
「へいへい。行ってくればいいんだろう?」
「そうよ。わかればよろしい。まあ、外の空気でも吸えば、ちっとはその思考も今のままよりも上手くは回るんじゃないかい?」
 ウインクするシスター。
 これだ。俺は心の中で大きく溜息を吐く。
 どうしようもなく俺の中には余裕ってのが無いんだろう。それを得られればこんな風に俺も誰かに何かを言ったり、やってやったりできるんだろうか?
「あんたは馬鹿の癖に考えすぎなんだよ。もっと考える前に前を向いてごらん。天は自らを助ける者に助けの手を差し伸べるんだよ」
「悪かったな、馬鹿で」
「おや、一丁前に傷ついたんだ」
 けたけた笑うシスターに目を半眼にしてやったら、またよりいっそうシスターは笑いやがった。



 ――――――――――――――――――
【悠香】


「ここはこういう指使い。ほら、やってみて?」
 下の子たちの明日の日曜日にやるという新一年生の演奏会の練習に付き合ってると、きょうちんが何やら買い物鞄を持って出て行くのが見えた。
 私は内心で小首を傾げる。確か今日の買い物の当番はきょうちんではない。それから私の視線の先を追っかけていた子たちが歓喜の声をあげる。やった♪ ラッキー、って。
「こら。やった♪ ラッキー、じゃないでしょう。あんたたちは京也に買い物を代わりに行ってもらった分、しっかりと明日の演奏会の練習をする」
 笑ってた子たちの顔が神妙な顔になる。もちろん、表情だけだけど。
 私は苦笑して後ろを振り返った。
 後ろでは腰に両手を置いたシスターが立っている。
 そしてシスターは私と顔をあわせると、にんまりと笑う。
 ―――どうでもいいけど、シスターが浮かべるこの表情と、きょうちんをはじめとするこの孤児院の悪戯っ子たちが面白い悪戯を思いついた時に浮かべる表情とは凄く似ている。という事はやっぱりシスターもなんだか面白い悪戯などを思いついた時などにこういう表情を浮かべているのだろうか?
 そしてそうならシスターは私の顔を見て、悪戯を思いついた訳で………
(うぅ、なんか嫌だなー。何をされるんだろう?)
 などと私はついつい身構えてしまう。
 そんな私に彼女は何だか苦笑すると、きょうちんが歩いていった方を指さした。
「悪いけどゆう。京也に言い忘れたモノがあるから、今から急いで京也を追いかけていって、それを伝えてくれる?」
「あ、はい」
 なんだ。悪戯じゃないのか。何事かと想った。
 私は心の中で安堵の溜息を吐いて立ち上がって、スカートを丁寧に注意深く正した。
「はい、ゆう。自転車の鍵。それと買い物リスト」
「あ、いいの、シスター。自転車に乗っても?」
「もちろん」
 孤児院にもいくつかの自転車があって、それは皆で仲良く使っている。だけどやっぱりそれはボロボロで、結構乗りにくい奴もあるのだけど、シスター専用の自転車は新品で、乗り心地は最高だったりする。しかしそれはシスター専用と言うか、緊急事態用の自転車であるから、誰かが乗って壊すといけないから、だからシスターしか乗れないんだけど、でもシスターは私に乗っても良いと言うのだ。それがすごく嬉しい。私はるんるんな気分になった。
「ああ、でもゆう。体重でタイヤをパンクさせないでね」
「失敬な!」
「冗談だよ」
 シスターはけたけたと笑うけど、16歳の女の子としてはちっとも笑えない。
 でもまあ、とにかく自転車に乗れるのは嬉しいので、私は笑顔でシスターたちに行ってきますを言った。
 ―――この時の私は何故にシスターが新品の自転車に乗ってもいいと行ったのか、他の子どもたちがそれを羨ましがったり、不服申し立てをして、自転車できょうちんを追いかける役目を代わろうとしなかったのかを少し不思議に想ったのだが、後になってきょうちんとそういう関係になってからようやくそれらの意味を知って、それで私は誰も居ない所で顔を赤くしたものだった。
 とにかく私は自転車に乗って、きょうちんを追いかけた。
「うん、乗り心地最高♪ ペダルが軽い♪」
 風を切って自転車で進むのは最高に気持ち良かった。このまま私は自転車に乗って遠くの方まで行ってしまいたくなる。
 だけどそういう衝動を押さえ込んで私はきょうちんに追いついた。
 ベルを鳴らして、きょうちんの隣に自転車を止まらせる。
 きょうちんは驚いたような顔をした。
「ゆう、その自転車。黙って乗ってきたのか?」
「失敬な。きょうちんじゃあるいまいし。シスターが乗っていけって。はい、きょうちん。これ、シスターからのラブレター」
 買い物の追加リストを書いた紙をきょうちんに渡す。きょうちんはげぇ、っていう表情になった。そこにすかさず私は言うのだ。
「鯛焼き一個で手伝うよ、きょうちん」
「………お願いします」
「はいな。じゃあ、行こう」
「って、おい。ゆうは自分だけ自転車で行くのかよ!」
「うん」
 至極真面目にそう頷いたら、きょうちんは顔を片手で覆った。
「ゆうは自転車の荷台に乗って。俺が漕ぐから」
「えー」
「えー、って何だよ?」
「危険な運転の仕方しない?」
「ゴールド免許並の運転をしてやるよ」
「ペーパードライバー並の?」
 笑顔でそう意地悪を言ってやると、きょうちんは自分が荷台に乗った。
「さぁー、行こう。ゆう」
「うわぁ、ちょっとこの人、自分が荷台に乗ってるし」
「だってペーパードライバー並の運転をして、悠香お嬢様にお怪我をさせたら大変だし」
「っていうか、事故って自転車を壊したら、シスターに怒られちゃう」
「ん。って事で、だから行こう、ゆう。がんばれ」
 きょうちんはそう言いながら片手で自転車の荷台を掴んで、両足をあげる。
「う、うわぁ、きょうちん、バランスが。あ、足。足」
「漕いじゃえば大丈夫。さあ、がんばれ、ゆう」
「きょうちんの意地悪ぅー」
 私はきょうちんを後ろに乗せて、自転車のペダルを漕いだ。
 だけどさっきまではあんなにも軽かったペダルがすごく重い。これが男の子の重みという奴かしら?
「って、きょうちん、この何か足を引き摺って歩くような音は何かしら?」
 私はそう言いながら視線を下にやる。そうすれば案の定、きょうちんの両足が地に下ろされていて、ブレーキがかかってるようになってるし!
「きょうちん、酷い!!!」
 私はペダルを漕ぐのを辞めた。
 きょうちんは笑いながら頭を下げる。
「悪い。悪い。ほんの軽いジョーク」
「笑えないんですけど?」
「さあ、早く、ゆう。早く買うモノ買って帰らないとうちの欠食児童どもが餓死するぞ」
「ったく」
 私はペダルを漕ぐ。
 今度はペダルはスムーズに動いた。
 季節は春。
 風は少し肌寒い。
 桜の花びら舞う道を私たちはひとつの自転車に乗って駆け抜ける。
 それはどこか不思議な感じがした。
 そしてやっぱりくすぐったい。
 後ろに感じるきょうちんの息遣いや気配、温もりが私を緊張させた。
 おかしいな。どうしたんだろう? きょうちんと自転車の二人乗りなんて小さな頃から何度もしてきたのに。変なの。



【京也】


 すぐ間近から見るゆうのうなじは柔らかな産気が生えていて、とても白くって、細くって、胸がちりちりとした。
 その白いうなじと、柔らかで線の細い彼女の背中にそのまま抱きつきたくなる。そしてそのまま声をあげて泣いてしまえたらどんなにいいだろうか?
 きっと俺はシスターとはまた別の母性のようなモノをゆうに望んでいる。
 ゆうに愛されたい。
 そして許してもらいたいのだ、俺は。きっと。



 許す?
 それは何を?
 俺がゆうを抱きしめたいと望むこと。
 ゆうの柔らかで薄く形のいい唇にそのまま自分の唇を重ねたいと想っている事。その、先も………。
 そういう事?



 それとも弱い俺が、ゆうを好きな事を?


 後になって、白き翼を羽ばたかせて、天に舞うゆうを見て、俺は実感する。
 無意識に感じていた許して欲しい、という感情。その感情の名前を。
 許してもらいたかった事。俺はゆうに俺が………



 自転車が止まる。
 思案していたうちに目的地の商店街に着いていた。
 その事に対する安堵と残念さを感じながら俺は自転車に降りた。



【悠香】


 馬鹿な事を………
 ―――何を考えているのだろう、私は?
 えっと、その、私は、周りの夫婦やカップルを見て、周りから見れば私やきょうちんも、その………新婚さんとか恋人同士に見えるのかな、って。
「おや、らっしゃい。ゆうちゃん。今日も兄妹仲が良いねー」
「え、あ、うん、そうよ。今日も兄妹仲が良いでしょう!」
 私は無意味に大きな声でそう言ってしまった。恥かしさを感じていた分だけ。
 だけど何故かその後からきょうちんの態度が何か変になった。
 他所他所しいというか、ぶっきらぼうというか………
 ―――私は何かきょうちんを怒らさせるような事をしただろうか?



【京也】


「鯛焼きを買ってくる」
「え、あ、うん」
 ゆうの様子が何か変だった。
 その理由はわかっている。
 俺が馬鹿でガキだから。
 だけどあんな風に大きな声で目一杯に力を込めて言われると、ちょっと………
「あー、もう。俺の馬鹿」
 俺は頭をくしゃくしゃと掻いた。
 目的地の鯛焼き屋の前。ここはすごく美味しいのだ。その美味しい鯛焼きでなんとかこの重苦しい空気を………
「うわぁーん、お兄ちゃんの意地悪ぅー」
「っるさいなー。お前がじゃんけんで負けるから悪いんだろう」
「だってぇー。あーん、あたしも頭がいい。尻尾は嫌だなぁー」
 突然目の前で勃発したどこぞの小学校低学年ぐらいの兄と幼稚園ぐらいの妹の戦争。その開戦理由は鯛焼き。ったく。
「おっちゃん。鯛焼き一個、ちょうだい」
「あいよ」
 買った鯛焼き。ゆうを見る。
 ゆうはん? と小首を傾げ、その後ににこりと笑う。
 ―――気持ちは通じ合っている。
「ほら、もう喧嘩をするなよ。兄ちゃんの一個やるから」
 そう言って俺は泣いている妹の方に鯛焼きをやった。
 幼い兄妹は現金なモノで笑いあって、俺に挨拶をすると、駆けていく。
「優しいね、きょうちん」
「だってしょうがないだろう。泣いていたんだしよ」
「んー、でもさ、こう、縦に割れば、平等だったんじゃない?」
「あっ。くそぉ〜」
「あはははは。でもきょうちん、あの子たち、喜んでたんだし」
 ゆうはにこりと笑う。
 とても嬉しそうに。
 いつの間にか仲直り。あの兄妹に感謝かな? 鯛焼き一個は安かっただろうか。
「ん。じゃあ、今度はうちの妹殿の喜ぶ顔を見ましょうか? 体重計に乗るまでの」
「うわぁ、きょうちん、酷い!!!」
 意地悪はご愛嬌。
「おっちゃん、鯛焼き、もう一個ちょうだい」
「悪い。さっきので売り切れ」
 ぱちんと両手を顔の前で合わせたおっちゃんからゆうに顔を向けるとゆうは苦笑して、大判焼きを指さした。
「まあ、お腹の中に入ったら同じだもんね」



【悠香】


 小学校組みの子たちは朝から近くの公民館へ一年生を出迎える会へ行った。
 他の子たちも朝から部活とかなんか色々で出かけてしまって、シスターも近所の人たちと一緒に出かけていた。
 期せずして朝からきょうちんと二人きり。
 私は私以外には誰も居ない台所でお弁当作り。
 昨日の買い物の帰り、私はきょうちんが運転する自転車の荷台に座っていて、それでその時にきょうちんが言ったのだ。『なあ、ゆう。明日さ、一緒に桜を見に行こうか?』
 私はそれを快諾し、そして今お弁当を作っている。
 おにぎりに、卵焼き、からあげ、タコさんウインナ―、一口カツにミートボール、その他にもきょうちんと私の好きな物をたくさん。
 そして………
「ふっふっふっふ、昨日の意地悪へのささやかな報復としてきょうちんの嫌いなおかずを一品♪」
 お弁当はこれで良し。
 あとは冷まして、蓋をして、ナフキンで包むだけ。
「次は、私よね」
 って、私は何をスキップして自分の部屋に来ているのだろう?
 私は眉間に手をあてて、考え込んでしまう。
「えっと、私はきょうちんと一緒に桜を見に行くのは楽しみで、それは桜が大好きだからで、決してきょうちんと一緒に出かけるから嬉しいんじゃなくって…」
 って、何をひとりで言い訳をしてるんだろう、私。
 だけどそれでも私は何故か姿見の前ではりきってファッションショーをしてしまって、鏡に映る私の服はものすごく気合いが入っていた。
「しかもなんかスカート短いし。………短すぎるかな、このスカート」
「あら、そんな事無いんじゃない? せっかくの美脚なんだもん、しっかりと男におがませて、玉の輿に乗らないと。頼りにしてるわ、ゆう」
「って、シスター。何を言い出すんですか!!!」
 っていうか、勝手に部屋に入ってるし。しかもたかる気かしら、この人。私の結婚相手に。
 ―――もちろん、冗談なんでしょうけど。
「おや、私はノックをしたよ? だけどあんたはファッションショーに夢中だったし」
「………」
「でもほんと、そのスカート似合ってるよ。親の贔屓目を無しにしてもすごくかわいい。あんたはスタイルいいからね。かぁー」
 何がかぁー、なんだろう?
「で、その美脚で誰を釣るんだい?」
「だから違います!!!」
「冗談だよ。嫌だね、この子は。本当に」
 嫌なのはこっちの方だと想う。
「きょうちんと一緒に桜を見に行くだけです」
「おや、京也とデートなんだ」
「デートじゃないです!」
「そんな力をこめて否定しなくっても。京也もかわいそうに。だけどゆう、男の子と女の子が二人で一緒に出かけたら、それはデートだよ」
「え、そうなんですか?」
「もちろん」
「………」
「って、スカート、脱ぐのかい?」
 シスターは笑いながらそう言って、そして忘れ物を鞄にしまうと、また出かけていった。
 結局シスターを玄関まで見送った後に私はしばし鏡の前で悩んだあげくロングスカートを履いて、台所に向った。
 ―――シスターが変な事を言うからちょっと意識してしまって、でもだからという訳ではないが…いや、だからこそパンツは履けなかった?
 うぅ。なんだか頭の中がパニックだ。
「どうしたゆう? 気分でも悪い?」
「え、あ、そんな事無いよ」
 多分、恋愛とか男女の事とかは私には早いのだ。そういう事に対するキャパが無いから、だから私はそういう事がちゃんと考えられなくって、だから頭がパニックになって、頭痛と微熱を感じてしまったのだろう。
「そうか?」
 だからただ兄が妹を心配して、妹の額に手を当てる、ただそれだけの事でも、キャパが無いから、それで、だから変に必要以上に意識してしまって……
「熱くないか、おでこ? やめておく?」
 その言葉に私は慌てる。
「う、ううん。大丈夫。大丈夫だから」
 だって………
 きょうちんと一緒に桜も見たいけど、
 でも、きょうちんが言った…
『なあ、ゆう。明日さ、一緒に桜を見に行こうか?』
『ゆうに聞いてもらいたい事があるから』
 それを聞きたいって想うだもの。
「大丈夫だよ、きょうちん。さあ、行こう」
 私はきょうちんと手を繋いで、幼い子が親の手を引くようにきょうちんの手を引いた。



【京也】


『ゆうに聞いてもらいたい事があるから』


 聞いてもらいたい事、言いたい事、たくさんあった。
 一緒に近くの公園に電車を乗り継いで行く。
 電車から見える窓の向こうの海に喜んで、
 途中下車をして、
 一駅分二人で手を繋いで裸足で砂浜や波打ち際を歩いて、
 たくさん笑って、同じ時間を過ごした。
 電車に再び乗って過ごした時間は睡眠時間。想ってたよりも歩く距離が長くって、だから二人して同時に降りる予定の駅で飛び起きて、大慌てで電車から降りて、二人顔を見合わせて笑いあった。
 それから桜で有名な公園に行って、二人どちらからとでもなく手を繋いで歩いて、桜が綺麗だね、と笑いあった。
 桜の樹の下で花びらの雨に打たれながら食べたお弁当は美味しかった。
 もちろん、嫌いなおかずは笑顔でスルー。ゆうは頬を膨らませて、そういう顔には弱くって、無理して食べて、ゆうを笑わせて。
 お弁当を食べ終わった後はただ二人で手を繋いで、桜を見続けた。


 聞いてもらいたい事、
 言いたい事、
 たくさん、あった。
 だけどそれを言うのが、二人一緒に居る時間をそれで過ごすのはなんだかもったいない気がして、
 だから俺はゆうの手を繋いで、その時しかできない事をした。
 それが幸せだった。


「ねぇ、きょうちん。昨日、言ってた事って何?」
 どこか気恥ずかしげな顔でそう言うゆう。何かを期待している彼女の表情に俺も期待してしまう。
 だから俺は花びら舞う空間で、桜の花びらだけでは埋めきれない二人の間にある隙間を言葉で埋めるように話した。
 話した事は昔話。
 ゆうの知ってる事、
 ゆうの知らない事、
 俺が想ってる事、
 ゆうへの想い以外をすべてゆうに話した。
 そうする事でゆうに共有してもらいたいと想った。
 ゆうに共有してもらう事で、それは俺だけの想い出になるのではなく、ゆうにも共有してもらえてる想い出になるから、そうなる事で意味が出来るようになるから。


 知ってもらいたい事。
 ゆうへの想い。
 だけど俺はそれを言わない。
 言えない。
 言いたい言葉はあるけど、でもそれはまだ言えない。
 でもいつかそれを言うから待っていて。そして覚えておいて、ゆうには兄と妹、っていう言葉は言ってもらいたくないって。ゆうは妹以上だから。
 それだけ言って、ゆうの小さくって温かな手を握り締める手にきゅっと力をこめた。
 ―――そのまま握り締めて、壊してしまえば、ゆうを俺だけのモノにできるだろうか? といういけない事をほんの一瞬だけ想いながら。



 ―――――――――――――――――
【ラスト】



 愛しくって恋しい。
 この感情の名前を何と呼ぼう?
 私は知りたい、この感情の名前を?



 きょうちんは聞かせてくれる。私にきょうちんの過去を、想いを。
 私の知ってるきょうちん。
 知らないきょうちん。
 たくさんのきょうちんの記憶や想いが言葉となって、
 私の中に流れ込んできて、
 それはその瞬間に私も共有するきょうちんの想い出となる。
 それは心震えるほどに嬉しくって、幸せで。
 だから私はそれを抱きしめる。



 ああ、私はその感情の名前を何と呼ぼう?
 なんと名づけよう?



 だけど私がそれを知りたいと想いながらも、
 心のどこかで決定的にそうできないのは、
 無意識に私が私という存在を、
 きょうちんの存在を、
 知っていたから。
 天使と悪魔。



 相容れぬ二つの存在。
 その運命。
 心震えるような想いを感じながらも私たちは決して………
 ―――結ばれてはならない存在。



 それでも私はその時間がとても愛おしく、幸せで、嬉しい。
 心に刻み込む、忘れたくない時間。



 私は知らない。きょうちんへの想いの名前を。



 きょうちん、私のお兄ちゃん。
 愛しくって、温かくって、大切で、
 そして…………



「きょうちん。ありがとう、話してくれて。私、忘れないからね。きょうちんが話してくれたこと」
「ああ。覚えておいて」
「うん。ああ、じゃあ、今度は…」
「ん?」
「今度は私の事も話すね。まだ私には名前のわからないモノの事があるから、だからそれの話は出来ないけど、それ以外は話すから」
「うん。じゃあ、俺もゆうが話してくれた事は覚えておくから」
「うん」



 天使と悪魔。
 その間にある壁はあまりにも惨くって、酷くって、絶望的な壁で、
 それでも無垢なる二つの魂はその二人一緒に居られる時間を共に心から欲する幸せな時間として過ごしていた。
 桜、舞い狂う中で。
 今だけはただただ幸せに。
 薄紅の嵐は慈しむ。二つの無垢なる想いを。



 ― fin ―


 ++ライターより++


 こんにちは、御手洗・京也さま。
 こんにちは、矢島・悠香さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。

 ご依頼ありがとうございました。
 いかがでしたか?^^
 天使と悪魔、お二人のこの設定は本当にこういう二人の関係だからこそ使いたい使いたいと想っており、そして今回このようにして使わせていただきました。
 天使と悪魔、二人の間にある壁は凄まじい物ですが、本当にいつかこの二人ならばそれをぶち壊せて、幸せになれると想っております。
 でも本当にこのお二人、どうなるんでしょうね? 二人がどのようにして結ばれるのか本当に楽しみです。^^ それまでの道のりはすごく大変そうですが。;


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。